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留学体験記

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リーズ大学

リーズでの留学生活
倉持夏陽
英語・リベラルアーツ専攻2年
2024年2月~3月

   私は、2月15日から3月18日の約4週間の間、イギリスにあるリーズ大学で留学生活を送りました。私が留学先にイギリスを選んだ理由は、イギリスの町並みや文化、特徴的な英語のアクセントに強い憧れがあり、実際に学んでみたいと思ったこと、昔からイギリスのサッカーリーグであるプレミアリーグを見ることが好きで、私の好きなチームであるマンチェスターシティのスタジアムを見に行くことが夢であるという理由からイギリスへの留学を決意しました。 正直なところ、海外に留学することはもちろん、飛行機に乗ることすら初めてだったため、リーズ大学への留学を決めた時は、現地で安全に暮らせるのか、授業についていけるのか不安でした。しかし、今振り返るとリーズでの留学生活は素晴らしい経験であり、私の人生観を大きく変えてくれました。今留学先で迷っている人には、ぜひリーズでの留学をお勧めしたいです。今回は主に学校生活や日常生活、イギリスでの生活で役に立つことをお話ししたいと思います。
   私は、羽田空港からドバイを経由してイギリスのマンチェスター空港に到着し、電車でリーズまで向かいました。初めての飛行機でとても緊張していましたが、同じプログラムに参加する友達と一緒にイギリスに向かったため、特に不安もなく楽しく過ごしながら、向かうことが出来ました。イギリスの空港に着いた時、海外独特のにおいがして「ああ、海外に来たんだな」と実感しました。私は寮生活を選択したので、寮に向かいました。寮についてからは長時間のフライトでとても疲れていて、夜に到着したこともあり、ご飯も食べずにベッドで死んだように眠ってしまったことを思い出します。それから数日後、大学での授業が始まりました。
   今回私はGeneral English Programmeというプログラムに参加し、勉強していました。授業は週5回で月、火、木は午前のクラスと午後のクラスがあり、水、金は午前中のクラスのみでした。午前と午後のクラスでは、特定のトピックを通じて勉強するスタイルで、私がいた時期は主に日本人の方が多かったですが、他にも韓国やサウジアラビアから留学に来ている方と一緒に授業を受けていました。私が授業を受けている中で印象に残ったことは、時間に対する意識の違いです。私は、日本は授業開始時間など時間に厳格なイメージがあったのですが、リーズ大学の授業では授業開始時間より少し遅れて始まったり、授業が白熱していると終わるのが遅れることがあり、日本との時間に対する意識の違いを感じました。また、担任の先生が授業中にイギリスの「Love it or Hate it」というキャッチフレーズで知られる、マーマイトを食べさせてもらったり、ブルーベリーのパイを作ってきてくれたり、イギリスの食べ物や文化を感じることができ、とても嬉しかったです。
   また、大学の主催しているGlobal Cafeというイベントにも参加しました。Global Cafeはクッキーやコーヒーなどを食べながら、様々な国籍の人と話すことが出来るイベントで、今まで知らなかった色々な国の文化や食べ物を知ることが出来て、とても有意義な時間を過ごすことが出来ました。リーズ大学に留学する際にはぜひ参加してみてください。
   次に、日常生活においても様々なことを体験しました。私は寮生活を選択したため、Clarence Dock Villageという寮で暮らしていました。寮での生活では、英語での会話が上手くいかず、くじけそうになったり、イギリスの洗濯機が特殊で洗濯に苦戦したり、水道が故障してしまうなど大変なこともありましたが、寮のフラットメイトや管理人の方がとても優しく親切な人であったため、相談したり協力してもらい、乗り切ることが出来ました。また、今まで一人暮らしをしたことがなかったため、家事や自炊の大変さを痛感し、これから家ではさらに積極的に家事や料理をしようと決意しました。
   また、毎週週末は必ずどこかに旅行しようと決めていて、実際にヨーク、マンチェスター、リヴァプール、ロンドンに行きました。どれもイギリス国内の町ですが、それぞれの町に異なる雰囲気や素晴らしい町並みが広がっていて、どの町での経験も忘れられない思い出になりました。ちなみになのですが、イギリスからヨーロッパの国々には、安価で旅行しやすいため、イギリス国内だけでなく、他のヨーロッパの国々にも旅行するのもいいかもしれません。私は行っていないのですが、実際に私の友達はフランスやドイツに旅行していました。
最後にイギリスの生活で役に立つことなのですが、主に二つのことについてお話しようと思います。
一つ目は、イギリスでの支払い方法についてです。イギリスでは、日本よりキャッシュレス化が進んでおり、例えばイギリスの多くのスーパーではクレジットカード決済専用の機械が多く置いてあり、私の経験上何を買うにもほぼクレジットカードを使って決済をしていました。もちろん現金を使って買うこともできるのですが、クレジットカードを使ったほうが、便利で素早く決済出来るため、クレジットカードやデビットカードを持っていくことをおすすめします。また、私は使う予定のカードが突然磁気不良か何かで使えないというトラブルがあったので、念のためにもう一枚スペアとしてカードを持ってきた方が良いと思います。
   二つ目は、治安についてです。私がリーズで過ごしてみて、比較的治安が良く安全な街だというイメージがありますが、夜になると少し危険だと思うので夜遅くに移動する場合は、Uberタクシーなど使えば安全に移動できると思います。また、ロンドンなど主要な都市になってくるとスリやひったくりが多くなるため、注意が必要だと思います。実際に授業で知り合った友達は、ロンドンでスマートフォンを盗まれてしまったそうなので、盗まれないように工夫をすることが大切だと思います。
   今回の留学を通して、英語を学ぶことはもちろん、さらにイギリスの食文化や歴史に触れたことで私の知見を深め、視野を広げることが出来ました。また、慣れない異国の地で生活した経験は自分の自信になり、同時に適応力や忍耐力を培うことに繋がりました。今回は四週間と短い期間でしたが、毎日が楽しく充実したとても実りある留学生活でした。また行く機会があれば長期間滞在したいです。今回の留学に関わり、支えてくださった教職員の皆様や家族、リーズで出会った方々に感謝し、今回の留学で得た経験を今後の自分に生かしていけるように頑張りたいと思います。

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ラングポーツ語学学校

オーストラリア留学を終えて
小林菜桜
英語コミュニケーション専攻2年
2024年2月~3月

   私は、春休み期間の1月26日から3月10日までの6週間を利用し、初の海外留学を経験させていただきました。6週間という短い期間ではありましたが、たくさんのことを経験し、日本とは一味違う環境からの学び、成長を感じることができたので、思い出と共にそれらを綴りたいと思います。
 英語圏の国での生活、人々との関わり方への強い憧れから、いつかは留学を経験したいと思っていましたが、「自分の英語力が留学先で通用するのか」「人種差別にあったらどうしたらいいのか」などの不安が留学へ挑戦したいという気持ちより上回ってしまっていたので、大学での留学プログラムへなかなか応募することができずに2年の秋を迎えてしまいました。その頃、ラングポーツ校への短期留学募集の張り紙を見つけました。綺麗なビーチ、楽しそうな他の生徒たちの姿が映った写真に惹かれ、親や友達、担任の先生の助言もあり、ここで勇気を出さなかったら後悔すると思い、6週間のプログラムへ申し込むことに決めました。
 人生初めての1人渡航ということもあり、出発前は緊張しながらも準備を進め、期待をも背負って出発しました。27日、無事にブリスベン空港に到着、ホストファミリーの待つBurleigh Waterへと向かいました。ホストファミリー宅のインターフォンを押すとき、どんな方が迎えてくれるのだろうとどきどきでした。私を迎えてくれたホストマザー、シスターの口から聞こえたのはイギリス英語。スコットランド出身の家族でした。ステイ先では、慣れていない環境の中で、イギリス英語の聞き取り、間違って伝わらないように言葉を選んで慎重に自分の意思をしっかり伝える、この2つに初日から苦戦しました。
 到着2日後の月曜日から学校は始まりました。家からバスとLight Railで30分、Surfers Paradiseにある学校へ毎日8時半に通いました。初日にはテストを受け、その結果によってクラスが振り分けられました。毎週金曜には卒業生、月曜には新入生が入ってくるので、固定というよりは毎週違った生徒と関わることができたのが、とても新鮮で楽しかったです。学校には、さまざまな国の出身の人たちがいました。一限目のクラスでは、文法からスピーキングまで全ての分野を勉強しましたが、そのクラスで驚いたことが一つあります。文法問題を解いていた際、クラスで息継ぎもしないくらいのペースで発言している他の生徒たちの回答がはちゃめちゃだったことです。どうして文法を理解しきっていないのにスラスラ話せるのだろう。私はすごく疑問に思いました。クラスのブラジル人の友達に国での勉強法を尋ねたところ、学校はとにかく会話をメインに学習をさせると教えてくれました。私の場合、日本では単語、文法をメインに学習をしてきたため、スピーキング力は一番低いところにあります。同じ英語を学びにきて、同じクラスにいるのにも関わらずクラスメイトとのスピーキング力の差に打ちのめされましたが、私は文法力を強みに、クラスの子たちと切磋琢磨し、お互いの足りないスキルを伸ばそうと努力しました。耳を生きている英語に慣れさせること、独り言でも英語を使って話してみること、人の話し方を真似すること、これが私のやっていたことです。
 街では、人々は皆優しく、寛容でした。これが、私が一番好きなオーストラリアのポイントです。特にアパレルショップでは、店員さんは100%笑顔で話しかけてくれます。着ている服を褒めてくれたり、ショッピングを助けてくれたり。ある女性の店員さんとはその日履いていたスニーカーがたまたま同じで、レジで声をかけてくれました。写真も一緒に撮らせてもらい、国を超えても女の子が好きなものは同じなんだと、とても嬉しく思わせてくれました。毎日通っていた家からバス停までの道では、工事現場の作業員の方が毎朝挨拶をしてくれました。たまに、着ていた服を褒めてくれたり、学校のことを聞いてくれたり、何気ない短い会話でしたが、私にとっては現地の人と関われる貴重な機会でした。飲食店では、皆笑顔で、店員さん同士で話していたり、お客さんと会話を楽しんでいたり。自由で楽しそうに仕事をしていて、とても羨ましいと感じました。
 新しい地で生活することはとても楽しかったですが、やはり日本には敵わないなと思った部分がいくつかあります。それは食事、お風呂、交通機関です。毎日向こうの食事を食べていると日本食が恋しいと思うことがたくさんありました。日本料理屋さんはありますがやはり値段が張るので、パックご飯やふりかけ、インスタント類など持ち込めるものはたくさん持ち込むといいと思いました。お風呂については、水が貴重な国なのもあってホームステイ先では少し気を使いました。年中暑いのでお湯に浸かる文化もないため、日本人の私にとってはリラックスできる機会が減ってしまっていました。また、私が通学に利用していたバスは、時刻表通りの時間に来たことはなく、早く行ってしまうか、遅く来るか、来ないかでした。毎日違う時間にくるので、学校に遅刻しそうになったことが何度かありましたが、慣れでそれを考慮した上で行動できるようになりました。こういった経験から、やはり日本は素晴らしい国だと帰国してからも感じています。
 私が経験させてもらった6週間、はっきり言ってこれだけではまだまだ足りないです。というのも、新しい環境に慣れ、適応できるようになるまで1ヶ月はかかったからです。最初はもちろん緊張して全力で楽しむことはできませんでした。しかし、三週目くらいからは、学校の人たちとはより近くなれたし、ホストファミリーとの会話も弾むようになりました。初めの頃、ファミリーは毎日の出来事を尋ねてくれて、会話をする機会を作ってくれました。気づいた頃には、イギリス英語にも少し慣れ、自分の英語も聞き取ってもらえるようになりました。自分から出来事を話すようになっていて、ファミリーに尋ねるようになりました。学校、街中、観光地などでたくさんの人たちとの出会いがあって、様々なことを英語を通して学ぶことができてとてもいい経験になりました。帰国する頃には、まだまだこれからだったな。とオーストラリアを離れるのが残念でした。この経験を今後の英語学習にも活かし、長期留学にも挑戦してみたいと考えています。

