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2007/10/15

インドと日本の文化的かけ橋

海外で活躍する我妻和男麗澤大学名誉教授と絅子夫人

麗澤大学OBとしてインドで活躍する中川氏のことをご紹介したが、ビジネス界とは違う分野で、同じくインドの英字新聞『ヒンドゥスタン・タイムズ』 (2007年7月27日)や『ザ・テレグラフ』(2007年9月9日)の紙面をにぎわせた麗澤大学関係者がいる。日本を代表する日印文化交流の功労者とし て現在も精力的に活躍しておられる麗澤大学名誉教授の我妻和男先生と、その先生にいつも一心同体の如くに寄り添っておられる絅子夫人である。

今年は日印両国にとって特別の年だ。すなわち、日印文化協定締結50周年に当たる「日印交流年」である。それを記念し、日印両国では記念事業を実施する運 びとなり、その一環として、外務省により文化担当実行委員に選ばれた我妻先生は、コルカタとデーリーで講演するため、6月26日から9月15日までインド に滞在された。

滞在中の最大のイベントは、何といっても、8月23日の印日文化センター落成式であった。同式には安倍前首相と西ベン ガル州首相ブッドデブ・ボッタチャルジョ氏も出席し、盛大に執り行われた。印日文化センターは、西ベンガル州政府情報文化省、ポシュチムボンゴ・バング ラ・アカデミーと我妻先生が事務局長を務める日印タゴール協会が共同で、約5年の歳月をかけて設立までこぎつけたものだ。

その落成式 には、もうひとつ、ビックイベントが用意されていた。席上、我妻先生が西ベンガル州首相から「タゴール賞」を授与されたのである。同首相は、先生の印日文 化センター設立への尽力とご著書『タゴール 詩・思想・生涯』(麗澤大学出版会刊)の功績に対し、衷心からの敬意を表明した。

「タ ゴール賞」は西ベンガル州の文化勲章に相当するもので、先生が受賞されるのは97年に次いで2度目となる。日本人で、それもお1人で2度にわたる「タゴー ル賞」受賞は文字どおり稀有のことであり、それだけでも、先生がいかにインドで、そして世界で高く評価されているかを物語るものである。『ヒンドゥスタ ン・タイムズ』と『ザ・テレグラフ』の記者が「なぜ、タゴールに興味を持つようになったのですか」と先生にインタヴューしたのも頷ける。

インタヴュー記事や先生ご自身から伺ったお話によると、先生とタゴールとの出会いは、先生が中学生だった頃にまで遡るようだ。当時は、敗戦を5カ月後に控 え、アメリカ軍による日本本土への空襲が激しさを増している時代だった。先生は当時の様子を次のように回顧されている。

「1945 年3月9日夜半から10日にかけて、アメリカ軍による東京絨緞爆撃によって、3時間半で10万人も一般市民が死亡した。東京下町は焼野原で、私の通学して いた都立三中(現在の両国高校、墨田区錦糸町)は、下町で最もひどい被害がでた本所区にあり、本所区では4人に1人が亡くなったと言われ、校庭の中だけで も120人の死者がでた。

1945年8月15日の終戦まで、中学1年から中学2年にかけて、私は、下町中を回って焼跡整理と死体片付 けを続けた。その間も、アメリカの空母より来襲する艦載機から絶えず機統掃射を浴びせられた。その間、主食も副食も調味料もなかった。まさしく何もない状 態で、学校の焼跡菜園にできた南瓜の花や雑草を食べて飢餓を凌いでいた。政府からの食糧配給は途絶えがちで少なく、皆が栄養失調になっていた。

そんな毎日の結果が表れて、人々の間には結核が蔓延した。私も中学2年9月に結核性肋膜炎に罹り、その後は1年間、肋膜炎を患い、自宅での絶対安静を余儀なくされた。まだほんの14歳の少年だった。このような状況は、深い精神的な苦痛以外の何ものでもなかった。

少 し気分のよいときなどは、僅かな時間でも、気を張って本を読んだ。その本が、アジアで初めてノーベル文学賞を受賞したロビンドロナト・タゴールの戯曲『郵 便局』の日本語訳だった(原書はベンガル語で‘dト〔ghar’、1911年刊。その英訳本を邦訳したもので、重訳。天野徳三訳、近藤書店刊、1915 年。)」

『郵便局』の主人公オモルは 両親に死なれ、義理の叔父に育てられている不幸な少年。また病気を患っていて、インドの伝統医から重病であると診断される。その結果、日光と外気と湿気をさけ、部屋に閉じこもるよう指示される。

そのようなオモルの境遇は、家で臥せる我妻少年のそれと不思議なほど重なりあっていった。たまたま家にあった『郵便局』を手にし、主人公の生き方に共感を 覚えた我妻少年は、タゴール文学とベンガル語の世界にますます魅了されるようになった。それ以後10年間、肺結核を患い、喀血をして病魔と闘いながらも、 「タゴールの詩の一行一行が私の心の中に泌み入った」と回想されるくらい、タゴールに傾倒していったという。

このような劇的なタゴールの魂との出会いが、今でも運命的ともいえる原体験として先生を支えているのだろう。インドは「魂の母国」であり、「まちがって日本に生まれた」とおっしゃるほどインド通の我妻先生ご夫妻、ご健康に留意され、ますますご活躍されますように。

印日文化センター落成式でタゴール賞を授与される我妻名誉教授

印日文化センター落成式でタゴール賞を授与される我妻名誉教授

インド西ベンガル州にある印日文化センター

インド西ベンガル州にある印日文化センター