Experience Note
留学体験記

留学体験記
留学体験記
一足先に留学を経験した麗澤大学の先輩たちが、留学先でのさまざまな体験談を語ってくれた「留学体験記」。
先輩の生の声を、是非参考にしてみてください。

私は2026年3月~7月までドイツのイェーナ大学へ行きました。その後の帰国まで含め約半年間で私は多くの日本では経験できないことや、新しい体験をしました。それらを3つの分野で紹介したいと思います。
1, 入国して早々の怪我
私は3月にドイツに入国し、4月初旬に友人と観光に行ったところ階段から落ちてしまい、右足首をねん挫しました。そこで、TSSという学校で加入した海外保険の24時間サポートに連絡し、病院を紹介してもらいました。また、イェーナには現地ですぐ対応できる通訳がおらず、すぐ対応できるのは電話通訳だったのでそれを利用しました。
ちょうどイースター期間と日曜日であったため、病院は寮から最寄りの大学病院の救急外来を紹介してもらいました。。
大学病院までは元気な足では徒歩13分の距離なのですが、足をねん挫しているためタクシーを頼ろうと思いました。はじめは、TSSにタクシーを依頼できないか尋ねたのですが、TSSではタクシーは紹介できないと断られてしまいました。続いて、アプリの配車サービスを利用しようと試みましたが、いくつもの配車サービスアプリでイェーナはサービス圏外になっており断念しました。次に市内タクシー会社に電話で連絡を試みましたが、まだ現地のドイツ語の話す速さに対して、語彙も少なく、話す速さも遅い、英語は使えない状態での電話は初めてで、なかなか話が進まなかったからか電話を切られてしまいました。最後は諦めて足を引きずり徒歩で行こうと決めました。そこに、入寮時に寮を案内していただいた寮のチューターの人が偶然帰宅したところだったため、説明したところ、病院まで車で送ってもらえました。
病院に着くと、1時間ほど待機後に診察室で通訳を介して診察してもらいました。その後、念のためレントゲンを撮ることになったのですが、なんと6時間待っても呼ばれず、受付の人に聞いても「まだ」としか言われずその後も1時間待ったところで通訳さんから0時になるのでまた明日病院で診てもらった方が良いのではと提案され、通訳さんを通して何とか受付の方にタクシーを呼んでもらい帰宅できました。
翌日は、現地でお世話になっている先生がイェーナに帰ってきたということで、その先生と共にもう一度同じ大学病院へ行きました。今回は現地集合だったので足を引きずって行きました。前日に6時間以上待機したことを伝えたからか、現地のドイツ人同士が対面で話したからか、レントゲンの結果が出るまでが2時間ほどで終わりました。薬も処方してもらい、現地で加入したAOKという保険会社で診察費、薬代はカバーしてもらいました。
その後は先生から松葉杖を借りて生活し、約1か月後には松葉杖が無くとも歩けるまで直りました。
学んだことは、ドイツは主にかかりつけ医が主流で、救急外来は混みやすいということです。また、海外の薬は日本より強いと事前に知っていましたが、一番弱いものでもよく効きます。松葉杖の形は日本と違うので、松葉杖を使ったことがない人は慣れるまで時間がかかると思います。
また、一般のドイツ人は聞き返した際も話す速度が変わらない人が多いので、耳を鍛えるか、緊急の際は頼れる人をまず探した方が良いと思います。私は、耳をあまり鍛えていなかったところへ、パニックも重なりまったく会話ができませんでした。
事前に説明会はありますが、実際に利用してみたTSSの仕組みですが、電話をかけてけがや病気の場合は電話越しに看護師の方と一度話し、その後現地の病院を探してもらう手順です。ほとんどのやり取りをEメールを推奨されるのですが、時間がかかりすぎてしまいました。急を要さない場合は24時間いつでも連絡をできるという感じですので、急を要する場合は現地の人を頼るか、救急通報する方が早いかもしれません。
私の場合は、ルームメイトも授業開始日まで留守だったこともあり、頼れる人が身近におらず心細かったです。
2, 現地での授業や、インターン、その他
まず授業ですが、ドイツ語の発音の授業、文法の授業、ランデスクンデ(地理、歴史から文化まで幅広い分野)の授業、グループワークでテーマについて話し合う授業、そしてそれとは別に追加で授業料を払いドイツ語でドイツ語のA2レベルを学ぶ授業を取りました。
イェーナは校舎が点々と街中にあるためそれぞれの授業を町の景色が違う3つの校舎で学びました。どれもドイツ語の新しい語彙や表現が増える楽しい授業でした。
次にインターンですが、私は1週間イェーナにある幼稚園で4歳~6歳の子供達のクラスで先生たちの補助をしました。
昼寝前の着替えを手伝ったり、朝食、昼食、おやつの準備を手伝ったりしました。子供たちの会話の内容や仕草、遊ぶ内容が日本の保育園とあまり違わず、子供は共通の行動をするのだと思いました。
その他として、日本語を勉強するドイツ人の方々と交流する「ヤパンシュタムティッシュ」という地域の集まりに参加しました。
毎週金曜日にカフェで会話をしたり、ピクニックやBBQをしたりしました。
シュタムティッシュは夜7時から始まるのですが、会話が盛り上がりいつも夜10時ごろ帰宅していました。長いときは1時まで話していることもありました。
イェーナは治安が良いので、1人で帰宅の際など夜遅くまで外にいても安全でした。また、夏は長くて夜10時半まで明るいため、9時ごろまで親子連れが公園で遊んでいるのを見かけ、安全なところと感じました。
寮での生活ですが、私の場合はドイツ人2人がルームメイトでいましたが、1人はほとんど寮におらず、もう1人はほとんど挨拶だけで交流が持てませんでした。
入寮するまで想像していた寮生活とは違いましたが、過ごしやすかったです。
3, 旅行
私は授業後の放課後や土日、夏休みを利用してドイツの様々なところを訪れました。また、近隣の国ではデンマークやチェコ、オランダ、リヒテンシュタインを訪れました。
旅行先では絵葉書やピンバッジ、ビールの王冠を集めました。その他、ドイツっぽい地元のお祭りなどのイベントを調べて訪れるようにしていました。
なかでも、印象的なお祭りはミュンヘン郊外の「中世騎士の馬上槍試合イベント(Kaltenberger Ritterturnier)」です。会場全体が中世の雰囲気になっており、来場者も中世の衣装を着ている人が多かったです。また、メインイベントの槍試合は迫力がありました。
宿泊はホテルの他に、人生で初めてホステルを利用し宿泊の幅が広がりました。
移動は主に、列車とバスを利用しました。ICとICEという新幹線のような高速列車以外は、ドイチュラントチケットの学期券を利用すると毎回チケットを購入せずとも乗れるので多く利用しました。
長距離バスにはFLIXBUSという高速夜行バスを利用し、オランダとチェコに行きました。
また、タクシーを利用した際は料金が日本と同じかそれ以上に高額でした。
私は1人で旅行することが多かったのですが、都会は夜でも人通りが多く、お店も0時近くまで開いており、賑やかでしたが、田舎は大通りでも車通りが少なく、夜9時にはほとんどの店が閉まってしまいとても静かで暗い道が多く、不安になることもありました。
この経験から、ドイツは一人旅でも安心できる地域が多いように感じました。
約半年間でいろいろなことがありました。やってみたいことや行ってみたい所の全ては体験することはできませんでしたが、充実した学びのある、自身の成長を感じられた留学生活を送れました。

私は2026年3月から7月まで、中国の西安外国語大学に留学していました。
中国に留学を決める前には、台湾に4か月間留学していました。中国への留学を決めた理由は、同じアジア圏でも文化や生活習慣などを実際に体験し、日本との違いを自分の目で見て学びたいと思ったからです。留学前は、中国での生活や言葉が通じるかどうかなど、不安もありました。
日本から西安へ行くには直行便がなかったため、上海を経由して西安まで向かいました。西安に到着すると、西安外国語大学の職員の方がバスで迎えに来てくださっていたので、そのバスに乗って大学まで行きました。大学に着いてからは、さまざまな手続きを済ませ、自分の寮の部屋へ向かいました。
西安外国語大学での学生生活は、とても充実していました。授業は主に午前中に行われ、午後は自習をしたり、友達と交流したり、一緒に遊びに行ったりと、時間を有効に使うことができました。授業では先生が分かりやすく説明してくださり、中国語を話す機会がとても多かったため、会話力を高めることができたと思います。
また、クラスにはさまざまな国や地域から来た留学生が多くいました。普段の会話は基本的に中国語だったため、授業以外でも中国語を話す機会がとても多くありました。自分とは異なる文化や価値観を持つ人たちと交流することで、新しい考え方に触れることができ、自分の視野も広がったと感じています。
毎週水曜日には、日本語を学んでいる中国人学生との交流活動がありました。そこでは、私は日本語を教え、中国人学生からは中国語を教えてもらっていました。お互いに言葉を教え合うことで、教科書では学べない自然な表現や中国の文化について知ることができました。
授業が始まる前にはクラス分けテストがあり、自分のレベルに合っていないと感じた場合は、最初の一週間は別のクラスへ移動することができました。私が選んだクラスでは、文法・スピーキング・リスニングの3科目を中心に学びました。授業では基本的に先生に指名されたら答えるという形式でしたが、授業によっては自分から発言する場面もありました。
留学したばかりの頃は、緊張や自分の中国語への自信のなさから、自分から話すことはあまりありませんでした。しかし、先生方が私の話を最後までしっかり聞いてくださったおかげで、少しずつ自分から話す勇気が持てるようになりました。授業では話す機会がとても多かったため、自然と中国語が身についていったと感じています。
私のクラスは全部で28人おり、日本人は4人いました。そのほかにもロシアや韓国など、さまざまな国の学生と一緒に授業を受けていました。授業は基本的に同じ教室で行われましたが、曜日によっては別の教室になることもありました。
大学内での寮生活も、とても過ごしやすい環境でした。寮は2人部屋で、私は日本人の学生と同室でした。寮には多くの留学生が生活しており、多国籍な環境で過ごすことができました。部屋の中にはシャワーとトイレがありましたが、洗濯機は各階に設置されており、共同で利用していました。洗濯機を使うためには専用のアプリを入れる必要がありましたが、日本のアカウントでは利用できなかったため、中国用のアカウントを新しく作成する必要がありました。また、お風呂もアプリで料金をチャージしてから利用する仕組みで、シャワーを使用した分だけ料金が引かれるシステムになっていました。
大学のキャンパスはとても広く、食堂が3つあるほか、たくさんのお店もあり、とても生活しやすい環境でした。さらに、運動場ではバスケットボールや卓球、バレーボール、バドミントンなどを楽しむことができ、ラケットなどの道具を持っていれば、いつでも利用することができました。また、学校の周辺にもたくさんの屋台やお店が並んでおり、毎日がとても楽しかったです。学校では留学生も参加できるイベントがありました。その中でも一番印象に残っているのは、留学生が国ごとに料理を作り、中国人学生や他国の留学生に販売するイベントです。前日からチームのメンバーと一緒に料理を作り、協力しながら準備を進めた時間は、とても楽しい思い出になりました。
中国では交通機関がとても安く、便利でした。また、街のさまざまな場所にシェアサイクルが設置されており、スマートフォンがあれば簡単に利用できるため、とても便利でした。さらに、電車やバスも日本より料金が安く、気軽に西安の観光地やさまざまな場所へ出かけることができました。中国では現金を使う機会がほとんどありませんでした。会計や予約、料理の注文なども基本的にはスマートフォンで行われていました。
また、留学中にはさまざまな場所へ遊びに行ったり旅行をしたりしました。西安にある有名な兵馬俑を見たときは、その迫力にとても驚きました。ほかにも重慶や北京へ旅行に行きましたが、場所が変わるだけで街の雰囲気や食文化も異なり、中国の広さを実感しました。
今回の留学を通して、中国語の語学力だけでなく、自分から積極的に行動する姿勢や、多様な文化や価値観を受け入れることの大切さを学ぶことができました。台湾への留学経験があったからこそ、中国との違いをより深く理解することができたと感じています。また、世界各国から集まった留学生との交流を通して、自分の考え方や視野も大きく広がりました。留学前は不安もありましたが、実際に生活してみることで、その不安は自信へと変わり、多くのことに挑戦する大切さを実感しました。
この4か月間で得た経験は、語学力だけではなく、人として成長するための大きな財産になったと思います。今後も中国語の学習を続け、今回の経験を大学生活や将来の仕事に生かしていきたいと考えています。

