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留学体験記

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淡江大学

私の特別な留学体験記
今井絵莉
中国語・グローバルコミュニケーション専攻3年
2024年2月~6月

   私は2024年2月から6月の4ヶ月の間、台湾の淡江大学に交換留学生として留学しました。私にとってこの留学が初めての海外経験となり、これから始まる新しいことに期待する反面、もちろん不安な気持ちもありました。しかし、台湾の人々、留学生はとても優しい人ばかりでとても助けられました。私は、この体験記で長いようで短かった台湾での思い出を綴ろうと思います。
   まず初めに、私が住んでいた寮での思い出です。私は麗澤大学が建てた麗澤寮に住んでいました。ここには台湾の学生は住んでいませんでしたが、ヨーロッパやアジアの国の交換留学生が多く住んでいました。台湾人は少ないので中国語を話す機会が少ないと思いきや、とても中国語が流ちょうな留学生が多くいたため安心しました。また、英語を話す人も多いため英語を上達させる良い機会となりました。少人数だったからこそ麗澤寮の学生は他の寮の学生と比べるととても仲が良かったと思います。私は特にルームメイトの韓国人や同い年のタイ人と仲が良かったため休日はみんなで野球観戦や観光地に行ったりしました。そして、寮には地下があり、そこではプロジェクターで映画を見たり、卓球をしたりすることができます。夜ご飯を食べた後はみんなで地下に集まることがとても楽しかったです。また、授業が終わればみんなでご飯を食べに行くのが習慣でした。気軽に「今日何食べる?」「遊びに行こう」という言葉をかけられて家族のような仲でした。今ではそのような言葉を聞けないのがとても寂しく思います。最初はよそよそしかったもののいい留学生に恵まれて本当に良かったと思います。
   次に授業についてです。中国語のクラスは、夜の6時から8時まであります。留学生ばかりなので文化の違いが身に染みました。授業に遅れてくる子や授業中におしゃべりする人が多々いました。ですが、私は日本では経験できないような楽しいクラスだったので良かったです。改めて日本人の真面目さを感じました。また、休み時間には廊下に出て、夜何食べる?など他愛もない話をします。何気ない時間がとても楽しかったです。ただ、すごく夜遅い時間に授業がある事だけに関しては大変でした。完全に夜型生活になってしまっていました。
   次に台湾の食文化です。学校の周りはとてもお店が多く、何でもそろえることができます。おなかがすいたらすぐに食べ物を買うことができるので、誘惑がたくさんあったなと思います。特にタピオカミルクティーはベンティサイズでおよそ300円だったのでとてもお得だなと思いました。タピオカミルクティーの他にも果物系のスムージーも売られていて、しかも学校の周りに8軒以上飲み物屋さんがあるので、飲み比べするのが楽しかったです。また、台湾の食べ物は辛さが選べるものが多く、少し辛いと表記していても日本人にとってはだいぶ辛いかも知れません。私は唇を腫らしながら食べていました。加えて、台湾のお店はほとんどがテイクアウト可能なので寮に持って帰ってきてみんなで食べたりできるのでとても良い時間でした。また、お店での注文の仕方はメニューを選んで紙に書いてお金を払うシステムが多かったためとても便利でした。台湾は外食文化のため寮で自炊することはなく、時々ヘルシーなものが食べたいと思うときがあり、そのときはポキやフルーツを食べて過ごしていました。
   最後に観光地についてです。私は台湾の離島、澎湖島に行きました。そこは沖縄みたいにとても海が澄んでいてきれいでした。あまり日本人には知られていないレアな場所だと思います。風も気持ちよく天気もちょうど良かったので最高でした。台湾では雨が降った後に出る羽蟻のような虫がたくさんでて叫んでいたのが今思うととてもおもしろい思い出です。澎湖島の海鮮系の乾麺がとてもおいしく、おすすめします。また、澎湖限定品の黒糖ビールがとても飲みやすくておいしかったです。私は日本のビールは苦くて飲めませんが台湾のビールはマンゴーやグレープなどいろいろな味があり、甘くて飲みやすかったです。日本にいる今とても台湾ビールが恋しいです。また飲みたいと思います。
   澎湖島の他にも十份、九份、キルンなどにも行き、カフェ巡りもしました。十份、九份は写真で見ていた景色があり、とてもきれいでした。本当に千と千尋の神隠しの世界にいるようで感慨深かったです。キルンでは、有名な食堂に行きました。その店の人がサービスでたくさん料理を出してくれました。とても優しい人で、料理は食べきれなかったものの幸せな気持ちになりました。
   台湾では日本レトロが流行っているなと感じました。中山のカフェではメロンソーダやプリンなどがあり、昭和感溢れるお店がたくさん並んでいて日本にいるような感じがしておもしろかったです。
   私は台湾留学の4ヶ月間はあっという間な時間だったと思います。短い期間で初めて訪れた国で人柄の良さ、言葉、食文化、流行、価値観の違いなどたくさんのことが学べたとても濃い留学だったと思います。この4ヶ月間で学んだことを生かしてこれからも外国人と接するときにとても良くしていきたいと思います。すごく貴重な経験ができ、全てが特別な留学体験でした。

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フィッチバーグ州立大学

「まぁ、どうにかなるでしょ!」が学べた私の留学生活
中野梨香
英語・リベラルアーツ専攻4年
2023年9月~2024年5月

   こんにちは、みなさん! 外国語学部 英語・リベラルアーツ専攻4年の中野梨香です。私は2023年9月〜2024年5月までフィッチバーグ州立大学に交換留学をしていました。留学生活が終わってしまった今、私は本当に留学に行けてよかったと心から思います。それはやはり見たことのない世界で、今まで見たことのない自分を見られて、成長も実感できたからだと思います。
   最初になぜ私が留学を決意したのかお話しさせていただきます。私が留学を決めた大きな理由は自分を成長させたかったからです。私は自分の性格上、人の目線を気にしてしまって行動をせず、悔しい思いをしたことがありました。そんな自分を変えたく、誰も知らないところで1人で生活すれば何か変わるのではないか、と思い留学を決意しました。そして留学に行き学んだことは、やはり「自分から動かないと何も変わらない」ということです。留学に行き、ただ受け身の体制で過ごしているのでは何も変わることができないです。皆さんに一つお伝えしたいのは、国や場所関係なく、自分から最初の一歩を踏み出せることは、本当に大事で、そのような人物に一緒になって行きたいということです!!
   話は変わりますが、私の留学期間の前期についてお話ししたいと思います。私の最初の1ヶ月の留学生活は今までの人生の中で一番暗い自分がいたと思います(笑)。 それは。自分が想像していた留学生活と、現実で自分が過ごしている状況に大きな差があったからだと思います。想像していたのは、現地の学生とともに毎日遊んで話して過ごしているのかなと思ったら、授業が終わったら1人で寮に帰っていることが続いていました。その時の私は、ホームシックと自分の英語や臆病さに失望し、日本に帰りたいと強く考えていました。(そのため、授業開始の初日に冬休みの飛行機のチケットを買いました(笑)。
   ですが、このままでは笑顔で胸はって日本に帰ることができないと考えました。そして、まず友達を作ろうと思いダンスサークルに入ってhiphopとKPOPのチームに参加しました。ここでできた友人はとても大切な人たちになりました。K-popのチームでは共通の趣味があったので、そこで意気投合をしてサークル外でも話すようになったりしました。ダンスサークルがあったからこそ、どんどん現地の学生と話をすることに抵抗も無くなっていきました。ですが、前期授業の中間プレゼンで、私は本当に日本に帰ろうとしたことがありました。それは、私が授業内での先生の連絡を間違って受け取ってしまい、間違った内容を準備し、プレゼンテーションのチームのクラスメイトに迷惑をかけてしまったことです。自分はこんなこともできないのかと、本当に自分に失望しました。当時一緒に大学から留学に来ていた笹嶋さんに相談をして、「日本に帰りたい」と伝えました。その時に、彼女が「今が頑張りどきで、踏ん張りどきなんじゃない?」と言ってくれて私もスイッチが切り替わりました。ここで自分に負けるわけにはいかないと思い、チームのメンバーにわからないことを素直に伝えて、チームメンバーと一緒にプレゼンを準備することができ、高い評価も先生から得られることができました。このことがあったから、私は大きく成長できたと考えます。
   次に留学生活の後期のことをお話ししていきます。私が後期の中で一番苦労した授業はWritingの授業です。日本の大学でもWritingの授業はあったので最初は大丈夫だろうと考えていました。ですが、実際は日本の大学とはまた違ったので、わからないことだらけでした。英語のあるエッセイを読み、その文章に対して意見を求められるのです。日本でも現代文にも同じようなことがあります。それと一緒で英語の文章に対して意見を求められることは今まで何もなかったので、グループワークでどのように話すのかを考えたことがなかったのですが、この授業をきっかけに考えるようになったと思います、そして、この授業は分からないことが多かったので、自分で質問する回数がとても多くなりました。その時に、教授が「とにかく分からないことがあれば聞いて」と声をかけてくださいました。その一言から、やはり分からないことは聞いて良いのだと考えました。なので、日本に帰ってきても、分からないことはすぐに質問をしていこうとや、素直で過ごすことが大事だと考えました。
   正直私は留学出発する前は本当に、緊張していて外国で生活すること、学校を含め、とても不安感がありました。友達できなかったらどうしようや、授業についていけなかったらどうしようや、食事が合わなかったらどうしようや、たくさんのネガティブな部分を考えていました。いざ、留学生活を終えた後にそのようなことを考えると当時の私に、「まぁ、どうにかなるでしょ!」と伝えてあげたいし、失敗は全て成長中と考えれば良いと伝えてあげたいと思います。私は留学から帰った後友人から、顔つきが変わったと言われました。そして、性格も楽観的になれて笑顔が増えたと思います。そんな自分自身の成長も実感できた私だからこそ、留学に行きたいと考えていらっしゃるのではればぜひぜひ行っていただきたいです! 自分にしかできない留学体験をしてきて、誰にもとられない思い出をたくさん作っていただきたいです!!

