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2009/02/09

麗澤大学創立者の独創性と「アーカイブ」

皆さんは「アーカイブ」と聞いて、何を連想するだろうか。コンピューターを使う人なら、関連のある複数のファイルをひとつにまとめたものを思い浮かべる かもしれない。しかし、それはITの時代ならではの用法であって、アーカイブとは、元来、古文書・記録文書類、あるいはその保管所(公文書館)を意味する 用語である。

いうまでもなく、アーカイブは英語である(archive 英語の発音により忠実ならば「アーカイヴ」とすべきかもしれ ないが、『広辞苑』第6版の表記に従った)。『オックスフォード英語辞典』(OED)によると、前述したように、主に2つの意味がある。①公文書あるいは その他の重要な歴史文書を保管する場所、②そのように保管される歴史的記録や文書、である。辞書には、ともに17世紀からの用例が列挙されているが、前者 の「保管場所」を意味する場合、現在では「アーカイブズ」と複数形でのみ用いられる。

では、どうして「アーカイブ」の話を切り出したかというと、日本で最初に「アーカイブズ」の設置を提唱した民間の学者が、何を隠そう、麗澤大学の創立者、廣池千九郎だったからである。

そのことが指摘さているのは、安藤正人・青山英幸編著『記録資料の管理と文書館』(北海道大学図書刊行会 1996年)という、文書館員グループによる共 同研究の成果をまとめた好著である。同書では、廣池千九郎が『中津歴史』(1891年・明治24年出版)を執筆する際にアーカイブズを設置すべきと提言し た経緯が紹介され、「史料保存について、官学アカデミズムよりも果敢に自ら切り開く志向があった」と、その学問的姿勢が高く評価されている(262~63 頁)。さらに「おわりに」でも、「1890年代初めに最初に在野の歴史研究者広池千九郎がアーカイブズの設置を提唱し、次いで官学アカデミズムの西洋史研 究者箕作元八らが・・・『記録局』設置を求めた」と、廣池の先見性に再度言及されている(283頁)。

廣池が『中津歴史』を書いたの は、伝統的文化の理解と継承について地域の人々を啓蒙し、地方史の確定を通して、国民教育の根本資料に資するという意図があったからだ。廣池は、中津高等 小学校に存在した旧藩校の進修学館の蔵書閲覧を皮切りに、地域の古老の元に足を運ぶなど、精力的に文献調査やフィールドワークを行った。しかし、古文書や 古記録の保存は劣悪だった。旧藩庁の記録資料は藩士の洋風化で散逸し、さらに維新や西南戦争の影響で消滅してしまっていたからだ。たとえば、旧藩町会所の 書類は、当時の地元の篤志家(旧藩町会所の書類を散逸するのを憂い、個人で自宅に収蔵していた小畑利四郎)や中津銀行に一部残っているにすぎなかった。

廣池は、かろうじて散逸を免れた現存の書類でも、すみやかにその保存方法を考えなければ、久しからずして散逸すると述べた後で、つぎのようにアーカイブズ の必要性を力説する。「現存ノ書類モ速二保存ノ方法ヲ設ケナケレバ、亦久シカラズシテ散逸スベシ。西洋各国ニテハ、英語ニテ『あーかいぶ』ト称スルモノア リテ、此『あーかいぶ』ニ悉皆公文書類ヲ保存スル也。然ルニ、我国ニテ往時ハ勿論、今日猶カ丶ル組織ナキハ嘆スヘキコトナラズヤ。」(『廣池博士全集』第 1巻[財団法人モラロジー研究所 2002年]、29頁)

日本最初の公文書館は山口県文書館で、1959年(昭和34年)に誕生 した。「文書館」と命名したのは、諸外国のアーカイブズに着目した、当時の図書館長、鈴木賢祐らの認識があったからだという。きっかけは1952年(昭和 27年)、毛利家文庫(旧萩藩主毛利家から山口県へ寄託された藩政時代の文書)が県立山口図書館へ収蔵されたこと、そして同図書館にはすでに、戦前の県史 編纂所収集の県庁文書も存在したこと。これらの膨大な文書の本格的な保存利用機関が必要と考えたからだ。しかし、廣池はその60年も前にアーカイブズの必 要性に着目していたのである。

廣池千九郎のパイオニア精神と独創性は、アーカイブズ設置への着目だけにとどまらず、他の学問分野で も、つぎつぎと新境地を開拓してゆく。漢文には文法がないとさえ言われていた時代に、独力で漢文法をまとめ上げた独創的な文法書、『支那文典』(1905 年)、西洋の学問が主流であった時代に、東洋法制史という独自の新領域を成立させ、「東洋の奇跡にして天下の奇書」と同分野の学者からも高い評価を受けた 『東洋法制史序論』(1906年)、そして本学の建学の精神の学問的基礎をなす『道徳科学の論文』(1928年)。この西洋の科学と東洋の道徳・倫理思想 の融合を通して、モラル・サイエンス(道徳科学)を確立しようとした『道徳科学の論文』には、あの国際的な名著『武士道』の著者、新渡戸稲造も英語の序文 を寄せ、廣池の「帝国主義を排し、世界平和を高調せられた論旨」に共感と注目を示した。

このような廣池の本格的な著作の中では、『中津歴史』は「処女作」と言えるものだ。当時としては画期的な地方史であることは言うまでもないが、それ以上に、後年、学者として前人未到の分野を切り開いていく独創性豊かな学者、廣池千九郎の原点を見るようで興味深い。

創立者 廣池千九郎博士

創立者 廣池千九郎博士

地方史の先駆をなす『中津歴史』

地方史の先駆をなす『中津歴史』地方史の先駆をなす『中津歴史』