私は2025年10月から2026年7月まで、ドイツのマールブルク大学へ留学していました。
ドイツに到着してからフランクフルトのホテルに泊まり、その翌日にマールブルクへと出発しました。マールブルクに着いてからはまず大学へ向かい、書類を提出し、寮の鍵の受け取りなどを済ませて学生寮に向かいました。私の学生寮はワンフロアに30人ほどが住んでおり、そのうち10人ずつでキッチンやトイレなどを共有していました。同じエリアを共有していた寮生はドイツ人だけでなく、他の国から来た留学生もおり、英語で会話することも多くありました。
共同生活の中では、冷蔵庫の中身を取り違えて勝手に使われてしまうなどのトラブルも多々ありました。また、キッチンで一度に調理できるのが2、3人ほどだったため、譲り合ったりする必要もあり、皆が気を使いながら生活する必要もありました。しかし、寮生活の中で仲良くなった人たちと共用スペースでカードゲームをしたり、卓球ができるスペースを利用したりするなど、交流する機会もたくさんありました。
ドイツに着いてからは、保険や滞在許可証の取得、銀行口座の開設など、やることがたくさんありました。その中でも滞在許可証の取得には時間がかかり、予約がなかなか取れなかったためメールをしたりしましたが、ドイツの滞在局は基本的にメールの返信が遅く、2、3週間たっても全く返信が来ませんでした。保険に関しても少しトラブルがあり、メールを送ったのですが、こちらに関しても返信がとても遅かったため、滞在局や保険のオフィスに実際に訪れて説明するのが一番手っ取り早いと感じました。もし何かトラブルがある場合は、メールではなく実際にオフィスなどを訪れることをお勧めします。ドイツでの授業が始まるまでは、マールブルクを見て回ったり、買い物をしたりしながら徐々にドイツでの生活に慣れていき、1か月もたたないうちに、日本とは違う生活習慣も身についていきました。
マールブルク大学ではドイツチケットがあり、ドイツ国内のバスや電車が乗り放題になるため、普段の生活での移動やドイツ国内への旅行など、たくさん利用することができました。
留学生活の前半では、ドイツで有名なクリスマスマーケットに4か所ほど訪れ、そこでさまざまな食べ物やグリューワインなどを飲みました。ワインを飲むのはこの時が初めてだったため、少し度が強く感じました。そのため、お酒が得意ではない人は水などを持参しておいた方が良いと思います。それ以外では、ケルン大聖堂や教会なども見て回りました。
マールブルク大学での授業は、学部授業と語学コースの授業を履修していました。語学コースの授業は自分のレベルに合ったコースを受講できるのですが、学部授業はドイツ人が受けている授業に混ざるため、レベルが高く、ついていくのも大変でした。学部授業に関しては、スライドの内容だけでも知らない単語がたくさん出てくるため、分からない単語を調べたりするのに多くの時間を使い、授業についていくだけでも精一杯でした。寮に帰ってからも、スライドの内容を自分なりにまとめたり、分からない文法を調べたりと、多くの時間を使いました。マールブルク大学では留学生が受けられる授業が少なく、授業外でたくさんの単語を覚えたり、文法を使って文章を書く練習をしたりと、自分なりに勉強をする必要が他の留学先よりもあると思います。そのため、毎日の継続が重要になってきます。
先ほど書いた通り、学生寮では他の国からの留学生もおり、みんながみんなドイツ語の習得を目標に来ているわけではないため、ドイツ人の学生が寮にいない時間帯は、ほとんど英語での会話になってしまうこともありました。そのため、ドイツ語をアウトプットしたい場合は、積極的にドイツ人の寮生に話しかけることが大切です。私自身、あまりコミュニケーションが得意なわけではないのですが、私が何かを伝えようと拙いドイツ語でも必死に話していると、相手も分かりやすい単語や文法を使ってくれたり、ゆっくり話してくれたりしたため、自分から話しかけることへの抵抗が少なくなりました。コミュニケーションをとる中で思ったこととしては、勉強したことをそのまま実際に使えるようにするのが、私にとってはなかなか難しいことだと感じました。たくさん単語を覚えても、実際の会話ですぐに単語が出てこなかったり、使い方を間違えたりすることもありました。そのため、単に勉強するのではなく、実際の会話の中でどのような使い方をしていたのかを覚えて使っていくことも、ドイツ人と話すうえでの良い勉強法になっていると思いました。
マールブルクでたくさんの時間を過ごしていくうちに、留学する前との印象が変わったこともいくつかありました。ドイツ人は真面目で少し堅い印象がありましたが、実際に話してみるとみんな優しく、あまり堅いという印象はありませんでした。街中でも私が困っていた時に話しかけてくれ、荷物を運ぶのを手伝ってくれる人もいたため、今では真面目という印象よりも、とても親切で優しい人が多いという印象があります。
その他にドイツで印象が変わった点は、ドイツは時間厳守という印象です。
時間やルールに厳しいという印象があったのですが、ドイツの電車は遅れたり、ホームが変わったりすることがとても多かったです。そのため、旅行をするときなど帰る時間がとても遅くなってしまったり、乗り継ぎの際にみんな走っていたりと、大変なこともありましたが、今となってはそれも良い思い出となっています。
帰国が近づいてくるにつれ、住民登録の抹消や大学関係の手続き、保険や銀行口座の閉鎖など、することがたくさん出てきます。住民登録の抹消はメールでもでき、PDFに必要事項を書き込んで送信するだけで完了するため、滞在許可証を受け取るときとは違って滞在局に行く必要もなく、スムーズに終わります。寮の退去についても、スーツケースに入らない荷物のうち、調味料やキッチン用品などは他の寮生に使ってもらえるように、キッチンの共用スペースにメッセージと一緒に置いてきました。実際に使ったという感謝のメールを送ってきてくれる人もいて、嬉しかったです。
留学を通して学んだこととして、留学前はドイツ語を上達させることを一番の目標としていたのですが、実際の生活を通して、語学力の上達だけでなく、人とのつながりや、自分から行動すること、異なる価値観を受け入れることの大切さなど、たくさんのことを学ぶことができました。

2025年8月から2026年7月までの1年間、私は中国の長い歴史を誇る古都・西安にある「西安外国語大学」へ留学しました。
今回の留学における最大の目的は、大学で学んできた中国語の実践的な運用能力を高め、より流暢に話せるようになることでした。そしてもう一つの大きな目的は、日本ではなかなか味わえない多国籍な環境に身を置き、世界各国から集まる留学生たちと交流しながら異文化を肌で学ぶことでした。
大きな期待と少しの不安を胸に踏み出した留学生活でしたが、実際に現地で過ごした日々は、毎日が新鮮な驚きと学びに満ちた非常に濃密で忘れがたい時間となりました。
西安に到着して真っ先に驚かされたのは、日本との気候の違い、特に冬場の厳しさでした。西安の冬は想像以上に寒さが厳しく、真冬の朝には気温がマイナス4℃まで下がる日も珍しくありませんでした。外の空気は刺すように冷たく、深く息を吸い込むと喉の奥が痛むような感覚を覚えるほどでした。
そのため、ヒートテックや厚手のマフラー、手袋はもちろんのこと、頑丈な綿の上着を着るなど、万全の防寒対策を講じることが日課となりました。さらに苦労したのが、昼間と夜間の寒暖差の大きさです。日中は日が差して暖かくなっても、日が落ちると一気に冷え込むため、油断するとすぐに体調を崩してしまいます。
実際、留学初期の冬場には、環境の変化と寒暖差に対応できず、多くの外国人留学生が体調を崩して授業を欠席していました。私自身も「体調管理も留学生活の重要な一部である」と痛感し、手洗い・うがいの徹底や、暖かい飲み物を持ち歩くなどのセルフケアを意識するようになりました。
食事面においては、食文化の違いに順応する楽しさと大変さの両方を味わいました。西安の地元料理は油がかなり多めに使われており、炒め物が中心の食生活となります。大学の周辺には日本食店があまりなかったため、基本的には現地の味付けに適応していく必要がありました。
幸いなことに、西安外国語大学の構内には食堂などの食事処が4〜5箇所もあり、各食堂で多種多様なメニューが提供されていました。毎日日替わりでさまざまなローカルフードを楽しむことができたため、食に飽きることはありませんでした。また、夜になると大学の敷地外に数多くの屋台が立ち並び、香ばしい匂いとともにさまざまな現地料理が売られ、友人たちと食べ歩くのが日常の大きな楽しみとなりました。
また、西安外国語大学のキャンパスは非常に広大で、まるで「一つの小さな街」のような機能を備えていました。敷地内には複数の食堂だけでなく、スーパーやコンビニ、マクドナルド、ケンタッキーといったファストフード店まで揃っています。さらに、理髪店、ネイルサロン、マッサージ屋、クリーニング屋、郵便局に至るまで、生活に必要な施設やサービスがすべてキャンパス内で完結できる仕組みになっており、非常に快適で恵まれた生活環境でした。
寮生活では、中国ならではの徹底されたデジタル化社会と厳しいルールを体験しました。寮は二人一部屋の相部屋で、門限は朝6:30開門・夜23:30閉門と厳格に定められていました。
特に衝撃を受けたのは、設備利用の完全なキャッシュレス・デジタル化です。各階に1〜2台設置されている洗濯機を利用するときも、シャワーを浴びるときも、すべてスマートフォンで専用のQRコードを読み取って決済や起動を行う仕組みになっていました。現金を使う機会は皆無で、日用品の買い出しから学内設備の利用まで「何をするにもスマホが必要」という、中国の先進的なデジタル社会を身をもって体感しました。
一方で、管理体制も徹底されていました。短期休暇の際には、先生から留学生全員に対して旅行先の詳細や行動計画の提出が求められるなど、安全面に対する配慮と管理がしっかり行われており、安心して生活を送ることができました。
授業は毎朝8時から12時までの午前中に行われ、「精読(総合)」「聴解(ヒアリング)」「口語(スピーキング)」といった科目を学びました。
留学開始時の最初の1週間は、様々なクラスの授業を試聴して自由に選択できる期間が設けられており、自分の現在の語学力にぴったり合ったレベルの環境を整えることができました。私が選択したクラスでは、文法事項を非常に細かく丁寧に指導してくれたため、曖昧だった知識を再整理し、基礎からしっかりと学力を伸ばすことができました。毎週の単語テストに加え、中間テストや期末テストも定期的に実施されたため、日々の学習習慣が自然と身につきました。
教室には世界各国からの留学生が集まっていましたが、授業中に英語を使うことは一切禁止されており、すべてのコミュニケーションが中国語で行われました。国籍や文化背景がまったく異なるクラスメイトと、共通言語である「中国語」だけを使って会話や意見交換をする体験は、語学学習に対する大きなモチベーションとなりました。
午後は授業がないため、時間を自由に使うことができました。各自が思い思いの時間を過ごしており、ジムで汗を流す学生、ショッピングセンターや市内の観光地へ出かける学生、球技などのスポーツや勉強に費やす学生など様々でした。土日を利用して、少し足を伸ばして旅行に出かける学生も多くいました。
生活面で忘れられない経験の一つとして、現地での病院受診が挙げられます。留学中に怪我や病気になったときは、すぐに学校外に歩いて5分ほどの学校病院に行って診察を受けていました。それでもなかなか治らなかったときは、少し大きな病院に行っていました。現地の医療機関で自分の症状を中国語で説明し、手続きを行うのは緊張の連続でしたが、この経験も自分の度胸と語学力を試す機会となりました。
この1年間の留学生活を通じて、私は単に中国語の語学力が向上しただけでなく、環境の変化に柔軟に適応する力や、自立して生活するたくましさが身についたと感じています。文化や生活習慣の違いに戸惑うこともありましたが、現地の環境に飛び込み、世界中の友人とともに学んだ時間は私にとってかけがえのない財産となりました。この経験や度胸を、今後の人生やキャリアにしっかりと活かしていきたいと思います。