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淡江大学

はじめての海外(淡江大学)
田中亮丞
中国語・グローバルコミュニケーション専攻3年
2024年2月~6月

   私は、己の見識や世界観を広げることを主体に、そのうえで中国語力を向上させるために台湾の淡江大学に留学をしました。留学は2月の中旬あたりから始まり、4ヶ月間の留学体験をさせていただきました。
人生の課題として留学をすることを課していただけで明確な目標や具体的な計画もなく、ただ漠然とそのときを待っていました。そのため留学前には、書類準備などの様々なことに理解がなく、多くの人の支えでなんとか渡航することができました。
   台湾に着いたのだという実感は空港を出た直後に肌身をもって感じました。というのも、あつい。ただ暑いだけでなく蒸し暑いといった方が正確ですね。渡航前の東京は肌寒ささえ感じたというのに。やはり沖縄に近いだけあって湿度と気温が尋常じゃありませんでした。空港からは現地の先輩方が案内してくれるとのことで合流をし、バスに乗りました。彼らは英語と中国語を使い分けて我々にも伝わるように指示を出していたと思います。聞き取りが苦手な私は留学生、すなわち麗澤大学の友人たちの後に続くことで精一杯でした。
   そんなこんなで寮に着き、ルームメイトが誰なのか不安混じりの期待に胸を膨らませていた矢先、私のルームメイトは麗澤大学の同じ専攻の友人2人であることを伝えられました。留学前は多国籍の人と同じ部屋になると聞いていたものだから当時は少し落胆していたのを覚えています。これは不備ではなく、単純に今期の淡江大学の麗澤寮に男子が少なかったということだったらしいです。しかし、友人がルームメイトだからこそ困ったことやわからない時は聞きやすいためそういった面で安心感もありました。
   寮生活そのものが初めてだったため、初見の感想だとあまりきれいじゃないし、虫とかも多そうとか思っていました。実際でっかいゴキブリとか蝉が入ってきたりとかもありました。後に、麗澤寮はほかの寮に比べたら相当マシであるという話を聞きました。
   私が最初に当たった壁が金銭関係です。学校で様々な手続きをする中で授業料等の料金の支払いがありました。私はクレカ一枚に現金50万円程度をもっていたのですが、その手続きで、総額30万円程度を支払うことになり手持ちの現金が20万円になってしまったため、お金に対しての不安がすごく大きかったです。やはり、留学に行くならGPAは高めに保って授業料免除はするべきであったと後悔しています。
   ご飯は基本外食で、台湾の夜市やお店にほぼ毎日行きました。というのも、台湾では自炊をしないで外食で食事を済ませる家庭が多いそうで、夜はとても賑わっています。注文方法が少し日本と違うので戸惑うことも多かったです。
   履修をして、授業が始まりましたが、最初はすごく緊張していました。しかし、先生方はとても親切にしてくれました。わからない、聞き取れない、これが私にとって第二の壁です。正確に言うと留学生向けに開講されている講義は当然聞き取りやすく、ペースもちょうどいいので問題はなかったです。問題なのはそれ以外の講義で、それらは現地の台湾人向けに開講されている講義なので、当時の私からしたら早すぎて中国語にすら聞こえませんでした。プログラミングを履修していたのですが、履修していた講義の中でもダントツに訳がわからなかったです。事前知識で何をしているのかはわかるのですが、固有名詞が多いため何を言っているのかがわからず、課題等も指示通りにできていなかったと思われます。
   次に私が当たった壁は、私にとってあまりに高くあまりに厚いものでした。それは、コミュニケーションといったもので、以前からどうもそれが苦手でした。頼り方も知らないので講義でも質問ができないというのもそのせいなのですが、当時の私は壁を見誤り、言語の壁がそうさせているものだと考えました。そうして4月くらいまで私はガリ勉のようなスタイルでひたすら教科書、参考書の暗記をしていました。しかし、それをやっていても話さないため成長はしないのは当たり前で、外出もしていないのでルームメイトにも気を遣わせるような生活になっていました。
   寮には日本人や韓国人、スペイン人などの多国籍の人がいました。私は4月になってもその人たちの名前すら知らない状態でした。しかし、ルームメイトの会話にはいろんな人の名前や知らない話題が飛び交っていて、正直コミュニケーションをとれる彼らが羨ましかったです。
   ちょうど留学期間半分を迎えるくらいの時、気を遣ってくれたのかルームメイトに遠出をしようと誘われ、さすがにこのままではダメだというのは内心わかっていたので一緒に行くことにしました。そこで寮内の異国の人とも初めて会話を交わしましたが、私は全然話せずほぼ無言の気まずい空気でした。反面ルームメイトは、会話がとても弾んでいました。語彙や文法をインプットしてもアウトプットしている人には敵わないことを学びました。
それからというもの、私は勉強量を減らし、私のペースでほかの人との関わりや外出を増やすようにしました。寮の人との仲も深まってゆき、外食とか遠出もよく行くようになりました。遠出といえば九份、十分や猫空、士林、台北101などに行きました。九份、十分はランタンを飛ばしたり夜市がきれいだったりで、とても印象に残りました。私はゲームセンターが好きなため、深夜には徘徊をして、コンビニやゲームセンターに寄る習慣がありましたが、友人たちともそれをするのがとても楽しかったです。
   そうして人と関わりを増やしてから、伝えたいことを伝えられるようになり、聞き取りもそれなりにできるようになっていきました。時が経つのは早いもので、そうなった頃にはすでに帰国まで1カ月間を切っていました。帰りたいという気持ちは少しあったのですが、思い入れの力なのか帰りたくないという思いはもっと強かったです。帰るときには寮の人たちに見送られてちょっと悲しくなったりしました。
   残念ながら、あまり台湾人とは仲良くなることができませんでした。なので、また台湾に行く機会を作ろうと考えています。異文化を肌身で感じてみて、世界観はとても広がりました。語学力も理想以下ですが進歩できたのでよかったです。何よりよかったことは人に恵まれたことです。サポートしてくださった方々や寮の人たちには頭が上がりません。総じて素晴らしい留学体験であったと言えますが、そこで終わらせずにこの経験を今後に活かしていく所存です。

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釜山外国語大学校

韓国留学を終えて
金澤千夏
国際交流・国際協力専攻3年
2024年2月~6月

   私は、2024年2月〜2024年6月の約4ヶ月間釜山外国語大学に留学をしてきました。留学を決めたきっかけは、小さい頃から韓国の文化に興味があったからです。ソウルに旅行に行く機会は何度かあったのですが、旅行では分からないような体験をしてみたいという思いから今回の留学を決めました。私は、今回の留学を通して新しい発見や出会い、韓国の文化を沢山学ぶことができ貴重な経験ができたと感じています。最初は、寮の仕組みなど分からないことが多くあり戸惑うことも多かったのですが、ルームメイトと話し合いながら生活を始めていきました。
   私が住んでいた寮では、2人1部屋で生活をしていました。ルームメイトとは一緒に買い物をして日用品を揃えたり、寮内にある食堂でご飯を食べたり、一緒に洗濯をしたりしていました。また寮は学校から徒歩5分ほどのところにあったので、朝はとてもゆっくり行くことが出来ていました。学校の周りにもスーパーやコンビニも揃っていたのでよく買い出しに行っていました。大学は自然も多く綺麗でしたが、急な坂があるので移動するのが大変でしたが、大学から出ているバスに乗ると基本何処にでも移動することが出来ていたので、よく利用していました。最初は慣れるのに時間がかかりましたが、2週間ほど生活すると周りのことにも理解することが増え、段々と慣れてきました。
   授業では、最初はついていくのが大変でした。周りの生徒も最初から韓国語を話せる人が多かったので、私は先生の話していることを聞き逃さないようメモを取ったり、直接聞きに行ったりと毎日の授業を常に集中して受けていました。釜山外国語大学では、授業や宿題以外に授業の事前動画が配信されることが多かったので、私は学校が終わった後や休日にその動画を見ながら調べ、授業に追いつけるように工夫をしていました。また、授業内では多国籍の生徒の方も多かったので友達になり、一緒に会話をし、多文化交流もしながら楽しく授業を受けることが出来ました。
   授業の一つとして一番印象に残ったのは、タンデム授業です。タンデム授業では、日本人と韓国人の1対1で会話をしました。その日に話すテーマを決めてお互いの国の習慣、食文化、伝統文化などを話し合いました。話していく中で私の韓国語をすぐに直してくれたり、実際の韓国の文化や生活なども直接聞いたりすることができたので良かったです。また、体験学習がありペアの人とご飯を食べに行ったり、様々な体験をしたりしました。一緒に体験をすることで歩いている途中でも韓国の文化や単語、歴史やマナーなども学ぶことができたのでとても貴重な体験で楽しく授業に参加することができました。
   テストでは、2週間前から勉強に取り掛かり今までの授業内容をまとめたり、分からない単語を調べながら図書館やカフェで勉強をしたりしていました。また、韓国人の友達と勉強することによって、発音やどのような場面で使うのか、韓国人が普段使う言葉なのか、など教科書では分からないことも教えてくれたので、とても勉強になりました。テストでは発表をする機会も多くあったので、何度も発音や区切りなどを読み練習を繰り返したのを覚えています。発表もとても大変でしたが、実際に声を出して読んだり、難しい単語を調べたりすることによって、その後の生活の中でも使う単語が増えていったのでやってよかったと感じています。
   授業以外では、「のびのび」という活動に入りました。ここでは、日韓の生徒交流をすることが出来る場面でした。私が入った時には、お花見をする機会やご飯会もあったので、自分から積極的に行動をし、色んな方と仲良くすることができました。また、ご飯会では韓国のお酒のマナーや最近流行している言葉や伝統的な遊びなどを教えてもらう貴重な時間を過ごすことができました。「のびのび」で仲良くなった友達とは学校や寮で会った時に話したり、休日に一緒に遊びに行ったりと活動外でも留学の最後まで親しくすることができたので私にとってとても良い経験となりました。
   休日では、友達と西面や広安里、海雲台、慶州などの釜山の観光地を観光したり、釜山の名物を食べたりと充実した休日を過ごしていました。西面ではカフェが多かったのでカフェに行ったり、ショッピングをしに行ったりしていました。釜山には海があるので、海を見ながら海鮮のご飯を食べて楽しんだりもしました。また、韓国ではデリバリーをする文化が多いので、韓国人の友達に注文してもらい韓国人が普段食べているものを食べてみたり、韓国式の食べ方をしてみたり、日本ではできないような体験もすることが出来ました。その中でも、私が特に行って良かったと思った場所は慶州です。歴史的な建物や自然も多かったのでとてもリラックスしながら観光することができました。美味しい밀면(ミルミョン)や경주빵(慶州パン)を食べた後にカフェや雑貨屋さんを見て観光することもできたのでとても印象に残っています。最初観光する時は、店員さんに注文や質問をすることに不安もありましたが、観光をすることでその機会も増えていき、最後の方には店員さんと日本のことを話すなどあまり心配もなく会話をすることができていました。また、日本人だけで遊びに行く際も日本語だけを使うのではなく、単語を韓国語にしてみたり、日本語と韓国語を混ぜながら会話をしてみたりしていたので観光をしている中でも常に勉強をすることができていました。
   最後に、本当にあっという間の留学でしたが、行って良かったと思える留学生活を送ることができました。この留学生活は韓国にいる友達やサポートして下さった方々の助けがあり過ごすことができたと思います。韓国で出会った友達には短い間でしたが、沢山助けてもらったり韓国の文化を沢山教えて貰ったりしました。なので、いつか私も恩返しができるように、この出会いと感謝の気持ちを忘れずに釜山外国語大学の留学を生かしてこれからも頑張っていきたいと思います。ありがとうございました。

