フィッチバーグ州立大学

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Fitchburg State University

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フィッチバーグ州立大学

160 Pearl St., Fitchburg MA 01420-2697

https://www.fitchburgstate.edu/

プログラム概要

英語
沿  革 ●1894年に2年制の師範学校として創立され、1932年に4年制の教員養成大学となり、1965年からFitchburg State Collegeとして教育以外のプログラムを充実させ、2010年にUniveristyとなった、マサチューセッツ州の公立(州立)大学。
●学生数:約7000名(学部生は4200名程度)、学生対教員比率14:1。
●約40%の授業が20名以下の少人数。
特  色 ●教養学部(Liberal Arts)を中心とした州立大学。
●本学留学生用のプログラムではなく、フィッチバーグ州立大学の正規の授業を受ける。
●留学した年次、各自の選択によって履修科目および認定科目が異なる。
●英語・英文学をはじめ、心理、社会、歴史などの人文学から、社会科学の科目、コンピューターやマーケティングといったより応用的な科目がある。人気の学部はコミュニケーション・メディア、経営学、学際研究など。
宿  泊 ●大学構内に 4 つの学生寮と 3 つのアパートメントがあり、麗大生は学内寮で生活する。学部生の約半数が寮に住んでいる。
●ミールプランを選び、学内のカフェテリアで食事をとる。
生  活 ●大学はフィッチバーグ市の住宅地区に位置しており、都市型の大学。ボストンから50マイル西にある。ボストンへは電車でも行ける。フィッチバーグ市はウースター郡の北部にある都市で、2020年の国勢調査では人口4万2千人程度。学内には60以上のクラブや団体がある。学内の移動は徒歩、市内はバスがある。
条  件 ●TOEFL ITP 525点(iBT70点)以上、TOEIC650点以上が望ましい。
●英語専攻教員の推薦
留学時期 2年次又は3年次秋学期から半年、又は1年間
担当教員 マクノートン
特記事項 フィッチバーグ州立大学授業料全額免除*(1~2 名) 、麗澤大学海外留学奨学金