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ラングポーツ語学学校

オーストラリアでの生活
鶴岡汐音
日本学・国際コミュニケーション専攻2年
2024年2月~3月

   LANGPORTSに留学中の国際学部JIC専攻2年の鶴岡汐音です。アーストラリアでの生活に慣れてきたタイミングで、こちらの生活についてお話したいと思います。
   まず、学校生活についてです。私の通っているLANGPORTSという学校では、英語を母国語としない外国人が集まって英語を勉強しています。はじめはスイスやスペイン、様々な国籍の人が集まっている中、ブラジル人の多さに驚きました。登校初日はこれからの学校生活についての説明、学校周辺の散策や、プレースメントテストというクラス分けテストを行いました。平日は、8時半から13時までの授業で午後は自由時間となっています。1時間目は英語を総合的に学ぶことができる授業、2時間目は火曜日から金曜日までWriting, Reading, Listening, Speakingと個々に特化した授業が行われています。3時間目はOption classといい、自分で選択できる授業となっています。私はConversationを選択していて、英語を使いながらグループワークやゲームをしています。
   授業の合間に休憩が挟まれているのですが、多くの外国人生徒はおやつを食べています。昼食にも見えるような量とボリュームのおやつなので、最初は驚きました。午後は学校周辺のランチや、ショッピングに行くなど充実した自由時間を過ごせています。他にも放課後や土日にはスクールアクティビティが開催されています。BBQイベントや、映画館鑑賞イベントが開催されていました。また、学校近くの海でのマリンスポーツや水族館へ行くイベントもあり、個別に行くよりも団体料金であることから参加しやすい金額になっていると感じました。中でも、「pub night」という地元のビール工房でのイベントが印象的でした。日本と違い、18歳など早い年齢でお酒が飲める国が多くあるため、多くの学生が参加していました。10種類近くのビールが用意されていて、お店の人が飲みやすいものなど親切に説明してくれました。出国前にある、学校の危機管理セミナーで治安の悪さを十分に教えられていたことから、お酒の場に行くことはないだろうと思っていました。しかし、学校開催ということで、少し安心して参加することが出来ましたし、いい経験になったと思います。
   次に私生活についてです。日本では味わえない様なカラッとした気候ととても綺麗な海を毎日堪能しています。日中はとても暖かく過ごしやすいですが、朝晩は少し肌寒く長袖を何枚か用意しておいた方が良かったかなと思います。私のホームステイ先のファミリーはとても優しく、慣れない生活や拙い英語を話す私を気遣ってくれています。バスのダイヤが乱れて家に帰れなくなってしまった時、近くまで迎えに来てくれたこともありました。ホストファミリーは、オーストラリア人ではなくイギリス人家族だったことから、オーストラリア以外にもイギリスについてたくさん教えてくれました。朝食は、家にあるものを自由に使っていいとされています。パンやシリアル、果物が常に用意されています。平日の昼食は各自で用意し、休日はホストファミリーが支度してくれています。夕飯は基本的に用意してくれいていることになっていて、必要のない時は連絡するようになっています。休日には、ホームステイ先の家にあるプールをホストシスターと一緒に楽しんだりもしました。ホストファミリーとどこかに出かけたことはまだありませんが、食事の時間などで親交が深められていると感じています。他には、語学学校で出会った友達と水族館、動物園やブリスベンにも出かけました。
   私のオーストラリア生活の1番の思い出は、ブリスベンに出かけたことです。ブリスベンは私の滞在していたところから電車とバスを乗り換えて約2時間のところにあります。出発する前は、危機管理セミナーのおかげで知らない土地ということに対してとても恐怖感がありました。正直なところ、危機管理セミナーで植え付けられた恐怖心は生活に慣れた土地でも簡単に拭えるものではありませんでした。今振り返ると,もう少し積極的に何事にも挑戦してみるべきだったと後悔しています。そのため、このブリスベンへ行ったことは私のオーストラリア生活の中で最大の挑戦でした。長距離の移動や慣れない土地にビクビクしている中でも、観光地であったことからおそらく地元住民であろう方が写真撮影に協力してくれたりと、人の優しさに触れることもできました。生活しているゴールドコーストとは違って、都会の町並みが並んでいて、見慣れない景色にドキドキしました。ブリスベンでは、美術館と博物館を訪れました。ブリスベンには無料で入ることができる美術館や博物館が多くありました。その中でも、大規模な近代美術館とクイーンズランド博物館に向かいました。日本では見たことないようなダイナミックな作品を楽しむことができました。ブリスベン旅で特に印象的だったのは、フェリーに乗ってブリスベンの夜景を見たことです。日中とは異なりキラキラとした夜景を見ることができていい経験になったと思います。
   以上が私のオーストラリアでの生活でした。留学が終わってから振り返るともっと色々なことに積極的に挑戦するべきだったなと思っています。海の近くでの滞在だったので、マリンスポーツはやっておくべきだったと少し後悔しています。それ以外は、自分なりに納得する生活が送れていたのではないのかなと思います。オーストラリアを離れる時、慣れない生活で不便に思うことが多い中で出会った新しい友達と離れるのはとても寂しく感じました。語学力を鍛えるのはもちろんのこと、この留学を経験していなかったら、出会うことがないような国籍の友達もたくさん作ることができたことが最大の思い出となっています。様々な交友関係が築けたからこそ、語学力も鍛えることができたのではないかなと思います。積極的に様々な人とコミュニケーションを取ろうとすることが語学力向上のカギになるのかもしれないと気付かされました。

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オレゴン大学

オレゴン大学への留学を振り返って
庄司 基
国際交流・国際協力専攻3年
2023年9月~2024年3月

   私はオレゴン大学に秋タームと冬タームの半年間、留学をしていました。留学を決めた目的は語学力を上げるだけでなく、実際に現地の生活に触れて新たな刺激を得られれば自分自身を変えられるのではないかと思ったためです。大まかに学校の事と日常の事、また終わりに海外留学で気をつけた方が良い事をお話したいと思います。
   まず初めに、学校の事ですが私はオレゴン大学でAEIという留学生専用プログラムで勉強していました。授業は月から木までで一日に3コマ、一コマ80分と麗澤の授業と比べると短いですが全て英語なのでかなり頭を使います。毎日のように課題やテストがあるので、しっかりこなしていく必要があります。特に、私が印象的だったのは一番最後のSpeakingの授業で行ったポスターを使ったプレゼンです。大学のワークショップ、サークル、専門授業をそれぞれ観察しに行き、そこから学んだことを一枚のポスターにして発表しました。それぞれの学生の個性あふれるポスターを見れ、教授や他のクラスの友達も聞きに来てくれたためとても盛り上がりました。
   私のいた時期は日本人が多かったですが、その他には中国、韓国、サウジアラビアから来ている学生もいました。より多くの学生との交流をはかるために私は大学の馬術部に参加したり、様々なイベントを活用していました。その一つがconversation partnerという現地の学生と一対一で話せるもので、英語で話したり、日本語を学んでいる学生に日本語を教えるてあげる事も出来ます。私はこれでメキシコ人の友達が出来ました。イベントは現地の学生と話せるだけでなく、他の大学から来ている学生とも仲良くなれるのでぜひ、参加してほしいです。
   次に日常の事ですが、私はずっとホームステイをしていて、ホストマザーと日本人の留学生2人と暮らしていました。ホストマザーは料理が上手で、私にもレシピを教えてくれました。インドネシアの人だったので、様々なアジア料理を作ってくれて、時々日本料理も出てきました。また、クリスチャンだったため毎週日曜日にはNew Hopeという教会へ連れて行ってくれました。日本の教会のイメージとは違い、かなり明るい雰囲気で、多くの人との交流の場でもあったので私は大好きです。留学生の一人は同じくオレゴン大学に通っていた女の子で、かなり頭が良かったので、たくさんの刺激をもらいました。もう一人は現地の小学校へインターンシップに来ていた女性でお互いに分からない事を相談し合っていました。日本人といるとどうしても日本語で話してしまうため英語が身につかないと考えるかもしれませんが、結局は自分の努力次第かと思います。私は毎日ホストマザーとその日あった事の話をする習慣をつけていました。オレゴンはホームステイと寮のどちらも選べるので自分の生活スタイルにあった方を選んでみてください。
   最後に海外で気を付けるべき事ですが、二つあります。まず一つ目は金銭面です。現金を使う場合はあまり大きすぎるお札は受け付けてもらえません。また、クレジットカードはホームステイ代を払うために上限を引き上げておくといいと思います。二つ目は治安の問題です。オレゴンは比較的治安は良いとされていますが、駅周辺はホームレスがいたり、ドラッグの匂いがします。こういった場所では自分の身は自分で守らなければいけないので、常に危機感を持って行動する事が大切です。
   私はこの6ヶ月で数えきれないほどたくさん学びを得ました。最初は上手くいかなくてくじけそうにもなりましたが、友達や家族そして何より麗澤大学の先生方の支えのおかげで何とかやって来れました。留学を通して自分の価値観や考え方が変化したと実感しています。アメリカは自分と他者が違うからこそ面白いと思える国です。留学は語学を学ぶだけでなく、それ以上に日本にいるだけでは気づけなかった事に気づける機会になります。もし、今留学をするか迷っているのならば私は思い切って一歩踏み出してみてほしいと思います。きっと将来の自分にとっての一生の財産になるはずです。

