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Experience Note

留学体験記

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釜山外国語大学校

自分を成長させてくれた一年間
荒田ゆりか
英語コミュニケーション専攻3年
2024年3月~2025年1月

   私は中学生の頃から大学生になったら留学がしたいという夢がありました。留学を決める段階で「韓国に行くんだ!」という強い思いはなく、ただ外国で長期間暮らしてみたいという気持ちが一番大きくありました。中学生の時にハマっていたKPOP、第二外国語で韓国語を履修していた、クロス留学というプログラムがある、ゼミ、奨学金などの理由で韓国へ行くことになりました。

   留学が始まってすぐの時点で言語の壁にぶつかりました。高校生の時に韓国語を少し勉強していたり、大学に入っても韓国語の授業を履修していたのにも関わらず基本的な挨拶やフレーズしか知らずに留学に来てしまったため、生活に慣れることが本当に大変でした。大学や寮にあるお知らせの紙やルール表もすべて翻訳アプリを使わなければ理解することができませんでした。学校が始まっても学校にいる他の日本人は韓国語がペラペラで自己紹介だけでも実力の差が明らかなことに焦りをとても感じ、自信をなくすことがありました。この時に私を一番支えてくれた存在は寮でルームメイトになった台湾の子でした。出会った初日から私たちは仲良くなり、頻繁に出かけたり部屋で話したりしていました。その子は韓国語が本当に上手で、韓国語が話せなくて落ち込んでいるときに「他人と比べずにちょっとずつ一緒に勉強していこう」「頑張ってるから大丈夫」と背中を押し続けてくれました。そのおかげでルームメイトのように韓国語がうまくなりたいという気持ちで勉強を頑張ることができました。その子は半年の留学だったのですが今でも連絡をとっています。

   勉強面では、特に一学期はほとんどすべて韓国語がわからない程度の韓国語力しかなかったため、自分の頭に浮かんだ言葉ですぐ韓国語に変えられない言葉はその場でネットで調べるようにしていました。一人でいるときに調べた単語をブツブツ話したり、言いたい文章があれば教室に着くまでの道でその文章を言い続けるようにしました。このおかげで語彙力が高まったと思います。また、電車やバスに乗っている時はせっかく韓国にいるのだからとスマホをずっと見るよりは外の看板や車内の広告の韓国語をずっと読んでいました。最初はわからない言葉ばかりでそれもすぐにネットや翻訳アプリで調べていましたが、よく使うバスや道にあるものは何度も目に入るため、自分の周りのものがどんどん理解できるようになっていくことがうれしかったです。これは視界に流れていく文字を読むため、韓国語をすばやく読む練習にもなっていたと思います。
   テスト期間は毎日図書館に行って夜まで勉強をしました。大学の図書館は24時間開いており、図書館カフェやいつもは門限のある寮もテスト期間は門限がなくなったり営業時間を延ばしたりしていました。学校も無料で食べ物を配り、フードトラックなども設置したりと学校全体で勉強する大学生を応援しているような雰囲気があり、自分のやる気につながりました。

   夏休みはソウル、慶州、大邱など韓国国内を旅行したり、学校生活で忙しかったので行けてなかった釜山の気になるお店などに行くことができました。お店での注文や店員さんとの会話も留学初期より自信をもって話すことができて、一学期の勉強の成果を感じることができました。また、夏休みに日本から友達と家族が来てくれた時は自分のおすすめの場所に連れていくことができたり、再び行く場所でも初めて行った時よりスムーズに友達や家族を案内できて韓国語の成長はもちろん、釜山の土地感や韓国の文化などにも詳しくなっていることを認識することができました。夏休みは韓国人の友達はそれぞれ実家に戻ったり、他の国籍の友達も半年留学の人は母国に帰ったりと寮にはほとんど人がいない寂しい時期でした。学校も終わり、自然と韓国語を話す機会が減ってしまったため、まだ釜山に残っている友達を誘って出かけたり、なるべく外に出るようにしました。毎日予定があって忙しかったですが、夏休み中の勉強も隙間時間でやるように意識ができたため、自分には忙しいほうが合ってることもこの期間に知ることができました。充実した夏休みを過ごせたと思います。

   二学期はほとんどの時間を韓国人の友達と過ごしました。その子とは一学期の英語の授業で知り合い、日本語が話せないため会話はすべて韓国語でした。ご飯を食べるとき、図書室や休憩室で勉強をするときもずっと一緒でした。一学期から仲が良く、二学期でその子は日本語に興味を持ってくれて授業も日本語の授業をとっていました。一緒に勉強するときは私は韓国語や韓国の文化の勉強をし、その子は日本語の勉強をしてお互いの言語で分からないことを聞き合いながら勉強しました。最初は文法、発音、文字の書き方を質問されても韓国語でどうやって説明したらいいのか自分の韓国語の実力も足りなくて翻訳機を使いながら実際にノートに書いたり身振り手振りをしたりして伝えていました。他の国の人から見る日本語の不思議な部分や自分では意識していない日本語の文法など韓国語だけでなく日本語の面白さや韓国語との違いを感じることができました。とても面白い経験ができたと思います。言語を教え合うときは生活で必要な韓国語ではなく、勉強で使う韓国語を学べて語彙力が上がることにもつながったと思います。友達が理解できるように説明できたときや以前よりレベルの高い韓国語の質問ができたときに自分の成長を感じました。一緒に勉強をする仲間ができてより一生懸命勉強ができたと思います。

   学校外では様々な活動に参加しましたがその中で日韓夫婦の子どもたちに日本語を教えるボランティアに一年間参加したことが一番印象深いです。もともと子どもたちと遊ぶことが好きで興味を持ち、参加を決めました。活動は一か月に2回で私は幼稚園生の子どもの担当でした。一緒に折り紙やかるた、工作や絵本を読むなど子どもたちと楽しく遊ぶことができました。日韓夫婦の子供だからこそ日本語や日本文化の学習の難しさを知りました。また、日本語、韓国語、英語など様々な言語を習得して話せる子どもたちがいることにとても驚きました。貴重な経験ができて1年間続けて良かったと思っています。

   韓国への一年間の留学で韓国語の実力も精神的にも成長できたと思います。「絶対に留学をいいものにする」という気持ちを忘れずに一年間を駆け抜けることができました。最初は人に道を聞かれても答えられなかったり、聞き返したときに迷惑そうな顔をされてしまったりとたくさんの悔しい経験がありましたが、優しい友達や先生がいたからこそその人たちだけには怖がらずに話そうと挑戦できました。日本にいる家族や友達にも本当にたくさん支えてもらいました。留学中の当時は勉強が大変で忙しかったけれど、今考えれば自分の興味あることに集中して勉強できる貴重な時間だったと感じています。自分も頑張ったら話せるようになれるんだという体験をして言語の勉強の楽しさを感じることができました。これからもこの留学で出会った人たちや経験を大切にして努力し続けたいです。

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淡江大学

淡江大学留学体験記
福本真士
グローバルビジネス専攻2年
2024年9月~2025年1月

   私は、英語と中国語を学ぶプログラムで8月末〜1月初旬の半年間留学していました。今回、この半年間での体験を生活、食事、学習の3つの項目に分けて述べたいと思います。

   最初に、生活面について述べたいと思います。台湾に留学する前、不安な気持ちでいっぱいでした。しかし、現地の空港に到着して不安な気持ちから、今後の台湾での生活への期待の気持ちでいっぱいでした。
   入国審査後、淡江大学の学生スタッフの方々がお迎えにきてくださり、その後はバスで寮まで移動しました。私達の寮は麗澤寮です。もし淡江大学に留学するなら、同じ寮になると思います。寮には、日本人、台湾人、ベトナム人、インドネシア人がいます。部屋はちょうど良いスペースで綺麗です。勉強机の上に小物置き、さらに階段つきベッド、左にクローゼットがあります。ベッドの階段はとても細いので注意して上るようにしてください。寝具に関しては、留学前に各自淡江大学のラインから送られる申込フォームから注文した方がいいです。私は、その注文を忘れて当日寝具を購入しました。値段がやすいので事前に購入することをおすすめします。また、部屋の中にはチャージ式のエアコンがあるのですが冷房しかつかないので冬の際は寒さに弱い方は注意が必要です。
   ルームメイトは、ベトナム人と日本人でした。しかし、ルームメイトとのトラブルもあり留学の中盤で部屋チェンジをしました。部屋チェンジは、寮の管理者の人に伝えると変更することができます。なので、ルームメイトとトラブルがある際は我慢せず管理者の人に相談して解決してもらいましょう。部屋は、インドネシア人の子達の部屋でした。そのインドネシア人の子達とは、部屋をチェンジする前から仲良くしていたので何もトラブルなく過ごせました。さらに、以前よりもインドネシア人の子達と交流する機会が増えました。彼らとはほとんど毎日食事しに行ったり、ショッピングしたり、観光したりしました。
   台湾で留学した中で印象に残ったイベントは台北101でのカウントダウンです。海外のカウントダウンは初めてでとても綺麗で現地の人たちと楽しく年越しできました。皆さんもぜひ体験してほしいです。台湾では食事や買い物をする際、ほとんど現金で決済します。なので、現金は必須なので留学前までに現地で現金を下ろせる環境を作るといいでしょう。
   台湾の気候は、8〜11月中旬までは半袖で、それ以降は長袖で生活できるくらいです。私達が住んでた地区は淡水区で台北の北側に位置してます。淡水区は、雨がよく降り、風が強いので折り畳み傘を持って来る際は、強風対策があるのが良いと思います。さらに、北側に位置しているので冬は日本ほどではないですが寒くて10°まで下がるのでウィンドブレーカーやヒートテックを持ってきた方がいいです。

   次に、食事面について述べたいと思います。台湾では、自炊文化よりも外食文化な感じでした。しかし、寮の他の留学生の中には寮のキッチンで自炊したりしてる人もいました。値段的にいうと外食とあまり変わらないのでどっちでもいい感じです。台湾の料理はとても美味しいと思います。しかし、八角が苦手な方はルーローハンや牛肉麺などの料理は厳しいと思います。私は、最初の頃は八角料理を食べることができましたが数週間ぐらい経つと突然食べれなくなりました。
   そこで今回、八角が苦手な方でも食べれる行きつけの店を2店紹介します。一つ目は、董家炒飯です。そのお店は、チャーハンが美味しいお店です。私のおすすめは、キムチチャーハン、カレーチャーハン、あんかけご飯と麻婆豆腐です。キムチチャーハンと麻婆豆腐は辛いので辛いのが好きな人は食べてみてください。また、チャーハンは量が多いのでそれだけでお腹いっぱいになります。お値段は、チャーハン類は380円くらいで、麻婆豆腐類は、570円くらいでお手ごろな値段です。お店の人も親切な人なのでとても行きやすかったです。
   2つ目は、哈焿大師淡水肉羹 肉焿湯 魯肉飯おという店です。そこは、ルーローハンはもちろんのこと、スープや麺や副菜などのメニューが豊富な店です。私は、八角苦手なので汁なし水餃子麺や水餃子スープ、ほうれん草の煮物、ブタのしゃぶしゃぶ系の料理などを主に食べました。この店も値段が安く、しかもラインペイで支払えるのでとても良かったです。
   また、台湾にはドリンク屋さんがたくさんあります。私がよく行っていたのは、心田という店です。私は、パイナップルが好きなのでパイナップルジュースを良く注文してました。その店には、カットフルーツも売ってるところもあるのでフルーツ好きにはおすすめです。それらの店は、寮の近くにあるので興味がある方は行ってみてください。

