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2011/08/24

『僕は絶対あきらめない』を故竹畠明聡さんの御霊とご家族に捧ぐ

本書は麗澤大学の門をくぐった一人の学生、故竹畠明聡さんとそ のご尊父竹畠伊知郎氏が残された記録を麗澤大学出版会でまとめたものです。たった一年たらずの、あまりにも短い在学期間だったけれども、明聡さんほど本学 を慕ってくれた学生を知らないし、彼ほど充実したキャンパスライフを送った学生もいないと思います。スポーツが好きな好青年が、いかに自分の身に降りか かった苦悩と苦痛に立ち向かい、いかに過酷な自らの運命を受け入れていったか、彼の魂の遍歴が綴られています。一人でも多くの方に読んでもらいたい一冊で す。
以下は、小生が本書に寄せた「まえがき」を引用し、本書の紹介といたします。

*          *
彼が入学したのは、今から3年前の2008年4月。入学を決意させたの は、本学の卒業生、車いすテニス世界チャンピオン、国枝慎吾さんの存在だと聞く。国枝さんは脊髄のガンが原因で下半身不随となったが、「可能性は無限大 だ!」という不退転の決意で、その病魔に見事打ち勝ち、世界チャンピオンの栄冠を手にしたスポーツ選手だ。竹畠さんも左足に骨肉腫を患う、同じ車いすテニ スのプレーヤーだった。彼は、自分の運命に果敢にチャレンジする国枝さんの雄姿に勇気づけられ、「打倒! 国枝」を目指し、本学の門をくぐったという。
しかし、その後ガンが再発し、治療に専念するため、やむを得ず本学を退学せざるをえなくなった。在学中、キャンパスで彼と幾度か言葉を交わしたけれども、 春風のように爽やかで、明朗な学生だった。そのような春秋に富む青年が、入学してから1年もたたないうちに、肺に転移したガンの再発によって退学すると は、誰が想像できただろうか。
その後、彼のことを知ったのは、2010年の7月11日だった。この日、本学の母体である廣池学園創立75周年 を記念して、麗澤会ブロック別記念大会が九州の博多で開かれていた。彼も小倉の出身なので、案内状を送付したところ、ご母堂様が、ご子息の資料とDVDを 持参して大会事務局を訪ねてくださった。「記念大会への案内状をいただいたけども、息子はガンを患い病床に伏しているため、参加できない。しかし、息子は 麗澤に入学できたことをほんとうに喜んでいるので、その想いを伝えたい。」大会当日、急遽、廣池幹堂麗澤会名誉会長のご発案で、大会プログラムの一部を変 更し、竹畠さんのDVDを放映することになった。さらに、参加者に呼び掛け、会場に飾りつけてあった麗澤の幟旗に応援メッセージの寄せ書きをお願いし、病 室に届けることが決まった。
DVDは2009年6月27日のスピーチの収録で、12分ほどの短いものだったが、彼の熱い想いは参加者全員の心 に届いた。これまで4度のガンの再発があり、そのたびに家族や友人や先生方や病院のサポートがあって何とか乗り越えてきた。しかし、半年前に大きなガンの 再発があったときには、さすがに諦めた。しかし、夢に向かって一歩を踏み出している麗澤の友人の姿を見て、大きな勇気をもらった。そして、彼はこう決意を 固めた。「今まで支えてくれた方々への言葉にできないくらいの感謝の気持ちを、全力で行動で返していく。そのためにも、諦めてはいけない・・・絶対に諦め ずに、全力で一歩一歩前にいく・・・・」
私は彼のスピーチを聞きながら、1912年にノーベル生理学・医学賞を受賞し、外科医・生物学者であ りながら、祈りの力を信じたアレクシス・カレルの『人間―この未知なるもの』を思い出していた。記念大会では記念講演を仰せつかっていたので、その機会を 利用し、「竹畠さんの病苦が少しでも和らぎますように、彼の病状が少しでも快方に向かいますように!」と参加者240名全員で、心からの祈りを捧げること にした。静寂に包まれた会場で、麗澤の仲間を想う真心が一つになった瞬間だった。
大会から1カ月ほど経った頃、突然、竹畠さんから学長室に電話がかかってきた。
「中山先生、お久しぶりです。友達に会いに麗澤に遊びに来ました。」
高熱で入院していたと思えないくらい、元気に弾んだ声だった。
「学長先生から、入院中にお見舞いをいただき、どうもありがとうございました。でも、過分なお見舞いなので、お気持ちだけをいただき、見舞金はお返ししようと思いまして・・・。」
「いや、ほんの気持ちだよ。これから治療費もかかるだろうし、いくらあっても足りないだろうから、受け取ってほしいな。」
「・・・・・。」
「そうだね。じゃ、こうしよう。僕はいつだって君のことを応援しているし、一生懸命に生きようとする態度には感心している。君のことをいろいろと発信したいので、その許可料ではどうだい。」
「はい、わかりました。じゃ、ありがたくいただきます。」
「君が再入学する日を待っているからね。いつでも帰っておいで。」
「ありがとうございます。もう一度、麗澤に戻りたいです。」
これが彼との最期の会話になるとは誰が想像できただろう。
2010年10月1日、彼は天国に旅立った。享年23歳。あまりにも短い人生だったけれども、葬儀でご尊父がおっしゃった一言が今でも脳裏に焼き付いてい る。「息子はたった22年の短い人生でしたが、自分の行きたい大学へ行き、多くの友ができ、恩師に巡り合い、ほんとうに幸せな人生でした」。葬儀終了後、 親族の方から、竹畠さんがミクシ―でブログを残しているので、その生きた証を活字にして残したいというお話をうかがった。律儀な彼だから、電話での約束を 覚えていて、他者の口を通して天国からメッセージを伝えてくれたのだろう。
彼は在学中、本学の国際寮に入っていた関係で、特に台湾の淡江大学 からの留学生とは、互いにホームステイをするなど、深い交流があった。2010年11月7日、淡江大学創立60周年記念行事で、世界各国の提携校の学長に よるフォーラムが開催された折、私もスピーカーの一人として発表の機会を与えられる光栄に浴したので、真の国際交流の実例として竹畠さんと淡江大学留学生 の友情についてお話しした。前列に座ってスピーチを聴いていた女子学生の目に涙があふれていた。彼の遺した足跡は国境を越えている。

『僕は絶対あきらめない 車いすテニスに夢をかけた22歳の生と死』
竹畠明聡・竹畠伊知郎 著(麗澤大学出版会)
http://www.rup.reitaku.jp/