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ヴッパータール大学

ドイツへの留学を振り返って
熱田悠真
ドイツ語・ヨーロッパ専攻2年
2023年10月~2024年2月

   私はドイツ西部にあるヴッパータール大学に約半年間留学をしていました。今回のドイツ留学が初めての海外生活という事もあり、出発する一カ月ほど前にはすでに変な緊張を感じていました。しかしドイツへの出発が徐々に近づいてくるなか、次第にその謎の緊張は薄れ、代わりに現実感のなさを感じるようになりました。
   出発当日、現実感のないまま空港で友人と合流し飛行機に乗っているときもあまり海外に行くという実感がありませんでした。私のフライトはドバイで乗り換えが必要だったのですが、そこで多くの外国人の姿を見てようやく海外にいるのだと実感しました。ドイツについたときには乗り換えの疲労と、長時間のフライトの疲労でくたくたになっていましたが、ホテルのチェックインの時間が近かったため先に着いていたもう一人の友人と合流し、すぐにホテルに向かいました。電車でホテルへ向かったのですが、駅に入るとすぐに不快な臭いが鼻を突きました。日本であれば異臭騒ぎにでもなりそうな臭いだったと記憶していますが、周りの人たちはそれがあたかも普通のことかのように気にするそぶりも見せず通り過ぎていく様を見て衝撃を受けたのを覚えています。
   二日目はフランクフルトから大学のあるヴッパータールへ向かうことになりました。日本でいう新幹線のような列車を利用して2時間半ほどでヴッパータールまでいけるのですが、フライトの疲労はとれておらず、その時間を異常に長く感じました。やっとの思いで大学の寮まで到着し、様々な手続きを済ませ部屋の掃除や寝具の取り換えなどを行い、疲れた体を休めるためにその日を終えました。
   学校が始まるまでの2週間ほどは何もすることがなく自由に外に出れたので、その間にドイツでの生活に慣れておこうと考えいろいろな場所へ出かけました。最初は初めて見ることだらけで戸惑うことも多かったですが、そんな環境でも慣れてくればなんだかんだで楽しいと感じられるのでつらいと感じることなく生活できていました。また、慣れてくるとドイツに住んでいる人たちの親切さにも気づくことができました。町の人や学校の関係者など接する人全員がやさしかった印象があります。特にスーパーの店員やお店の人は日本にあるような、マニュアル的な接客や優しさではなく、その人本来の親切さからくる接客をしているのではないかと感じることができました。
ドイツでのそんな暇な時間もすぐに終わりをむかえ、授業が始まりました。学校の授業が始まってすぐの頃は、受け答えもグループワークもすべてドイツ語で行う授業にプレッシャーを感じ、ドイツでの生活が少しいやになっていました。留学前の学校で行われた研修で、留学中の気分はジェットコースターのようなものだといわれていたのですが、まさにその通りだと実感しました。気分が落ちる前まではドイツでの生活を楽しめていたのに、一度気分が落ちてしまうと何も楽しめなくなってしまうことを体験して本当につらい期間を過ごしました。しかし、時間がたつにつれていつの間にかこの時間も含めて楽しいと感じることができるようになってきて、自分が少し成長できたように感じられたことがうれしかったです。
   それからの留学生活は非常に早く過ぎていった感覚があります。当時はとても苦しかったですが、今ではあの期間を経験したからこそより楽しい留学にすることができたと考えています。私は学校の授業だけでなく、ドイツ人の学生と日本人の学生が集まって会話をするタンデムにも積極的に参加し異文化交流にも力を入れて取り組みました。その中でも特に印象が残っているのは、タンデムのメンバーで一緒にいったクリスマスマーケットです。全員でまとまってどこかへ行くというのはそれが初めてで、普段はいつも教室の中だけでやり取りをしていたのが、いつもとは違うイベントで会うのが非日常感があって記憶に残っています。残念ながらその日の天気は良くなかったですが、夜だったというのもあって周辺がライトアップされていてとても綺麗でした。そんないつもと違う雰囲気の中で行う異文化交流は人生を豊かにしてくれる非常にいい経験になったと思います。
   それと同じくドイツでの旅行もまた良い経験になったと考えています。ドイツでの観光地にはお城や歴史的建造物が多かった印象で、そういったところを観光しているとそこでの歴史を間近で見ることができて面白かったです。この建物はどういった流れで作られたのか、どのような歴史があるのかを学ぶと自分の中に新しい価値観ができていくような感覚で今まで以上に世界が広がって見えるようになれたと感じました。
   私が行った観光地を一つ例に挙げるとすればバイエルン州にあるノイシュバンシュタイン城が歴史を学ぶのに適していると思います。そこでは場内を見て回れるツアーがあるのですが、そこでは日本人向けに日本語の音声ガイドを貸出していて内容がわかりやすく説明されるのでそこでの歴史を学ぶにはうってつけです。もちろん日本語以外にも音声ガイドの言語を選択できるので、専門的な内容なので難しいと思いますが、歴史よりもドイツ語の聞き取りをしたいという方はぜひチャレンジしてみてください。ただし一つ注意点があり、この城の位置が都市から離れているという点です。私はミュンヘンへ旅行に行ったついでにこの城へ向かったのですが、中央駅から最寄りの駅まで、2時間ほどかかりました。そこから私は城を観光して夢中になって探索しているとあっという間に時間が過ぎて帰る時刻になりましたが、都市部から離れすぎていて、電車が少ないため次の電車に乗れなければ数時間待たなくてはいけないという状況に陥りました。長い時間観光をして歩き疲れていたので早くホテルへ戻って休みたかったために走ってギリギリ間に合いましたが、自分以外の観光客もほぼ全員駆け込み乗車だったのでここへ行く場合はいつも以上に時間に余裕を持って行動するのが大切だと思います。
   今回の留学で様々なことを学べましたが、何よりも自分が成長できたと感じられることが何よりも大きな収穫だと思います。これからも更に自分を成長させられるように日本での生活にこの経験を活かして過ごしていきたいと考えています。

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ラングポーツ語学学校

二度の留学経験を経て
末廣結衣
日本学・国際コミュニケーション専攻2年
2024年2月~3月

   2024年2月2日から3月10日までの5週間オーストラリアに短期留学に行きました。学校は、ゴールドコーストにあるLANGPORTSという語学学校で、滞在先はホームステイでした。私は高校生の頃に一度、学校のプログラムの一環でオーストラリアに2週間ホームステイをした経験があったのですが、そのときとはまた違う体験をすることができました。私の場合、前に行った経験もあり、準備の段階から不安より楽しみの方が大きかったです。
   出発当日、高校生の時は、学校の団体で行ったため、引率の先生がいろいろ手配をしてくれましたが、今回はすべて自分たちで行うということで不安がありました。チェックイン・出国審査・保安検査・搭乗、自分自身でやったことがなく本当にいけるのだろうか、たどり着くのだろうかと不安でいっぱいでした。しかし、同じ出発日の人たちと協力しながら、無事に搭乗までたどり着き、飛行機に乗れた時は、ひとまず安心しました。約8時間35分のフライトは長いようで短く、また夜だった事もあり、寝ているうちにあっという間にブリスベン空港に到着しました。そこからは、到着ロビーに自分の名前のボードを持ったドライバーさんがいて、その人にホストファミリーの家まで送ってもらいました。ホストファミリーの家に行くまでの車の中では、とても緊張していてすごくドキドキしていました。いざ、ホストファミリーの家に着き、対面するとすごく笑顔で私を向かい入れてくれました。私を受け入れてくれた家族は、お母さんと娘さんの2人家族でニュージーランド出身の方でした。以前行った時は、高齢夫婦の家だったのでまた環境が違い、新鮮でした。私のホームステイ先は、ゴールドコーストの郊外にあり、語学学校までは、一時間弱と結構遠かったです。ですが、ホームステイ先の向かいの家にもLANGPORTSに通う日本人の子がいて、その子と毎日登下校していたので、毎日あっという間でした。
   語学学校のLANGPORTSでは、入学した日にテストを受け、その結果をもとにレベル別にクラス分けをします。私が入学した時は、思っていた以上に日本人が多く、その次にブラジル人が多かったです。授業も同じレベルの人で分けられているので、理解しやすかったです。また、外国人は基本的に英語が話せると思っていたのですが、そんな事はなく、私と同じぐらいの英語力でコミュニケーションの難しさを感じました。ですが、最初に比べて少しずつ伝わることが増えていき、国際交流の楽しさを知りました。私は、日本人同士で話すときも英語で話すことを心がけていました。LANGPORTSは放課後のアクティビティも充実していて私も様々なアクティビティに参加しました。1週目は、SkyPointという所に行きました。高い位置から見る海の景色は言葉にならないぐらい綺麗なものでした。また、建物の感じも日本とは違うのでそれも綺麗でした。中には、レストランもあり様々な国の人とご飯を食べながら会話をし、国際交流ができました。
   2週目からはより多くのアクティビティに参加しました。バーベキューをしたり、パブナイトというものにも参加しました。バレンタインの日には、バレンタインの映画を見たりしました。英語の字幕をつけてくれたので、理解しやすかったです。参加したアクティビティの中で一番楽しかったのは、ゴールドコーストの三大テーマパークの1つであるSeaWorldに行ったことです。LANGPORTSのアクティビティということもあり、普通に行くよりも少し安く行くことができました。当日は、あいにくの雨でしたが、一通り見ることができました。最初に見たイルカのショーは迫力が満載でとても感動しました。オーストラリアの水族館は、上からと横から水槽を見ることができるので、いろんな角度から海の生物を見ることができました。また、ジェットコースターなどのアトラクションは、日本の遊園地とは比べものにならないぐらいスリル満点でスピードもありました。私自身、絶叫系が好きなのですごく楽しかったのですが、絶叫系が苦手な友人は怖すぎると言っていました。水族館と遊園地が合体しているのが珍しく、とても楽しかったです。
   アクティビティがない日や参加しないときは、ほとんどと言っていいほどサーファーズパラダイスの海に行きました。足だけつかる時もあれば、水着を着て波に乗ったりもしました。私の住んでいる県には、海がなく今まで海に入ったことがありませんでした。そのため、初めての海というのもあり、最初は少し恐怖心がありましたが、慣れてくると波に乗る楽しさが分かってきました。人生初の海をサーファーズパラダイスの海で経験できて本当に良かったです。
以前行った時は、週末はホストファミリーと一緒に過ごしたのですが、今回は自由だったので、友達と過ごしたりホストファミリーと過ごしたりとまちまちでした。私は、週末を使い動物園やショッピング、ブリスベンに行きました。私が行った動物園は、カランビン・ワイルドライフ自然保護区というところで、日本と違い規模がとても大きくて、開園と同時に入らないと全部回りきれないぐらいの広さでした。また、みたことない動物も多数いて見て回るのがとても楽しかったです。定番のコアラやカンガルーはいろんな区域にいてたくさん見ることができました。オーストラリアで有名のウォンバットの貴重な寝ている姿を見ることができてよかったです。ブリスベンでは、博物館に行ったり、フェリーに乗ったりと朝から夜まで1日過ごしました。ゴールドコーストとは違い、外観が美しい建物や数多くの高層ビルなどがあり、これぞ都会という感じでした。博物館には、無料ゾーンと有料ゾーンがあり、私は無料ゾーンのみ見学しましたが、オーストラリアの動物や歴史・アートなど様々なものが展示されていて、見応えがありました。私たちは、夜にフェリーに乗ったのですが、夜景がとても綺麗で感動しました。また、機会があったらブリスベンに行こうと思います。
   長いようで短かった5週間。5年前と比べて英語力が上がり、様々な人と会話することができました。この留学で一番向上したと思うのは、英語を話す恐怖心がなくなったことです。最後の方には、町中であった人とよく会話をするようになりました。この5週間でペラペラに話せるようになった訳ではないのですが、自分の知っている単語で相手に聞いたり、教えたりとコミュニケーションが取れるようになりました。日本にいるとなかなか英語を話す機会はないと思いますが、外国人観光客がいたら、話しかけてみたり、困っていたら助けたりと日常から使っていこうと思います。この5週間の留学で自分自身も大きく成長できたと思います。この留学をサポートしてくれた家族・友達・大学の先生方に感謝をし、これからも頑張っていこうと思います。

