天津理工大学

Reitaku University International Exchange Center Reitaku University International Exchange Center

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〒300384 天津市西青区賓水西道 391 号

http://www.tjut.edu.cn

プログラム概要

中国語
沿  革 1981年創立。天津市教育委員会直轄の大学。全日制学生約27,000人。工学系関連の多数の学院の他に、外国語学院、芸術学院、法政学院、国際工商学院などの文系の学部がある。聾人工学院(聾唖者向けの学院)は中国の大学の中で唯一設置している。大学武術隊は全国を演武巡回するほど有名。2013年来留学生が増え50カ国以上1,000名近い留学生が学んでいる。従来の留学生教育を担う国際教育学院は2013年春に改組され、新しく漢語言文化学院が設立した。新学院は留学生の漢語言文学の学部生と漢語生の教育を担う。毎年200名ほどの留学生が在籍し、中国語を学んでいる。
特  色 午前中は天津理工大学の中国語の授業を週20コマ(1コマ45分。1日4時限)履修し、午後は英語の授業を単独班または中国人学生のクラスで受講する。授業はすべて中国語で行われる。また、有料の選択科目(琵琶、二胡、切り絵、中国画、太極拳など多数)がある。無料でHSK対策講座も開講される。選択科目は成績表をもらってくれば、麗澤の単位に認定される。英語学科と日本語学科とは緊密に連携し中国人学生と外国人留学生の交流を行っている。
宿  泊 大学寮2人部屋。各部屋にはエアコン、電話、テレビ、シャワー、トイレ、Wi-Fi。大学寮には共同の洗濯機(無料)、キッチン、レストランがある。
宿舎部屋以外には宿舎ロビー、食堂、カフェでは無料Wi-Fi利用可。
生  活 天津は人口約1500万人の4大直轄都市(他は、北京、上海、重慶)のひとつで、交通の要所でもあり、近年経済は高成長を記録している。治安もよく、イオンモール、伊勢丹などの小売業の他、経済技術開発区にはトヨタ、大塚製薬、ヤマハ、京セラなどの多くの日本企業が進出。また北京西駅/天津駅までは高速鉄道で約30分、列車本数も多く週末に北京に遊びに行くのも容易。北京空港からはリムジンバスで約2時間半。
2013年秋学期より、旧キャンパスの3倍の広さがある新キャンパスに全学部が移転した。地下鉄駅「大学城」やバス停とは距離がある。キャンパス内の学生食堂は美味しいと評判が良い。
中国人学生のスポーツや文芸クラブ活動への参加もでき、日本語学科の学生との交流も多い。
北方の標準語に触れることができる。留学生担当者の親身な気配りが学生に好評。毎年日本語学科の学生が麗澤大学に留学生として派遣されている。天津は、物価も安く住みやすい都市。
2018年よりキャンパス内の急速なキャッシュレス化により、食堂や売店など現金が使えなくなった。到着後すぐに中国で銀行口座を開設する必要があり、そのための携帯電話番号が必須。SIMフリーのスマホを持参し現地でSIMを購入するか、新たに携帯を購入する必要がある。
条  件 中国語専攻:中国語基礎演習ⅢまたはⅣを修了していること。
中国語・グローバルコミュニケーション専攻:中国語基礎演習Ⅳを修了していること。
他専攻:中国語Ⅲまたは中国語Ⅳを修了していること。
留学時期 中国語専攻、他専攻:原則として、2年次第2学期もしくは3年次第1学期。(半年間)
中国語・グローバルコミュニケーション専攻:3年次第1学期の半年間
担当教員 温 琳
特記事項 麗澤大学海外留学奨学金

PICKUP留学体験記

一足先に留学を経験した麗澤大学の先輩たちが、留学先でのさまざまな体験談を語ってくれた「留学体験記」

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私の留学生活
貞末萌子
中国語専攻3年
2019年2月~7月

