【開催報告】大澤 真幸氏

平成25年1月31日、比較文明研究センター平成24年度第5回比文研セミナーが麗澤大学生涯教育プラザにて開催されました。満員御礼となった今回の講演では、著書『ナショナリズムの由来』などで知られる、社会学者の大澤真幸氏をお招きすることになりました。今回はいささか刺激的な「だれがキリストを殺したか」というテーマを中心に、イエス・キリストにまつわる考察と解説が行われました。
西洋文明の根幹を成していると言っても過言ではないキリスト教ですが、「宗教」に馴染が薄い現代の日本では、信者もそれほど存在しないのが実情です。しかし、その最もたる中心人物であるイエス・キリストに関しては、一般常識の範疇として、磔刑を受け処刑されながらも、死後三日で復活し神となったというお話くらい知られています。「構造分析」の手法を用いると、この出来事は「イエス・キリストは一旦死を迎え姿を無くすことで抽象化され、復活によって姿は見えずともどこにでも存在する普遍の神になった」と説くことができるそうです。
善行を行ったのにも関わらず、その最期は無残であったイエス・キリストのお話は、最後に神として復活する反転を含め、悲劇と呼ぶに相応しい出来事ですが、見方を変えれば喜劇にもなり得る要素が含まれているようです。人々が待ち望んだものは神であったにも関わらず、目の前に現れたのはただの人間で大工の息子であったという事実や、その最期もまた悲劇を通り越した悲劇であり、もはや見る人にとってカタルシスすら感じさせない滑稽の極みであったということは、喜劇的要素として十分と氏は論じられました。
さて、今回のテーマであった「だれがキリストを殺した」に関してですが、果たしてそれはイエス・キリストに濡れ衣を着させたユダヤ教の司祭たちでしょうか、それとも実際彼を十字架に縛り付けたローマ人なのでしょうか、それとも師を売り裏切り者の烙印を押されたユダなのでしょうか。講演の最後では、このユダがイエス・キリストによって裏切り者へと導かれた可能性についての言及がありました。喜劇であってはならない宗教を完全なる悲劇として完成させるため、救われない惨めさ貫かせることで喜劇の担い手になるよう仕向けられたという解釈なのしょうか。
講演の最後の15分間は、このような解釈に関する質問応答や補足説明が行われ、無事講演を終えることができました。

(麗澤大学 大学院生 記)

大澤氏の著書を紹介する松本センター長

大澤氏の著書を紹介する松本センター長

講師の大澤 真幸氏

講師の大澤 真幸氏

満員のなか開催

満員のなか開催

講演に熱が入る大澤氏

講演に熱が入る大澤氏

大澤氏と意見を交わす伊藤俊太郎客員教授

大澤氏と意見を交わす伊藤俊太郎客員教授