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ラングポーツ語学学校

初めての留学を通じて
圷菜月
英語コミュニケーション専攻2年
2024年2月

   私は、この春休み期間中である、2月9日から3月10日の4週間、オーストラリアのゴールドコーストにあるラングポーツゴールドコースト校に留学をしました。私にとって、初の留学で、初の海外であったため、準備から空港での出発・帰国の手続きなど何事にも初めてで、新鮮でした。また、出発日は、私だけだったため、緊張や不安がありました。ブリスベン空港に到着した後、ホームステイ先まで送迎してくれる方の車に乗り、ホームステイ先まで行きました。ホームステイ先に到着後、ホストマザーとその子供2人と、私より先に滞在していたイタリアの留学生が温かく出迎えてくれました。その後、お部屋の紹介をしてくれました。ルールなどを伺ったのですが、オーストラリアは、水が貴重だと説明会や事前に調べていたため、水には厳しいのかなと思っていましたが、シャワーの時間は制限もなく、いつ浴びても大丈夫だったこと、また、学校や遊んで帰ってくる時間も何時でも大丈夫だったこと、特に、私が、滞在したホームステイ先はそれほどルールが厳しくありませんでした。次の日の日曜日は、電車やバスに乗る時に使う日本で言うSuica・Pasmo交通系ICカードと似たようなカードGo Cardを買いに行きました。その後、ホストマザーと子供たちとイタリア人の留学生と一緒に学校までの行き方の確認をしに行ったり、学校周辺をプチ観光をしました。嬉しい事に、そのイタリア人の留学生も私と同じ2月11日からラングポーツに通う予定だったらしく、初日を含め、数日間ほど一緒に通学したり、帰宅したりしました。本当に心強かったです。
   初日の学校は、クラス分けするためのテストを行ったり、学校でのルールなどの説明、学校周辺を案内してくれました。お昼過ぎには、終わったため、同じ日に入校した子たち数名と軽くランチしに行きました。次の日から前日行ったテストを元にUSEクラス、Writingクラス、Readingクラス、Listeningクラス、Speakingクラスにそれぞれ分かれていました。ラングポーツでは、1コマ目は、2時間USEクラスで教科書、オンライン教科書を使って授業を行い、2コマ目は、1時間Writing、Reading、Listening、Speakingといった異なる曜日にそれらを学びます。3コマ目も1時間、OptionクラスでVocabularyなど自分が選択した物について学びます。私の場合、Vocabularyをもっと増やしたかったため、Vocabularyを選択しました。そのVocabularyを教えてくれた先生の授業は、とても面白くて、毎日、授業終了20分前ぐらいになるとその日に習ったことをゲーム感覚で復習をしてくれたため、私にとっては、とてもやりやすかったですし、嬉しかったです。また、1コマ目、2コマ目私にそれぞれの科目を教えてくれた先生方も優しく接してくれたり、生徒が分からないことがあったら分かるまで教えてくれたりと本当に助かりました。
   授業自体が午後1時に終わるため、放課後は、軽く海を見に行ったり、学校の近くのお買い物できるところでお土産などを見たりしました。何もない日は、そのまま、家に帰って英語の勉強をしていたり、ホームステイ先の1番上の子供が4時前後に帰ってきたりした時に、ホストマザーが公園に行って遊んできてほしい時には、イタリア人の子と一番上の子と下の子をお迎えに行くついでに公園に行って遊んだりしました。
   また、放課後や土日に行っている学校のアクティビティに参加したりしました。私は、2つほど参加できそうなアクティビティに参加しました。1つ目は、Sea Worldに行き、2つ目は、サーフィンレッスンに参加しました。Sea Worldは、土曜日だったのですが、休日ということもあり、たくさんの人が来園していたため、見たい物が見れなかったり、ショーでは、席が後ろの方だったりしましたが、どれも魅力的でした。サーフィンレッスンでは、平日の放課後に行ったのですが、その日は、晴れていたのと暑かったため、サーフィン日和だなと感じました。私は、サーフィンをやったことが無かったため、初めてやりました。サーフィンのスタッフさんが参加者全員に一から教えてくれました。私も基本的なことはできるようになったものの、立つことが難しく、なかなか立てずにいたら、それを見たスタッフさんが個別で教えてくれたため、立てるようになりました。立てた時は、本当に嬉しくて、また、挑戦したい気持ちになりました。前日サーフィンを申し込んだ子と軽くしか話すことができず、当日、サーフィン終了後その子とたくさん話したり、ショッピングしたり、アイスを食べたりして、仲を深めることができました。
   土日の過ごし方として、ホストファミリーとカランビン自然保護施設に行ったり、何もない日は一緒に過ごしたり、友達と遊びに行ったり、先ほど書いたように学校のアクティビティに参加したりしました。他にも、生活面で、オーストラリアでは、日本と真逆な季節、気温であるため、アイスなど食べたり、学校帰りとかに軽くお昼ご飯を食べたり、たまに、飲み物を買ったりしていましたが、本当に日本より物価が高くて驚きました。そのため、お昼ご飯は、ホームステイ先にある食材を自由に使っていいことだったため、基本的に毎日、サンドイッチといった軽食を作って学校に持って行っていました。日本と異なる事は、他にもあります。横断歩道の渡り方です。日本では、赤信号だと止まり、青信号だと渡りますが、学校周辺では、車が来なければ、赤信号でも渡る人がいたり、横断歩道の手前で、反対側に渡ろうとする人がいて、日本と異なると感じました。
   私は、今回の留学で、新しい友達を作ることができて、留学に挑戦できてよかったと思っています。日本人の方もそうですが、海外の方とも仲良くなることができてよかったです。特に、ブラジル人の方やホームステイ先が同じイタリア人の方と仲良くなり、日本に帰国してきた後でも連絡を取り合っています。学校の最終日の際には、友達になったブラジルの女性の方が、温かくハグしてくれたり、「寂しい」など言っていたことが印象に残っています。せっかく、オーストラリアでの生活が慣れてきてかつ、先生も含めて皆さんがフレンドリー、優しさがあって離れたくない気持ちが2週間目、3週間目終わった後ぐらいに出てきました。4週間、あっという間な感じがして、一時は、延長するか迷っていましたが、同じ日に帰る人が私以外にもいたので、帰りの空港での手続きなど1人でできるか不安だったため、プログラム内で帰ろうと決めました。
   今回の4週間という短期の留学をきっかけに英語をもっと頑張りたい、英語の魅力を今回の留学を通して改めて感じることができましたし、刺激を貰うことができました。また、留学や旅行で、オーストラリアに来たい、今回の語学学校に行きたい、他の海外に行きたい、挑戦してみたいという気持ちが芽生えました。オーストラリア留学で得たことを残りの大学生活、そして、卒業後の進路に活かしていきたいと思います。

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ラングポーツ語学学校

初めての留学で感じたこと
小田すみれ
英語コミュニケーション専攻2年
2024年2月

   私は、今回の春休み期間の3週間オーストラリアのラングポーツ語学学校に短期留学として行きました。
   入学前から大学生のうちに必ず留学に行きたいと思っていました。しかし、気づいたら入学してから2年が経っていて、「行くなら今しかない!留学行かなかったらほんとになんとなく4年間が終わってしまいそう。」と思い、今回オーストラリアに行くことを決めました。また、渡航先をオーストラリアにしたのにも理由があります。1番の大きな理由は日本は冬だけどオーストラリアは夏だということです。私は幼い頃から親とフィリピンやサイパン、沖縄など海が綺麗なところに沢山連れて行ってもらいました。そして、綺麗な海が好きになって日焼けはしたくないけど冬より夏が好きになりました。そんな私にとってオーストラリアはベストな国でした。
海外に旅行に行く経験は幼稚園から小学校の頃に沢山してきましたが、留学は初めての経験で出発前は楽しみな気持ちでいっぱいでしたが、やはり緊張もしていました。今回は、「ホストファミリー」「学校」「放課後・休日」の3つに分けて書いていきます。
   まずはホストファミリーについてです。私のホームステイ先はご夫婦と犬と猫が1匹ずつの家庭でした。細かいルールはなく、決まっていたのは朝ごはんと夜ご飯の時間だけでした。シャワーの時間や長さは決まっていませんでした。洗濯も決められていませんでしたが、基本的に4日に1回洗濯機を借りて自分で回していました。とても素敵なご家族のお家に行くことができ、ホストファミリーが温かく迎えてくれてこれからの留学生活がとても楽しみになったことを鮮明に覚えています。到着した日は、一緒にランチをしてスーパーに連れて行ってくれました。スーパーの帰りはファミリーは車で帰り、私は徒歩で帰りました。私は、家から学校まで歩いて通っていたので、その道を確認するためにとマザーが提案してくれました。正直知らない土地に着いたその日に1人で街を歩くのは不安でいっぱいでしたが、1人で帰ることを選択して正解だったなと今は思っています。一度道を確認できたことで月曜日からはなんの不安もなく登校ができたからです。到着した次の日の日曜日、スイス人の女の子がお家に来ました。その子がこのお家にステイするのは1週間だけでしたが、一緒に住んでる間は毎日一緒に学校に通っていました。お互いの国のことや学校のことなどいろんなことを話しました。ファミリーと一緒に過ごした中で一番の思い出は夜ご飯を食べた後のUNO TIMEです。この時間でかなりファミリーと仲良くなることができました。
   次に学校についてです。お家から学校までは徒歩で20分の距離にあり、歩いて通いました。学校は、自分のレベルに合ったクラス分けだったので授業についていけなくて困るということはありませんでしたが、毎晩教科書に出てくる単語だけは自分で勉強をしてより理解を深められるようにしていました。授業で日本と違いを感じたのは生徒の積極性です。先生が説明している時や答え合わせをしている時、わからなかったり自分の答えが違ったりするとすぐに発言して先生にわかるまで聞いていました。先生が話していても発言するので初めは戸惑いましたが、わからないをそのままにしないのはとてもいいことだなと思い、私もわからないことは自分から聞くようにしていました。先生も質問をすると丁寧に教えてくれたので身につくことが多く、毎日の授業がとても楽しかったです。また、クラスメイトはみんなフレンドリーで誰かがわからないと教え合って、自分がわからないことがあるとすぐに聞き合える環境で、とても居心地が良かったです。
   最後に放課後や休日についてです。ゴールドコーストは基本トラムとバスで移動ができたので、ビーチでのんびりするか、ショッピングモールとかに行くかのどちらかでした。学校から歩いて行ける距離にビーチがあり、放課後スーパーでお昼ご飯を買ってビーチ沿いのベンチでランチする時間がとても好きでよくしていました。お店でご飯を食べるよりスーパーの方が比較的安く済むし、好きなものを選んで食べれるのでおすすめです。ランチをした後はそのままベンチでのんびりしたり、海にはいったりしてすごしていました。また、大きいショッピングモールやアウトレットが放課後でも行ける距離にいくつかあったので、ビーチに行かない日はトラムとバスを使ってショッピングに行っていました。買い物をしなくても日本とは違うところが多く、見ているだけでも楽しかったのでショッピングに行く時間も好きでした。Warner Bros. Movie World という遊園地にも行きました。ホストマザーに日本でいうユニバみたいなところだよと言われたのでユニバを想像して行ったら、そこまでではなくて少し凹みましたが、十分楽しめました!ジェットコースターは日本よりも全然怖いのに安全バーが腰にしかなかったり、スプラッシュマウンテンに似たアトラクションは本当にディズニー以上にびしょ濡れになったり、日本では味わえないスリルを体感できてとても衝撃的でしたし、とても楽しかったです。
   留学全体を通して、正直3週間じゃ足りなかったです!それくらい毎日が楽しくて充実しすぎていて、またすぐにでもオーストラリアに行きたいです。時間の流れる感覚も日本みたいにせかせかしていなく、いい意味でのんびりしていて私にはとてもピッタリな環境でした。今回は初めての留学だったので3週間で行きましたが、また機会があって留学に行くことができたらもう少し長い期間で行きたいなと思っています。

