教職員
2016.03.18|最終更新日:2022.03.31|

一人ひとりが主人公~自分をプロデュースしていく授業~

一人ひとりが主人公~自分をプロデュースしていく授業~
山下 美樹
国際学部 グローバルビジネス学科 教授
中学・高校で米国の音楽・ポップカルチャーに興味を持ち、ホームステイ・短期留学を経験。大学入学で上京後も、「自分探しの旅」へ米国に留学。20代で世界20カ国を巡る。企業研修の仕事を通して、異文化コミュニケーション学と出会う。30歳を境に一念発起し退職後渡米。オレゴン州ポートランドのThe Intercultural Communication Instituteでのインターンシップを経て、その後、ポートランド州立大学で修士号と博士号を取得。現在は麗澤大学経済学部で教鞭をとる。

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目次

    アメリカと世界と異文化と

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    『何か新しいことはないかな』小学生時代から転校生が来ると一番に話しかけるなど好奇心旺盛な子どもでした。80年代初め、中学・高校と米国でホームステイを経験し、当時の米国の高校で既に実施されていたアクティブラーニングによる授業で、生徒が自由に発言、話し合いをしている学修スタイルに衝撃をうけました。帰国してその話を先生や友人たちにしても、誰も取り合ってくれません。当たり前です(笑)。

    当時の国内の教育は、個性を伸ばすという考えはなかったので仕方がありません。個性を尊重する米国の文化に憧れ、大学進学後1年間米国のワシントン州に留学。留学中は、様々な国へ旅行にも行きました。好奇心に任せてペルーのマチュピチュでハイキング、アマゾン川でピラニア釣り、ナスカの地上絵をセスナから見るなど、危険を伴う旅も楽しみました。

    80年代に武装警官がうろうろする中国北京の街を訪ね、人民服に身を包んだ人々の自転車の波を目の当たりにし圧倒されたのを憶えています。留学後も、異文化体験を求めエジプトなど合計20カ国以上を旅し、文化、価値観、風土、歴史、貧富の格差について考えるようになりました。若い時の感動は将来の原動力。学生時代は英語+4カ国語の言語を学び、いつでも海外に飛び出せるようにと希望を抱いていました。

    「異文化コミュニケーション学」が連れて行ってくれたアメリカ


    大学卒業後はNECの企業研修の職に就き、自分が求めていたものはこれだ!という学問に出会いました。「異文化コミュニケーション学」という学問です。研修では「海外関連会社からの外国人社員向けの研修」と、「海外駐在員である日本人社員向け」の研修を行っていたのですが、この二つのカルチャーを橋渡しするために必要なものが「異文化コミュニケーション学」だったのです。さまざまな研修を担当する中、『最先端の異文化コミュニケーションを究めてみたい!』という想いがつのり、30歳を一区切りに再び渡米を決意しました。

    退職後、アメリカのポートランドでインターンをスタート。日本では考えられないぐらいたくさんのパブリック・アートやクリエイティブ(創造的)な人々に出会いました。これがアメリカのポートランドで生活した13年間、日々感動していたことです。修士・博士と学んだポートランドですが、13年間の滞在で外への探求というチャプターが終わりを迎えました。これまでの日米での企業トレーニング、ポートランドで学んだ異文化教育を通し、『もっともっと内面を追求したい』と感じるようになりました。そうしたところに麗澤大学とご縁があり、現在に至ります。内側を深めていく勉強は、いかにクリエイティブになるか?ということでもあります。クリエイティブでありつづけることは今日の私の中で大きなテーマになっています。

    最先端のコミュニケーション学を取りいれた授業

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    現在、「異文化コミュニケーション学」やコミュニケーションの手法として「ストーリーテリング」を取り入れた指導を行っています。人間を"ストーリーを持つ本"と見立て、聞き手を"読者"として対話を図る「ヒューマンライブラリー」というゼミプロジェクトや「グローバル人材育成専攻」の授業では、まさにポートランドで私が学んだ授業のエッセンスを感じてもらえるような指導を行っています。