   3つ目に、学習面について述べたいと思います。まず現地に到着した際、余裕がある時でいいのでシラバスをみた方がいいと思います。なぜなら、淡江大学の履修登録は早いもの勝ちに決まってしまうからです。授業の中には、人気の科目もあるので定員が埋まると登録できず、その授業をとっている誰かがドロップするのを待たなくてはいけません。なので、早めにシラバスをみて履修したい授業を決めるといいと思います。
   私は、英語と中国語のプログラムですが授業は9割型英語の授業をとりました。英語で履修した科目は、経済系と経営系、国際系です。最初は、聞き取ることが難しかったですが、徐々に聞き取れるようになりました。私は授業についていくのに必死だったため、授業の復習に力を入れなんとかついていくことができました。授業自体は、麗澤と似た感じのディスカッションなどのグループワークが主でした。成績評価は、中間、期末のテストかレポート、もしくはプレゼンテーション、出席点、積極性(授業での挙手など)などがメインでした。授業の中には、積極性重視のものもあるので授業で積極的に挙手するといいと思います。
   中国語で履修した科目は、夜に行われる中国語の授業です。それは、中国語で中国語のリスニング力とスピーキング力を伸ばす授業です。レベルは、1、2、3、4の4レベル構成でレベルの振り分けは授業前に受ける中国語プレースメンステストの結果で振り分けられます。しかし、テストの結果でレベル分けされますが結果よりも上のレベルの授業を取ることもできます。私のおすすめはテスト結果がでた際、一度その授業を受けてみて簡単だなと思えば上のレベルを取るなり難しいと思えばレベル下げるのがいいと思います。夜の中国語の授業は、とても楽しいので履修することをおすすめします。

   最後に、私はこの留学を通して英語力、中国語力、異文化理解能力が向上したと思います。英語力は、日々ルームメイトのインドネシア人の子達と食事や外出したり、部屋の中で雑談したり、大学の授業を受けたりして向上させました。中国語力は、中国語の授業や日々飲食店などで注文したりして向上させました。異文化理解能力は、授業で学んだものや日常生活をしてるうちに自然と向上しました。授業では、経済、経営、国際系を履修し、以前よりもそれらの分野へ興味を持ちました。私は、この半年間で辛いこともありましたがなんとか乗り越え楽しい留学になりました。

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西安外国語大学

西安留学体験記
陳平欣
中国語・グローバルコミュニケーション専攻3年
2024年2月~2025年1月

   西安外国語大学への留学の決め手は、友達との相談からでした。自自分は初め、台湾に留学に行く意志のほうが強かったです。今考えてみると、大きな理由はなかったです。コロナ明けで、西安に渡る学生も少なく、留学説明会では台湾の大学についてのみの紹介で、留学先の大学について知ることが出来て何より台湾に興味があったからだと思います。ですが2024年度の春学期から、西安外国語大学に留学を引き受けてもらえる知らせを聞いたときは、正直とても嬉しかったです。それから、天津から麗澤大学に留学に来ている友達に相談をしました。西安には行ったこともなく、未知の場所だったので、西安に行こうか台湾に行こうか毎日考えていました。友達には、西安も台湾はどちらも行く価値があるけど、西安は歴史も長く文化も豊富で、台湾も楽しいかもしれないけれど西安に行くべきだとアドバイスをもらいました。そのアドバイスをもらったとき、その一瞬で西安に行こうと決めました。中国には家族がいてよく帰っていましたが、西安には初めて渡るので正直不安が大きかったです。でもその分期待も大きかったです。一番不安だったことは、勉強に付いていくことよりも西安での生活に慣れることができるかどうかでした。

   西安に渡る当日は、飛行機も順調で無事に到着することが出来ました。その日は、西安外国語大学の先生に空港まで迎えに来てもらい、時間も少し遅かったため直接学校の寮に向かいました。西安に行く前から大学の寮がどんな感じなのかとても楽しみにしていました。なぜなら学校の寮で生活することが人生初めての体験だということ、それに加えてベッドが二段のような形で、上にベッドがあって下に勉強机があると友達から聞いていたからです。寮に到着したときは想像していたよりも古かったのと部屋に入ってから気が付いたことがあって、それはベッドと勉強机が分かれていることです。少し残念でしたが、やっと自分の部屋にたどり着くことができたのと、一緒に西安に留学に行った友達とも同室で安心しました。西安に来る前は寮の外観や部屋がどのような感じなのかわからなかったので、やっと自分の目で見ることが出来て嬉しかったです。

   クラス分けテストまでまだ3日ほどあったので、学校の周りで日用品など必要なものを買いに行きました。もう一人のルームメイトは、本科生の留学生でした。寮についてからずっとその友達に助けてもらいました。寮のどこに何があり、学期が始まる前に何を準備しておく必要があるか、日用品はどこで買うべきなのか教えてもらいました。テストまでの数日間は、初めて実家から離れて過ごしていたので、環境が大きく変わって口にするものも変わって、慣れないことが少しあり落ち込むときもありました。それでも西安に留学にきたことは最後に自分で決めたことでもう後戻りはできないので、どうにか慣れないとなと思いました。でも何日か西安で過ごしていくうちにだんだんと慣れていきました。何より周りにいつも友達がいてくれたことが一番の助けでした。

   クラステストも受け終わって初めて授業に参加する日は、朝から緊張していました。日本で大学に通っていたときは、みんな日本の友達ばかりで、初めていろんな国々の学生と授業を受けるので緊張していた半面とても楽しみにしていました。初めて教室に足を踏み入れた日は今でもよく覚えています。何人かの学生が教室にいて自分が入ってすぐにその子たちが、どこから来たの?と聞いてくれて緊張もすぐに緩みました。授業中はみんな意欲的に意見を発表するので、自分はその活発な授業の雰囲気が大好きでした。先生たちも教え方にひとりひとり個性が出ていて、毎日学校に行くことが楽しみでした。自分はいつも授業が終わると友達たちとお昼を食べによくとなりにある陝西師範大学の食堂へ行っていました。陝西師範大学の食堂は西安外大よりも大きくて、料理の種類も豊富で飽きにくいのでほぼ毎日のように友達と行っていました。
   西安外国語大学の授業は毎日午前中のみで、朝の8:20からお昼の12:00までだったので午後は基本授業がなかったです。午後に中国の歴史文化に関する座学の授業と文化授業が週にそれぞれ1回ずつあってそれ以外の日の午後は自由に過ごしていました。自由な時間を使って、留学先の友達たちも一緒に近くの観光地に行ったり、教室に行って自習をしたりしました。午前中に授業で使っていた教室は午後になるとほとんど自習室として自由に使えるのでとても快適でした。自分は部屋で自習するよりも、教室で自習するほうが好きでした。
   文化授業では習字と国画のクラスを毎週交互にやっていました。国画は水彩画と異なっていて、色を作るときに絵の具と水の量が少しでもズレると自分が想像していた色よりも濃くなったり薄くなったりしてしまうので毎回のクラスでひとつの作品を時間内に完成させることは難しかったのですが、毎回違うテーマに沿って絵を自分で自由に描いていくので楽しかったです。

   自分には春学期のときから仲良くなった友達が2人います。ひとりは同じクラスの友達で、もうひとりは自分が参加していた文化授業で同じクラスだった友達です。中国語クラスは一緒ではありませんでしたが、文化授業のときに一緒に話をしたり、西安の朝市にも一緒に行ったりしました。西安の朝市は有名で、いろいろなところで朝早くから開いていました。5,6月頃に
友達たちと週末に朝早起きをして、よく一緒に行っていました。朝は涼しくて、空気も澄んでいて、西安の朝が好きでした。朝市では、果物や野菜の他に西安のソウルフードの屋台もたくさん開いていました。友達たちとそれぞれ食べたいものを買って、そのあとにベンチで買ったものを並べてみんなと一緒に食べていました。また西安に遊びに行くときに朝早起きして行きたいと思います。

   春学期のときに、自分は5班のクラスで勉強していました。クラスの人数は多すぎず少なすぎずの18人くらいでした。クラスの友達はみんな個性が溢れていて、一緒にいて楽しかったです。みんなフレンドリーで教室以外でも、寮などで会ったときもよく話をしたり、ときどき一緒に出かけたりもしました。学期がそろそろ終わりを迎えるときにも、よくクラスのみんなとごはんを食べに行ったりカラオケに行ったりしました。どれも自分にとっていい思い出ばかりです。

   夏休みがそろそろ終わる頃にまた西安に戻りました。夏休み中に秋学期が始まる前に寮の引っ越しが必要というお知らせが来ていたので、学校に戻った次の日から引っ越しをしました。荷物も多かったので何回も行き来する必要があって結構大変でした。

   秋学期からは春学期よりも1つ上の6班のクラスに移動しました。授業の内容も2,3段階くらい難しくなったような気がして、最初から授業に付いていくことが少し大変でした。でも新しいことをたくさん教えてもらっていたので、無駄にしないよう努力したいと思いました。特に難しくなったのはリーディングクラスでした。日頃あまりよく使わないような単語が多かったからだと思います。
   秋学期からは、午後に古代文学クラスと文化授業に参加していました。古代文学クラスでは、古代からの文字の進化や詩人について、中国文化について織り交ぜながら教えてもらいました。日本で生活していて、今まで中国の古代文学について学んだことがなかったのでとてもいい機会でした。
   文化授業は、春学期とは違い舞踊クラスに参加しました。授業では≪踏歌≫という、足で地面を思いっきり踏む動作が特徴の舞踊を習いました。ひとつひとつの動作がしなやかで動作を覚えることが難しかったです。それでも、自分は踊ることが好きなので少しずつ楽しいなと感じるようになりました。学期の集大成としてスピーチコンテストなどで舞踊を披露することもありました。仲の良い友達と授業も一緒に参加できて、一緒に舞台に上がることもできてとても嬉しかったです。とてもいい体験になりました。

   西安外国語大学にいたときに、一年を通してたくさんの活動に参加しました。春学期には、運動会や文化体験会があり、秋学期には西安の城壁に上ったり、兵馬俑を見に行ったり、大晦日の夜に留学生や先生方と一緒に餃子を作ったりもしました。
   秋学期にも仲の良い友達が1人できました。その友達も一緒で5人の友達とよく公園に行って夕日を見たり、西安の串焼きを食べに行ったりしました。友達とは夜に運動としてよく一緒に陝西師範大学の運動場に行ってバトミントンもしました。運動場が広く、コートの数も多くて、夜になるといつもよく賑わっています。

   ここまで自分が西安外国語大学で体験したことを載せましたが、この留学生活を通して感じたことを話そうと思います。
   体験記の初めのほうには、西安に到着してから数日間早く帰りたいと感じることがときどきありました。ですが西安でみんなと過ごしていくうちにそんな考えはいつの間にかどこかへ消えました。今でもよく留学期間のことを思い返すときがよくあって、写真を見返すのですが、思い出の写真がたくさんあって、2024年の写真は今まで人生で一番たくさんのひとと出会い、有意義で濃い一年だと気づかされます。西安で過ごしていて、自分にも少し変化があったなと思います。やらずに後悔するよりも、やって後悔するほうがいいという考えを持って、何か試してみたいことがあったら何でも試してみる必要があるという意識を持つようになりました。これはすべて西安で出会った友達や先生方のおかげです。留学先の学校に西安外国語大学を選んだことは正しい決断でした。
   中国語が上達したり、文化について触れることができたりしたのもそうなんですが、自分がこの留学生活を通して一番こころに残っていることは、大切な友達に出会えたことです。友達にはたくさん助けてもらったり、学ぶこともたくさんあったりしました。とても幸せな留学生活でした。自分が西安を離れるときはもちろん悲しかったのですが、そよりも友達を見送るときのほうがずっと悲しかったです。また会えることを願いたいです。きっとこれからの人生で辛いことに向き合うことがあると思います。そのときに留学での思い出を思い返して自分を元気づけたいです。

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フォンティス応用科学大学

フォンティス留学体験記
櫻田美優
グローバルビジネス専攻3年
2024年2月~2025年1月

   入学当初、「アメリカに留学へ行く」そんな思いを抱いていた私は、ヨーロッパへの留学は視野にすら入っていませんでした。しかし、なぜそんな私がオランダへの留学を決めたかというと、理由は3つあります。1つ目は、グローバル化が進む今、自分が将来、海外事業に携わった際に、必ずしもネイティブだけとコミュニケーションをとること、英語圏への出向はないだろうと思ったからです。英語圏以外では、母国語を英語に持たない者同士、どのようにコミュニケーションをとるのかを学びたいという想いからオランダへの留学を決めました。2つ目は、オランダは子供の幸福度ランキングが高い水準を誇っているからです。少子高齢化が進む日本社会は、高齢化対策ばかりに目を向けており、少子化対策が疎かになっているのではないのかと思い、社会学を専攻することはできないが、現地の先生や現地の人との関わりから、なぜ高いのか、日本に足りない事はなんなのか見えてくると思ったからです。3つ目は、ヨーロッパ周遊が容易にできるという点です。Fontysは、ドイツとの国境沿いに位置しており、またベルギーも近いことからすぐに国境を越えることができます。旅行を通して、新たな発見ができるといいなと思い、オランダへの留学を決断しました。