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淡江大学

淡江大学留学体験記
山口美春
中国語・グローバルコミュニケーション専攻3年
2024年2月~6月

   2024年2月から6月までの淡江大学での4ヶ月間の台湾での留学生活が終わり、振り返るとあっという間の留学生活だったと感じています。この4ヶ月は毎日が刺激的で、短い期間ではありましたがたくさんの経験をすることができました。
   2月17日に台湾に渡航して、台北松山空港に到着した時は不安でいっぱいだったことを覚えています。当たり前ですが周りの看板は全て中国語や英語で書かれていたり、周りから聞こえてくる話し声は中国語で、台湾に来たのだと実感したと同時に、これから自分はここで生活していけるのかと不安になりました。最初は生活に慣れることがとても大変でした。台湾のトイレでは紙をおいてあるトイレが少ないだけでなく、紙を流さずゴミ箱に捨てるので最初は慣れませんでした。また、寮にはシャワーしかなかったので2月はとても寒く湯船に入りたいなと思う時もありました。ご飯を食べに行くとき、日本では基本的に後払いですが台湾では注文してすぐ料金を払う先払いの店が多いのでとても驚きました。しかし1ヶ月もすれば生活には慣れ、時間が経てばたとえ初めての環境であっても適応していけるのだと実感しました。最初はスーパーやコンビニの店員の方が何を言っているのかもわかりませんでしたし、タピオカ店で飲み物を注文する時もうまく伝えることができませんでしたが、次第に受け答えができるようになり、注文も恐れずにできるようになったので、日々の生活の中でも少しずつ成長していることを感じました。
   学習面については、必修である中国語の授業は到着の翌日に実施されるクラス分けテストを参考にして自分でクラスを選択します。テストはGoogleフォームを使ったテストと、面接形式のテストの2つを行いました。授業は讀寫と聽說の2つに分かれているため自分の能力に合わせて授業を選択する事ができます。この中国語の授業は週4回夜18時から20時に行われるので、日中は学科の授業や留学生向けに開講されている授業を履修しています。この履修登録がとても大変でした。中国語GC専攻はそもそもの必修科目が多いので、うまく履修登録をしないと日本に帰ってから単位互換をするのに苦労してしまいます。現地の学生は既に履修登録が完了したあとで授業が始まりますが、私たち留学生は授業が始まって2週目以降に履修登録を行いました。最初の1週目は興味がある授業を見学する事ができ、授業の雰囲気を見てから履修登録をする事ができます。しかし取ろうと考えている授業の定員が既に満員なことも多く、どの授業を履修するかとても悩みました。先生によっては定員が満員であっても留学生を受け入れてくれる授業もあると聞いたので、私はとりあえず自分が受けてみたい授業を登録しました。しかし、登録した授業の半分程度しか履修する事ができず、日本に帰って単位互換をすることを考えると授業数が足りなかったので、追加で履修することができないかさまざまな授業の先生に交渉しにいきました。結果としてはなんとか希望する授業数を取ることができたのですが、履修登録が完了するまで3週間程度かかってしまったので、最初から多めに授業を履修しておいた方が良いと思います。
   授業については、どの授業も最初は先生が何を言っているのか理解することができませんでした。特に現地の学生向けの授業での中国語のスピードはとても速いので、授業の内容を理解すること以前に授業についていくことに必死でしたが、授業を受けていくにつれて少しずつ理解することができるようになったと感じています。これは、環境が変わり中国語を聞く機会が日本にいるときとは格段に増えたからこそ、聞いて理解する能力が上がっていくのだと思いました。
   私たちが住む淡江大学の麗澤寮は国際寮のため、さまざまな国籍の留学生が一緒に生活しています。台湾人の学生はこの寮に住んでいないため、寮内でのコミュニケーションは中国語よりも英語が使われています。そのため、留学生同士が国際交流できることが麗澤寮の良いところではありますが、台湾人の友達を作るためには自分から行動していくことがとても大切だと思います。私は、外交的な性格ではないため、多くの人が集まるコミュニケーションの場に参加することはあまり得意ではありませんが、さまざまな学生と交流できるチャンスだと思い、淡江大学の国際交流団体のイベントや、チャットコーナーと呼ばれる平日の日中に行われている台湾人学生と留学生同士で語言交換をする活動に積極的に参加しました。語学を学ぶ上ではインプットだけでなくアウトプットする事がとても大切だと思うので、このような場では授業で習った文法などを積極的に使うことを意識しました。このようなさまざまな活動に参加していく中で、私は英語をもっと勉強しておけばよかったと強く感じました。大学生になってからは中国語をずっと勉強していたので英語の学習が疎かになっていました。留学生同士、または台湾人と会話をする際にわからない単語があれば英語を使うことで、お互いの言いたいことを理解できる場面が数多くあったのですが、英語が出てこずに会話がうまくいかない事が最初のうちは多くあったように感じます。英語が話せて悪いことは一つもないし、他の留学生は英語を話せる人がほとんどなので、英語の学習は留学に行く前から積極的にするべきだと思いました。
   これらのイベントやチャットコーナで出会った友達とはご飯を食べに行ったり、休日遊びに行ったりしました。また、この4ヶ月の留学期間中で台北だけでなく台中、高雄の方に旅行に行きました。さまざまな観光地にいく中で、台湾の中でも文化の違いや食事の違いなどを感じる事ができました。例えば、台湾の中でも南に行くにつれて方言が強いことや、食事は台北よりも台南の方が全体的に味付けは甘いように感じました。まだまだ行けていない観光地も多くあるので、また台湾に行った時はいろいろなところに行ってみたいです。
   この4ヶ月間で、語学力だけでなく、さまざまな面において大きく成長することができました。留学生活をより良いものにするためには、日々の学習の積み重ねはもちろんですが、一人でも積極的に行動していくことがとても大切だと思います。残りの日本での大学生活をもっと有意義に過ごしていくために、この4ヶ月の留学で学んだことを最大限活かして頑張っていきたいです。

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淡江大学

半年間の台湾留学生活
蛯子百葉
中国語・グローバルコミュニケーション専攻3年
2024年2月~6月

   私は2月から6月までの4か月間、台湾の淡江大学に留学をしました。留学を通してたくさんの経験をすることが出来ました。台湾での授業、食事、生活面について書いていこうと思います。
   台湾の松山空港に到着すると淡江大学の学生がいて両替やsimカードの買う場所などを説明してくれたので迷うことなく手続きをすることが出来ました。その後バスに乗って淡江大学まで移動しました。バスに乗りながら外を眺めていると淡水に近づくにつれて街並みが変わっていき台湾にいることを実感しました。授業が始まるまでは当日台湾に到着してもまだあまり留学するという実感が湧きませんでした。最初の数日間は必要なものを買いに行ったりなどでまだ旅行に来ているような気分でした。到着した日は布団や日用品を買いに行きました。そこでも台湾の学生がお店に連れて行ってくれたり、学校を案内してくれました。
   授業についてです。中国語の授業は夕方六時から八時までありました。月・木曜日に「聽説班」と火・金曜日に「讀寫班」の授業がそれぞれ週に2回ずつあり、水曜日は夕方からの中国語の授業はありませんでした。最初の2週間はクラスを決めるための体験期間があるので、いくつかのクラスを体験することが出来ます。なので自分に合ったレベルや先生を探すことが出来ました。中国語の授業がない時間帯は実際に台湾の学生が受けている授業も受けることが出来ます。そこで授業を受けてみて感じた日本との違いは授業中に普通にご飯を食べている学生がいることでした。特に13時からの授業で多かったです。日本だとほとんどの授業で授業中はご飯を食べてはいけないというのがあるのでとても驚きました。勉強の面で大変だったことは今までは簡体字で習っていたので繁体字で書かれているのに慣れるまで時間がかかりました。また、今まで習った言い方、読み方、声調が台湾では違ったりするのがいくつかあり慣れるまで少し大変でした。また中国語以外の授業は台湾の学生と一緒に授業を受けるので先生の話すスピードも速く聞き取るのが大変でした。パワーポイントなどの資料があれば想像しながら大体の内容を聞き取ることができました。しかしない授業ではスピードも速く先生の話を理解するのが大変でした。分からないところは友達に聞いたり先生に助けてもらいながら授業を受けることが出来ました。
   食事についてです。台湾は基本的に外食文化があるので私もほとんど毎食お店で食べていました。自炊するよりも外食をしたほうが安く抑えることが出来ます。大学の周りにはたくさんおいしいお店があります。また、台湾料理よりも値段が高くなってしまいますが日本式料理屋も多くあるので食事に困ることはありませんでした。近くにスーパーもあるのでフルーツなども買うことが出来ます。大変だったことは最初の頃はお店に行っても店員さんの話すスピードがとても速く聞き取れなかったことです。しかし過ごしていくうちに聞き取れるようになっていきました。
   寮についてです。私は麗澤寮で生活をしていました。各階に洗濯機、冷蔵庫があります。ルームメイトは日本人2人とフランス人2人の4人部屋でした。部屋では英語と中国語を使って会話をしていました。この寮には台湾人がほぼいなくてほとんどがいろんな国から来た留学生なので中国語より英語を使う機会のほうが多かったです。
休みの日にはいろんなところに出かけました。台北にはMRTに乗って1時間ほどで行くことが出来ます。なので中国語の授業がない水曜日や土日には台北や淡水に遊びにいきました。他にも「高鐵」という新幹線のようなものにのって台北から2時間ぐらいで台湾の下のほうまで行くことが出来るので春休みには高雄に2泊3日で旅行にいったり、週末には臺中にも1泊2日で旅行に行きました。ほかにも基隆、九份、十份に行きました。台湾の人はみんなとても親切で日本人だとわかると話しかけてくれたり知っている日本語を使い話しかけてくれたりしました。また、旅行に行ったときに座って休憩していたときに隣にいたおじいちゃんが話しかけてくれておすすめの場所や話をたくさんしてくれたり、バスに乗っているときに横に座っていたおばあちゃんが日本に行った時の思い出などを話してくれました。
   また大学のシティーツアーなどにも参加し新竹に行きました。そこでは米粉DYIなどをしました。このツアーにはたくさんの国の留学生や台湾の学生が参加していたので交流をすることもできました。他にもVOISが主催している交流会やイベントに参加することで友達を作ることができて交流の輪を広げることが出来ます。また麗澤のConversation Partnershipのような台湾の学生とペアを組み交流することが出来るプログラムに申し込んだり、授業がない時間にはChat Cornerに行き中国語の練習などをしました。ペアのプログラムでは一緒にご飯を食べにいったり台湾の有名なお菓子をプレゼントしてくれたりしました。他にも共通の趣味があったのでとても楽しく話すことができました。Chat Cornerでは授業の課題で分からないところを聞いたり、おいしいごはん屋さんやおすすめの観光地などを教えてもらったり、雑談をしたりなどすることができるので楽しく中国語の練習ができます。
   半年間の台湾留学を通して台湾の人はみんな親切でたくさんの人に助けられました。また、たくさんの国の人と交流をすることができました。途中で早く日本に帰りたいと思ってしまった時期もありましたが、それ以上に留学をしないと体験できないようなこともたくさんできたのでとても良い思い出になりました。何事もまずは取り組んでみることが大事だと感じました。もしできなくてもまわりの学生や先生に相談するとみんな優しく助けてくれるので積極的に行動することが大事だと思いました。この経験をこれからの生活に活かしてもっと成長できるようになりたいと思いました