私は2025年9月から2026年7月までドイツ、ヴッパータールにありますヴッパータール大学に留学していました。約10カ月と長い期間留学をしていましたが楽しいこともあれば辛いこと、挫折したことなどが沢山あった忘れない時間でした。
私が留学をしたきっかけは、元々ドイツの政治背景を通してドイツの文化やどのような生活をしているか興味を持ち、隣国と近くに位置するノルトライン=ヴェストファーレン州のヴッパータールで机上の学習だけではなく現地で調べてみたいと思ったことが大きなきっかけでした。ヴッパータールは中世の街並みではなく現代の街並みのような見た目をしていて、私が住んでいた寮近くでは静かで騒音等はなくとても過ごしやすい場所デュッセルドルフやケルンなどといった主要都市からも近いので、休日は友達とショッピングや観光をして過ごしていました。大学も近くにあり寮からは徒歩10分もかかりませんでしたが、寮の上に大学があるので毎朝沢山の階段を上って登校し、毎日疲れながら教室で授業を受けていました。
ドイツにきて1カ月もするとその地域での生活も慣れヴッパータール以外の地域に行くことも増えました。例えばデュッセルドルフ、私が約一年間ドイツで生活できたのはデュッセルドルフのおかげとも過言ではありません。ここは日本人が沢山いて日本とドイツが混合する街で日本人の私が歩いた時に日本語で話しかけられるなどかなりありました。日本人が沢山いるのでもちろん日本人の方が経営するお店も多々あり、そこで日本食を買ったりし、あまり料理が得意ではない私からすると心身ともに助かった場所でした。
そのほかにもたくさんの地域に行きましたが中でも強く印象に残ったのはボンでした。私はクラシック音楽が好きでよく聞いていたのですが、ふとどういった環境で作曲者は育ったのか、どういった心象で作曲したのかとドイツで生活しているにつれて思いベートーヴェンの生家にいって自分なりに調べました。実際に生家を訪れてみると、今まで音楽を聴いているだけでは想像することのできなかったベートーヴェンの生きた時代や生活を身近に感じることができました。特に、彼がどのような場所で生まれ育ち、どのような経験をしながらあの偉大な作品を生み出したのかを知ることで、これまでとは違った視点で音楽を聴くようになりました。
単に曲そのものを楽しむだけでなく、その背景にある作曲者の人生や感情にも思いを巡らせるようになったことは、ドイツで生活したからこそ得られた大きな発見だったと思います。
また、ボンには大きな大聖堂があり、そこで初めてミサに参加しました。日本で生活していた頃には、教会のミサに参加する機会はほとんどなかったため、最初はどのような雰囲気なのかも分からず、少し緊張していました。しかし、実際に参加してみると、静かな大聖堂の中に響く聖歌や、参加している方々が真剣に祈る姿がとても印象に残りました。普段の生活ではなかなか触れることのない文化を、実際にその場に身を置いて体験できたことで、ドイツの文化をより身近に感じることができました。そしてミサの中では、参加者が前に進み、パンを受け取る場面がありました。私はそれまでこのような経験をしたことがなかったため、周囲の人の様子を見ながら参加しました。実際にその場にいることで、キリスト教が単なる宗教として存在しているのではなく、現地の人々の生活や文化の一部として根付いていることを感じました。言葉や習慣が分からない中でも、周囲の人々の行動を見ながらその文化を体験していくことは、留学ならではの経験だったと思います。
しかしこのような楽しいこともあれば辛いこともありました。異国の地での人間関係や私が苦手な虫の大量発生など、一時期精神面で参ってしまった時がありました。今まで日本語を使い意思疎通を図っていましたがドイツではそうはいかないので最初はとても大変で特に、言葉が通じないのは自分の不甲斐なさを実感し落ち込みました。また、虫による被害で一度部屋を変更することになったことです。日本で生活している時にはあまり経験したことのない出来事だったため、最初は驚きましたし、慣れない環境で生活している中でのトラブルだったこともあり、精神的にも辛く感じました。部屋を変更することになってからは、荷物をまとめたり、新しい部屋の環境に慣れたりする必要があり、想像していた留学生活とは違う大変さを感じました。
しかし、こうした予想していなかった問題を経験したことで、海外で生活する際には、言葉や文化の違いだけでなく、生活環境の違いにも柔軟に対応する必要があるのだと実感しました。また、困った際には一人で抱え込まず、周囲の人に相談して助けを求めることの大切さも学びました。
そしてこの留学を通して私が特に大切だと感じたことは、自分から行動することです。留学中は、言葉や文化の違いから、最初は分からないことや不安に感じることも多くありました。しかし、分からないからといって何もしなければ、何も変わらないということにも気付きました。実際に、自分から人に話しかけたり、興味を持った場所へ足を運んだり、分からないことを周囲の人に尋ねたりすることで、少しずつ新しい環境に慣れていくことができました。
また、ボンでのミサへの参加や、ベートーヴェンの生家を訪れたことも、自分から興味を持って行動したからこそ得られた経験でした。もちろん、慣れない環境の中で自分から行動することには勇気が必要でしたが、実際に一歩踏み出してみることで、日本にいるだけでは得られなかった多くの発見や学びがありました。
留学をする前は、海外で生活することに対して楽しみな気持ちがある一方で、不安な気持ちもありました。しかし、実際に生活してみると、楽しいことだけでなく、部屋を変更することになるなど、思い通りにいかない経験もありました。そのような場面でも、自分で考え、周囲に相談しながら行動することで乗り越えることができました。この経験を通して、環境が変わったときこそ、自分から一歩踏み出すことが大切なのだと学びました。
今回の留学で得た経験や、そこで身につけた行動力をこれからの生活でも生かしていきたいと思います。新しい環境や困難に直面した際にも、最初から諦めるのではなく、自分から行動することで新たな可能性を見つけていきたいです。

私は5月末から約3か月間、カナダに留学してきました。
行く前まではとても緊張していて、正直不安でした。実際、学校でもホームステイ先でも英語を話さなければならないので、相手に自分の言いたいことをきちんと伝えられるのか心配でした。
しかし、ホストマザーは私をとても温かく迎え入れてくれました。最初は英語で話すことに緊張していましたが、ホストマザーが優しく話しかけてくれたので、少しずつ安心することができました。分からない英語があったときも、私が理解できるようにゆっくり話してくれたり、別の言い方で説明してくれたりしました。そのおかげで、英語がうまく話せなくても、積極的にコミュニケーションを取ってみようと思えるようになりました。
留学生活が始まって最初の週は、PEIのことを何も知らなかったので、ホストマザーがいろいろな場所に連れて行ってくれました。その中でも特に印象に残っているのが、ビーチに連れて行ってくれたことです。そこは海や砂浜がとてもきれいで、日本とは違った景色を見ることができ、とても感動しました。留学したばかりで緊張していた私にとって、きれいな景色を見ながらホストマザーと過ごした時間は、とても楽しく、安心できる時間でした。
また、ホストマザーと一緒に過ごす中で、PEIの生活や文化についても知ることができました。分からないことがあると教えてくれたり、私の話を聞いてくれたりして、まるで本当の家族のように接してくれました。3か月間の留学を振り返ると、ホストマザーとの時間は特に心に残っています。最初は不安でいっぱいだった私を温かく受け入れてくれて、たくさんの経験をさせてくれたことにとても感謝しています。ホストマザーと一緒に過ごした時間は、今回の留学での大切な思い出の一つになりました。
その次の日には学校が始まって、新しいクラスメイトとオリエンテーションを受けました。そのオリエンテーションでは、学校のルールや授業についての説明などを受けました。しかし、そのオリエンテーションは英語とフランス語で説明されていたので、日本人の私からしたら少し残念でした。英語だけでも理解することが難しいのに、フランス語も加わることで、最初は内容を理解するのに少し苦労しました。それでも、周りの人たちの様子を見ながら説明を聞いたり、分からないところは自分なりに考えたりして、なんとかオリエンテーションを終えることができました。
それ以降からは英語だけの生活が始まって、本格的に海外にいることに実感がわきました。学校ではもちろん、ホストファミリーと話すときにも英語を使うので、日本語を使う機会がほとんどなくなりました。最初の頃は、自分の言いたいことをすぐに英語にすることができず、会話についていくのが大変でした。しかし、毎日英語を使っているうちに、少しずつ英語を聞くことや話すことにも慣れていきました。日本にいるときとは違い、分からなくても自分から話さなければならない環境だったので、自然と英語を使う機会が増えていきました。
私が所属していたプログラムは基本的に、午前は語学の授業を受けて、午後はアクティビティで外に出ていろいろなところを見学したりします。午前の授業では、英語の文法や単語だけではなく、実際の会話で使う表現なども学びました。午後のアクティビティでは、学校の中だけではなく外に出ることができたので、勉強だけでなくカナダの景色や文化を知ることもできました。実際にいろいろな場所へ行くことで、教室で英語を勉強するだけでは分からないこともたくさん知ることができました。
しかし、私は週に三日間はインストラクターとマンツーマンで授業をしていたので、クラスメイトの友達と過ごす期間が少なかったです。マンツーマンの授業では、自分の英語力に合わせて授業を進めてもらうことができたので、英語を勉強するという面ではとても良い経験になりました。一方で、クラスメイトと一緒に授業を受けたり、会話をしたりする時間が少なかったので、友達と交流する機会が少なくなってしまいました。そのため、クラスメイトと一緒に過ごせる時間は大切にするようにしていました。
週末にもたまにアクティビティがあり、赤毛のアンのミュージカルを見に行きました。赤毛のアンはPEIに関係の深い作品なので、実際に現地でミュージカルを見ることができたのはとても印象に残っています。もちろんミュージカルも英語だったので、すべての内容を理解することはできませんでしたが、出演している人たちの演技や歌、会場の雰囲気などを楽しむことができました。日本にいるときにはなかなかできないような経験だったので、留学中の思い出の一つになりました。
終盤になるにつれて授業のハードルも高くなっていって、正直ついていくのが厳しかったです。最初の頃よりも難しい単語や表現が増えたり、自分の意見を英語で伝えたりする機会も多くなりました。特に討論の授業ではみんなの足を引っ張ってしまいました。自分の意見を日本語で考えることはできても、それを英語にしてすぐに発言することが難しく、なかなか会話に入ることができませんでした。周りの人たちが積極的に発言している中で、自分だけうまく話せないことが悔しく感じることもありました。しかし、少なくとも、日本でこのような経験はあまりしてこなかったので、いい経験になったと思います。自分の英語力がまだまだ足りないことを実感することもできましたし、同時に、実際に英語を使って授業を受けたり、海外の人たちと一緒に活動したりすることでしか得られない経験もたくさんありました。大変だと感じることもありましたが、そのような経験があったからこそ、自分に足りないものやこれからもっと頑張りたいことを知ることができたと思います。
一か月と数日が過ぎて今までいたクラスメイトが自分たちのホームタウンに帰ってしまったのでとても悲しかったです。その翌日から一週間はスタッフとともに、PEIの歴史的建造物の周辺を回ったり、ハイキングをしたり、建物の中に入って説明を受けたりしました。
そのあとに新しいクラスメイトと授業を受けることになりました。授業の内容は前回の内容と同じものもあったので案外スムーズに授業を受けることができました。今回の留学生は前回に比べて人数も多かったので話す機会が自然と増えました。放課後に遊ぶ機会も増えてより英語で話す場面がたくさんありました。
私がPEIに来て驚いたことは、日が昇っている時間が日本と比べてとても長いことです。基本的に日本は5時から6時には暗くなってきますが、PEIでは9時あたりでようやく日が沈み始めます。なので、まだ夕方なのかと錯覚してしまいます。
そして、PEIではカキが有名と聞いていましたが、私は正直苦手だったのでがっかりしていましたが、せっかくここまで来たのでどのぐらい違うのかを検証してみたかったので食べてみたのですが、想像以上においしかったです。