   オランダへの留学前、ずっとアメリカに憧れを抱いていたため、この選択は正しいのかとギリギリまで悩んでいました。また、正直、ヨーロッパの文化について知識もなかったので、本当にヨーロッパに行くのか?オランダってどんな国なのか?多くの疑問、不安、好奇心を抱きながら出発しました。実際に留学が始まり、世界中から来る交換留学生と関わる中で世界を旅している気分でした。毎日いろんな言語が飛び交っていて、英語だけではなく、お互いの母国語、文化を学びたいという姿勢が全員にあり、多くのことを学ぶことができました。Fontys応用科学大学には交換留学生・現地学生が交流できるGlobal loungeがあり、週に1回ほどイベントを開催しています。イベントにて多くの友達を作ることができました。
   授業では、実践的に英語やBusiness科目を学ぶことができます。特にプロジェクトをする際には、学生だけでグループを決めるなど、能動的に行動する機会が日本に比べて多いです。自分の意見を伝えること、相手の意見を受け入れること、グループワークを通して英語、学問だけでなく、チームワークはどういうことかを学ぶことができました。異文化の中で生活をし、戸惑いやトラブルもありましたが、それが自分を大きく成長させてくれたなと思います。

   私は、ヨーロッパ留学の醍醐味はヨーロッパを周遊することができる点だと思います。想像していた倍、自分と向き合う時間が増え、家にいる時間も多かったです。そのため、1〜2週間程度の休みや夏休みを利用し、15ヵ国旅をすることができました。旅はただ楽しむだけと思われるかもしれませんが、旅の時には意外なハプニングが多く起こり、起こったことに対してどう柔軟に対応するか、ハプニングを回避するための計画性、その他にも多くのスキルが旅を通して身についたと思います。留学に行く前から北欧文化に興味があり、北欧周遊を目標にしていました。人生初めての一人旅がスウェーデンとなり、最初は1人で海外を旅することに不安がありましたが、不安なんてかき消してくれるくらいの景色、文化に出会うことができ、一生忘れられない思い出になりました。北から南までヨーロッパを旅し、SNSでは得られることのできない現地で見た・感じたからこそ分かることの多くを吸収することができ、今後の人生に活かしていきたいと思います。今回の留学期間中の旅は一生の財産になりそうです。
 
   今回の留学を通して、学んだことは主に2点あります。1点目は、オープンでいることの大切さです。私自身、前期はオープンマインドで交換留学生と接することができず、友達を作るのに凄く時間がかかってしましました。後期は、常にオープンマインドでいることを意識した結果、多くの人と関わることができ、いろんな価値観を伝え合う時間が増え、自分のマインドがどんどん変わっていくことができました。また、オランダはコミュニケーションのスタイルがとてもダイレクトであり、率直で明確なコミュニケーションが重視されることで誤解が生じにくく、自然とオープンである環境ができているため、多様なバックグラウンドを持つ人々が共存しやすいのだなと思いました。2点目は、行動することの大切さです。前期は、家の中に引きこもってしまうことが多く、今振り返ると、せっかくのチャンスを逃していたのかもしれないと思います。後期は後悔しないようにとにかく自分からアクションを起こしたり、外出の機会を増やしたりしました。その結果、たまたま訪れたVVV-Venloの試合時に日本に興味があり、旅行に行く予定のある現地の方と繋がりを持つことができ、家にも招待してもらいました。オープンマインドで行動し続ける、この2点、想像もしていなかった出会いや経験を通じて、自分の価値観が揺さぶられ、新しい視点を持つことで、より柔軟に、より深く物事を考えられるようになりました。この1年間の経験を糧に新しいことに挑戦し、自分の世界を更に広げていきたいです。

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釜山外国語大学校

釜山外国語大学留学体験
渡辺彩也夏
日本学・国際コミュニケーション専攻2年
2024年9月~12月

   私は9月から12月にかけて韓国の釜山外国語大学に留学をしました。韓国は日本の隣国のため気候や街の環境も似ていてとても過ごしやすかったという印象が残っています。この留学生活が始まった当初、今後の留学生活が楽しみという気持ちと現地のことが何も分からず言語にも自信がなかったのでとても不安だったことを覚えています。帰りたいと思うことも多くありましたが、今思うとあっという間の3ヶ月半で、とても充実した留学生活になったと思います。
   まず韓国に到着してすぐ生活必需品を揃えに買い物に行きました。慣れない土地での買い物はとても不便で、公共交通機関を利用するにも乗り方や時間など調べるのにも一苦労でした。また、学業面では自分の韓国語レベルに合った授業を履修することができず、履修登録を変更するために何度も国際交流センターに足を運び担当の方に助けていただきました。この履修する授業を考えるのがかなり大変だったことを覚えています。
   私は「大学韓国語」「留学生のための韓国語練習」「大学韓国語文法練習」など主に韓国語を学ぶ授業を多く履修しました。私はTOPIKをとっておらず、大学で身につけた韓国語の実力のみで行ったので、授業レベルの振り分けは5段階中下から2番目にしました。ですがそれでもリスニング力が足りず、先生の言っていることを理解するので精一杯でした。その授業内での国籍は日本人、中国人が大半を占めていて、他の国ではウズベキスタン、ロシア、カザフスタン、フィリピンからの留学生がいました。これらの授業では互いの韓国語のレベルが近く、韓国語を学んでいる者同士なので知っている単語や使える文法が同じというのもあり、会話がしやすいと感じました。国籍関係なく全員が韓国語または英語で会話をするため、必ず第二言語で話さなければいけないという場が授業内で設けられているので言語能力が向上したと思います。このような経験は留学したからこそ得られた経験だと思います。
   他にもタンデムという授業を2つ履修しました。このタンデムという授業は特に学べることが多いと感じました。この授業は日本語を学ぶ韓国人学生と韓国語を学ぶ日本人学生がペアやグループになり会話をするという授業です。私は韓国語の自信がなかったのでうまく韓国語を話すことができていなかったのですが、それでも韓国の有名な観光地や韓国と日本の文化の違いなどを会話をしているうちに細かく知ることができたと思います。また、タンデムを履修したおかげでそれまで韓国人と関わることができていなかったのがたくさんの韓国人と関わるきっかけとなり、仲良くなることができました。
   のびのびサークルという韓日サークルにも参加し、ここでも1対1のペアになって会話するスタディーというものに参加しました。授業のタンデムとは違い2週間でペアを変えるのでたくさんの人と会話をしたと思います。授業のタンデムより相手の韓国人の日本語レベルがN1ではないので気軽に韓国語を話しやすいという印象がありました。どのタンデムでも私の発音が悪く、下手な韓国語でも私が話すのを待ってくれて良い韓国の方と関わることができて良かったと感じました。
   授業のタンデムで仲良くなった韓国人と日本人の子とたくさん遊びに行きました。釜山の観光地である海雲台や広安里、南浦、西面などに行きました。これらの観光地は日本人にとっても馴染み深い場所で、街中の多言語案内板以外にお店のメニューも日本語表記があり、過ごしやすい場所だったと思います。中でも私たちが決まって遊びにいくのはボードゲームカフェで日本にはあまり馴染みのない施設ではないかと思います。この施設では韓国のボードゲームがたくさんあってもちろん説明書なども韓国語なので難しかったのですが、韓国人の友達に教えてもらいながらゲームを楽しみました。ボードゲームに慣れていくうちに授業では使わないような単語などを楽しく学ぶことができ、今でもその単語は覚えています。ゲームを楽しむことはもちろんですが単語やどんなゲームが韓国で人気かなどを知ることができるのでとても楽しかったです。
   また、韓国の伝統服である韓服を着て甘川文化村を散策したりしました。日本の着物のように外国人から愛されている韓服を体験し華やかで美しい韓服を着ることもやりたいことリストのひとつだったので、経験することができて幸せでした。他にも広安里で行われたドローンショーを見に行ったり、花火大会がちょうど開催される時期だったので花火を見に行ったりもしました。日本の花火大会では花火だけでなく屋台が出店されていて花火だけがメインでくる人は少ないと思いますが、韓国では花火がメインなので屋台もなく人の数がとても多かったので驚きました。友達がたくさんのイベントや遊びに誘ってくれたおかげで韓国ではたくさんのことを経験することができ、本当にありがたかったと思います。
  この約3ヶ月半の韓国留学は私1人では絶対に達成できなかったと思います。一緒に行ってずっとそばで励ましてくれた友人や留学前からサポートしてくれた家族、親切な先生方に恵まれたからこそ最後まで楽しく過ごすことができたのだと思います。留学生活を終えてこれらの経験は人生で忘れられない糧となりました。貴重な経験をさせてくださった全ての方々に感謝し、この経験をこれからの学校生活や就職活動でも活かしていきたいと思います。   

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西安外国語大学

中国留学体験記
塚本有香
中国語・グローバルコミュニケーション専攻2年
2024年2月~2025年1月

   私は2024年の2月から2025年の1月まで中国の西安外国語大学で交換留学をしていました。この約1年間の留学は私にとって特別な体験でした。
   中国に行くこと自体に不安はなく、税関を通ることを不安に思っていたので、税関で何を言っているか聴き取れなかったらどうしようという事しか頭になかったです。無事に税関を通れた後に西安外国語大学からの迎えの車に乗って寮の自分の部屋を案内されたときにこれから留学が始まるんだなと思ったことを覚えています。次の日からは手続きと日用品購入などやることが多く、特に手続きの時は何が必要でお金を払わないといけないのかあやふやですごく不安でした。何とか必要な手続きが終わり、自分の銀行口座を作りやっとWeChatPayを使えるようになった時は便利さに感動しました。
   もろもろの手続きが終わり安心できたのもつかの間、すぐに授業が始まります。事前にテストを受けクラス分けされていたので分けられたクラスに行ったのですが、知り合いが1人もおらず、さらには日本人も私しかいなかったので心臓がずっとうるさく、自己紹介の時には頭が真っ白で何を言うべきなのかわからなかったですが、先生がフォローしてくれたりと運がよかったです。最初の1週間は自分のレベルを考えて自分に合うクラスを見定める期間だったので、クラスを変更する子も何人かいたのですが、私は結局変えずに最初に分けられたクラスに決め授業を受けていました。クラスメイトとは最初のころ関わることや会話なども少なかったのですが、だんだんと話すことが増えていきクラスメイトのことを知っていけるのがうれしかったです。授業面に関して教室で行う授業以外に1学期に1度外に出てインタビューをするのですが、私の発音が悪く正しく聞き取ってもらえないことがあったりと自分の課題を発見するとともにクラスメイトとの仲も深まったり楽しい活動の1つでした。
   授業には3科目ありそのなかのスピーキングを鍛える授業が私は特に苦手で、というのも私は積極的な性格ではないので自分の意見や考え方を発表するのを苦手に思っていたからです。また、自分にされた質問の理解が誤っていたらどうしよう、使った単語や文法が間違っていたらどうしようなどぐるぐる考えて先生にあてられることに緊張していました。後半になるにつれて大きな進歩ではないですが、少しずつ発表の経験を積むにつれて緊張をしないで発言をできるようになり、スピーキングの先生にスピーキングが進歩したねと言われたときには成長できたことに喜びを感じました。
   私たちが住んでいた寮にはほとんどの留学生が住んでおり、1部屋2~3人で国ごとや宗教ごとに部屋割りがされています。私の部屋は3人部屋で3人とも日本人だったのでコミュニケーションなど苦労することは特にありませんでした。その中の1人が本科生の方で、留学当初には本科生の方とお友達に学校周辺を案内してもらったり学校のことに関することを教えてもらったりと大変助かっていました。その方たちのおかげで友達も増え、ご飯を一緒に食べたり、同じ寮の友達の部屋にお邪魔したり逆に友達が遊びに来きたりすれ違ったときに遊びに誘ったりと近く軽いノリで誘えるので日常生活がすごく楽しかったです。
   寮内での生活については始めなれないことがやはり多く、特にお風呂に最初抵抗感がありました。湯舟はなく、シャワールームがあり、そこのシャワーが冷たいときと熱いときがあり安定していなかったのと、比較的きれいな方のシャワールームは混むこともあるので注意が必要でした。秋学期には住んでいた寮に中国人学生が住むことになりお引越ししたのでトイレやお風呂事情がガラッと変わり私的には以前より使いやすくなったと感じました。
   生活面について中国にいる間は基本的に外食が中心でした。自炊するにもキッチン用品など各自でそろえなければならず、中国の料理がまったく口に合わないというわけではなかったので自炊をすることはほとんどなかったです。学校の周りには飲食店が多いのでそこらへんで食事を済ますことが多かったです。中国のいいところの1つとして物価が安いところです。一食15元前後(300円)で食べるにもかかわらず量も多いので満足感があります。しかし、中国の料理は油が多いのでずっと食べていると疲れてきます。また、中国はネットショッピングやデリバリーサービスが発展しているので雨の日にはデリバリーしてちょっと遠いお店の料理を頼んだり少し特別感があり、雨の日が少し楽しかったです。中国では基本的にお店に行って買うよりもネットショッピングしたほうが安いし選び放題なので、教科書や布団、服などお店で見た雑貨などもいったんネットで調べてネットのほうが安ければお店で買うことを断念することもありました。このように行動することは日本では1回もなかったので中国になじんだ感覚がありました。
   友達とは旅行にも行きました。春学期には成都、秋学期には学期終わりに南のほうに旅行しました。自身でホテル予約や飛行機の予約など友達と分担した面もありましたがいろいろな土地に行き文化の違いを肌で感じることができ良い経験になりました。わがままを言えばもっと多くの都市に旅行しておけばよかったと思います。
   留学では様々な体験をしました。学校には留学生向けに多くのイベントがあり普段体験できないようなこともできたり、日本語を勉強している中国人の方と交流したり、国も文化も違う方々とかかわることが増え私の視野を広げることができたし、もともと日本国内での事でも緊張することが多かったのですが、留学を経験した後には何とかなるのではないかと不安に思う前に行動してみることも大事だと考えるようになり、すべての面で私自身の成長がありました。今後は留学中に得た語学力をもっと成長させて現状に満足せずに頑張っていきたいです。

