閉じる
リーワード・コミュニティーカレッジ
- ハワイで学んだこと
- 林このみ
- 英語コミュニケーション専攻3年
- 2018年8月~12月
私は2018年8月13日から12月18日までの約4ヶ月間、ハワイのリーワードコミュニティカレッジに留学しました。高校生の頃アメリカに短期留学したことがあり、そこですごく刺激を受け、麗澤大学に入学する前から、大学生活4年間の中で長期留学すると決めていました。しかし3年のこの時期に長期留学するというのは、就職活動の関係でリスクがあります。そのため4ヶ月という期間を選びました。その中でもなるべく早く授業が終了し帰国できること、せっかく留学に行くのなら徹底的に英語漬けの生活を送りたいと思いあったため、ホームステイができることという2つを条件にこの大学を選びました。
正直、ハワイというと日本人がたくさんいるイメージの方も多いと思います。その通りです。ワイキキなどの観光地には、たくさんの日本人観光客がいます。日本語で表示されているものもたくさんあります。英語が話せなくても問題ないお店もたくさんあります。しかし、私の大学やホームステイ先は観光地からはバスで一時間程の距離で、かなりダウンタウンから離れているため、日本語が通じたり、日本語表示がされているものはあまりありませんでした。
大学では、コンピュータで行うリーディング、ライティング、リスニングのテストと手書きのライティングテストの結果でクラス分けされます。1から4のレベルに分けられ、1と2、3と4が同じ教室で授業を受けます。人数は年によって大きく異なるそうですが、少人数クラスとなっています。私はレベル2と3の授業を留学期間中に受けましたが、どちらも10から15人程度のクラスでした。時間割は、月曜、水曜、金曜は、1コマ110分の授業が2コマで9:00〜12:50、火曜、木曜は、1コマ75分の授業が2コマで9:00〜11:45となっており、授業の間に10分休憩がもらえます。授業はどれもすごく分かりやすく、拙い英語の私でも安心して受けることができました。先生方も、とても優しく親身になってくれるため、わからないことがあれば授業終わりに質問をし、メールでやりとりしたりと先生との距離がとても近いように感じていました。クラスに日本人はかなり多かったです。人数同様、年によって大きく変動するそうですが、私の年はほとんど日本人のクラスでした。他の国だと、台湾、韓国、ブラジル、フィリピンから来られている留学生がいました。
ホームステイでは、アメリカ人のファザーと中国人のマザー、日本人の留学生と4人で生活していました。ホストマザーは、スパをいくつか経営しており多忙なため、なかなかゆっくりと話す機会がありませんでした。ホストファザーは、空軍を引退し主夫をしているため、いつも自宅におり、暇さえあればよく他愛もない話をしたり、英語を教えてくれたりしました。他の日本人の留学生とは、生活リズムも違うためあまりたくさん話したり遊んだりすることはできませんでしたが、家族の一員として良い関係を築けました。
学校もホームステイもとても恵まれた温暖な環境で快適に過ごすことができました。しかし、この留学期間中楽しいことばかりではありませんでした。たくさんのことで悩みました。まず壁にぶつかったのは、友達です。留学に行く前に、「日本人とは極力話さないようにして、英語漬けの生活を送ろう。」と自分の中で決めていました。しかし、実際授業が始まると、クラスには日本人がたくさんいてとても驚きました。クラスの友達とは仲良くしたい気持ちと自分で決めたルールに背く罪悪感との心の葛藤は辛かったです。それと同時に、その分どこかで英語を話す環境を見つけようと思うようになりました。また今年度麗澤大学からリーワード大学に留学したのは私だけでした。そのため去年リーワード大学に留学した麗澤大学の先輩が、 私が困らないようにと、ハワイに長く住む日本人留学生に仲良くするよう頼んで下さっていたのが大きな転機となりました。
私が特に仲良くなった友達はみんな、英語だけを勉強する私のような学生とは違い、英語で数学や歴史、第三言語などの授業をローカルの学生と受けている学生でした。彼らは同世代の日本人で、一緒にいるときに日本語を話してしまいますが、すでに英語を流暢に話せるので、一緒にいてとても大きな刺激となっていました。またその友達のおかげでフィリピン人や韓国人の子とも繋がることができました。日本人以外の子たちといるときは、共通の言語である英語をつかわなければならならいので、それが私にとって英語を話す良い機会となっていました。しかし、最初は間違えるのが恥ずかしく躊躇して話せないのと、何を話せばいいのかわからない、また何か少し話せても返答が聞き取れないなどで、友達に通訳してもらっている状態でした。日本人留学生の友達は、私が英語を話すことを強要することはなく、ひたすら温かい目で見守ってくれ、挨拶の仕方から丁寧に教えてくれたり、教科書には載っていないような、友達との会話で頻繁につかう言葉などを教えてくれたりしました。