私は2026年3月から約4か月間、中国にある西安外国語大学で留学生活を送りました。
私にとって長期留学は2回目でしたが、1度目の留学を終えてから2度目の留学が始まるまでの間、自分の中国語力に何の成長を感じることができず、不安や焦りを抱えながら過ごしていました。
1度目の留学では、中国語を学ぶために現地へ行ったにもかかわらず、日本人との交流が中心となり、現地人と話す機会はあまり多くありませんでした。また、慣れない環境での生活に疲れ、授業以外では積極的に外へ出たり新しい人と交流したりすることも少なかったため、中国語を実際に使う場面が限られていました。その結果、簡単な聞き取りや初歩的な日常会話でさえ思うようにできず、現地に行けば自然に話せるようになるというような甘い考えをしていたことを実感しました。
1度目の留学中は中国語で会話をしようとすると言葉が出てこず、聞き取れる内容も限られていました。せっかく現地へ行ったのに十分に中国語を使えなかったという後悔が大きく残り、次に留学しても同じ結果になってしまうのではないかという不安もありました。そのため、2度目の留学までの期間は期待よりも焦りの方が大きく、同じ失敗をしないようにという強い意識だけがありました。
その反省から、2度目の留学では自分から積極的に行動し、中国人や外国人との交流を増やすことを目標にしました。語学力を伸ばすためには授業だけでなく、実際に中国語を使う機会を増やすことが必要だと考えたからです。その目標を達成するために積極的に参加したのが、日本語コーナーという交流会でした。日本語コーナーは、日本語を学びたい中国人学生と日本人留学生が交流する場であり、毎週開催されていました。最初は自分の中国語が伝わらなかったらどうしようという不安がありましたが、参加してみると、お互いがお互いの国に興味を持っているため会話がしやすく、中国語が完璧ではなくても相手が理解しようとしてくれました。そのため、毎週参加するうちに自然と交流の輪が広がり、中国人の友人もできました。
また、日本語コーナーだけではなく、同じクラスの外国人留学生とも積極的に交流しました。相手の母語はそれぞれ異なり、共通して話せる言語は中国語しかありませんでした。そのため、知っている単語や文法だけを使ってでも伝えようと努力しなければならず、授業だけでは得られない実践的な経験を積むことができました。言葉に詰まることも多くありましたが、間違えても伝えようとすることが大切だという考え方に変わり、中国語を話すことへの抵抗感も少しずつなくなりました。
外国人留学生との交流では、それぞれの国の文化や生活習慣について話す機会が多くありました。同じ中国語を使っていても、母語が違うため話すスピードや発音にも違いがあり、最初は聞き取ることが難しい場面もありました。しかし、会話を重ねることで少しずつ耳も慣れ、自分の中国語を話す能力にも多少の自信が持てるようになりました。
留学生活では、様々な場面で中国語を使いました。主に店員さんや友人と会話をする経験を繰り返すことで、中国語を使うことにゆっくりと慣れていきました。最初は正しく話しているつもりでも発音や文法が間違っていて、うまくコミュニケーションが取れず、悔しい思いをすることがほとんどでした、しかし、留学後半になると慣れも出てきて、中国語を話すことに対する抵抗や緊張感がなくなりました。
さらに、中国で生活する中では、日本との文化や価値観の違いを感じる場面も多くありました。食文化や生活リズム、人との距離感など、日本では当たり前だと思っていたことが中国では違うことも多く、毎日が新しい発見の連続でした。最初は戸惑うことも辛いと思うこともありましたが、結果的に自分自身の視野が広がったように感じます。
この留学では語学力だけではなく、異文化理解も深まりました。中国人だけでなく、さまざまな国や地域から来た留学生と交流することで、それぞれの母国語や文化、価値観の違いを知ることができました。同じ出来事でも国によって考え方が異なることが多く、新しい発見の連続でした。自分の常識だけで物事を判断せず、相手の立場や文化を理解しようとする姿勢の大切さを学ぶことができたことは、留学ならではの貴重な経験だったと思います。
今回の留学を通して、語学力を伸ばすために最も重要なのは、間違いを恐れず、自分から行動することだと学びました。1度目の留学では何も成長できなかった自分が、2度目では自分から交流の場へ足を運び、多くの人と関わることで、自信や積極性を身につけることができました。以前は、中国語で話しかけられると間違えたらどうしようという気持ちが先に立ってしまい、自分から話すことを避けていました。しかし、今回の留学では、伝わらなくても挑戦することに意味があると考えられるようになりました。この考え方は語学だけではなく、新しいことへ挑戦する姿勢にもつながったと思います。また、たくさんの人との交流を通して、自分から行動することで新しい出会いや経験が生まれることも学びました。もし日本語コーナーへ参加していなければ、中国人の友人もできず、外国人留学生とも深く関わることは無かったと思います。勇気を出して一歩踏み出したことで、留学生活は1度目と比べ、より充実した成長の機会になったと思います。
この経験は中国語学習だけではなく、今後社会に出てからも、人と関わる場面や新しい環境へ挑戦する場面で必ず役立つと考えています。私は現在、接客のアルバイトをしていますが、相手の立場に立って考えることや、自分から積極的にコミュニケーションを取る姿勢は、留学生活を通してより身についたと感じています。もちろん今も満足のいく中国語力はついていませんが、今後も中国語学習を継続し、留学で得た語学力や異文化理解、積極的に行動する姿勢を活かしていきたいです。そして、中国語を活用できる場面をさらに増やし、自分自身の成長につなげていきたいと思います。今回の留学は、中国語だけではなく、自分自身の考え方や行動を大きく変えることができた、私にとってかけがえのない4か月間でした。

私は2026年3月から6月までの約4ヶ月間、国立ハンバッ大学で交換留学をしました。
この留学生活で語学力はもちろん多くの新しい出会いを経験することで人としても成長することができたと感じます。初めは、韓国に留学に行くことがこれからの自分に役立つのか、本当にこの選択があっているか悩んだ時もありましたが、留学を終えた今では、挑戦して、行くことができて本当に良かったと心から感じています。
私が留学を希望した理由は、大学で第二外国語として韓国語を学ぶ中で、韓国語の運用力をさらに高めたいと感じたことと、これまで日本語学習者の視点から見た日本語教育や多文化共生、異文化理解について学んできて、実際に自らが他国で学ぶ立場となることで、より深い異文化理解を得たいと考えたからです。また、社会人になると長期間海外で生活する機会は限られるため、大学生のうちに挑戦したいと感じたためです。
韓国には旅行で何度か訪れたことはありましたが、実際に生活をすることは毎日新しい経験の連続でとても新鮮でした。留学生が履修する韓国語の授業ははじめに簡単な筆記のテストと会話のテストがあり、それをもとに先生が個人個人に合ったレベルのクラスをお勧めしてくれました。自分の不足している分野や自分が学ぶのに適しているクラスを履修の際に的確に知ることができたことがすごく良かったと感じています。そこで、自分の韓国語レベルより少し高いクラスで学んだことは、特に自分にとって大きな学びとなりました。最初は思っていたものと違って周りのレベルに圧倒され、ついていけるのかと不安と焦りを感じることもありました。しかし、それが逆に自習を進んで行うことにつながり自然に授業外での学習時間を増やすことができ、成長を実感できました。また、日本語学科の授業を履修できたことも語学力向上に大幅につながりました。日本語学科の授業は留学生向けの授業と異なり、韓国人の学生とのグループワークが多く現地の学生と直接コミュニケーションをとるため、学生が日常生活でよく使う表現を学ぶこともでき、何より自分の気持ちや意見を積極的に伝える必要があったので、最初は自分の思いをうまく伝えられず苦労したり申し訳なく感じることもありましたが、回数を重ねるうちに自信を持って話せるようになり、韓国語でコミュニケーションを取ることへの抵抗もなくなりました。
特に「韓日異文化コミュニケーション教育」と「日本語教科教材研究及び指導法」の授業が印象に残っています。「韓日異文化コミュニケーション教育」の授業では、韓国側から見た日本文化について学びました。これまで当たり前だと思っていた日本の文化や習慣が、韓国では異なる視点から捉えられていることを知り、新たな発見が多くありました。また、自分自身も気づいていなかった日本文化の特徴や魅力を客観的に見つめ直す機会となり、異文化理解とは相手の文化を知るだけでなく、自国の文化を改めて理解することでもあると実感しました。「日本語教科教材研究及び指導法」の授業では、韓国における日本語教育や日本語教師の指導法について学びました。授業の最終課題では、グループで日本語の教科書を作成し、その教材を用いて50分間の模擬授業を行いました。教材を作成する過程では、教師として日本語を教える際に配慮すべき点や、学習者の理解を深めるための教材・教具の活用方法について学ぶことができました。また、実際に学習者の意見を聞くことで、日本語母語話者である私では気づきにくい学習者の視点や疑問点を知ることができ、日本語教育について多角的に考える貴重な機会となりました。この授業を通して、教える立場と学ぶ立場の双方の視点から日本語を捉えることの重要性を実感しました。
大学での学びだけでなく日常生活の中でも、日本では経験できない学びが多くありました。様々な国から来ている留学生と交流し、親睦を深めることができたことは、留学をしなければ得ることのできなかった貴重な出会いでした。韓国の文化だけでなく、それぞれの国の文化や価値観に触れることで、多様な考え方を知ることができ、異文化理解を体感することができました。大きなカルチャーショックは特になかったものの、実際に韓国で生活する中で、日常の場面から文化の違いを感じることがありました。食文化では、韓国では料理を複数人でシェアして食べる機会が多いことです。日本では一人ひとりがそれぞれ注文した料理を食べることも多いですが、韓国では大きな鍋料理や複数のおかず、デザートなどもみんなで分け合いながら食事を楽しむことが自然に行われていました。食事は単に料理を味わうだけでなく、人とのつながりを深める大切な時間とされていることを実感しました。
この留学生活で成長したと感じることは、自分から積極的に行動する力と失敗を恐れず挑戦する向上心を身につけたことです。留学当初は、韓国語で自分の気持ちを伝えることへの不安や間違えることへの恐れがありました。しかし、この限られた期間では、授業や日常生活の中で自分から行動しないとただ時間だけが過ぎていくことを実感し、有意義に過ごしたいと思うほど恐怖心は消えていきました。また、その行動で得られた経験や出会いが、さらに挑戦する姿勢を育ててくれたと感じています。このような留学で得た経験や成長を一時的なものにするのではなく、今後の学びや将来につなげていくことができるようにしたいと思っています。
今後は、留学で得た経験や学びを活かし、さらに自分自身を成長させていきたいと考えています。まずは、留学を通して身につけた韓国語力をさらに向上させ、韓国語能力試験の受験にも挑戦したいです。
約4か月間の留学生活を振り返ると、毎日を楽しく充実した時間として過ごすことができました。このように過ごし成長できたのは、韓国で出会った多くの人たちが温かく親切に接してくれ、いつも支えてくれたからだと感じています。授業や日常生活の中で関わった友人たちは、韓国語での会話に不安があった私にも積極的に話しかけてくれ、たくさんの思い出を作ってくれました。留学を通して得た語学力や経験だけでなく、国を越えてつながることのできた大切な出会いと友人は、私にとって一生忘れられない財産になりました。

