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留学体験記
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一足先に留学を経験した麗澤大学の先輩たちが、留学先でのさまざまな体験談を語ってくれた「留学体験記」。
先輩の生の声を、是非参考にしてみてください。
初体験のドイツ留学ですが、ドイツへは高校の夏休みを利用して1回行ったことがあります。兄が住んでいるミュンヘンで、1か月間の語学学校に通いました。そして今回、ドイツでの1年間をイェーナ大学でFriedrich Schiller UniversitätのATS(外国人用の留学)プログラムに参加し、ドイツの言語を勉強してきました。イェーナを選択したのは、治安が良く住みやすい場所と色々な方から聞き、安心して勉学に励むことができるだろうとの考えで留学する決心をしました。
イェーナに行く2週間前、私は兄が住んでいるミュンヘンを訪れました。ミュンヘンへは2回目で、前回と変わっておらず、迷子になることはありませんでした。ドイツ生活に慣れる為、事前にスーパーマーケットや散策をしてドイツ語の勉強をしました。
2週間が過ぎ、ドイツのICEという新幹線に乗り、約2時間弱でイェーナに到着しました。イェーナに到着した時にはまだ寮に入れなかったので、麗澤大学生が住んでいる寮に1週間ほど宿泊させてもらいました。この期間に、大学・銀行・保険・入寮・ビザなどの契約・申請を長谷川先生と一緒に終えました。長谷川先生はとてもやさしい方で、本当に有難い存在でした。初めての休日には、イェーナの中では規模が大きい公園を散策してみました。その頃はイースターの時期だったので、公園には沢山のイースターエッグがあり、芝生は青いものの冷たい強風が吹き、春を感じることはできませんでしたが、公園から見える山や丘は春を感じさせる淡い緑色の景色でした。
最初の1週間が過ぎ、私はようやく自分の寮部屋に住めるようになりました。寮はシェアハウスで、ドイツ人が2人、シリア人が1人の計4名で、それぞれの部屋と共同のキッチン、トイレ、洗面所があります。私の部屋は他の麗澤大学生の部屋に比べて一回り小さく、少し物を置くだけで手狭になります。しかし、共同キッチンだけは使い勝手の良い広々とした空間でした。
イェーナにも日本人会というコミュニティがあり、そこに1年間参加することにしました。ここでは、日本が好きなドイツ人やその他の外国人と日本人の集まりで、毎週金曜日の午後7時から夜中まで、日本語とドイツ語が混じった会話で沢山の情報を得ることができました。
2週間目には、ようやく前期の講義が始まりました。私が履修した講義はどれも麗澤大学にはない講義で、例えばGegenwartssprache Deutschは『現代語のドイツ語』という、現代のドイツ人がどのように言語を使っているかという講義で、とても勉強になりました。他の講義でも、ドイツ語の文法、ドイツ語でのプレゼン、ドイツ語での小論文などを最初の学期でやりました。一番苦労したのが、ドイツ語での小論文でした。参考文献もドイツ語で読み、理解した上で、小論文をすべてドイツ語で書かなければなりませんでした。
前期が終わると約3ヶ月の夏休みが始まり、私はさっそくミュンヘンへ行きました。ミュンヘンでは、私の好きな作家のミヒャエル・エンデの博物館があり、そこを訪れました。城のような建物の中に図書館と博物館があり、とても感慨深い場所でした。その他にも友達と一緒にライプツィヒの動物園に行ったり、日本から来た友人とドレスデンを散策したり、ハンブルクに住んでいる旧友に会って、私が生まれた病院と住んでいた町を訪れたりもしました。また、日本で出会ったドイツ人家族と鍾乳洞の観光したり、ベルリンへの1人日帰り旅行をしたりと、忙しく充実した夏休みを送ることができました。
夏休み明けは後期の始まりで、前期で受けた講義より少し難しい講義の履修登録をし、受講科目も増やしました。新しい受講科目は、ドイツ語で発声や表現を勉強し、舞台に立つ講義やドイツ現代文学です。前期よりレベルアップした文法講義を履修しました。全て前期とは比較にならないぐらいの勉強量が必要でした。特に前期では簡単な文法が、後期では知っている文法の知識に応用と活用が入ってきました。私はこの文法を理解していたつもりだったのですが、応用編ではなかなか難しく時間がかかりました。先生によっては理解しているだろうと思われていたので、細かい説明や教えがなく、大変苦労しました。講義の中で好きな科目は、『ドイツ語で舞台に立つ』と『表現力を書く』講義でした。『ドイツ語で舞台に立つ』では体を動かし、ドイツ語での発声練習。台本は「自分が好きなセリフを選び演技をする」という、とても面白い講義でした。『表現力を書く』の講義では、先生が毎回お題を出し、それに沿って自分なりの考えでドイツ語を書きます。例えば物語、エッセイ、ファンタジー、読書感想文など、どれも私にとって将来的に必要な講義であったと思いました。
忙しい時期も終え、冬休みが来ました。私はこの冬休みに各地のクリスマスマーケットを訪れ、そこではグリューワインが入ったマグカップや軽食などを買いました。大晦日は友人と一緒に工夫した年越しそばを食べ、ミュンヘンで買ったはちみつワインなどを飲んで年越しをしました。外では年越し花火をしているドイツ人が見えました。冬休み中に、仲良くなったドイツ人と一緒にケーキ作りもしました。
冬休みが終わり、テスト期間と帰国準備の時期になりました。テスト期間中は、大学で知り合った友人と一緒に、大学のカフェで勉強をしました。テスト後はすぐにミュンヘンに行き、Goethe InstitutB2を受験しました。結果はまだ来ていませんが、よい結果であるよう願っています。帰国時期になると、ドイツで契約したものの解約手続きを長谷川先生と一緒に行いました。帰国2週間前には、寮を出てミュンヘンに行き、帰国日まで色々なお土産を買い、忙しくしていました。
今回の留学での私の成長は、親元を離れ自立し、責任を持って生活が出来たことです。また、日本では習う機会が少ないドイツ語の日常会話、規則や契約など、公の書類を目にし、理解した上でサインするなどの重要な機会を得ることができました。麗澤大学とは違う本場でのドイツ語の履修はかなり身につきました。留学で色々な経験が出来たことを麗澤大学やイェーナ大学の先生やスタッフ、両親に大変感謝しています。これらの経験を活かして、将来に繋げたいと考えています。
私は南イリノイ大学で約7か月間生活し、異文化に触れながらさまざまな経験をしました。留学前は、自分の英語力で生活できるのか、差別を受けることはないのかといった不安が大きかったのですが、実際に過ごしてみると、多くのことを学び、成長できる貴重な機会となりました。異文化の中で生活することは決して簡単ではありませんでしたが、その分、多くの学びがあり、自分自身の価値観を広げる大きなきっかけとなりました。今回は、留学を通して感じたことや学んだことをまとめたいと思います。
アメリカに到着して最初に驚いたのは、生活環境の違いです。アメリカは広大な土地があり、道路や建物がとても大きく、街並みも日本とはまったく異なっていました。大学のキャンパスも非常に広く、ボウリング場やジムがあったり、敷地内に池があったりと、日本の大学とは比べものにならない規模でした。勉強や交流の場としてとても便利で、充実した環境が整っていました。キャンパス内には学生が利用できる施設が数多くあり、図書館やカフェテリアもとても広く快適でした。
カーボンデールは田舎町で、お店の数もそれほど多くありませんでした。電車はなく、大学が運営するバスが1時間に1本出ており、それを利用して買い物に行っていました。交通の便はあまり良いとは言えず、車がない私たちにとっては移動が大変でしたが、街全体の治安は比較的良く、平和で過ごしやすい環境でした。また、人々の性格も日本とは大きく異なっていました。道を歩いていると知らない人に話しかけられたり、困っているとすぐに助けてもらえたりしました。とてもフレンドリーな人が多く、見知らぬ人同士でも日常的に会話が生まれていました。最初は戸惑いましたが、次第にこの温かい文化を心地よく感じるようになりました。
学習面では、授業初日にクラス分けテストを受け、英語力に応じたクラスに編成されました。最初は、すべて英語の授業についていけるか不安でしたが、自分のレベルに合った授業を受けられたため、安心して学ぶことができました。タームを重ねるごとに授業の難易度は上がりましたが、それに伴い理解できる単語や話せる表現が増え、自分の成長を実感しました。特に最後のタームでは、授業内容やテストが難しくなりましたが、以前よりスムーズに英語を話せるようになり、大きな自信につながりました。先生方はとてもフレンドリーで、発言しやすい雰囲気を作ってくれました。また、生徒の理解度に応じて授業を進めてくれたため、安心して学ぶことができました。クラスの人数はタームごとに異なり、大人数のクラスと少人数のクラスの両方を経験しました。さまざまな国から来た学生と学ぶことで異文化に触れる機会が増え、自分の国では当たり前だと思っていたことが、他の国では全く異なる考え方を持っていたり、逆に自分が知らなかったことを学ぶことができたり、新しい価値観を知ることができました。また、積極的に意見を発表する生徒が多く、自分も刺激を受け、発言しようという気持ちになりました。
授業は朝9時ごろに始まり、午後2時ごろには終わりました。課題はほぼ毎日ありましたが、放課後の自由時間が多く、学校のイベントや買い物を楽しむことができました。最初のタームでは、新学期の時期ということもあり、スポーツイベントや野外映画、季節ごとのイベントなどが頻繁に開催され、日本の大学では味わえない貴重な体験ができました。また、アメリカ人の学生とも交流し、友達を作る良い機会になりました。私は、周りの人に恵まれ、イベントなどでできたアメリカ人の友達と車で別の州まで遊びにいったり、キャンプをしたり、友達の実家に遊びにいったりと、すごく楽しい思い出を作ることができました。
私は寮で生活していました。寮には留学生が多く、さまざまな国の人と交流し、それぞれの文化を学ぶことができました。共有スペースにはキッチンやテレビ、卓球台があり、一緒に食事を作ったり、遊んだりすることで自然と英語を話す機会が増えました。また、寮では定期的にイベントも開催され、サンクスギビングには教会で食事をしたり、クリスマスパーティーや年越しのカウントダウンを楽しんだりしました。こうしたイベントを通じて多くの友人ができ、忘れられない思い出がたくさんできました。特に、趣味が合う親しい友人ができたことは、私にとって大きかったです。
最初はうまく英語が話せず、自分の考えを伝えるのが難しかったのですが、少しずつ会話を重ねるうちに自然と英語が口から出るようになりました。友人と深い話をする機会が増えるにつれ、英語を話すことへの抵抗がなくなり、スピーキング力が大きく向上したと感じました。私はもともとシャイな性格で、初対面の人と話すのが苦手でした。最初は日本人と過ごすことが多かったのですが、次第にもっと多くの人と交流し、視野を広げたいと思うようになりました。積極的に質問したり会話をしたりすることで、自然と友達が増え、英語を話す機会も増えました。拙い英語でも勇気を出して話してみると、相手はしっかり汲み取ってくれ、優しくサポートしてくれました。間違いを怖がらずに勇気を出して話してみることが大事だと学びました。
一方で、異文化の人々との共同生活には、難しさもありました。私の住んでいた寮は個室でしたが、バスルームは共同で使用する必要がありました。そのため、バスルームの使い方が汚かったり、長時間使用する人がいて、自分が使いたいときに使えなかったりと、不便を感じることもありました。こうした文化の違いに戸惑うこともありましたが、寮文化の違いを理解し合い、柔軟に対応することで、より良い人間関係を築きながら生活していくことが大事だと感じました。また、自己管理能力や時間管理のスキルも向上しました。留学生活では、学業だけでなく生活全般においても自分で決断し、行動することが求められます。このような経験を通じて、自己管理の重要性を改めて実感しました。
7か月間の留学を通じて、英語力だけでなく、多様な文化への理解や適応力も身につけることができました。留学で得た経験を今後の人生に活かし、さらに成長していきたいと思います。
