釜山外国語大学校

Reitaku University International Exchange Center Reitaku University International Exchange Center

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釜山外国語大学校

大韓民国 釜山広域市金井区金セム路485-65, A棟202号

https://jpn.bufs.ac.kr/jpn/

プログラム概要

英語 韓国語
沿  革 釜山外国語大学校は1981年、キリスト教精神と民主主義理念に基づいて、国際社会に必要な人材を育成するために設立された外国語中心の私立総合大学。開校当時は各種外国語と経営など10学科であったが、年々新たな外国語や国際通商専門知識、情報技術に関する学科が新設され、1988年には大学院 ( 英語文学科・法学科 ) が設置された。1991年10月に大学校に昇格した。2014年には新しいキャンパスが南山洞に完成し移転した。国際的専門家養成のための特性化大学としてさらなる発展が期待されている。また世界各国の言語と文化、伝統などを経験できる 「世界文化センター」 が韓国で初めて設立された。略称はBUFS。
特  色 ◆英語・韓国語クロス:英語学部で英語による正規授業を履修し、韓国語文化学部において韓国語を履修する。韓国人学生とペアになって学ぶ科目も履修する。
◆韓国語プログラム:日本語創意融合学部で韓国語科目(留学生向け)、および日本語関係の専門科目を履修する。また教養としての英語科目(英語ネイティブ教員による)や韓国人学生とペアになって学ぶ科目も履修する。
宿  泊 学生寮2人部屋(各自の勉強机、鍵付きのロッカー、下駄箱など。各部屋にシャワー、トイレ、洗面台、有線LANなどの設備がある)。申請は学期ごとなので、申請期間は厳守。
到着後1学期分の寮費(+保証金)と食費(110食分)を支払う (現金で持参し入寮後、指定の銀行に振込む) *保証金は当該年度(3月~翌年2月)有効。退寮時、部屋の状態によって払い戻される。全員校内にある釜山銀行で口座を開設する。
生  活 気候は日本と変わらず、治安も抜群に良い。釜山広域市は半島の東南端に位置している大韓民国第一の港湾、海洋観光、国際会議の中心都市。釜山港は1876年に国際貿易港として開港以来、輸出コンテナ物流量は世界の第5位。釜山国際映画祭、釜山国際ロックフェスティバル、釜山世界花火祝祭などが開催される。地下鉄オレンジ・ライン南山Namsan駅が最寄り。駅からはキャンパスバスが運行している。
条  件 ◆英韓クロス:留学時点で韓国語Ⅰ、Ⅱを修得済みであること。もしくはハングル能力検定試験4級または韓国語能力試験2級を取得済みであること。留学前までに、韓国語Ⅲ、または韓国語特別演習A・Bの履修を強く推奨する。英語2専攻の学生は2年生で留学する場合、TOEIC400点以上、累計GPA1.5以上であること。3年生で留学をする場合、TOEIC450点以上、累計GPA1.5以上であること。(申込時) * GPA2.0以上が望ましい。
◆韓国語プログラム:韓国語ⅢまたはⅣを修了していること。または同等の実力を有すること。GPA2.0以上が望ましい。
 ※日本学・国際コミュニケーション専攻の場合、留学できる年次の条件など詳細については、専攻に確認すること。
留学時期 英語専攻・IEC専攻:2年次2学期から4年次1学期までいずれかの2学期間(2学期間が望ましいが1学期間でもよい)。
JIC専攻:2年次2学期から3年次1学期までの1学期間、または2学期間。
担当教員 森 勇俊(韓国語プログラム)/森 秀夫(英韓クロス)

PICKUP留学体験記

一足先に留学を経験した麗澤大学の先輩たちが、留学先でのさまざまな体験談を語ってくれた「留学体験記」

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釜山での濃い一年間
大越架音
英語コミュニケーション専攻3年
2023年3月~12月

