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2016.06.20

麗澤大学武道教学推進センター第1回講演会

麗澤大学武道教学推進センター 第1回講演会:平成28年6月18日開催

講師 公益財団法人 日本武道館 理事・事務局長 三藤芳生
※講演録を再構成

 

開会挨拶

麗澤大学副学長 小野宏哉

 本日は、武道教学推進センターにとって記念すべき設立後の第1回講演会を開催することができました。講師として、日本武道館理事で事務局長をお務めになられる、三藤 芳生 先生をお迎えすることができました。講演をお引き受けいただきましたことに心から御礼申し上げます。
ご来賓の皆様におかれましてはご多用のところを御臨席賜り心より御礼申し上げます。またこの記念すべき第1回の講演会に、足をお運び頂きました皆様には、主催者を代表して感謝を申し上げます。
昨年度、麗澤大学 武道教学推進センターが発足し、武道を教育の中に正しく位置づけた高等教育を行う体制が整いました。並行して、経済学部では、スポーツマネジメントコースが発足し、スポーツにおいて有為の学生を得て、教育成果を世に問うことができるようになりました。ご尽力賜りました方々、関係者の皆様には心から感謝申し上げます。
スポーツでは相手を尊重する心が大事です。武道では、技の完成を目指すうえで、自己研鑽に励むことと同時に、崇高なる目標の自覚が欠かせません。競技においては勝つことは大切で、勝者は讃えられなければなりません。同時に、敗者には敬意を払い、互いに対戦相手を得たことに感謝しなければなりません。武道では、競う中で、共に磨き合って至高なるものを目指すことが、道を究める始まりではないかと考えます。
武道において、相手への思い遣り、敬意、感謝の念を発揮し、ともに崇高なるものを追求することは、道徳と変わりません。人格の陶冶が力強い社会人を送り出すという意味も込めて、武道教学推進センターには学生スポーツの強化に止まらない、多面的な展開が期待されています。道徳教育を担う本学に相応しい武道教学推進センターとして発展できますよう、今後とも皆様のご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げる次第です。
本日の御講演でも触れられます「精力善用」「自他共栄」は私にとっても重要な言葉です。嘉納治五郎が係った中学校で校是として学び、必修として習った柔道の道場には講道館と同じ額が掛かっておりました。私は剣道に志し「武道」に係りを持ちました。これらの言葉が心に掛かって、本日に至った次第です。
その本日、三藤先生にお話を伺い、学ぶ機会を得ましたことは、武道の専門家ではない私にとっても大きな歓びとするところです。その個人的な気持ちを最後に添えさせていただき、簡単ではございますが主催者としてのご挨拶とさせていただきます。有難うございます。

空手道アメリカ代表・國米櫻(こくまいさくら)選手による演舞

形「久留頓破(クルルンファ)」を演武する早稲田大学空手部の部員(当時)で、
空手道アメリカ代表である國米櫻(こくまいさくら)選手

「武道と道徳―武道は人間を強く、立派にする道―」

公益財団法人 日本武道館 理事・事務局長 三藤芳生 先生

 本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。ただいまご紹介いただきました、日本武道館で理事・事務局長を務めています三藤です。この度は、大学の同窓である長井孝介廣池学園常務理事、そして豊嶋建広麗澤大学教授とのご縁で、このような見事な麗澤大学の記念講堂で皆さんにお話ができることを誠に光栄に思っております。
本日は、武道の歴史と現在についてお話ししたいと思います。武道は長い歴史の中で、素晴らしい先達をたくさん生んでこられ、その方々が色々な教えを私どものために残してくださっています。それらを紹介しながら、皆様のためになるようなお話ができたらと思っております。