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マールブルク大学

半年間の初留学を終えて
下馬場悠
ドイツ語・ヨーロッパ専攻2年
2023年10月~2024年2月

   半年間にわたるドイツ、マールブルクでの留学経験は、私にとって一生の宝物となりました。言葉、文化、人々との交流を通じて、新しい世界に触れる喜びと挑戦を経験しました。
   私が留学をした街、マールブルクは、中世の面影を残す美しい街でした。石畳の小道が続く歴史ある街並みは、まるでタイムマシンに乗ったかのような感覚を与えてくれました。夜になると趣を感じる街灯がマールブルクの街を照らしました。マールブルク城の壮大な姿勢やラーン川が流れる風光明媚な景色は、留学生として訪れる価値がある場所だったと思います。街の周りを山が囲んでいるため、日照時間が比較的短く、一日を通しても、寒い時間が続く毎日でした。
   そんなマールブルクは、郊外に位置する街で主要なショッピング施設から教育機関といったものは数えるほどしかありません。そのため、街を歩いていたりバスに乗ったりしていると、知り合いと会うみたいで、「お、やっほー」という感じで話している場面をよく目にしました。街中という繋がりで言うと、歩きながら電話をしている人が体感、日本の倍はいたと思います。いたるところでコミュニケーションが行われていました。そんな環境に胸躍る自分が居ました。
   最初の数週間は、言葉の違いが大きなハードルでした。ドイツ語は授業だけでなく、日常生活や友達との交流でも、初めての経験に戸惑いました。特に生活面である買い物の際に、尋ねられるとこちらの意見を上手く伝えられないこともありました。だからこそ、時間がかかっても身振り手振りで知っている言葉をつなげて説明した後に相手が理解してくれていると、とても嬉しい気持ちになりました。積み上げてきたものが実になる瞬間は忘れられません。相手の嬉しそうな顔、言葉、表情、全てが記憶に新しく刻まれています。
   そして留学中には、慣れない習慣や文化が日常に溶け込んできました。異文化というのは、魅力的に見える一方で、今までの常識を覆す新たな大きい壁となります。私の住んでいた寮では、約20人の留学生で生活しており、キッチン・トイレ・シャワーが男女共同でした。特にキッチンでは各国の料理が作られます。そのため、美味しそうに見えたり匂いに惹かれるものもあれば、「なんだこれ…」といった鼻の曲がるようなものもありました。しかも数時間は匂いがこもったりするので、生活空間における匂いは大切なのだと感じました。また、宗教の信仰という点も驚くことが多かったです。神に祈りを捧げ、信仰する文化が日本では薄いことを話すと、なぜなのか理解できず、彼らも自分たちの常識が通じないことに驚きを隠せないようでした。そのため、信仰という行いの魅力を、説かれたこともありました。また、地元の祭りやイベントに参加することで、地域社会とのつながりを深め、本物のドイツ文化に触れることができました。クリスマスマーケットは定番ですが、各街ごとの特色があり、小さな子供の遊戯の発表、多岐に渡る工芸品の数々、これでもかと、至る所ににあるグリューワインのお店。ひたすらにドイツの文化と歴史を肌で感じられる機会となりました。
   マールブルクでの半年間の留学生活は、初めは不安と戸惑いに満ちていましたが、最終的には行って良かったと思えるものになりました。全てが終わって振り返ってみると、正直に言って留学前と比べて何かしら成長できたのか、実感が湧いていないわけではなく、けれどたくさんってわけでもありません。不思議な感じです。ただ、友達もできたし、ドイツ生活にも慣れたし、旅も数多くできたし、日本では絶対できないような経験が出来たことにはすごく感謝しております。正直、異国の地で生活するのは思っていたより辛かったですし、日本食が恋しかったり日本に帰りたいなって思ったこともあったりしました。それでも半年間、なんとか頑張ってこられました。
   なんで頑張ってこられたかというと、いかに自分が思っているよりも狭い世界で生きてきたのかを思い知らされました。 おそらく日本人のほとんどは、良い大学に行き、大企業に就職して、家庭を持って幸せに生きるっていう人生をセオリーとして考えがちです。それも1つの生き方であることに変わりはないし、とてもいいと思います。しかし、選択肢なんて無限大なんです。異国の地を旅してて感じたのですが、「幸せになるための1番大事なことってお金でも頭の良さでもなく、経験と出会い」だと、そう気づきました。色んな選択をして、様々な経験をして、多種多様な人と出会って、パッションをもらって、初めての多くのことを知って成長していくんだ、何歳になっても人間って成長できるんだと、そう気づかされた感じがしました。こんなにも知らないことがあるのに、それらを知らずに生きていくって、すごくもったいないと思います。お金がなくても頭が悪くても、少しのパッションとひと欠片の知識さえあれば、旅はいくらでも出来ます。そして新しい経験をすることで、新たなパッションと知識へと昇華されます。そうすることで、次の旅の準備は完成します。こうして、人間の成長しているのだと思います。と言っても、旅なんてそう簡単に出来ないという人もいるでしょう。今回は新しい土地へ訪れる本来の意味で、旅という言葉を起用していましたが、本来の旅でなくてもいいと思っています。新しい職場、新しい学びの分野、新しい人との出会い、新しい場所へ赴くということ、挑戦するチャレンジするといったことも旅の一つで、それが人生を豊かに横に広げてくれ、パッションと知識を与えてくれる、そんな価値ある意味に気づかせてくれた留学、ひいては”旅”だったと思います。確かに高級なホテルに泊まってる人を見たら羨ましいと感じたり、保守的に何かを続けることもかっこいいと思ったりします。お金があって頭も良かったらもっと楽しいと思うけれど、やはり何か新しいことに挑戦することが一番大切だと再認識することが出来ました。
   私は"世界の全てを訪れる”っていう人生の夢があります。いつか誰かに「そんなこと世界情勢とか現実的に考えてできるわけがない」とバカにされたこともありました。ですが、私は出来ると思っています。人生一度きり。やらない後悔よりやる後悔をして行きたいと思います。
    最後にこの半年間を支えてくれた友達や先輩、先生や事務員の方々、そして家族には感謝しかありません。この体験は私を支えてくれる人達の賜物であることを忘れずに、これからも新たな挑戦をしていきたいです。

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ラングポーツ語学学校

オーストラリアへ留学して
田中美実香
日本学・国際コミュニケーション専攻1年
2024年2月

   私は1月26日から2月18日までの3週間オーストラリアに行ってきました。今回の留学は私にとって初めての飛行機、初めての海外でした。高校時代国際教養科だったので、オーストラリアへの留学がある予定でしたが、コロナの影響でその予定がなくなってしまい、とても悔しい思いをしました。その為、大学に入学したら必ずオーストラリアに行くという目標を持っていました。また、英語しか通じない環境に行って英語で生活したいという憧れがあり、今回初めての渡航でしたが、私の気持ちは期待で溢れていました。しかし、現地では様々な試練に直面しました。それも含めて、今回の留学での経験を記したいと思います。
   まず、ハプニングについてです。私は学校初日、最終バスを逃してしまいました。理由は乗るバスを間違え、全く逆方向へ行ってしまったからです。バス以外の唯一の手段は、ホストマザーに教えて貰っていたタクシー会社の番号でした。しかし、その日に限ってその会社がお休みでした。他の手段を考えた私は、道の向かい側にあったレストランに助けを求めました。事情を説明すると、そこの店員さんが自分のスマホで私にタクシーを呼んでくれたので、無事に帰宅することができました。
   また別の日には部屋の扇風機が壊れてしまい、深夜2時頃暑さで目が覚めました。夜中だったのでどうすることもできず、暑さで眠れない為リビングに移動し、ソファで一晩過ごしました。また別の日には私の部屋の電球が切れてしまい、3日間電気無しの生活をしました。初めての地であれば必ず困る事はあるだろう!と考えていましたが、初週にハプニング続きだったので、正直今後どうなるのか戸惑いました。しかし、不思議な事に私の気持ちはとてもポジティブで全てがとてもいい経験になったと感じています。
   学校生活について感じた事は3つあります。まず、少しでも分からない所があれば恐れず質問することです。授業中に誰も話していない時間がないと思えるくらい、先生と生徒のやり取りが常にありました。次に、スピーキングに関して否定的な意見を言う人が全くと言っていいほどおらず、伝えたいことが伝わるまでじっくりと話を聞いてくれる方ばかりでした。最後に、分からないところがあったら勘でいいからとにかく解いてみるという前向きな精神です。間違っていても、励ましてくれたり分かりやすく説明してくれたりした所にとても暖かさを感じました。語学学校では、18カ国から来た様々な年齢、国籍の方と出会いました。世界の地理や社会については日本の学校でも勉強しますが、実際に現地の方から話を聞くと新たな視点で見ることができるようになると感じました。また、英語を学習する目的がそれぞれ違い、それをお互いに話し、高め合う環境がとても楽しかったです。また、すごく伸び伸びと英語を話すことができました。
   学校は13時に終わるので、現地で仲良くなった子たちと昼食や観光をしました。一回の昼食は日本円で1300円~1500円でした。日本で見かけるチェーン店もありましたが、海外でしかないメニューやオーストラリアならではの物を探して行きました。私の行ったゴールドコーストは、「トラム」という電車が車道の中をビーチ沿いに走っていました。その為、美術館やちょっとしたアクティビティーは、近所であれば学校終わりに行っても十分に満喫することができました。
   休日は友達と約束をして少し遠出をしました。シーワールドやドリームワールドに行き、沢山の動物を見たり、アトラクションに乗ったりしました。オーストラリアの動物園では、動物との距離がとても近かったです。また、地球上においてその動物が今どんな状態にあるのかを同時に伝えており、楽しみながら学べることが多かったです。
   私を受け入れてくれたホストファミリーは、マザーと息子さん一人という家族構成でした。ホストファミリーとはいつでもコミュニケーションがとれるよう、常に一緒の空間にいることを意識して生活しました。また、すれ違いが生じないよう小まめに連絡を取りました。ご飯の準備は必ず一緒に行い、夕食を食べながらその日にあったことを話しました。食後の自由時間も自分の部屋には行かず、キッチンのテーブルで課題や作業をしました。会話が無くても同じ空間にすることで、テレビからの音声やちょっとした相談など、常に英語が耳に入るように工夫して生活していました。
   日常生活では、お店に入った時や列に並んでいる時に、「日本人?」と話しかけてくれる方が多かったです。最初は驚きましたが、日本について興味のある事や四季について質問してくれる方が多く、その環境に慣れてからは会話を楽しむことができました。特に「日本の桜が綺麗で実際に見に行きたい」と話してくださる方が多く、とても嬉しかったです。
   今回の留学はあっという間でしたが、自分の中でとても成長できたと感じます。たった3週間の中で沢山の試練に直面しましたが、それ以上に楽しい思い出を作る事ができました。問題に直面した時、英語の活用機会が増えると考え、私自身の考え方がすごくポジティブだったことに自分でも驚きました。そして、私がゴールドコーストで出会った方々はとても優しく、フレンドリーでした。初日に助けていただいたレストランでは、とても素敵な出会いをすることができ、困っていたら一緒に助けてくれる環境にとても暖かさを感じました。現地で出会った日本人の先輩に言われたことは、「早いうちにいろんな国を経験しておいた方がいい」という事です。留学することを全力で進めてくれる周りの環境に感謝しながら、次の挑戦や目標に向かって努力を続けていきたいです。