   釜山外国語大学で過ごした留学生活はとても濃い一年間でした。全く行く予定の無かった韓国留学に挑戦し、無事終えた今は心の底から挑戦して良かったと思っています。良い先生方、良い友人に恵まれ、たくさんの素敵な思い出を持ち帰ることが出来ました。    前学期が始まった当初は、授業や寮の仕組み等わからないことだらけで、友達もあまりできず、基本的には同じ大学から来たメンバーで固まって動いていました。そんな環境が少しずつ変わり始めたのは、「のびのび」という日韓交流サークルの活動が始まったあたりからでした。それぞれに新しい友人ができ、韓国人の学生との交流も増え、やっと想像していた留学生活に近づき、充実した生活を送っていました。韓国人の学生と仲良くなったことで、放課後や休日に遊びに行くことが増え、釜山の町を知る機会も増えました。韓国の大学生の生活を体験しながら、日韓の学生の過ごし方を比較することが出来ました。「のびのび」というサークルで知り合った韓国人の学生は全員日本語学部所属という事もあり、日本語が上手な学生が多く、この当時は韓国語よりも日本語で会話していました。この時からもっと積極的に韓国語で話していたら、よりスピーキング力が上がっていたのではないかと、反省しています。    韓国での生活に慣れ始めてきたころ、私は韓国にいるのに全然韓国語を使っていない状況に不満を持ち始めました。そんな時、留学生担当者の方から「グローバルマッチング」の案内がきました。グローバルマッチングとは留学生と釜山外国語大学の韓国人学生をランダムに繋げてくれるというプログラムでした。その当時の私には、日本語が全く分からない友人が一人もいなかったので、チャンスだと思い、挑戦しました。その結果、英語学部の韓国人学生と友人になることができました。その友人は全く日本語が分からない学生だった為、私が韓国語で話すしかない状況でした。最初は私の韓国語の実力不足のせいで、Papagoを頻繁に使用しながら会話をしていましたが、最終的にはPapagoはほとんど使わずに会話できるようになりました。このあたりから段々韓国語で話すことに楽しさを覚え、「のびのび」以外でも友人が増え始めました。    後期の生活は、前期を経験したことで、余裕が出来、非常に充実した日々を過ごすことが出来ました。後期の生活では、前期より多くの友人に恵まれました。その大きなきっかけとなったのは、教養タンデムの授業です。私は前期にも専攻タンデムという授業を履修していました。ですが、専攻タンデムには、ある程度日本語が分かる学生が多いのに対し、教養タンデムには日本語ゼロベースの学生が多数いるというのが私にとって非常に魅力的でした。実際に授業に行くと、中国語学部の学生や心理学部の学生がおり、話してみると日本語はありがとう程度しかわからないとのことでした。それでも、日本に少しでも興味を持ってこの授業を履修してくれたという点が私は非常に有難かったです。その後はグループに分かれ、お互いの目標言語で話し、体験学習も行いました。この授業を通して、日本語学習者との会話の仕方について学ぶものがありました。普段の話すスピードよりもゆっくり話すことや、より簡単な表現で話さないといけないという事を学びました。相手に伝わらなければ翻訳機を使えばいいのかもしれませんが、そのたびに会話の流れが止まってしまうと盛り上がるものも盛り上がらないので、なるべく翻訳機は使わずに自分の言葉で伝えることを意識しました。その結果、相手が誰であろうと普段からどう話したら相手に伝わりやすいのか考えて話す習慣がつきました。そして、翻訳等のアプリが発達している時代ですが、自分の言葉で相手に伝えることがコミュニケーションをとる上で最も重要であるという事を学びました。この授業を履修したことで、前期よりも圧倒的に韓国語を使用する時間が増え、日韓共に友人も増え、人とのコミュニケーションで重要なことも学ぶことが出来、非常に良い経験が出来ました。    今回の留学を通して、個人的に考えていた日韓の文化の比較と知らなかった韓国文化を見つけるという目標も達成することが出来ました。特に印象に残っているのは、韓国人のご飯を食べるときの特徴と、あいさつ代わりに相手にご飯を食べたのかどうか頻繁に聞くという文化です。韓国人の学生と食事をするとき、麺とお肉を一緒に食べたり、キンパをトッポギのたれにつけて食べたりするなど、何かしらにつけたり、合わせて一緒に食べる傾向があることに気が付きました。気になって友人に聞いてみたところ、昔戦争をしていた時代にご飯を食べる時間が十分になくて、できるだけ早く食べようと一緒に食べていたのが、現在にも影響しているとのことでした。私はこれを聞いた時文化って面白いと改めて感じました。これと同様に韓国人があいさつ代わりにご飯食べたかどうか質問するのは、昔、貧困がひどくまともにご飯を食べられなかった時にちゃんとご飯を食べられたのかどうか心配して声をかけていた習慣が今にも続いているそうです。最初は、なぜご飯食べたかどうかそこまで気にするのか不思議でしたが、こういった歴史的背景があって今にも続いているというのは非常に面白い文化だと思いました。この他にも、電車でのマナーやサービス精神旺盛な飲食店など日本とは違った文化や特徴が多くあり、全てが新鮮で面白い体験が出来ました。    このように、一年間を通して様々な経験をすることが出来ました。韓国語の実力もそうですが、人間としても成長することが出来ました。私自身、新しい環境に飛び込むことや、友人をつくること、人に関心を持つことを苦手としてきましたが、新しい環境で多くの人と関わった結果、人と話すことに楽しさを感じるようになりました。世の中にはいろんな人がいて、その人たちについて知ろうとすることで、自分の中の知識も増え、様々な経験ができることを学びました。この留学生活で学んだことを忘れずに今後も多くの人と交流していきたいです。そして、社会人になった後も何かしらの形で韓国という国とのつながりを保ち続けたいです。

