ドイツ
ハレ=ヴィッテンベルク・マルチン・ルター大学
ある学生の授業
- ドイツ・ドイツ文化専攻3年 戸田駿太郎
- 2019/05/30
今や春となったとこの前のレポートに書きましたが、やはり、季節はどこへ行っても不安定なようです。というのもですが、日本ではいきなり30度になったり寒くなったりといったことが大々的に報じられ一方。この東ドイツの都市には突然みぞれと寒風が吹き、そうかと思えば、やや蒸し蒸しとした暑さを展開。頭痛持ちの私にはなかなかに厳しい日が続く中、私の参加するManfred Hettling 教授が行うゼミナーでついにReferat を用いた発表会が開かれました。
Referat とはいわばプレゼンのようなもので与えられたテーマに沿って自分の意見と参考図書を比較したうえで意見を述べ、そこからディスカッションに移るというなかなかに素晴らしいもの。毎週ごとにドイツ帝国とドイツに関係する事象を取り上げ、それをこのReferat として発表するのがお決まりです。
私のテーマは、“なぜプロイセン王国に兵の改善が不可欠であったのか?”というもの。幸いにも、日本語の論文などで事前に準備済みだったので、あとは確認作業でよかろう(つまり、正確な翻訳ではなく、順を追って読み、確かめる形)。そうとも、読むべきなのはわずか20ページ。学術的とはいえまだ時間は十分に……ありませんでした。読み終わったのは土曜日。発表会まで残り一週間。さらに致命的な欠陥も見つかりました。資料を最初一通り流し読みしてから、精読に移って約5ページ目。自分の打った内容と見比べているとあれ?と疑問符が浮かんできました。おかしいな、内容が合致しない。
さて、悲劇の始まりです。なんと自分でうった内容はことごとく間違っており、なんと一向にすら値しない文字の塊のようなものが出来上がったのです。当然パニックに。こうして、Referatの校正が始まりましたが、とにかくきつかった思い出があります。なぜか?それは生半可な参考文献で太刀打ちできないからです。ご存知の通り、もしもそのような生半可内容で挑めば、それはそれは手痛いしっぺ返しを食らいます。そうはなりたくない私は手始めにThomas Nipperdey という歴史家の書いた“Deutsche Geschichte 1800-1918: 1800-1866. Bürgerwelt und starker Staat. 1866-1918. Beck“を一週間以内に読み切ること。正確には正味90ページであり、原本と比べて読む量は少ないのですが、もうこの時点で涙目です。これに加えて、より正確な内容を知るために、Gall, Bismarck(追加で90ページ)を参照。これもこれでなかなかの大著なのですが、読み終えた感想としてはますます深みにはまった感じでどこを読めばいいのかわからない。しかもデータは無駄に豊富で180ページ。よくもまあ読み切ったなあと思っていると、翌日には追加資料が。“親愛なる皆様!先ほど軍制改革に関する資料をstud ip(ムードルのようなもの)にアップしました。必ず読んでください!あなた方のM.H(Manfred Hettling) しかも渡された資料は19世紀のころに書かれた演説で旧正書体と謎の単語のオンパレード。旧正書体とは
dass = daß
so viel = soviel
bewusst= bewußt
のようになっているもの。いうまでもなく、dass や bewusst が今日の書き方ですが、ここまでは理解できるとしても、sovielはくっついていない、くっついているでまるで違うもの。つまり、so viel (たくさん)か soviel(の限りでは) で意味が異なるのです。ややこしいことこの上ない。ほかにも使わない単語もいくつか登場するのでありました。
ひとまず、これを読み切って、第二のReferat を執筆しそこそこ満足のいく存在に仕上がったので、まあ、これで提出もありかなあ……と思っていた時に脳裏をよぎったのが、先週の発表会で笑顔を浮かべた先生に二、三個質問を投げかけられただけで言葉に窮したグループ。
『そうですね、では、質問しても?なぜ、ウィーン会議は未来的であったのですか?あなたは先ほど~であると述べられましたが、それは要素ではないでしょうか?すでに参考図書を読んでいらっしゃるのであればほかの点を挙げてみてください』 『ええ、なんと申し上げますか……』
結局彼らは一時的に間をおいて、もう一度答えることで見事に乗り切ったのですが、しかし、待ってほしい、彼らはドイツ語母語者だ。私は日本語が母語であって、レベルは老艇及ばない。しかも日常会話と表現は疑問符が問答無用でつくし、アカデミック内容は答えられない!ああなったら、きっと私は対応できない!
