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2008/03/25

今蘇える書斎の学祖像

去る3月17日に、廣池千九郎畑毛記念館の落成披露が静岡県田方郡函南町畑毛で開催され、麗澤大学を代表して式典に参加した。畑毛といえば、歴史と伝統のある温泉地で、野趣あふれる風景の中に富士山がその雄姿が現す景勝地でもある。

病弱であった廣池も、持病の回復を願い、湯治のために全国の温泉を訪れていたが、この畑毛にも良質な温泉があるというので、当時、国家的事業であった日本 最大の百科資料事典『古事類苑』の編纂に従事していた時代(明治30年代)にたびたび同地を訪れていた。きっと畑毛温泉の泉質が廣池の体質に合っていたの であろう。廣池は、大正12年から琴景舎という旅館の離れを借り、そこで2年間にわたって『道徳科学の論文』を執筆編集した。

落成披露は、地元函南町の副町長、町議会議員、教育次長、観光協会会長、駅長、郵便局長をはじめ、多数の関係者が参加して盛大に挙行された。記念会食ではテーブル・スピーチを仰せつかったので、以下のような感想を述べた。

「麗澤大学の創立者が、同大学の教育理念の原点ともいうべき『道徳科学の論文』を執筆したときの部屋が、そのまま保存されているのを目の当たりにして、深 い感動を覚えた。廣池千九郎が、『古事類苑』の編纂に携わっていたとき(洋装本で全51巻、その4分の1の原稿を書いたといわれている)、上野の帝国図書 館(国立国会図書館の前身)に通っていた。当時の新聞の『万朝報』で、同図書館の40万冊の蔵書をすべて一人で読破した人物がいると話題になった。いうま でもなく廣池である。

しかし、畑毛には、もちろん帝国図書館はない。湯治をかねていたとはいえ、お世辞にも論文執筆に適した書斎とは言えないような不便な場所で、あのような大著を書き上げた廣池の学力、忍耐力、精神力には、ただただ頭が下がるばかりだ。

もう一つ、重要なのは「視覚化」ということだ。畑毛の廣池千九郎記念館には、書籍の山に囲まれて論文を執筆する廣池の小型ジオラマが展示されている。この ジオラマと実際の論文執筆の部屋をあわせ見ることで「論文を執筆する廣池千九郎」のイメージが、よりリアルになった。別の表現を使えば「書斎の廣池千九 郎」が、キリスト教美術のイコンのように、目に見える形で残されることになったわけである。

西洋には、「書斎の聖者」が絵画のモチー フとして存在する。たとえば、イタリアのフィレンツェのオニサンティ教会では、ボッティチェリの「書斎の聖アウグスティヌス」やギルランダイオの「書斎の 聖ヒエロニムス」のフレスコ画がその壁面を飾っている。描かれた聖者は、両者ともラテン教会四大博士である(4C~5C)。このジオラマを覗きこんでいる と、ヘブライ語とギリシア語の聖書を黙々とラテン語に翻訳する聖ヒエロニムスと、寸暇を惜しんで論文を執筆する廣池の姿がだぶって見える。」

テープカットをする理事長(左から4番目)と学長(一番左)

テープカットをする理事長(左から4番目)と学長(一番左)

テーブルスピーチで感想を述べる

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論文執筆中の廣池を再現

論文執筆中の廣池を再現

山積みの書籍まで本物のよう

山積みの書籍まで本物のよう