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釜山外国語大学留学体験記
野澤真央
英語コミュニケーション専攻3年
2022年9月~2023年6月

   私は、釜山外国語学校にクロス留学で1年間留学しました。一年という期間は長いようでとてもあっという間の毎日でした。周りの人にも恵まれ、充実した留学生活を送ることができたと思います。    まず学校では、韓国人の友達を作りたかったためタンデムという授業を取ったりサークルに入りました。大学には学科ごとにもサークルがあり、私は日本語学部のサークルに入りました。日本人と韓国人が交流できるサークルなのでそこで友達をたくさん作ることができました。サークルで一番思い出に残っているのはMTです。韓国には1学期ごとにMTという泊まりがけで飲み会をする文化があります。私たちは송정해수욕장というところで行いました。お昼頃から集まって浜辺でレクリエーションをしたり、夜には宿舎でバーベキューなどをしました。1学期のMTの時は暖かかったので海に浸かったりして楽しかったです。夜には浜辺で花火もしました。久しぶりにする花火で、とても綺麗でした。また、バーベキューではサムギョプサルをたくさん食べて楽しみました。韓国ではお酒を飲むときによく乾杯をするところが日本とは違うなと思いました。また、お酒を飲むときのマナーも少し学ぶことができました。お酒をもらうときはコップを持っていない方の手を添えて両手でもらうことです。また、焼酎を飲むときはみんなよく一気に飲んでいて日本とは違う文化をたくさん感じることができました。日本にはないMTに参加できてとてもいい体験になりました。サークルでは他にも様々な経験をすることができました。찜질방というサウナに行ったり、春にはお花見に行ったり、감천문화마을という観光地に行き한복という韓国の伝統的な衣装を着て体験することができました。サークルを通して韓国の文化を実際に体験し感じることができました。    学校の授業では、韓国語と英語の授業を取りました。韓国では受講申請をする際に抽選ではなく先着順のためみんなが取りたい授業を取るため必死に登録をします。人が一気に集中して一度サーバーがダウンしエラーになったこともありました。日本とは大きく違うので驚きました。また、韓国の大学は授業の時間も日本とは異なります。大体の授業が一コマ50〜60分の授業で、週に2〜3コマあります。授業の時間が日本の100分授業に比べると少し短いところが違います。また、出席のチェックをするアプリや課題の提出等をするアプリがありとても便利で日本とは違うと感じました。    学校外では、釜山の観光地もたくさんまわることができました。この一年を通して釜山のことがとても好きになりました。釜山には綺麗な海もありショッピングする場所やカフェなどもたくさんあり、程よく都会でとても過ごしやすかったです。韓国に行ってカフェの多さに驚きました。探さなくても歩いているだけでおしゃれなカフェが本当にたくさんありました。時間も22時など遅くまでやっているところが多いので、ご飯を食べたらカフェに行くことが多かったのですがこれも韓国の文化だと感じました。また、食事の際にも文化の違いを見ることができました。日本ではお箸を横向きに置きますが韓国では縦に置くことが基本です。また、基本で出てくるおかずがたくさんあり、ご飯の量も多かったです。キムチも大体毎回出てくるので本当によくキムチを食べるということを目で見て実感しました。韓国では私もよく食べていたのでキムチがないと恋しくなるようになりました。また、韓国では割り勘をするときに基本ケータイで済ませることができます。インターネットバンキングを使って送金することができるのでとても便利でいい文化だと思いました。また、クレジットカードや送金をできるお店がほとんどなので現金を全く使いませんでした。行く前からクレジットカードが発達しているとは聞いていましたが、こんなにも現金を使わないのは初めてだったので最初は驚きました。    また、長期休み期間には友達とソウルや大邱、慶州などに旅行に行きました。大邱には、タンデムという授業で知り合い仲良くなった韓国人の友達と行きました。授業を通して仲良くなれて、いい出会いに恵まれたと感じました。同い年の女の子なので、若者がよく使う言葉などたくさんの韓国語を教えてくれました。お互いに学びたい言語を話して一緒に遊びながらも韓国語を学ぶことができました。また、慶州には2回行ったのですが一回は授業を通していきもう一回は友達と行きました。秋と夏に行ったので慶州の違った姿を見ることができました。불국사というお寺が紅葉で有名でとても綺麗でした。また、お寺の色がカラフルなので日本とは違う雰囲気を味わうことができました。また、お寺について、韓国のお寺は山の中などに多くあるのですが、昔仏教が弾圧されていたという歴史の名残で山に多くあることを知ることができました。韓国の友達と一緒に行ったので私が知らなかった歴史の背景なども教えてくれてとても興味深かったです。    最後にこの留学を通して語学力の向上もそうですが、ここでしか出会えない人たちに出会うことができました。現地では韓国人の友達もそうですが日本人の友達もできました。この留学を通して新しい友人関係をたくさん築くことができました。周りの友達の支えもあり、ホームシックになることもなく充実した留学生活を送ることができました。友人たちに感謝しここでできた良い関係を今後も続けていきたいと思いました。現地で知り合った韓国人の中には日本に留学や就職しに来る人も多くいました。韓国で案内してくれたり、たくさんのことを教えてもらったので今度は自分が日本で恩返しをしたいと思いました。そのためにも、自分も日本のことをよく知り説明できるようになりたいです。また、韓国で感じたことは「情」という気持ちです。相手のことを思いやることの大切さや温かさをたくさん感じることができました。この情の気持ちを忘れず、韓国語の学習も引き続き頑張っていきたいです。