2024年9月から2月までの6か月間、カナダ・バンクーバーのランガラ・カレッジに留学してきました。ここでは、大学での生活と私生活についてお話ししたいと思います。最初にカナダに降り立った時に感じたことは空気が綺麗だと感じました。夏に行ったのですが、日本と違い蒸し暑くなくとても過ごしやすかったです。カナダは移民が多い組で、様々な言語を耳にすることが出来ました。更に、この6か月間で一度もアジア人差別を受けることがなかったので、海外生活に対する不安がある方には、日本と似た環境のカナダは非常におすすめです。
私のホストファミリーはイギリス人のお母さん、お父さん、息子、フリーダ(犬)の四人家族でした。クルージングしたり、島に遊びに行ったり、Thanksgiving Dayなどの家族で過ごす行事にも毎回参加させてもらい、とても貴重な経験をすることが出来ました。中でも一番の思い出は、先ほども紹介したThanksgiving Dayです。この日は家族全員集まって祝う、日本で言うお正月のようなイベントです。ホストファミリーはこの日を迎えるためにVictoriaに住むおばあちゃんに会いにイギリスやバンクーバーから3家族が集まり、約4日間滞在しました。違う場所で多くの会話が繰り広げられており、自分のスピーキング力の不足を実感したり、お酒を飲んで楽しくなったり、とても充実した4日間でした。
次にランガラ・カレッジについてです。ランガラ・カレッジでは、留学前のリーディング、リスニング、ライティング、スピーキングの4技能に基づいてクラス分けが行われます。私は8つあるレベルの中の4から始まり、その後、6までの3セッションを受講しました。1セッションは7週間で構成されており、各週『Marketing』や『Archeology』などの異なるテーマを学習するプログラムです。私のクラスは8:30~12:30までの授業だったので、午後は課題を終わらせ、その足でダウンタウンに遊びに行ったりしていました。課題自体も難しくなく、2~3時間程度で終わらせるものでした。最初は、授業中に質問するのが少し恥ずかしかったですが、他の生徒も積極的に質問していたので、クラス内はとても質問しやすい雰囲気でした。
休日には、海や美術館、島に出かけるなど様々なアクティビティを楽しみました。また、1セッションが終わると約2~3週間の休暇があり、その間に、ロサンゼルスやサンフランシスコ、シアトルなどに行きました。友達がアメリカからカナダに来てくれて、初めてシアトルで年越しを過ごしましたが、日本でも一緒にいた友達と一緒に海外で過ごすという経験はすこし不思議な感覚がありましたが、唯一無二の思い出になりました。日本から行くよりも格段に安く、約2時間程度のフライトで行くことが出来るので、おすすめです。
この留学で私は多くの貴重な体験をすることが出来ました。初めての一人海外やホームステイで不安しかなかったですが、支えてくださった先生方やランガラ・カレッジの先生方、ホストファミリー、そして友達には感謝の気持ちでいっぱいです。留学は誰しもが経験できるわけではありませんが、一人でも多くの方に挑戦してほしいと思います。今後はこの留学で得た経験を基に、将来設計に役立てて行きたいと思います。
私はカナダのプリンスエドワード島で9月の初旬から2月の中旬まで留学をしました。約半年の留学を通して感じたことを書きたいと思います。
プリンスエドワード島は小さな島ということもありとても静かで生活しやすい場所でした。9月に到着したため日差しが強く思っていたよりも暖かく過ごしやすい天候でした。私にとって初めての留学だったため、初めの頃はとても緊張しました。初日はホストマザーと挨拶をし、軽くホームステイルールの説明を受け就寝しました。私がお世話になったホームステイ先には犬が2匹、ホストマザー、モンゴル人、ブルネイ人、日本人が3人いました。ホストマザーがフィリピン人だったこともあり、英語に少し癖があり最初は質問の理解をするのに時間がかかりました。時間が経つにつれ理解できるようになりました。ルームメイトたちはとても親切で優しい単語で質問をたくさんしてくれました。彼らのおかげで、すぐに緊張が解けホームステイ先での生活を楽しく過ごすことができました。
プリンスエドワード島に到着し数日後に大学が始まりました。初めにクラス分けのためのテストがありました。そのため、自分のレベルに合ったクラスで授業を受けることができました。大学での授業は少人数制で中国、モロッコ、ベトナム、サウジアラビアなど多国籍なクラスメイトと共に英語を学びました。私のクラスではあまりグループワークは無く、自分で考え発表することが多かったです。私の先生は特に発音と文法に厳しかったので初めは、細く発音などの注意をされたのですが、回数をこなしていくうちに正しい発音で発表することができました。個人的に一番楽しかったのは、リスニング・スピーキングの授業です。この授業では2分間スピーチというお題に沿って自分の意見を、クラスメイトの前で発表することがありました。私は、あまり人前で発表することが好きではなかったのですが、英語で自分の意見を発表しクラスメイトと意見を交換するのが楽しくなっていきました。
授業が無い日は大学にあるジムに行ったり、ルームメイトとサッカーやプールなどで体を動かして過ごしていました。モンゴル人のルームメイトが大学のサッカー部に入っていたので、他のルームメイトとサッカーの応援をしに行ったりもしました。また、私の家がダウンタウンに近かったのでイベントがある時には、ダウンタウンに行き買い物などをして楽しみました。
10月の中旬にリーディングウィークという10日間ほどの休みがあったので、友人とラスベガスに旅行に行きました。プリンスエドワード島とは違いとても気温が高く驚きました。私たちはNBA観戦とグランドキャニオンに行きました。人生で一度はアメリカでバスケの試合を観戦したいと思っていたので、良い経験をすることができました。また、グランドキャニオンでは約1時間ほど迷子になり人生で1番焦りましたが、友人と協力し、なんとかホテルに戻ることができました。私は滞在2日目に体調を崩してしまい薬も持参していなかったこともありとても大変な思いをしました。旅行でも薬の準備をすることはとても大事なことだと気が付きました。
カナダに戻るとダウンタウンの周辺ではハロウィンの準備が始まり、日本と比べてとても準備が始まるのが早いなと感じました。ハロウィン当日はルームメイトとホストマザーと共に仮装をし、家を訪問し大量のお菓子を貰いました。ハロウィンの夜に大学のパーティーにクラスメイトとルームメイトと行きました。そこで会った中国人と仲良くなり一緒にジムに行くようにもなりました。大学のイベントに行くと色々な国籍の人と会話し仲を深めることができるので、イベントには積極的に参加していました。
12月に入りルームメイトが帰国しました。約3ヶ月間共に過ごしたのでとても悲しかったのですが、またいつか日本で会う約束をしたのでとても楽しみにしています。ダウンタウンとその周辺ではクリスマスの準備が本格的に始まりました。私のホームステイ先では、家の中にクリスマスツリー、とても大きなサンタクロースの置物、雪だるまの置物が飾られとても良い雰囲気でクリスマスを迎えました。クリスマス当日はたくさんの種類の食事が用意されルームメイトとホストマザーと楽しい時間を過ごしました。クリスマスが過ぎると新たにコロンビア人と日本人が私のホームステイ先に来ました。夕食の際によく会話をしたので他国の文化を学ぶ良い機会になりました。
1月に入ると大学の授業が再開しました。前のセメスターよりも1つ上のレベルの授業を受けることになり、より良い学びになりました。前のクラスに比べ英単語の難易度が上がり授業の内容を理解するのが少し難しくなりました。そのため、家で単語の意味を調べ授業の復習と予習を多くするようになりました。また、質問に対し自分の意見を素早く正確に述べることができるようになり、自身の英語力が留学当初に比べ向上したなと実感し自信に繋がりました。意見を述べることに自信を持つことができたため、疑問に思ったことを質問しより深く理解することができました。
プリンスエドワード島では2月に入りとても雪が降り大学が休みになることも多くあり、家から出られない日もありました。天候が良い日にルームメイトと友人とスノーボードに行き質の良いカナダの雪を存分に楽しむことができました。私が帰国する数日前にも友人とビリヤードなどをし、帰国までの時間を悔いなく過ごすことができました。私が帰国する前日からスノーストームがプリンスエドワード島を直撃してしまい、帰国が3日ほど遅れてしまいましたが臨機応変に行動することができ無事に日本に帰国することができました。
今回の留学を通して何事にも1回は挑戦してみることは大事なことだと感じました。何かを始めることはとても勇気のいることですが、実際にやってみると意外に通用することも多くあるので少しでも悩んだら挑戦するべきだと学びました。今回の貴重な経験を経て自身の英語力だけでなくメンタル面でも向上することができました。留学のプログラムに携わってくださった全ての方に感謝を忘れず、学んだことを行動に移していきたいです。
1. はじめに
私は2024年の9月から2025年の2月までの5ヶ月間、イギリスのリーズ大学でGeneral Englishコースを受講しながら、留学生活を送りました。日本とは異なる環境の中で、教育、生活習慣、文化の違いを実感することができました。特に、ホームステイをしながらの生活を通じて、イギリスの家庭文化や価値観に直接触れる機会がありました。本レポートでは、留学生活の中で感じたイギリスと日本の違いについて詳しく述べます。
2. 教育環境の違い
リーズ大学のGeneral Englishコースでは、4技能全てをさまざまな課題を通して勉強しますが、特にスピーキングやリスニングを中心とした授業が多く、ディスカッションやグループワークが頻繁に行われます。日本の授業では、教師が一方的に講義をする形式が一般的ですが、イギリスでは学生の自主性が重視され、授業中に発言する機会が非常に多いです。また、授業以外でも学習サポートが充実しており、リーズ大学内にあるLanguage Zoneという施設では、英語学習のサポートや交流の場が提供されています。日本では、授業外の学習支援は限られていますが、リーズ大学では積極的に活用することで、より実践的な英語力を伸ばすことができます。特に、自習スペースが充実しており、現地の学生や他の留学生と一緒に学ぶ機会が多いため、英語を使う機会が自然と増えます。また、イギリスの大学では、課題の量が多く、さまざまな課題が頻繁に課されるため、自主的に学習する習慣が身につきます。日本の大学では、試験前に集中して勉強する傾向がありますが、イギリスでは日常的に学ぶ姿勢が求められる点が大きな違いだと実感しました。
3. ホームステイと生活習慣
私の留学中はホームステイをしており、現地の家庭の中でイギリスの生活を体験しました。イギリスの住宅では、セントラルヒーティングが完備されているため、冬でも室内は暖かく保つことができます。日本の住宅では、エアコンやこたつを使って暖を取ることが多いですが、イギリスではそのような設備は一般的ではなく留学中に見ることは一度もありませんでした。また、食事はイギリスの伝統的な料理が中心で、朝食はシリアルやトースト、夕食は肉や豆を使った料理、パスタなどが多かったです。日本の食事と比べると、野菜の種類が少なく、調理方法もシンプルである点が印象的でした。また、家族とのコミュニケーションも文化の違いを感じる要素でした。イギリスの家庭では、夕食時に家族全員が集まり、一日の出来事について会話をする習慣があります。日本では、家族で食事をすることが一般的ではあるものの、個々のスケジュールによっては別々に食事をとることもあります。ホームステイ先の家族との会話を通じて、日常的に英語を使う機会が増え、異文化を直接学ぶ貴重な体験となりました。
4. 文化的違い
イギリスではパブが酒場や社交の場として大きな役割を持っています。リーズでも多くの学生が授業後にパブに集まっていました。日本の居酒屋文化と似ているがイギリスのパブの方がよりカジュアルで昼間から利用する人もいました。また、買い物の場でも違いがありました。イギリスのスーパーでは、大容量のパックで売られることが一般的であり、日本のように個包装で売られている商品は少なかった。また、キャッシュレス化が日本より進んでおり、ほとんどの支払いがカード決済で行われる。日本ではまだ現金払いが根強く残っているが、イギリスでは現金を使う機会がほとんどありませんでした。また、イギリスではチップを渡す習慣が根付いており、レストランやカフェ、タクシーなどのサービス業を利用した時に通常10%〜15%ほどのチップを払うことを求められました。しかし、日本ではチップ文化が存在せずサービス料は基本的に料金に含まれているためチップを払うべき場面や適切な金額を選択することが難しく感じました。