PICKUP留学体験記

一足先に留学を経験した麗澤大学の先輩たちが、留学先でのさまざまな体験談を語ってくれた「留学体験記」

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フィッチバーグ州立大学

「夢を持て、諦めるな」(フィッチバーグ州立大学)
平澤理央菜
英語コミュニケーション専攻4年
2022年8月~2023年5月

   みなさん、こんにちは。英語コミュニケーション専攻4年の平澤理央菜です。いきなりですが、みなさんは「留学」に興味がありますか。私も高校生や大学1年生の時は、留学をしてみたいという憧れがありました。そんな憧れをきっかけに、私は大学3年の8月から4年の6月までアメリカ合衆国マサチューセッツ州にあるフィッチバーグ州立大学(FSU)に10ヶ月間交換留学をしていました。(授業は9月〜5月)現地ではビジネスを専攻していて、マーケティング、会計学、経営学など今まで学んだことがなかったことを勉強していました。正直、交換留学は私が想像していたよりも何倍も難しく辛いこともありましたが、この留学では、21年間で一番充実していて、自分の価値観や視野がものすごく広がりました。人生の起点となったと言っても大袈裟ではないと感じています。今回、最後のレポートでは私の10ヶ月間の留学を通し「学んだこと」「帰国後の目標」「感謝と思い」を書きます。私の思いをこのレポートにぶつけます!!最後までどうぞよろしくお願いします!!    私がそもそも留学を目標にした理由は、今まで胸を張って努力したことがなかったからです。中高と帰宅部で部活動に所属していませんでした。10年間地元のダンススクールに通っていましたが、自分で目標を持ち努力したとは違うと感じていました。そのため、全力で努力をして自分に自信をつけたいと考え、交換留学を目指しました。しかし、交換留学を目標にした大学1年生の2月時点では、私の英語力は皆無。Google翻訳を愛用で簡単な自己紹介も全くできませんでした。そんな中、これでは交換留学をやりきれないと考え、春休みの期間は1日10時間英語に触れていました。努力を積んでいく度にスピーキングやTOEICの点数が目に見えるほど成長していきました。自分の英語力が上がっていくことが、とても楽しく10時間の勉強も全く苦ではありませんでした。そして、努力の末、交換留学の選抜に勝ち抜き、無事に3年の後期から留学ができることが決定。今までの努力が認められたと感じ、言葉にできないほどの嬉しさを感じました。胸を躍らせ、成田空港からアメリカへ。    しかし、現地のネイティブを前にすると、自分の英語力がまだまだ足りないことを痛感しました。授業のディスカッションではついていけず、涙を浮かべたことも何度もありました。そんな中、ここで折れたら今までの努力が無駄になると自分を奮い立たせ、必死に英語勉強を行い、自ら積極的にネイティブの学生に話しかけにいきました。徐々に彼らのスピードにも慣れ、自ら話せるようにもなりました。その結果、留学前と比べてネイティブの学生と同じ土俵に立ち話すことができ、また勉強面でも成績上位者のみが選ばれるDean's Listと言われるリストにも両学期、私の名前が掲載されました。    10ヶ月という短い期間でしたが、世界中に多くの友達も作れました。春休みにはドイツ人の交換留学生と一緒にドミニカ共和国に行ったり、留学後も4人の友達の家におせわになりました。これほどまで、私と仲良くしてくれた友達には感謝でしかありません。彼らと出会えて本当によかったです。またいつかアメリカでできた友人全員と会いたいです。ちなみに、Instagramでは留学期間中に200人以上フォロワーが増え、こんなにも多くの方と出会えたんだなと感じました。留学は新たに世界中に友達を作れるいい機会でもありますね。それとちょっとした自慢なのですが、留学後私の英語力が評価され、テレビ番組の通訳のお仕事のオファーをいただきました。通常では経験できないようなお仕事をすることができ、本当に楽しかったです。それと同時に、留学前では日本語から英語、英語から日本語と自信を持って通訳することは絶対できなかった、これも留学で鍛え上げられたからだと感じました。留学中は気づけませんでしたが、帰国後に改めて自分の英語力が伸びたと確信しています。    また、英語力と同時に内面的にも大きく成長できました。以前までは、目標を持たず、なんとなく日々を過ごしていることが多かったです。しかし、この留学を通して、目標を明確に持ち、挑戦し続けることを意識できるように変化しました。自分が何を成し遂げたいのか、そのためには何をすべきなのかと他者の指示で動くのではなく主体的に考えることを意識していました。正直目標を見つけることは簡単なことではないと実感しています。今でもわからなくなることの方が多いですが、小さい目標でも自ら考え行動に移すことをしています。今まで自分の夢を持っていなかったため、正直つまらない人生を送っていたなと思います(笑)。しかし、今では夢を叶えるために行動している自分が今までで一番輝いていると感じています。