   今回中国に半年間留学をして私はたくさんのことを学ぶことができた。日本では絶対に経験することができないことをたくさん経験した。私の留学生活は本当に充実していてよいものだったと思う。中国への留学を通して中国人に対するイメージがガラッと変わった。最初留学に行く前は、声が大きく早口で、常にけんかをしているような感じで不愛想なイメージがあったのだが、私が留学中に関わった人はみんな優しく留学生のわたしにわかるようにゆっくりと丁寧な中国語をつかって説明やおしゃべりをしてくれたり、わからないことがあったら一から丁寧に教えてくれたりと本当に優しかった。大学の友達や先生だけでなく、タクシーのおじちゃんや美容院のお兄さん、道を尋ねた時すべての場面で適当にあしらって外国人だからと言って無視したりする人がほとんどいなくて中国人はすごく優しいと思った。中国人の私の中のイメージが変わったのは留学に行って得ることができた大きなものだと思う。    最初は言葉の壁、文化の差が大きく大変だった。中国のトイレはすごく汚く、最初は外のトイレにすごく抵抗があった。トイレが汚いだけでなくトイレットペーパーがないのもきつかった。空気も悪く最初は中国で半年も過ごせるか不安だらけだったが、一週間ほどでなれることができた。大学の食堂でご飯を食べるには専用のカードが必要でそのカードにお金を入れるには銀行を開設しなきゃいけなくて、銀行を開設するには電話番号が必要なので中国について二日目に銀行開設と携帯の契約をしに行った。中国についたばかりのまだ慣れていない状態で本当に大変だったのが忘れられない。中国は現金をほとんど使わずお金を支払うときはカードを使うことが多い。そのため慣れればとても便利だが慣れるまでがすごく大変だ。買い物もショッピングセンターには行かず、ネットで買い物をする人がほとんどだ。最初ネットショッピングには抵抗があり、ちゃんと届くのか、詐欺にあわないかと不安がたくさんあったが、一度使ってしまえばそんな不安も消え、むしろとても便利でどんどん使ってしまった。中国のネットショッピングは特に洋服が安くTシャツだと一枚300円ほどで変えたのですごくよかった。    学食もとても安く一食200円あれば好きなものがなんでも食べることができた。そして量も多かったので私は一日三食学食で済ましてしまうことが多く、一度も自炊しなかった。学食の種類はすごく多くて半年間毎日違うものを食べても食べきれないほどだった。第一食堂、第二食堂とどちらも四階まである大きな食堂で、中にはカフェ、イタリアン、韓国料理、パン、レストランのような中華料理があり飽きることなく半年過ごすことができた。日本食が食べたくなったときはタクシーで15分,約200円ほどで行くことができる時代奥城というところに行くと日本食料理屋がありお寿司、お蕎麦、肉じゃがなど様々な日本食を食べることができたのと味も比較的おいしく、亭主が日本人で日本語で会話してくれるということもあり週一回ほど通っていた。