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釜山外国語大学校

初めての海外経験
野口紗也夏
日本学・国際コミュニケーション専攻3年
2024年2月~6月

   私は2024年2月末〜2024年6月末まで約4ヵ月間、韓国の釜山外国語大学に留学しました。初めての海外経験が留学だったので不安でいっぱいでした。韓国に留学したいと思ったきっかけは、中学生の時からK-POPアイドルが好きで大学に入ってから第二言語として韓国語を選択しました。勉強していくうちにもっと話せるようになりたい、海外で自分の実力を試してみたい、と思い留学を決めました。もう1つは、大学生のうちにやりたいことの1つだったことです。留学という経験は人生でそう何回もできる経験ではないと思います。なので大学生のうちにしかできないことをやってみたくて決めました。
   まず、1番最初に苦労したのは履修登録です。韓国の履修登録は日本とは違って先着順なので作業に手こずっていたら一瞬で枠が埋まってしまいます。実際に私も上手くできなくて自分の取りたかった授業が取れませんでした。いくつか予備も考えていたのでなんとか組むことができました。いざ授業が始まって受けてみたら全く分からなくて困りました。先生が話しているのも早くて、何が課題で何をしなければいけないのかも全く分からない状況でした。この時私は日本で勉強していた韓国語がいかに甘かったかを痛感しました。日本の授業ではそれなりに成績が取れていたので、その気持ちのまま留学に来てしまったことを反省しました。なので授業では、自分はこのクラスの中で1番韓国語ができない生徒だ、と思うようにして勉強していました。特に会話の授業では相手の話していることを聞き取って、自分の言葉で発言しなければならないのでとても苦労しました。留学生の授業だから韓国人はいないはずなのに、みんなとても流暢に話していて自分が小さく見えました。授業が終わった後はその日に習った単語をノートに書いたり、わからなかった単語を調べたりして復習しました。調べてもわからなかったり気になることがあったときは韓国人の友達に聞いたりしていました。そうしていくうちに耳も慣れて自分の言葉で伝えられるようになり少しずつ授業が分かるようになっていきました。
   私は一緒の大学から来た子と山口県から来た2人の合わせて4人で毎日一緒に行動していました。とても楽しくて笑いが絶えない日々を送っていました。ですが、心の中で「せっかく留学に来たのに日本人同士だけで仲良くなるのはもったいない」と思っていました。そんな時に、私の語学力を伸ばすきっかけをくれたのがダンスサークルでした。
   私が留学に来て言語を学ぶこと以外にやってみたかったのがダンスです。韓国は日本よりもダンスのレベルが高くて、有名なK-POPアイドル達を見てもみんな上手です。そんな国でぜひダンスをしてみたいと思いサークル入りました。まず最初に驚いたのが、入部するのにオーディションを受けなければならないことだったことです。韓国人から聞いた情報だと7人に1人が受かるとのことでした。そこをくぐり抜けて見事合格し入部することができました。私がオーディションの時に披露した曲が男性の曲だったので、そのまま男性グループの方に混ざって練習することになりました。最初は緊張していて韓国語も上手に話せないので戸惑っていましたが、みんなが温かく迎えてくれて徐々に馴染めるようになりました。翻訳機を使って説明してくれたり、身振り手振りで表現してくれたり、英語で説明してくれたりなどたくさん助けてもらいました。そこで生活する中で自然と韓国語も聞き取れるようになっていき、日常会話の表現が身につくようになりました。教科書や授業では学べない「生きた韓国語」を学ぶことができたので、いつしか翻訳機を使わなくても自分の言葉で話せるようになりました。文化祭の時には一緒にステージで踊り、たくさん写真を撮りました。他にも海が見えるところを背景にダンスを披露したりなど様々な公演に参加しました。日本人の友達も応援しに来てくれてとても嬉しかったです。
   韓国にはMTと呼ばれるサークルのみんなと仲を深める行事がありそこにも参加しました。海でレクリエーションをしたり、みんなでチキンを食べて盛り上がったり、室内レクリエーションをして楽しんだりとても濃い時間を過ごしました。MTの日がサークルのみんなと会える最後の日だったのでサプライズでケーキを用意してくれました。みんながお疲れ様、頑張ったねと声をかけてくれる中、帰らないでと言ってくれる人もいて嬉しくて涙が止まりませんでした。できることなら帰りたくないとも思いました。ここでみんなと1つの作品を作りあげたこと、異国の地で大好きなダンスを踊ることができたこと、言語が上達できたこと、そしてサークルのみんなと仲良くなれたこと、全てが私にとってかけがえのない思い出です。
   私が過ごした4か月間は長いようであっという間でした。韓国に来た当初は生活に慣れなくて言葉も分からなくて、帰りたいと思う時もありました。でも、留学に来たから巡り合えた友達や韓国人の友達、サークルの人たちと時間を過ごすにつれて、いつしか帰りたくないと思うようになりました。授業や本で学んだ文化だけでなく実際に行ってみてわかったこともたくさんありました。また、韓国人だけでなく中国やウズベキスタン、タイ、ベトナム、インドネシアなど様々な国の人とも関わることができました。言語を通じて世界中の人と関われることがこんなに楽しいんだと感じました。みんなとたくさんの縁ができて私は幸せ者だと感じました。たった4カ月だったけれどある程度力をつけてみんなと仲良くなることができたので、もっと期間があればさらに力をつけてより会話するのが楽しいんだろうなと思うと名残惜しいです。みんなと別れる際にはとても悲しくて「一期一会」という言葉が心に染みました。日本に帰ってきてしまうとどうしても韓国語を話す機会は少なくなってしまうので自然と身に着けた能力が下がってしまいます。ですが、次また会った時の為に韓国語を今よりもっと力をつけて話せるようにしておきたいと思います。また、実際に留学してみて将来やりたいことや今後の目標が明確になったので、今はそこに向かって頑張りたいです。今後も韓国人やたくさんの国の人との繋がりを持ち続けより言語が上達するようにしたいです。

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淡江大学

私の台湾留学
古澤日和
中国語・グローバルコミュニケーション専攻3年
2024年2月~6月

   私は自分の視野を広げ、将来の選択肢を増やすために、台湾に留学することに決めました。台湾の淡水にある大学で、語学力の向上と異文化理解を深めるためにさまざまなことにチャレンジしました。台湾は文化的にも歴史的にも非常に興味深い場所であり、その環境が自分を成長させるのではないかと思いました。また、台湾の人々がどのように生活し、どのような価値観を持っているのかを知ることで、私自身の価値観も広がると考えました。
   私が台湾に到着して最初に感じた湿度と気温の高さと、台湾の独特の匂いは今でも覚えています。また、空港から大学へ向かうためにバスに乗ったのですが、バイクの交通量の多さと運転の荒さにとても驚かされました。バスから見える風景は、日本とまったく違っていて、街並みは古く、非常に趣がありました。寮についてからは、台湾の学生と周辺を散策したのですが、買い物の手伝いやスマホの設定など、わからないことを全て教えてくれて、台湾人の優しさを感じました。寮には、キッチンや寮の人たちが集まることができる共有スペースがあり、特に卓球ができることに目を惹かれました。
   私は台湾の大学で、中国語文学部として、中国語の授業を主に履修しました。特に、必修として履修する台湾華語の授業では、リスニング・スピーキング、リーディング・ライティングと二つに分かれた授業形態で、徹底的に基礎力を高めました。これらの授業は非常に活発で、グループ活動から話す機会をたくさん得ることができました。さらに、留学半ばに行われたスピーチコンテストに参加し、インプットだけではなく、アウトプットすることも積極的に行いました。このスピーチコンテストに参加して、ただ話すだけではなく、伝えようとする大切さを学びました。また、中国語文学や歴史、文化に関する授業も履修し、中国語や台湾の文化的背景を深く理解する機会を得ました。先生たちはとても優しく、授業内容を理解できないときには分かりやすく教えてくれて、テストの際も、レポートや事前課題の提出など柔軟に対応してくれました。
   私の台湾での思い出は、たくさんの友達と遊んだことです。特に、寮にある共有スペースで、寮の人たちとそれぞれの国の言語や文化について話し合ったり、ゲームをしたりしたことがとても楽しく、新しいことを知る良い機会となりました。週末には、観光スポットへ行ったり、買い物をしたり、夜市へ行ったりしました。その中でも、特に印象に残っているのは、春休みの期間に澎湖諸島へ行ったことです。澎湖諸島は「台湾海峡に浮かぶ宝石」と称されていて、多くの観光スポットがあります。ここでは、澎湖諸島が作り上げた自然と、そこに住む人々の温かさを知ることができました。ここの海岸はとても透き通っていて、私がこれまで見てきた海の中でも群を抜いて綺麗でした。季節は春でしたが、台湾の気候のおかげで、海に入ることもでき、澎湖諸島の自然を身をもって感じることができました。
   私が留学期間中に苦労したことは、言語の壁です。最初は、授業の内容が理解できないこともあり、テストやレポートに悩まされましたが、授業後に先生へ質問をしたり、友達に助けてもらったりしながら、徐々に克服していきました。また、食生活を受け入れることにも悩まされましたが、台湾の食文化を知るためにたくさんの台湾料理にチャレンジしました。私が食べた台湾料理の中でいちばん美味しかったのは、「蔥抓餅」です。「蔥抓餅」はネギが入った生地を焼いて具を挟み、醤油だれを塗った食べ物です。私は、台北の永康街で食べたのですが、本当に美味しいので皆さんにもぜひ食べてみてほしいです。他にも、寮のキッチンを使い、友達と一緒に料理を作ることで、台湾の食文化だけでなく、他の国の食文化も理解を深めることができました。さらに、生活環境の違いにも慣れるのに時間がかかりました。台湾の生活リズムや、飲食店の利用方法、交通ルールや公共交通機関の利用方法など、さまざまな面で日本とは異なる点が多くありました。これらを理解し、慣れるために、台湾人の行動を真似してみたり、現地の人に積極的に交流したりしました。また、授業が基本的に昼頃から夜までだったので、ご飯を食べたり、シャワーを浴びたりするタイミングが非常に難しく、寝る時間がとても遅かったのが、慣れるのに時間がかかった原因だと感じています。それでも、台湾での生活を楽しむことができ、さまざまな経験を通じて成長することができました。
   私は留学を通じて、語学力を大幅に向上させるとともに、異文化理解をより深めることができました。さらに、自己成長も感じることができ、将来について視野が大幅に広がりました。この留学での経験は、私の今後の生活のベースとなっていくと思います。そして、今後の人生に大きな影響を与えると確信しています。具体的には、国際的な視点を持つことができ、将来的に日本国内に留まらず海外にも目を向けるきっかけになりました。また、異文化に対する理解を深めることで、外国人を受け入れ、尊重する思考も身につきました。さらに、寮生活から自己管理能力も向上しました。日本と環境が違う地で、学校生活と私生活を自分で管理しなければならないために、計画性と時間管理を徹底しました。
   私にとって台湾での留学生活は、とても貴重な経験となりました。特に、この時期に海外を体験したことで、自分の視野が広がり、将来の可能性が大きく広がることを実感しました。この経験を通じて得た学びや成長を、今後に活かしていきたいと思います。そして、今後また機会があれば、台湾に行きたいです。留学を通じて得た友達や知識、スキルは、本当にかけがえのないものだと思います。これからも、異文化交流を大切にし、より良い未来を築いていきたいと考えています。留学を考えている皆さんにも、ぜひ台湾を選んでいただいて、素晴らしい経験をしてほしいと思います。

