学校教育研究科道徳教育専攻 教員リレーエッセイ連載(第3回)
2017.7.19

道徳教育の成立条件

外国語学部 准教授 川久保 剛

 

 自己には二つの意識のありようが存在する。

 ひとつは、「自意識」で、もう一つは「自覚」である。

 前者の「自意識」は、私は私、という風に、自己を世界から切り離して、閉じた状態においてとらえる、そのような意識のありようを指す。

 それに対して、後者の「自覚」は、自己を世界や場所に開いて、そこに立ち現れる他者との関わりにおいて自己をとらえる、そのような意識のありようを意味する。例えば人間は、自己を社会に開くことで、はじめて社会人としての自覚を持つ。そして社会人としての他者への責任を意識する。

 このような自己のありようの違いは、哲学者・上田閑照の所説を参照したものだが、道徳というものを考えるにあたり、重要な示唆を与えてくれよう。

 道徳は、自己と自己、自己と他者、自己と共同体、自己と自然・超越との関係性、つまり人間を取り巻く多次元的な「かかわり」の中で、人間の生をとらえ、そのより良きありようを示すものである、といえよう。

 道徳がこのような意味をもつとすれば、まず自己が「かかわり」の場、つまり世界に開かれていることが、その学びの前提とならねばならないだろう。つまり「自覚」に立ってこそ、道徳というものが自己や人間の課題として意識されるのである。

 道徳教育は、「自覚」という自己のありようを条件として成立するものといえよう。言いかえると、閉じた自己を世界に開いた時に、道徳という学びの領域が同時的に開かれるのである。