そこのお店だけではなく時代奥城にはマック、ケンタッキー、ピザハット、一蘭など日本にもたくさん店舗があるなじみのお店が多くホームシックになりかけたら私はそこに通っていた。中国はとにかく物価が安く、日本でタピオカを買うと600円はしてしまうところが170円ほどで買えたり水が一本18円だったりと生活費はとても安く済んだ。映画もとても安く日本よりも早く外国の映画を見ることができ、中国語の勉強にもなるので暇なときは映画をよく見に行った。    留学中は北京に旅行に行った。寮のロビーで会って日本語を勉強していると話しかけてくれた人がいてその人たちと二泊三日で、万里の長城、頤和園、天壇などの世界遺産に行き798アートゾーンという若者たちに人気の観光スポットにも行った。    授業はとても楽しく、私が受けていた中級班の授業は総合、読解、会話、そして中国の番組を見る4つの授業に分かれていた。総合、読解の授業は毎月筆記のテストがあり大変だった。最初のテストの成績が良かった人は無料で万里の長城に行けるなどがあり、日本にいたとき以上に勉強に励むことができた。授業は午前中だけだったので午後の時間は自由に使うことができた。最初は午後課題をやることで精いっぱいだったが慣れていくうちに空き時間が増えいろんなところに遊びに行くことができた。空いた時間にせっかくの留学だから中国人と交流したいと思い、ダンスサークルにはいった。週に4,5日活動があり土日はみんなでご飯に行ったり、映画に行ったり、カラオケ、他校との合同練習をしたりとサークルにはいったことにより、私の留学生活は一層よいものになったと思う。自分だけだったら絶対に食べないような屋台で売っているものをくれたり、中国人の寮にこっそり入ったり、中国の文化、流行のことばなどたくさんのことを教えてもらった。帰国する前にはパーティーを開いてくれ、ケーキやプレゼント、みんなのメッセージ、写真が入ったUSBをくれた。全部がすごくいい思い出だ。    ダンスサークルの人たち以外にも日本語専攻の子、その他の留学生、たくさんの人と中国語で交流し、中国に留学に行くまで一切使ったことがなかった中国語を使うことができて楽しかった。そして自分の中国語能力の低さを思い知った。自分の中国語能力の低さをこんなにも痛感できたのも留学にいったおかげだと思う。仲良くなった人たちともっとすらすら、楽しく深い話ができるくらい、中国語を話せるようになりたいと思った。中国にきてたくさんの人と交流することができただけでなく、新たな発見がたくさんあり中国に留学して本当に良かったと心から思う。もし機会があれば短期の留学でも旅行でもまた中国に行きたいと思う。もし留学するか悩んでいる人がいたら留学は絶対に行くべき、高いお金がかかってしまったとしても行く価値があると伝えたい。それくらい私の留学生活は意味があるものだったと思う。