武道の歴史と現在

 最初は武道の歴史についてですが、飛鳥時代、蘇我入鹿が刀剣によって暗殺されるという大化の改新がありました。つまり武術、武道の歴史は、飛鳥・奈良時代から始まっているといえます。武術・武道は、自分の身を守る、あるいは家族を守る、仲間を守るといった護身の術から発達したのです。戦いの場における技法が体系化され、継承されて今日に至っているというのが大きな流れであります。
特に1192年、関東の武者たちが鎌倉幕府を打ち立て、源頼朝が征夷大将軍として実権を握ってから徳川幕府崩壊までの約700年弱の間、日本では武家による政権が続いたことは押さえておく必要があります。
鎌倉時代、関東の武者は騎馬、弓馬の術をもって全国を制覇しました。合戦では、まず遠いところから弓矢を打ちかけ、次に槍や薙刀、刀での戦いとなります。矢尽き刀が折れると、最後は白兵戦、つまり組み打ちの柔術です。昔の武士は弓矢、馬、槍、剣、柔術を総合武術として鍛錬したのです。
刀や槍、弓の技法は、習得がなかなか難しいものです。弓を例に挙げますと、西洋のアーチェリーは照準器が付いていて、的と照準器を合わせればだいたい当たります。しかし日本の弓は照準器といったものはなく、握る部分から上半分と下半分の長さが異なっていて、熟練しないと使えません。刀や薙刀も同様に、簡単に操れるものではありません。それぞれの特性を分かった上でないと、自分を傷つけてしまうことにもなります。武術・武道は人間の努力を求めます。
その武士の存在というのは、鉄砲が伝来して以降も変わることはありませんでした。鉄砲は技術の習得にそれほど時間がかからず誰でも立派な兵士になれるのですが、刀や槍は修得するのに何年もかかるのです。戦いの場の主役は鉄砲に奪われても、武士は刀を腰から外さなかったのです。
そして戦国時代が終わり、徳川による平和な時代になると、戦うことが務めの侍は、本来なら職を失うわけですが、人を殺す武術から人を指導する武道へと、「術」から「道」への転換がなされたのです。つまり、指導者として必要な学問を身に着け、文武両道を実践することとなった武士が、儒教的な倫理道徳を社会の隅々まで徹底させる原動力となったのです。その武士が守るべき道として、たとえば勇気、正義、誠実、正直、公正、慈愛といったことが、武士の徳、つまり武士道として奨励されました。現代の我々が行っている武道は、この武士道を源流にしています。文武両道を実践して、人間的成長を目指して日々稽古に励むところが、外来のスポーツとの大きな違いであります。
日本武道館では毎年夏に、全国の子供たちを集めて全日本少年少女武道錬成大会を開催しています。柔道であれば、北海道から沖縄まで約3,500人がやってきて、基本の稽古と試合を行います。日本武道館の大道場はだいたい1500畳から2000畳の広さがありますが、3,500人が朝9時から夕方6時までの一日中、汗を流すことができるのです。しかし野球では、グラウンドに立てる選手が18人、補欠を入れても40人です。サッカーでも両軍合わせて選手が22名、補欠を含め40名で、あれだけの広さを占有しているのです。柔道場、剣道場、相撲場、弓道場は広い場を必要とせず、武道はまさに日本の風土に適しています。しかも人間の教育に対する効果が大きいということで、伝統的に今日まで継承されてきたといえるでしょう。
さて、武道が現在どのような状況にあるかといいますと、国内では約250万人、海外では5000万人以上の武道の愛好者がいます。特に空手道は、2020年の東京オリンピックで正式種目採用が有力視されていますが(平成28年6月時点)、世界で3000万人以上が嗜んでいるといわれています。その理由は、空手道は何もなくても稽古ができるからです。稽古衣が無くてもできる、道場がなくても青空の下でもできる。しかも、護身術としての実用性があります。日本のように安全な国は、世界にそう多くはないのです。
世界では、トヨタの車とかソニーの音楽機器、美味しくて安全な食べ物など、日本製品は高く評価されておりますけれども、日本人の強さや立派さの評価の元となっているのは侍、武士道の精神です。日本武道館は毎年、海外に武道代表団を派遣しており、2年前はロシア連邦に、自民党副総裁である高村正彦日本武道館常任理事を団長とする日本武道代表団75名を派遣しました。現地では、柔道の有段者であるプーチン大統領が演武会に来場されて約30分間、熱心に見学をされました。日本のいろいろな文化が世界に貢献をしていますけれど、武道もまた日本が世界に誇る運動文化として、高い評価を得ているのです。

