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ドイツ

ハレ=ヴィッテンベルク・マルチン・ルター大学

一か月のまとめ

ドイツ・ドイツ文化専攻2年 戸田駿太郎
2018/12/03
  ライプツィヒの語学学校で研修を終えたのち、ハレへ向けて出発。道中はわずか10分程度であり、感傷にふける間もないままハレへと到着。寮に入るまでにまだ日があったので、バディとなるクララさんに頼み、彼女のいるWG(アパートのようなもの)に2日ほど滞在することとなりました。到着時にサラダなどのちょっとした、しかしとても落ち着いた料理及びワインをごちそうになり、二人ほどの友人たちとドイツ語で会話をすることになりました。到着早々にドイツ語の洗礼を受け、その翌日にハレ市内を2時間かけて歩くといった生活を送りました。様々な体験があったのですが、残念なことに写真がないのです(リンゴのキャラメルトルテだけはあります)。
  そののちにバディの友人に先導される形で寮へと入るわけなのですが、入った当初は環境が激変したせいなのかまるでもってドイツ語が出てこないのです。これには焦りました。しかし、幸いなことに同居人であるドクター(本当はラールスという名前なのですが、すでに内科医の称号を持っているのであだ名のようにしてこう呼んでいるのです。)が英語で対応してくれたので片言同然の英語でどうにかその日を乗り切ることになりました。
  その後、ある私にとって支えとなる人物と出会うことになります。それが、Neek家の人々です。彼らにあったのは忙しくてなかば亡霊のようになって過ごしていた日で、その日の授業における話し合いで完全につかれ、椅子に蛸のようにして座っていた時のこと(ハレ大学におけるGermanistikの授業を受講するに際しましては、Teilnehmeをもらうことができればいいこととなっています。しかし、いずれにせよ、レポートなどを書かねばならず、この件で、教授たちと話し合いとなり、だいぶ削られたのです)、突然ドアをノックされ、どうぞといって開けました。
  扉を開けると、白髪をきれいになでつけ、眼鏡をかけた男性が立っていました。彼は最初に、「英語がいいですか?ドイツ語がいいですか?」と質問し、私が、「英語で」(情けない話なのですが、本当にドイツ語がマヒしていました)と答えると、かなり聞き取りやすい英語で、自己紹介と彼の息子であるNiklas Neekを紹介してくれました。聞くところによれば、今年のアビトゥーアを経て、ハレ大学の心理学部に入学するようになったとのことで、どうか仲良くしてやってほしいとのことでした。
  快く了承するとの旨を伝え、私の名前、専攻であるGermanistik を伝えると、彼は笑いながら、Doch doch.(おお素晴らしいとでも訳せましょうか)と言って、私を買い物に誘いました。買い物へ行く道すがら、どういった場所にどのような食品が売られているか、日本にはどういった食べ物が売られているのかといった質問がやってきて、下手なドイツ語で日本は一般的に醤油、みそを調味料の中心に据え置いて、食品つまりはLebensmittelに関してはコメを中心に売られており、酒に関しては、主としてビールを飲むことが多いのだが、ドイツのビールから多分に影響を受けているといったことを話しました。かくて、スーパーマーケットにつき、彼の息子、つまりはNiklasさんと話しつつ、あれを食べるべきか、これは高いのでやめておいたほうがいいといったことを話しつつその日を終えることになるのでした。
  これが、私にとっての得難い友人の一人となるのですが、それは別の話といたしましょう。ひとまず、こうして彼らと出会うことになるのですが、その後も彼らは助けてくれました。精神的な面といった意味での存在のみならず、物質的な面でもです。今、私のいる寮なのですが、ここには引継ぎ品としてすでにいくつかの食器、鍋がありました。しかし、実際のところ、いくつかの重要なもの、つまり、鍋はあっても、小さいものであったり、フライパンがなかったりといった問題です。こうしたわけで肉を買ってきて頭を抱えていると、お父さんのほうが、おやおやといい、私に、鍋を一つ、フライパンを共用で一つ、食器をたくさん分けてくれたのでした。唖然としていると、これからよろしくお願いしますと、お辞儀をして微笑んでいるだけの、なんとも奥ゆかしい方だったのです。その日は感謝の念も込めて、シュニッツェル(鶏肉)を作り、彼と一緒に食べることとしました。そんなこんなで、授業が始まる前の良い出会いといくつかの発見をこのレポートに乗せてお送ります。
  さて、ここで、いくつかの興味深い発見を付け加えねばなりますまい。ドイツ人との会話を通して気が付いたことなのですが、interDaFにおける接続法Ⅱ式はNiklas君もしくはその父と話していても普通に使うということです。これはどういうことか。つまりは、“しかし、私が思うに”とう言い方や、“質問です”という言い方は彼らと話しているとき、
私:Darf ich fragen? (質問しても?)
Niklas: Ich würde sagen. (しかし、私が思うに)
Herr Neek: Ich würde Dir sagen. (あなた(親称)に言うとですね)
となりますし、wollenよりもはるかにwollten、hätten gerneを使います。これはどのような意味合いになるかというと、
wollten möchten
Ich möchte worüber erzählen. (そのことを物語りたい)
Ich wollte worüber erzählen. (私はそのことを語りたい〈つもりである〉)
といったほぼ同じ意味の文章が出来上がります。これは、möchten がwolltenと異なって、明確な意志、強さを持ち、なおかつ、かなり強い意味を持つのにたいして、wolltenは比較手ワンクッション挟んだうえで~するつもりであるとの意味が成立しうるのです。ですので、カフェなどに言った場合は
Ich möchte einen Cappuccino trinken. もしくは
Ich hätte gerne einen Cappuccino trinken.
でも十分にいいでしょう。友人とお茶をしていた時に前述のmöchtenよりもいいと教えられました。
  これが、ドイツ語に関する発見です。つまりは私の学ぶ上での、小さな発見。
  次に、信条のようなものですが、ドイツ人の友人ではベジタリアンが多いということでありましょうか。例えば、私のバディであるクララさんの場合は環境及び、もともと肉がダメといったようなもので、ベジタリアンとなり、大学に入学以降一切肉類を口にしなくなったとのことです(しかし、同居人はたくさん食べているのをよく見たものですが)。また、私の友人となったNiklasさんは環境と食肉が異様に廃棄されていることに心を痛め、このベジタリアンとなることを決意したと私に語ったことがあります。つまり、これ以上地球温暖化を促進しないために、彼は肉を食べることを止めたとのことです。もっとも、束縛的ではなく、父であるNeekさんとはシュニッツェルを食べましたが。こうした個々の概念を大切にしつつ、強制せずにうまく暮らしている姿をここで私は見出すこととなりました。
肉を食べても構わないが、無駄にしないこと。これを心に刻みつつ、ではまた次回。
写真:スパゲッティアラビアータとゼクト

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