このように考えることが来たのも、この留学があってこそで、私にとって人生の起点でした。    留学から帰ってきたら、何をすれば良いのかわからなくなるということがあるとよく話に聞いていました。実際私も今そのスランプに陥っています。アメリカでは、毎日が刺激的で学びの連続だったけれど、今では何もない。友人と遊んで1日が終わってしまうことがほとんどです。しかし、留学で学んだことを忘れず、学び続けると決めています。英語も忘れないように、英語を話す環境を作りにiFloorを訪れたり街中で海外の人を見かけ話すチャンスがあったら話しかけています。日本へ帰ってきてから、トルコ、スペイン、アメリカの人と仲良くなりました。もちろん、TOEICの勉強もしています。目標は卒業までにTOEICで900点を取ることです。絶対にこの目標を叶え、「後悔なんてない!」と卒業式で言えるように頑張ります。それに加え、スペイン語の勉強をしています。アメリカにいる時から友人がスペイン語を話していたため勉強していましたが、日本に帰ってきてからも勉強し続けています。今現在296日間連続で毎日5分勉強しています。毎日5分っていっても馬鹿にできませんよ。私はこれでドミニカ共和国にいる時に、現地の人と会話することができました。めちゃくちゃ簡単な会話しかできませんが(笑)。でも、意思疎通はできました。スペイン語を使う機会はアメリカと比べると、ものすごく少なくなってしまいますが、引き続き勉強します。そして、いつかまたスペイン語圏の国に行って、もっと現地の人と会話したいです。ちなみに、よく言語は混ざるから何ヶ国語もやらない方が良いと聞いたことがありますが、そんなことはありませんよ。確かにスペイン語とポルトガル語のように似たような言語でしたら混ざるかもしれませんが、個人的に英語とスペイン語は混ざりません。スペイン語を勉強していたからといって、英語力が劣ったと感じたことは一切ありません。    改めて言わせてください。この留学は私にとってかけがえのないもので、21年間で1番困難で、挑戦ができて、友達が増えて、学べて、楽しかった1年でした。いつも一緒にいてくれたFSUの友達、私を気にかけてくれた教授、サポートしてくださった麗澤大学・国際交流センターの皆様、応援してくれた家族ありがとうございました。皆さんのお力がなければ、絶対にこのような素晴らしい経験はできませんでした。この留学で学んだことを忘れず、今後も精一杯努力し続けます。そして、今以上に輝きます!!これからは私が少しでも皆様のお力になれるよう頑張ります!!Thank you so much for everything!! I love Reitaku and FSU!!    最後に私から皆さんへのメッセージで締めたいと思います。留学は、みなさんにとってかけがえのない経験となるはずです。ただ単に、英語力を伸ばすだけではありません。むしろそれでは勿体無い。様々な異なる文化や環境に身を置くことで、新たな自分になるチャンスでもあります。限られた大学生の時間を使うわけだから、日本では経験できない、数多くのことを吸収して後悔のない留学生活を送って欲しいです。私はこの交換留学をすることができ、心からよかったと感じています。もしこの留学をしていなかったら、以前のようにつまらない人生を送っていたでしょう。他者からの指示を待ち、決まったレールの上にいる。そんな人生楽しいはずがない!自ら考え道を作っていくことは、決まったレールを走ることの何倍も困難です。でも、その経験で何倍も成長することができ、人生を楽しめるはずです!留学が必ずしも皆さんの起点となるわけではありませんが、異なる文化・新たな環境に身を置けるきっかけが留学にはあります。そんな中、周りに流されず自ら考え行動することができれば、皆さんにとって何かしらの学びを得られるはずです。絶対に留学に行けとは言いません。しかし、少しでもいきたいのなら行かない言い訳を作らないでください。お金がない、英語力がない、成人式に出られなくなる、就活があると言い訳を作ることは簡単です。だけど、やり方はいくらでもある。留学に行くことは簡単なことではありませんが、いきたいのならどうやったらできるのかと考えてみてください。必ずやり方はあります。わからなくなったら、先生や友人、先輩に相談してみる、国際交流センター・大学に頼ってみてください。必ずアドバイスをしてくれます。麗澤大学は、努力している生徒を応援してくれる大学です。私は、そんな麗澤大学が大好きで入学できて本当によかったと感じています。挑戦してみることが大切で、その経験が自分自身を成長させてくれます。「夢を持て、諦めるな」私が留学中に学んだことです。皆さんも自分が輝ける人生を作れるように頑張ってください!応援しています!以上で最後のレポートを終わります。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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フィッチバーグ州立大学