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淡江大学

台湾での留学生活
小笠原咲来
中国語・グローバルコミュニケーション専攻2年
2024年9月~2025年1月

   私は9月~1月の約4カ月間、台湾の新北市にある淡江大学に留学していました。私は、この留学で初めて台湾に行きました。台湾での楽しく刺激的な留学生活について書いていこうと思います。
   まず台湾に到着してから、授業が始まるまでに約2週間と少し時間がありました。履修登録期間には、履修登録のためのお試し授業の期間が1週間程度ありました。すぐに授業が始まると思っていたため、最初は不安な気持ちが多かったです。でも、私たちの担当者であるジェイコブさんにラインで質問などもできるため、分からないことをすぐに聞ける環境があり心強かったです。また、学校の行事や連絡事項もラインで送られてきます。たまに、寮のキッチンが汚れているときや、騒音についての注意喚起も送られてきました。私は、普段からラインを使うことが多かったため、確認しやすくて良かったです。
   そして、授業についてです。月曜日と木曜日の18:00~20:00に留学生用の中国語の授業がありました。この授業はレベル分けがされていて、レベルによって授業を受ける曜日が違いました。レベル分け用のテストがあり、クラスが分けられるのですが、自分で上のクラスに行きたい人・下のクラスに行きたい人は行くことができました。また、2つのクラスを受けている人などもいました。
   その他の授業は、淡江大学の中文系の人たちと一緒の授業を受けていました。授業は、もちろん全部中国語でした。最初の方は全く聞き取れないし、そもそもの授業の内容が難しくて、とても大変でした。でも、最後の方は聞き取れる単語も出できて少しばかりの成長を感じることができました。それでも、授業の内容を完全に理解することはできませんでした。
   そこで、どのようにテストを受けていたかについて紹介します。書道の授業では、先生に出されたお題をテストの日に書いていくだけなので、正直中国語が分からなくてもきれいな字を書けばいい点数をもらうことができます。でも、テストの内容を聞き取る必要があります。聞き取れないときは、授業終わりに先生に聞きに行くと「日本からの留学生だ。テストについて教えてあげて。」と近くの生徒に教えてあげるようにと声を掛けてくれました。その他のテストでは、他の生徒と違う問題でレポートを作成したり、事前にテストの問題を教えてくれる先生もいました。どの先生も、とても親切に私たちをサポートしてくれました。また、学生もとても親切でたくさん助けてもらいました。台湾は学生に限らず英語を話せる人が日本よりも多いように感じました。このように、先生や生徒みんなの助けを借りてテストを乗り越えることができました。
   次は台湾の生活についてです。上でも書いた通り、台湾の人はとても親切でフレンドリーな人が多いです。また、朝早い電車や夜遅い電車でも元気な人が多いなと感じました。電車やバスは基本的に日本よりも賑やかで電話をしている人や、イヤホンをせずに音を出している人もいました。日本と違い、MRT(電車)では飲食が禁止でした。そして、バスやタクシーの運転はとても荒いです。乗った瞬間に出発するので、お年寄りの方が転んでしまうこともありました。でも、交通費、特にタクシーはとても安くてたくさん使ってしまいました。ウーバーのアプリで簡単に呼べるので、タクシーをうまく使って効率よく移動するといいと思います。
   次は、飲食店についてです。私が一番驚いたのは、他のお店で買ったものを持ったままお店に入れることです。飲料店が多くあるので、飲料店で飲み物を買って、ご飯を食べに行くことができるのが楽しかったです。でも、お店に置いてある無料のお茶も甘く、お水にはレモンが入っているレモン水でおいしいです。また、注文方法は紙に記入をして、カウンターに出すものが多かったです。案内された席のQRコードから注文するお店もありました。台湾人はスプーンやお箸などを拭いてから使うようにしていて、私は日本でそのような習慣がなかったので驚きました。値段については、現地の人が行くようなお店は安いけれど、日本食や台北・中山のお店は日本と同じくらいの値段でした。カード支払いができないところが日本より多く、ラインペイを使えるところが多かった印象です。また、夜市では圧倒的に現金支払いが多かったので、現金を持っておいて損はないと思います。
   最後に、台湾の天気についてです。台湾は基本的には日本より暖かいです。ですが、淡江大学がある淡水は台湾の中でも最も寒くなるといわれている地域でした。雨がよく降ることや強い風が吹くことでより体感温度は寒く感じられると思います。それでも、本格的に寒くなったのは12月の中旬くらいでした。それまでは薄い長袖で過ごせるような気候でした。私が暑がりということもありますが、教室は暑く感じることが多く、上着を脱いで半袖で授業を受けることが多かったです。そして、10月11月は台風が多くありました。台湾には台風休暇というものがあって、学生や会社員など関係なく地域ごとで一斉に休みになります。台風が来ているとなると大体20:00に「行政院人事行政総処」というサイトでどの地域が休みになるのかを知ることができます。また、テレビでも知ることができますが、私たちの寮(麗澤寮)にはテレビがなかったためテレビでの確認はできませんでした。もしも調べられなかった場合でも、淡江大学の子が「明日は学校が休みだ~」というようなストーリーをインスタグラムに載せてくれていることもあるので、そこから知ることもできました。
   約4カ月間台湾での留学を通して、中国語の勉強はもちろん文化の違いを感じたり様々な貴重な体験をすることができました。4カ月間という時間は本当にあっという間でした。最初は留学するよりも日本で勉強していた方がいいのかなとか、色々と悩むこともあったけれど最後には留学という選択をして、本当に良かったと思えました。忘れられないような思い出をたくさん作ることができて楽しかったです。出会ってくれたみんなに感謝です。

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国立屏東大学

留学を通して見えた景色
小野未楓
中国語・グローバルコミュニケーション専攻2年
2024年9月~12月

   2024年9月、私は台湾・屏東に留学しました。この地で過ごした時間は、私の人生にとって非常に貴重なものであり、期待と不安が交錯する中でスタートしました。言語や文化の壁、現地での生活の違いなど、さまざまな困難を乗り越える中で、多くの学びや気づきを得ることができました。
   留学生活の始まりは、期待以上に戸惑いの連続でした。日本でも中国語を専攻していたものの、台湾で耳にする中国語はスピードが速く、訛りや独特の言い回しが多いため、最初は授業を理解するのに苦労しました。特に、ネイティブスピーカーである先生方の講義では、知識を吸収するどころか、授業についていくことで精一杯で、まだまだ自分に足りないものが多いことを痛感しました。
   また、日常生活では言葉の壁がより顕著でした。夜市で買い物をするときや食堂で注文をするとき、言いたいことが正確に伝わらず、困惑したり落ち込んだりする日々が続きました。しかし、その一方で、現地の人々の優しさを感じる場面も多くありました。
屏東は台湾の最南端に位置しており、1年を通して非常に温暖な気候が特徴です。特に、留学を開始した9月は酷暑で、日中の気温が30度を超えることが日常でした。大学のキャンパス内にはヤシの木が生い茂り、南国特有の風景が広がっています。また、リスが至るところに姿を見せるなど、自然との共存を強く感じる環境でした。
   留学期間中、何度か台風が屏東を直撃しました。特に10月の台風では、大学内の校舎や木々も大きな被害を受け1週間ほど休みになりました。このような自然災害の経験は、普段あまり台風の影響を受けない日本の地域で育った私にとって、新鮮であると同時に自然の力の恐ろしさを実感させるものでした。
   さらに、10月半ばまではスコールが頻繁に発生し、外出中に突然の大雨に見舞われることもしばしばありました。台湾の天気は非常に変わりやすく、朝は快晴でも昼には大雨になることも珍しくありませんでした。このような天候に慣れるまで時間がかかりましたが、傘を常に持ち歩くなど対策し、現地の生活スタイルに順応していきました。
   留学生活が進む中で、同じ授業を受けている台湾の学生たちとの交流が始まりました。最初は簡単な会話から始まった関係も、時間が経つにつれて徐々に深まり、今では「友人」と呼べる存在になりました。彼らは私を家に招待し、台湾の伝統的な文化や料理を体験させてくれました。
   特に印象的だったのは中秋節の時期です。友人が手作りの月餅をプレゼントしてくれたほか、先生方からもお菓子やフルーツをいただき、みんなで祝う楽しさを共有できました。祝日を通じて、台湾の文化には家族や友人とのつながりを大切にする精神が根付いていることを知り、深い感銘を受けました。また、このような温かい交流を通じて、台湾文化への理解が深まるとともに、「文化の違いを楽しむ」姿勢を身につけることができたと感じています。
   さらに、台湾の友人たちとの会話を通じて、アニメや芸能人といった共通の話題があることも発見しました。日本文化への関心が高い彼らと話していると、自分自身も母国の文化について改めて考えさせられる機会が多くありました。お互いの文化について語り合う中で、「異なる文化に触れることで、より広い視野が持てる」ということを学びました。
   もちろん、すべてが順調だったわけではありません。授業では、積極的に意見を発表する台湾の学生たちを見て、自分の発言の少なさに劣等感を抱くこともありました。日本では控えめであることが良しとされる場面もありますが、台湾では自己表現が重視されます。この違いに最初は戸惑いましたが、周囲に影響を受けて自分も少しずつ積極的に意見を述べられるようになりました。
   また、夜市やお店で話をする中で、地元の方々から「どこから来たの?」と聞かれることが何度もありました。日本から来たことを伝えると、「ありがとう」「日本が好きだよ」と声をかけてくれる人も多く、そのたびに心が温かくなりました。特に、大学内の食堂で日本についてたくさん質問してくれる職員方との会話は、日常の中での人々の温かさを感じる貴重な瞬間でした。こうした日常の中でのふれあいは、留学生活をより豊かなものにしてくれたと思います。
台湾での日々は、文化の違いを超えて多くのことを学ぶ時間でもありました。たとえば、台湾の人々の親しみやすさや温かさには心を打たれるものがありました。市場で話しかけてくれる人々や、日常で助け合いの心を感じる瞬間など、どんな場面でも人とのつながりを感じられるのが台湾の魅力だと感じました。このような人間関係の温かさは、日本ではあまり体験したことがなく、文化的な違いを感じながらも、異なる価値観に触れる喜びを味わうことができました。
   また、台湾の食文化も非常に魅力的でした。夜市での屋台料理や、友人や先生から手作りの料理をいただく機会には、食材を大切にする心が込められており、台湾の食文化に対する理解が深まりました。これらの経験を通じて、食事が単なる栄養補給ではなく、人と人とのつながりを育む重要な要素であることを学びました。
   さらに、台湾の祝祭日や風習についても多くのことを学びました。中秋節をはじめ、台湾では祝日に家族や友人が集まり、共に時間を過ごすことが大切にされています。この文化を体験する中で、自分自身の生活にも「人と人とのつながりを大切にする視点」が欠かせないことを再確認しました。