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淡江大学

台湾留学体験記
大野海奈
中国語・グローバルコミュニケーション専攻3年
2024年2月~6月

   私は2024年の2月から6月までの4か月間、交換留学生として台湾北部に位置する淡江大学に留学していました。滞在中はとても長く感じていた時間も終わってみれば本当にあっという間で、今では留学が始まったのがつい最近の事のように感じています。本レポートでは、私にとって特別な経験となった今回の留学を振り返って、学んだことや感じたことをお伝えしていきたいと思います。
   留学前の私は、海外で長期間生活できるということに対して漠然と楽しみという感情しかありませんでした。親と離れて生活するのが初めてだったというのもあって、とても浮かれていて、今思えば留学するということを表面上でしか見ていなかったなと思います。そんな感情も台湾に着くやいなや沢山のカルチャーショックにより、一瞬にして緊張や不安へと変わっていきました。体験したカルチャーショックの中で唯一未だに抵抗があるのが台湾のトイレ事情です。台湾のトイレはお世辞でも綺麗と言えるような場所ではなく、トイレットペーパーもない上に流せないので、帰ってきて改めて日本のトイレの快適さに感心しました。交通の面に関しては、台湾は日本と比べてバイクの利用者がとても多く、路地に入るとバイクがズラっと路肩に停められているのをよく目にしました。日本では歩行者優先が当たり前のように行われていますが、同じような感覚で台湾で道を渡ろうとすると、止まってくれる車やバイクは少なく歩行者を避けて通り過ぎる人が多いことに驚きを隠せませんでした。また公共バスの運転が非常に荒いのも日本との大きな違いです。乗車して手すりを掴む前に発車されたり、急ブレーキで何度も転びそうになったりと、とても大変な思いをしましたが、しばらくすれば慣れていきました。
   次に気候についてですが、日本より南に位置する台湾でも2月3月はダウンジャケットが必要なくらいに寒かったです。正直薄手の上着1枚で十分だと思って準備していたので、現地に着いてから冬服を買い足しました。5月頃になると最高気温が30度を超え、湿気が多いムシムシした日が続きます。私は暖かくなってから冬服を日本に航空便で送りましたが、船便の方が金額が抑えられるので、日本に荷物を送る際は船便をおすすめします。
その他の日常生活に関しては、やはり言語が私にとって一番大きな壁でした。私は淡江大学の敷地内にある麗澤寮で日本人1人、ベトナム人1人の2人のルームメイトと一緒に生活していました。ベトナム人は学部生だったということもあり中国語も英語もペラペラだったのですが、私が聞き取れないことが多かったり、話せる能力も乏しかったりで意思疎通が上手く出来なかったことがとても辛かったです。また学校の授業や飲食店、スーパーやコンビニのレジでの会話などでも聞き取れなかったり通じなかったりした時に、はじめて自分自身がどれだけ語学能力が身についていないのかを実感し、同時に日本で当たり前のように言葉が通じて、聞き取れることは凄いことなのだなと感じました。
   授業に関しては週4日、18時から20時の枠で行われる留学生が受講する中国語の授業と、現地の人たちが受講する授業を受けていました。留学生の集まる中国語の授業では、履修を行う前に受けたクラス分けテストによって現段階の自分の中国語能力に合わせたクラスで授業を受けることができたので、比較的楽に、楽しく授業を受けることが出来ました。この授業の履修生は日本人だけではなく、他の国から来た留学生と一緒に授業を受けることができました。先生の指示でペアになって練習をする際に、お互いの国についての話題で練習を進めたりして、中国語を勉強している同士で刺激し合うことが出来るのがとても新鮮で楽しかったです。現地の人たちと受ける授業では、授業で使用される中国語の難易度がとても高く、かなり苦戦しました。中には、履修選考の結果で知り合いがおらず、私1人だけで受けている授業もあり、その授業に関しては何度も心が折れました。しかし、先生がとても優しい方で、私に合う評価のやり方に変えてくれたり、丁寧に分かりやすく質問に答えてくださったりしてなんとかやり抜くことが出来ました。
   週末は、台湾の観光地に足をはこんでいました。台北101や士林夜市、九份、十分など、台湾と言えば、で思い当たる有名な観光地には全て行ったと思います。どれも圧倒的でとても楽しかったのですが、特に思い出に残っているのは春季休暇の際に麗澤生の友達と行った台南旅行です。台湾高鐵で2時間かけて台南に向かい、そこで2泊3日過ごしました。一日目は夕方に到着したので、近くの夜景が綺麗に見えるスポットに行き、その後夜市でご飯を食べました。二日目は高速バスで港まで行き、「小琉球」という離島を観光しました。ここで見た海がとても透き通っていてもう一度見に行きたいと思うほどの絶景でした。実はこの日の朝、花蓮県でマグニチュード7.2の大きな地震が起きた日でした。台湾では921大地震を上回るほどの大きな地震と報道されていて、日本の沖縄県では津波注意報も出ていました。私たちはホテルの6階に泊まっていたので、横揺れが大きく、とても怖かったのを覚えています。この地震で離島に行くのを断念しようか迷っていましたが、無事に楽しく観光出来て良かったです。三日目は旗津老街の辺りを観光し、夜に高鐵で台北に帰ってきました。一時はどうなるかと思いましたが、非常に有意義な時間を過ごすことができて本当によかったです。
   今回の台湾留学を経て、私は沢山のことを学ぶことができたと思います。私自身かなり消極的で内向的な性格なので、来た頃はいきなり知らない地で言葉も上手く伝わらない、そんな環境での暮らしに何度も挫折し、ここで4ヶ月間も過ごせるのか不安だらけでしたが、積極的に外に出て1人で観光をしてみたり、授業で率先して挙手してみたり、人間として大きく成長することができたと思います。改めてみると私の留学生活は良い時間だったと感じます。台湾に対するイメージも留学以前と現在では大きく変わったし、海外での生活経験をこの先自分の強みとして活かしていけるのも、留学に行って得ることができた大きなものだと思います。また、こんな素晴らしい経験が出来たのも留学に行かせてくれた両親や留学のことで沢山お世話になった先生方、先輩方のおかげであって、関係者の方々には本当に感謝しています。日本に戻ってからもこの留学期間のことを忘れずに日々精進し、さらに能力をあげていきたいと思っています。

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ミュンスター語学研修

ミュンスター春季研修留学レポート
中村栞恋
ドイツ語・ヨーロッパ文化専攻2年
2024年3月

   私は春季休暇の1ヶ月間を利用して、ドイツ・ミュンスターにあるWipdafという語学学校に留学しました。フライト時間は韓国の仁川空港を経由して17時間ほどでした。今回、ミュンスターのプログラムに参加するのは自分1人だけだったので、飛行機の乗り継ぎは全て1人でした。私はプログラムが始まる2日前にフランクフルト空港に到着し、フランクフルト内のホテルに泊まり、翌日にミュンスターに移動するという計画で行きました。
   ドイツについてからはダウンを着ていても凍えるほどとても寒かったです。ドイツ人は雨が降っても傘をさす人は少なく、ほとんどの人がフードを被っていました。また自転車を利用する人が多いため傘が邪魔になってしまうことが多いです。もし、寒い時期に行くのなら防寒対策はもちろんですがフード付きの上着をおすすめします。また、春でもとても乾燥しているので、のど飴や保湿クリームは必須だと思います。
   飛行機の乗り継ぎはスムーズにできましたが私は極度の方向音痴なので、ホストマザーの家に辿り着くのに10分で行ける道を1時間彷徨いました。さらに私は人見知りが激しく人に話かけるのがとても苦手でしたが、知らない土地で迷子になってしまった状況で頼れるのは現地の人だけだったので、拙いドイツ語と英語を使って6人ほどに道を聞きました。現地の方はとても優しく、道を聞くと丁寧に教えてくれます。最初はとても緊張し、言葉が出なかったこともありましたが、そんな私に耳を傾けて、最後には「Good luck!」、「Viel Glück!」(幸運を祈るよ)と声をかけてくれたので、迷子による不安な気持ちは一切ありませんでした。
   私のホストファミリーは両親と3人の子供の5人家族でした。私以外に受け入れている人はいなかったので、基本的にファミリーとの会話が多かったです。私はまだドイツ語で会話を交わすことができるほどでは無かったので、英語をメインに会話をしていました。しかし、語学学校が始まってからはホストファミリーが気を遣ってくれて、ドイツ語での簡単な会話をしたり、ドイツの習慣についてドイツ語で教えてくれたりしました。ファミリーとの会話内容は、学校はどうだったか、週末の予定、など日本とはあまり相違点はありませんでした。
   本題の語学学校ですが、13時30分から始まり、90分を2コマ行う午後だけの授業です。午前中は市街地で買い物したり、近くの教会を観光したりしました。学校へはバスを乗り継いで行くのですが、日本のようにSuicaのようなカードがないのでD-ticketという49€でバス、電車(特急除く)、トラムが乗り放題のチケットを購入しました。オンラインで購入する際はドイツの銀行口座が必要なのでホストファミリーに代わりに購入してもらいました。(窓口でも購入できると思います)。
   私が学校に通っていた期間はストライキが頻繁に起きることが多く、乗る路線によってはバスが運行していないこともありました。私が使っていた路線は影響を受けませんでしたが、他のクラスメイトはバス停に行ったらバスが動いていないことをその場になって知ったようです。大使館からストライキによって交通機関に規制がかかるとメールを受け取れるのですが、どの路線が止まるかまではわからないのでストライキに被ってしまうことも考慮して、早めに家を出る、自転車を借りておくなど対策を講じておいたほうがいいと思います。
   私は、A2.1のクラスに参加したのですが私を含め25人ほどのクラスでした。日本人は私を含め4人と少なく、他は多国籍で、さらに大学はすでに卒業していて現地で仕事をしているという人が多かったです。現地で仕事をしていることもあってか、授業中にはドイツ語をほとんど使いこなしていてなぜA2.1にいるのだろうと疑問に思うこともありましたが、他の人ができるから自分も追いつけるように頑張らないと、という気持ちになれたのでいい経験になりました。
   先生はもちろん、他国籍の生徒も誰も日本語を話せないので、わからないことがあった時は先生にはドイツ語で、多国籍の生徒には英語で質問をしていたので学校が終わった後は疲労感に襲われました。授業内容は教科書をメインに、文法やリスニングを学んでいくのですが、先生よってはグループでゲームをしたり、プリント学習をしたり、麗澤大学に似ていたので積極的に参加できました。グループを組むときに日本人同士は離されるので、他の生徒と英語とドイツ語を交えて会話をするのは新しい経験でとても楽しかったです。
   週末は、ドイツチケットがあったので、ケルンやブレーメン、ミュンスターの市街地などいろんなところに観光に行きました。先述したように今回のプログラムは1人だったので、観光も1人で巡りました。私は建造物と雑貨を見るのが好きなので、歩いている途中で見つけた教会や大聖堂、雑貨店には欠かさず入っていました。特に印象に残っているのはブレーメンにあったくるみ割り人形のお店と、デュッセルドルフにあるベンラート城という場所です。ブレーメンは有名なブレーメンの音楽隊の舞台です。ブレーメンの音楽隊の像や、アコーディオンで演奏している方、バグパイプを演奏している方もいました。また、ブレーメンで有名なメルヘン街道には木でできたおもちゃや雑貨が売っていて、見るだけでもとても楽しかったです。ベンラート城は18世紀に建てられたピンクの宮殿です。とても広い庭園と、近くには公園がありました。私は自然の中を歩くのが好きなので、たくさんの緑に囲まれている庭園を歩き、またベンチに座ってパンを食べながらのんびりと過ごしました。他にもミュンスターの市街地にある聖パウルス大聖堂や市街地から離れたところにあるヴィシリング城など、魅力的な建造物が溢れています。
   私はこの1ヶ月間を通して語学力だけでなく人同士の思いやりや、積極性の大切さを学びました。初めての地で1人だったので不安なことだらけではありましたが、声を掛ければ助けを借りることができる、完璧でなくても伝えようとする気持ちがあれば聞く側も親切に聞いてくれるということを学びました。まだ全てを完璧にこなせたわけではないですが、飛行機に1人で乗り継げた、人に道を聞けた、など1つ1つの小さな成功が自分の自信に繋がると感じました。今後の留学に今回の経験活かし、さらに新たな挑戦もしてみたいと思います。