フィッチバーグ州立大学での留学を終えて
前畑美亜
英語コミュニケーション専攻3年
2022年8月~2023年5月

   英語コミュニケーション専攻3年の前畑美亜です。私は2022年8月から2023年の5月の期間にアメリカのマサチューセッツ州にあるフィッチバーグ州立大学に留学をしました。9か月間と長い期間の留学となりましたが、いざ終わってみるとあっという間に感じています。楽しいことばかりではなく、毎日が挑戦の連続でしたがとても充実した日々を過ごせました。この大学で過ごした一年はとても刺激的で、大きく自分を成長させることが出来た一年だと思います。    私が学部留学を選んだ理由は、実際に海外の大学で現地の人と同じ授業を受け、日本では学べないような授業や興味のある分野について学んでみたかったからです。現地の人と同じ授業がとれるということが学部留学の一番の魅力だと思います。また、当たり前ですが周りは皆ネイティブで英語を話しています。その環境の中で自分の英語がどのくらい通じるか、なども実感することができ、今後の英語学習へのやる気もより高まりました。    始めはこの留学生活に対してとても不安な気持ちもありましたが同時に海外で生活を送れることはとても楽しみでした。環境の変化、言語への対応など不安の要素はたくさんありました。いざ現地で生活を始めてみると新しくできた現地の友達などが助けてくれたりしたので生活に早くなれることが出来ました。    私が一番印象に残っている授業は映画撮影を学ぶ、Intro to film and videoという授業です。この授業はこの大学に来る前からずっと気になっていた授業だったので取ることができとても嬉しかったです。20人ほどのクラス構成で、4人グループで活動する時間が多かったです。先生もユーモアあふれるとても愉快な先生で、授業をとても楽しく受けることが出来ました。映画鑑賞が趣味で、この大学に来る前から興味があった授業だったので、受けることが出来てとても満足しています。課題はグループで短編の映画一本、ドキュメンタリーを一本製作するという大きい課題が2つありました。ドキュメンタリーでは私を題材とした「日本から来た留学生」を題名に、約10分の作品を製作しました。日本の大学では経験できないような貴重な経験ができ自分の将来の仕事の興味の幅も広がりました。週末や授業終わりは友達と過ごしたり、図書館で勉強したりしていました。モールに行ったり、映画館に行ったり、移動式遊園地に行ったりなどもしてどれもとても楽しかったです。大学の近くにあまり大きくはないですが映画館があるので新しい映画が出たときは毎回友達とそこへ映画を見に行っていました。映画専攻の友達が多くいたので皆映画の最新作の情報など共有しあい映画の話でよく盛り上がります。    2学期にはダンスクラブにも入りました。1学期にこの大学のダンスクラブの発表会に行ったことがあり興味を持ったので2学期に入ってみようと思いました。日本でのダンス経験がありましたが、海外でダンスを踊るのは初めてだったのでとても楽しみにしていました。ダンスクラブには聞いたことのないようなジャンルがたくさんありました。例えばHaitian danceというハイチの人々の踊りが一つのジャンルとしてありました。また、Latin, Tectonicなど日本では踊られていないようなジャンルがたくさんあり見ていてとても楽しかったです。私はhiphop1とhiphop2のジャンルに参加しました。練習は週に1回1時間で練習が大変と思うことはあまりなかったです。久しぶりに踊ることができ、友達の歓声も客席からたくさん聞こえてきて最高に楽しめました。    アメリカでサンクスギビングやクリスマスなどの祝日は友達の家に行き友達の家族と一緒に過ごしました。初めて海外で祝日を過ごすことが出来たので祝い方の違いなどを知ることができとても貴重な経験が出来たと思います。日本よりも祝日を家族、親戚で過ごすことが一般的でした。Thanksgivingでは友達の多くの親戚が集まり七面鳥などの料理を食べ、話をしながら過ごしました。私の大好きなChristmasは一日中テレビでクリスマス映画が放送されていてそれをみんなで観ていました。その後にはプレゼント交換もしてとても楽しかったです。アメリカのほとんどの家ではクリスマスのデコレーションがカラフルで凝っていて明るいイルミネーションなどがあってとてもきれいだったのを覚えています。新年を祝う時も日本では祝ったことのないような形で祝ったので新鮮でした。年を越したと同時に、12個のブドウを、一つずつ願いを込めながら食べるということを教わりました。ラテン系の家庭だったので他の一般的な家庭とは違うかもしれませんが、初めて海外で年を越すことが出来てとても楽しかったです。    アメリカの大学に通ってみて多くの日本の大学とは違う点がたくさんありました。また同時にアメリカ人と日本人の違う点もたくさんありました。雨の日は傘をささない、筆箱はもたない、みんなフレンドリー、ほぼ毎日上下スウェット登校などなどまだありますが文化の違いを感じました。このような日本との違いを見つけることがアメリカで生活していて習慣化していきました。車では基本的に皆音楽を大音量で流しています。夜には寝ているとたくさんのクラクションを鳴らす音が聞こえてきます。アメリカらしいなと思いました。暮らしていて不便に思う点もありましたが、日本よりも良いと思える点もたくさんあり将来はアメリカで暮らしたいと思うようになりました。アメリカで生活していると見えてくる様々な問題、LGBTQや人種に関することなどにもより興味を持つようになりました。この大学にいる生徒の人種はどちらかというとダイバーシティではありません。アジア人は私を含めほんの数人、黒人もいますがやはり白人の比率が一番多いです。友達ともこのことについて話したのを覚えています。    この留学終えて、振り返ってみるとこの一年は毎日が刺激的で新しいことを学ぶ日々でした。現地の友達もたくさんでき本当に良い思い出ばかりです。英語を話す環境で生活をすることにはじめは緊張もありましたが、緊張しているのも忘れるくらい英語で話すということが私は楽しかったです。私の英語が未熟で理解してもらえないときももちろんありました。ですが、言えなかったことなどはすぐに調べて次の日には英語で言えるようにして毎日が英語勉強でした。周りの友達も私の英語を理解してくれようとしてくれて本当に優しい人達ばかりでした。アメリカでかけがえのない友達ができ、フィッチバーグ州立大学での留学生活で自分自身の成長を実感することが出来たのも周りの友達のおかげだと思っています。これからも日々英語学習を怠らずに、将来のために残りの大学生活にも励んでいきたいと思います。アメリカ、フィッチバーグ州立大学で過ごした一年は人生で一番思い出に残る最高の一年になりました。