  【帰国後の今だからこそ思うこと】
   留学生活を終え、帰国した今、台湾で過ごした日々の記憶が鮮明によみがえります。帰国してみて改めて、現地での経験がどれほど貴重で、心に残るものであったかを強く感じます。台湾で出会った人々や体験したことのすべてが、私に新しい視点を与えてくれました。留学生活を通じて学んだことは、一言では言い表せません。しかし、「どこにいても自分らしさを忘れず、心を開いて他者と向き合うことで、本当に大切なものを見つけることができる」という教訓を得たことは、間違いありません。この経験は私にとって、人生の中でかけがえのない財産となりました。

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プリンスエドワード島大学

小さな島で得た大きな成長~プリンスエドワード島での留学体験記~
佐瀬 璃音
英語コミュニケーション専攻3年
2024年9月~12月

   カナダのプリンスエドワード島に留学に来たのは9月の初めでした。この体験記を書きながら、想像以上に時間が過ぎるのが早いと感じるとともに、この小さな島での新しい生活が多くの学びと発見をもたらしてくれたことを実感しています。この体験記でこの4ヶ月間に私が経験したことや学んだことを綴り、留学を検討している方の参考になれば幸いです。
プリンスエドワード島(PEI)に到着してすぐの頃は、異国でのこれからの生活に少し緊張していましたが、初秋の陽光や心地よい涼しさと日本に似た穏やかな環境、それからホストファミリーや大学のスタッフが温かく迎えてくれたおかげですぐに慣れることができました。プリンスエドワードアイランド大学(UPEI)での English Academic Preparation (EAP)の授業は少人数制で、中国やアラビア、ベトナム、フランス、ロシアなど多国籍なクラスメイトとともに学ぶことができました。さまざまな文化背景を持つ学生たちとの交流はとても刺激的で世界観が広がる思いがしました。授業内ではグループになることも多く、お互いに第一言語ではない英語を学習しに来ているので間違えても恥ずかしさなどは全くなく、教え合って高め合いより成長できていると感じていました。また大学内のジムやプールを無料で利用できる点や、学生IDでバスが無料になる便利さにも助けられました。※ここで注意点ですが、バスの運転はかなり荒いです。乗り物酔いしやすい人は酔い止めなど対策してください!
10月に入ると、島全体が木々の美しい紅葉とハロウィンの飾りで彩られました。この時期、カナダの文化をより深く知る良い機会となったのがThanksgiving Day(感謝祭)でした。私は海外ドラマや映画が大好きで感謝祭をテーマにした作品をたくさん見ていたので、とても楽しみにしていました。当日はホストファミリーの親戚も集まり、ハムやマッシュポテト、パンプキンパイ、ブルーベリーパイといった伝統料理を一緒に楽しみながら、感謝の気持ちを分かち合う温かい時間を過ごしました。この祝日はその年の収穫や日々の恵みに感謝する日ですが、この行事を通じて家族や周囲の人々とのつながりを大切にするカナダの文化に深く触れることができました。
   またこの感謝祭で実家に帰省する人もいるため、UPEIでは一週間の秋休みがあります。この休みを利用して私は友人とトロント旅行に出掛けました。PEIの穏やかな環境とは対照的に、トロントは大都市らしい賑やかさと活気に満ちていました。ロイヤルオンタリオ博物館には無料で入ることができ(第3火曜日だったから)貴重な展示物とともに様々な国の時代と文化を学ぶことができました。それからナイアガラの滝を観光したり、おしゃれなカフェを巡ったりして満喫しました。この旅行では、大都市の利便性と多様性を実感したと同時に、PEIの人々の親切さとフレンドリーさとPEIの街の綺麗さが印象に残りました。困っていてもいなくてもすぐに助けの手を差し伸べてくれる地元の人々に感動しました。
   11月は授業が本格化しテストが増えました。特にwrittingの授業では単語力、文法知識の向上を実感し自信がつきました。それに加えて、EAPの教員の人員不足が原因で授業時間が減ることが決まりました。授業時間が単位に置き換えられる私たちは、先生たちにメールを送り、なんとか授業時間が減らないように時間割を組んでもらいました。また、この頃にはホストファミリーとの生活にもすっかり馴染んでいました。家で映画を観たりしてリラックスした時間を過ごしました。ホストファザーが作る夕食はとても美味しく、特に彼の得意料理であるトマトパスタとガーリックトーストは忘れられない味です。それから、UPEIのアイスホッケーチームのファンになり試合に足繁く通いました。アイスホッケーはカナダの国技であり、「氷上の格闘技」と言われています。その名の通り凄まじいスピード感とフィジカルのぶつかり合い、目まぐるしく変わる試合の流れは瞬きする暇もないほど圧倒的で、見ているだけで体が熱くなるような迫力があります。
ハロウィンが終わってすぐさま街全体がクリスマスカラーに染まり、イルミネーションやデコレーションがとても華やかでしたが、12月になるとより一層華やかになりました。老若男女問わず、島中の人々がクリスマスを心待ちにしている様子が伝わりとても微笑ましかったです。12月1日にはUPEIからダウンタウンまでの大通りが規制され、クリスマスパレードが開催されました。多くの人が道路脇で椅子やブランケットを用意したり、道路側の駐車場に停めた車の中で観覧したりとそれぞれの方法で楽しんでいました。ホストファミリーと一緒にクリスマスツリーを飾り付けたり、リビングでクリスマスムービーを見ました。
   そして私は、当初は12月中旬までの予定だった留学期間を延長し、せっかくの機会なのでカナダでクリスマスを過ごすことに決めました。 ホストファミリーはクリスマス休暇を利用して田舎に帰省するため一緒に過ごすことができなくなりましたが、その間他の麗澤大学の生徒が滞在しているホームステイ先に10日間お世話になることになりました。この期間は新たな家族や文化を体験する貴重な機会でもありました。クリスマスが近づくと、新しいホストファミリーとの間で「シークレットサンタ」を楽しむことになりました。この習慣はプレゼントを誰からもらうのかを当日まで秘密にするもので、わくわくする楽しい時間を過ごせました。当日は新しいホストファミリーの家で家族みんなと一緒に朝食を食べた後、クリスマスツリーの下に置かれたプレゼントを順番に開けました。夕方には豪華なディナーが用意され、チキンやマッシュポテト、キャラメルケーキなどの料理を堪能しました。
   今回のクリスマス滞在では異なる2つのホームステイ先で過ごすという特別な体験ができました。最初のホストファミリーでは長期間にわたり親しくなり、家族のような関係を築くことができました。一方で、2つ目のホストファミリーでは短期間ながらも新しい家族とカナダの文化を再び深く知ることができました。この経験を通してどちらの家庭でも共通して感じたのは、カナダの家庭が家族や友人とのつながりを非常に大切にしていることです。それぞれの家庭には異なる文化や伝統がありますが、どちらも私を心から受け入れてくれたことに感謝しています。カナダでのクリスマスは私にとってかけがえのない思い出となり、留学を延長するという決断が正しかったと実感しています。
   この留学期間を通して私はさまざまな新しい経験をしました。異文化の中で生活することは時に挑戦でもありましたが、それ以上に学びや成長の機会を与えてくれました。特にカナダの人々の親切さや家族やコミュニティを大切にする文化に触れることで、自分自身も他者への感謝や思いやりを深く考えるようになりました。また、英語力の向上だけでなく異文化理解や柔軟性、そして自分の意見を持ち発信する力を養うことができたと感じています。カナダで過ごした4ヶ月間は私にとって一生の宝物となる思い出に満ちた時間でした。これからもこの経験を糧に成長し続けていきたいと思います。

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国立屏東大学

屏東ライフ
永井りん
中国語・グローバルコミュニケーション専攻2年
2024年9月~12月

   私は9月から12月までの1セメスター間、台湾の屏東県にある国立屏東大学に留学をしました。最初は、国立屏東大学に留学するという前例がなかったため準備が少し大変で、不安もありました。私自身、初めての海外であり、初めて長期間家族や友人と離れるという経験だったため不安や寂しさが大きかったのを覚えています。しかし、自分が経験してみたかった留学するということが叶うというワクワクした気持ちもありました。
   実際に留学生活が始まると、自分たちが想像していたよりも大変でした。前例がないためどのような授業を履修できるのかわからず、色々な人に助けてもらいながら履修する授業を決めました。中国語の授業自体は二つしかなかったため、他の授業で単位を補わなければなりませんでした。最初の履修登録をしてから、一番最初の授業では校内でのWi-Fiが繋げられず教室にいる人や先生に聞いてもわからず、専攻の事務室に行き助けを求めました。専攻の担当の方が、優しく対応してくださったことに安心し、みんなで泣いてしまったことを覚えています。事務室の先生は、いつも親切で私たちが理解できそうな授業を提案してくれたり、英語を交えて話してくれたりと多くのことを手助けしてくださいました。
   私たちが、麗澤大学で受けていた中国語の授業は中国の標準語の発音や単語だけだったので、台湾人の人たちとの発音の仕方と違う部分があり、聞き取ることも、理解してもらうことも大変でした。そのため、なんでこんなにも通じないのかと悲しい気持ちや悔しい気持ちもありました。私は中文系の専攻の交換生として留学したため、同じ中文系の授業を受けている同級生たちはもちろん日本語を話せません。私たちも留学開始当初は、台湾特有の発音などに慣れていなかったためコミュニケーションをとることが難しかったことを覚えています。しかし、同級生たちは私たちと友達になりたいとたくさん話しかけてくれ、遊びやご飯に誘ってくれました。私たちが履修した、中国語の授業と英語で行われる授業以外は、現地の学生らと受ける授業がほとんどだったため、聞き取ることが難しく、内容が理解できないこともしばしばありましたが、同級生や先生方が助けてくれました。例えば、パワーポイントを日本語に翻訳して送ってくれたり、例を提示して簡単に説明し直してくれたりもしました。
   中間テストや期末テストの際には、現地の学生と同じ内容のテストは難しすぎると思うからと、別の課題に変換してくださった先生もいらっしゃいました。中間テストの際には、スライドを作り、発表も中国語で行うということを初めて行いました。原稿などの準備も入念にし、発音の確認なども入念にしましたが、やはりみんなの前に立つと緊張してしまい、あまりうまくできなかったことを覚えています。しかし、このような発表のテストがいくつもあったため回数を重ねるごとに、緊張もなくなっていき最後の方の期末テストでは落ち着いて発表することができました。テストの時には必ず友達が、困っていることはないかと尋ねてくれて、たくさん質問をしても面倒くさがらずに一つ一つ丁寧に教えてくれました。このようにたくさんの人たちが私たちを助けてくれたため、私たちはほとんど休むことなく授業に参加することができました。
   屏東大学でできた友達は遊びやご飯にもたくさん誘ってくれました。お昼ご飯を一緒に食べたりすることもしばしばありましたが、夜ご飯を一緒に食べることが一番多かったです。授業終わりやダイレクトメッセージなどで「今日一緒に夜ご飯食べない?」といつも誘ってくれました。夜ご飯を食べたあとは必ずと言っていいほどUNOやトランプを友達のお部屋か自分たちの部屋などでやりました。日本のルールとは違う部分があったり、授業では習わないような中国語なども出てきて楽しいのはもちろん、勉強にもなりました。彼女たちとは休みの日に遠出もしました。台湾では中秋の名月の時に、家でBBQをするのが一般的でありそれに招待してくれました。仲良くしていたグループのうちの一人の実家が台南で、台南を観光した後に彼女の家に行きBBQを楽しみました。日本のBBQとは違い、焼いたお肉をトーストに挟んで食べるそうで文化の違いを感じました。このことが日本では一般的ではないことを伝えるととてもびっくりしていました。花火の楽しみ方も違かったりと、彼女の実家に行ったからこそ知れた文化の違いを発見できてとても楽しく、嬉しかったです。台南にはその後も2回行きました。いつも彼女が案内してくれて、定番の観光スポットだけでなく、現地の人だからこそ知っていることもあり毎回楽しかったです。また別のお友達は地元が、高雄だったため高雄にもたくさん足を運びました。その子はいつもおしゃれなお店に連れて行ってくれたり、いつも私たちの希望を聞いてくれてとても優しかったです。
   私たちは途中で一人が帰国してしまったり、心が折れそうになってしまったりと、困難に感じることも多くありましたが、周りの人にとても恵まれたなと感じました。体調が悪いと話した時には、どうしたらいいのかどこに相談すればいいのかなど授業中なのにも関わらずみんなで考えてくれたこともありました。毎回のように、困っていることはないか、授業にはついていけているかと、心配もたくさんしてくれました。最初は、聞き取れず理解できないことが多かったため、口調が強く感じてしまっていた部分もありました。しかし、少しずつ理解できるようになってからは心配してくれているのだと、気にかけてくれているのだとわかりとても嬉しかったです。口調が強く感じるのは、発音や声調が関係していることにも気づき、ただ文化の違いなのだと学べました。私たちが知らずに失礼なことをしても怒らず、教えてくれました。このように、文化の違いを教え合い、認め合えるような友達、仲間もできました。私は今まで日本に来た観光客の人がマナー違反な行動をしてると少し怒りのような感情が芽生えたことがありましたが、これはただの文化の違いであり、一方的に怒りを覚えることの方が失礼なのだと気づきました。
   今回の留学では中国語力が伸びただけではなく、文化の違いを学ぶことができ、その違いを認め合えるような友達もできました。大変なことも多くありましたが、多くの幸せも感じることができました。出会った、助けてくれた人に感謝したいです。この留学は、私にとってとてもいい経験になりました。

