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2010/01/25

『道徳教育民間タウンミーティングin千葉』での提言

去る1月23日(土)、千葉ペリエ大ホールにて、「道徳教育民間タウンミーティングin千葉」が開催された。森田健作千葉県知事のエネルギッシュな挨拶 の後、「千葉を明るく元気にする道徳教育の推進を」をテーマにして、参議院議員の山谷えり子氏、一般財団法人日本教育再生機構理事長・高崎経済大学教授の 八木秀次氏、精神科医・国際医療福祉大学大学院教授の和田秀樹氏に続き、私も提言を行う機会を得た。以下はその内容である。

いま千葉県に求められている道徳教育

ご紹介にあずかりました麗澤大学学長の中山でございます。私は教育者の立場から意見を述べたいと思います。お話ししたいことはたくさんありますが、限られた時間ですので、次の3点に絞りたいと思います。

1) 第一点は、道徳教育を、教育を受ける者の年齢で区切るなということでございます。皆さんの中には、道徳とは中学校で終わるものと思っておられる人がいらっ しゃると思います。私は、道徳教育は、高校でも、大学でも、また社会人になっても行うべきだと思います。江戸時代の儒学者の佐藤一斉は、「少にして学べ ば、則ち壮にして為すことあり。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず」と言っています。これは知識だけでなく、道徳の学習 にもあてはまるのではないでしょうか。年齢とともに、知識が高まり経験も増えますが、それとともに道徳の質と量もともに増えるべきだということです。知識 がついて、それに道徳心が伴わないと、かえって知識が多い分だけそれを悪用しますので、社会に対する害悪が大きいということです。

西洋 には「ノーズレス・オブリージュ」という言葉がございます。これは高貴なる義務という意味で、財産、権力、社会的地位にはそれに相応しい道徳的義務が伴う ということです。これはまさに今の日本でも言えることでして、政治権力を持った人が、その地位に相応しい高いモラルの感覚がないとどうなるか、これは私が どうこういうまでもなく、今の政治状況を見れば一目瞭然でしょう。

そこで学校教育の話に戻るのですが、現在では大学でさえも本来は初等 教育でおこなうべき道徳教育を行っている、いや行わざるをえない状況になっている事例をご紹介します。新聞の報道で知ったのですが、国立のK大学では新入 生を対象にし、法令遵守などを教える初年次教育を2010年から実施するというのです。初年次教育というのは、新入生が大学生活に適応させるために行う総 合的教育プログラムのことです。その背景には、大学全入時代を迎えて、学習意欲のない学生が増えたために、学習意欲を向上させるのを目的としたコースが必 要になったことがあるそうです。このコースでは交通ルールまで教えますので、「学生は大人、そこまでやる必要はない」というのが教員の多数派の意見だった ということです。しかしK大学の場合は、過去に大麻・覚せい剤保持で2人の逮捕者がでたということもありまして、あの自由な学風を誇るK大学でも方向転換 をしたそうです。こうした動きは他大学まで広がっていると聞いています。

もし大学がこのような状況なら、その前段階である中等教育で も、大学入試対策だけでなく、しっかりと道徳教育を行うべきであると思います。中学校の学習指導要領の総則には、「学校における道徳教育は道徳の時間を要 として、学校の教育活動全体を通して行うものであり…」とあり、道徳の時間が設置されています。しかし、高校学校の学習指導要領の総則にも道徳教育の必要 性は謳われているものの、小・中のような「道徳」の時間がないのです。私は高校のカリキュラムの中で道徳教育をより一層実質化すべく、学習指導要領の改訂 を行うべきだと思います。道徳教育は小・中で終わりというのではなく、高校でも大学でも道徳教育をしっかり行うべきであるというのが第一の提案でございま す。

2)2番目は道徳教育の中身でございます。先程、K大学では法令遵守を柱とした初年次教育を行っていると述べました。「交通ルール を守れ」とか「薬物には手を出すな」とか、いわゆる「悪いことはするな」という規範教育も重要ではございますが、良く考えてみれば、法令遵守というのは、 別に高い道徳でもなく、当たり前のことであるとも言えます。法律は最低のモラルであって、それを守ることは消極的なモラルです。