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フィッチバーグ州立大学

自分を成長させてくれた留学
髙橋爽太朗
英語コミュニケーション専攻2年
2019年9月~12月

   私は2019年の9月から12月までの約4ヶ月間アメリカのマサチューセッツ州にあるフィッチバーグ州立大学に留学していました。フィッチバーグ州立大学は田舎の小さい大学ですがその分生徒や教授一人一人の距離が近くアットホームな雰囲気を感じることが出来る場所です。またフィッチバーグ市は観光地ではないのでその分アメリカ人のリアルな生活や文化も体験することができると思います。また学習環境もかなり整っており、生徒の為の充実した施設や多くの教授が協力的であるなど勉強をする点ではかなり良い環境だと思います。    私の留学は多くの周りの友達や教授の方々に支えられた留学だったと思います。アメリカに行く前の心境としては私にとっては初めての留学であり、初めての海外だったので期待よりも不安の方が大きかったです。文化の違いが大きい為、それに適応できるか、実際にネイティブのアメリカ人と話した経験は麗澤大学内だけだった為、自分の話すことや伝えたいことを相手が理解してくれるかなど多くの不安を抱えていました。しかしその不安は大学の授業が始まった後に多くの友達や教授の方々が取り除いてくれました。フィッチバーグ州立大学は英語学習者向けの授業はなく全ての授業を現地のアメリカ人と受けることになります。私は4つの授業を取っていたのですが周りの生徒は日本人どころか留学生も一人もいなく、全員アメリカ人の中に日本人が一人だけと言う状況でした。授業当初は聞きなれない単語が多く出てきたり、なかなか発言が出来なかったりとかなり苦労していました。中でもスピーチの授業では全員ネイティブのアメリカ人の前でスライドを使ったプレゼンテーションをしなければならず毎回かなり緊張しました。しかし、私と同じ授業を2つ取っている友達が授業内で声をかけてサポートしてくれたり、授業終わりに毎時間オフィスに行って復習を手伝ってくれる教授もいました。そのような人たちのおかげでアメリカ人と同じ評価方法の中でしっかりと良い成績を修めることができたことは私の中でも自信につながりました。    他にも授業以外で日本では学べないことを学びたいと思ったので個人的に教授にアポイントを取って宗教についても学びました。私はその教授の授業を取っていたわけではありませんが、わざわざお互いの空いてる時間を見つけて教わる時間を設けてくれました。宗教を学ぼうと思った理由は宗教を持たない人が多い日本では実際にリアルな話を聞くことが出来ないと思ったことと、これから多くの国籍や文化を持った人と関わる中で宗教のような深い部分も理解しなければいけないと思ったからです。実際に話を聞いてみると私が持っていた宗教に対するイメージの間違いや誤った知識に気付くことができ、毎時間を有意義に過ごすことが出来たと思います。またその教授の方に日本の文化を伝えることが出来たり、アメリカとの違いを話し合い比べるなど、宗教の話以外にも多くの学びがありました。自分が持っていたアメリカに対する知識が正しいのか、また実際にアメリカ人に話を聞くことによってより深く知識を得ることが出来ました。最終的にはその教授と学期が終わった後の帰国日の前日に食事に行くほど良好な関係を気付くことが出来ました。    授業がない時間や休日も友達と遊びに出かけたり、旅行に行ったりとかなり充実した時間を過ごすことが出来ました。休日は寮の友達と話をしたり、卓球などを楽しみました。初めは言語の壁を感じていましたが休日も多くの時間を友達と過ごすことで次第に仲を深めました。実際にアメリカ人の学生と過ごしていて感じたことはアメリカの学生は勉強をする時と遊ぶ時の切り替えがはっきりしていると感じました。図書館が遅くまで開いている平日はしっかり予習と復習、課題をこなして、金曜日から日曜日にかけてはしっかり遊ぶという学生が私の周りには多かったです。そのおかげで私自身もメリハリのある生活を送ることが出来ました。旅行ではアメリカの東から西にかけて多くの場所を訪れました。その中でもニューオーリンズは私に取ってかなり刺激的で非日常的でした。元々ニューオーリンズのジャズを聴くために訪れました。実際にストリートジャズを聴いてみると私が動画を見たりした時よりも想像以上に迫力があり、とても感動しました。また多くの観光客や現地の人も魅了されていて中にはジャズのリズムに合わせて踊り出す人もいました。次に21歳以上の時にアメリカに訪れる時はストリートジャズだけではなくジャズバーなどでプロの演奏も聞いてみたいと思いました。アメリカには日本では体験することが出来ない体験をできるので旅行で行くのも良いと思います。    私は今回の留学を通して多くのことを学びました。留学をすることの1つのメリットは多種多様な人種の人や全く異なった考えを持っている人たちに出会えることだと思います。これは単一国家の日本では絶対に体験することが出来ないことです。私が出会った学生の中で元々はレストランで働いていてそのあとに大学に通い始めた人や、60歳を超える老人が大学にいたりなど日本の大学ではあまり一般的ではない学生に多く出会いました。また旅行中にも様々な考え方や職業の人がいて、多くの話を旅行先で聞くことが出来たことはとても貴重な体験でした。また私が初めて日本から出て海外に行ったことにより、日本で生活をすることがどれだけ幸せなことかを改めて痛感しました。アメリカは格差の大きい国です。先ほど述べたストリートジャズを行う人の中にはチップを稼ぐために小学生くらいの年代の子が楽器を演奏しています。おそらく家庭が裕福ではなく生活が困難だからだと思います。他にも街中でホームレスの人にお金をせがまれることが多くあるなど考えさせられる瞬間に直面しました。やはり、衣食住の不自由なく日本で生活を送れることは幸せなことなのだと感じました。 最後にこの私の貴重な経験を生かしてよりこれからの生活を充実したものにできるように引続き努力して頑張りたいと思います。