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セイラム州立大学

セイラム州立大学留学体験記
石坂慎
英語コミュニケーション専攻2年
2024年8月~12月

   私はアメリカのセイラム州立大学に半年間の留学をしました。私にとってこの留学が人生で初めての海外経験となりました。出発直前になると楽しみだという気持ちはもちろんありましたが、緊張や心配の気持ちが上回っていました。しかし麗澤大学の国際交流センターの職員さんや先生方、留学先のセイラム州立大学の職員さんのサポートがあり、自分は大丈夫だと信じて留学へ出発しました。家族や友人からの応援も大きな力になりました。
   セイラム州立大学での授業はINTRO TO ENTREPRENEURSHIP、INTRO TO HOSPITALITY、MEDIA AND RACE、INTRO TO COLLEGE WRITING FOR MULTILINGUAL WRITERSの4つを履修しました。INTRO TO ENTREPRENEURSHIPは企業の基礎について学ぶ授業です。起業家に必要な人間性、人間関係、ビジネスの組み立て方、ビジネスで使うことができる資金の種類、ビジネスを成長させるステップ、問題解決の方法、決断の仕方を学習しました。授業の活動で自分のビジネスをデザインするという活動があり、私はリハビリを受け入れるトレーニングジムのビジネスを考えました。
   INTRO TO HOSPITALITYはホテルやレストラン、会員制クラブなどホスピタリティ業界について学ぶ授業です。ホテルやレストランで働く人の役職、アメリカでの大手にはどのようなものがあるかを学びました。レストランオーナーの方がゲストスピーカーとして授業に来てくださり、今までの経験やレストランを経営する上で重要なポイントについて紹介してくださいました。レストランをより良いものにするためには従業員を第一優先に考えるということを学びました。従業員に対する正しい教育を徹底することにより、サービスの質が向上します。また、セイラムの隣にあるマーブルヘッドという町にあるヨットクラブに校外学習として行きました。私は今までにヨットクラブを訪れたことはなかったので、そこで提供されるサービスについて初めて知り、新鮮な経験となりました。
   MEDIA AND RACEはメディアと人種について学ぶ授業です。メディアにはどのようなものがあり、私たちにどのような影響を与えているのか、どのような使い方が私たちの生活をより良いものにするのか、人種問題にはどのようなものがあるか、人種問題を解決するためにはどのような方法がありそれぞれのメリットデメリットは何かについて他の生徒とのディスカッションを通して学習しました。アメリカは多民族国家なので人種問題に関して様々な意見を聞くことができました。これは日本ではなかなか難しいのではないかと思います。この授業の最終試験は民族問題を一つ取り上げ、動画を作り他の生徒にシェアをするというもので、私は北海道のアイヌ民族を取り上げました。アイヌ民族はしばらくの間日本の民族として認められなかったり、法律によって活動を厳しく制限されたりなどの問題がありました。日本国内での民族問題の代表的なものとして知ってもらえたのではないかと思います。
   INTRO TO COLLEGE WRITING FOR MULTILINGUAL WRITERSは外国語学習者が英語のライティングを学習する授業です。この授業にはさまざまな国からの学生が参加しています。今までの経験に基づいたエッセイ、インタビューをもとに書くエッセイ、Zineという小さな雑誌の作成を行いました。この授業で行ったインタビューは他の生徒に対するものであり、外国語学習者として言語を学習するうえで困難だったこと、乗り越えるためにした努力についてです。私はこのインタビューで、リスニングが困難であり中学時代から英会話教室に通いリスニング能力を鍛えたと答えました。また、私にとってZineの作成はこの授業が初めてで、他の人に見てもらう記事の書き方を学びました。読みやすい書き方、目を引く見出しの書き方、引用した文章や写真のリンクを記載することを学びました。またこの活動はグループで1冊のZineを完成させるというものであり、目標に向かって協力しながらスムーズに活動するためのコミュニケーション能力も向上させることができました。
   留学先での生活では日本との大きな違いに驚きました。一番初めに驚いたのは物価の違いです。特に食材や飲み物の価格が日本とは大きく異なります。例えば500mlほどのペットボトルの水は1本約500円、卵1パック700円などです。日本のものと比べると3倍以上も高くなっています。私は自分で料理をすることが好きなのですが、こうも値段が高いとなかなか進んで買い物をする気持ちになりません。また、スーパーには日本で使う調味料があまり置いてなく、好きな料理を作るということが難しかったです。買い物での支払いにはほとんどカードを使用しました。私はWISEというデビットカードを使用しました。このカードは世界中の多くの通貨を使用することができます。日本円でチャージしてもすぐにドルに変換できるため、アメリカに銀行口座を作る必要がなく、日本の銀行口座から直接チャージすることができます。スマートフォンのアプリでカードの情報を管理することができるので安心して使用することができます。
   留学先では多くの友人を作ることができました。出発する前は5人くらい友人ができたらいいなと思っていたのですが、10人以上の学生と親しくなることができました。留学が始まって最初の3日間はオリエンテーションがあり、そこで多くの留学生が私に声をかけてくださり、多くのかかわりを持つことができました。一緒に買い物に行ったり、イベントに参加したり、連休には旅行に行ったりしました。サンクスギビングの連休に友人とニューヨークを訪れました。タイムズスクエアや自由の女神などテレビやインターネットで見る景色を自分の目で見ることができ感動しました。海外の友人を多く持つということは決して簡単なことではないと思います。留学ならではの貴重な経験であり、これからの将来にも大きく影響することだと思うので、この出会いを大切にしたいです。
   私にとって今回の留学は初めての海外経験であり不安なこともたくさんありましたが、麗澤大学の皆様やセイラム州立大学の皆様、家族、友人など周りの方々の温かいサポートのおかげで無事に終了することができました。本当にありがとうございます。留学先で学んだ授業、鍛えた語学力や人間力を今後の生活に活かし、勉学や就職活動に励んでまいります。

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セント・マーチンズ大学

生き方を変えてくれた4か月間
篠崎夢望
英語コミュニケーション専攻3年
2024年8月~12月

   日本を出るのは3歳の頃以来初めてだったので日本を出国する際はとても緊張しました。台湾経由のフライトだったので計16時間ほどの時間をかけてアメリカに上陸しました。私にとってアメリカは映画でしか見たことのない未知の世界でした。勿論たくさんの偏見やステレオタイプを持ったままアメリカでの4か月の生活が始まりました。最初はインターナショナルの学生たちとの交流が多く、そこで出会った台湾、韓国、ウガンダ、中国、イギリスなど他にもたくさんの国籍の生徒と仲良くなりました。英語のレベルは人それぞれですがみんなが第二言語の英語で一生懸命コミュニケーションを取っている光景に感動したのを覚えています。幸いにも同じ大学から来た4人の日本人のおかげで心強かったのですが最初は緊張と人見知りで積極的にコミュニケーションが取れなくてすごく焦りました。
   初めの一週間はオリエンテーションの期間で次第に現地の学生が寮に戻ってきたりと賑やかになっていきました。セント・マーチンズ大学にはパーソンズ、バートン、バラン、スパンギュラーの4つの寮があり、私が住んでいた寮はバランでした。アメリカ、ウガンダ、メキシコなど様々な国籍の学生と同じ寮に住んでいました。最初はなかなか自分からあいさつできず部屋の外から賑やかな話声を聞くことしかできませんでした。ですが、ある日共同トイレで一人の学生と鉢合わせし勇気を出して声を掛けました。すごくフレンドリーに話してくれえてすごくうれしかったです。ここが私の一皮がむけた瞬間だったなと思います。それから会うと必ず世間話をするようになりました。バランの一階には大きな共同スペースがありそこで定期的にイベントを開催していました。ペイントのイベントやスパムむすびの配布や季節のイベントなど様々な交流機会があったので寮での生活も充実していました。
   私はESLのプログラムに参加していたので主に英語4技能とアメリカの歴史について4か月間学びました。クラスメイトはベトナム、インド、中国、日本から来た学生10名で受けていました。先生はアメリカ人の女性2名に教わりました。英語のレベルは人それぞれでしたがお互いに言いたいことやコミュニケーションを円滑にとれていたので、凄く授業はしやすかったです。休憩時間になるとお互いの言語でお友達と会話を始めるので、すごく不思議な体験を毎日していました。私は一番前の席に座って授業を受けていましたが先生の目に入るようで毎回差されていました。最初は目立つのが嫌だとか間違えるのが怖いなどネガティブな考えをしてしまっていたのですが、英語を学んでいるのに間違えを恐れるなんて馬鹿馬鹿しいということに早くから気づくことが出来て、「間違えてもいい」「わからなかったら質問」の二つを意識して授業を受けることが出来ました。また、ディスカッションでは自分の意見を理解してもらえるように言葉選びを変えたり、ネイティブではない人同士の会話はネイティブとの会話よりも何倍も難しいと授業を通して思いました。
   リーディングの授業では1冊の本を使った授業をしましたが自分の力で1冊の英語小説を読み終えたのは初めてだったので、セメスターを通して大きく成長できたなと感じました。以前の自分だったらきっと和訳をして楽していただろうなと思います。宿題は毎日あり量も多かったですが、毎日宿題をしてクラスに行くと先生が「ゆめみはいつも宿題をやってきて偉いね」と毎回ほめてくれました。宿題をやるのは当たり前のことですが、この年になって学校で褒められたことが久しぶりだったのですごくうれしかったです。何気ないことも褒めてくれることは日本にはない文化だなと思いうれしい思い出になりました。
   スピーキングの授業では最後に個人でプレゼンテーションをしました。テーマはアメリカに来てどのように変わったかについてでした。10分間スライドを使ってプレゼンテーションをするという日本での授業と同じ形式でしたが、私は準備過程で一番自分の成長を感じました。自分の伝えたいことをみんなに理解してもらうにはなるべく簡単な単語を使い文章を作る必要がありますが、以前の私はすべて翻訳してスクリプトを考えていました。そのため難しい単語や自分でも理解していない単語を使ってただスクリプトを読む音読の様なプレゼンテーションをしていました。もちろん聞き手は理解していなかったと思います。ですがアメリカでは翻訳は一切使わずに単語を調べる程度で10分間のスクリプトを自分の力で作ることが出来ました。本番はハンドノートをほとんど見ることなくプレゼンテーションを成功させることが出来ました。その結果先生から満点をもらうことができ、自分の成長にとても驚きました。自分の成長は自分の努力次第でいくらでも変わるということを実際に体験して知ることが出来ました。
   3か月目に入ってからは学校主催のパーティーに参加したりや休日を活用しロサンゼルスのHollywoodに行ってみたり、Thanks giving holidayにカナダのバンクーバーに行ったりと10月と11月はとても充実していました。パーティーに着ていくためのドレスを台湾のお友達と2人で買いに行ったのも大切な思い出です。その他にも新しいネイティブのお友達が出来て一緒にカフェテリアで夜ご飯を食べたり、ゴシップトークをしたり毎日が夢のように楽しかったです。中でも印象に残っているのは共同スペースで遊ぶUNO spinでした。アメリカ人と台湾人、日本人の6人で不定期開催の夜にひたすらUNOで遊んでいました。遊んでいる過程でたくさんのスラングを覚えることもできました。自分が輪の中に入れていたこととても幸せでした。
   約4か月間アメリカに留学して現地の生活に溶け込み英語力を向上できたのと同時に英語力以外にも新しい自分と出会えたことが留学で一番欲しかったことだと思います。外の世界を知ってこそ日本の良いところや悪いところが見えてくると思います。半年という短い期間の留学ではありましたが今後色々な世界に出たいという感情を持たせてくれたセント・マーチンズ大学と麗澤大学、私の背中を押してくれた両親に感謝の気持ちを忘れずに残りの大学生活を過ごします。

