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Local Reports

留学生現地レポート

ドイツ

ハレ=ヴィッテンベルク・マルチン・ルター大学

仰げば尊し

ドイツ・ドイツ文化専攻3年  戸田駿太郎
2019/07/31
  仰げば尊し、わが師の恩。とはかつて卒業式で歌われていた有名な歌でありましょう。もっとも。かつては卒業式のたびによく歌われていたとは有名なクリシェーでありますが。今ならばそうした歌を口ずさみたくなろうというものです。
  そう、ハレ大学の最後の授業となるゼミナー『Bedingungen und Möglichkeiten - wie kann man ein Ereignis erklären? Das Beispiel der Reichsgründung 1871』なる長いタイトルの授業がついに終わりを迎えたのでした。授業内容は週に一回、一つのテーマとその可能性について学生と先生が討論しあうというもの。このゼミナーにおいて、私はReferat を発表。その内容については幾分か助けをもらったものの胸を張って発表できる、“ビスマルクと軍制改革”。きつい内容ではありましたが、物事を „was“ „wie“ といった視点で見つめ、冷静に評価するという学問的な学び方を(二重表現的ではありますが)学び、また、そうした体験を通して「歴史」とはなんであるのか、深く知るきっかけとなりました。
  しかし、それももう終わりなのであります。教室にあふれる生徒たちはみな口答試験に備えて順番を待つ人々とHausarbeitの結果をもってきて微笑を浮かべて試験を執り行うHettling先生と数人の講師たち。数週間前に発表し、もったいないばかりの拍手をいただいた彼の教室はすっかり試験会場に様変わり。
  私は試験を免除されるという厚遇に(しかし、冷静に考えれば蛮勇をふるって受けてみた各授業のテストのように、受けてみればよかったのかもしれないとは、今も思うのですが)甘んじて、日本から持ってきた羊羹とお茶の包みをもって口頭試験を今か今かと待ち構える人々をしり目に、ちょこんと椅子に座っておりました。
座っている間、外を眺めると雨が続いている日にしては珍しく、少しだけ晴れ、天使の階段が見えていました。まるで、最初の授業の日のように。
  最初のころと同じような生徒たちの緊張が伝わってきて痛いほどでした。
  「次の方!」
  軽快なHettling先生の声とともに、ドアが開いて、一人、また一人と教室に消え、入れ替わりに不安と安堵の顔ととも生徒たちが部屋から出ていきます。そんなこんなで。順番待ちの列は徐々に小さくなっていきます。試験終了まで残り1時間(各試験は十五分)。  教室からは時折、朗々と語るHettling先生と生徒たちの声が聞こえます。あと一時間たてば、僕の作文が評定とともに返され、すべての授業が終わる……。そう思うと少しばかりノスタルジックな気持ちに浸ります。あの低く、美しい声がもう聴けないと思うと寂しい限りです。
  思い返せば、4月が間もなく始まらんとする頃、先生は教室で落ち着いた声で、このゼミナーの趣旨、意味。そして、やや気取った言い方で、“このゼミにはいかなる生徒も歓迎される。歴史の不思議さを今知ろうではありませぬか”といい。そして、こうも付け加えます。しかし、歓迎されるからには相応の成果を上げることなどなどを演説し、ゼミの開催とともに早速、マックス・ヴェーバーを来週まで読んでくること。それじゃあ、よい週末と良い学生生活を。と言って締めくくられ、その日から二週間連続で読まされたマックス・ヴェーバーの難解さに悲鳴を上げ、それと同時にかの巨人がいかに偉大であり、豊富な知識をもとに論理を展開するいかにもドイツ的な非凡な人物であったかを深く感じ入りつつ半分しか理解できないままゼミを迎えた第二回目……。
  しかし、そこは確かに“面白さ”がありましたし、幸いにも高校生の頃に伊達に世界史模試(そう、国語を除くとこれだけが全国に通用し、上に行く……どうでもいいのでこの辺にしましょう)で高得点を取っていたわけではなく、もともと好きな教科であったことも手伝って、難解な表現でもどうにかごり押しである程度は理解できるようになりました(それでも十分ではなく、授業中ではほぼ貧弱な頭脳では理解できない内容を話しているのがしょっちゅうでしたが)。ゼミのときには青息吐息になりつつもとにかく、メモを取り、疑問があれば(幸運にも、Hettling先生の授業は関係することすべてに質問を投げかけることができるようになっております)質問したり、半分理解してはディスカッションしたりの繰り返し。プロトコルを取るときには涙目になりながらもどうにか聞き取った部分を書き起こし、生半可な理解がたたってナショナリズムについての質問ではすんでのところで袋叩きにあいかけ、そうかとも思えば、前学期にHausarbeitを書いた部分の知識に助けられ、どうにか質問に答えられる。そんなことを繰り返した日も。あるいは苦難に(前述の袋叩きにあいかけるなど)陥りかかっても優しく助言をしてくれたHettling先生の丁寧さと親切さに助けられながらも、いくつもの濃い月を過ごしたハレの生活が終わりを迎えつつありました。
  列の順番がいよいよ短くなっていき、残すはあと5人です。講師の一人があと30分延長といい、部屋に戻っていきます。あと1時間。そして、授業はすべて終わる。あとはサインをもらうだけ。
  思い返せば、常にだれかに助けられ、自分でなせたことは少なかったなあ、と深く反省するばかりです。助けてくれる。その素晴らしさは到底表現しにくいものですが、後学のためにこの場にいくばくかを記述しようではありませぬか。そう、例えば英語。相手の言っていることはわかるし、文章は読める、かける。でも僕は話せないんだ!そんな風に深く打ちのめされたときにおいてもBüttner先生は優しく助言し、それどころかいくつかの練習の場を通して話しやすく、かといってきつすぎないテーマを提供してくれました。あるいはテストに至るまで優しくサポートと惜しみなくアドバイスしてくれたスペイン語の先生たち。そうかと思えば、難しくてやめざるを得なかった授業を取り仕切っていた先生が、やはりやめるしかないようですと言った時、“いつでも戻ってきてもいいですよ”と言ってくれた瞬間。B1を受けるときに緊張しきっていた私に水を差し入れてくれた見ず知らずの生徒の一人。
  好意とやさしさのもとに過ごしていたハレの生活。助けに甘んじてばかりだった私は何かをのこせたのだろうか?そんな風に思っていると、何となく Andreas Bourani の名曲 『Auf UNS』(友人にいわく、“僕らに乾杯しよう”の意味とのこと)の一節を思い出します。