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ドレスデン工科大学

ドレスデンでの事前研修
相葉美玖
ドイツ語・ドイツ文化専攻2年
2023年9月

   私は2023年の9月の1ヶ月間、ドイツのドレスデンで生活をしました。海外旅行どころか飛行機も乗ったことがない私は、ドイツに飛ぶ前夜には不安90%期待10%と、かなりの不安に支配されていました。ですがその不安のほとんどは杞憂でした。
   まずは、授業についてです。到着日の関係で、クラス分けのテストは日本にいるときにオンラインで受けました。私はA2のクラスに振り分けられました。クラスにはいろいろな国から、ドイツ語学習期間も全く違う人たちがいました。グループワークでは、クラスメイトに圧倒され、最初の頃はとにかく重要な点を今まで学習した、自分の持っているカードをすべて使ってどうにか過ごしていました。しかし、1週間授業を受けてついて行くのがやっとで、1ヶ月もこのような感じだと生活がままならないかもしれないと、A1に変えられないかとメールしました。しばらくしても返信が無いため直接、担当者のオフィスに行きました。すると相談してその日からA1の授業を受けることができました。
   A1のクラスは、私以外全員インド人のクラスでした。学校では朝登校したら、共通スペースの掲示板にその日の自分のクラスの教室番号を見に行かなければならないのですが、その掲示板には「A1」とは書かれず、「Indien」と書かれるほどでした。クラスメイトはみんなやさしく、授業が始まる前に話したり、日本の文化や日本語を聞かれたり、今後どれくらいドイツにいるのか、将来は何をしたいのかなど自分たちについてたくさんのことを話しました。ですが、後ろの方に座ると人が多く目に入って、疎外感を感じてしまうため、毎日一番前の席に座っていました。すると、先生から授業中に当てられることが多くなり、そのおかげで予習復習課題をしっかりやる癖がつきました。
   しかし、このクラスで私はなぜか、ずっと本名とは全く別の名前で呼ばれていました。それは、「ミコシ」です。最初の方は自分が呼ばれているとは思わず、ノートから顔を上げることはなかったのですが、「ミコシ」と先生が発すると急に静かになって疑問に思い顔を上げると、必ず目が合いました。その瞬間、私はすべてを察し、「ミコシ」になりました。訂正していたのですが、面倒になり途中から「ミコシ」として授業を受けていました。当時は呼ばれるたびにいやだと思っていたのですが、今となっては笑い話であり、つけてもらった愛称だと思えば愛着がわきました。最初の頃は本名で呼んでくれていたクラスメイトも、この名前を受け入れた途端「ミコシ」と呼んできました。それもすっかり、楽しい思い出です。
   授業の内容はA1レベルなので基礎をやっていました。A1のクラスは週3日のため週5日間ある授業のうち、3日間はA1、2日間はA2で授業を受けていました。レベルがかなり違い、A1では数字を学んだり格変化を学習するのですが、A2はそれを活かして文化などを学ぶグループワークが多かったです。頭の中はこの緩急に慣れさせるのに必死でした。
   授業のことはこれぐらいにして、ドレスデンの街の話をします。ドレスデンはとてもいい街です。寮から15分ほど歩けば、中央駅に着き、さらに10分歩けば、ドレスデン城やツヴィンガー宮殿などの観光スポットがある旧市街に出ることができます。9月でまだ日が長く、8時頃まで明るかったので私はよく旧市街まで、夕飯の前に散歩に行っていました。一度、ドレスデンと同じザクセン州内のモーリッツブルク城も見に行きました。こんな機会はないから、と蒸気機関車に乗っていきました。ドレスデン中央駅から乗り継ぎをうまくできれば1時間ほどで行けます。日本語対応の案内タブレットがあり、借りることができました。私はモーリッツブルク城にひとりで行ったのですが、チケットカウンターに並んでいると、私と同い年ぐらいの女の人が話しかけてきました。それからお互いのことを少し話したり、タブレットの操作など教えあったりしてお城の中を回りました。留学して生活する上で、このように同い年ぐらいの人に話しかけられることが増えました。最後はお城とお互いの写真を撮って別れました。一期一会とはこのことです。ドレスデンは栄えており、日本にもあるチェーン店や有名なお店がたくさんあります。観光客も多く、楽しい反面騒がしい側面もあります。そんなときは、少し外れた街に行き、ボーッとするのがおすすめです。
   楽しい思い出もあれば、その分苦い思い出もあります。ドイツに来てから一週間ほどたった日に、中央駅近くに日本食屋さんを見つけ、同じ研修を受けている子たちと夕飯を食べに行こうと寮から歩いている時に、何気なく自分の髪を手櫛すると指に虫がつきました。とても驚いて、とっさに振り払うと刺されてしまいました。最初は大丈夫だろうと、友達にも軽く「虫に刺されちゃった」と言っていたのですが、次第に指の芯からズキズキと痛くなり、赤く、他の指よりも明らかに腫れている状態になってしまい、お店が閉まる前にと急いでドラッグストアに駆け込み、虫刺されの薬を買いました。夕飯はラーメンを頼んだのですが、このまま腫れてひどいことになったらどうしようと気が気じゃなく、食欲が失せて味も全く覚えていません。結局、日をまたぎだんだんと痛みや腫れ、最後には痒みが少し残って治せました。おそらく、蜂やアブのどれかだったのですが、まさか刺されてしまうなんて思いませんでした。それからも、外のレストランでリンゴパイを食べていると、ミツバチがパイに添えられている生クリームに突っ込んでくるなどの被害があり、ハエや蜂などの虫に怯えて生活をしていました。
   ドレスデンでの生活は、その後のドイツでの生活を支える1ヶ月となりました。この生活があったからこそ、ドイツで過ごす、最高の滑り出しでもありました。この街が大好きになり、必ずもう一度行くことを目標にドイツ語学習をがんばっていきたいと思います。

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イェーナ・フリードリヒ・シラー大学

イェーナ半年間の留学
相葉美玖
ドイツ語・ヨーロッパ専攻2年
2023年10月~2024年2月

   私は10月から約半年間、ドイツのイェーナに留学しました。授業に関すること、生活に関することなどを書いていこうと思います。ドイツでは楽しいことはもちろん、つらいことや大変だったことがたくさん経験できました。
   イェーナに着いてからの一週間は自分の部屋にWi-Fiが無く、イェーナに秋学期から留学する人の中で一番初めに着いてしまったため誰にも会えず、乾燥で喉を痛めてしまったこともあり、暇で寂しくて仕方ありませんでした。ひたすら持ってきたゲームと本、散歩に出て街の地図を把握したりして時間を潰していました。
   寮についてですが、私の寮は大学のキャンパスがある中心地から徒歩20分ほど坂を上ったところにありました。寮の部屋はキッチンと風呂、トイレなどが8人共用で他の寮よりもルームメイトが多く、部屋を出るときに何も考えず気を抜いてパジャマで出ると必ず誰かと鉢合わせてしまいます。共用スペースの掃除は当番制で、毎週日曜日に行われるので、自分が当番だとわかっている日は予定を入れないようにしていました。ルームメイトはみんなやさしく、顔を合わせると挨拶をしたり、困っていることがあると助けてくれたりしました。クリスマスにはルームメイトのほとんどは帰省してしまい、残ったのは私とインド人の子のみでした。親子丼を作って、お互いの国について教えあいました。人が多い分、他の寮の人たちのようにすごく仲良くはなれませんでしたが、私はこれぐらいのほどよい距離感が良かったので助かりました。
   授業は、週に6コマほどですべてドイツ語のみで行われました。最初は先生が何を言っているのかわからず、プリントに何か書くときも後れをとって書いていましたが、最後の方になると、緊張も薄れ落ち着いて先生の言っていることが聞けて、意味がわかるようになりました。そして、わからないことや不安なことは質問したり、もう一度繰り返してもらったり、後にメールを出して確認したりと自分を安心させるための積極性が身につきました。
   クラスはレベル別で分かれているため、わからないところがあっても、他のクラスメイトがわかりやすいドイツ語教えてくれるので、一緒に考えて学習できました。寮が近い中国人の子とは、登校のタイミングがかぶると一緒に学校に向かい、その間はずっとイェーナのおすすめの場所を教えあいました。
   ドイツで生活する上で驚いたこともたくさんあります。一つ目は、どんな飲み物にも炭酸が入っているということです。なんとなく買った紅茶だと思った飲み物にも、マテ茶にも、ただの水だと思って頼んだものにも炭酸が入っていました。一度、病院の待合室で貧血のため倒れてしまったときに、看護師さんにひたすら「目は開けて!」と言われながら、急いで飲まされた水が炭酸水だったので驚いてしまって吐き出してしまいました。すると、薬によるアナフィラキシーかと疑われてしまって少し大事になりかけて大変でした。このように、病院に置いてある水まで、炭酸入りなのです。炭酸が苦手な私は、買う前に炭酸かどうか確かめる癖がつきました。
次に、私はイェーナ滞在中に3回ほどアニメ映画を映画館で鑑賞しました。3回とも留学前に日本ですでにみたことのあるものでしたが、上映中の笑いが起こるポイントが日本と全く違っていて、鑑賞後に日本人の友達と笑いが起こっていたところを確認したほどでした。そして、映画館で販売されているポップコーンや飲み物は食べきれないぐらい、とても大きかったです。
   クリスマスの時期には友達とイェーナ、ライプツィヒ、ドレスデンのクリスマスマーケットに行きました。いままでクリスマスには特別な感情はなかったのですが、いい思い出が作れたので、本当に良かったと思います。
   留学期間中は日本にいる時よりも時間がたくさんあるように感じました。日本では大学が終わった後はどこにも寄らず、直接帰宅していたのですが、イェーナにいる間は友達と話す時間があり、将来のことや最近の悩み事など日本では話せなかった個人的なことも話せて、仲が深まりました。
   休みの日は、列車に乗って少し遠くまで出かけました。田舎の方に行くと、ドイツ語しか話せない人が多いので、不安な時に英語で言い換えてもらうと言うことができないため、事前に使いそうな単語やフレーズ(自分が言えて伝えることができても、相手の返答を理解しないといけないため)を調べておいたり、相手がどういう風に出るのか、予想して頑張っていました。後は、えい!と勢いで乗り切りました。
   学期の最後には、友達とデンマークのコペンハーゲンに、ひとりでは、ドイツのケルン、ボン、ハイデルベルクに行きました。どこもとてもいい場所で、気に入りました。
最終的に列車に乗るのが楽しくなり、わざと遠回りして帰ったりしました。ドイツの列車には遅延はもちろんありますが、予約している席と別になってしまったり、乗っている列車が途中からキャンセルになり降りることになったり、急に到着するホームが変更になるなどたくさん戸惑ったことがありました。最後の方はアナウンスを聞いて状況を把握、掲示板を見て確認、周りでしゃべっている人の言葉を聞いて対処することができるようになりました。できたときは、かなり自信がつきました。遠出や旅行の際におすすめなのが、その土地のポストカードを買って日本の家族の元に出すことです。どんな小さな街でも教会や塔などの観光名所がうつったポストカードが売店や本屋に売られているので簡単に出せます。
   この留学で私は、留学しなければやろうと思わなかったことや、わからなかったことがたくさんあります。留学してイェーナに住まなければ、朝日をみにハイキングに行ったり、地元の人が通っているレストランに入ってみたり、工夫をして日本食を自分で作ったりはしなかったと思います。留学して知ることができたこと、体験できたこと、気持ちを忘れず、これからも日々勉強、成長できたらいいなと思います。