5. 交通と移動手段
イギリスの公共交通機関は、日本と比べて時間に対して緩く、電車やバスの遅延が毎日のように発生します。日本では、電車が分単位で正確に運行されることが一般的ですが、イギリスではバスの時刻表があまり厳密でないことがあり、予定通りに移動できないこともあります。そのため、移動の際には時間に余裕を持つことが重要です。また、イギリスでは徒歩や自転車を利用する人が多く、リーズの街中でも多くの人が歩いているのを見かけます。日本では、都市部では電車やバスの利用が主流ですが、イギリスでは日常的に歩く習慣が根付いていると体感しました。
6. 価値観と人間関係
イギリスでは、個人の意見や権利が尊重される文化が強く、授業や日常生活の中でも「自分の考えを持つこと」が求められます。日本では、周囲との調和を重視する傾向があり、相手の意見に合わせることが多いですが、イギリスでは「自分はどう思うか」をはっきり伝えることが重要視されます。実際に授業中に先生から意見を求められることが多くて驚きました。また、日常的な会話の中でも「Please」や「Thank you」を頻繁に使う習慣があり、これらの言葉を使うことで円滑なコミュニケーションが生まれると感じました。ホームステイ先でも、これらの言葉をイギリスではよく使うと教えられました。些細なことでも感謝の言葉を伝えることが自然な文化として根付いていると感じました。さらに、友人関係においても、日本よりもカジュアルな雰囲気があり、初対面でも気軽に会話を始めることが多かったです。
7. まとめ
イギリスでの留学生活を通じて、日本とは異なる教育環境、家庭文化、交通事情、価値観を体験しました。特にホームステイをしながら現地の生活に溶け込むことで、言語だけでなく文化的な理解も深まりました。この経験を通じて、異文化に対する柔軟な姿勢を持ち、多様な価値観を受け入れる重要性を学ぶことができました。例えば、日本では授業中に発言する機会が少なく、先生の話を静かに聞くことが一般的ですが、イギリスでは自分の意見を求められる場面が多くありました。最初は戸惑いましたが、授業に積極的に参加することで、相手に自分の考えを伝える力が身についたと感じます。また、ホームステイでは、食事のときに家族と一緒にその日の出来事を話し合う習慣があり、最初はうまく会話に入れませんでしたが、次第に自分の意見を伝えたり、質問したりすることで、自然にコミュニケーションが取れるようになりました。このような経験を通じて、自分の考えをしっかり持ち、それを伝えることの大切さを実感しました。留学は単なる語学学習ではなく、新しい環境での適応力や異文化理解を深める貴重な機会であると理解しました。また、日本に帰国した後も、この経験を活かして国際的な視点を持ち続けたいと思います。異文化の中での生活は簡単ではありませんが、それを乗り越えることで自分自身の成長につながると強く感じました。
私は2024年9月から2025年2月までの約半年間カナダにあるプリンスエドワード島大学(UPEI)へ留学をしていました。私は元々、商業高校出身で高校まではひたすら野球漬けの日々を送っていました。野球部を引退した後、何か新しいスキルを獲得したいと考え、そのとき思いついたのが英語でした。そして大学で留学をすることを決意しました。この決断が私の人生の大きな1ピースができるきっかけとなりました。
プリンスエドワード島での生活は刺激的な毎日の始まりでした。まず通りすがりの人に挨拶をされることが日常的にあり、驚きました。それだけでなく私が歩道を歩いているときに、同年代ほどの若者が車の中からhey broと声を掛けてくれたこともありました。日本では経験したことがなかったため、とても印象に残っています。学校が始まるとお昼に食べるサンドウィッチを毎朝作り、持っていくため朝は忙しかったです。
クラスは様々な国からきた学生で構成されていました。中国やモロッコから来た学生は独特な発音で英語が違う言語のように感じ、初めは聞き取るのに苦労しました。先生はカナダ人であったため発音に癖がなく話が聞き取りやすかったです。授業は日本の中学校で習うような基礎的な文法の復習がメインでしたが、先生からよく単語の意味や文脈について質問されるため、英語で瞬発的に発言する力や説明する力が鍛えられました。また学生の授業に対しての姿勢が日本の学生とは違うという点に気づきました。多くのクラスメイトから授業を真剣に取り組んでいるだけでなく、自ら挙手をして発言するなどの授業に自ら入り込んでいくような積極性を感じました。日本では高校、大学と上がるにつれて授業中に自ら挙手をして発言するような光景が減っていると思います。私はそれに刺激を受け、他国から来た学生に負けないよう積極的に発言することを心がけていました。そのため英語を話す機会も増え意見や気持ちをうまく言葉にできるようになっていき、英語力が向上していることを実感しました。
ホストファミリーとは、ハロウィンの仮装やパーティー、クリスマスには家にオーナメントなどの装飾を施しみんなでごちそうを囲むなど初めての経験ばかりでした。夕飯時には毎日ルームメイトと会話をしながら食事をとっていました。ジョークを言い合う日もあれば深いテーマについて話し合う日もあり、夕飯の時間は特に思い出深かったです。ある日ホストマザーが言葉の重要性についての話をしてくれました。私が「親や家族に対して愛情や感謝の気持ちがあったとしても言葉で伝えることがあまりない」と言うとホストマザーからなぜ伝えないのか質問されました。家族に対して愛していると言うことが照れくさいと思う人は少なくないと思います。しかしホストマザーに「親が愛情を持って接してくれるのに対して、愛情で返すことが子供の役目だ。親に直接その気持ちを伝えることができなくなってから後悔するのでは遅い」と言われました。この言葉は特に印象に残っており、今でも鮮明に覚えています。ホストマザーとはカジュアルな内容の話から、人としての在り方についても話をしました。
年が明け新学期になるとクラスのレベルが上がり、クラスメイトも変わりました。授業はライティング、リーディング、会話の3つの授業がありました。ライティングではエッセイの構成や書き方を細かく分析し、何度も書く練習をしました。先生が直接間違いを訂正してくれるため適切な表現を学ぶことができました。リーディングの授業は読み物の内容が前期よりも専門的な内容になり、使われている単語のレベルも上がったため分からない単語やイディオムも増えました。それらを覚えるため、メモに書き留めて日常会話で使うことを意識すると知識の定着が早いと感じました。英語学習にはインプットとアウトプットを並行して行うことが大切だと思いました。
休日にはホストマザーと地域のボランティアに参加する機会もありました。老人ホームでボランティアを行った際はシャンプーやボディーソープなどの日用雑貨や本や雑誌などを寄付しました。5箱ほどのダンボールがいっぱいになる程の量を持っていきました。車からそれらの荷物を全て運んだため疲れましたが、老人ホームの職員の方々が喜んでくださいましたのでとてもやりがいがありました。留学が終わりに近づくと友達とパーティーやスノーボードを一緒に行くこともありました。楽しかった思い出ができただけでなく、遊びを通して英語を話すことに自信がついていきました。スノーボードをした帰りにはモロッコ人の友達が、アルバイトをしている日本食レストランへ招待してくれました。その日本食レストランは想像以上に繁盛しており日本食は世界的に人気で愛されていることを改めて感じました。食文化以外にもマンガが特に人気で日本に住んでいたときよりも好きなマンガについて話すことが多かったと思います。また、本屋の文房具コーナーに置かれている文房具はほとんどが日本の製品でした。私はこの留学で日本のブランド力の高さにも気づくことができました。
プリンスエドワード島での生活で私は英語力の向上はもちろん、人との関わり方や関係性の大切さについても学ぶことができました。この半年間で得た学びや思い出は生涯忘れることのない宝物です。最後にこのようなすばらしい経験ができたのはホストファミリーや現地でできた友達だけでなく、家族や国際センターの方々など、この留学に関わった全ての人たちのおかげで成り立っています。全ての出会いに感謝しその気持ちをこれからも忘れずに日々成長していきたいです。またこの留学を起点として更に英語力を向上し、次のステップへ踏み出したいと思います。
<春セメスター>
オランダでの授業が始まるのは2月19日からで、私たちは2月15日にオランダに到着しました。まずは鍵を受け取り自分達の家に行き、ブランケットや布団が無いので買いに行きました。初めの一週間くらいは緊張や慣れない環境、時差ボケなどで相当疲れていて、夕方の4時に眠ってしまって、夜中の2時、3時に起きるという生活をしていました。また、初めの一週間は私の部屋はキッチンの電気が一切使えなく、料理もできませんでした。しかし、業者が来てコンロをIHに変えてくれたので使いやすくてよかったです。
イントロダクションデイでは、キャンパスツアーやオランダについてのクイズを楽しみました。また、バスでどこかの施設へ行き、アスレチックやシューティングゲーム、斧を投げたりして楽しみました。今思うとこの時は全然まともに英語を話せてなかったと思います。
私が春に取った授業は、Beginners English, Culture, Marketing for beginners, Dutch for beginners, Business English の5つです。
Beginners Englishは週3回あり、ほか4つは週1回の授業でした。大体、朝に授業に行って、昼頃には家に帰るという日が多かったと思います。Beginners Englishでは、発音やa,an,theの違いなど英語の基礎的なことはもちろん、Job interview やメールの書き方、履歴書の書き方、プレゼンテーションのやり方についても学びました。テストはJob interviewとオランダでの留学生活についてのプレゼンテーションをしました。私は特にJob interviewが苦手であまりうまくいきませんでした。
Cultureの授業はヨーロッパやオランダの文化、食べ物について先生が紹介してくれたり、カルチャーショックやホフステードの六次元モデルなどの事も学んだりしました。テストはなく、毎週、どんなことをして何を学んだのか、どんな感情かなどの日記を書いておいて最後に提出するという物でした。また、オランダでカルチャーショックを受けた物の写真を10枚撮る、文化について話しているテッドトークを見つけてそれを要約するというのもありました。大変でした。
Dutch for beginnersでは、基本的なオランダ語について学びました。英語すら分からない私にはとても難しくて何度も諦めようかと思いました。毎授業、頭にハテナマークが50個くらいという感じでした。テストは筆記テストと、スピーキングテストでした。一緒に授業を取っている友人と集まって勉強し、無事に合格することが出来ましたし、いい成績を取れて飛んで喜びました。ちなみに筆記テストはチャンスが2回あり、1回目で合格できなかったらもう1度テストを受けることが出来ます。私の友人の1人が1回目で合格できなかったので、一緒に勉強した友人みんなで2回目を受けたのはいい思い出です。
Business Englishは、会議やプレゼンテーションについて学びました。テストもその内容です。個人的に会議についての授業が楽しかったです。先生がお題を出してくれて、店長やマーケティング部門、会計部門などそれぞれ役を決めて企業の問題をどう解決するか会議で決めるという物でした。プレゼンテーションはBeginners Englishでも学んでいたので簡単に感じました。
私は、2月にはドイツに1ヶ月研修していた友人とパリに行き、夜行バスの中にスマホを置いてきました。観光どころではなかったです。運が良いことにそのバスは私たちを下ろした後に倉庫に行っていたようで、誰にも盗まれず、無事に見つけ出すことが出来ました。運転手の方に英語が通じず、バスの中を確認したいと主張しても「ダメ」と言われ続け、15分くらい格闘していたと思います。最終的に確認させてくれ、スマホを見つけてバスから出てきた時には友人、私、バス運転手の3人でハグをしました。本当に見つかってよかったです。
