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ランガラ・カレッジ
- 海外で見る日本
- 森慎平
- 英語コミュニケーション専攻2年
- 2019年8月~12月
私は麗澤大学の留学プログラムを使って8月末から12月中盤までカナダの都市、バンクーバーにあるランガラ・カレッジに4か月ほど留学してきました。留学をしたいと思ったきっかけは、大学に入学したときに海外未経験者であった私とクラスメイトの経験者との決定的な違いを日々感じていたからです。彼らは外国の国民性や特色に理解があり、机に向かっているだけではあまり得ることができない国独特のスラングに理解があります。なにより私を焦らせたのは英語を話す態度が自信に満ちているということです。私はいくら試験で海外経験者に勝ってもこの点で常に劣等感を感じていました。これまで英語という科目そのものが好きだった私にとっては海外に行くこと自体にあまり関心がなかったのですが、周りとのギャップを埋めることと外国語学部に所属しているので海外の文化にあるていど理解をもっていないといけないという義務感から留学を決意しました。
皆さんは私が4か月留学すると聞いて長いと思ったでしょうか、短いと思ったでしょうか?4か月も海外にいればさすがに文化に慣れて英語が話せるようになるはずだ。私はそう思っていました。結論から言うと、やはり海外のことを理解するには短いです。最初の2か月ほどは日本文化との違いをたくさん発見でき、新しい人と出会うことで海外文化が見えてきます。しかし、それらは表面的なものであり、留学後半になると本質的なものに対しての疑問がたくさん湧きます。それはその国や人の考え方や日本に無いものに対しての違和感から生まれる根本的な疑問です。これは現地の人にとっては特に疑問に思っていない当然のことなので答えることが難しく、また自分が何に対して疑問を持っているのかをきちんと言語化して英語で伝えることが、とてもハードルが高いです。そのため自分の頭で考えるしかなく、私自身カナダに深い理解があるとはまだ言えません。今回の留学はカナダを知ったというよりかは、私たちの国、日本を見つめなおす機会となりました。今回のレポートではカナダで初めて気づいた日本について述べていきます。
私はカナダに出発するまでは、海外というものは何もかもが日本と違い、日本文化が恋しくなるだろうなと思っていましたが、バンクーバーではそんなことはありませんでした。ラーメンや丼ぶり、寿司のレストランがたくさんあったので料理で苦労することはありませんでした。もちろんカナダに合わせたアレンジが加えられていることがあり、寿司は高価な生魚をあまり使っていない巻き寿司があったり、親子丼に緑とうがらしが入っていたり、ラーメンは脂っこく味の濃いものが多かったです。食べ物の苦労で強いていうならば生卵を食べる機会が無くて少し恋しかったです。カナダの料理はイメージするアメリカのように全体的に大きく多く、カロリーが高いです。カナダ人の体が大きくガタイが良いのにも納得です。海外で日本食ブームが起きているという話を聞いたことがありますが、本当に私たちの文化が受け入れられていることが嬉しかったです。
海外では当然ではありますが私たちは日本人、外国人としてみなされます。私の周囲は日本に関心を持ってくれる人が多く、現地の人に日本のことについて色んなことを質問されました。私は聞かれたとき用にオリンピックの話題を持って行ったのですが、聞かれることは1度も無く主な話題はアニメでした。周囲の人が若い人ばかりだったのもありますが、全体的に日本文化としてのアニメに高い関心が集まっています。日本でも有名なアニメ作品の話は通じ、バンクーバーには日本のおもちゃ屋があり、いくつかの映画館ではアニメ映画が上映されていました。そして、ランガラの授業で1週間ほどアニメのことを勉強しました。アメリカと日本のアニメに主に注目し、歴史やお互いに与えた影響などを学習しました。これはアニメに学問的価値があるということを認められていることであり、海外に高く評価されているという実感がわき、誇らしかったです。