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憧れの韓国留学
浅利瞳
ドイツ語・ドイツ文化専攻3年
2019年9月~2020年4月

   私は釜山外国語大学校に2019年9月から2020年4月まで、交換留学生として留学していた (当初は6月末までの予定であった) 。ここに留学することは3週間の短期を含め2回目だった。ここで過ごした約半年間は私にとって、かけがえのない特別な時間となった。    釜山外国語大学校のキャンパスは繁華街から少し離れた閑静な高地に位置しており、敷地が広く自然豊かである。釜山は日本からとても近く、気候も似ているため他の留学先と比べれば、馴染みやすい環境と言える。ただどんなに近くとも自宅ではないため、ホームシックにならないことはなかった。渡航して1週間は様々な書類や銀行の手続きや、生活用品の買い出しなどで忙しくしていて感じなかったが、授業が始まると急に寂しさを感じるようになった。特に夜や、部屋で一人でいるときに考え込んだり、悪いことを想像することが多かった。そのときに留学前の説明会で、ストレスに対抗するための話があったことを思いだした。なぜ、部屋に一人でいるとネガティブに陥るかというと、自分の力ではどうしようもできないことをやけに考え込んだり、過去を思い返したりなどしてしまうからだ。そのため、特別な道具の必要のない趣味をすることがいいとその話にあり実践していた。例えば音楽を聴いたり、電話をしたり、映画を観たりすることだ。特に電話をすることがいい方法だと考える。なぜなら、その他の方法では自分が一方的に受けとるだけであり、それだけでは物足りなくなってしまうからだ。一方電話は相手の話を聞き自分も話し、言葉のキャッチボールができるため飽きない。戦争体験者がその経験を語らうことで、心の癒しになるように自分の些細な日常の話であれど話すことが精神的にいい影響を与える。また、たまには節約を忘れ好きなものを好きなだけ食べることもいい気晴らしとなった。これらは、ホームシック対策だけでなく、二週間の隔離期間でも応用することができた。今現在外出が厳しい状況だが、ずっと我慢するのではなくできる範囲内で楽しむ、気晴らしをするというスキルが必要なのではないかと思う。    上記にある二週間の隔離期間というものは、感染しているかどうか不明なため入寮する留学生全員が寮で一人一部屋隔離生活をおくるという期間のことだ。この期間の間、寮の部屋から一歩も外へは出られなかった。食事は1日3回ドアの横に置かれ、お弁当を拾うときとそのゴミを出すときのみドアを開けることができた。毎日毎食同量の食事が出るため、しばしば食欲がわかない日があった。     前学期ではPDFにまとめられた科目一覧から履修したい科目をExcelに記入し、釜山外大の日本担当者の方に送り履修登録をしてもらうという流れであった。今学期では履修登録を学校のサイトから自分で行った。麗澤大学での履修登録というと早い者勝ちではなく、人気で抽選のある授業でもひとまず履修登録をすることができる。だが釜山外大では早い者勝ち方式であり、私はゆったりと履修登録をしたため希望する科目がすぐに定員オーバーになってしまい焦った。