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セント・マーチンズ大学

自分と向き合い英語が大好きになった4ヶ月間
石田来美
英語コミュニケーション専攻3年
2024年8月~12月

   私は8月から12月までの4ヶ月間、アメリカ セントマーチンズ大学で留学をしていました。私はちょうど一年前頃から留学をしたいと思っていました。留学するという決断をするまでに時間がかかってしまいましたが、セントマーチンズ大学に留学ができて本当に良かったと思っています。
   私は日本を離れるとき、これから始まるアメリカでの生活が楽しみでした。しかしわくわくしていたのはほんの一瞬でした。オリエンテーションも授業も英語で理解できることが前提で進み、不安でいっぱいでした。さらに日本と異なるアメリカの気候や食事も、大きなストレスの要因でした。留学前は自分がこんなにもカルチャーショックを感じるとは思ってもいませんでした。はじめの約1ヶ月間のアメリカ生活で「私は日本が大好きだったんだ。」と気がつきました。
私は今回、「コンボ留学」というプログラムに参加しました。これは語学授業と学部授業をそれぞれ2つずつ選んで履修するプログラムです。私は元々、学部授業のみを履修する交換留学を目指して、TOEICやTOEFLを受験していました。しかしあと10点というところで基準点に届きませんでした。この結果を見たとき、私はとても悔しかったです。なぜなら、学習を振り返ってみると、毎日机に向かって勉強はしたけれど、効率が良く質の高い勉強ができていなかったと思ったからです。もっと良い勉強法をしていたら念願だった学部留学に参加できたかも…と思うと、悔しい気持ちでいっぱいになりました。でも留学に行くという貴重な経験ができることに感謝し、今の状況で自分ができることを最大限やろうと決めました。
   それぞれの授業について、まずは語学授業についてです。クラスは主にアジア圏からの学生で、英語を第一言語としない学生同士です。だからこそ、なんとなくのニュアンスでは誤解が生まれたり通じなかったり、少しのミスでうまく伝わらないということがあり、難しさを感じました。しかし授業では読解やディスカッションを通して、自分の意見を述べることや、英語で伝える機会がとても多く、今までにはないくらいたくさん英語学習に取り組むことができました。先生方は私たちが理解しているか、分からないことがないか、その都度確認してくださいました。今までは分からない事があったとき、「授業を受けていくうちに自然と理解できるだろう。」と授業以外の時間で質問することはほとんどありませんでした。でもこの留学で少しでも英語力を高めたいという気持ちで、課題で分からない箇所があるときは積極的に先生のところへ行き、アドバイスやフィードバックを受けました。分からない点を解決して次の授業に参加することで、より理解度を高められました。そして、さらに英語が好きになりました。
   学部授業は、現地の学生と一緒に授業を受けます。そこで一番印象に残ったことは、多くの生徒が授業に対して積極的だったことです。私は日本の大学で授業を受ける時、授業中は基本的に座っているだけ、事前課題や事後課題も言われたことや提出物を期限内に出すことしかしていませんでした。しかし、授業中分からないことがあったらその場で質問をする、先生からの講義や課題以外に授業内での学生同士のコミュニケーションを通して学びを得ることがとても多く感じました。始めはこのようなアクティブな授業形態に驚きましたが、すぐに「自分も参加したい!」と思い、少しずつではありましたがグループワーク等の時間に積極的に参加することや、自分から話しかけることができるようになりました。
   始めはコンボ留学になってしまったことに悔しさがありました。しかし、このプログラムを通してよりたくさんの人と関わる機会があったことだけでなく、それぞれの授業の楽しさや難しさを経験することができて、このプログラムで良かったと感じています。
   留学生活1ヶ月が過ぎた頃、クラブ活動やボランティア活動、現地の学生とのパートナー制度などの活動が始まりました。どの活動でも留学生である私に対してWelcome!と受け入れてくれる優しい方々ばかりで安心感が生まれました。どの活動も日本では経験することのできないかけがえのない経験でした。また、“私も相手に安心感を与えられる” そんな人になりたいと思いました。
   私は留学に来ていなかったら気がつかなかった事がたくさんあると思います。留学を通して私自身の価値観や内面が変わりました。まずは価値観の変化です。私は就職活動も本格化していく3年生という時期ですが、やりたいことが中々見つけられていないことが悩みでした。しかし、日本にいた時と生活環境が大きく変わったことで、自分が大切にしたい価値観ややりたいことが少しずつですが見えてきました。また、現地でできた友達と話していくうちに、“大学ではこんな事を学びたい”“卒業後はこの仕事に就きたい”という強い意思を持った友達がたくさんいて、同世代ですが圧倒されました。私も自分がやりたいと思うことを見つけて、そこに向かって全力で頑張っていきたいと思いました。
   次に内面の変化です。留学前、私は何をする時も過度に人目を気にして緊張してしまう性格でした。自分がやりたいと思うことをできなかった、やってみたいと思っても一歩が踏み出せなかった、チャンスを逃したという経験が何度もあります。しかし留学を通して、自分軸で行動できるようになりました。また、主体的に行動してそこで掴んだチャンスや一歩を踏み出せた時、とても達成感がありもっともっと様々な事に挑戦してみたいと思えるようになりました。そのため今では、苦手意識があった自分の意見を発言することや、人前で話すことなどの経験を積んでさらに自分に自信を持てるようになりたいと思っています。
   最後になりますが、この留学に来られたことに感謝し、今後はさらに自分自身の成長のために主体的に行動していきたいと思います。そして残り一年の大学生活を充実したものにし、卒業後もこの留学で学んだことを発揮できるように何事にも全力で頑張っていきたいです!

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プリンスエドワード島大学

プリンス・エドワード島留学
松林幸奈
英語コミュニケーション専攻3年
2024年9月~12月

   私は9月~12月中旬までの約3か月半、プリンスエドワード島に留学しました。以下、この島をPEI(Prince Edward Island)、大学をUPEI(University of Prince Edward Island)と省略します。PEIの気候は海に囲まれている為、風が強く、天気は変わりやすいです。9月の日差しは日本よりかなり強く、サングラスが必須だと思います。10月後半から雪がちらつき、11月は梅雨のようにずっと雨が降っていました。気温は日本の2か月先の気温と考えていただければわかりやすいと思います。
   成田空港からトロントを経由し、PEIへ約15時間のフライトを経て、到着しました。空港に着くとホストファミリーが出迎えてくれました。私のホストファミリーはファザーとマザー、2匹のゴールデンレトリーバーと3匹の猫でした。洗濯は週1回ということだけで家のルールはほとんどなく、キッチンや冷蔵庫、地下のジムなど全て自由に使わせてもらいました。ファザーとマザーはすごく親切で私の好きなお菓子を買ってきてくれたり、送迎してくれたり、悩みがあったら真摯に向き合って解決策を一緒に考えてくれたり毎日気にかけてくれました。特に夜ご飯の時間はその日あった出来事や予定を話したり、冗談を言い合ったりしてとても楽しい時間でした。ご飯はトマトパスタやナチョス、野菜スープなどが多かったです。カナダのご飯が口に合うか不安でしたが、マザーもファザーも料理が上手で心配不要でした。味噌汁をたくさん持参しましたがそこまで必要ではなかったです。ですが、やはり日本の出汁の味は恋しくなるので多少は持っていくことをおすすめします。
   到着した次の週から学校が始まり、初め1週間は5つのレベルに分けるため4技能のテストを受けました。授業は月~木曜日の週4日、基本9時~15時までのフルタイムでした。授業の進行方法は配られたプリントをまず一人で解き、そのあとグループになってなぜその答えにしたのか話し合い正解を導き出す流れがほとんどでした。クラスメイトは中国、モロッコ、ベトナム、サウジアラビア、アゼルバイジャンから来ており、休み時間や放課後などはお互いの文化や言語、食べ物などを紹介し合ったりして交流をしていました。授業を通して感じたことは日本と違ってとりあえず自分の意見を主張し、討論しあう機会が多かったため主体性が身についたと感じました。個人的に大変だったことはその国の訛りがある英語を聞き取ることでした。また、自分の考えや文法の説明など少ない語彙の中で説明をすることにかなり苦戦しました。クラスメイトと先生が私の言いたいことをくみ取ってくれたり、正しく言い直して確認してくれていたため、その中でもたくさん学ぶことがあり、学ぶ意欲と自己主張をすることの勇気がでました。毎日学校が楽しかったです。
   休日はダウンタウンで買い物をしたり、カフェを見つけてお茶をしたり、結構な頻度でイベントが開催されていたのでそれに参加したりして毎日のんびり過ごしていました。カナダはアイスホッケーが有名で10月からホッケーシーズンに入ります。初めは興味がなかったのですが試しにUPEIのホッケーを観戦しに行くとゴールの小ささやラグビーのような激しさ、スケートの技術など驚くことがたくさんあり、週2で観戦しにいくほど夢中になりました。UPEIで開催されるすべてのスポーツの試合は無料で観戦できるので、もしPEI留学したら行ってみてください。
そして、PEIは特別治安がいいと思います。10月中旬の1週間の休みの時にトロント旅行をしたのですが、同じカナダでも薬物の匂いがしたり、ホームレスがたくさんいたり、車の運転が荒かったりと想像通りの海外でした。PEIはトロントに比べるとそのようなことはほとんどなく、おすすめはしませんが夜に一人で出歩いていても大丈夫でした。また、街中にたくさんゴミ箱が設置してありとても綺麗でした。日本と比較しても同等かそれ以上にPEIの治安は良いです。海外初心者の私にとって最適な場所でした。
   この留学で困ったこと3選を紹介します。1つ目は、交通の便が少し悪いことです。UPEIの学生はバスが乗り放題だったのですが、路線は島の中心部にしか通っていないので島の端にある観光地Summersideやアンのグリーンゲイブルズにはバスで行くことが出来ないため車をだしてもらうしかなかったです。また、ステイ先からUPEIまでのバスが時間帯によっては1時間に一本しか通っておらず、最終バスも19時台とかなり時間が拘束されました。歩くにしても歩道が整備されてない場所もあり、遠回りしないといけなく不便でした。
   2つ目は突然授業時間が削られそうになったことです。現在カナダでは留学生の受け入れをかなり減少させているため、それに伴い全土で留学プログラムの教師も減少しているそうです。その影響がUPEIにもあり、教師不足でそれぞれの生徒のレベルに合った授業を受けさせることができなくなっていると説明されました。授業の質が落ちないようそれぞれのレベルに合った授業を集中的に行うため私のレベルは月曜日と水曜日の午後は集中講義で火曜と木曜の午後の授業が休講になってしまいました。私たちは週に21時間分の授業のお金を納めていたので納得できず、留学プログラム担当者に足りない時間分の授業料の返金か別の授業を受けさせてもらえるよう要求しました。すると15時~17時までの授業を設けてくれ、無事フルの時間の授業を受けることが出来ました。
   3つ目は文化の違いによる言葉の捉えられ方です。やはり日本人と同じように接してしまうと伝えたいことが伝わらないのでダイレクトに強く主張することが大事です。また、YES、NOでしっかり意思表示することはもちろんNOの場合は理由を伝えるのが良いと思いました。
   私にとってこの留学は日本ではわかっていなかった基礎を固める重要な期間でした。初めは授業の扱われている内容のレベルに少し物足りなさを感じていましたが、自分が思っていたより理解できていないことがあり、しっかり基礎を学びなおすいい機会でした。また、理解できていると思っていても、日本で学ぶ英語はフォーマルな使いまわしが多いらしく、授業内で無難な言い回しを学ぶことも多かったです。生活の中で学んだことを使う機会がたくさんあるので、効率的に習得できました。もちろん、ネイティブのレベルの高い英語やスラング、カジュアルな言い方も会話の中で直接学ぶことが出来るので学びに学びを重ね、理解が深まりました。ずっと英語を使わなければならない環境で関わる全ての人が寄り添って接してくれていたからこそ成長できたと思います。人生で一番有意義で楽しい3か月半でした。