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行ってみなきゃわからない
清水綾乃
中国語専攻2年
2018年9月~2019年1月

  私が留学に行った天津理工大学の寮はホテルを学生寮にしていたので、部屋(2人部屋)は綺麗だし、共有の洗濯室、キッチンもあった。ただ、トイレとシャワーの床は一続きだったのでサンダルが必要だ。はじめは不便だと思うこともあったが、必要なものは大学内のスーパーや私は買わなかったが、洗濯物を部屋で干したい人は、ニトリまで出かけて物干し竿を買っていた。天津にも日本でなじみのあるブランド(UNIQLO、無印良品、ZARA、ニトリ、丸亀製麺等々)が結構あったので、生活はわりと快適だった。食生活も私は好き嫌いもないし、辛いものも比較的得意なこともあって、これと言って食べられないものはなかったが、油多めの食事が多いため、初め二週間くらいはよくお腹を下していた。帰国前1か月くらいは食堂の中華料理に飽きてしまって、よく第一食堂の四階にあるイタリアンや韓国料理、タクシーで大学の外に行って日本料理を食べていた。食堂のご飯は美味しいし安いし量がとても多いので学生はうれしいこと尽くしだと思う。最初の頃はどのくらいの量で出てくるかわからなかったけど、朝昼晩食堂で食べていればだいたいここはこのくらいの量と分かってくるので、多いと分かっている料理は友達と分けて食べることもあった。   私は、中国に行くにあたり頑張りたいことが二つあった。それは、中国の風景をたくさん見に行くことと、中国人の友達を作ることだ。9月4日に中国について、授業が始まったのは9月10日からだった。その間は銀行の開設やSIMカードを買って、本格的な現地での生活の準備をしていた。私はラッキーなことに、麗澤大学から中国に行った学生が私だけということもあったが、それらの準備を天津理工大学の生徒さんに手伝ってもらったので、とてもスムーズに進めることができた。彼の名前は代さんと言って、一つ年上の3年生だった。代さんは日本語の勉強をしていたので、移動中のバスやご飯を食べに行ったときにわからない単語や言い回しをお互いに質問しあって、とてもいい相互学習ができた。他にも、私は英語の授業を取っていたのでそこで出会った中国人の女の子たちともよく遊びに行った。彼女たちと遊ぶときにたくさん話したことによって、中国語で会話する力が伸びたと思う。さらに、wechat(中国版LINE)をして中国語で話すのがとても楽しかった。日本でいう(笑)は中国では哈哈哈と表記する。発音が「ははは」だからだ。面白くないですか?さらに、交流は中国人とだけでなくインド人やロシア人、カメルーン人など本当に様々な国の人と友達になることができた。幸いなことに、私が出会った人たちはとてもいい人たちばかりで、おもてなしの心や思いやりは日本人以上だったなと思う。インド人が日本人にふるまってくれたカレーが忘れられない。また、大学が用意してくれた旅行で上海に行ったり、個人で電車に乗って北京にも行ったりした。上海でも北京でも様々なところに行ったが、一番印象に残っているのは万里の長城だ。私は12月後半に行ったので、マイナス10度前後と極寒の中登った。登り始めから坂道がとても急で、私はもっと気軽に行ける場所と思っていたので、驚いた。私が行った日は観光客も少なくてすいすい登れたが、整備されていないような道で急な坂道、急な階段で相当体力を使った。だが、登りきって下に続く長い長い道を見ると、山の中にこんなにも長い道、高い階段を昔の人が作ったのかと思うと感動してしまった。   私は中国に4か月半留学して、このようにたくさんの人に出会い、たくさんの場所に訪れて今までの私の中にはなかった考え方や気持ちができた。「中国」と聞くとマイナスの考えを浮かべる人が多いだろうが、実際に私が出会った中国人はみんな友達思い、家族思いの人が多かった。私が困ったことがあったら、想像以上にサポートして助けてくれた。その結果うまくいかなかったときは、全然悪くないのに謝ってきたこともあって、本当に中国人の情の厚さには驚かされた。言葉にできないくらい感謝している。 そして実は、留学に行くのが一人だと決まった時に、とても不安だし、家族や日本の友達と4か月以上離れるなんて考えられないくらいに寂しくて、一瞬、留学する意味があるのかとさえも思った。でも、初めて一人で飛行機に乗り、知らない地で知らない人と不慣れな言語で会話して、時間を共有したことは、まだ20年間しか生きていないけれど紛れもなく今までで一番濃い4か月だったし、これからの私を支え、励まし、作っていく時間だろう。だから、もし一人で不安だから留学したいけど一歩踏み出せないという人は、一人だからこそ行ってほしいと思う。その地に行くときは一人だけど、自分より前に行った先輩方はやさしくサポートしてくれるはずだし、現地で出会う人たちを独り占めできるなんて、他ではない最高のことだと思う。留学前、不安で仕方がなかった自分に「中国で素敵な人たちに出会って、素敵な時間を過ごせるよ。帰国したくないって思うくらいに充実した留学生活を送れるよ。」と教えてあげたい。   今回の中国留学で、私は中国の人も景色も食べ物も文化も大好きになった。知らなかったことを知れる楽しさや、出会った人の知識を聞いて興味をもつことの楽しさは本当に素晴らしいし、このような経験をさせてくれた家族や麗澤大学の先生方、宮川さん(留学コーディネーター)に感謝です。日本に帰ってきた今、私はこの経験を無駄にしないように過ごしていきたい。