4月下旬から5月上旬まで、春休みがあった為、私、台湾人2人、フィンランド人の4人で10日間の旅行に行きました。ドイツ、スイス、イタリアの3カ国を巡りました。英語しか話せない環境で不安も疲れも感じましたが、本当にみんなが優しくて、楽しい以外の何でもなかったです。週末にはオランダ国内を観光したりもしました。チューリップを見に行ったり、ミッフィーで有名なユトレヒトに行ったり。1人一品持ち寄って家でパーティーしたりバドミントンしたりもしました。
6月中旬には私たちはもう夏休みに入っていました。夏休みには、ホロコーストの歴史について興味のある私と友人で、ポーランド、ハンガリー、オーストリア、スロバキア、チェコ、ドイツを14日間で旅行しました。ポーランドにはアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所があり、オーストリアのザルツブルクはヒトラーが好きだった場所、ドイツのミュンヘンにはダッハウ強制収容所があるため行きました。旅行に行く前には2人でよくそれらの歴史についてのドキュメンタリーや映画を観ました。映画などでは画面が全体的に暗いものが多く、悲しみや残酷さを表現していると思うのですが、現実は怖いくらいに明るく、晴天で、そこに恐怖のようなものを感じたのをよく覚えています。1ヶ月先のバスを予約していたり、ホテルにパスポートを忘れたり、ホテルのカードキーを落として探し回ったりしましたが、めんどくさがりでテキトーな2人でやり切ったことが何よりも嬉しかったです。フィンランドとパリにも行きました。
<秋セメスター>
私たちは、8月下旬にあったイントロダクションデイに再び参加しました。友達を作るために。内容は春セメスターとほとんど同じだったと思います。
9月初旬にはもう授業が始まり、私はCambridge English, International Customer Insight, International Event Management, Current Affairs という授業を取りました。
Cambridge Englishは、週3回あり、ビジネスについて英語で学んだり、意見を交換、プレゼンテーションしたりしました。英語の文法や使えるフレーズなども多く学びました。テストはなく、先生が出している課題を毎週解くというPortfolioでした。Reading, Writing, Practice、そしてオンラインの課題もありました。最終的にはみんな70〜100ページほどのPortfolioになっていたと思います。大変でした。
ICIは週に1回でしたが、1回の授業時間が長かったです。2時間半ほどあった気がします。ここでは、マーケティング戦略について毎週学びました。私もこのような戦略にまんまと引っ掛かっているのかと、授業内容はとても面白かったです。この授業でもLogbookを作成する必要があり、自分が選んだ企業と毎週学ぶマーケティング戦略を結びつけて文章を書きます。9つほどトピックがあり、1トピックごと400 words以上書く必要がありました。また、グループプレゼンテーションもあり、自分達が選んだ企業について、マーケティングでの問題点を見つけ、どんな戦略を使えば解決できるかという事をプレゼンしました。プレゼンを作るためにするグループミーティングが何よりも辛かったです。
IEMも週に1回でしたが授業時間が長かったです。グループで協力してイベントを作ってマネジメントするという授業でした。私たちは地元の中学校で自分達の文化をクイズなどのゲームを交えて紹介するというイベントをしました。子どもたちが本当に良い子たちで積極的で救われました。最終課題は、そのイベントについての25分間のビデオを作るというもので、予算や目的、イベントの映像などを組み合わせて製作しました。また、授業での態度や積極性は先生が評価するのではなく、グループのメンバーがそれぞれのメンバーを評価するという形式で、面白いなと思いました。
10月中旬から11月初旬まであった秋休みには、トルコに行きました。クリスマス前には再びハンガリーに行き、クリスマスシーズンにはドイツ、フランス、ルクセンブルクのクリスマスマーケットを回りました。ちなみに冬休みは12月中旬ごろから始まりました。年末年始は友達と家で過ごしました。オランダの年始はすごくて、一般市民が花火を打ち上げまくっていました。毎年死者も出るくらい危険なので行く際には気をつけてください。1月にはスペイン、ポルトガルにも行きました。友達と今までの留学生活について話し、もうこの生活が終わるという事を信じたくなくて泣きそうでした。
旅行の思い出ももちろん大切ですが、みんなでご飯食べてパーティーしたり、散歩したり、ただの 日常ですらも本当に尊くて愛おしい時間でした。オランダに着いて最初の頃は英語を話すのが怖くて、レストランで注文するのすら怖かったけど、今では英語を話す恐怖心は無くなったと思います。英語力が上がったということもあると思いますが、度胸がついたのかなともこの留学の経験を通して思います。春セメスターはとても日本が恋しくて、毎日のように「帰りたい」と言っていたと思いますが、英語を喋らなくてはいけない、よく分からない世界に自分を放り込んでよかった、辛くても諦めなくてよかったと本当に思います。秋セメスターは日本に帰りたいという思いはあまりありませんでしたが、トラブルや辛いことは多かったと思います。どうにかならなかった、解決しなかった問題もありました。
良いことも悪いことも、こんなに素晴らしい思い出たちを、時間が経つことで思い出せなくなっていくことが悲しいです。日本に帰った時も、友達に会ったり、一歩歩いたりする度に自分はもうオランダにいないし、家族のように過ごした友人にも簡単には会えなくなるのだと再認識してとても辛かったです。日本の友人や家族には、「また日本とか友達の国に行けば会えるじゃん」とよく言われますが、そういう話ではないのです。こんなに濃くて、こんなに心が動いて色々な事を感じた1年は初めてで、この先それを超える1年があるかはわかりません。とにかくこの1年は私にとって宝物です。ありがとうございました。
私は釜山外国語大学校に1年間留学をしました。元々留学に行くことや1年間の留学に挑戦することも予定していませんでしたが、1年留学を終えた今では挑戦して良かったと思うと同時に挑戦しなければ後悔しただろうなとも感じています。私は幼い頃から韓国の音楽をはじめとする文化に興味があり、自分の好きな人たちが自分たちに届けてくれる言葉を自分の力だけで理解したいと思い、韓国語の勉強を始めました。入学当時は自分が留学に行くなんて考えもしませんでした。しかし、授業で学ぶ文法だけでなく、韓国語を実際に活用したいと思ったり、大学生活で自分が大きく成長したり、挑戦したりできる機会は少ないと思い留学に行くことを決めました。
実際に留学が始まってからは、言語の壁にぶつかることの連続でした。お店に行って何かを買う時、ご飯を注文する時、寮のわからないことを聞く時、同級生や先生の話を聞く時。私は韓国に行ったばかりの頃は、日常会話が十分にできるとは言えず、韓国語の基礎しか知らない状態だったため、毎日挫折し焦りを感じてばかりいました。留学初日で自分が思っていた以上に留学は大変なことで、ここから1年間帰国できないという事実に最初にして最大の絶望を感じたのを今でも覚えています。しかし、だからこそ自分を奮い立たせて努力し続けることができ、周りの人の配慮やサポートの一つ一つにすごく感動し救われたことも多くありました。
留学生活を振り返った時に、多くの韓国人と交流することや自分の留学生活が活発になったきっかけはサークルに入ったことが大きいと思います。私は「のびのび」という日韓交流サークルの活動に1年間参加していました。また、韓国人と一対一でペアを組んで会話練習をするタンデム学習という授業も1年間履修していました。この二つは日本人留学生にとても人気で、先輩方や現地のスタッフの方々からもおすすめだと聞いていました。参加する前はもちろん不安もありましたが、この二つに参加していなかったら私の留学生活はただ一人で勉強するばかりになっていたと思います。せっかく韓国に行き、実際にネイティブスピーカーがたくさんいる環境で思う存分活用するには、とにかく韓国語でたくさん話す機会を増やすことだと思います。恐れずに韓国語で会話することは留学当初の目標だったため、サークルや授業のおかげでその実現ができ、常に高いモチベーションを持って韓国語学習に取り組むことができました。また、のびのびやタンデム学習で出会った人の中には日本語が上手な人が多かったため、私も翻訳機を使わずに韓国語だけで話せるようになるという明確な目標を立て、学習し続けていました。
今思うと留学中は日本にいる時以上に学習時間を多く取っていましたが、それでも足りないと感じることが多く試験期間ではなくても常に勉強していました。それほど頑張れたのは、韓国という韓国語を使う国に身を置いていたからだと思います。日々自分の語学力不足を感じ、熱心に勉強し新たなことを吸収してもまだ足りないと感じ、勉強するという繰り返しでした。何度も挫折し苦しい時もありましたが、「落ち込んでいる暇があったら勉強する」を心がけて勉強していたからこそ、留学を終えた今、この1年間で韓国語能力を伸ばすことができたと思います。
この留学を通して韓国語能力の向上はもちろんですが、それ以上に異文化コミュニケーションにおいて何が重要なのかも学べたような気がしています。また、私が所属している専攻で学ぶ「やさしい日本語」についても多くの学びが得られました。私は留学してから、韓国語をもっと勉強してから行けば良かったなと思ったことは何度もありましたが、その反面、韓国語が完璧ではなかったからこそ新たな学びに繋がった点もあったと思っています。それは、相手にわかりやすい表現や言葉を選んで話すことや相手の言いたいことを読み取る力がついたことです。まだ自分の力だけでは韓国語で会話ができなかった時に、韓国人と韓国語で会話する上で多くの挫折を味わったり、相手の小さな配慮に感動したりと会話する度に感じることが多くありました。それによって、自分が日本語を使って日本語学習者と話す際に何を意識するべきなのか、どうしたら相手にわかりやすく伝えることができるのか、どうやって伝えたら誤解なく伝えられるのか等を学ぶことができました。自分が伝えられないことのもどかしさを誰よりも知っているからこそ、伝えようとしてくれる相手に対してその意図を汲み取ろうとしたりこういうことかなと推測したりする力がついたと実感しています。
また、留学を通して自分から行動することの大切さもより実感しました。1年間という期間や留学に行ったという事実だけで韓国語は自然とできるようになるのではないかと考える人もいると思います。しかし、留学先でも日本の大学と同様に自分から行動を起こさないと学べることは少ないなと感じました。毎日授業に行って課題をこなすだけでも日本の生活と比べるとはるかに大変でどんどん時間が過ぎていき、意識的に自分で行動したり勉強したりしないとあっという間に留学生活は終わってしまうと思います。
私は授業以外でも、日本語を勉強し始めたばかりの韓国人学生と一週間に一度、韓国語で会話することで、自分の韓国語がどう思われるんだろうという韓国語を話すことに対する恐怖がなくなり、韓国語能力が伸びたなと実感しています。この出会いは、韓国の大学の先生に韓国語の能力向上のために紹介して頂いたものです。このような機会は自分から行動を起こさないと得られない機会だと感じると同時に、人とのつながりや縁も留学先でとても大事で自分の留学生活の充実度を左右するものだと実感するきっかけになりました。
私も留学期間中に自分から行動することを心がけてはいたものの、もっと積極的になれたのではないかと感じる部分も多くあるので、残りの大学生活ではより行動に移せたらいいなと思っています。
このように、留学期間を通して韓国語や言語学について多くの学びを得ることができました。この経験は将来にも大きくつながる経験であり、今後の人生に大きな影響を与える1年間だったと思います。これからも韓国語学習を続け、韓国とのつながりを持ちながらこの経験を無駄にせず活かせるように努力していきます。
私は留学に行くまで、韓国に一度も行ったことがありませんでした。韓国で1年間生活をする想像がつかず、不安な部分も多くありました。しかし、将来のために英語だけでなく韓国語も身に付けてトリリンガルになることが私の目標であったので、クロス留学という形で釜山外国語大学校に留学することを決意しました。