幼少期に英語を学び始めて以来、「海外で学びたい」という想いは私の中で大きな目標であり続けていました。大学進学後、まずセブ島での短期留学を実現させました。そこで培った基礎的な英語力と異文化への関心を背景に、「より本格的な学術・生活環境で自分の力を試したい」という意欲が高まり、アメリカの大学付属語学学校(CESL)へ、4か月半にわたり留学することを決定しました。友人とともに渡航し家事等の必要もなかったセブ島留学とは異なり、今回の留学は単身での渡航であり、家事や生活の全般すべてを自力でこなす「真の自立」を伴う大きな挑戦となりました。
現地での生活拠点となったのは、多国籍な留学生が集まるアパート型の寮でした。一人ひとりに個室が割り当てられ、キッチンや洗濯機は共有、トイレとシャワーは隣室の学生と共有する形態です。セブ島では生活面の心配がなかったため、今回の完全な一人暮らしは私にとって何もかもが新鮮であると同時に、手探りの連続でした。自炊生活においては、日本との食文化や流通の違いに直面しました。スーパーで販売されている食材の量が非常に多いことや、スライス肉などがないため、お肉の塊を自分で切り分ける作業から始める必要がありました。また、調理器具の扱いに慣れなかったり食材が違ったりしたため、日本食を再現することに苦労することもありました。設備面においても、自室のトイレが何度も流れなくなり、その度にオフィスへ修理依頼を行うなど、日本では経験したことがない生活上のトラブルが生じました。英語で状況を説明して修理を手配したり、修理スタッフが訪問する前に部屋を慌てて片づけたりと手間を要する場面もありましたが、こうしたトラブルに一つ一つ自力で対処した経験は、異文化環境での適応能力や対応力を大きく高める良い機会になりました。
滞在地の街は車社会であり、公共交通機関があまり多くない点には不便さを感じることもありましたが、治安は安定しており、穏やかな環境の中で安心して生活を送ることができました。生活の中で特に印象に残っているのは、現地の人々のオープンなコミュニケーション文化です。街中や大学内において、見知らぬ人から洋服や靴を褒められる機会が多く、当初は驚いたものの、次第に自然なスモールトークを楽しめるようになりました。また、日本出身であることを伝えると、多くの人が興味を示してくれ、覚えたての日本語で嬉しそうに話しかけてくれました。自分たちの文化が海外で肯定的に受け入れられていることを実感すると同時に、言語を超えた意思疎通の楽しさを学ぶことができました。
語学学校の授業には様々な国籍の学生が在籍しており、母国語の違いによる英語のアクセントや表現の違いに触れることで、言語の多様性に対する理解が深まりました。特に大きな学びとなったのは、通常の授業とは別に約1か月間参加した「コミュニティ・エンゲージメント・プログラム」での経験です。このプログラムでは、各国から選抜された非常に優秀な「フルブライト留学生」の皆さんと共に活動する機会を得ました。
彼らの英語力はネイティブ並みであり、議論の展開や発言のスピードも非常に速いものでした。扱うテーマもSDGsなど高度な内容が多く、論理的な思考と迅速な理解が求められました。マンツーマン形式が中心で発言の機会が守られていたセブ島での授業とは異なり、アメリカでは主体的に発言しなければ議論に参加できないという現実を突きつけられました。元々集団内で発言することに苦手意識があったことも重なり、当初は会話の流れについていけず、自分の力不足に対する強い焦りと悔しさを経験しました。
この状況を乗り越えるため、自分に適したアプローチを模索しました。高いレベルの議論に無理に入り込もうとするのではなく、まずは相手の意見を尊重する姿勢を示しながら「聞き手に回る」ことに集中しました。また、「相手は経験も専門知識も豊富な年上の学生だから、全てを完全に理解できなくても、議論の大枠やニュアンスを把握できれば良いとしよう」と割り切り、過度な焦りを和らげるよう意識を変えていきました。
プログラムが始まった当初、大人で優秀な彼らを前にして、私は年齢や経験の差から勝手に気負ってしまい、「自分なんかがこの輪になじめるのだろうか」と大きな不安を抱いていました。しかし、私の心配をよそに、フルブライト生のみなさんは最初からとても優しくフレンドリーに話しかけてくれ、私の未熟な状況を否定することなく温かく包み込んでくれました。「自分には語れる専門性がない」と不安を口にした際には、「私たちは社会人経験を経て専門を持っているけれど、学生であるあなたはこれから探していく段階なのだから気にしなくていいんだよ」と優しくい助言を受け、胸が軽くなると同時に自己否定感を払拭することができました。さらに嬉しかったことに、彼らとの交流は授業の中だけに留まりませんでした。「女子メンバーでピクニックに行くからおいでよ」と声をかけてくれたり、プライベートな時間にも当然のように私を輪に入れてくれたのです。自分自身が勝手に感じていた壁を取り払い、一人の友人として、時には年の離れた妹のように接して授業外でも温かく仲良くしてくれたことは予期せぬ喜びであり、心の底から嬉しく感じた出来事でした。
また、留学開始から2か月が経過した時期には、中国人のクラスメイトに誘われ、シカゴへ旅行に出かけました。さらに留学を終え帰国前には、自信の成長を測るチャレンジとして、カリフォルニアへの単身旅行を行いました。フライトのトラブルや現地での不便な事態にも直面しましたが、自ら周囲の人々に話しかけることで問題を解決することができました。移動時に利用したUberのドライバーさんから「英語がとても上手で、意思がしっかり伝わっているよ」と褒めていただいたことは、自身の成長を客観的に実感できる貴重な機会となりました。
留学期間中、セブ島留学の時のような即効性のある手応えがすぐには得られず、「長期間滞在しているのに成長できていないのではないか」という不安を抱く時期もありましたが、最終的な単身旅行において問題なく現地の人々とコミュニケーションを図れたことで、長期的かつ確実に実践的な英語力が身についていたことを確信しました。相手の指示を待つのではなく、周囲に気後れせず自分の意思を明確に伝える姿勢を獲得できたことは、今回の留学における最大の成果だと感じています。
今回の4か月半のアメリカ留学は、語学力の向上にとどまらず、異文化環境下における自立心と、課題に対する解決能力を養う大変貴重な機会となりました。指導してくださった先生方、温かく迎えてくれたクラスメイト、そして渡航を支えてくれた家族や大学関係者の方々に、改めて心から感謝したいです。本留学で培った経験と自信をこれからの学業やキャリア形成に活かし、今後も新たな課題に対して積極的に挑戦を続けていきたいです。

僕は2025年10月から2026年7月までの10か月間ドイツのチューリンゲン州にあるイェーナに留学しました。
今回の留学は僕にとっての初めての海外だったので、最初は電車やバスなどの公共交通機関、スーパーマーケットでの買い物の仕方すらもままならず、まさに右も左もわからない状態でした。
しかし初めての海外ということもあり、大変ではありましたが楽しくもありました。さらに、同じタイミングで留学をする同じ大学の友人とも共に行動していたので、その友人と協力し少しずつ生活に慣れていきました。
留学先の大学の授業は10月の中旬からだったので、授業が始まるまでの期間は日本語が話せるドイツ人の方にサポートしていただき、銀行や携帯SIMの登録を済ませ、街の案内や近所で行われるお祭りに参加するなどしていました。日本ではありえないような全く見慣れない景色だったので、改めて自分が海外に来たという事実を実感しました。
そして、10月も中旬に入り早速授業が始まりました。
僕が前期で受けていた授業は5つで、発音、文法、対話をメインとしたディスカッションの授業、ドイツの歴史や地理に関する授業、そして麗澤大学の生徒用の少人数の授業がありました。正直、留学前までの僕は「留学に行けば語学力は勝手に身についていくもの」という甘い考えをしていました。
もちろん、留学前に1年半ドイツ語を学んでいたので、多少のドイツ語であれば理解することはできたのですが、いざ授業を受けてみると本当に何も理解できず、今まで自分がどれほど甘い考えをしていたのかを身をもって感じました。文法や発音の授業は、勉強すればするほど身についていったのであまり難しくはなかったのですが、ディスカッションの授業とドイツの歴史や地理の授業が本当に難しく、何度も心を押しつぶされそうになりました。ディスカッションの授業では、文法や単語が前提知識となる応用的な授業だったため、基礎がまるでなっていない自分にとって、授業のテーマを理解するだけで精一杯でした。さらに僕が受けていた授業はA2レベルのクラスで、同じくらいのレベルの留学生が多いはずだったのですが、「上のレベルの授業が難しかったので、一番下のレベルの授業を受けている」という留学生が半数を占めていて、明らかにB1~B2ほどの実力を持った主に中国人の留学生たちがディスカッションを牛耳っているという状況でした。その頃の僕はそもそも会話すらまともにできなかったので、出てきた単語をひたすらメモして、帰宅後にその単語について調べるなどをして勉強につなげていました。ドイツの歴史や地理の授業はA2とB1の留学生が合同で受ける授業で、さらに世界史やヨーロッパの地理の知識が前提知識となるため、そんな知識を持ち合わせていない僕にとってはかなり難易度の高い授業でした。授業のテーマで特に難しかったのが「徴兵制度について」でした。授業内で徴兵制度について話し合った後に、街中のドイツ人に「徴兵制度についてどう思うか」というアンケートをとってくる宿題が出されました。日本には徴兵制度がなく、僕自身、政治関係の知識に疎かったのでかなり難しかったです。さらに、ディスカッションの授業と歴史や地理の授業は週に2回ずつあったので、ほぼ毎日泣きながら帰っていました。そんな日々を続け、ついに前期のテスト週間がやってきたのですが、この期間が僕の留学の中で一番精神的に苦痛でした。文法や発音、歴史や地理の授業、麗澤大学生用の授業のテストは授業でやった内容がそのまま出る形式だったので、そこまで難しくはなかったのですが、ディスカッションの授業では45分間3人グループでそれぞれが決めたテーマについてディスカッションをするという内容でした。さらにテストで組むグループが、僕と、授業内で特にドイツ語のレベルが高い留学生の二人で、「この人たちのドイツ語のレベルについていけるのか。自分のつたないドイツ語がこの人たちの迷惑にならないだろうか。」というプレッシャーがかなりストレスでした。僕自身プレッシャーにかなり弱いタイプで、テストの予定がかなり詰まっていたこともあり、ストレスで吐き気を催し、呼吸ができなくなることが何度もありました。本当に精神が壊れそうになったときは家族に電話をかけるなどをしてストレスを軽減していました。そしてなんとかすべてのテストが終わり、すべての授業の単位を取得できました。本当に奇跡だったと思います。
10月から1月にかけては、冬だったのでイベントが少なかったことと、生活や授業に慣れることに手いっぱいであまりイェーナの外に出ることがなかったのですが、冬休み期間にクリスマスマーケットに参加しました。普段見ないような光景で、まるでおとぎ話の世界のようでした。グリューワインのマグカップが街によって種類が違うので集めていました。街中が華やかに飾りつけされ、遊園地が設営されていてとても綺麗でした。また、イェーナとは別の街に留学に行っている友達に会いにも行きました。Dチケットというドイツ国内の公共交通機関で使える定期券のようなチケットを使って片道10時間ほどかけて向かいました。友達が住んでいるのがヴッパータールという街でかなり西の方に位置していたので、とても時間がかかりましたがチューリンゲン州とはまた違った街並みがあり、面白かったです。2月と3月は春休み期間だったので、ドイツの有名な都市を訪れたり、隣国であるオランダとベルギーに旅行をしたりしました。ヨーロッパの冬は全く太陽が出ないので、旅行中はずっと雨か曇りだったのが少し残念です。また、前期のように勉強面で苦労をしないようにドイツ語をしっかり基礎から学びなおし、B1レベルの予習をしました。とても充実した長期休暇だったと思います。
4月からは麗澤から半年遅れでドイツに留学に来た友人と関わることが多くなり、生活が充実していきました。友人はとてもアクティブな性格だったので、一緒にご飯を食べたり、別の街のお祭りに遊びに行くのに付き合ってくれたりしました。今までは基本的に一人で行動することが多かったので、久しぶりに人と関わる温かさに触れてとても感動したことを覚えています。また、4月からは後期の授業が始まりました。後期は授業数が少なく、かなり生活に余裕があったので、いろいろなことに挑戦しました。イェーナ大学にはドイツ人用の日本語の授業があり、そこに参加しドイツ人の友人も何人か作ったり、日本語に興味があるドイツ人のイベントに積極的に参加したりしました。ドイツ語の能力も向上し、友人も作れるのでとてもいい挑戦だったと思います。僕のドイツ語が上達したのはネイティブのドイツ人との交流が増えたことが大きかったと思います。そのおかげで、後期の授業やテストは特に大きなストレスはなく、楽しく授業を受けることができました。
今回の留学で僕が学んだことは、「環境を変えるためにまず自分の意識を変える必要がある」という事です。前期の僕は「授業が難しすぎてドイツ語が伸びない」など他責な考えが強かったと思います。生徒のレベルが高かったので難しかったことは確かですが、授業が難しいならそれに対応できるように対策を練り続ければいずれ追いつけるようになり、諦めず努力し続けることで勝手に環境は変化していくものだということに気づきました。ただ勉強し続ける訳ではなく、ドイツ人との交流を増やすなど別の角度から学びを得ることもできるので、勉強だけに留めないことも大事だと思いました。また、ドイツ人の人間性にもかなり感化されました。周りの目をあまり気にせず、自分の目標に向かって一生懸命に努力する姿がとても素敵で、自分もそういう人間になろうと思いました。今回の留学で培った経験を活かし、今後も勉学に励みたいと思います。