その後なんとか履修登録確認期間に希望する科目を登録できたが、こんなにも競争率が高いのだと驚いた。指定席のキャンセル待ちをしているような、売り切れの商品のページを何度も更新して入荷を待つような気持ちになった。もし次からこちらの大学で履修登録をする方は、登録開始時間よりも前からログインして待機することをお勧めする。また事前に別に希望する科目をカートに入れて保存できる期間があるため、それも利用し希望の科目をスムーズにとれるようにすると安心だ。    私は4月5日に帰国したが、そこまでの流れをまとめておく。4月1日夕方に国際交流センターの担当者さんから、韓国の危機レベルが3に上がったため留学中止のメールが届く。だいたい一週間以内に帰国すること。航空券の予約をするために調べるが、金海国際空港から成田空港までの直行便が5日の1便しかない。(金海国際空港-金浦国際空港から乗り継いで仁川国際空港-成田空港というソウル経由のものなら毎日出ていた)2日に釜山外大の日本担当者の方と会う。寮費返金の手続き、学食返金の手続き、受講中の科目の今後の対応等の話を聞く。本来であれば退寮時(満期退寮の場合)残り日数分の宿泊費から手数料を引いた7割が銀行口座に返金されるが、今回は9割返金となった。学食はまだ運営しておず、一食も食べていないため全額返金。受講中の科目の講師に対しての連絡は不要。帰国便と検査結果が出るまでの期間どこで過ごすかの連絡をする。金海国際空港にてマスクを預け荷物に入れられないと告げられる。品薄のため外国人のマスク持ち出しは一人30枚までと決められているため、日本から持ってきたなけなしの20枚と釜山で買った10枚を機内持ち込み荷物にいれる。釜山にて50枚セットを買ったため、残りは泣く泣く友人に渡す。    成田空港に到着し機内でしばらく待ち、移動先で検査への同意書の記入、検査を受ける。ホテル宿泊者は別に集められ、同意書を記入。バスでホテルまで輸送。私は検査結果が出るまでを成田の東横インで過ごした。(二泊三日)二日目の朝に内線にて結果連絡を聞いたのち両親の車で帰宅。私は帰国日が早かったためホテルにまだ余裕があり宿泊することができた。数日後に成田に到着した方が、手荷物を受けとる場所(ターンテーブル)で簡易な仕切りとベッドで検査結果を待っているという写真を見て、こんなにも早く受け入れ体制が変わっているのだと知った。    現在の状況により私は留学の中止を余儀なくされてしまった。なによりも自分の命が大切であることには代わりないが、私は大切な機会を失ってしまった。もう私の人生のなかで留学する時間は残されていないからだ。そのため、もし留学をするかどうか悩んでいる方がいるのならば、せっかくのチャンスを生かしてほしいと願う。機会や時間、体力が全て揃っている時期はとても短い。    最後に留学期間の間相談にのってくださった職員の方々、留学を許可してくださったこと、環境を整えてくださったこと、ありがとうございました。

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半年間の成長と経験
岩瀬結衣
日本語・国際コミュニケーション専攻3年
2019年9月~2020年3月