  Auf diese Zeit! “今に乾杯しよう!” もしくは Auf jetzt und ewig! “今と永遠に祝杯を!”

  そんなことを思っていると、少し疲れた様子のHettling先生がゼミナー室から出てきました。入室するときに持っていた何十枚というHausarbeitは今やわずかに二枚。いつの間にか試験は終わっていたのでした。
  「どうぞ、私の部屋へ」 先生はそう言って部屋に案内し、椅子をすすめると、さて、と切り出しました。
  「日本のお茶会はどうやってやるのですか?なにぶん不案内なもので」 そう言って先生はお湯を沸かし、日本から買ってきたという玉露を手慣れた手つきで私にふるまいました。
  「さて、あなたの提出なさったレポートですが、いくつか論ぜねばならない点があります」そう言って先生は私が二日前に(締め切りはとうに過ぎている)提出したコピーともう一つのゼミナーのレポートを取り出して、こういいました。 いわく、参考図書と課題に出した書籍はしっかりと読み込んでいる。そしてそれについて自分なりの解釈と意見を論ずることができていると。しかし、これらのレポートに総じて言えるのはこれ以上のものではないということ。つまり、自分の意見が不透明になっていると。これでは単なるサマリーにすぎない。確かに、サマリー以上を論じていることもあるが、相対的にこのレポートは知識を集めて織ったタペストリーにすぎない。私に必要なのは、このタペストリーを戸田風の織物に。つまりは、単なるつぎはぎを私が織り上げた、私にしかできない作り方をもって、意見を記述すること。それこそが、私の壁である。云々。
  最後まで気を抜かず、先生は辛抱強く私にいくつかの点を述べてくれたのでした。