はじめに
私は2025年9月から12月まで国立屏東大学、2026年2月から6月まで静宜大学に留学し、計8か月間、台湾への交換留学を行いました。
私が留学を決めた理由は三つあります。一つ目は、中国語能力を向上させるためです。中国語に囲まれた環境で、中国語を中国語で学ぶことが、中国語力を最も効率よく伸ばす方法だと考えました。二つ目は、台湾で実際に生活し、現地の文化に直接触れることで理解を深めたいと考えたためです。三つ目は、親元を離れて自ら生活することで、人として成長したいと思ったからです。
2年秋学期 国立屏東大学へ留学
2年生の秋学期に、台湾南部にある国立屏東大学へ留学しました。人生で初めての台湾でした。4か月もの間日本を離れるのも初めてでしたが、海外での寮生活を経験したことがあり、海外へも何度か渡航した経験があったため、不安よりも、これから始まる念願の海外生活への期待や楽しみの方が大きかったです。
当時の中国語力はHSK3級程度でした。しかし、実際に台湾で生活を始めると、お店でも学校でも中国語がほとんど聞き取れず、自分の力不足を痛感しました。中国語専攻の授業はすべて中国語で行われるため、最初は内容をほとんど理解できませんでした。一方、日本語専攻の授業では日本語も使用されていたため、私にとって安心でき、楽しみな授業でした。
日本語専攻の学生たちは、私たち留学生に積極的に話しかけてくれたり、食事や遊びにもたくさん誘ってくれたりしました。夜遅くまで一緒に散歩をしたり、動物園へ行ったり、映画を観に行ったりと、多くの思い出ができました。人生初の台湾留学が充実したものになったのは、彼らとの出会いがあったからだと思います。
この留学では、同じ学年の中国語専攻の学生二人と私の合計三人で留学し、三人一部屋で生活していました。分からないことがあれば三人で相談しながら解決し、お互いに支え合うことができました。夜遅くまでたくさん話をし、日本にいる時以上に仲を深めることができました。
しかし後悔していることや辛かったこともあります。屏東大学では、留学生一人につき三人の台湾人パートナーがついていました。彼女たちは定期的に食事へ誘ってくれましたが、当時の私は中国語がほとんど話せず、思うように会話ができませんでした。せっかく時間を作ってくれていたにもかかわらず、十分にコミュニケーションを取ることができなかったことを、今でも申し訳なく思っています。この経験から「もっと中国語を話せるようになりたい」という気持ちが一層強くなりました。
またホームシックになったり、中国語が思うように話せない自分に劣等感を抱いたりして、一人で泣いたこともありました。日本の友達に電話をかけ、励ましてもらいながら乗り越えた時期もありました。今では一つの思い出です。
台湾での生活は、想像していたよりも大変ではありませんでした。私が住んでいた寮はかなり古く、少しカビやほこりのにおいがしましたが、生活するうちに慣れていきました。一番カルチャーショックを受けたのは、和式トイレが多く残っていたことと、トイレットペーパーを流せないことでした。最初は戸惑いましたが、「これも台湾の文化の一つだ」と考えることで受け入れることができました。
屏東大学の学食や大学周辺の飲食店は安く、学生にとって暮らしやすい環境でした。特に私が大好きだったのは、大学内の朝ごはん屋さんです。残念ながらつい最近現閉店してしまいましたが、安くておいしいだけでなく、店員のおばちゃんたちがとても優しかったことが印象に残っています。
毎朝買いに行くたびに、「〇〇、おはよう!今日は何を食べるの?」「おまけを入れておくね」と名前を呼んで声をかけてくれました。お礼として日本のお菓子を差し入れした時も、とても喜んでくれました。最後の日にはハグをして別れしました。言葉が十分に通じなくても、人との優しさは伝わることを実感した出来事でした。
屏東大学での留学では辛いことも経験しましたが、それ以上に素敵な人たちとの出会いに恵まれた、とても充実した留学生活でした。
3年春学期 静宜大学へ留学
12月後半に一度日本へ帰国し、2月中旬から再び台湾へ留学しました。この頃には中国語力もHSK4級程度まで成長していました。
二度目の台湾で最初に感じたことは、自分でも驚くほど中国語ができるようになっていたことです。以前より台湾での生活にも慣れ、飲食店で注文する際も緊張せずに中国語を話せるようになっていました。自分自身の成長を実感し、とても嬉しく感じました。
留学開始前には、前回の留学を共にした友人と三泊四日で台北旅行へ行きました。二人とも初めての台北だったため、九份や十分、夜市などの有名な観光地を巡りました。屏東などの南部とは雰囲気が大きく異なり、南部はゆったりとした空気が流れていたのに対し、台北は高層ビルが立ち並び、多くの外国人観光客でにぎわう都会だと感じました。
その後、私たちはそれぞれの留学先へ向かいました。今回の留学は一人だったため、不安もありました。しかし、その心配はすぐになくなりました。空港で大学までの送迎を待っている間に、同い年の留学生と知り合い、すぐに仲良くなることができたからです。もし彼女と出会えていなかったら、静宜大学での留学生活は孤独なものになっていたと思います。
留学開始直後はいくつかの問題もありました。まず、留学生全員の学生証が正常に使用できず、寮への出入りが非常に不便だったことです。約二週間後に復旧し、ようやく安心して生活できるようになりました。
また私は週10時間の中国語クラスを希望していましたが、受講者数不足により閉講となってしまいました。他のコースへ変更した結果、大学の授業と時間が重なってしまいましたが、中国語の授業を途中で早退する形で両方の授業を受講しました。
中国語クラスは、ベトナムの神父さんとシスターさん、フィリピンの学生、そして先生を含めた少人数クラスでした。授業は中国語と英語で行われ、毎日中国語を学ぶ環境だったため、中国語力の伸びを実感することができました。やはり語学は、毎日使い、毎日勉強することが上達への近道なのだと改めて感じました。
また、静宜大学には多くの留学生が在籍しており、国際交流や異文化に触れる機会が非常に多くありました。私も台湾人だけでなく、インドネシア、ベトナム、タイ、スペインなど、さまざまな国の学生と友達になることができました。世界中に友達ができたことは、留学で得られた大きな財産の一つです。異なる文化や価値観に触れることで、自分自身の視野も大きく広がりました。
留学を終えて
計8か月間の留学は、私の人生においてかけがえのない経験となりました。まずは、資金面で支えてくれた両親をはじめ、留学全体をサポートしてくださった大学の先生方、国際交流センターの皆様、留学先の関係者の方々、そして出会ったすべての方々に心から感謝しています。
中学生の頃から夢見ていた留学生活は、決して楽しいことばかりではありませんでした。一人で泣いたこともあり、多くの苦労も経験しました。しかし、それ以上に中国語力を大きく伸ばすことができたこと、そして世界中に友達ができたことは、私にとってかけがえのないものです。留学という選択をしていなければ出会えなかった人たちとのご縁をこれからも大切にしていきたいと思います。
二つの大学で学んだことを今後の学生生活や将来にも生かしながら、これからも中国語の勉強に励み、さらに成長していきたいと思います。

私は2025年後期から2026年前期にかけて、台湾・新北市淡水区に位置する淡江大學の国際企業系国際商学全英語組において、半年間の留学を経験した。
経済学部で国際金融や貿易論を学ぶなかで、実際に海外の大学で学術的な議論に身を投じたいという思いが募り、英語を主要言語とする授業環境と中国語圏という両方の条件を満たす台湾を留学先に選んだ。
出発前は「英語で授業を受けることができれば十分だろう」と楽観的に考えていたが、実際に経験したこの半年は、語学・学問・人間関係・自己成長のあらゆる面で予想を上回る挑戦と発見の連続であった。
留学という選択がこれほど自分を変える契機になるとは、出発当日の自分には想像もできていなかった。
淡江大學での授業はすべて英語で行われた。留学前からある程度の英語力を持っているつもりでいたが、実際に現地で受けた講義の難易度は想定を大きく上回るものだった。
カリキュラムは台湾の三年生向けの専門科目が中心であり、経済・経営・金融といった分野を英語で扱う内容は、語学力のみならず専門知識との両輪が求められた。
英語を理解することと、その英語で高度な専門概念を理解することは全く別の話であると、最初の数週間で痛感した。
なかでも印象に残っているのは投資学の講義である。
株式評価モデルや債券の利回り計算、ポートフォリオ理論といった内容を英語で学ぶことは容易ではなかったが、日本国内の大学では味わえない緊張感と充実感があった。
同じクラスの台湾人学生が当然のように英語で議論し、教授の問いに即座に応じる姿に強い刺激を受け、予習復習に費やす時間が自然と増えていった。
日本国内の学問だけでなく、国外で学ぶことの意義を肌で感じることができた経験だった。
台湾を留学先に選んだもう一つの理由が、英語で中国語を学べる環境である。
全英語授業の合間に履修した中国語の講義では、英語を媒介言語として中国語の文法や発音を学ぶという、日本では経験できない複合的な言語環境に身を置いた。
授業で習った表現をその日のうちにキャンパスや街中で実際に使える環境は、教室内の学習とは比べ物にならない定着率をもたらした。
寮生活においても、先輩留学生や多国籍な友人からの日常的なアドバイスが大きな助けとなり、最初は簡単な挨拶程度しかできなかった中国語が、半年後には日常的な会話をこなせる水準になっていた。
新しい言語を習得する楽しさと、学んだことをすぐに実践できる環境の重要性を改めて実感した。
帰国後はHSK4級の取得を目標として学習を継続していく。
英語についても、留学中は日本語を話す機会がほとんどなかったため、必然的に英語でコミュニケーションを取り続けることになった。
次第に「完璧でなくても伝えようとする姿勢が大切だ」と割り切れるようになり、発話への心理的なハードルが大幅に下がった。来年の就職活動を見据え、TOEIC900点取得を目標に学習を続けていく。
寮生活では、オランダ人やインドネシア人をはじめ、ロシア人・スペイン人・台湾人・ベトナム人など、多様な国籍の学生と関わることになった。
それぞれの国の文化・価値観・習慣の違いは非常に興味深く、食事の作法や時間感覚、対人関係の距離感に至るまで、日本との違いを毎日のように発見した。
一方で、文化の違いが摩擦を生む場面も経験した。一部のベトナム人入居者による、調理エリアでの肉の漬け置きやトイレを流さないといった習慣が原因で、共用キッチンが不衛生な状態になることが続いた。
悪意ではなく文化の違いによるものと理解しつつも、入居者全員で話し合いの場を設け、明文化されていなかった共用スペースのルールを新たに作成した。
この経験から、文化的背景が異なる人々が共生するためには、価値観の押しつけではなく共通のルールを言語化し合意を形成することが重要だと学んだ。
もともと寮のルール自体が曖昧だったことが根本原因であり、国際環境での問題解決を実践的に経験できた貴重な機会となった。
台湾で驚いたことの一つが、外食文化の根付き方である。
台湾では朝食も含めた三食を外食で済ませることが珍しくなく、朝ごはん専門店が街のいたるところにある。
物価も全体的に日本より安く、タピオカドリンクをはじめとする台湾式飲料を毎日のように楽しんだ。
食文化で特に驚いたのは、台湾では甘い味が好まれることだ。
コンビニで何気なく手に取った緑茶が砂糖入りだったときの衝撃は今でも忘れられない。
香辛料の風味も日本料理とは大きく異なり、最初は慣れるのに苦労したが、次第にその独特の香りに魅力を感じるようになった。
スーパーやコンビニでは日本製品を見かけることも多く、台湾と日本の深い経済的・文化的つながりを日常生活のなかで実感する場面が多かった。
気候については、台湾の湿度と雨量の多さに最後まで慣れることができなかった。
日本の夏も蒸し暑いが、台湾のスコールはその比ではなかった。
また、友人から台湾の歴史や中国との複雑な関係について話を聞き、実際に史跡を訪れたことも印象深い経験となった。
留学中、学業と並行して筋力トレーニングにも取り組んだ。
留学前のベンチプレスの記録は70kgだったが、留学中に100kgを達成するという目標を課した。
寮のジムを毎日活用し、食事管理や睡眠の質にも意識を向けながら継続した。
友人や先輩からアドバイスをもらいフォームや負荷設定を見直した結果、半年でこの目標を達成することができた。
この経験は筋力向上にとどまらず、目標を立てて継続する意志力と、他者に助けを求めながら改善していく姿勢を養う機会でもあった。
毎日の積み重ねがいかに重要かを体感したこの経験は、語学学習や学業にも通じるものであり、帰国後の生活にも引き継いでいきたい。
留学を経て自分自身の行動に最も大きな変化をもたらしたのは、人に話しかけることへの抵抗が薄れたことだ。
留学前の私はどちらかといえば自分から声をかけることが苦手だったが、言語も文化も異なる環境では、積極的に関わりに行かなければ孤立するという現実を教えてくれた。
必然的に会話の機会が増え、話す前に「相手にとって不快ではないか」「自分の意図は正しく伝わるか」を考える癖もついた。
以前より相手の立場を意識しながら言葉を選ぶようになったことは、就職活動や社会に出てからも活きていくと感じている。
言語・学問・人間関係・自己管理という四つの軸を同時に鍛えることができたこの半年間は、大学生活のなかで最も密度の高い時間だったといえる。
帰国後はHSK4級・TOEIC900点という具体的な目標を掲げながら、台湾で得た学びを日本での学業・就職活動・日常生活に還元していきたい。
この留学を支えてくださったすべての方々への感謝を胸に、次のステージへと歩んでいく。