渡韓したばかりの頃は、大変なことも多くありました。私は英語コミュニケーション専攻であるため、コミュニケーションについても学んできました。そこで意思疎通において、言葉よりも重要なものがあると考えていたものの、実際に留学をしてみるとやはり現地で現地の言葉が話せるに越したことはないと感じました。なぜなら言葉は円滑なコミュニケーションを導く手段であり、自分の考えを表現するための武器でもあるからです。韓国語が未熟だった私にとって、最初はネイティブの方が話す韓国語はとても早く感じました。また、外国人が話す韓国語はアクセントに違いがあり、聞き取りづらい部分多かったです。そのため、コミュニケーションを取ることがとても難しかったです。時には、自分の韓国語能力の低さを指摘されることもあり、心が折れそうになることもありました。しかし、諦めることなく、それを乗り越えた先に自分の成長が待っていました。辛く耐えがたい日々があったとしても、時には足が重くても、頑張って進んだ先に、自分にとってプラスの何かを得ることができるということを身をもって学ぶことができたのは、留学をして良かったと思うことの一つです。この経験は、今後自分の人生において糧になるのではないかと思います。
そして韓国では3月から授業が始まり、4月の後半になると中間考査の期間になります。私は英語学部に所属していたため、学部生としての専攻の英語科目の勉強に加え、留学生として韓国語の勉強もしなければならないので、とても大変でした。韓国での初めての試験ということもあり、不安だったため、期間中は夜中まで図書館に籠もって勉強をしていました。しかし、今振り返るとそれも良い思い出です。なぜなら、1人ではなく友人や先輩と皆で集まってお互いに分からない部分を質問しながら楽しく学べたからだと思います。息抜きに夜食でラーメンを食べたり、試験が終わったらどこに行くかなどを話しながら試験を乗り越えたので、試験期間でさえも良い思い出になしました。その後の期末テストや2学期のテストも、自分の能力が上がるほど学ぶ内容は英語も韓国語も難しくなるため、大変でしたが、楽しみながら乗り越えることができました。
また、私はせっかく韓国に1年間留学できるのであれば、韓国での学生生活を充実させたいと考え、サークルにも所属しました。私が所属したサークルは日韓の交流サークルでした。私はそこで韓国語の実力を伸ばすことができたように思います。そこでは1対1でペアとなりお互いの言語を学ぶことができる企画もありました。大人数で話したりしていると自然と聞き役に回ってしまうことが多い私にとって、1対1でコミュイケーションが取れる環境は非常に重要でした。お互い言語を学んでいるもの同士であるため、たとえ分からないことがあってもお互い優しく教え合うことができ、安心して話すことができました。サークルの活動には様々なイベントが用意されており、お花見や食事会などもありましたが、特に大きなイベントとして、MTといって一泊二日の合宿のような形で遊びに行くこともあり、そこでゲームなどを通して親しくなり、新しく友人を作ることもできたので、サークルに入って良かったと思います。
そして、私は留学期間中には友人から通りすがりの人まで、多くの人に助けてもらいました。日本で当たり前のようにしていたことも環境が変わるだけで急に難しくなることがあります。例えば、具合が悪くなったとき、日本にいるときには簡単に薬を買ったり、病院に行くことができましたが、それすらも国が違うと難しかったです。自分が「外国人」であることは想像以上に大変でした。文化のギャップを感じることもありました。しかし、どこにいても困っている人に対して手を差し伸べてくれる人は必ずいます。私はそれを韓国で実感した同時に、自分は何も恩返しや役に立てていることがないことが悩みでした。自分が日本に帰ったら、私も同じように困っている人に手を差し伸べようとも思いましたが、それだけではどこか物足りなく感じていました。
そこで私が始めたのがボランティア活動です。釜山日本村という、日本語を子供達に教える活動を留学期間中にしていました。韓国に来てから助けてもらってばかりで何もできていなかった私にとって、少しでも誰かの役に立てていることはとても嬉しいことでした。また、教えるたびにみるみると成長していく子供達を見て、私自身ももっと頑張りたいとモチベーションをアップすることができました。
また、長期休みの期間には少し遠くに出かけてみたこともありました。全州に行ってユッケビビンバを食べたときには釜山で食べているものと少し味が違うような気がしました。日本と同じように地域によっての違いがあることを知れて良かったです。釜山よりも少し上に位置する慶州という日本の京都のような場所に行った時にも美味しいご飯や歴史的な建物を見ることができてとても楽しかったです。
さらに私は韓国に行って新しい趣味もできました。韓国にいるときに私は、カフェ巡りをすることが趣味でした。韓国にはカフェがとても多く歩くとすぐにカフェが見つかるほどチェーン店から個人経営のガフェまでたくさんありました。最初は韓国にいる間に日本では見ることのできない風景を目に焼き付けておこうという思いから、よく散歩をしていたのですが、あまりにもカフェが目に入るので入ってみると、様々な雰囲気のカフェがあり、自分のお気に入りの雰囲気のカフェを開拓することが趣味となりました。1人で勉強する人もいれば友人と来ている人もいて、老若男女、様々な目的でカフェを利用しているのは日本とは少し違い、「異同感」を感じることができた気がして面白かったです。
このように私は韓国留学を通して英語や韓国等の語学力のみならず多くのものを学び、自分の糧にすることができました。最初は不安があったもののやはり勇気を出して留学をして良かったと思います。隣の国に1年間住むだけでも自分の価値観や考えを広げることができました。
私は中学生の頃から大学生になったら留学がしたいという夢がありました。留学を決める段階で「韓国に行くんだ!」という強い思いはなく、ただ外国で長期間暮らしてみたいという気持ちが一番大きくありました。中学生の時にハマっていたKPOP、第二外国語で韓国語を履修していた、クロス留学というプログラムがある、ゼミ、奨学金などの理由で韓国へ行くことになりました。
留学が始まってすぐの時点で言語の壁にぶつかりました。高校生の時に韓国語を少し勉強していたり、大学に入っても韓国語の授業を履修していたのにも関わらず基本的な挨拶やフレーズしか知らずに留学に来てしまったため、生活に慣れることが本当に大変でした。大学や寮にあるお知らせの紙やルール表もすべて翻訳アプリを使わなければ理解することができませんでした。学校が始まっても学校にいる他の日本人は韓国語がペラペラで自己紹介だけでも実力の差が明らかなことに焦りをとても感じ、自信をなくすことがありました。この時に私を一番支えてくれた存在は寮でルームメイトになった台湾の子でした。出会った初日から私たちは仲良くなり、頻繁に出かけたり部屋で話したりしていました。その子は韓国語が本当に上手で、韓国語が話せなくて落ち込んでいるときに「他人と比べずにちょっとずつ一緒に勉強していこう」「頑張ってるから大丈夫」と背中を押し続けてくれました。そのおかげでルームメイトのように韓国語がうまくなりたいという気持ちで勉強を頑張ることができました。その子は半年の留学だったのですが今でも連絡をとっています。
勉強面では、特に一学期はほとんどすべて韓国語がわからない程度の韓国語力しかなかったため、自分の頭に浮かんだ言葉ですぐ韓国語に変えられない言葉はその場でネットで調べるようにしていました。一人でいるときに調べた単語をブツブツ話したり、言いたい文章があれば教室に着くまでの道でその文章を言い続けるようにしました。このおかげで語彙力が高まったと思います。また、電車やバスに乗っている時はせっかく韓国にいるのだからとスマホをずっと見るよりは外の看板や車内の広告の韓国語をずっと読んでいました。最初はわからない言葉ばかりでそれもすぐにネットや翻訳アプリで調べていましたが、よく使うバスや道にあるものは何度も目に入るため、自分の周りのものがどんどん理解できるようになっていくことがうれしかったです。これは視界に流れていく文字を読むため、韓国語をすばやく読む練習にもなっていたと思います。
テスト期間は毎日図書館に行って夜まで勉強をしました。大学の図書館は24時間開いており、図書館カフェやいつもは門限のある寮もテスト期間は門限がなくなったり営業時間を延ばしたりしていました。学校も無料で食べ物を配り、フードトラックなども設置したりと学校全体で勉強する大学生を応援しているような雰囲気があり、自分のやる気につながりました。
夏休みはソウル、慶州、大邱など韓国国内を旅行したり、学校生活で忙しかったので行けてなかった釜山の気になるお店などに行くことができました。お店での注文や店員さんとの会話も留学初期より自信をもって話すことができて、一学期の勉強の成果を感じることができました。また、夏休みに日本から友達と家族が来てくれた時は自分のおすすめの場所に連れていくことができたり、再び行く場所でも初めて行った時よりスムーズに友達や家族を案内できて韓国語の成長はもちろん、釜山の土地感や韓国の文化などにも詳しくなっていることを認識することができました。夏休みは韓国人の友達はそれぞれ実家に戻ったり、他の国籍の友達も半年留学の人は母国に帰ったりと寮にはほとんど人がいない寂しい時期でした。学校も終わり、自然と韓国語を話す機会が減ってしまったため、まだ釜山に残っている友達を誘って出かけたり、なるべく外に出るようにしました。毎日予定があって忙しかったですが、夏休み中の勉強も隙間時間でやるように意識ができたため、自分には忙しいほうが合ってることもこの期間に知ることができました。充実した夏休みを過ごせたと思います。
二学期はほとんどの時間を韓国人の友達と過ごしました。その子とは一学期の英語の授業で知り合い、日本語が話せないため会話はすべて韓国語でした。ご飯を食べるとき、図書室や休憩室で勉強をするときもずっと一緒でした。一学期から仲が良く、二学期でその子は日本語に興味を持ってくれて授業も日本語の授業をとっていました。一緒に勉強するときは私は韓国語や韓国の文化の勉強をし、その子は日本語の勉強をしてお互いの言語で分からないことを聞き合いながら勉強しました。最初は文法、発音、文字の書き方を質問されても韓国語でどうやって説明したらいいのか自分の韓国語の実力も足りなくて翻訳機を使いながら実際にノートに書いたり身振り手振りをしたりして伝えていました。他の国の人から見る日本語の不思議な部分や自分では意識していない日本語の文法など韓国語だけでなく日本語の面白さや韓国語との違いを感じることができました。とても面白い経験ができたと思います。言語を教え合うときは生活で必要な韓国語ではなく、勉強で使う韓国語を学べて語彙力が上がることにもつながったと思います。友達が理解できるように説明できたときや以前よりレベルの高い韓国語の質問ができたときに自分の成長を感じました。一緒に勉強をする仲間ができてより一生懸命勉強ができたと思います。
学校外では様々な活動に参加しましたがその中で日韓夫婦の子どもたちに日本語を教えるボランティアに一年間参加したことが一番印象深いです。もともと子どもたちと遊ぶことが好きで興味を持ち、参加を決めました。活動は一か月に2回で私は幼稚園生の子どもの担当でした。一緒に折り紙やかるた、工作や絵本を読むなど子どもたちと楽しく遊ぶことができました。日韓夫婦の子供だからこそ日本語や日本文化の学習の難しさを知りました。また、日本語、韓国語、英語など様々な言語を習得して話せる子どもたちがいることにとても驚きました。貴重な経験ができて1年間続けて良かったと思っています。
韓国への一年間の留学で韓国語の実力も精神的にも成長できたと思います。「絶対に留学をいいものにする」という気持ちを忘れずに一年間を駆け抜けることができました。最初は人に道を聞かれても答えられなかったり、聞き返したときに迷惑そうな顔をされてしまったりとたくさんの悔しい経験がありましたが、優しい友達や先生がいたからこそその人たちだけには怖がらずに話そうと挑戦できました。日本にいる家族や友達にも本当にたくさん支えてもらいました。留学中の当時は勉強が大変で忙しかったけれど、今考えれば自分の興味あることに集中して勉強できる貴重な時間だったと感じています。自分も頑張ったら話せるようになれるんだという体験をして言語の勉強の楽しさを感じることができました。これからもこの留学で出会った人たちや経験を大切にして努力し続けたいです。
私は、英語と中国語を学ぶプログラムで8月末〜1月初旬の半年間留学していました。今回、この半年間での体験を生活、食事、学習の3つの項目に分けて述べたいと思います。
最初に、生活面について述べたいと思います。台湾に留学する前、不安な気持ちでいっぱいでした。しかし、現地の空港に到着して不安な気持ちから、今後の台湾での生活への期待の気持ちでいっぱいでした。