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CPILS

セブ島体験記
鬼澤詩
英語・リベラルアーツ専攻1年
2024年2月

   私がセブ島語学研修で得たことは、大きく分けて語学力・行動力・精神力の3つです。私がセブ島語学研修に参加しようと決意した理由は、他の参加者のように語学力を上げるためや英語学習のモチベーションを向上させるためというような明確な目的は無く、春休みの予定が無く、大学1年生で特になんの成果も得られなかったので、何かしら取り組んで大学1年生を終わりにしたいという考えで参加することにしました。私の英語の実力は本当に無く、英語から逃げてこれまでの人生を歩んできたので、中学生英語すらまともに出来ない、基礎が全くもって無い状況でした。そんな中でのセブ島語学研修は、授業についていけなく迷惑をかけてしまうのでは無いか、友達と一緒では無く1人での参加ということに対しての不安もありましたが、久しぶりの海外ということや3週間という短い期間な為、どうにかなるだろう精神で、楽しみという気持ちのほうが強い状態で日本を出国しました。
   最初に、授業が開始される前にクラス分けのテストが行われました。テストの内容は、リスニング・ライティング・スピーキングの3つに分かれており、リスニングとライティングは同じ部屋で続けて行われました。テストのレベルは初級から中級くらいで割と簡単なほうでした。しかし、何分間だったかは忘れてしまいましたが、テストの時間がとても短く、終わらない人も居たようでした。リスニングのスピードは日本で行われるスピードより速く、とてもネイティブな発音と会話な為、簡単な会話なのにも関わらず聞き取るのが難しく、書いている間にどんどん先に進んでしまうので、日本のリスニングに慣れていた私には難しかったと感じました。スピーキングテストは、教員との1対1で行われ、最初に簡単な対話と4つの写真から2つを選択し、それについて何でも良いので一人で話をするという自分の語彙力を発揮するような内容でした。スピーキングテストの前は部屋の外の椅子に座り、呼ばれるまでみんなで待機しており、なんだかとても緊張していましたが、とても簡単なテストでした。
   テストの結果が返却され、クラスも決まりました。10時間授業で、9時間目と10時間目は自習か他の授業を自分自身で選択することが出来ました。1対1とグループの授業が始まりました。私は1対1の授業を受けたことが一度も無いし、他の国の人達と一緒に英語で授業を受けたことが一度も無かった為、授業が始まる前はとても緊張していました。しかし、どの教員もとても優しくフレンドリーで、喋りやすく、優しかったので、授業がとても楽しかったです。私は日本で、先生と仲良かったことはなく、なんとなく距離のある存在で基本的に苦手意識があり、勉強も好きではなく授業も楽しいと思って受講することはほとんどありませんでした。その為、私が授業を楽しいと思いながら受けていることが不思議でした。なぜ私は楽しいと思いながら授業を受けていたのだろうと改めて考えると、それは日本との授業とは違う様々なことだと思いました。まず1対1の授業では、私のことを先生達が興味を持ってくれて、授業の内容に私自身のことを取り入れてくれます。そして、常に目を見て会話をしてくれて、分からない単語や意味があると別の単語やジェスチャーなどで教えてくれて、常にポジティブで、褒めてくれます。
   1対1やグループの授業のどちらでも言えることは、良い意味で教材通りに進まないことだと思います。教材の内容を参考にして、他の文を自分で考えて喋ることや、先生がその教材のテーマに沿った内容の日常会話をするなど、学んだことをその場で理解して使うという、インプットとアウトプットを同時に1回の授業でさせてくれるところがとても魅力的で為になりました。グループの授業では他の国の人達の学習スタイルに刺激を受けました。分からなかったら、その瞬間に先生に質問をする行動力には常にかっこいいなと刺激を受けました。個人的に日本ではグループの授業中に先生に質問するのは恥ずかしいという気持ちや分からないということ伝えるのには勇気のいることだと思います。良い意味で他の国の人達は周りを気にしていないのだと思います。勉強は自分自身の為で、わからないをそのままにしたくないという、学ぶ意思の強さだと思いました。
   セブでの授業は日本の先生が一方的に喋るようなものではなく、常に対話と自分自身の意見が求められる会話のような授業でした。先生と生徒というはっきりとした区切りが無く、友達のような対等な関係だからこそ、自分から発言しようと思える環境でした。その為、授業中の集中力が高く頭の中で常に何かを考えているので濃い授業を受けることが出来ました。私は人見知りでグループとかだとシャイになってしまうのですが、そういったことも先生達は理解しつつ全員平等に指されるところが凄く良い所だと感じました。人の性格の違いを理解しつつ、その上で平等に発言の機会を渡すことで誰も見捨てない授業になっているのでは無いかと思います。その他にもcpilsでは様々な刺激が沢山ありました。
   セブでの日常生活はとても濃かったです。基本的に街中は割とどこも汚く、下水道などの水回りが整っていないことが一番印象的です。Cpilsのシャワーもとても出が悪く、水回りで不快になることが多くありました。日本との違いは多くあり、綺麗な建物と汚い建物の差が凄く、しかもそれがすぐ近くにあったりして、基本なことが済む前に時代が進んでしまったかのような印象を受けました。Cpilsは想像より凄い場所にあり、ここに本当に学校があるのかというような場所にあります(笑)。セブは全体的に野良犬や野良猫が多くいますし、普通にストリートチルドレンも多くいました。タクシーやフルーツはとても安いですが、光熱費がとても高く、アジアで一番高いらしいです。その為、最終日近くに光熱費を払うのですがみんな何円なのかドキドキしていました。私たちの部屋では台湾人のルームメイトが光熱費高いから気をつけた方がいいよと教えてくれていたので、エアコンを節約したりしたため、妥当な値段で済みました。既に留学プランにある程度光熱費を払っていたため、私は余った分が帰ってきました。
   土日を利用して、ジンベイザメと泳いだり、サファリに行ったり、マッサージにいっぱい行ったりして、三週間みっちり楽しみました。Cpilsで仲良くなった人達とインスタを交換し、会話をしたことがとても良い思い出です。フィリピン人はとても陽気でフレンドリーで、歌を歌ったりよくダンスを踊ります。とても優しい人達との出会いしかなく、楽しい記憶ばかりで埋め尽くされています。セブ島語学研修で、得たことは私にとってとても重要で活力が上がることばかりでした。もっと英語をしゃべれるようになりたい、もっと勉強したいと強く思いましたし、絶対に大学生中に留学したいと強く思いました。

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CPILS

初めての海外留学を通して
倉井梨都
英語コミュニケーション専攻1年
2024年2月

私は3週間を通して、フィリピンのCPILSという語学学校にセブ島春季語学研修というプログラムを利用して参加しました。実は、今回の留学は私にとって人生で初めての海外で、楽しみな反面、不安もありました。なので、私と同じように海外生活へ不安を持つ方の参考になればいいなと思います。
   最初に、この研修に参加することになった経緯を簡単に説明します。元々、長期で留学することを目標にこの大学に入学したのですが、初めての海外が長期間だと不安もあったので、その練習という名目で短期の留学プログラムに申し込みました。留学先にこだわりはなく、なるべく費用を抑えられるということでフィリピンを選びました。
   現地には、夜7時ごろに到着したので、すぐにCPILSの寮へと向かいました。私の部屋は4人部屋で、中国人と台湾人の二人が先に住んでいたのでお互いに自己紹介をしました。ここで同室に日本人がいないということにとても不安を感じましたが、交流を深めるためにつたない英語で1時間ほど台湾人のルームメイトと話しました。私のために部屋の紹介をしてくれたり、お互いにそれぞれの国について質問し合ったりと、所々伝わらなかったり聞き取れなかったところはありましたが、とても充実した一日目を過ごすことができました。
二日目は、日曜日で学校もやっていなかったので同じ大学の友達とショッピングモールに行きました。セブ島には、日本よりもはるかに多くショッピングモールがあり、一日では回り切れないほど広く、それぞれ特徴がありとても楽しかったです。
   月曜日には、オリエンテーションで日本人サポーターの方にSIMカードと換金所に案内してもらえるのですが、SIMがないとWIFIがない環境だと携帯が使えなく、現地のお金を一円も持っていなかったので自分たちで買いに行くことにしました。フィリピンはコンビニ含め現金支払いが多いので日本や現地の空港でいくらか両替しておくことをお勧めします。モールはとにかく広いので、警備員や店員さんに何度も行き先を聞きながらなんとかSIMを購入することができました。交換は店員さんがやってくれるのでとても楽でした。両替所は、一つのショッピングモールに対していくつかお店があるので、なるべくレートの高いお店を選ぶようにしました。
   月曜日になると、レベル分けテストが行われました。この成績で、火曜日から始まる授業の日程が組まれ、自分のレベルに合った授業を受けることができます。私はリーディングが苦手でTOEICの点数も低いほうなのですが、自分の実力よりも高めのレベルに分けられました。授業は、4コマの1:1、2コマの1:4、1コマの1:8の授業があり、それぞれの授業で効率よく英語力を伸ばすことができたと感じました。1:1では、先生と45分間休みなく会話をしていくので積極的に会話していけばいくほど成長していく環境だと思いました。1:4では、先生だけではなく、クラスメイトとも交流できるのがよかったです。私のクラスは3人全員が韓国人で、私自身韓国ドラマや音楽が好きだったこともあり、英語だけでなく韓国語も学ぶことができました。1:8では、人数が多いため全員で行うアクティビティが多く、国際的な交流ができる良い環境だと感じました。英語を学ぶことができたのはもちろんですが、授業を通して先生やクラスメイトと交流できたことが一番嬉しかったです。国籍の年齢も価値観も違う人と交流していくことは、海外に行くことでしかできないと思いました。
   次に、休日や空き時間の過ごし方についてお話ししようと思います。土曜日、日曜日は1日時間があるのでこの留学に後悔が無いようにできる限りたくさんの場所に行きました。ジンベイザメとツマログ滝のツアーは、セブで1番人気といえるぐらい有名なツアーでとても刺激的な一日でした。朝4時ごろに集合して、バスで向かうのですが、ずっと海沿いを走っていて、そこで見た日の出がとてもきれいでした。ジンベイザメツアーは2ショットをとることができるのですが、それがとても難しくて少し辛かったこともありましたが、ジンベイザメを短い距離で見る機会は一生ないと思うので、行ってよかったと思いました。ツマログ滝は、壮大な滝の真下に行くことができ、その迫力に感動しました。また、そこではドクターフィシュを体験することができました。
   このツアーもとても印象的だったのですが、私が一番言ってよかったと思った場所はCEBUにあるSafari &adventure parkという場所です。ここは、敷地がとても広いため移動がバスなのですが、その移動中の景色がとても自然であふれていて、非現実感を味わうことができました。たくさんの動物を見ることができたのですが、私が印象に残っているのはスカイバイクとジップラインです。ジップラインはフィリピンで1番長いジップラインで、1分ほどジャングルの中を滑り続けました。スカイバイクは、細いレールの上で自転車をこぎながら進んでいくもので、どちらもその高所から見える景色が絶景で、一生忘れることのない経験になりました。またセブ島に来るときには、必ず訪れたいと思います。
   この三週間を振り返えると、言語の壁や日本と違う環境に戸惑い、辛いことももちろんありました。しかしそれ以上に出会えた人や初めての経験ができたことがたくさんあり、このプログラムに参加してよかったと感じています。この経験を通して学んだことは、私の様な英語が苦手な人でも積極的に人と交流していけば、自然と英語力は上がっていくということです。私はこの生活で、先生やクラスメイトだけでなく、現地の人にも積極的に交流していきました。街中でわからないことは、調べるだけでなくいろんな人に聞くことでより英語を話す機会を増やしました。現地の人との交流でいろんなことを知ることで、国際理解にもつながったと感じています。また、この経験を通して、本来の目標である半年の海外旅行に向けて、TOEICなど自分が取り組むべきことがより明瞭になり、学習意識も向上することができました。自分の目標実現のために頑張っていきたいと思います。