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ドレスデン工科大学

ドレスデン事前研修
土屋佳音
ドイツ語・ヨーロッパ文化専攻3年
2023年3月

   私は2023年4月から始まる長期留学に備えてドレスデンで行われる事前研修に1か月参加した。海外経験がなかった私は飛行機での乗り継ぎやドイツの電車の乗り方などに振り回されながらベルリン空港からドレスデン中央駅に向かった。私はこの1か月寮に住む予定だったのだが、その日はドイツの路面電車がストライキしており、駅から寮まで徒歩でいかなければならなかった。携帯も使えなかったので道もわからず途方に暮れていたところ、幸いにも私より先に研修に行った友人が迎えに来てくれて友人は大事だと思った。
   私が滞在したドレスデンには美術館が多く存在していて、先生が授業の終わりなどに今行われている展覧会の紹介をしてくれたり、すいている時間帯やおすすめの周り方などを教えてくれたりしてくれた。私は参加しなかったが、研修で通った語学学校の学生と一緒に美術館を訪れるなどのイベントも開催していた。またドレスデンには大きな歌劇場もあって、そこではオペラやバレエ、オーケストラなどを鑑賞することが出来る。他にも私が過ごした寮の近くには動物園もあり、休日の行き先には困らないとても良い街だと思う。
   授業が始まる前日に参加するクラスのレベルを決めるためのテストを行い、私はB1のクラスに参加することになった。クラスは私を含めて5人いて、ウクライナ人が3人と日本人が2人だった。初日は軽い授業をしますと言われたが、最初から何をやっていて何をしなきゃいけないのかが全くわからずあまり良いとは言えない出だしだった。私が取り組んだものは、記事をよんでその内容について友人にメールを書いてそれを発表するというものだった。だけど、私は記事の内容もなんとなくしか読み解くことができず、文章を書くのにもとても時間がかかってしまった。発表をした時も明らかに周りの人と自分の書いた文章の内容やクオリティが違いすぎて、元々発表することが苦手だったけれど、さらに苦手意識が強まってしまうという悪い結果になってしまった。2日目もなんとか頑張ろうとしたが、授業中の空気や自分の能力不足に対する強い不安からクラスを変更することにした。  初めての海外でいろいろと緊張して疲れていたのもあって、自分がこの先毎日学校に通うには無理をしすぎるのは良くないと判断し、クラスを変える時に、前のクラスの教科書を毎日勉強するという条件をつけて変更した。
   その後1つ下のクラスに移動し、そのクラスは日本の大学の団体クラスで、内容もさほど難しいものではなかったためそこでは積極的に発言し、発表するときに緊張しすぎるのを少しでも治すために努力した。その後もう一度先生が変わり、その先生はスウェーデン人の先生で、授業内でドイツ語の歌を歌ったり、スウェーデンの伝統的な歌を教えてくれたりした。また、手遊びやクラス皆で踊りなども教えてくれてドイツだけでなくスウェーデンの文化にも触れられるというとてもいい機会だった。
   ドイツでの生活は良いところもあれば悪いところも多かった。私は一人暮らしが初めてだったので全部自分でできるか不安だったが、そういった面では何か問題が起こることは無かった。しかし、ドイツの水質が私には合わず、抜け毛や髪のダメージがすごかったり、個人的にドイツの食材は日本に比べたら安いが質は圧倒的に日本の方がよく、食生活に偏りが出た。今まで日本では野菜をよく食べていたが、ドイツに来てからはパンやささみを適当に食べるようになった。日本は全体的に素材が良く食のクオリティが高く、ドイツは美味しい料理屋さんがあるみたいな感じだ。決して美味しくないわけではないが、圧倒的に日本の方が質が良いと思った。街並みや環境は圧倒的にドイツの方が好きだが、日本のようなコンビニは無いため利便性では劣っていると感じた。
   しかし、食事など気にならないほどのドイツ生活での最大のストレスは電車などの交通機関だった。ドレスデンに来た日もそうだったが、ドイツの電車事情は本当に酷く、ドイツで過ごしている間は何度も頭を悩ませてきた。毎日の遅延は当たり前で、遅延しすぎると自分がいる駅には止まらないと急に言われることもあり、電車が到着するプラットフォームもすぐに変わるし、何よりもストライキで急に1日電車がなくなるなんてこともある。体感1か月に4回はストライキしていると思う。私は寮から学校まで歩きだったので登校に関しては問題は起きなかったが、せっかく海外に長期間滞在するというのに旅行の計画を立てるのがとても困難だった。まだ海外慣れしておらず旅行先でのトラブルが怖かったので、最初は友人など複数人で行動することを心掛けた。慣れるまではドレスデンの町を探索したり美術館や雑貨屋などに訪れて、慣れてきたら隣町や長距離バスなどを利用して遠くまで行って観光したりした。この一か月内での一番の長旅はクラスメイトと3人でバーデンバーデンに行った時だ。深夜に出発して長距離バスで片道9時間かけて向かい、そこで街中をぶらぶらして、歩いて山の上にあるホーエンバーデン城に向かった後に、バーデンバーデンにある温水プールのようなところで3時間くらい泳ぎ倒した後、そのまま泊まらずに長距離バスで戻ってくるというなかなかハードな旅行をした。これは私の人生初の友人との旅行でもあり、強烈すぎて今もあの時の椅子の座り心地の悪さを覚えている。日本の椅子なんかと比べ物にならないくらい固い椅子で、あの時はお尻が平らになったかと思ったほどだった。もしドイツで長距離バスを利用する機会があるのなら、クッションか何かを持っていくのをおすすめする。
   うまくいくことの方が少なかったこの1か月で問題を解決したと思えばまたすぐ壁にぶち当たっての繰り返しだったが、来なかった方が良かったとは1度も思わなかった。安全な日本で毎日家に籠ってぬくぬく過ごしている自分と、何もうまくいかなくて何もなせなくても海外で生活したという経験が得られた自分とでは大分感じ方も考え方も変わったと思うからだ。行く前の理想の自分像とはかけ離れた結果ではあるが、この1か月あった全てが大事な思い出で、自分だけが持っている経験なので今後もずっと大切に抱えていこうと思う。

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ドレスデン工科大学

ドレスデンでの1ヶ月を終えて 
中村龍斗
ドイツ語・ヨーロッパ専攻2年
2023年9月

   私は2023年の9月から約1ヶ月間ドレスデン工科大学で行われる事前研修へ参加をしていました。私は海外に行った経験もなく、飛行機に乗った経験もありませんでした。初めての海外ということもあり、留学一週間ほど前から自分は海外で生活していけるのか、そして授業について行けるのかなど、今振り返ってみると考えすぎだったなと感じるのですが、当時は不安に押しつぶされそうだったのを覚えています。出発前にも色々ハプニングがあり、心の準備も出来ないままドイツへ出発をしました。
   ドレスデンに到着するまでに乗っていた電車が2時間弱遅延するなどもあり、ドレスデンに到着した時は心身ともに疲労困憊だったのですが、ドレスデンの綺麗な街並みを見たら、この歴史ある美しい街で1ヶ月生活できるということにとても高揚した気分になり、疲れも吹き飛びました。
   寮での契約の日程などの関係により、二日遅れでA2-2コースのクラスへ参加をしました。クラスは様々な国、年齢層の人たちから成っていました。最初の授業ではすごろくを使いお互いのことを少しずつ知っていく、オリエンテーションのような形で進んでいきました。先生は説明をドイツ語でした後に、英語で説明をしてくれていたので、大変ではあるものの楽しみながら内容を理解し、学んでいくことが出来ました。日本で学んだドイツ語を使い、他の国から来た人たちとこんなにも長くマンツーマンで会話をするという経験が今までなかったので、お互いの国の話や、なぜドイツ語を学んでいるのか、母国の大学の話などについて自分の拙いドイツ語で話が通じコミュニケーションを取ることが出来た時はとても達成感を感じ、改めて自分は今ドイツにいて、現地で言語を学んでいるのだという実感が強く湧いてきました。それと同時に、自分のドイツ語の表現の幅の少なさや語彙力の無さについても痛感し、より上達したいとも感じました。最初はついていくのに精一杯で、なぜ日本でもっと勉強してこなかったのだろうと後悔する日々だったのですが、日に日に授業をこなしていくうちに、少しずつですがなんとか理解することができる様になっていきました。
   休み時間にはテーブルサッカーをしたり、カフェテリアの様な場所でサッカー談義などを様々な国の人たちとしたりなど、様々な方法で息抜きをしていました。やはりジブリやアニメ、車や日本の文化などに興味を持ってくれることがとても多く、日本に行くことが夢だと言ってくれる人もいて、自分は何もしていないにも関わらずとても嬉しく、誇らしい気持ちにもなりました。
   授業の最終週には、テストとして同じ国で数人に別れ、自分の国に関するプレゼンテーションを行いました。日本と違いクラスの入れ替わりが激しく、最初の人数と比べると10人以上増えていた様に感じます。プレゼンテーションとなるとやはり喋る能力が顕著に現れ、最初にヨルダンの国の人達の発表を見た時には、日本で行なっていたようなプレゼンテーションとは違い、至る所で質問が飛び交っている光景に衝撃を受け、どうしよう、自分たちにこんなことができるのかな、と友達と一緒に嘆いていたのを覚えています。クラスがとても多国籍であったのもあり、今まで知る事のなかった国の文化や伝統、特徴など様々なことを学ぶことができ、自然と質問してしまうようなとても興味深いプレゼンテーションだらけでした。特に印象に残っているのがイタリアの人たちのプレゼンテーションで、イタリアの人たちがよく使う特徴的なジェスチャーについて解説をする、というようなプレゼンテーションでした。有名な人差し指をほっぺたに突き当ててぐりぐり回す、美味しいと表現をするジェスチャーや、パスタを食べに行く時に使うジェスチャーなど、様々なジェスチャーを披露していました。プレゼンテーションは20分程度と説明されていたのですが、とても盛り上がり気づいたら一時間を超えていた、というのもあり強く私の印象に残っています。
   友達の大きな助けや、日本の文化にとても興味を持ってくれる人が多かったおかげで、無事にプレゼンテーションを終えることが出来ました。プレゼンテーションの中で、どれがジブリのキャラクター?どれがポケモン?といったようなクイズも行ったのですが、予想以上に意見が分かれてとても盛り上がり、クラスメイトにとても良かったよ!といってもらえた時にはとても嬉しく、これからの長期留学に向けて大きな自信になりました。最後の授業が終わり、クラスメイトと別れの挨拶をした時には達成感を感じると同時に、楽しかったドレスデンでの1ヶ月が終わりを迎えてしまうのか、ととても寂しく悲しい気分になりました。このままドレスデンに残る人や他のドイツの大学に行く人、母国へ帰国をする人など様々な人がいて、お互いの健闘を祈った後にはこれからの長期留学に向けてのモチベーションが大きく高まりました。
   学校外ではドレスデンでは娯楽に困ることは全くなく、学校は午前中で終わるので午後には友達と、または一人でドレスデンの色々な場所を観光していました。初めてドレスデン城やその周辺の旧市街地を観光した時のことは忘れることはないと思います。まるで中世にタイムスリップしたような感覚になるほどの美しい街並みに圧倒され、旧市街地の景色の虜になってしまいました。様々なドイツの都市を訪れましたが、後にも先にもこのように感じることはありませんでした。旧市街地だけではなく、そのほかにも美しい場所が尽きないのがドレスデンです。何回でも訪れたくなるような、そんな素晴らしい街でした。ドレスデンでの生活に慣れた後は公園の中にある小洒落たカフェに一人で行き、拙いドイツ語で周りの人たちと会話をしたり、ディナモ・ドレスデンというサッカーチームのスタジアムツアーに参加をしたりしました。ドイツ語に慣れるために様々なアクティビティに参加したことで、少しずつドイツ語を聞き取れるようになっていったようにも感じ、毎日新しい何かを学ぶ事のできた、とても充実し新鮮味の溢れる日々を送ることが出来ました。
   私がこのような夢のような毎日を送ることが出来ていたのは、ドレスデンでの事前研修を通して出会う事のできた全ての人、大学の方々や共にドレスデン事前研修で切磋琢磨した友達、日本からドイツへ何も経験のない私を送り出してくれ、絶え間のない応援をし続けてくれた家族のおかげだと考えています。
   この1ヶ月のおかげで長期留学に対しての不安を払拭することができ、大きな自信をつけ良いスタートを切ることが出来ました。またこのような素晴らしい経験ができるように、何事にも全力で取り組んでいきたいです。