私は2025年8月から12月までの約4か月間、タイ北部チェンマイにあるパヤップ大学へ留学した。パヤップ大学は、主にタイ人学生が在籍する「タイサイド」と、留学生が多く所属する「インターナショナルサイド」に分かれており、私はインターナショナルサイドのEnglish Communication専攻で学んだ。
インターナショナルサイドには、ミャンマー、中国、アメリカ、タイ、インド、マレーシア、韓国、台湾など、さまざまな国・地域から学生が集まっている。授業は1コマ90分だが、実際には早めに終わることも多く、日本の大学に比べてどこかゆったりとした雰囲気があった。昼食は半屋外の食堂やカフェでとり、空き時間には図書館で過ごすなど、日本と共通する点もある。一方で、冷房は年間を通してかなり強く、常に羽織りものが手放せない。
履修した「Presentation and Communication Skill」の授業では、スピーチアウトラインの作成に加え、3分間の即興スピーチにも取り組んだ。準備する時間がほとんどない中で話すことに最初は戸惑ったが、回数を重ねるうちに、英語力だけでなくその場で考える力も鍛えられていったように思う。英語を母語とする学生は多くなく、互いに補い合いながら発表を聞く雰囲気があったため、安心して取り組むことができた。
生活面では、寮の3人部屋を1人で利用させてもらい、エアコンと扇風機が備え付けられていた。寮内にキッチンはないため、炊飯器や電気ケトルで簡単な自炊をするか、ナイトマーケットや食堂を利用することが多い。寮に併設されたミニマート(売店)で軽食や弁当を買えるのも便利だった。共用設備としては電子レンジや冷蔵庫、シャワー・トイレ、自習スペースなどがあり、生活に大きな不便はなかった。
渡航前、私は「タイの友達をたくさん作ること」や「「タイ語をマスターして帰国すること」を目標にしていた。しかし実際にクラスが始まると、クラスメイトの多くはタイ人ではなくミャンマー人だった。母国の紛争を背景に家族で移住してきた学生や、単身で国外に出て学んでいる学生もいる。自分の将来が不安定な状況にありながらも、彼らは明るく、そしてとても親切に接してくれた。留学生活の小さな不便に戸惑っていた自分が、いかに恵まれた環境にいるのかを実感させられた出来事だった。終わりの見えない不安を抱えながらも笑顔を絶やさない彼らの姿は、今でも強く印象に残っている。
文化の違いに戸惑うことも少なくなかった。日本では「5分前行動」が当たり前だが、タイでは時間に対する感覚がかなりおおらかだと言われている。実際、友人に「10時から11時の間に迎えに行く」と言われ、私は10時前から準備して待っていたが、到着したのは11時45分だった。最初は驚き、正直なところ少し疲れてしまった。しかし生活に慣れるにつ
れて、相手の行動ペースを想像しながら自分の準備を始めるようになり、結果的にストレスは大きく減った。時間に対する価値観の違いを無理に正すのではなく、合わせ方を見つけることの大切さを学んだ。
学問面では、卒業論文で石に関する研究をしたいと考えていたこともあり、タイにおける信仰対象にも関心を持っていた。タイも仏教国であるため、日本と同様に石や石造物への信仰があるのではないかと考えていたが、実際には「木」を神聖視する文化がより根付いていた。トレッキング中、木に袈裟のような布が巻かれている光景を目にし、ガイドに尋ねたところ、それが信仰の対象であることを知った。同世代の学生に石について尋ねた際、「石?」と笑われたことも印象的だった。日本では岩や石に神が宿るという感覚があるが、それは決して普遍的なものではない。同じ仏教圏であっても、自然観や信仰の対象は大きく異なるのだと実感した。
また、死者に対する考え方の違いも印象に残っている。日本では四十九日やお盆など、特定の時期や日数に基づいて死者を弔うが、現地の学生の話では、死者を思う気持ちはあっても、日本ほど日数にこだわる習慣は一般的ではないという。遺骨についても、墓地に納めるだけでなく川へ流す場合があると知り、死者との向き合い方の違いを感じた。
日本文化の影響力にも驚かされた。特にアニメは非常に人気が高く、挨拶代わりにセリフを投げかけられることもあった。しかし私はアニメに詳しくなかったため、話題を広げられなかったことが少し悔しかった。海外に出て初めて、日本文化を自分の言葉で説明できることの重要性を実感した。アニメは単なる娯楽ではなく、コミュニケーションのきっかけにもなり得る存在だと感じた。
休日にはタイ国内を一人で旅行し、さまざまな土地を訪れた。チェンマイにとどまらず、バンコクや南部にも足を運び、その土地で出会った人々との会話を楽しんだ。南の地域プーケットでは、ホテルで出会った地元の人がバイクで街を案内してくれたり、チェンマイの隣県パーイでは屋台で知り合ったスイス人の女性と意気投合し、翌朝一緒にサンライズを見に行ったりと、ここには書ききれない経験がいくつもある。見知らぬ土地で知らない人に話しかけるのは勇気が必要だったが、その分、得られるものも大きかった。
タイでの生活を通して、日本という国を外から見つめ直す機会にもなった。タイの人々はおおらかで、あたたかく声をかけてくれる。またタイの日常生活に実際に触れてみて、良くも悪くもルールにあまり囚われていないと感じた。一方、日本はインフラが整備され、清潔で安全な環境が保たれている。日々の暮らしの中では意識しにくいが、日本の快適さは多くのルールや規律によって支えられている。そのことに時に窮屈さを感じつつも、同時にそのありがたさにも気づかされた。
四か月という時間は決して長くはないが、人との出会いや異文化との関わりを通して、自分の視野や物の捉え方は大きく広がったように感じる。この経験は、単なる語学習得にとどまらず、自分のこれからの生き方を考えるきっかけになった。今後も異なる価値観に触れながら、視野を広げ続けていくと同時に、今回の経験やそこから得られた感動を他の人に伝えていきたい。

私は2025年9月1日から12月19日までの約4カ月間、台湾に留学しました。
大学に入学した当初は、将来の夢がはっきりと決まっていたわけではありませんが、在学中にできるだけたくさんの新しい経験をしたいと考えていました。そのような中、実際に台湾に留学した麗澤大学の先輩や、別の大学ですが台湾に留学経験がある私と同じ高校だった先輩から、台湾の学習や生活環境の様子、文化の違い、台湾人の温かさについての話を聞きました。その話を通して、次第に台湾留学に強い興味を持ちました。これまで私は海外へ行った経験もなく、語学力を向上させたい気持ちもありますが、一方で、初めての海外生活に対する不安もありました。
私の留学前の語学力は、特に聞き取りが十分にできず、受け答えの際に文法を正しく使うことが苦手で、自分の考えを相手に伝えることが難しいレベルでした。また、台湾に対する印象も親日的である程度の知識しかなく、台湾の文化や生活習慣について深く理解していたわけではありませんでした。
私が住んでいた屛東大学の学生寮は三階建てで、一部屋を四人で使用してトイレとシャワー室は共用でした。私は中学、高校時代に寮生活を経験していたので、ある程度の寮生活には慣れていましたが、日本の寮との違いに驚くことがいくつかありました。例えば、台湾の寮では靴を脱がずに生活することが普通であることやトイレにトイレットペーパーが備えつられていないことです。私は最初、靴を脱がずに生活することは特に不便に感じていました。しかし、生活習慣の違いを実際に体験できたことは、台湾と日本の文化の違いを知る貴重な経験になったと感じています。
台湾では、午前中営業し、お昼ごろに一度閉まり、夜から再び営業を始めるお店が多く見られました。チェーン店よりも個人営業の店が圧倒的に多く、比較的手頃な価格で食べることができました。初めは料理名や注文方法が日本とは異なるため、戸惑うこともありました。初めて注文した際には、ほとんどのお店が料理を受け取る前に代金を支払う先払いの仕組みに驚きました。また、自分では発音しているつもりでも、店員さんにうまく伝わらず、聞き返されてしまうこともありましたが、それでも、お店の方がゆっくりと対応してくださるため、台湾人の親切さをとても感じました。
また、公共交通機関ではバイクや自転車がとても多く利用されている印象でした。寮や大学周辺にも無料で利用できる自転車があり、移動がとても便利でした。さらに、電車賃が日本と比べてとても安く、気軽に遊びに行くことができる点は台湾での魅力の一つだと感じました。
台湾での学習面では、実践的に生徒が発言することを重視した授業がとても多く、レポートよりもプレゼンテーションに機会が多いと感じました。自分の考えをその場で言葉にして伝える授業が多く、留学生向けの授業でも発言や発表を求められる場面が多くありました。また、教科書で学ぶ言葉と実際に現地で使われる表現の違いについても教えてもらうことができ、より中国語の実践的な使い方を理解することができました。教科書では習わない表現を知ることは、日常会話や授業の発言に役立ち、留学経験の大きな学びとなりました。バディの方と一緒に遊びに行く中で、最初のころは会話ができなくて分からないことはすぐに翻訳アプリに頼ることが多かったのですが、留学後半では、翻訳アプリを使わなくても会話をすることができる場面が増えたことに気づきました。また、お店での注文も留学初期よりもスムーズにできるようになり、同じ場所で感じ方が変わったことから、自分自身の変化を強く意識するようになりました。この経験を通して、自分の語学力が少しずつ向上していることが実感でき、日常生活でも自信を持って中国語を使えるようになったと感じています。
四ヶ月間の留学生活を無事に終えることができたのは、屏東大学で出会った多くの方々の支えがあったからです。授業を担当してくださった先生方は、私たち留学生の中国語の理解度に配慮しながら、わかりやすく丁寧に指導してくださいました。発言する際も、間違いを否定することなく最後まで話を聞いてくださり、さらに、バディの方は履修登録やビザの申請といった手続きだけではなく、日常生活の細かい部分まで助けていただきました。バディの方は、屏東や高雄の夜市に一緒に行ってくださり、日常の中でおすすめの食べ物を分けてくださることもありました。遊びでかけるだけの関係ではなく、生活面の細かい部分まで支えていただいたことで、初めての海外生活の中で不安を感じることなく、最後まで留学生活を送ることができました。言葉が十分に通じない中でも、最後まで温かく接してくださった台湾の方々には、心から感謝しています。この留学を通して得た出会いや支えへの感謝の気持ちを忘れず、今後の大学生活や将来に活かしていきたいと考えています。
今回の留学を通して、語学力の向上だけではなく、自分自身の考え方や行動にも大きな変化がありました。留学前の自分は、中国語に全く自信が無く、間違えることに恥ずかしさがあり、発言することはありませんでした。しかし、屏東大学の授業で、完璧でなくても自分の言葉で話してみる姿勢が大切であることを学びました。また、台湾での留学生活を通して、日本との異なる文化や価値観を学びました。生活習慣や授業の雰囲気、時間の感覚など、実際に体験することでその国の文化を自分の視点で理解することができました。
こうした貴重な経験を得られたのは、授業で支えてくださった先生方、日常生活で助けてくださったバディの皆さんのおかげです。この留学で学んだこと、そして支えてくださった方々への感謝を忘れずに、今後の大学生活では新しいことへ挑戦していきたいと考えています。四カ月の留学は私の将来にとって、大きな意味を持つものになりました。