「武道は礼に始まり、礼に終わる」―礼の実践

 これから各論に入ります。まず、「武道は礼に始まり、礼に終わる」についてお話をしたいと思います。
武道には相手があって、相撲などは裸で体と体がぶつかり合います。しかも、相手を親の敵と思って、本気で戦うのです。そこで何が大事になってくるかというと、危険を防ぐ、あるいは相手を尊重するということです。
柔道では、投げたら必ず引き手を引いて、受け身をとる相手の衝撃を軽減させます。相撲でいえば、駄目押しは相手に対する配慮が足りない行為であり、相撲道に反します。空手でも、競技は「寸止め」で行われています。これは、相手に当たる寸前で止めるというものです。先ほどの國米櫻さんの演武をご覧になったとおり、衣擦れの音、間合い、技の切れなどすごい迫力でしたが、その突きや蹴りを当てると相手は大怪我をします。ですから、武道では自制心が求められるわけです。武道を稽古して自分が強くなると、相手を叩きつければ怪我をするのが分かりますから、コントロールしなければなりません。そこに、謙虚さが芽生えてきて、相手に対する礼が自然に求められ、自ずと相手を尊重するようになります。
大相撲で少し前に引退しましたが、豊真将関は立派でしたね。大関、横綱にはなれなかったですが、豊真将関の取り組みを見ると、勝っても負けても礼儀正しく、その土俵態度に気持ちがすっとしたものです。無敵というと、普通は圧倒的な強さをいうのですが、敵がいない無敵というものもあります。その方が良いですね。いくら強いといっても、世界にはもっと強い者がいますから、結局は無敵ではないのです。だけど、礼儀正しい、人間が立派だということで敵を持たない人は、もっと強いですよ。礼は、自分を守ってくれます。だから、礼を守る者は無敵です。礼をしっかり実践できれば、それだけで世の中を生きていけるのではないかと、そんな実感を持っています。この廣池学園、麗澤大学は創始者廣池千九郎先生のご指導による道徳教育で知られています。そしていま、この武道を見直そうという活動をされていることは、まことに素晴らしいことだと思います。
武道には、このように礼の力があります。自制心を持って、相手を大事にすることはとりもなおさず、自分を大事にすることになるのです。だから礼儀正しい人は、人からも粗末にされません。こういうところに、武士道の伝統、知恵があるのです。
礼法の大元である小笠原流弓馬術礼法は、鎌倉時代に生まれました。日本の礼法には公家の礼法と、小笠原流の武家の礼法の2つがあり、いま一般的に私たちが実践しているのは小笠原流の流れをくむ礼法です。小笠原流は「実用・省略・美」を教えとしています。小笠原流礼法の特徴について、象徴的な出来事を紹介します。日本武道館では「国際武道文化セミナー」を毎年3月に2泊3日の日程で、千葉県勝浦市にある日本武道館研修センターで開催していて、武道経験のある外国人が毎年80人から100人ぐらい参加します。ある年のセミナーで、小笠原流礼法の「礼法基礎」を実際に体験してもらったのですが、参加者たちは「なんだ、女性がやることじゃないか」と、最初はたかをくくっていました。しかし、本当は違うのです。小笠原流では、礼法を徹底的に訓練することによって体幹を鍛えているのです。真っすぐに立つ、真っすぐに座る、真っすぐに進む、相手と真っすぐに対峙する、また相手と呼吸を合わせて礼を行うというのは、単なる形式ではなく、武家の身体訓練でもあるのです。それで、最後はどうなったかというと、1時間ぐらい実践してもらった後、小笠原流宗家の講師がすっと立ち上がって「皆さん起立してください」と言ったら、参加者の半分以上がよろけてスッと立ち上がれなかったのです。小笠原流礼法は、本当は、それくらい厳しいものなのです。
武家は日常生活の中で、幼少の頃から礼法によって体幹を鍛える教育を行い、それを生涯徹底したということです。表面だけ見ると堅苦しいなと思いますが、ちゃんと理に適っているのです。礼は己を正し、相手をも守る。つまりお互いが気持ちよく生活をしていく、その知恵なのです。