   私は、2年生後期の夏から3年生前期まで釜山外国語大学校にいる予定でしたが、新型コロナウイルスのため強制帰国となり4月に日本に帰ってきました。正直帰ることがすごく辛くて、せめてあと2ヶ月間居させて欲しかったなと思う気持ちがとても強かったです。    韓国ではコロナの影響で隔離生活2週間を寮の中で過ごし、部屋の外に一歩も出れない状態で2週間分の水、トイレットペーパーなどが部屋の中に用意されました。毎食ごとにお弁当なども廊下に置いてくれました。その中でも一番辛かったことが、隔離されていたので、3月に強制帰国となった友達になんの言葉も顔を合わさずお別れしたことです。こんな形で友達とお別れするということが一番の心残りでした。また、韓国でも3月からオンライン授業のため会う機会が減って、残っている日本の友達に最後のお別れの手紙を渡すようにお願いした形で帰国しました。    前期の頃は、毎日の様に親しいサークルのメンバーで遊びに行ったり、勉強したりたくさんの経験と友達づくりができました。今回のことで、当たり前に明日が来ること、普通の生活というのが何一つないんだなと強く思いました。韓国にいる間は一日一日があっという間で、今までにないとても貴重な体験をしていました。    成人式のため、一度日本に帰国したのですがすぐに韓国に戻りたいという気持ちがとても大きく、自分の中でも留学生活がとても恵まれた環境、そして大切な友達がいたからこそそう思えたんだなと感じました。また、2週間ほど日本に戻った時に、留学中一緒にいた日本の友達や韓国人が遊びにきてくれたので東京に遊びに行き、なかなか会える距離じゃないので楽しい思い出も作れ、とても大切な時間を過ごせました。韓国に戻った際は、寮食はやっていなかったのでコンビニで買ったり、宅配(배달)などを取っていたことが多く偏った食生活をしていたのでしんどい日が多くありました。日本で久々にちゃんとした食事を取った時は、日々の食事を用意してくれている母親に対して感謝の気持ちとバランスの大切さを改めて感じました。    前期は、日本人担当の人が自分の取りたい授業の時間割を構成してくれていました。後期は自分で取ることになったのですが、韓国ではパソコンで履修登録期間になるとほとんどの人がPC방と言われる日本で言う「ネットカフェ」で時間になったら自分の取りたい授業の申請をするのですが、早いもの順(競争)で取れる教科が決まります。韓国人はパソコンに慣れてる人が多いので、ボタンを押すことに慣れているのですが、取りたい教科が取れないことがあるので私たち日本人にとってはとても大変でしたが、韓国人の友達が付いていてくれたので良かったです。自分の専攻の授業で交換できるものを前もって考えてから取る方が日本に帰ってからも楽にできます。また、韓国では1教科に対して三単位なのですが、日本に帰って単位互換することを考えた方がいいです。また、最初に取れる単位数が19単位と決まっているのでよく考えて申請してください。また、今まで一度も受けたことなかったtopikを韓国で受けようとしていたのですが、それもコロナの影響で受けられなかったので、大学に在学中は卒業するまでに一度は挑戦したいです。     留学中に日本村のお手伝いとして、日韓ハーフの子どもたちに国語を教える経験をしました。内容は、出席も確認から始まり日付や曜日、歌や音読、神経衰弱のゲームなど様々なことをしました。1ヶ月に一回の活動でしたが、貴重な経験をさせてもらいました。また、日本村の韓国の友達と記念写真を撮りに西面にあるスタジオに行きました。韓国では写真スタジオが多く、よく「인생네컷」という人生4カットというところで撮ることも多くあります。一人日本に帰国する人がいたので、その前にみんな思い出作りができ、今ではその写真が私の宝物のひとつです。韓国では、夜遅くまでお店がやっていることが多いのと、お店がたくさんあるので、授業が終わった後はカフェに行ったり、カラオケに行った、ご飯を食べにいったりした日々が多く、韓国のことをたくさん学べたのではないかと思います。    約半年間の留学を経て、自分で判断する気持ちがより大きくなりました。また、家族といる時間が長かった分、離れてみると少しは寂しい気持ちはありましたが、自分が成長しているなと感じることができて留学に行けて良かったなと思いました。語学の面では、読み・書き・リスニングが留学前と比べて少し伸びていることを実感しています。日本では、韓国語を使う機会がなかなかないので少しずつ勉強をして、忘れないように一日に必ず韓国語に触れる様な時間を取っています。素敵な友達に出会えたことが留学の中で一番の宝物です。留学中の先輩方と話す機会があって、やっぱり留学に来てからはあっという間だったから楽しんだ方がいいよと言われていたので韓国でたくさんの経験をしておいて良かったなと改めて思いました。また、留学中には韓国人以外のたくさんの国の人と話す機会があったりしたので、文化や価値観の違いをたくさん学ぶことができました。    釜山は海も多く、路線がソウルほど混雑していないことや近いことがメリットだと思います。学校自体も自然に囲まれているので空気もすごくよく、毎日の様に学校の大きさにびっくりしていたのを思い出します。今では、釜山が自分にとっての第二の故郷の様に感じられます。コロナが収まったら、友達に会いに行きたいです。今回コロナの影響で帰国になり、帰国した友達とまた会おうと約束して後期にまた行こうとしていたのですが、後期も行くことができなくなったのでとても残念です。それでも、学生のうちに留学ができて、たくさんの思い出ができて学生の中での一番の思い出になりました。貴重な留学をさせてくれた両親にとても感謝しています。

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体験者による留学先紹介

釜山外国語大学校への留学経験者が留学先をご紹介します。