半分パニックになりながらもそう強く感じた私はとりあえず、今集まっている情報を基に書き出してみました。時刻は午後13時、ゆっくりと過ぎていく雲と、穏やかな日差し、同居人の調理器具を取り出す音。土曜日の穏やかな日々がそこにある中、そんなこととは無縁なパソコンのメモ帳に情報を打ち込む私。今まではどうにか、まあドイツ語を勉強している最中だし、変な表現があるけど通じるから大丈夫だよねと笑ってすまされていたことももはや今はむかし。通じるではだめです。学術的な世界では知識を得ていればあとはそれに合わせた内容を提供せねばなりません。つまり、美しい修辞学的な要するにレトリックを求められるのです。
必要情報はすぐに打ち込み終わったので、あとはそれに付随して日本から持ってきたドイツの歴史に関する本(世界の歴史とドイツ帝国)からありうる情報を打ち込み、PDFファイルに入っている単語を引っ張り出すために、単語を再び打ち込み、その部分をもう一度翻訳、そして、さらにドイツ語へ翻訳。これを繰り返すことおよそ7時間、どうにかWord一枚分には仕上がり、これを先生に送ります。よしあとは応答を待つだけだ……。
思い返せば、この先生のもとで学ぶとき、生半可に(むろんすべてに全力を尽くしてはいますが)やることがなかったような気がします。例えば、前学期におけるレポートはきっちり10枚書いてドイツの成立をゲームのコマーシャルよろしく、それは偶然か?必然かといったことを論述しましたし、夏学期に入る前にメールで呼び出され、なぜか急須の置かれた先生の研究室にて。 Hettling先生『素晴らしい仮説と考えでしたがいくつか疑問を呈さざるを得ません。これはなんといいますか……二三点、根幹たるものが抜けている気がします』
私『二三点?』
Hettling先生『例えば……ドイツ帝国は確かに“帝国の敵”を作るうえでいくつかの民族、人種を差別するという方法などを用いましたが、あなたのレポートにはそれが強調されすぎています。中道を心がける人にあってはならない。もっと冷静に考えねばなりません……わたしが思いますに、これは飛躍しすぎだ……』とみっちりと添削をされ、終わるころには当然涙目(ちなみに……が多いのは実際には、よく言葉を選んで話しているので時間が空くからです)。
そんなことを思っていると、メールが戻ってきました。
『あなたの内容は実に素晴らしいといえます。しかし、ここで四つほど助言と参考図書を。まず初めに……』
(なおこの時に先生は風邪でしたが、それにもかかわらず、わずか三時間で返信が返ってきたのは驚くべきことです) 前述の助言に従って、内容を訂正。そして、送られてきたファイルを開くと、そこには必要な知識がそれぞれ4つの本から出展され、最後の結びにはLiebe Grüße!(幸運を)をと書いてありました。これは天のみ救いだ!だと狂喜乱舞したのもつかの間、熟読に移ると、またもや問題が発生。
あれ、僕のReferat内容ずれてない?そう、妙に内容に深みがないのです。つまり、表面的過ぎて、もっと質問が来るパターンすぐさまReferatは大規模な改訂にかからねばなりませんでしたが、真っ暗闇の中に放り込まれた時よりもまだ希望はありました。だてに200ページと追加で9ページを読んだだけのではありませぬ。内容がどうなるかは決まっており、このペラペラなReferatはその大本となるのです。つまり、骨格は出来上がっていたのであとは肉をつければよかったのです。例えば、必要な内容にはすでに読み終わっているこの図書を当てはめ、そこから、自分なりのありえた未来、可能性を記述すればちょっとした、テーマが生まれます。