私はクラスメイトの1人の娘さんと仲良くなりました。彼女は11歳のイラン人の少女で最近カナダに家族と移民してきたばかりとのことでした。あるアニメが好きであり、そこから同じ監督の関連作品を視聴してたくさんの作品を知っていました。彼女はクラスメイトに日本人である私がいると聞き、お母さんとともに学校にやって来ました。私を見つけるなり嬉しそうに話しかけてくれ、たどたどしい日本語を喋りました。その輝く瞳を見ると自分自身の小学生時代を思い出しました。小学校の簡易的な内容ではありますが私は比較的英語の覚えがよく、アメリカ人の先生と話すことが本当に楽しく、常々もっと話したいと思い、ネイティブということに憧れました。カナダでは私が日本語ネイティブとして意欲のある人の手助けができるということに大きな喜びを感じました。彼女が好きなアニメの中で私が知っているものが多く英語でも話がとても弾みました。彼女は本格的に日本語を学んでいるわけではなく、アニメの中に現れる気になった単語を調べて少しずつ知識を増やしていました。お母さんにタイ焼きや豚カツが食べたいとせがんでいて、ほほえましかったです。幼い頃特有の飽くなき知識欲と集中力が自分の国の文化に向けられていることがこんなに嬉しいことだなんて自分自身思っていませんでした。自分の隠れた愛国心に気付かされた瞬間でした。
今回の留学には最大の盲点がありました。それはイメージする生粋のカナダ人とは頑張らないと話すことができないということです。今回の留学プログラムは英語を学ぶことが目的なのでクラスには当然ながらほとんど英語ネイティブはいません。そのため何もせずに過ごしていると期待する英語の発音は先生からしか得ることができません。もちろん授業中は英語なのでスキルは伸びるのですが、発音を聞きたいのならネイティブに会いに行かなければなりませんでした。どうすれば無理なくネイティブと話すことができるか。私には十分なスピーキングスキルがないため、私の文化にある程度理解があり、配慮してくれる人を探す必要がありました。そこで私は日本に興味があるランガラ本学の学生を見つけようと考えました。幸いなことにランガラには日本語のクラスがありました。私はランガラにいる日本人講師に会いに行き、クラス見学のお願いをしました。先生は快く受け入れてくださり、私は先生の補助と生徒への刺激を与える役割で参加しました。
1度目は初歩的なクラスでした。授業を見学していると、カタカナの書き方に苦戦しているようでした。また、自分の名前をカタカナでどう表すかがよくわからなかったようで何人も私に質問してくれました。確かに外国人の名前のカタカナ表記は日本語発音に上手く変換されて日本人がそう聞こえるようになるのが正確な変換のため、日本語の感覚がまだ分かっていない日本語学習者にとっては難しいのでしょう。また授業では教科書の例文を読んで学習していました。授業全体の雰囲気でいうと本気で日本語を勉強しているというかんじではなく、和やかな雰囲気でわいわいと勉強していました。
2度目は上級クラスで日本人2人と学生1人が質問を通してコミュニケーションをするというハイレベルな授業でした。相手はある程度の日本語の会話ができ、私が担当した人は漢字をたくさん覚えており、またアジア史を学習していて日本に対して深い理解がありました。私たちは授業の中でネイティブとして学習者に配慮ある言動を取らなければなりませんでした。ゆっくり話し、難しい言葉を使わない。これは最初は難しいのですが、自分も相手も慣れてきますのでそんなに大変なことではありませんでした。最も大変だったのは相手の意をくみ取ることです。同じ日本語を話していても発音の違い、語彙の解釈の違い、そして第1言語の違いからくる文の組み立て方の違いです。例えば英語では「have」はよく使われ、いろいろな意味を持っています。日本語学習者が頭のなかでこれを使った英文を組み立て、日本語に変換したときに「have」を「持っている」と変換したとします。すると、時に日本語としては奇妙で微妙に成立していない文が出来上がってしまいます。こうした背景をくみ取って推測するのはとても難しかったです。私は留学中に些細な動詞などの言葉のミスチョイスをして意味が伝わらなかったときに、それぐらい察してくれと思っていたのですが、それは難しいことだと体験することで身に染みて理解しました。