入国審査後、淡江大学の学生スタッフの方々がお迎えにきてくださり、その後はバスで寮まで移動しました。私達の寮は麗澤寮です。もし淡江大学に留学するなら、同じ寮になると思います。寮には、日本人、台湾人、ベトナム人、インドネシア人がいます。部屋はちょうど良いスペースで綺麗です。勉強机の上に小物置き、さらに階段つきベッド、左にクローゼットがあります。ベッドの階段はとても細いので注意して上るようにしてください。寝具に関しては、留学前に各自淡江大学のラインから送られる申込フォームから注文した方がいいです。私は、その注文を忘れて当日寝具を購入しました。値段がやすいので事前に購入することをおすすめします。また、部屋の中にはチャージ式のエアコンがあるのですが冷房しかつかないので冬の際は寒さに弱い方は注意が必要です。
ルームメイトは、ベトナム人と日本人でした。しかし、ルームメイトとのトラブルもあり留学の中盤で部屋チェンジをしました。部屋チェンジは、寮の管理者の人に伝えると変更することができます。なので、ルームメイトとトラブルがある際は我慢せず管理者の人に相談して解決してもらいましょう。部屋は、インドネシア人の子達の部屋でした。そのインドネシア人の子達とは、部屋をチェンジする前から仲良くしていたので何もトラブルなく過ごせました。さらに、以前よりもインドネシア人の子達と交流する機会が増えました。彼らとはほとんど毎日食事しに行ったり、ショッピングしたり、観光したりしました。
台湾で留学した中で印象に残ったイベントは台北101でのカウントダウンです。海外のカウントダウンは初めてでとても綺麗で現地の人たちと楽しく年越しできました。皆さんもぜひ体験してほしいです。台湾では食事や買い物をする際、ほとんど現金で決済します。なので、現金は必須なので留学前までに現地で現金を下ろせる環境を作るといいでしょう。
台湾の気候は、8〜11月中旬までは半袖で、それ以降は長袖で生活できるくらいです。私達が住んでた地区は淡水区で台北の北側に位置してます。淡水区は、雨がよく降り、風が強いので折り畳み傘を持って来る際は、強風対策があるのが良いと思います。さらに、北側に位置しているので冬は日本ほどではないですが寒くて10°まで下がるのでウィンドブレーカーやヒートテックを持ってきた方がいいです。
次に、食事面について述べたいと思います。台湾では、自炊文化よりも外食文化な感じでした。しかし、寮の他の留学生の中には寮のキッチンで自炊したりしてる人もいました。値段的にいうと外食とあまり変わらないのでどっちでもいい感じです。台湾の料理はとても美味しいと思います。しかし、八角が苦手な方はルーローハンや牛肉麺などの料理は厳しいと思います。私は、最初の頃は八角料理を食べることができましたが数週間ぐらい経つと突然食べれなくなりました。
そこで今回、八角が苦手な方でも食べれる行きつけの店を2店紹介します。一つ目は、董家炒飯です。そのお店は、チャーハンが美味しいお店です。私のおすすめは、キムチチャーハン、カレーチャーハン、あんかけご飯と麻婆豆腐です。キムチチャーハンと麻婆豆腐は辛いので辛いのが好きな人は食べてみてください。また、チャーハンは量が多いのでそれだけでお腹いっぱいになります。お値段は、チャーハン類は380円くらいで、麻婆豆腐類は、570円くらいでお手ごろな値段です。お店の人も親切な人なのでとても行きやすかったです。
2つ目は、哈焿大師淡水肉羹 肉焿湯 魯肉飯おという店です。そこは、ルーローハンはもちろんのこと、スープや麺や副菜などのメニューが豊富な店です。私は、八角苦手なので汁なし水餃子麺や水餃子スープ、ほうれん草の煮物、ブタのしゃぶしゃぶ系の料理などを主に食べました。この店も値段が安く、しかもラインペイで支払えるのでとても良かったです。
また、台湾にはドリンク屋さんがたくさんあります。私がよく行っていたのは、心田という店です。私は、パイナップルが好きなのでパイナップルジュースを良く注文してました。その店には、カットフルーツも売ってるところもあるのでフルーツ好きにはおすすめです。それらの店は、寮の近くにあるので興味がある方は行ってみてください。
3つ目に、学習面について述べたいと思います。まず現地に到着した際、余裕がある時でいいのでシラバスをみた方がいいと思います。なぜなら、淡江大学の履修登録は早いもの勝ちに決まってしまうからです。授業の中には、人気の科目もあるので定員が埋まると登録できず、その授業をとっている誰かがドロップするのを待たなくてはいけません。なので、早めにシラバスをみて履修したい授業を決めるといいと思います。
私は、英語と中国語のプログラムですが授業は9割型英語の授業をとりました。英語で履修した科目は、経済系と経営系、国際系です。最初は、聞き取ることが難しかったですが、徐々に聞き取れるようになりました。私は授業についていくのに必死だったため、授業の復習に力を入れなんとかついていくことができました。授業自体は、麗澤と似た感じのディスカッションなどのグループワークが主でした。成績評価は、中間、期末のテストかレポート、もしくはプレゼンテーション、出席点、積極性(授業での挙手など)などがメインでした。授業の中には、積極性重視のものもあるので授業で積極的に挙手するといいと思います。
中国語で履修した科目は、夜に行われる中国語の授業です。それは、中国語で中国語のリスニング力とスピーキング力を伸ばす授業です。レベルは、1、2、3、4の4レベル構成でレベルの振り分けは授業前に受ける中国語プレースメンステストの結果で振り分けられます。しかし、テストの結果でレベル分けされますが結果よりも上のレベルの授業を取ることもできます。私のおすすめはテスト結果がでた際、一度その授業を受けてみて簡単だなと思えば上のレベルを取るなり難しいと思えばレベル下げるのがいいと思います。夜の中国語の授業は、とても楽しいので履修することをおすすめします。
最後に、私はこの留学を通して英語力、中国語力、異文化理解能力が向上したと思います。英語力は、日々ルームメイトのインドネシア人の子達と食事や外出したり、部屋の中で雑談したり、大学の授業を受けたりして向上させました。中国語力は、中国語の授業や日々飲食店などで注文したりして向上させました。異文化理解能力は、授業で学んだものや日常生活をしてるうちに自然と向上しました。授業では、経済、経営、国際系を履修し、以前よりもそれらの分野へ興味を持ちました。私は、この半年間で辛いこともありましたがなんとか乗り越え楽しい留学になりました。
西安外国語大学への留学の決め手は、友達との相談からでした。自自分は初め、台湾に留学に行く意志のほうが強かったです。今考えてみると、大きな理由はなかったです。コロナ明けで、西安に渡る学生も少なく、留学説明会では台湾の大学についてのみの紹介で、留学先の大学について知ることが出来て何より台湾に興味があったからだと思います。ですが2024年度の春学期から、西安外国語大学に留学を引き受けてもらえる知らせを聞いたときは、正直とても嬉しかったです。それから、天津から麗澤大学に留学に来ている友達に相談をしました。西安には行ったこともなく、未知の場所だったので、西安に行こうか台湾に行こうか毎日考えていました。友達には、西安も台湾はどちらも行く価値があるけど、西安は歴史も長く文化も豊富で、台湾も楽しいかもしれないけれど西安に行くべきだとアドバイスをもらいました。そのアドバイスをもらったとき、その一瞬で西安に行こうと決めました。中国には家族がいてよく帰っていましたが、西安には初めて渡るので正直不安が大きかったです。でもその分期待も大きかったです。一番不安だったことは、勉強に付いていくことよりも西安での生活に慣れることができるかどうかでした。
西安に渡る当日は、飛行機も順調で無事に到着することが出来ました。その日は、西安外国語大学の先生に空港まで迎えに来てもらい、時間も少し遅かったため直接学校の寮に向かいました。西安に行く前から大学の寮がどんな感じなのかとても楽しみにしていました。なぜなら学校の寮で生活することが人生初めての体験だということ、それに加えてベッドが二段のような形で、上にベッドがあって下に勉強机があると友達から聞いていたからです。寮に到着したときは想像していたよりも古かったのと部屋に入ってから気が付いたことがあって、それはベッドと勉強机が分かれていることです。少し残念でしたが、やっと自分の部屋にたどり着くことができたのと、一緒に西安に留学に行った友達とも同室で安心しました。西安に来る前は寮の外観や部屋がどのような感じなのかわからなかったので、やっと自分の目で見ることが出来て嬉しかったです。
クラス分けテストまでまだ3日ほどあったので、学校の周りで日用品など必要なものを買いに行きました。もう一人のルームメイトは、本科生の留学生でした。寮についてからずっとその友達に助けてもらいました。寮のどこに何があり、学期が始まる前に何を準備しておく必要があるか、日用品はどこで買うべきなのか教えてもらいました。テストまでの数日間は、初めて実家から離れて過ごしていたので、環境が大きく変わって口にするものも変わって、慣れないことが少しあり落ち込むときもありました。それでも西安に留学にきたことは最後に自分で決めたことでもう後戻りはできないので、どうにか慣れないとなと思いました。でも何日か西安で過ごしていくうちにだんだんと慣れていきました。何より周りにいつも友達がいてくれたことが一番の助けでした。
クラステストも受け終わって初めて授業に参加する日は、朝から緊張していました。日本で大学に通っていたときは、みんな日本の友達ばかりで、初めていろんな国々の学生と授業を受けるので緊張していた半面とても楽しみにしていました。初めて教室に足を踏み入れた日は今でもよく覚えています。何人かの学生が教室にいて自分が入ってすぐにその子たちが、どこから来たの?と聞いてくれて緊張もすぐに緩みました。授業中はみんな意欲的に意見を発表するので、自分はその活発な授業の雰囲気が大好きでした。先生たちも教え方にひとりひとり個性が出ていて、毎日学校に行くことが楽しみでした。自分はいつも授業が終わると友達たちとお昼を食べによくとなりにある陝西師範大学の食堂へ行っていました。陝西師範大学の食堂は西安外大よりも大きくて、料理の種類も豊富で飽きにくいのでほぼ毎日のように友達と行っていました。
西安外国語大学の授業は毎日午前中のみで、朝の8:20からお昼の12:00までだったので午後は基本授業がなかったです。午後に中国の歴史文化に関する座学の授業と文化授業が週にそれぞれ1回ずつあってそれ以外の日の午後は自由に過ごしていました。自由な時間を使って、留学先の友達たちも一緒に近くの観光地に行ったり、教室に行って自習をしたりしました。午前中に授業で使っていた教室は午後になるとほとんど自習室として自由に使えるのでとても快適でした。自分は部屋で自習するよりも、教室で自習するほうが好きでした。
文化授業では習字と国画のクラスを毎週交互にやっていました。国画は水彩画と異なっていて、色を作るときに絵の具と水の量が少しでもズレると自分が想像していた色よりも濃くなったり薄くなったりしてしまうので毎回のクラスでひとつの作品を時間内に完成させることは難しかったのですが、毎回違うテーマに沿って絵を自分で自由に描いていくので楽しかったです。
自分には春学期のときから仲良くなった友達が2人います。ひとりは同じクラスの友達で、もうひとりは自分が参加していた文化授業で同じクラスだった友達です。中国語クラスは一緒ではありませんでしたが、文化授業のときに一緒に話をしたり、西安の朝市にも一緒に行ったりしました。西安の朝市は有名で、いろいろなところで朝早くから開いていました。5,6月頃に
友達たちと週末に朝早起きをして、よく一緒に行っていました。朝は涼しくて、空気も澄んでいて、西安の朝が好きでした。朝市では、果物や野菜の他に西安のソウルフードの屋台もたくさん開いていました。友達たちとそれぞれ食べたいものを買って、そのあとにベンチで買ったものを並べてみんなと一緒に食べていました。また西安に遊びに行くときに朝早起きして行きたいと思います。
春学期のときに、自分は5班のクラスで勉強していました。クラスの人数は多すぎず少なすぎずの18人くらいでした。クラスの友達はみんな個性が溢れていて、一緒にいて楽しかったです。みんなフレンドリーで教室以外でも、寮などで会ったときもよく話をしたり、ときどき一緒に出かけたりもしました。学期がそろそろ終わりを迎えるときにも、よくクラスのみんなとごはんを食べに行ったりカラオケに行ったりしました。どれも自分にとっていい思い出ばかりです。