一方で書いていくうちに、歴史とは実に謎めいている存在なのだとも深く嘆息することになりました。というのもですが、わずか1年か2年のこの討議内容一つとってもいくつもの可能性をこの物語は示唆していたのです。つまりは、このプロイセン軍を近代化させた軍制改革をとってみても、いくつもの可能性が提示されるのです。例えば、政治的には保守主義とリベラリズムもしくは民衆の戦いは、一方で軍隊と政府、国民という三つ巴のイデオロギーの対立で、一歩間違えば、改革派失敗し、これを受け狂信的な王室信者ともいえる軍制内局の長マイントフェルに先導された軍隊が反乱を起こす恐れがあり、それがシュタイン、ハルデンベルクの改革のように保守主義の抵抗にあい、挫折し、それどころかこの反乱などにより、プロイセンは消滅しえた。といったようなことや、そもそも、反乱は失敗し、王権は倒れたのではないのかといった可能性を示唆するのです。
こうした学問による歴史の探求は実に深く、そして魅力に満ちていました。そして、なんやかんやあって、私のReferatは以下の通りにまとめられることとなりました。一部を抜き出すとこのように。
Q“なぜプロイセン王国の軍制改革は必要あったのか?”
A“前提条件となる兵の質が低く、そもそも軍事的行動ができても士気に問題があった。徴兵制が整っていないために、練度が低くそれどころか単なる訓練されていない兵ではなく、一般市民であった。これらはナショナリズムなどの新しい思想を持った若者から構成され、王権を守るどころか反乱の要素となりえた。これを受け……”さらには偉大なるHettling教授が発表会を前にしてもう一度、Referatを添削してくれたばかりでなく、質問は引き受けようぞ。とまでおっしゃってくださいました。
そして迎えた発表会。私はヨーロッパの学生たちがアビトゥーアなどの試験を受けるとき伝統的にネクタイとシャツ、背広を着るようにして、正装して発表に臨みました。ゼミナー室にはすでに何人かが到着しており、そうした人々とあいさつをし、たわいもないことを話し、しばらくたってから、さあ、待ちに待った発表です。
『では、プロイセンにおける軍制改革に関する説明をお願いします。また、その時に起きた可能性いくつか定義してみてください』
低い先生の声とともに、Referatを読みます。さっきまで一緒に話していた同僚たちも真剣に私の一等挙手に注目しています。メモを取るもの、頷くもの。紙に書き出して整理するものといったように。純粋に学問に対する礼儀をわきまえた場がそこにありました。発表は途中いくつか、発音がわからないといったハプニングもありましたが、最終的に同僚たちから助けられ、拍手の中に終了。
「ありがとうございます」と思わず、言うころにはすっかり脱力してしまい。真剣な顔をしていた同僚たちはみんな笑みを浮かべ、質問を始めました。
ゼミナーが終わるころ、私は先生に握手を求め、先生はいつも通りの不思議な笑みを浮かべながら快く応じ出ていこうとすると、一人の生徒がこういいました。
「よい休暇を!よい祝日を!」
そう来週のゼミが開催される日はキリストの昇天祭。ゼミはお休みなのです。すると先生はいかめしい顔になって生徒に向き直り、こう言いました。
「良い勉強と、良い成績を!」
そして、優しい笑みを浮かべ、笑いに包まれるクラスを後にしていきました。まったく、傑作な人です。
ハレ大学は留学をすべき大学の一つでありましょう。というのもでありますが、前述の通り、素晴らしい教授たちや学問を愛する人々のために開かれた門を与えてくれるからであります。もし、学びたいのであればそれもたんなるLernenではなく、Studierenを得たいのであれば、是非お勧めします。特に、近代歴史学の権威のわれらが愛すべきManfred Hettling教授を忘れずに。
写真:Prof. Dr. Manfred Hettling
日本のお土産を渡したとき。煎茶とどら焼きをあげたら大好物だと言って喜んでいました。