そうで はなくて自分の品性・品格を高め、社会に対して貢献してゆくというような積極的なモラルを、学校教育で、地域社会で、あるいは職場で互いに学びあうという 視点があってもよいのではないでしょうか。皆さんの中には、「道徳」や「モラル」という言葉を聞くと、何かしら堅苦しさを感じる方がいらっしゃるかもしれ ません。しかし、真の道徳とは、人を束縛するものでも、威圧するものでもありません。それは、私たちの心を感謝の念で満たし、他者に対して思いやりを持 ち、他者の幸福を願い、社会をより豊かにするものです。

物理学者のアインシュタインも、次のような言葉を手紙の中で引用しています。 「もっとも大切な人間の試みとは、あらゆる行為において、道徳を実行しようと懸命に努力することだ。私たちの精神の安定、そして私たちの存在でさえも道徳 に依存する。私たちの行為において、道徳だけが、人生に美しさと威厳を与えることができる。」このような内容の道徳教育なら、先程K大学の例でご紹介しま した「学生は大人。そこまでやる必要はない」というような大学教員からの反論は出ないのではないかと思われます

私ども麗澤大学では昨年 の4月に『大学生のための道徳教科書』という道徳のテキストを作り、実際に使用しております。平成生まれの学生が大学に入学する今日、1人ひとりが内面的 に何を心がけて、どう生きるのが望ましいか、戦後教育で見落とされてきたことを、大学教育で初めて再構築しようとした試みと新聞でも紹介されました。これ は一般の書店でも販売されておりますので、お買い求めになれます。是非ご覧になって皆さんの忌憚のないご意見を聞かせていただければと思います。

3) 最後の点は、学校教育の中での道徳教育の実質化でございます。道徳教育が成功するには、それに携わる教育者の高い意識が必要であると言い換えても良いかも しれません。平成18年に教育基本法が改訂され、「豊かな情操と道徳心を培う」「伝統文化を尊重し、それを育んできたわが国と郷土を愛する」というような 視点も盛り込まれました(第2条の教育の目標)。また中高校の学習指導要領でも道徳教育の重要性が強調されています。

しかし、平成5年文部省・小中校道徳教育推進状況調査の中で「道徳教育の充実を図るために、学校として今後どのようなことが特に重要な課題と考えますか」という質問がなされましたが、小中ともトップにきた回答が「道徳教育に対する教員の意識の向上」でした。

いくら法律で制定しても、いかに学習指導要領で明示しても、教員が道徳教育を自らの課題として受け止めて、強制的に行うのではなく、教員としてもっともやりがいのある仕事として主体的に取り組むことがないかぎり、道徳教育は絵に描いた餅になってしまいます。

教 員とは「反省的実践家」(reflective practitioner)であるべきと言われます。これは道徳教育にもあてはるのではないでしょうか。勉強あるいは学問のスキルだけを伝える専門家では なく、人はどうあるべきか、社会に貢献するにはどのような道徳教育が必要なのかを、自ら考えて、自分で授業を構築する努力をすべきです。これは私も含めま して、小中だけでなく、高校、大学でも、教育者が真剣に考えなければならない課題だと思われます。

もっと具体的な提言をいたしますと、 小中高の教員に対し、現在、教員免許更新講習を各大学で行っていますが、これに道徳教育の講習を加えることです(麗澤大学では行っています)。今の民主党 政権では、制度は残りましたが、財政的援助は廃止する方向だと聞いています。これは非常に遺憾なことでございます。国の援助が得られなくとも、教員の品性 向上のための教育者研究会などが開かれておりますので(財団法人モラロジー研究所主催)、このような活動を積極的に展開していくべきでしょう。

ま た、そのような道徳教育の活動を地域社会やいろいろなレベルの行政とのコラボレーションによってサポートしてゆくことが必要でしょう。そのような高い意識 を千葉県の皆さんと共有して、元気のある明るい千葉県をつくっていこうということで、私の提言を結びたいと思います。

道徳教育について提言する中山学長

道徳教育について提言する中山学長

聴衆へ熱く語りかける中山学長

聴衆へ熱く語りかける中山学長

『大学生のための道徳教科書』を紹介

『大学生のための道徳教科書』を紹介

満席となった会場

満席となった会場

熱心にメモをとる聴衆

熱心にメモをとる聴衆

次々に質問が寄せれられる

次々に質問が寄せれられる

質問に答える中山学長

質問に答える中山学長