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ヴッパータール大学

好きに囲まれた半年間
中村龍斗
ドイツ語・ヨーロッパ文化専攻2年
2023年10月~2024年3月

   私は2023年の10月から2024年の3月まで、ドイツ、ヴッパータールにあるヴッパータール大学に留学をしていました。約半年間という短い時間でしたが、楽しいこともあれば辛いこと、壁にぶつかることも多かった忘れることのできないとても濃密な時間でした。
   私が留学をしたきっかけは、元々ドイツのサッカー文化を通じてドイツの伝統や文化に興味を持ち、特に私はノルトライン=ヴェストファーレン州、ルール地方にあるドルトムントを本拠地としているボルシア・ドルトムントの大ファンであった為、実際にドルトムントの近くで暮らし、言語を学びながら、サッカーを通して知ることのできたその都市、地方の特色などを自分の身で経験してみたいと思ったのが大きなきっかけです。
   ヴッパータールはミュンヘンやドレスデンのようにメルヘンチックで中世を感じる街並みだとはお世辞にも言えませんが、都会の喧騒は感じないが田舎でもない、といった大きすぎず、小さすぎずといった都市で、近くにケルン、デュッセルドルフなどといった有名な都市もあるので、観光やショッピングをしたり、サッカー観戦に行ったり、友達と日本食を食べに行ったりなど、息抜きには困る事はなく、立地も含めてとても住みやすい素晴らしい街でした。
   ヴッパータールでは私は学生寮に住んでいました。寮は大学から徒歩で約5分程で、MENZA(学生食堂)の近くにあります。大学が山の上にあるので、険しい階段道や坂道を登り、毎朝登校していました。寮では同じ国の人となることが多く、私も同じ日本人の学生と同じ部屋になりました。留学において、異なる国の人たちと暮らし、多くの時間をともに過ごしながら、異文化交流を行なっていくということは一つの醍醐味であるとも言えますが、やはり同じ国の人であると文化の違いもなく、戸惑うこともなかったので寮の中では比較的落ち着いて過ごす事ができました。ヴッパータール大学にはタンデムがあり、毎週水曜日に行われています。ヴッパータール大学の語学コースでは留学生向けということもあり、あまり大学のドイツ人の方と喋る機会がないのでとてもお勧めです。一緒に談笑やゲームをしたり、手作りカップケーキを振る舞ってくれたり、クリスマスの時期になったらクリスマスマーケットに行ったりしました。日本人の私より日本のことを知っているのではないかと思うくらいの知識量を持っていて、日本という国の文化の影響力を改めて感じさせられると同時に、少し誇りにも感じました。
   ヴッパータール大学では学期初めにオリエンテーションがあり、そこで住民登録の手続きや、銀行開設、滞在許可証の申請についての説明を行なってくれました。銀行開設は、大学の中に銀行(Sparkasse)の支店があるので、そこで開設する事をお勧めします。住民登録や滞在許可証の申請は大学を通して行なってもらいました。住民登録に関しては何の問題もなく手続きを終える事ができたのですが、滞在許可証の申請については留学中1,2を争うほど苦戦を強いられました。まず必要な書類をメールで提出したのですが、締め切りは明日までといったような連絡が急に来るので本当にとても困りました。そして大学を通しての申請方法は昨年から変わったらしく、担当の方もあまり分かっていない感じでした。私は長期留学前に事前研修を行なっていた為、シェンゲン・ビザの期限が切れるのが他の留学生よりも約1ヶ月早かったので、不法滞在になってしまうのではないか、とヒヤヒヤした日々を過ごしていました。12月中旬に仮ビザを受け取ることができたのですが、その仮ビザは他のEU
内や海外に行く事ができない類のビザでした。
   年明けになっても全く連絡がこず、私は2月に海外旅行を予定していたので、担当の方に直接お話に行くと、半年間(1セメスター)なので仮ビザしか貰えないのかも知れないと言われ、そこでその担当の方に外国人局の方の連絡先をいただき、その人に連絡をして滞在許可証を改めて貰う手続きを始めました。
仮ビザをもらいに行った時はてっきりこの一か月後くらいには貰えるのだろうなと軽い気持ちで考えていたので、よりもっと詳しく質問をし、自分のビザの状況やこれから自分がどこへ、そしていつ行くのか、ということについてはっきりと伝えるべきだったな、ととても後悔しています。ですが、今ではこの苦い出来事も自分にとっては記憶に残る良い思い出です。
   私はヴッパータール大学での半年間ではStudienvorbereitender Deutschkurs A2, B1 という2つのレベルでの留学生向けの語学コースを受講しました。流れを簡潔に説明すると、まずA2の授業を月曜日から金曜日まで8:15~11:45までの授業を八週間受講します。八週間の授業を終えて、A2コースからB1コースへ上がるためのテストが行われます。合格する事ができれば、ひとつ上のレベルのコースへ進む事ができます。最終的にA2, B1コースを無事に合格する事ができたのですが、振り返ると圧倒的に挫折や悔しい思いをしたことの方が多い期間でした。
授業は全ての説明がドイツ語で行われ、グループワークを中心に行われていました。自己紹介を兼ねたグループワークの様なものを行った時に、国籍はもちろん年齢層も日本の大学に比べると幅広いことに驚きを感じました。年齢や国籍、母語や育ってきたバックグラウンドが違う中で、異国の地で一つの言語を共に学ぶという事は私にとって非常に貴重な経験になり、振り返ってみるともちろん大変ではあったけど、とても楽しく、毎日が充実していた日々であったなと感じています。グループワークやディスカッションにおいては自分の意見を思っていた様に伝えられなかったり、相手の伝えたいことをしっかりと理解できなかったりなど、悔しい思いをすることがとても多く、最初の頃は柄にもなく落ち込んだりしていたのですが、回数を重ねていくごとに上達していくのを感じ、分からなかった時には〜ってことだよね?という様に相手に聞き返す様にしていました。このように自分の伝えたい事が伝わった時、相手の意見を聞き取れた時など、小さなことかもしれませんが、その小さな成功体験の様なものが少しずつ小さく積み重なり、私にとって大きな自信となっていきました。
   短い半年間という留学の中で、多くの挑戦をし、挫折を繰り返しながらも学生として、そして一人の人として成長をする事ができました。海外に行ったこともなく、一人暮らしの経験すらない様な私がドイツで約半年間生活し、忘れることのできない素敵な日々を送る事ができたのは大学の方々や、友達、そして日本からずっと応援をしてくれていた家族のおかげです。そして最後に改めて、この半年間の留学生活を通じて出会えたすべての人に感謝します。この感謝に気持ちを忘れずこの経験を糧にし、残り少ない学生生活をより有意義なものにできるように過ごして行きたいです。

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ヴッパータール大学

ヴッパータール留学体験記
松田拓也
ドイツ語・ヨーロッパ文化専攻2年
2023年10月~2024年2月

   半年という期間はとても長く、春の訪れは幾年先か、というのが留学当時の私の感想です。初の海外での長期滞在、それが半年の生活ともなればきっと誰にとっても忘れられない経験となるものでしょう。そんな一冬の記録を、できるだけ楽しく振り返りたいと思います。
   私が半年間過ごした街の名前はヴッパータール。ドイツ西部、ノルトライン州のおよそ中心辺りに位置します。町の雰囲気や規模は日本でいう都市郊外のものに近く、生活するにはすごく丁度いいというのが私の評価です。寮からは大学まで徒歩6~7分、スーパーまで徒歩5分、街の中心部まで徒歩15分ほどという好立地。坂が多いこと以外は生活における不便はありませんでした。もっとも海外での生活が楽というわけはなく、物価が高ければ自炊をする必要がありますし、授業や買い物、手続きなど自分の意見・要望をドイツ語で伝える必要がある時は当然身振り手振りで頑張る必要があります。でも伝わらないからこその、伝わったときの喜びや安堵といった感情は留学ならではのものだったと思います。
   一ヶ月も経てば生活にも慣れてきたところで、その頃になるとドイツ国内の各都市を周り始めます。何回も通った場所から小旅行で訪れた遠方まで、私の訪れた街のいくつかを完全に主観で振り返りたいと思います。
   都市1、デュッセルドルフ。私たちヴッパータール留学組の半年間を記すうえでなくてはならない場所になります。というのも、デュッセルドルフにはヨーロッパ有数の日本人通りが在り、日本食が買えるのはもちろん、日本人が経営する飲食店や美容院まで揃っています。食事というのは異国でのメンタルを調整するのにこれ以上はないツールですから、ヴッパータールから電車で30分という位置にあるこの街には感謝しかありません。少なくとも、私が半年過ごせたのはデュッセルドルフのおかげといっても過言ではないと思います。(治安7点、過ごしやすさ9点、食事10点)
   都市2、ケルン。ノルトライン州の観光地といえばやはりケルンで、一時間ほどで行けるこの街には何度か足を運ぶことになりました。まずケルンの駅に到着して一際目を惹くのはケルン大聖堂。約百メートルほどのゴシック様式の大建築が街のシンボルとして聳え立っています。ライン川に沿って歩けばレストランをはじめ様々な店が立ち並び、中でもチョコレート博物館は観光客に絶大な人気を誇り、そこで買えるチョコレートはドイツ土産にもってこいです。(景観8点、人混み5点、大聖堂10点)
   都市3、ベルリン。場所は大きく変わりドイツ東部、首都であるベルリンはまさしく芸術の街というに相応しい都市だったと思います。かのベルリンの壁は2キロメートルにも及ぶアートになっており、観光客たちはカメラを片手に楽しんでいました。またベルリンフィルのオーケストラは世界でも有数のものであり、都市内外問わず様々な人がコンサートへ足を運んでいました。私も演目を聴きましたがその迫力・感覚は、言葉で表現するには少し難しいものでした。(景観7点、都会度9点、芸術10点)
   ドイツの都市は、文化・歴史的なランドマークを有しかつその景観や価値を損なわないような発展をしてきたように感じられました。その対となるのが都市から少し離れた観光地、中世の建築を残した街並みはまさに誰もが想像するようなドイツそのものとなっていました。
   観光地1、ローテンブルク。ドイツ南部、ミュンヘンから数時間の丘に位置するのは城壁に囲まれた中世都市。まるで時代が変わったかのように錯覚させられる街並みは、中世の宝石箱とまで称されドイツ国内有数の人気観光地となっています。他の都市と違うのは街そのものが観光地であるという点で、城壁内はどこを歩いても現代らしからぬ景色が広がっていました。(景観10点、建築10点、アクセス6点)
   観光地2、ドレスデン。今度はドイツ東部、ベルリンから2時間ほどの街がドレスデンです。此方も同じく国内外で人気の観光地であり、訪れる目的はドレスデン城と周辺の街並みにあります。一見一般的なドイツの街のようで、しかし旧市街まで歩を進めれば景色は一転、エルベ川沿いに中世の街並みに早変わりします。馬車を横目に城の中へと進むと中は博物館となっており、当時の装飾が再現された館内では様々な展示が行われていました。中世の武具や鎧の数々に心躍らせていたのもつい最近のことのようです。(景観8点、過ごしやすさ8点、場内展示10点)
   観光地3、ネルトリンゲン。再び南部に戻りバイエルン州ネルトリンゲンは、上記の観光地と比べ少しマイナー。隕石の落下跡に建てられたという歴史的背景を持つこの街は、その輪郭に沿い円形の城壁に囲まれています。城壁並びに街並みは海外でも人気のあの漫画、進撃の巨人のモデルとして知られています。実際の城壁は50メートル、ではなく十数メートルほどの城壁で、上に登り街を一望しながら歩くことができます。観光客もそれほど多くなくのんびりとした印象を受けましたが、城壁内にはしっかりと作品のファンによる痕跡が沢山残されていました。(景観9点、人混み10点、巨人への備え2点)
   これらの評価はあくまで主観によるもので、私が建築や景観が優れ、人が多すぎず落ち着いた雰囲気の街を特に評価するという価値観が前提となっています。この留学を通して、沢山の街を訪れました。それこそ書ききれないほどで、例えばドイツ国外で一国だけ、イギリスへ訪れたこともありました。留学の目標であった、異国の街を訪れて自分の目で文化・歴史に触れること。それは十分に果たされたと思います。初めてのプロのオーケストラのコンサートやサッカーの観戦がドイツのもの、というのは特に贅沢な経験だったと思います。ただ、ほかのヨーロッパ諸国を周るには半年という期間は少ないというのが正直なところです。ビザを留学前に取得しなかった事、ビザの申請を自分でやらなかった事は今回の留学における失敗でした。
  半年という期間はとても短く、夢のようで、しかしどこまでも鮮明な記憶です。異国の地で見て、感じて、考え、そして記憶に刻まれたものが収穫であり成長である、というのが今の私の振り返りとなります。