「我以外、皆我師」―宮本武蔵

 剣豪の宮本武蔵は、二刀流を創始しました。創始したと言うことは、つまり剣の師匠を持たなかったということです。特別な武士ではなく浪人であった武蔵はあらゆることから学んでいるのです。『五輪書』を読んでも、兵法の道理を大工にたとえ、その技や心得を見習うようになどと書き残しています。浪人として色々な世の中を見てきた武蔵は、画や工芸、それから書も超一流でした。誰から学んだのかは謎ですが、あらゆるものから学んだことは事実が証明しています。つまり、「我以外、皆我師」です。あらゆるものから謙虚に学べば、成長できるのです。武蔵でさえ死ぬまで勉強したのです。この向学心を、我々も見習いたいと思います。
私もこれまで色々勉強してきましたが、学ぶということは実に楽しいことです。学ぶことで、いままで知らなかったことが分かり、間違っていたことに気付きます。すると、自分の無知を知ることになりますから、人間が謙虚になりますね。つまり、ソクラテスが言っていた無知の知です。知れば知るほど、自分の無知なことを知ることができます。世の中には、分からないことや、すごいことがいっぱいあるということが分かってきます。人間は他の動物と違って、学ぶことで今日まで文化や文明を育ててきました。学ぶことが無ければ、無力な人類は死に絶えていたのかもしれません。
また、学んで自己の無知を知ることで、その後の学びが深まっていきます。「晴れてよし曇りてもよし富士の山 元の姿は変わらざりけり」といいますが、自分の見る目、感じる心を養なうためには、学ばなければいけません。
武蔵は何を考え、どのような生き方をしたのか、ここもまた我々はいろいろ考える必要があるのではないかと思います。学ぶことはよく生きることですから、ぜひ死ぬまでともに学んでまいりたいと思います。

昨日の我に今日は勝つべし―柳生家家憲

 戦乱の世が終わり平和な江戸時代において、どのように国を豊かにまとめ上げるかが徳川家の最大の政治的な重要事でありました。そこで、将軍家の剣術指南役を務めた柳生家は政治にも知恵を出して、徳川家の政権安定に大きな貢献をしました。その柳生家の家訓が「昨日の我に今日は勝つべし」です。相手に勝つのではない、自分自身に勝つのだというのです。日々努力すれば、昨日の自分に勝ことができるのです。
これは、自分自身を超えていけということですから、そのレベルは問わないんですね。たとえば学生で、90点を取る人は伸びしろが10点しかありませんが、20点の人は80点も伸びしろがあるのです。いま出来の悪い人ほど、将来成長する可能性があるんです。いま50点の学生さんは、明日は1点でもいいから伸びるのだと強く思い努力すること、「明日なろう」ではなく「今日なる」の気持ちが大切です。
柳生家では、技法の指導において、自分の弱いところに打ち勝て、自分の強いところを伸ばせ、ということで「昨日の我に今日は勝つべし」という言葉が伝わっていますが、気持ちが弱くなった時や萎れそうになった時にも、自分自身を勇気づけてくれる言葉だと思います。何かをやる時に先立つのは心です。自分の心の向きが大事です。心が閉ざされていれば、新しいことはできません。「一大事と申すは、今日ただ今の心なり」の禅語のとおり、人間にとって大事なのは今です。心を開いて、今を充実して生きていけば、あとはいらないんですよ。
これに関連して、武道では「入門あって卒業なし」といいます。道に完成は無い、だから死ぬまで努力するんだということです。稽古して「俺はここまで来たんだ」といっても、もっと高みがあります。これは、慢心を戒めてくれる、とてもありがたい言葉です。だから謙虚に、武道修業に精進・努力して、日々自分を高めていくことが大事なのです。肉体はいつか老化していきますが、精神力や思考力、優しさは年を取るごとに増していくことが可能です。
「昨日の我に今日は勝つべし」を家憲とする柳生家の兵法の知恵が、約400年続いた徳川時代の礎を築いたということも歴史的事実としてお伝えしておきたいと思います。