私は9月から12月までの間台湾の静宜大学に留学していました。
これから、台湾での生活や授業、寮での様子など、実際に現地で過ごした経験について書いていこうと思います。
今回の留学は、私自身にとって初めての海外経験であり、出発前は楽しみな気持ちと同時に大きな不安もありました。言葉や文化、生活環境の違いにちゃんと適応できるのか心配でしたが、新しいことに挑戦したいという思いも強く、思い切って留学に挑戦しました。
まず空港に着いたら静宜大学の方が迎えに来てくださっており、そのままバスに乗って大学まで移動しました。大学に到着してからは、寮の手続きを行いました。
授業が始まったのは、台湾に到着してから5日後でした。最初の1週間はお試し期間となっており、この期間中は自分のレベルに合ったクラスへ変更することができました。中国語の授業では、多国籍の留学生と一緒に学びました。クラスにはさまざまな国籍の学生がいて、多国籍の学生と一緒に授業を受けることで、語学だけでなく異文化理解も深めることができ、毎回の授業がとても楽しかったです。
授業内容としては、中間はテストが2回あり、期末には中国語でのプレゼンテーションがありました。プレゼンテーションのお題は特に指定されておらず、各自が自由にテーマを決めて発表しました。中国語で人前に立って発表するのはとても緊張しましたが、自分の中国語力の成長を実感できる良い機会となりました。中国語の授業は午前と午後に分かれており、私は午前中に中国語の授業を受けていました。中国語以外にも英語の授業を2科目履修していました。一つは静宜大学の正規生と一緒に受ける英語の授業で、台湾の学生と直接交流できる貴重な機会でした。もう一つは、ほとんどが交換留学生の授業で、各国の文化について英語を通して学ぶ内容でした。基本的に授業は午前中までで終わることが多かったため、午後は自由時間として、友達と遊んだり、図書館で勉強したりして過ごしていました。
寮生活についてですが、寮は基本的に4人部屋でした。私のルームメイトは台湾人が3人で、最初は言葉の壁に不安を感じていましたが、皆とても優しく、親切に接してくれてとても嬉しかったです。トイレとシャワーは同じ階の人たちと共有で使用しており、日本とは違いトイレットペーパーが設置されていないため、自分でティッシュを購入して持参する必要がありました。各階には共有スペースがあり、そこでルームメイトや他の学生と集まって話したり、交流したりすることができました。洗濯機も共有で使用するため、混雑を避けるために人が少ない時間帯で選択するのがおすすめです。特に休日の朝は利用者が少く、スムーズに洗濯ができていました。寮に住んでいる台湾人学生の多くは、休日になると帰省したり外出したりするため、その時間帯は比較的空いています。寮では平日の夜22時ぐらいから点呼がありました。また、寮内では自炊ができないため、基本的には外食か学食で食べることが、多かったです。学内には多くの学食があり、どれも美味しく、価格も安かったので頻繁に利用していました。種類も豊富で、毎日違うメニューを楽しむことができました。また、大学から少し歩いた場所には飲食店も多く、夜になると友達と一緒に外食に行くこともありました。多くのお店は17時頃から営業していたので、夜に外食することが多かったです。学校の近くには飲み物屋さんもたくさんあり、どれも安くて美味しかったです。
移動手段は主にバスを利用していました。申請をすれば10km以内であれば無料でバスを利用できるので、とても便利でした。バス停は大学の前や学内にもあり、どこへ行くにもアクセスが良かったです。校内はとても広く、建物も多かったですが、主に利用するのは授業で使う校舎と、国際課がある一番上の建物でした。
台中の気候は全体的に暑かったです。9月や10月は特に気温が高く11月でも夏のように暑い日があり、長袖だと暑く感じることもありました。12月になると比較的寒い日も増えましたが、昼間は暖かい日も多かったです。また、雨が降る日は少なく、晴れの日が多かった印象です。
静宜大学ではイベントが多く開催されており、学内には屋台がたくさん出ていました。食べ物や洋服、小物などが販売されており、見て回るだけでも楽しかったです。クリスマスの時期にはクリスマスマーケットが開かれておりとても楽しかったです。
台中で特に驚いたことは、バイクを利用する人が非常に多いことです。歩道にも多くのバイクが停められており、日本との違いを強く感じました。台北にも行く機会がありましたが、台中の方が特にバイクの多さが目立っていました。また、台湾に来て驚いたことの一つが、お店に入ると日本語で話しかけてくれる人が多かったことです。日本語を話せる人が想像以上に多く、とても驚きました。台湾の人たちはとても親切で、困っていると声をかけてくれたり、丁寧に対応してくれたりしたため、とても過ごしやすかったです。中国語がうまく聞き取れないときでも、ゆっくり話してくれたり、最後までしっかり話を聞いてくれたりするので、安心して会話をすることができました。
生活面では、日本の商品は少し高いと感じましたが、台湾の商品は安いものが多いため、シャンプーや日用品は現地で購入するのがおすすめです。学校の近くにはスーパーやドラッグストアがあり、生活に困ることはありませんでした。一方で、困ったこととしては、トイレにトイレットペーパーが置いていないお店があったので外出する際にはティッシュを常に持ち歩く必要がありました。この点は日本との大きな違いだと感じました。
今回の留学は、私にとって非常に貴重な経験となりました。海外に初めてということもありはじめは緊張してなかなか勇気が出ませんでしたが、台湾の方たちはみんな親切な方ばかりなので環境的にもとても過ごしやすいです。この留学で得た経験や学びを、今後の学生生活や将来の人生にしっかりと生かしていきたいと思います。

私は、9月から約4ヶ月間台中市にある静宜大学に留学しました。
私にとって今回は2回目の台湾渡航でしたが、新たな場所で長期滞在となると更に多くの経験を得ることができました。生活しているうちに感じたメリットやデメリットを項目ごとに紹介したいと思います。
まずは気候についてです。日本にいるときから異常な暑さに体力を奪われる日々が続いていましたが、台湾はより暑く湿度も高く、慣れるまでは外に出ることが億劫でした。その暑さがなかなか消えないので、10月いっぱいまでは基本半袖で過ごしていました。ただ、台湾は屋内の冷房がとても強いため、羽織れるものが必須になります。12月になると昼夜の気温差が広がって過ごしやすい時間もありますが、最高気温が25度近く日差しが強い日が多いので暑いと感じることもありました。ダウンを着ることは無かったです。日本の冬と比べると、かなり過ごしやすいと感じました。
次に食事についてです。私が住んでいた希嘉學苑内では料理が禁止で、ドリンクやお菓子、カップ麺等の自販機しかないので外に出て買いに行く必要があります。また、学校の敷地内に食堂が3つほどあるので、そこを利用する人が多いです。お店の種類がさまざまなので飽きることはありませんでした。学外でも少し歩けば食事できる場所がある通りに出るので便利です。学校からバスで都心へ近づくと、日本にもあるようなチェーン店が各地に見えてきます。一蘭やくら寿司、丸亀製麺など日本食が恋しくなってもすぐに食べられる環境です。そして個人的にですが、油を使った料理がとても多く、日本とは違うスパイスが使われているように思います。私は胃腸が強くないので慣れず苦労しました。
次に学校生活についてです。静宜大学の授業形態は50分授業をしたら必ず10分休憩があるため、かなり気楽です。私は留学生必修の中国語の授業と、英語の授業2つを取りました。
中国語の授業は平日9時から12時までです。特にクラス分けテストは受けていないのですが、細かいレベル分けがあります。また、クラスと先生によって授業内容と形式が大きく変わります。私のクラスは生徒数が約20人、教科書中心の授業でした。別のクラスの友人は生徒数が約10人、発表中心の授業だったそうです。授業が始まって最初の1週間はクラス変更ができるので他のクラスを体験してみることをおすすめします。テストは教科書範囲から出題される筆記試験が2回と、期末テストとして質疑応答含む30分前後のプレゼンがありました。テーマは自由で、テストらしい雰囲気も無くラフな形態でした。それぞれ自国の文化や歴史を紹介する人が多かったです。今まで中国語でプレゼンをしたことが無かったので、とても良い経験になりました。
また、私が選んだコースは中国語の授業を週に15時間受けるシステムだったため、それ以外の授業が6単位分しか選べませんでした。文化体験の授業や、レベルの高い中国語の授業など、たくさんの選択肢があったので英語しか取れなかったことが残念でした。ただ、留学生担当の方が柔軟に対応してくれるうえ、授業によっては聴講として受けて入れてもらえる場合もあるため、相談次第では更に授業を取れるかもしれません。
次に寮生活についてです。基本4人部屋で国籍も不確定です。ですが、階ごとに留学生が多い、正規生が多いなどの差はあります。私の部屋の近くは会計専攻の1年生がほとんどだったので、友人同士、部屋を行き来し賑やかでした。また、22時から6時が消灯時間で点呼もありますが、実際に消灯するか、静かにするかどうかはルームメイト次第です。そして土日には、多くの台湾人が実家へ帰るため、寮に人が少なく、休日はリラックスして過ごすことができます。洗濯機も各階に4台のみで、平日は混雑しているため、土日に利用することが多いです。また、時期関係なく理由さえ伝えれば、いつでも部屋を変えることができます。私も一度部屋を変更しましたが、寮のスタッフの方が親身に手伝ってくれました。
また、静宜大学は台中市の中心からはやや離れた場所に位置しているため、土日に外出となるとバスで1時間ほど移動する必要があります。移動した先には、新光三越などショッピングモールやいくつかの観光地があります。私が在籍していた学期は三連休が毎週のようにあったので、週末に台北へ遊びに行く人がとても多かったです。高鐵で1時間程で、チケット価格も高すぎないため、毎週のように遊びに行く人もいました。
今回の約4ヶ月間の静宜大学への留学は、私にとって中国語学習以上の大きな財産になりました。2度目の台湾渡航ではありましたが、前回とは違い観光中心ではなく生活という視点で現地に身を置くことで、台湾の気候や食文化、そして人々の温かさをより肌で感じることができました。
食事の面で体調管理に苦労したり、慣れない中国語での日常生活に苦労したりと、困難に直面することもありました。しかし、それを乗り越えていく過程で、環境に適応する柔軟性と、自分の意思を伝える積極性が養われたと感じています。特に、留学生担当の方や寮のスタッフ、そして同じ環境に置かれている留学生の友人たちと関わる中でまずは行動してみることの大切さを学びました。静宜大学の柔軟な学習環境やサポート体制は、挑戦したい学生を後押ししてくれる心強いものでした。
これから留学を考えている皆さんには、ぜひ自分から周囲に働きかけて、限られた時間の中で多くの選択肢を試してほしいと思います。慣れない環境での生活は心身ともに忍耐力が求められますが、その先には日本にいるだけでは得られない新しい視点と出会いが待っていると思います。少しでも留学しようか迷っている人がいるのなら、短期からでも挑戦することを勧めたいです。この留学で得た経験を糧に、今後も台湾との繋がりを大切にしながら、自分自身のさらなる成長に繋げていきたいです。
