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イェーナ・フリードリヒ・シラー大学

イェーナでの思い出
大場莉子
ドイツ語・ヨーロッパ文化専攻2年
2023年10月~2024年2月

   私は、2023年10月から2024年2月までの約半年間、ドイツのイェーナ大学に留学しました。私はこれまでに海外経験があったわけではなく、今回の留学が人生で初めての海外でした。この半年間は私が今まで生きてきた中で、1番月日が長く感じた半年間であり、波瀾万丈で濃すぎた半年間でした。帰国した今では、以前よりもドイツに対する興味が格段に上がったと自分でも実感できるようになったり、日本の大切さに気付く瞬間が増え、より日本が大好きにもなったり。もっと色んなことに挑戦して、更に自分自身の可能性を広げ、より自分らしく生きたいとも思えるようになりました。体験記では、私が感じたこと、体験したことをリアルに書き留めていこうと思います。参考程度に読んで頂けると幸いです。
   まず初めに、私の住まいは学生寮でした。キッチンとバス、トイレが共用であり、後はそれぞれ1人部屋があるような感じです。私の同居人は1人で、ブルガリア出身の女性でした。その方は本当に聖母のように優しく、いつも気にかけてくれました。私は、イェーナに半年間しか在住しないからとゴミ箱を買っていませんでした。そのため、自炊をする時やキッチンのコンロ周りの掃除など、ゴミが出る場面ごとに私はゴミ袋を持って回収しに行ってました。ある日、WhatsAppという日本でいうLINEのようなアプリでメッセージが届きました。彼女からのメッセージは、「あなたのその姿はクールではないわ」と日本にいたら絶対に言われないようなコメントに、思わず感激してしまったのを覚えています。そのルームメイトとは、クリスマスプレゼントを交換したり、時には一緒にカフェにも行ったり。帰国する2月には、ママと3人でモーニングを食べてプレゼントも頂きました。今でもメッセージをやり取りする仲で、国際交流はあまりしていなかったのですが唯一仲良くなれた存在で、彼女には感謝の気持ちでいっぱいです。
   授業は、Korrektive Phonetikと言われる発音の授業が私は1番やりがいを感じられて凄く好きな授業でした。主に、スライドに出された単語をペアやグループで発音して正しいかどうかお互いで確認し合い、その後に、先生とワンツーマンでアクセントチェックを行うといった流れです。私が思うこの授業の最大の理由は、少人数体制であるということです。大人数が苦手な私にとって、一人一人に優しく教えてくれたのがとても大きかったです。また、アウトプットとインプットを即座に行うことが出来るため、宿題の発音も自然と覚えていることが多かったです。ゆったりと進めながら楽しく授業ができ、先生も面白いので個人的にはとても気楽に受講することができました。そしてイェーナ大学には、Reitaku:Projektarbeit und Präsentationと言われる麗澤生だけの授業があります。そこでは冒頭、毎週末に起きたエピソードを3つ話すなどの近況トークから授業が始まります。日本では、週末何かしていても何もしてないと答える人が多かったり、労働の疲労で土日が終わるといった人が大半で、私自身も含め日常に覇気がないと感じていました。私は以前、海外の人たちはその日1日をどう有意義に過ごすかに重きを置いていると聞いたことがありました。思い返すと、ドイツ人は休日に限らず朝方の人が多く、6時からベンチでモーニングを食べている方々を目撃することが本当に多かったです。仕事や学校もそうですが、その分プライベートも大事にする姿勢を実際に吸収することができて物凄くいい刺激でした。
   イェーナは特に何もない街ですが、その中でもスーパーはとても充実していると感じました。半年間住んでいて、不便さは全く感じず商品もスーパー自体も種類がかなり豊富です。スーパーによってオリジナル商品があったり、日本との陳列の差など海外のスーパーは正直買わずに見ているだけでも凄くワクワクします。その発想を使い、私はせっかく海外にいるのだから!と途中からただスーパーに買い物に行くことだけではなく、その日によって疑問に感じたことを自分なりに解釈してみる、正解も不正解もないゲームみたいなことをしていました。ここで私が大切にしていたことは、疑問に思ってもすぐに検索をかけないということです。徒歩5分圏内だったので、どうしても気になることは家に帰ってから検索すると決め、わざと時間を空けたりしていました。私は自分が思い付いたその一瞬のアイディアに重点を置いていました。これは毎回行っていたわけではないですが、常に新しい角度から見ることによってまた違った面白さを感じられます。自分なりの楽しいが海外にいることによって更にオリジナルがプラスされ、より「楽しいの最大化」をさせられるチャンス!と思いながら続けていました。おかげで、ドイツ生活に少し彩りが生まれた気がしたのでだいぶ語ってしまいましたが、オススメです。
   私が留学を考え始めた理由は、将来的に海外移住も視野に入れたいと考えていたからです。専攻でドイツ語を学んではいるものの、もはやマイナスレベルで挑んだ語学力は、自信を持って半年で上達した!とは言えるような結果ではありませんでした。ですが、生活面は書き起こすとたくさん溢れ出てくる初めての経験を沢山沢山!もうお腹いっぱいだよ!ってぐらいしました。唯一私がドイツに来て戸惑ったことは、余暇を持て余すほどの趣味を持ち合わせていなかったことです。なので、留学中は1人の時間は常に孤独を感じていました。ドイツでの生活は、思った以上に1日の流れが緩やかに感じます。だからこそ、例えば留学生同士の交流だったり、ほんの少しの勇気がその日のスケジュールを左右すると言っても過言ではないと思います。私の場合、言語が伝わらなかった時の怖さがありコミュニケーションを恐れ、殻に籠るような状態が続いていました。ハードルが高いと感じ難しいと思っていましたが、日本人同士の友達を見ていても、やはりそこを乗り越えていかに行動できるかが留学のカギなのではないかと思います。
   海外での生活は、楽しかったことと同じくらいしんどく、自分が思っていた1000倍は大変でした。ですが、その分小さな幸せが大きく思えるような体験もできました。本場のクリスマスマーケットを堪能したり、ライプツィヒのスタバではヨーロッパならではの内装に感動して即お気に入りの場所になったこと、国外旅行ではウィーンに行ってあまりの街並みの綺麗さに圧巻されたり、どれも私の大切な財産になりました。大学2年の秋に半年間留学に行けたこと、そして今は無事に帰国できていること。この環境は、絶対に当たり前ではないからこそ留学中も留学後も、私は改めて周りの方々に支えられながら生きていることを強く痛感したし、その恩がどんな形でも少しずつ返せるように日々精進して参ります。全方面に感謝です。Vielen Dank!!!!!

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フィッチバーグ州立大学

とくかく挑戦!Try and Error!!!!
笹嶋美憂
英語コミュニケーション専攻4年
2023年8月~2024年5月

   みなさん、こんにちは。英語コミュニケーション専攻4年の笹嶋美憂です。私は2023年8月から2024年5月までの10か月間、フィッチバーグ州立大学に交換留学をしました。私はなぜ留学を決めたと思いますか?学生時代に留学することに憧れを抱いていたからです。留学する前は、本気で受けたいと思う授業がなかなか見つからなかったり、英語の勉強に対してモチベーションが低くなってしまったりしたため、1年留学すると決めましたが「やっぱり半年にしようか」と考えました。国際交流センターの方や留学先で留学のサポートをしてくださる方、そして先輩にたくさん相談しました。そのため、留学の準備を期限ギリギリにしていました。しかし、行く前に相談した方たちに「やっぱり半年にする」と決めるのではなく「留学に実際行ってから決めてみな」とアドバイスを貰い、留学先へ行きました。
   留学先で最初に苦労したことは履修登録です。留学する前にどの授業を取りたいのかを連絡しました。しかし現地の学生を優先されるため希望したクラスを取ることができたものは4つのうち、2つでした。4つすべて希望通りに履修できると考えていたため、履修登録をやり直しました。そのときになかなか自分が受けたい授業が見つからず、履修登録に2日かかりました。履修登録を手伝ってくださった方に「せっかく留学しに来たのだから自分の大学や日本の大学に少ない専攻の授業を取ってみたら?」とアドバイスを頂き、秋学期は英語のライティングの授業とスペイン語の授業に加えて、自分が今まで触れたことのない演技と犯罪についての授業に参加してみました。履修登録では自分の好きな授業や興味のある授業を取ることばかり考えていたため、思い通りにならなかったときはとてももどかしい気持ちになりましたが、履修登録を手伝ってくださった方のアドバイスにより、授業の履修において「挑戦してみよう」と考えました。
   実際に授業を受けてみて感じたことは、今まで自分が全く触れてこなかった分野を学ぶことはとてもおもしろいということです。私は挑戦することと言語習得が好きなので、留学する前に自分が挑戦してみたいと思い、実際に行動に移して行うことは言語に関する内容のものが多かったです。実際に授業を受けてみて感じたことは、「今まで挑戦する内容も言語に関することが多かったな」「違う分野を学んでいる人と交流をすることで違う考え方を学んだ」と感じました。実際に演技(Acting 1)と犯罪についての授業(Introduction to Criminal Justice)を受けて感じたことはどちらの授業も自分の将来やりたことに向かって本気で学んでいる人が多いということです。ライティングとスペイン語の授業はほとんどの学生が卒業に必要な単位だからという理由で受けている学生が多かったです。しかしアクティングと犯罪についての授業では「自分は映画のディレクターを目指しているから」「自分は将来警察官になりたいから」と将来の具体的な目標のために授業を受けている学生がほとんどでした。こういった学生を見て、自分の夢に向かって本気で何かを学ぶ姿勢を見習おうと思いました。
   秋学期にもう一つ苦労したことがあります。それはライティングの授業です。毎週末、フル3ページ書かなくてはいけないという宿題に苦労しました。麗澤で習った英語のエッセイの書き方を参考に、書いていました。こんなに多い英文を書くのは初めてだったため、自信がありませんでした。しかし、スペイン語の授業で「間違えてもいいからとりあえず言ってみよう」、「上手くスペイン語の文を読めなくてもいいから読んでみよう」そういうクラスメイトをたくさん見ました。その姿を見て、自分も「上手く書けなくてもいいからとりあえず麗澤で習ったことを参考にフル3ページ書いてみよう」と考えるようになり、毎週3ページ書き続けました。また、ライティングセンターを活用してアドバイスを貰いに行き、それを活用しました。その結果、担当の教授から「あなたのライティングがクラスで一番だからそれをクラスで例として使っていい?」と言われました。その時に、「今まで苦しかったけれど頑張ってよかった」と感じました。
   春学期にも同じ教授のライティングの授業を取りました。春学期に取った授業では10ページ書かなくてはいけませんでしたが、秋学期に3ページをほぼ毎週書いていたため書くスピードが速くなったり、構成が上手くできたりしました。春学期も授業で例として使ってくださいました。春学期は就活と留学生活の両立に苦労しました。就活を本格的に始めた時期が遅れたため、焦りがありました。そのため、授業がなかなか集中できない日もありました。しかし、上手くオンラインキャリアセンターを活用したり、就活エージェントを使ったりして就活を進めることができました。最終面接は対面の企業が多いため、内定を取ってから帰国することは難しかったですが、4社最終面接まで進むことができました。就活と留学生活はかなり大きな挑戦だと感じました。しかし、大変な時期を乗り越えたからこそやりがいを感じました。また、大変な分休日も楽しむことができたと感じました。
   プライベートでは車を持っている友達が映画館に連れて行ってくれたりショッピングモールに連れて行ったりしました。留学前は正直、現地の友達を作る気はありませんでした。しかし実際授業が始まると留学生活は期待していたより、楽しかったです。また、先生やクラスメイトも優しかったです。そのため、自分から声をかけて友達を作りました。友達を作ることで自分が知らなかった学校行事に参加してみたりどこかへ出かけたりしてアメリカの文化を肌で感じることができました。特に楽しかったことはThanksgivingでした。友達の家に泊まりに行き、Turkeyを食べたり映画を見たり、Black Fridayにはショッピングモールに行ったり、その日の夜にはレストランでお食事をしたりして楽しみました。現地での友達作りで感じたことは現地の学生と日本にいる学生で特に違いはないということです。留学する前は現地の学生がたくさん声をかけてくれると思っていましたが、実際はそんなことはありませんでした。そのため、この経験から「何事も自分から行動をしないといけない」ということを学びました。
   さらに、留学前は、日本にいるときから大学でTop Level Englishというクラスを履修したりiFloor(英会話)スタッフをしたり、学生寮で交換留学生と生活をしたりしていたので異文化理解をかなりしていると感じていました。しかし実際に海外へ行って生活をすると自分が日本では感じていなかったコミュニケーションの違いや生活レベルの差を感じました。日本で外国人と交流することと海外へ行き現地の人と交流することは日本への理解度が違ったり相手が異文化理解に対して知識があまりなかったりしたことでカルチャーショックを受けました。生活面からこういう経験もできて異文化理解が留学前よりさらに深まったと感じました。
   これから留学をしたいと考えている人に伝えたいです。もし、「留学をするかしないか」で迷っているなら「留学をする」を選んでほしいです。この留学を通して語学だけではなく、違う価値観、考え方、そして人として学ぶこともたくさんありました。だからぜひ、機会があるなら留学をしてほしいと考えます。

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