夏休みがそろそろ終わる頃にまた西安に戻りました。夏休み中に秋学期が始まる前に寮の引っ越しが必要というお知らせが来ていたので、学校に戻った次の日から引っ越しをしました。荷物も多かったので何回も行き来する必要があって結構大変でした。
秋学期からは春学期よりも1つ上の6班のクラスに移動しました。授業の内容も2,3段階くらい難しくなったような気がして、最初から授業に付いていくことが少し大変でした。でも新しいことをたくさん教えてもらっていたので、無駄にしないよう努力したいと思いました。特に難しくなったのはリーディングクラスでした。日頃あまりよく使わないような単語が多かったからだと思います。
秋学期からは、午後に古代文学クラスと文化授業に参加していました。古代文学クラスでは、古代からの文字の進化や詩人について、中国文化について織り交ぜながら教えてもらいました。日本で生活していて、今まで中国の古代文学について学んだことがなかったのでとてもいい機会でした。
文化授業は、春学期とは違い舞踊クラスに参加しました。授業では≪踏歌≫という、足で地面を思いっきり踏む動作が特徴の舞踊を習いました。ひとつひとつの動作がしなやかで動作を覚えることが難しかったです。それでも、自分は踊ることが好きなので少しずつ楽しいなと感じるようになりました。学期の集大成としてスピーチコンテストなどで舞踊を披露することもありました。仲の良い友達と授業も一緒に参加できて、一緒に舞台に上がることもできてとても嬉しかったです。とてもいい体験になりました。
西安外国語大学にいたときに、一年を通してたくさんの活動に参加しました。春学期には、運動会や文化体験会があり、秋学期には西安の城壁に上ったり、兵馬俑を見に行ったり、大晦日の夜に留学生や先生方と一緒に餃子を作ったりもしました。
秋学期にも仲の良い友達が1人できました。その友達も一緒で5人の友達とよく公園に行って夕日を見たり、西安の串焼きを食べに行ったりしました。友達とは夜に運動としてよく一緒に陝西師範大学の運動場に行ってバトミントンもしました。運動場が広く、コートの数も多くて、夜になるといつもよく賑わっています。
ここまで自分が西安外国語大学で体験したことを載せましたが、この留学生活を通して感じたことを話そうと思います。
体験記の初めのほうには、西安に到着してから数日間早く帰りたいと感じることがときどきありました。ですが西安でみんなと過ごしていくうちにそんな考えはいつの間にかどこかへ消えました。今でもよく留学期間のことを思い返すときがよくあって、写真を見返すのですが、思い出の写真がたくさんあって、2024年の写真は今まで人生で一番たくさんのひとと出会い、有意義で濃い一年だと気づかされます。西安で過ごしていて、自分にも少し変化があったなと思います。やらずに後悔するよりも、やって後悔するほうがいいという考えを持って、何か試してみたいことがあったら何でも試してみる必要があるという意識を持つようになりました。これはすべて西安で出会った友達や先生方のおかげです。留学先の学校に西安外国語大学を選んだことは正しい決断でした。
中国語が上達したり、文化について触れることができたりしたのもそうなんですが、自分がこの留学生活を通して一番こころに残っていることは、大切な友達に出会えたことです。友達にはたくさん助けてもらったり、学ぶこともたくさんあったりしました。とても幸せな留学生活でした。自分が西安を離れるときはもちろん悲しかったのですが、そよりも友達を見送るときのほうがずっと悲しかったです。また会えることを願いたいです。きっとこれからの人生で辛いことに向き合うことがあると思います。そのときに留学での思い出を思い返して自分を元気づけたいです。
入学当初、「アメリカに留学へ行く」そんな思いを抱いていた私は、ヨーロッパへの留学は視野にすら入っていませんでした。しかし、なぜそんな私がオランダへの留学を決めたかというと、理由は3つあります。1つ目は、グローバル化が進む今、自分が将来、海外事業に携わった際に、必ずしもネイティブだけとコミュニケーションをとること、英語圏への出向はないだろうと思ったからです。英語圏以外では、母国語を英語に持たない者同士、どのようにコミュニケーションをとるのかを学びたいという想いからオランダへの留学を決めました。2つ目は、オランダは子供の幸福度ランキングが高い水準を誇っているからです。少子高齢化が進む日本社会は、高齢化対策ばかりに目を向けており、少子化対策が疎かになっているのではないのかと思い、社会学を専攻することはできないが、現地の先生や現地の人との関わりから、なぜ高いのか、日本に足りない事はなんなのか見えてくると思ったからです。3つ目は、ヨーロッパ周遊が容易にできるという点です。Fontysは、ドイツとの国境沿いに位置しており、またベルギーも近いことからすぐに国境を越えることができます。旅行を通して、新たな発見ができるといいなと思い、オランダへの留学を決断しました。
オランダへの留学前、ずっとアメリカに憧れを抱いていたため、この選択は正しいのかとギリギリまで悩んでいました。また、正直、ヨーロッパの文化について知識もなかったので、本当にヨーロッパに行くのか?オランダってどんな国なのか?多くの疑問、不安、好奇心を抱きながら出発しました。実際に留学が始まり、世界中から来る交換留学生と関わる中で世界を旅している気分でした。毎日いろんな言語が飛び交っていて、英語だけではなく、お互いの母国語、文化を学びたいという姿勢が全員にあり、多くのことを学ぶことができました。Fontys応用科学大学には交換留学生・現地学生が交流できるGlobal loungeがあり、週に1回ほどイベントを開催しています。イベントにて多くの友達を作ることができました。
授業では、実践的に英語やBusiness科目を学ぶことができます。特にプロジェクトをする際には、学生だけでグループを決めるなど、能動的に行動する機会が日本に比べて多いです。自分の意見を伝えること、相手の意見を受け入れること、グループワークを通して英語、学問だけでなく、チームワークはどういうことかを学ぶことができました。異文化の中で生活をし、戸惑いやトラブルもありましたが、それが自分を大きく成長させてくれたなと思います。
私は、ヨーロッパ留学の醍醐味はヨーロッパを周遊することができる点だと思います。想像していた倍、自分と向き合う時間が増え、家にいる時間も多かったです。そのため、1〜2週間程度の休みや夏休みを利用し、15ヵ国旅をすることができました。旅はただ楽しむだけと思われるかもしれませんが、旅の時には意外なハプニングが多く起こり、起こったことに対してどう柔軟に対応するか、ハプニングを回避するための計画性、その他にも多くのスキルが旅を通して身についたと思います。留学に行く前から北欧文化に興味があり、北欧周遊を目標にしていました。人生初めての一人旅がスウェーデンとなり、最初は1人で海外を旅することに不安がありましたが、不安なんてかき消してくれるくらいの景色、文化に出会うことができ、一生忘れられない思い出になりました。北から南までヨーロッパを旅し、SNSでは得られることのできない現地で見た・感じたからこそ分かることの多くを吸収することができ、今後の人生に活かしていきたいと思います。今回の留学期間中の旅は一生の財産になりそうです。
今回の留学を通して、学んだことは主に2点あります。1点目は、オープンでいることの大切さです。私自身、前期はオープンマインドで交換留学生と接することができず、友達を作るのに凄く時間がかかってしましました。後期は、常にオープンマインドでいることを意識した結果、多くの人と関わることができ、いろんな価値観を伝え合う時間が増え、自分のマインドがどんどん変わっていくことができました。また、オランダはコミュニケーションのスタイルがとてもダイレクトであり、率直で明確なコミュニケーションが重視されることで誤解が生じにくく、自然とオープンである環境ができているため、多様なバックグラウンドを持つ人々が共存しやすいのだなと思いました。2点目は、行動することの大切さです。前期は、家の中に引きこもってしまうことが多く、今振り返ると、せっかくのチャンスを逃していたのかもしれないと思います。後期は後悔しないようにとにかく自分からアクションを起こしたり、外出の機会を増やしたりしました。その結果、たまたま訪れたVVV-Venloの試合時に日本に興味があり、旅行に行く予定のある現地の方と繋がりを持つことができ、家にも招待してもらいました。オープンマインドで行動し続ける、この2点、想像もしていなかった出会いや経験を通じて、自分の価値観が揺さぶられ、新しい視点を持つことで、より柔軟に、より深く物事を考えられるようになりました。この1年間の経験を糧に新しいことに挑戦し、自分の世界を更に広げていきたいです。
私は9月から12月にかけて韓国の釜山外国語大学に留学をしました。韓国は日本の隣国のため気候や街の環境も似ていてとても過ごしやすかったという印象が残っています。この留学生活が始まった当初、今後の留学生活が楽しみという気持ちと現地のことが何も分からず言語にも自信がなかったのでとても不安だったことを覚えています。帰りたいと思うことも多くありましたが、今思うとあっという間の3ヶ月半で、とても充実した留学生活になったと思います。
まず韓国に到着してすぐ生活必需品を揃えに買い物に行きました。慣れない土地での買い物はとても不便で、公共交通機関を利用するにも乗り方や時間など調べるのにも一苦労でした。また、学業面では自分の韓国語レベルに合った授業を履修することができず、履修登録を変更するために何度も国際交流センターに足を運び担当の方に助けていただきました。この履修する授業を考えるのがかなり大変だったことを覚えています。
私は「大学韓国語」「留学生のための韓国語練習」「大学韓国語文法練習」など主に韓国語を学ぶ授業を多く履修しました。私はTOPIKをとっておらず、大学で身につけた韓国語の実力のみで行ったので、授業レベルの振り分けは5段階中下から2番目にしました。ですがそれでもリスニング力が足りず、先生の言っていることを理解するので精一杯でした。その授業内での国籍は日本人、中国人が大半を占めていて、他の国ではウズベキスタン、ロシア、カザフスタン、フィリピンからの留学生がいました。これらの授業では互いの韓国語のレベルが近く、韓国語を学んでいる者同士なので知っている単語や使える文法が同じというのもあり、会話がしやすいと感じました。国籍関係なく全員が韓国語または英語で会話をするため、必ず第二言語で話さなければいけないという場が授業内で設けられているので言語能力が向上したと思います。このような経験は留学したからこそ得られた経験だと思います。
他にもタンデムという授業を2つ履修しました。このタンデムという授業は特に学べることが多いと感じました。この授業は日本語を学ぶ韓国人学生と韓国語を学ぶ日本人学生がペアやグループになり会話をするという授業です。私は韓国語の自信がなかったのでうまく韓国語を話すことができていなかったのですが、それでも韓国の有名な観光地や韓国と日本の文化の違いなどを会話をしているうちに細かく知ることができたと思います。また、タンデムを履修したおかげでそれまで韓国人と関わることができていなかったのがたくさんの韓国人と関わるきっかけとなり、仲良くなることができました。
のびのびサークルという韓日サークルにも参加し、ここでも1対1のペアになって会話するスタディーというものに参加しました。授業のタンデムとは違い2週間でペアを変えるのでたくさんの人と会話をしたと思います。授業のタンデムより相手の韓国人の日本語レベルがN1ではないので気軽に韓国語を話しやすいという印象がありました。どのタンデムでも私の発音が悪く、下手な韓国語でも私が話すのを待ってくれて良い韓国の方と関わることができて良かったと感じました。
授業のタンデムで仲良くなった韓国人と日本人の子とたくさん遊びに行きました。釜山の観光地である海雲台や広安里、南浦、西面などに行きました。これらの観光地は日本人にとっても馴染み深い場所で、街中の多言語案内板以外にお店のメニューも日本語表記があり、過ごしやすい場所だったと思います。中でも私たちが決まって遊びにいくのはボードゲームカフェで日本にはあまり馴染みのない施設ではないかと思います。この施設では韓国のボードゲームがたくさんあってもちろん説明書なども韓国語なので難しかったのですが、韓国人の友達に教えてもらいながらゲームを楽しみました。ボードゲームに慣れていくうちに授業では使わないような単語などを楽しく学ぶことができ、今でもその単語は覚えています。ゲームを楽しむことはもちろんですが単語やどんなゲームが韓国で人気かなどを知ることができるのでとても楽しかったです。