「精力善用 自他共栄」―嘉納治五郎

 明治の初めの廃仏毀釈や文明開化といった西洋崇拝の時代に、嘉納治五郎先生は日本の伝統的な柔術に光を当てて、新たに柔道を創始されました。
嘉納先生は東京大学の学生の時に、天神真楊流、起倒流といった古流柔術を修業されました。その中で、新しい柔道を作り上げるために良いものを取り上げ危険な悪いものを捨てて、徹底的に研究されたんですね。上野・永昌寺のわずか12畳ほどの道場で、お弟子さんと畳がすり減るまで工夫研究をしながら、1つずつ技を作り、それを手技や足技、腰技などと体系化されたわけです。
そして、嘉納先生は柔道を創始する中で、「精力善用・自他共栄」を唱えました。つまり、柔道の修業を通じて心身を鍛え、高めた自分の力を世のため人のために有効活用し、社会に貢献していこうということです。
それで、アメリカ合衆国第26代大統領のセオドア・ルーズヴェルトは、嘉納先生の門弟である山下義韶先生が2メートルを超すアメリカ人プロレスラーを圧倒した異種試合を見て、講道館柔道の威力に感激したという逸話が残っています。そしてルーズヴェルトは、ホワイトハウスの一室を改造した道場で、山下先生から柔道の指導を受け、有段者レベルの技量にまでなったそうです。
ちょうどその頃、ロシアと日本の間で日露戦争が勃発しました。当時の政治家・金子堅太郎氏がルーズヴェルトと大学の同窓生ということで渡米して交流する中で、新渡戸稲造博士の『武士道』を薦めたところ、ルーズヴェルトがとても感銘を受けたということがありました。そこで、余力の無くなった日本として、ルーズヴェルトに日露戦争停戦の仲介をお願いし、調停となったわけですが、その元には、ルーズヴェルトに日本の武士道、柔道に対する畏敬の念があったからだといわれています。明治時代後期に、歩み始めたばかりの柔道が日本の国難を救ったんですよ。これは、あまり知られていない話ですけれど、歴史的事実なのです。
それほど嘉納先生の創始された柔道は威力を持っていました。海外でも通用する優れた弟子を養成され、また、それらの人を活用するだけの政治力もあったのです。嘉納先生は学習院教授や熊本の第五高等中学校長、そして東京高等師範学校長も歴任されました。教育者としても素晴らしかったのですね。そういう人たちが先達として、いろいろな教えを残していることは、我々の大きな心の支えになっているわけです。柔道は現在、世界200カ国に愛好者がいますが、各国の指導者はみな、日本を柔道の母国だと思って尊敬しています。これは間違いなく、日本の外交的な威信の礎になっています。
それから、嘉納先生は、それぞれの身体に応じた技を使いなさいということを教示されています。つまり、「得意技で勝負せよ」ということです。人間は嫌いなことだとなかなか成功はできません。お集りの皆さんも、これまで自分の得意なことで世の中に貢献されてきたのだろうと思います。
特に学生さんには、道徳的であること、礼儀正しいことに加え、この得意技を持つことの重要性を伝えたいと思います。社会はあらゆることが人間関係で成り立っていますから、そこで大事なことは「読む・書く・聞く・話す」の言語能力です。まずは聞くこと。相手を正しく理解するためには聞く力を身につけることが必要です。次に読むこと、特に古典を薦めます。古典の良さは、世の中がどのように変わっても今日まで読み継がれている内容を持っているからです。麗澤大学の創始者廣池千九郎先生の記念館にはたくさんの蔵書が用意されています。学生さんはその恩恵を頂戴しなければなりません。書くこと、話すことも磨き高める必要があります。
それから、もう1つ学生さんに伝えたいこととして、伸びる人間は失敗も肥やしにできる、伸びない人間は失敗したら諦めてしまうということです。目標を決め、計画を立てて実行すれば、必ず結果が出ます。そこで大事なことは、結果を正しく評価し、うまくいかなかった場合は、何が悪かったかをよく検証し、修正した上で実行することです。つまり、「目標→計画→準備→実行→評価→修正→再計画……」のサイクルです。成功する人はみな、転び方が上手です。転んだらすぐ立ち上がって、またやる。転んでもただでは起きないことが大事です。そのためには、良き生活習慣を身に付けることです。良い生活習慣を身に付けることができれば、日々自分を高めていける、つまり昨日の我に今日は勝てるのです。