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淡江大学

9ヶ月間の台湾生活
神原楓
グローバルビジネス専攻3年
2023年2月~2024年1月

   初めての留学、そして中国語が全くわからない状態で選択した台湾への留学は毎日が刺激的で今振り返ってみると1日1日が貴重な経験だったなと思います。

   ■2月
   空港にたくさんの友達や家族が来てくれて、台湾に着いて初めての夜、すごくホームシックになって涙が出ました。初めての留学でワクワクしていた気持ちが一気に不安に変わり、自分でもすごく驚いたのを覚えています。留学中のメンタルケアは非常に重要なことだと思います。買い物に行くのも履修登録をするにも、日常の全てにストレスを感じることも多かったですが、周りの先輩や友達にたくさんサポートしてもらいました。最初は飲み物も1人で頼むことができず、悔しい思いと同時にはやく勉強したいという気持ちが大きくなりました。
   ■3月
   台湾での生活も慣れてきて、友達も作ることができ、いろいろな場所に少しずつ行く余裕ができました。3月の後半には1人で出かけられるようにもなり、人は1ヶ月もあれば馴染むことができるのだなと実感しました。自然と簡単な中国語もできるようになっていて、学ぶ環境の大切さがわかり、台湾に留学に来てよかったなと感じました。
   ■4月
   中国語を勉強して2ヶ月で店員さんの中国語や、先生の話を理解できるようになっていたと思います。実際その時は全く成長していないのではないかと思っていましたが、今振り返ってみるとすごく成長した月だったと思います。しかし、現地の友達が1人もできないということに焦ってしまっていました。次の学期ではいろいろな行事に参加し、友達ができましたが、もっと早い段階で行動していればよかったなと思う部分もあります。
   ■5月
   6月の1週目にテストがあり学期が終わります。そして私は夏休みの間日本に帰るので、友達といろいろなところへ行きました。また、友達の紹介で台湾の子と友達になることもできました。留学中の繋がりは本当に大切にした方がいいと思います。しかし、自分から行動しないとなにも起こらないのだなと実感しました。私は一年留学だったので、まだ次の学期もあるからと余裕をもっていましたが、半年留学の人はどんどんいろんな人に話しかけて行動することをお勧めします。とても勇気のいる行動ですが、一瞬の勇気でこれから先の留学生活が一気に変わるきっかけになります!

   一年の留学ですが、半年の留学で私はかなり成長を感じたので半年間の流れを書かせていただきました。特に中国語を伸ばすきっかけになったのは夜の中国語の授業です。週四日一日二時間しっかりと学ぶことができるので、絶対に取ることをお勧めします。私は中国語能力が0の状態で行きましたが、中級のクラスをとりました。最初は先生が言っていることが一つもわかりませんでした。飲食店やタピオカショップにも一人で行くことができませんでした。しかし、この授業をとって一ヶ月ほどで自信満々に一人でどんなお店にも行くことができるくらいまで成長することができ、店員さんの言葉を理解できたり、注文ができたりしました。留学中は自分の成長に気づくことができず、落ち込むことがあると思いますが、続けていれば絶対成長していることに気づく瞬間があると思うので、頑張って欲しいです。そして、諦めることなく上のレベルの中国語のクラスを履修してよかったです。
   日中の授業はすべて英語のクラスをとりました。英語は聞き取れますが、喋るのが苦手だったため、シラバスを確認して、プレゼンがない授業や、ディスカッションなどがなく、テストだけの授業を選びました。授業の内容ややり方などは全てシラバスに記載されているので是非確認をしてから授業を選択することをお勧めします。また、先生によって発音や授業のやり方が全く違うので、履修登録期間でできる限り多く自分の気になる授業を聴講して自分にあった先生を見つけることでストレスなく授業を受けることができると思います。プレゼンのある授業にも挑戦しましたが、私の学科は留学生が少なく、余った人同士で組むことになり連絡するのがとても大変で辛かったです。もし友達がいればいい経験になるので一緒に受けるのもいいと思います。
  
   続いて寮での生活についてです。私は前学期は淡江学園、後学期は麗澤寮でお世話になりました。淡江学園では日本人と4人部屋でした。部屋にトイレとシャワーがありキッチンは共用です。洗濯は屋上で洗濯機を回し、共用スペースか部屋に干していました。キッチンを使ったことは一度もないため外出以外は部屋で過ごすことが多かったです。私はコロナの時期と被ってしまい淡江学園に住むことになりましたが、これから留学される方は基本麗澤大学の寮に住むことになると思います。麗澤寮では3人部屋でルームメイトはフランス人とハンガリー人と私でした。部屋では英語で喋っていましたが、最初は全然喋ることができずもっと勉強しておけばよかったなと後悔することもありました。寮にはいろいろな国の留学生が住んでいて、必ずしもみんなが中国語が堪能なわけではないので、留学前の人は英語の勉強もしていくといいと思います。淡江学園とは違って部屋にトイレとシャワーがなく、同じ階に住む人と共用です。平日は毎日掃除をしてくれる人がいます。キッチンはありますが、学校の周りには安くて美味しいお店がたくさんあります。私のおすすめはアリランという韓国料理のお店です!

   留学生活は1人の時間が多く、孤独との戦いになると思いますが、いかに行動して楽しむかが重要だと思います。辛い経験もたくさんしましたが、自分の価値観を改めるきっかけとなり良い経験になりました。

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CPILS

セブ島留学体験記
木谷空斗
英語コミュニケーション専攻3年
2024年2月

   私は、一月の後半からセブ島にあるCPILS(Center for Premier International Language School)へ三週間研修に行き、プログラムの通り英語の勉強をしてきました。そこでは、英語の語彙、文法、会話、リスニングの力がついたのはもちろん、それ以上に貴重で素敵な経験をすることができました。この経験は、間違いなく私の人生において大きなものであって、有益なものだと思います。その中でも、私が特に刺激を受けたこと、どのような生活、勉強をしていたのかなどをこの体験記でつづっていきます。少し表現に誤解をまねくところがあるかもしれませんが。体験した本音を伝えることが次の参加者のためになると思うので、思ったことを書かせてください。
   最初に、私がセブ島で受けたカルチャーショックをいくつか紹介します。ここで一番初めに浮かぶものは、日本との清潔さの違いです。日本は、水道の水を飲んでしまっても、健康に被害が出ることはまずありません。しかし、セブ島では違います。水道の水はしっかりと浄水されていないので、飲むことはできませんし、体にはよくありません。これは私にとってすごく大きなカルチャーショックでした。というのも、友達とホテルに滞在した際、いつもはミネラルウォーターを使って口をゆすいでいたのですが、誤って二回、水道水を使って口をゆすいでしまいました。そのせいかはわかりませんが、私の友達も次の日から喉を傷めてしまい、すごく大変な思いをして、今でも私はのどが痛いです。
   次に思い浮かぶこととしては、当たり前のように金額を高く要求してくることです。友達とビーチに行った際、タクシーがなかなか見つからず困っていた際、日本のアニメの写真を飾ったトライセクル(数人乗りのバイクタクシー)に乗ったお兄さんが声をかけてくれて、タクシーステーション連れて行ってあげると声をかけてくれました。その人は日本語を少し話して、優しそうでしたが、たった10分前後の乗車でタクシーとは比べ物にならない金額を請求してきてすごく驚きました。何とか交渉して値段を下げて支払いをしましたが、女の子が支払いをする際、財布を隠しながらお札を出しているのに、近づいて凝視していて、日本とは全くちがった人間性だと感じました。
   最後に挙げることは、ライフラインが整っていないところが多いことです。日本は、どんなに貧しくても、ホームレスのように路上で寝転んでいたりする人がいないのが一般的なところでだと思います。しかし、セブ島でタクシーを少し走らせれば、道端でブルーシートを敷いて小さな子供が寝ていたり、やせ細った野良犬や野良猫が寝込んでいたり、日本では見られない発展途上国ならではの光景が広まっていました。また、友達と遊んだ後の帰りのタクシーで信号待ちをしている際、小さな子供がわずかなお金をもって停車中の車に次々と声をかけていました。私たちのタクシーに来た際、運転手は窓を閉めて鍵を掛けました。その際の小さな子供の生気のない目つきと痩せてしまった体は、今でも鮮明に目に焼き付いています。カルチャーショックはこれ以外にもたくさんありますが、ここではこれくらいにしておきます。マイナスな面ではあると思いますが、この環境を経験することはここ以外で一生できないと思うので、貴重な体験をできたという気持ちでいっぱいです。
   続いて、どのような生活をしてきたのかについてです。平日は、CPILSの授業があるので、朝八時からお昼まで授業、一時間のlunch breakの後、夕方まで授業、dinner breakの後、授業をして十九時前くらいに授業が終わります。金曜日はdinner breakの後の授業がなしで少し早く終わりました。土日は授業がないので、仲のいい友達とショッピングモールに行ってご飯を食べたり、カフェに行ったり、とにかく食べていました。もちろん死ぬほど筋トレもしました。授業の内容としては、各授業で使われる教材に穴埋めするものでした。一対一の授業では、リーディング、文法、語彙などの基本の徹底をする授業でしたが、今まではそれを日本語で中学校から学んでいたので、英語で学ぶことが新鮮で、基礎を再確認することができました。また、今まで知らなかった表現などを先生が毎回の授業でテストをしてくれるので、きついときもありましたが自分の為になりました。
   CPILSの食事については、周りの人は低評価でしたが、個人的にはおいしくてよかったです。また、学校と寮が併設されているので、館内で授業が被る友達と会えて、自然とコミュニティが広がり、英語を使う機会が増えて、会話をすることで英語を話すモードへの切り替えがいらなくなった気がします。
   最後に、セブ島でのお気に入りの思い出、そして大切な友達への感謝を綴ります。私が一番印象に残っている思い出は、仲のいい友達二人とダイニングルームで授業のこと、生活のこと、恋愛の話、様々な話題で盛り上がったことです。その理由は、私たちは留学に行く前から麗澤で同じクラスという接点がありましたが、ずっと一緒にいるような仲ではありませんでした。しかし、留学ということで一緒に過ごす時間が増え、授業後や毎週末、ご飯を食べにお出かけをし、門限ぎりぎりまで時間を過ごして、私にとってすごく大切な存在へと変わっていきました。その中でもすごく楽しかった日があります。その日は、タクシーでサファリパークに行って、たくさんの動物を近くで見て回って、すごく高い場所でのジップラインを体験しました。これがすごく長くて、爽快感があり人生一アメイジングでした。また、ほとんど同じ高さで自転車に乗って200mを渡るスカイバイクというアクティビティに挑戦しました。これも同様にアメイジングで最高でした。その後、タクシーで戻って、きれいなホテルでおいしい食べ物をたくさんたべて、すごく幸せな時間でした。
   この三週間の留学で、私の人生において貴重で今後の糧になる経験をしました。それは、楽しいことばかりではなく、様々な面において辛いことがあって、それを乗り越えて帰国できたからだと思います。環境の違いからか、体調を崩してしまい、周りに助けられて友達に恵まれて幸せ者だと心から感じました。この留学でわたしにかかわってくれたすべての方々に感謝します。ありがとうございました。

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