また、韓国の伝統服である韓服を着て甘川文化村を散策したりしました。日本の着物のように外国人から愛されている韓服を体験し華やかで美しい韓服を着ることもやりたいことリストのひとつだったので、経験することができて幸せでした。他にも広安里で行われたドローンショーを見に行ったり、花火大会がちょうど開催される時期だったので花火を見に行ったりもしました。日本の花火大会では花火だけでなく屋台が出店されていて花火だけがメインでくる人は少ないと思いますが、韓国では花火がメインなので屋台もなく人の数がとても多かったので驚きました。友達がたくさんのイベントや遊びに誘ってくれたおかげで韓国ではたくさんのことを経験することができ、本当にありがたかったと思います。
この約3ヶ月半の韓国留学は私1人では絶対に達成できなかったと思います。一緒に行ってずっとそばで励ましてくれた友人や留学前からサポートしてくれた家族、親切な先生方に恵まれたからこそ最後まで楽しく過ごすことができたのだと思います。留学生活を終えてこれらの経験は人生で忘れられない糧となりました。貴重な経験をさせてくださった全ての方々に感謝し、この経験をこれからの学校生活や就職活動でも活かしていきたいと思います。
私は2024年の2月から2025年の1月まで中国の西安外国語大学で交換留学をしていました。この約1年間の留学は私にとって特別な体験でした。
中国に行くこと自体に不安はなく、税関を通ることを不安に思っていたので、税関で何を言っているか聴き取れなかったらどうしようという事しか頭になかったです。無事に税関を通れた後に西安外国語大学からの迎えの車に乗って寮の自分の部屋を案内されたときにこれから留学が始まるんだなと思ったことを覚えています。次の日からは手続きと日用品購入などやることが多く、特に手続きの時は何が必要でお金を払わないといけないのかあやふやですごく不安でした。何とか必要な手続きが終わり、自分の銀行口座を作りやっとWeChatPayを使えるようになった時は便利さに感動しました。
もろもろの手続きが終わり安心できたのもつかの間、すぐに授業が始まります。事前にテストを受けクラス分けされていたので分けられたクラスに行ったのですが、知り合いが1人もおらず、さらには日本人も私しかいなかったので心臓がずっとうるさく、自己紹介の時には頭が真っ白で何を言うべきなのかわからなかったですが、先生がフォローしてくれたりと運がよかったです。最初の1週間は自分のレベルを考えて自分に合うクラスを見定める期間だったので、クラスを変更する子も何人かいたのですが、私は結局変えずに最初に分けられたクラスに決め授業を受けていました。クラスメイトとは最初のころ関わることや会話なども少なかったのですが、だんだんと話すことが増えていきクラスメイトのことを知っていけるのがうれしかったです。授業面に関して教室で行う授業以外に1学期に1度外に出てインタビューをするのですが、私の発音が悪く正しく聞き取ってもらえないことがあったりと自分の課題を発見するとともにクラスメイトとの仲も深まったり楽しい活動の1つでした。
授業には3科目ありそのなかのスピーキングを鍛える授業が私は特に苦手で、というのも私は積極的な性格ではないので自分の意見や考え方を発表するのを苦手に思っていたからです。また、自分にされた質問の理解が誤っていたらどうしよう、使った単語や文法が間違っていたらどうしようなどぐるぐる考えて先生にあてられることに緊張していました。後半になるにつれて大きな進歩ではないですが、少しずつ発表の経験を積むにつれて緊張をしないで発言をできるようになり、スピーキングの先生にスピーキングが進歩したねと言われたときには成長できたことに喜びを感じました。
私たちが住んでいた寮にはほとんどの留学生が住んでおり、1部屋2~3人で国ごとや宗教ごとに部屋割りがされています。私の部屋は3人部屋で3人とも日本人だったのでコミュニケーションなど苦労することは特にありませんでした。その中の1人が本科生の方で、留学当初には本科生の方とお友達に学校周辺を案内してもらったり学校のことに関することを教えてもらったりと大変助かっていました。その方たちのおかげで友達も増え、ご飯を一緒に食べたり、同じ寮の友達の部屋にお邪魔したり逆に友達が遊びに来きたりすれ違ったときに遊びに誘ったりと近く軽いノリで誘えるので日常生活がすごく楽しかったです。
寮内での生活については始めなれないことがやはり多く、特にお風呂に最初抵抗感がありました。湯舟はなく、シャワールームがあり、そこのシャワーが冷たいときと熱いときがあり安定していなかったのと、比較的きれいな方のシャワールームは混むこともあるので注意が必要でした。秋学期には住んでいた寮に中国人学生が住むことになりお引越ししたのでトイレやお風呂事情がガラッと変わり私的には以前より使いやすくなったと感じました。
生活面について中国にいる間は基本的に外食が中心でした。自炊するにもキッチン用品など各自でそろえなければならず、中国の料理がまったく口に合わないというわけではなかったので自炊をすることはほとんどなかったです。学校の周りには飲食店が多いのでそこらへんで食事を済ますことが多かったです。中国のいいところの1つとして物価が安いところです。一食15元前後(300円)で食べるにもかかわらず量も多いので満足感があります。しかし、中国の料理は油が多いのでずっと食べていると疲れてきます。また、中国はネットショッピングやデリバリーサービスが発展しているので雨の日にはデリバリーしてちょっと遠いお店の料理を頼んだり少し特別感があり、雨の日が少し楽しかったです。中国では基本的にお店に行って買うよりもネットショッピングしたほうが安いし選び放題なので、教科書や布団、服などお店で見た雑貨などもいったんネットで調べてネットのほうが安ければお店で買うことを断念することもありました。このように行動することは日本では1回もなかったので中国になじんだ感覚がありました。
友達とは旅行にも行きました。春学期には成都、秋学期には学期終わりに南のほうに旅行しました。自身でホテル予約や飛行機の予約など友達と分担した面もありましたがいろいろな土地に行き文化の違いを肌で感じることができ良い経験になりました。わがままを言えばもっと多くの都市に旅行しておけばよかったと思います。
留学では様々な体験をしました。学校には留学生向けに多くのイベントがあり普段体験できないようなこともできたり、日本語を勉強している中国人の方と交流したり、国も文化も違う方々とかかわることが増え私の視野を広げることができたし、もともと日本国内での事でも緊張することが多かったのですが、留学を経験した後には何とかなるのではないかと不安に思う前に行動してみることも大事だと考えるようになり、すべての面で私自身の成長がありました。今後は留学中に得た語学力をもっと成長させて現状に満足せずに頑張っていきたいです。
私は9月~1月の約4カ月間、台湾の新北市にある淡江大学に留学していました。私は、この留学で初めて台湾に行きました。台湾での楽しく刺激的な留学生活について書いていこうと思います。
まず台湾に到着してから、授業が始まるまでに約2週間と少し時間がありました。履修登録期間には、履修登録のためのお試し授業の期間が1週間程度ありました。すぐに授業が始まると思っていたため、最初は不安な気持ちが多かったです。でも、私たちの担当者であるジェイコブさんにラインで質問などもできるため、分からないことをすぐに聞ける環境があり心強かったです。また、学校の行事や連絡事項もラインで送られてきます。たまに、寮のキッチンが汚れているときや、騒音についての注意喚起も送られてきました。私は、普段からラインを使うことが多かったため、確認しやすくて良かったです。
そして、授業についてです。月曜日と木曜日の18:00~20:00に留学生用の中国語の授業がありました。この授業はレベル分けがされていて、レベルによって授業を受ける曜日が違いました。レベル分け用のテストがあり、クラスが分けられるのですが、自分で上のクラスに行きたい人・下のクラスに行きたい人は行くことができました。また、2つのクラスを受けている人などもいました。
その他の授業は、淡江大学の中文系の人たちと一緒の授業を受けていました。授業は、もちろん全部中国語でした。最初の方は全く聞き取れないし、そもそもの授業の内容が難しくて、とても大変でした。でも、最後の方は聞き取れる単語も出できて少しばかりの成長を感じることができました。それでも、授業の内容を完全に理解することはできませんでした。
そこで、どのようにテストを受けていたかについて紹介します。書道の授業では、先生に出されたお題をテストの日に書いていくだけなので、正直中国語が分からなくてもきれいな字を書けばいい点数をもらうことができます。でも、テストの内容を聞き取る必要があります。聞き取れないときは、授業終わりに先生に聞きに行くと「日本からの留学生だ。テストについて教えてあげて。」と近くの生徒に教えてあげるようにと声を掛けてくれました。その他のテストでは、他の生徒と違う問題でレポートを作成したり、事前にテストの問題を教えてくれる先生もいました。どの先生も、とても親切に私たちをサポートしてくれました。また、学生もとても親切でたくさん助けてもらいました。台湾は学生に限らず英語を話せる人が日本よりも多いように感じました。このように、先生や生徒みんなの助けを借りてテストを乗り越えることができました。
次は台湾の生活についてです。上でも書いた通り、台湾の人はとても親切でフレンドリーな人が多いです。また、朝早い電車や夜遅い電車でも元気な人が多いなと感じました。電車やバスは基本的に日本よりも賑やかで電話をしている人や、イヤホンをせずに音を出している人もいました。日本と違い、MRT(電車)では飲食が禁止でした。そして、バスやタクシーの運転はとても荒いです。乗った瞬間に出発するので、お年寄りの方が転んでしまうこともありました。でも、交通費、特にタクシーはとても安くてたくさん使ってしまいました。ウーバーのアプリで簡単に呼べるので、タクシーをうまく使って効率よく移動するといいと思います。
次は、飲食店についてです。私が一番驚いたのは、他のお店で買ったものを持ったままお店に入れることです。飲料店が多くあるので、飲料店で飲み物を買って、ご飯を食べに行くことができるのが楽しかったです。でも、お店に置いてある無料のお茶も甘く、お水にはレモンが入っているレモン水でおいしいです。また、注文方法は紙に記入をして、カウンターに出すものが多かったです。案内された席のQRコードから注文するお店もありました。台湾人はスプーンやお箸などを拭いてから使うようにしていて、私は日本でそのような習慣がなかったので驚きました。値段については、現地の人が行くようなお店は安いけれど、日本食や台北・中山のお店は日本と同じくらいの値段でした。カード支払いができないところが日本より多く、ラインペイを使えるところが多かった印象です。また、夜市では圧倒的に現金支払いが多かったので、現金を持っておいて損はないと思います。
最後に、台湾の天気についてです。台湾は基本的には日本より暖かいです。ですが、淡江大学がある淡水は台湾の中でも最も寒くなるといわれている地域でした。雨がよく降ることや強い風が吹くことでより体感温度は寒く感じられると思います。それでも、本格的に寒くなったのは12月の中旬くらいでした。それまでは薄い長袖で過ごせるような気候でした。私が暑がりということもありますが、教室は暑く感じることが多く、上着を脱いで半袖で授業を受けることが多かったです。そして、10月11月は台風が多くありました。台湾には台風休暇というものがあって、学生や会社員など関係なく地域ごとで一斉に休みになります。台風が来ているとなると大体20:00に「行政院人事行政総処」というサイトでどの地域が休みになるのかを知ることができます。また、テレビでも知ることができますが、私たちの寮(麗澤寮)にはテレビがなかったためテレビでの確認はできませんでした。もしも調べられなかった場合でも、淡江大学の子が「明日は学校が休みだ~」というようなストーリーをインスタグラムに載せてくれていることもあるので、そこから知ることもできました。
約4カ月間台湾での留学を通して、中国語の勉強はもちろん文化の違いを感じたり様々な貴重な体験をすることができました。4カ月間という時間は本当にあっという間でした。最初は留学するよりも日本で勉強していた方がいいのかなとか、色々と悩むこともあったけれど最後には留学という選択をして、本当に良かったと思えました。忘れられないような思い出をたくさん作ることができて楽しかったです。出会ってくれたみんなに感謝です。