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Local Reports

留学生現地レポート

ドイツ

ロストック大学

三か月

ドイツ語・ドイツ文化専攻2年 赤羽  虹咲
2018/01/07
  ドイツに渡航してから約三か月が経ち、周囲の環境に馴染めた、というよりは慣れたといったほうが近い。今回の現地レポートは、この三か月で私自身が体験したこと、感じたこと、それに対する考えなどを書き記していく。
  留学してから三か月経ったが、私は一度も楽しいと感じたことがない。何故なら私は壁にぶつかっていて、その壁はとんでもなく大きいからだ。いつもどんよりとしたものに巻かれている感覚に近い。渡航前、基礎的なドイツの歴史や文化は頭に入れているし、自分には国際的な関わりのある大学のおかげでドイツ人の友達がいるにもかかわらず、どれもドイツという国を身近には感じられなかった。それは現地に着いてからも同じであった。初めて来る場所、見るもの、話す人、すべて初めてであるのに、どこか既知であるかのようで、新鮮味がなかった。最初は何故自分がそう感じるのか分からず、分らないことに対してや、漠然としたものに苛立ちを坦々と募らせるばかりであった。おそらくだが理由は二つある。一つは考え方が知らず知らずのうちに変わっていたこと、もう一つは留学やこれからの人生の目標が分らないからだ。
  私は幸運なことに大学で自主企画ゼミをやらせて頂き、ミクロネシアという魅力的な国に訪れさせてもらった。そこで経験したこと、体験したことは今迄の人生では到底考えられない事柄の連続であり、自分の価値観がまるで初期化し、再構築をされるようであった。とはいっても、人が人である以上どこの国でも共通するものもあり、私はそれをこのドイツという国でも感じていた。それは私が最初からドイツ人をドイツ人として見ていなかったことだ。
  例えば私が初対面のAさん(例えばドイツ人)と会話をする時に、一番重点を置いていることはAさんの考え方や性格といった人のコアとなる部分が知りたいと無意識で考えているのだ。つまり、私は人の外見や国籍ではなく、人の芯で判断したいという潜在意識があった。確かに人を判断する上で、見た目というものほど分かりやすいものはない。よく、第一印象は三秒で決まるというし、見た目を英語ではappearance、ドイツ語ではaussehen(どちらも使われやすい単語)という。しかし、人は外見で人間というものが決まるわけではない。極端かもしれない例だが、身体が大きければ大胆かつ無鉄砲な性格をしているのか、小さければ繊細で巧妙な人間であるのか。否、違う。人はそうではないと私は考える。見た目や学歴、仕事といったステータスは確かに分かりやすいし、人を知る上で重要な役割を果たす可能性はあるが、それで人を判断してはいけない。つまり、ステータスは人を知る上で判断材料にしてはいいが、決定打にしてはいけないという考えがあった。わたしはこのことを無意識に考えているが余り、自分でも気づけないほどの対人関係に関する判断基準が自身のなかで出来ていた。あまりにも単純で当たり前のことかもしれないが、これは私が自身の中で作りあげた考え方だ。以前の考え方と今の考え方は似ているが、元々あった1を2にしたのと0から1を作り出したものは違うように少しの差の違いに苦しめられている。
  もうひとつは留学の目的である。私は目的というよりは目標がない。ただ漠然と語学力を上げるため、日本で経験出来ないことを体験するため、というものくらいだ。しかし、それも本心かどうか分らない。人と比べるのは違うかもしれないが、ある先輩は留学中に、JICAのプロジェクトに参加し、そこから新たに民族融和というテーマを見つけ出し、あらたな旅へ。ある先輩は留学中に大統領といった方々のみならず、現地で様々なコネクションを作り、所属している団体に貢献をするという業を成し遂げている。言うまでもなく、彼らの言語能力、またコミュニケーション能力は高い。能力が高いことに対して私は言いたいのではなく、彼らの目標についてである。彼らは自身が掲げる目標があり、それに向けての為に、逆算し、努力の結果が先ほどの能力だと私は思う。それに引き換え私自身はどうだろうか、三か月という期間はあっという間に終わってしまった。いまだなんら成長できていないのに、という焦りがある。今の私には目標と言えるほどのものがない。熱がないのである。私以外の同い年である学生や大人の方と話をした結果、未だこれと言って目標や私の熱は見つけられていない。が、ドイツには冷戦で東西に分裂した爪痕が残されていることが発見出来た。
  私は今抱えている悩みを同じ寮の友達に相談したところ、その友人曰く、私と同じような悩みを持つ学生は数多くいて、抜け出したいのに抜け出せない一つの原因がここ、ロストックという街であると。ロストックは東ドイツに位置し、当然ながら旧東ドイツであった。壁崩壊後から約四半世紀が過ぎたとはいえ、問題はこのドイツという国にも、また街にも影響(身近なものでは信号機など)は残っている。具体的に旧西ドイツと旧東ドイツの決定的な違いは何かをさがしてみたらと言われ、クリスマスの休み期間を使い、東西別れていたころの地図と現代の地図を持ち、ベルリンへと行く。そこで感じたものは同じドイツ生まれ、ドイツ育ちの人なのに違う国の人と話をしているかのように言葉の使い方、雰囲気、あまつさえ学力さえちがうようであった。一番の決定的だと個人的に感じたのはエネルギーの使い方だ。内側(国内)に使う方と外側(国外)に使う方といった印象であった。また同じベルリン市内なのに店が並んでいた通りから少しでも道を外すと店が一軒も見えなくなる通りがあり、そこは旧東ドイツだったりする。私の友人が私に伝えたかったことは、国家のシステムの違いから生まれる経済格差であり、崩壊後もそれは街の通り、や地元のサッカークラブなど身近なところまで影響があるということ。その環境から生まれる人の考え方の違いなどである。旧東ドイツは閑静である傾向があり、その空気が好きでそこに移り住む人や離れる人がいる。好きと嫌いがはっきりしているように感じた。といっても私はすべてのドイツ国内を回ったわけではないので、断定はできないが、そうかもしれないという仮説を自分の中で作れた。
  私はもしかしたら今回の留学で私自身の目標や夢は見つからないかもしれないが、だからと言ってあきらめるつもりもない。それは今回のことのように、目的であるものはみつけられなかったがその代りではないが、一つ見つけられたからだ。いつかこの小さなことが大きなものに変わると信じて、努力を重ねていく。
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