    英語の授業も基礎的なことはもちろんですが、加えてジェスチャーや言葉のイントネーションなど「非言語」と言われている部分についても学んでいきます。英語は読み書きが出来ても、まるまる日本人のみの思考で話す限り、本当にコミュニケーションはできません。自文化のコミュニケーションスタイルから、相手文化のコミュニケーションスタイルへ"カチャッ"と切り替える"コードスイッチング"が出来てはじめて、異文化の境界線を越えることができるのです。

    「グローバル人材育成専攻」のSクラスは少人数制ですが、みなが打ち解けられる第一歩として"ビジュアルズ・スピーク"というツールも使っています。これは、フラッシュカードのように束になっている写真から自分の心理状態に最も近いものを1枚みつけて、皆さんに順番に見せながら自分が選んだ理由などを英語で話してもらうもの。欧米でもワークショップなどでチーム力や自己表現、体験の振り返りに使われます。

    内面を見つめることは自信へのファーストステップ

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    私の授業では、「ビジュアルズ・スピーク」など、ちょっと面白い方法を取り入れて自分の内面を見つめることを行っています。それには理由があります。日本人は、自分と他人を比較して自己評価するところがあります。そして、周りの期待にものすごく応えようとしますよね?「社会の期待に沿って生きていくこと」は、ときに「生きづらさを感じる」こともあります。「誰々よりも上手にできるように...」と考える"比較の自信"に対して、何が何でも不思議と根拠なく自信が湧いてくる"絶対的な自信"がもたらす喜びというものがあります。

    私は"絶対的な自信"を20歳のときにワシントン州での留学で体験しました。この喜び自体が本人にしかわからないお話なので、これまで誰にもお話したことはありません。当時、通学用に車が欲しくてほしくて仕方がなかったんですね。決めてからは、現地で免許証を取得し、20歳なりのネットワークと努力を重ねて遂に自力で車をゲットしたんです。自立して何かを誰にも頼らず、異国で自分を励ましながら成功した喜びは本当に大きかった。アメリカをはじめ海外に行くには、この前に進む原動力が本当に大事です。そして、ボヤーと成りたい、達成したいと思っていたゴールに向けてあちらこちらぶつかりながら、障がい物をくぐりぬけて進み、実際に到達するまで自分の背中を押してくれるものが"絶対的な自信"ということ。この"絶対的な自信"を生み出すものは2つ。

    1つは新しいアイディアをもたらす「クリエイティビィティ」。もう1つは「自分を知り、信じる心」だと思うのです。自分を知るためには自分の体験を振り返り、表現する。それが行動に結びつき"絶対的な自信"となります。英語を話せるだけでなく、この2つをもてるようになることが、本当に海外で勉強するときに必要になるスキルなのです。

    文化間の境界線を越え、自分のヴィジョンを見出す

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    自文化から出て異文化の中で生きることは、時には「異端者」として「文化と文化の境界線」を歩くことになります。時には、自分が『どちらにも属していないんだ...』という「孤独」を感じることもあるかもしれません。でも、そこにはどちらの文化にも縛られない「自由」もあることに気づいて欲しいと思います。海外留学やホームステイは異文化に触れることができるチャンスです。

    異文化に触れると日本文化の美しさ、日本の道徳教育の素晴らしさも違った目で見えてきます。自文化の土台があってこそ、グローバル社会の中で自信を持ってコミュニケーションが取れるのだと思います。自文化の土台は、日本文化や歴史といった知識だけではなく、体験を通して自分の目標や生き方という「ヴィジョン」を持つことだと思います。それは、「今までの自分」と「新しい自分」の境界線を行ったり来たりすることで培われるのかもしれません。私も海外で「新しい自分」に出会いました。

    クリエイティブでいることの楽しさ。枠に縛られていない時に感じるうれしさも人生の喜びです。ぜひ、国際人としての知識・スキルや人生をハッピーにするきっかけを私の授業でつかみに来てください。

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