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釜山外国語大学校

私の一生大切な韓国留学体験
西川舞
日本学・国際コミュニケーション専攻3年
2024年9月~12月

   私は109日間、韓国の釜山という地域で留学生活を過ごしました。留学中は正直、長いと感じていましたが、日本に帰ってみると少し寂しく思いました。そう思える事が出来たのは、現地の人の温かさであったり、共に留学生活を頑張ってくれた友達のお陰だと思いました。最初は環境に慣れる事が大変でした。言語が違う異国の地でもあり、上手く適応するのに時間がかかりました。また、家族と長期間離れるので自立して行動しなければいけませんでした。現地でルームメイトと洗濯や掃除をしたり、必需品の買い足しをしていた中感じることがありました。普段、私が当たり前に生活している中で、母が全部よくしてくれていたことだったので、とても大変さを知る事が出来ました。なので、この留学生活の経験から家族への有難みを強く実感する事が出来ました。日本に帰って、私はより一層家事を手伝ったり、気を遣おうという意識に変わりました。留学では語学だけではなく、日々の、生活する上でのことをよく学ぶことが出来てとても良い経験になったと思いました。
   語学の面では、やはり何度も壁にぶつかる事が沢山ありました。話したい事や言いたいことがあっても上手く伝えることが出来ず、コミュニケーションが上手くいかなくて落ち込む日々もありました。現地の日本語を学んでいる韓国人と接する機会が多く、とても日本語が上手だったので私も負けていられないという気持ちを持つことが出来て良い励みになりました。私が留学に来て語学力が上がったと思えた事は、韓国人と日本人が共に言語を学ぶTandemという授業からでした。日本語を一切使わず、50分間ずっと韓国語を話さないといけない時間と決められていた為、嫌でも自分から話さないといけませんでした。その為、この授業を受けてから、会話練習を何回も回数を重ねていくうちに、自分のスピーキング能力が少し上がったように感じることが出来て良かったと思いました。ただ会話するだけではなく、お互いの事を知る事が出来たり、異なる文化も学べることが出来てとても良い時間でした。また、体験学習といった韓国人が釜山の周辺に日本人を遊びに連れて行ってくれる貴重な経験をすることが出来ました。体験学習を通して学ぶことが多いと感じました。授業以外で色々な体験や遊びをし、韓国人とより仲が深まって、韓国をよく知ることが出来てとても良かったです。
   学習をする上で、ペアとの相性が合わなくて頭を悩ませて考え込んでしまった事もありました。ですが、私が抱え込んでいた不満を話すと、大学の日本の先生がとても親身に聞いて、相談に乗って下さり、とてもよく助けていただきました。留学中に人間関係にぶつかりましたが、私の将来に良い経験になったのではないかと思いました。留学中に良い事ばかりだけではなく、辛かったことや悲しかった事を経験出来たことで、私の中でこれから上手く消化してくれるのではないかと考えました。
   私はtandemという授業で体験学習に行ったことがとても楽しく記憶に残りました。韓国人の友達と体験学習に行ってき、ペアと行ってきた五六島スカイウォークという場所は海にとても近く、地面がガラスで透き通って見え、景色がとても良かったです。学校から約2時間かかる程の距離であり、観光客で賑わっていました。ペアの人と観光し、カフェで美味しい間食を食べて有意義な時間を過ごす事ができて良かったです。また、グループの体験学習では、釜山のキジャン市場という場所に遊びに行きました。私は、韓国の市場に行ったことがなかった為、とても楽しかったです。また、伝統的なカルグクスを食べることができて良かったです。その後に、美味しいスイーツを食べながら、皆で発表について考えたりして楽しく会話することができました。韓国人と多様な体験をしながら、身近で相手の言語を学び、会話することで、少しでも語学力が高まったのではないかと思い、良い経験になったと思いました。
   このtandem授業で韓国語のスピーキング能力が少し上がったと感じました。一緒に学習するペアで日本語を喋れないという人の方が、私が韓国語を積極的に使う事が出来たので、上達することが出来たと思います。授業以外の場面で、来年麗澤大学に留学する韓国人の子が私に話しかけに来てくれて、「今度機会があったら遊びましょう」と言ってくださり、私が後に連絡をし、遊びに行くことが出来ました。その子は私と同い年の女の子で、日本語がとても上手な方でした。釜山の有名な観光地の広安里という場所に遊びに行きました。カフェでケーキや飲み物を注文し、長い間会話をしました。来年、麗澤大学に留学するということで、気になる事について沢山教えてあげました。私も韓国で気になった事を聞いたりして話しているうちに仲良くなることが出来ました。カフェで沢山話した後、韓国式のプリクラを撮って、夕食を食べました。その後に、ドローンショーというものを見て帰りました。私が日本に帰るまでにやり残したことを一緒に出掛けて叶えてくれてとても嬉しかったです。日本に来たら、今度は私が沢山助けてあげたいと思いました。私はコミュニケーションを取るのが苦手で慣れるまで人と話すのが難しいと感じていて、韓国人の子に遊びに誘うのを何回も躊躇していました。ですが、最終的に仲良くなることができて、あの時に勇気を出して遊びに誘うことができてとても良かったと思いました。
   私が、留学に来てみて思ったこと、学んだ事があります。それは、間違っても良いから韓国語を話す努力をするということです。文法の間違いや、相手に伝わらないことに躊躇せずに自信を持って話せば相手に伝わることを学びました。言語を学ぶ上で最も重要なのは、伝わらなくて諦めようとせずに伝えようとする姿勢であると感じました。知っている限りの単語やジェスチャーを使いコミュニケーションを積極的に取る事が重要であると学びました。色々な事を学び、109日間の留学生活は無駄ではなく、私の生涯の上で役に立つ大きな経験だったと思います。そして、良い留学生活を支え、環境を作って下さった方々にとても感謝したいです。

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南イリノイ大学

南イリノイ大学留学体験記
染谷咲来
英語コミュニケーション専攻3年
2024年8月~12月

   この留学生活は夢のようなもので一生忘れられない思い出となりました。私は8月から12月の4か月間留学をして、暑い夏と寒い冬をどちらも体験することが出来ました。夏はアメリカ人女性は皆タンクトップに短パンを着ている人がほとんどで、日本との違いを感じました。また、冬は12月に入ってすぐに雪が降り、気温がマイナスの日が続き想像以上に寒かったので驚きました。冬の時期にここに留学に行く人は手袋やマフラーなどを持っていくべきです。
   私が留学をした理由はアメリカの文化を体験してみたいのと外国人の友達をたくさん作りたいという理由でした。留学前はとても楽しみにしていたのですが、初日のシカゴの空港に着いた時アメリカ人の対応の雑さに恐怖を覚えました。また、町に到着した後すぐに大学のイベントに参加しましたがアメリカ人の自由奔放なところに怯えてしまい、日本に戻りたいと感じました。しかし、次の日のイベントに参加した時は話しかけてくれたり、アメリカの踊りを教えてくれたりしてフレンドリーな人が多いことに気づき、恐怖は全くなくなりました。その後もイベントがたくさんあり、そのイベントを通して友達もたくさん作ることが出来たのでとても嬉しかったです。
   イベントも楽しみながら授業も怠らずに受けました。私はCESLで2ターム分の授業を受けました。まず、1ターム目は日本人2人、中国人1人、エジプト人1人の小規模なクラスでした。授業は1コマ50分でGrammarの授業が1コマ、Listening&Speakingの授業が1コマ、Integrated Skills Coreの授業が2コマありました。時間は午前8時から午後14時でその中に2時間休憩が含まれていました。朝早いのが苦手だったので本当につらかったです。クラスメイトは年齢が私よりも高かったのでお母さんのような安心感がありました。ご飯を作ってくれたり、お菓子をくれたり、送り迎えをしてくれたりして感謝しかありません。
   2ターム目は日本人2人、コロンビア人4人と1ターム目とは全く違うメンバーになりました。2ターム目からCESLにコロンビア人が19人入ってきてとても騒がしくなりました。コロンビア人がどのような人か知らなかったので最初は怖かったのですが、皆とてもフレンドリーでよく話しかけてくれるので良い印象になりました。2ターム目も前回と同じ授業で9時から15時でその中に2時間休憩が含まれていました。授業を通して英語を学べたことはもちろん、クラスメイトの国の文化を多く知ることが出来ました。また、他の国の人から見た日本は少し違っていて聞いているのが面白かったです。CESLの授業は麗澤の授業よりも人前に立って話すことが多かったので最初はつらかったのですが、段々と慣れてきて自信がつきました。
   そして、一番お世話になったのはCESLの先生です。CESL内でたくさんイベントを開催してくれるので、そこで先生たちと関わることが出来ます。彼らは優しくて面白くフレンドリーで一人一人生徒を大事にしてくれているのを感じます。CESLはアットホームな雰囲気だったのでずっとここで学んでいたいと思いました。
   そして次に私が住んでいた寮についてお話します。私はAmbassador Hallという寮で暮らしていました。一人部屋でトイレとお風呂は隣の人と共有するのですが、初日にトイレを壊してしまい謝罪の手紙を書いたら隣の人から手紙が返ってきて優しい言葉をかけてくれたのでかなり安心しました。その後は何もトラブルはなく過ごせたので良かったです。また、キッチンは住んでいる人全員と共有するのでたくさん人がいる日もあれば、誰もいない日もあります。たくさん人がいて料理したいときに出来なかったのは少し不満でした。また衛生面があまり良くなく不快だと感じることが多々ありました。しかし、それ以外はとても充実していて全く困らなかったです。2階に大きなテレビがあり、よくそこでみんなと映画を見ていました。そしてその横に卓球台やビリヤードがあったのでそこで遊んでいました。イベントもたくさんあり、様々な国の人と交流できたのでこの寮に住んで良かったと思っています。
   私が一番嬉しかったことはアメリカ人とたくさん交流できたことです。大学のイベントが頻繁にあったのでそこで知りあい、SNSを交換してよく遊びに連れて行ってくれました。MemphisやNashvilleなど自分たちでは絶対に行けないところに連れて行ってくれ、良い思い出が出来とても感謝しています。また、友達の寮に行って映画を見たり、お泊まりしたりして英語に触れることが多かったです。私は皆でキャンプに行ったことがとても記憶に残っています。周りから動物の声が聞こえたり、朝ごはんに鹿の肉を食べたり、ここでしか味わえないことを経験しました。
   また、アメリカはフリーフードをもらえる機会が多いと感じました。毎週木曜日に歩いて10分くらいのところにある教会でフリーフードを貰っていました。そして毎週金曜日にはCoffee Hourというイベントでスイーツや果物を貰っていました。たまに、ちゃんと料理されたご飯も提供されていました。大学のイベントでもピザやスナック、ドリンクが貰えて、あまり自炊しなくても生きていけるような程フリーフードに恵まれました。また、アメリカの料理のほかにもメキシコ料理など様々な料理にも挑戦できました。日本ではフリーフードという文化がないので経験出来て良かったです。
   留学を通して多くの人々と仲良くなれたのでお別れの時が本当につらく最後の1週間はほぼ毎日泣いていて干からびれそうでした。留学する前まではこんなにも毎日が充実するとは思っていなかったので留学をしてよかったと心から思っています。また、留学を許しサポートしてくれた両親には感謝しかありません。正直この4カ月間楽しいことばかりではなかったですが、大変なことも忘れるくらい充実したと自信を持って言えます。この留学でアメリカのことをよく知り、以前よりももっと好きになりました。この経験を忘れずこれからも英語を向上していきたいと思います。

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