留学中の生活では国内では気付くことができなかった日本人の感覚を発見しました。他の国の人との交流で見つけた日本人の良いところと悪いところを感じることができました。私は正直テレビで見るような、日本人は穏やかで配慮ができて慎みがあるなどの自画自賛は好きではないです。実際そのイメージとは異なる人が多いことは明らかであり、そんなステレオタイプで民族全体を表すなんてくだらないことだと思います。しかし、留学を終えた今、他の人種と比べると確かにその傾向があると感じています。私を含む日本人はあまり主張をすることが少なく、やはり集団主義者であるということが明らかでした。授業での発言などで他の人種の人が積極的にチャンスをつかんでいく中で日本人は消極的で和を乱さないことに専念していたように感じます。これを感じたのはディスカッションをしていた時です。意見を交わしていると突飛なアイデアや気になる疑問点があるでしょう。私たちの感覚としては相手の話の区切りがいいところまで待ち、相手に対する配慮をしながら恐る恐る聞くのではないでしょうか。それに反して私のクラスメイトはそんなことお構いなしに自由なタイミングで話していました。私が話しているのを遮って主張を始めたりして最初のころは戸惑いました。また聞く態度もわからないことがあるとすぐ顔をしかめ、不快感を隠すことをあまり隠そうとしていませんでした。私はそれが本当に無礼で嫌でした。日本でこれをやると淘汰されるでしょうが、国が変われば当たり前のことです。反対に日本での当たり前と認識していたことが独特な文化だということを学びました。文化間に良し悪しは無く、ただ理解しようとして受け入れることが大切です。そうした小さな違いを経験したことが国内では無かったので、留学をした一つの意義となりました。
もう一つの日本人の特徴としては「恥」を恐れる文化であると感じました。言い換えると、一見すると周りに少し媚びているようですが、実はプライドが高くて自分が傷つくことを恐れているということです。具体例を出すと、授業での宿題などの答え合わせをするとき日本人は積極的に答えをあまり言っていませんでした。それは自分が正解していないことが周りにばれてしまうことを恐れていることと、クラスメイトの宿題の正解、不正解について責任を負いたくないからです。そのため答えを言うときは自信なさげにし、予防線を張っていた人が多かったです。実際には誤回答が多いというわけではなく、比較的勤勉な国民性から課題に対する先生からの日本人全体に対する評価は高めでした。また、先生から即興で当てられた時の動揺具合は他の人種の比ではなかったです。私も含め、とても自信がない様子で恐る恐る答えていました。また全体的に発音にコンプレックスがあるので、声も小さくなっていました。これは私個人の見解ですが、女性はまだこの点においてはましな部類で、クラスでも明るくふるまっていました。一方、男性は自分も含め、静かで声も小さくムスッとしているという人が多かったです。「恥」は私たちにとって恐いものであり、それを必死に避けようとするのは国民性です。これが日本人の消極性を招き、日本人の悪いところに繋がっていると言えます。幸いなことに私のクラスメイトやホームステイファミリーはこれに理解があり、優しくサポートしてくれました。消極的な私ですが周りのおかげで無事に留学を乗り切ることができました。
冒頭にも書きました通り、異国の文化というものは半年足らずで理解できるほど甘いものではありませんでした。カナダのあらゆるものは私にとって新しく魅力的でしたが、同時に自分の国の魅力に気づかされる機会となりました。留学は英語の学問的な能力向上もさることながら、人生経験として大変有意義なものでした。今の私は日本の感覚だけではなく、少しではありますがカナダの感覚も交えて物事を考えられるようになりました。何よりも自分が20前後という若い内にこんな体験ができるということこそが私の人生においてとても幸運なことです。
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