友達のサポートもあり少し会話ができるようになってきても、やはり踏み込めないところがありすごく悩みました。そこで気付いたのは、心を開くことでした。英語を話すことに必死になりすぎて、自分の素を出すことを忘れてしまっていました。それに気付いてからは、距離もぐっと縮まり相手からも積極的に私に声をかけてくれるようになりました。また、自分から日本語を学ぶローカルの学生に声をかけ、宿題の手伝いをしたりしながら英語を話す機会を見つけに行きました。そこで特に仲良くなった1人の女の子との出会いが私を大きく成長させるきっかけとなりました。彼女はフィリピン人ですが、ハワイのローカルの学生で英語が母語です。日本にとても興味があり、大学では日本語のクラスを取っていました。勇気を出して私から「いつでもいいから、日本語について質問があれば聞いてほしい。」と声をかけたのが始まりでした。その後連絡を取り合い、一緒に宿題をしたり、話をしたりしているうちに仲が深まっていきました。彼女は、クリスチャンで毎週日曜日の夜に教会に通っており、ある日私を誘ってくれ、参加させてもらいました。その際に沢山の彼女の友達を私に紹介してくれました。彼女はそこで私にたくさんのローカルの人と繋がる機会を与えてくれました。私はまだまだ拙い英語でローカルの人と初対面で流暢には話せませんでしたが、幸いなことに日本に興味がある人はとても多く、自ら知っている日本語で話しかけてくれる人もたくさんいました。私はそれまで、日本人が私だけの状態でネイティブの人と一緒に過ごすことが滅多になかったため、会話の全てが勉強になっていました。逃げ場のない状態に置かれた時、一番成長できることを実感しました。必死で聞き取り、必死で話しました。もちろん私にとってそれはとてもハードなことでしたが、それ以上に楽しいという感情が上回っていました。それから、放課後や夜にみんなで集まってそれぞれの宿題をすることがよくありました。その際に、日本や日本語について質問されることが多々あり、私の英語の練習と同時に、誇りである日本の文化を教えられることも嬉しく思いました。12月半ば、私が帰国するということを知り、お別れ会といった形で、イルミネーションと星を見に行くことを計画してくれました。その時、本当の友達が出来たのだと感じました。たくさんの人が来てくれとても幸せな時間を過ごすことができました。
また、私が帰国する直前とても嬉しい出来事がありました。先程もお話しした私に大きく成長させるきっかけをくれた友達とは、よく2人でも勉強会をし、マンツーマンで日本語の宿題やテスト勉強の手伝いを続けてきました。元々、彼女は日本語にあまり自信がなくテストの点数もあまり芳しくなかったようでした。しかし、努力を続けているうちに、小テストでも良い点数を取るようになり、先生にも褒められるようになりました。期末テストではオーラルでは最高評価のA、筆記でも9割以上の高得点を取りかなり自信もつけることができました。彼女は私に、「あなたのおかげだよ。」と言ってくれましたが、もちろんこれは彼女の努力が実っての功績です。しかし、それに少しでも関われたことが本当に嬉しかったです。他にも何人か日本語の勉強の手伝いをしていた人から、良い成績を取ったと報告がありました。また、先程の彼女を含め関わった数人の生徒から来学期も日本語の授業を取るという連絡があり、本当にやってよかったと思えました。
私はこの留学で学んだことが2つあります。1つ目は自分から行動せず、待っているだけでは何も始まらないということです。最初の私は、何かしらの言い訳を見つけては英語を話すチャンスを逃し、またそのチャンスが当たり前のようにくると思い込んでいました。しかし、ネイティブの人もこちらが積極的にやる気を見せなければ話したいと思わないのは当たり前です。私が必死に英語を話してもこちらの力不足で簡単に会話も成り立たないため、ただでさえ相手も疲れると思います。しかし、学びたい、話したいと思えばその気持ちは態度で伝わり、相手も親身になってそれに応えてくれます。そのため、私はいつも話してくれることに感謝しながら積極的に話すようにするようになりました。
2つ目は、できないことを恥ずかしがらないことです。よく日本人はわからないことでも曖昧に返事をする傾向があるといいますが、私もはじめはそうでした。何を言っているのか理解できなくても、軽く受け流してしまっていました。聞くのが恥ずかしいという気持ちがあったからです。気になったものは後で、ネットや辞書で調べることが多かったです。そんなある日友達に、ある言葉がニュアンスで意味はわかるのに実際に何と言っているのか聞き取れないから教えてほしいと頼んだとき、「聞かぬは一生の恥だよ。」と言われました。その時わからなかったのは“Here we go.”というとても簡単なものでした。しかし、聞き取れないので調べようが無く、かなり頻繁に耳にしていましたが、いつもその場で聞くことができませんでした。確かにその場で聞かなければそこで終わってしまうというケースもかなりありました。友達に言われたその言葉がきっかけで、私はわからないことをわからないと言うようになりました。
たった4ヶ月という短い期間ではありましたが、日本では経験できないたくさんのことをハワイで経験することができました。英語を学ぶ姿勢を改めて考え直し、自分とも向き合うことができました。この私の留学にあたり、家族や友達をはじめとするお世話になった方々への感謝の気持ちは尽きません。留学が終了した今、ここで立ち止まらず得たものを生かし更に成長続けることで彼らに恩返しができたらと思っています。
閉じる