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2014/04/04

座右の書

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 皆さんは、一冊しか本を持っていくことができない状況に置かれたら、何を選びますか。

 このようなことを考えたきっかけは、私事で恐縮だが、今年の3月に『原勝郎博士の「日本通史」』という翻訳本を上梓したことだった。この本は、第一次世界大戦当時、日本に対する誤解、偏見、警戒感が増す只中にあって、日本の正しい歴史を世界に発信するというプロジェクトの一環として、外国人向けに書かれたAn Introduction to the History of Japan (Yamato Society Production, G.P. Putnam’s Sons, New York and London, The Knickerbocker Press)を全訳したものである。この本の意義や内容については別の機会に譲るとして、私が個人的に興味をもったのは、当時の日本を代表する歴史学者だった原が最後に読んだ本は何であったかということだった。

 原は病に犯され、53歳で他界したわけだが、不治の病と闘いながらも、病床に持って行き、亡くなる前日まで手元において読破した本がある。それは、原の英文原稿の一部に目を通し、そのチェックを引き受けたオックスフォード・クウィンズ・カレッジのフェロー、A・H・セイス博士の自伝、『回想録』(Rev. A. H. Sayce, Reminiscences [Macmillan and Co., Limited, St. Martin’s Street, London, 1923] )であった。

 そういえば、あの自然科学者チャールズ・ダーウィンも、ビーグル号の航海中に常に携えていた一冊がある。それは17世紀イギリスの詩人であり、Christian humanistであるジョン・ミルトンの叙事詩『失楽園』(Paradise Lost, 1667年)であった。国内調査旅行の際でも、小さな本を一冊しか持っていけない時、ダーウィンは必ずこの一冊を選んだと言う。ダーウィンもミルトンもともにケンブリッジ大学のクライスト学寮に所属していたし、ダーウィンは同大学の神学部の学生でもあったことも何らかの関係があるのだろう。実際、ダーウィン『種の起源』には、ミルトンの神学思想や詩文の影響が見て取れる箇所がある。だが、これも他の機会に譲りたい。

 座右の書とは、単に手元に置いておいて時間のできた時などに紐解くものではなく、たえず読まずにはおれない名著であり、読むたびに、読み手にインスピレーションや喜びや新たな発見を与えてくれるものである。

 私にとって座右の書は、本学の創立者、廣池千九郎の著作である。その行間には廣池の人格的人間力が宿り、「読者の精神を薫灼」すると書かれているが、最近、その意味が、おぼろげながらも感じ取れるようになった。そのような書に巡り合えるとは、何という幸運であろう。