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天津留学記
工藤 綾乃
中国語専攻3年
2018年3月~7月

  私は半年留学で天津へ行きました。長いと思っていた留学生活も終わり、帰国して2週間ほど経ってしまいました。振り返ってみると4カ月の留学生活はとても短く感じます。私がこの留学で体験したことは、他の留学した方々より少ないかもしれませんが、内容は濃いのではないかと思います。   海外へ行くのは2度目で、さらに1人での渡航は初めてだったので、出発日は本当に緊張していました。北京空港に1人で到着したときの心細さは忘れられません。その翌日は学期開始日だというのに深夜にやっと学校の寮へ到着して、ルームメイトに気をつかうこともろくにできず、てんやわんやしていました。そして留学レポートでも紹介したとおり、学費を支払うのに現金で支払えない、日本で用意したカードも使えない。唯一の方法は中国の銀行で口座開設し、その銀行カードで支払うことで、本当に困っていました。さらに携帯電話のSIMカードの問題や口座開設後のトラブルが重なり、はじめのころはすぐにでも日本に帰りたくて仕方ありませんでした。   本当に大変でしたがそれも最初のころだけで、過ごすうちに現地の生活にも慣れていきました。前学期に留学へ行った先輩方のお話では、食事や大気汚染がひどいと聞いていましたが、私には問題ありませんでした。実際には食事は美味しいものも見つけられたし、この季節だからか、空気もきれいで青空の日が多かったので気持ちがよかったです。心配してマスクを留学日数分持って行ったのですが、ほぼ余ってしまい、帰国前にもったいなくて捨てられず困りました。しかし、そのおかげで体調を崩すこともほぼ無く、元気に過ごせました。   授業では最初からたくさん発言させられました。しかし何か伝えたくても言葉が出てこなくて、単語量も文法量もまだまだ全然足りていないと思い知らされました。同じクラスの他国の人がすらすらと発言しているのを聞いて、自分の発言する順番がまわってくるまで冷や汗がずっと出続けていたのを覚えています。そのため、このクラスで自分は大丈夫だろうか、クラスを落とした方が良いのではないだろうか、と考えたことも少しだけありました。   私は総合の授業が一番好きでした。担当の先生がとてもおもしろい先生で、いつもみんなを笑わせてくださるので、苦手な文法もとても楽しく学べました。ただ、失敗もありました。総合の授業では必ず1人1回PPTを使って発表をします。初回の授業で次回の授業での発表者を決めたのですが、誰も申し出なかったので手を挙げ、私が初発表者になりました。しかし発表した後、先生にかなりずばずばと駄目出しをされて大分落ち込み、クラスメイト達の発表を見てからにすればよかったかもしれないと少し後悔しましたが、今では荒波にもまれ成長した気分です。クラスメイト達は、みんなの発表から学ぶので、後の発表者になるにつれて良い発表になっていました。   反対に口語の授業は苦手でした。口語の先生はたとえ漢字を書けなくてもそれほど気にされていませんでしたが、発言量と会話スピードにはとても厳しく、私はいつも「もっと話して!」と言われていました。留学生活の最初のころ、あまり学外へ遊びに出かけなかった時期には、「学内だけで中国語を学べるはずがないでしょう」と言われて、これは私が外に出るきっかけにもなりました。   また、授業は1日に2科目4コマ、そして1コマ45分なのでとても短く感じ、充分でないのではと思ったこともありました。しかし教室での座学だけが勉強ではないことに気づかされてからは、放課後に友達を誘って遊びに出かけることが増え、街中での中国語に触れる機会も自然と増えていきました。私は北京にルームメイトと行きましたが、天津市内で遊ぶことが多かったので、もう少し遠出してみてもよかったかもしれません。チンタオは近くてきれいとのことなので、行かなかったことを今さらですが悔やんでいます。   身の回りの環境が整い天津での生活に慣れてきた4月ごろには、最初のころ戸惑ったアリペイ等は私の生活に浸透してきて、なくてはならない存在になっていました。携帯1つあればどこでも支払いできるのでとても便利でありがたかったです。もちろん口座を持たない留学生もいましたが、そのうちの何人かは途中で口座を開設していたので、やはり中国で生活するには必要不可欠です。友達に突然遊びに誘われることもあったので、現金がない!とならずとても便利でした。デリバリーや通販もできて、使っているときはまるで中国人になったように感じました。ただついつい使い過ぎるので、家計簿をつけていました。帰国後確認したところ、平均1日30元使っていました。食事と飲み物、菓子類を含んでこの額なので、場所にもよると思いますが、天津は物が安いと感じます。   天津は空気が良く、人もとても親切で優しいので、生活しやすくてよいところでした。最初のころ、半年は長いなと思ったのが嘘のようにとても短く感じられました。時間が経つのはあっという間で、この留学でできた友達の中にはもうすでに連絡が途絶えてしまった人もいます。せっかくのご縁なので友達とはさらに交流を深め、そして何年後か再会したとき彼らと流暢な中国語で会話できるよう、より熱心に学び、中国語力を伸ばしたいと思います。

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天津での一年間
佐藤 萌美
国際交流・国際協力専攻3年
2017年2月~2018年1月