写真1:羊羹を前にして撮影したHettling先生。雷神、風神のティーカップと急須を常備している点がなんともいい感じです。サイン、評定とそしてハンコをもらい。あとはちょっとしたお茶会を先生としました。持ってきた羊羹を切り分け、お茶を飲みながら、日本に帰ったらすることを話したり、先生のちょっとしたご予定を聞いてみたり、歴史と諸民族への差別に関する質問を(学生らしく)投げかけてみたりと、できることをいろいろとやってみたのでありました。
さて、かのお茶請け。羊羹は幸いなことに先生のお気に召したようでした。
「砂糖が程よく使われていて、甘すぎず、ところが、適度に濃い苦みのあるお茶と合うような引き立つような甘みがいいですね」
「日本の甘味をどうお考えです?」
せっかく食べていることもあるのでそういった典型的な質問を先生に投げかけてみました。すると、先生は
「主張が激しすぎない味わいでいいと思いますよ」
そう笑みを浮かべながら先生は私に言ったのでありました。最終的に前述の今後の進路と研究の方法などについての助言をいただき、二人で(渋る秘書の方を何とか説き伏せて……ああだこうだ言われて、謝っていたのを見るにたぶんパワーバランスでは秘書の方のほうが上か)。

写真2:マックス・ヴェーバーがあなたの前にいなければなりません!とおっしゃられたHettling先生。そんなわけで偉大なる二人の巨人に囲まれて記念撮影。
「また、ハレに来ることがあれば歓迎しますよ。そうだ、いつか日本で会うかもしれませんね」
そう言って笑顔を浮かべる先生は日本旅行を計画中なのでありました。
「ご旅行ですか?」
「ええ。学会ではなく、私用で何か楽しみたいんですよ」
「それに、おいしい寿司も食べたいですし」とも続けます。
「ちなみに、お好きなネタは?」
ありきたりですが、一人の日本人として聞かねばなりますまい。
すると、先生はしばらく考えた後、
「マグロ、赤身。あの酸味があってさっぱりとした感じがいいですね。サーモンもおいしい。ホタテの滋養深さは言葉にできない。あるいはアナゴ……」
とうとうと日本食の魅力を語る先生。
「ちなみに、戸田さんには何かおすすめがありますか?」
少し考えた後、私はこう答えます。
「うな丼でしょうか。特に中入れ丼。ウナギのかば焼きに甘いたれをかけ、ごはんで覆ったものの上にさらにウナギをのせた贅沢な品です」
「それは実においしそうだ!」先生はそう言ってメモを取り始めました。品名と発音を教えると、ありがとう、と何度も言って握手をしてくれました。あたたかくて、広いドイツ人らしい手でした。
「そうだ、ちょっとお待ちください」そう言って書架から一冊の本を取り出し、渡したのでした。
「ハレでの記念品にぜひ」そう言って微笑みを浮かべて、Herr Toda für Erinnerung an die Zeit in Halle 2019と見事な字で書き綴ったのでした。感動で涙を浮かべながら、もう一度(妙ではありますが)握手を交わし、オフィスを後にしました。
「Auf Wiedersehen, Herr Toda! 」そんな軽やかな声が聞こえてきました。
Auf Wiedersehen. いい言葉です。一期一会のような、もう一度会えることを祈らんとする素晴らしい言葉。
Seminar Wienerkongress の最初の言葉、美しい文章が思い出されます。
つたない訳ですが。
Das gibt’s nur einmal! 〈この時はただ一度っきり〉
Das kommt nicht wieder! 〈二度とこの瞬間はあるまい!/この時がもう二度とやってはこない、ただ一度〉
Das ist vielleicht nur Träumerei. 〈これはひょっとするとただの夢なのかもしれない〉
トラムに乗り込むと、夏の青い空が広がっていました。ああ、本当に、夢のようないい時間だった。
Das kann das Leben nur einmal geben. 〈この時は、人生では一度っきり……〉
日本ではいったいどんなことがやってくるのでしょうか?それはまだ謎です。しかし、この時がかけがえのないことになったのは紛れもない事実です。あと数日となったドイツの空気を吸い込みつつ、(長いようで短いというありきたりながらも)留学という時間が終わりを迎えつつありました。

写真3:Reinhold Lohse による彫像
美しい詩とともにあるハレの彫像。言葉にできない、ドイツ的なものを映し出しているように私に見えてなりません。この像に刻まれている詩の内容は、ドイツ語文化の学生であればぜひ。そして、興味を持たれた方ならば、誰でも、自分なりに訳して、自分自身の言葉にしてみてください。

引用
„Das gibt's nur einmal Songtext“
https://www.songtexte.com/songtext/lilian-harvey/das-gibts-nur-einmal-338324d1.html
Am 30. Juli. 2019 参照
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