武道は人間形成の道―武道の理念

 結びになりますが、日本武道館が提唱して武道9団体と日本武道館で組織している日本武道協議会は「武道の理念」・「武道の定義」を制定いたしました。そこにあるとおり、現代武道には柔道、剣道、弓道、相撲、空手道、合気道、少林寺拳法、なぎなた、銃剣道の9つの種目があり、いま中学校では必修として実施されています。
中学校武道必修化について説明しますと、第二次世界大戦後、武道は軍国主義に加担したということで、GHQによって学校教育で全面禁止されました。その後、各武道関係者の努力で順次復活しましたが、最も遅かったなぎなたは敗戦から14年間も禁止されていたのです。復活してからも、昭和63年までの30年余り、学校教育では「武道」ではなく「格技」という名称で呼ばれていました。平成元年にようやく「格技」から「武道」へ名称変更され、選択必修として実施されました。そして、平成24年度から、愛国心・郷土愛や道徳心、礼儀作法や伝統的な態度を養うという教育基本法の改正により、中学校1・2年生の保健体育科で武道が必修化されました。いま中学1学年が100万人から120万人位いますから、これから50年、100年後には、日本国民全員が武道の経験者ということになります。
さて、ここで、「武道の理念」を紹介したいと思います。
「武道は、武士道の伝統に由来する我が国で体系化された武技の修錬による心技一如の運動文化で、柔道、剣道、弓道、相撲、空手道、合気道、少林寺拳法、なぎなた、銃剣道を修錬して心技体を一体として鍛え、人格を磨き、道徳心を高め、礼節を尊重する態度を養う、国家、社会の平和と繁栄に寄与する人間形成の道である」。平成20年10月10日に制定されました。
この「武道の理念」が根拠になって、学習指導要領解説欄に種目名が明記され、武道9種目が実施できるということになったのです。私は「武道の理念」・「武道の定義」の原案を作成した当事者でありますが、当時は柔道事故が社会問題化していた時でしたから、中学校武道必修化に向け、「安全で、楽しく、効果の上がる授業」を実践できるようにするにはどうしたらよいかということでだいぶ苦労しました。
武道は「武道の理念」にあるとおり、人間を強く、立派にする道です。武道をやると心も体も強くなります。稽古で相手と正対しながら大きな声を出すことで、自分の内なる力が湧いてきます。すると、集中力や自制心が高まり、持続力、忍耐力が養われ、礼儀正しさや道徳心が身に付いてきます。武道によって立派な人間となって、自分のことだけでなく、世のため人のために尽くすのが、武道人の目標であり、理想です。
会津藩の掟に「ならぬことはなりませぬ」という教えがあります。大事なことは説明が難しいのですが、そういうものは道徳として、人間が守る必要があるのです。道徳を守ることで自分も他人も守られる。結果として社会が守られる、つまり社会に安定と安心が生まれるのです。敵は自分にありです。人間は自分の欲に負けたり、飾ったりして自滅するんです。だから自制心が必要なのです。
大事なのは自分の姿勢を正し、道徳心をもってしっかり生きていくことです。現実をありのまま受け入れ、与えられたものを最大限生かして生きていくことです。思いを遠くにはせて、理想を持って生きることです。読む・書く・聞く・話す能力を高めて人間関係を大切に、日々学び、礼儀正しく、健康でいることで、幸せな人生を送れるのではないかと考えます。
ぜひ、武道の知恵を皆様の日々の生活に生かしていただきたいと思います。

 皆様、本日はご清聴ありがとうございました。

閉会挨拶

武道教学推進センター センター長
麗澤大学経済学部 教授 豊嶋建広

 只今ご紹介いただきました武道教学推進センターの豊嶋です。センターを代表しまして閉会の挨拶をさせていただきます。
本日はこのように多くの方々に当センターの第1回講演会にお越しいただき誠にありがとうございます。大変感激しております。
当センターは昨年設立されましたが、第一回の催しものを今年開催することで、廣池千九郎生誕150周年記念と同じ年に第1回講演会を開催でき、スタッフ一同喜んでおります。
昨年第1回講演会開催することが決まると、そのテーマはすぐ決まりました。 開催の年が廣池千九郎150周年記念の年であること、大学の理念が「知徳一体」であること、そうすれば「武道と道徳」しかありません。それではこのテーマでどなたにお願いするか。私の頭にはすぐお一人のお顔が浮かびました。
1964年、東京オリンピックが開催されました。その年に日本武道館も完成しています。そして2年前日本武道館50周年記念史が刊行されました。これがその記念史です。ページをめくりますと、あらゆる武道の50年の記録が手に取るようにわかります。この記念史の制作責任者が本日講演くださった、三藤先生です。約半世紀日本武道館と共に武道を見守り続けていらっしゃる三藤先生に講演をお願いしたいと思いました。
しかし、2020年の東京オリンピックを控えて超多忙の日本武道館の事務局長である三藤先生にお越しいただけるだろうか。直球でお願いに伺えば、断られるのは火を見るよりも明らかです。ここは宮本武蔵のように戦略戦術が必要と感じ、当時三藤先生と大学の同級生である長井常務理事のオフィスに伺い、何としても三藤先生にご講演をお願したい旨をお伝えしました。そして今回の講演会が実現しました。
三藤先生、本日は実のある素晴らしいお話をありがとうございました。
今日から早速武道の心構えを、1つでも2つでも実践し、残りの人生がより充実したものになるようにしたいと思います。
最後になりましたが、経済学部スポーツマネジメントコースのスタッフの皆様、お手伝いありがとうございました。