  私は天津理工大学で一年間留学をしていました。時間がすぎるのはとてつもなく早く、あっという間に帰国してしまいました。中国語は大学に入って第二外国語として勉強し始めました。もっと話せるようになりたいと思い、留学しました。留学行く前はものすごく不安でした。初めて親の元を離れ異国の地で暮らすので怖かったです。   2月20日羽田空港から北京空港にいき理工大学の先生が迎えに来てくれました。そこからバスに乗り、三時間後理工大学の中にあるホテルにつきました。夜中の一時くらいにつき、疲れてすぐに寝たのを覚えています。次の日は理工大学の先生が私たちの勉強する楼に案内してくれて少し会話をしました。その次の日は日本語専攻の学生たちが理工大学のいろいろを紹介してくれました。その次の日は教科書買ったりと、来たばかりの最初の一週間の平日は天津を回ったりしたり週末は北京に行きました。そして二週目で授業が開始しました。   理工大学の留学生は基本理工大学の中にあるホテルに住みます。理工大学の外に住む留学生もいます。4階と5階に留学生が住んでいます。一学期目は4階に住んでいて、二学期目は5階に住みました。4階は静かで、5階はたまにうるさいです。あとたまに部屋でWi-Fiが使えなくなる時がありました。もし静かなところがいいのであればチェックインする時に4階がいいといいましょう。部屋は空いてれば選べますしあいてなければ選べません。でも私は5階が好きです。二人一部屋で住みます、一学期目は日本人とで二学期目はタイ人と一緒に住みました。もしあなたのルームメイトが日本人なら安心でしょう。もし外国人で合わないなと思ったら部屋を変えられるのでカウンターに行きましょう。部屋は広いです。部屋にはテレビ、エアコン、シャワー、トイレ、クローゼット、勉強机があり特に困ったことはありません。洗濯機とキッチンは留学生達が共同で使います。洗濯機を使うにはカードみたいのを買わなければならないので、3階にいって買いに行きましょう。   冷蔵庫はありません。欲しいならば自分で買いましょう、ただホテルで使うならば一日一元とられます。大学には体育館、グラウンド、卓球場、テニス場、ジムなどがあり、夏の夜とかは運動する学生がとても多いです。あと理工大学はとっても広いので歩いたり自転車に乗ったりして散歩しました。夏の夜は涼しくて気持ちいいです。冬は寒くて散歩に行かなかったです。大学には4つぐらいのコンビニ・スーパー、二つの大きい食堂、コピーできる場所、美容室、China Postがありとても便利です。私はいつも第一食堂にいってご飯を食べていました。三階と四階がすきです。第二食堂はあんまり好きではありません。   理工大学の近くには駅がありませんのでバスに乗る必要があります。近くにバス停があります。天津のほとんどのバスは2元で乗れてしまいます。5元のバスもありますが日本より断然安いです。地下鉄も日本と比べたら安いです。タクシーも安いのでよく乗っていました。中国はタクシーを呼ぶシステムが発展していてすごく便利でした。   授業は20号棟で、月曜日から金曜日、8時半から12時まで行われます。科目は総合、リスニング、スピーキング、リーディングの4科目です。一学期目は火曜と金曜の午後に英語の授業がありました。火曜と金曜以外の午後は授業がないので自由に過ごせました。一学期目は4班で、二学期目は3班にいました。最初授業を受けた時はほんとに何一つ聞き取れなかったです。あと同じクラスの子たちのレベルも高く、心からショックを受けました。初めの頃は予習復習の毎日でした。私は元々コミュニケーションをとるのが苦手なため母国語ではない中国語で何を話したらいいか分からなかったです。夏休みの頃には少し聞き取れて、少し話せるようになったレベルまでいきました。二学期目はクラスの人数が少なかったので話す機会が増えたかなと思います。前よりは先生の言っていることも聞き取れますし、自分の発言も増えたのでうれしかったです。ただスピーキングの授業は難しかったです。  この留学期間中に上海、香港、北京、ハルビンに行ってきました。上海は学校の企画で行き、それ以外は自分達でいきました。自分で飛行機や高速鉄道やホテルを予約して行ったのでできちゃうものだなと思いました。どの都市もその都市なりの魅力があってすごく楽しかったです。半年の人は香港に行っちゃうとビザが切れちゃうので行く時期を気をつけてくださいね。ハプニングはあったけれどすごく楽しい旅行でした。あとスピーチコンテストに参加しました。初級組、中級組、高級組に分かれていて、各級ごとに一位、二位、三位を決めます。私は中級組として試合に参加し、一位を取ることが出来ました!めちゃくちゃ緊張したので本当に嬉しかったです。部屋に帰ったあと疲れて頭痛かったです(笑)が、いい思い出を残すことができました。   留学に行く前は不安でいっぱいでしたが、なんだかんだ充実した留学生活になりました。私はいつもタイ人のお友達と一緒にいました。とてもいい人たちでたくさん私のことを助けてくれました。お別れの時にはプレゼントをくれて、さらにはみんなロビーまできて見送ってくれてとても嬉しくて感極まって泣いてしまいました。寂しすぎてその日一日泣いてしまいまいた。ほんとに天津も友達も別れ惜しかったです。留学に行ってほんと良かったと思いました。留学に携わってくれた方々に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。中国語と留学で経験したことを生かせるように頑張ります。

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