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フィッチバーグ州立大学

Fitchburg留学体験記
鈴木悟
英語コミュニケーション専攻3年
2018年9月~2019年5月

    “英語を話せるか?” 帰国してたくさんの人が僕に聞いてきた質問だ。もちろん日本人がいない全く何もわからない地を自ら選んだのだから話せて当然だ。僕も確かに英語を話せるようになるために行ったがその目標はすぐに変わっていった。その時々の心情は現地レポートの1つ1つにも書いてあるがそのことについて述べていこうと思う。    行く前は日本人がいない全く知らない環境でも大丈夫だろうと自信があったが、その考えは乗り換えをしたシカゴの空港に着いた時に壊されてしまった。日本でアルバイトをしていたSUBWAYに行きオーダーの仕方を知っていたにも関わらずネイティブの話すスピードについていけず強い危機感を持った。そこから学校のオリエンテーションが三日間ありそこでもあまり自信がなく最初はあまり自分からはなすことはできなかったがルームメイトのドイツ人に’英語は自信を持てば余裕だよ’という助言をもらいそこからはできるできないを気にせずにただ話しているといつのまにか数日で慣れていった。授業の始まりはついていくのが少し大変だったがその後は英語に関しては特に大きな苦労をすることなく生活することができた。    英語に慣れた後に直面したのは友達作りの大変さだった。自分の留学するタイミングと同じに入学する一年生と友達になるのは簡単だが2.3.4年生の方がより人生経験があり自分にもプラスになることが多いと考えた為、あえて一年生ではなく既に友達関係が構築されている2.3.4年生に友達を作ろうと決めた。最初はとても大変で辛かったが一人友達になってしまえばその友達へと広げることができたので上手くいったと自分では考えている。今回の留学はこの友達たち抜きでは絶対に最後まで居られなかったと言っても過言ではないくらい友達に恵まれていた。まず一番初めに出会った友達で一番の親友になったデンゼルだ。彼は大学生ながら自分のゲーム会社を持ち、創設者兼CEOとして経営している。少し日本語を理解し日本が大好きだと語っていてそこから毎日のように一緒にいた大親友だ。彼のおかげで様々な催し物などに参加でき本当に感謝している。一人だけを挙げたが他にもこのような友達がたくさんおり、車がないと生活ができないフィッチバーグで一切不自由なく生活することができた。また冬休みに1ヶ月間完全に学校が閉まってしまい住む場所がないという留学生にとってタフなことが起こったがそんな自分を’うちに泊まりにきなよ’と数週間前に誘ってくれて1ヶ月間家に滞在させてくれたホストファミリーにも本当に恵まれた。このような人達に恵まれたのはみんな日本人とこんなに身近に接するのが初めてで興味を持っていて、初めての日本人として行って良かったなと心から思っている。    授業や先生についても本当に恵まれていた。フィッチバーグ州立大学ではコミュニケーション専攻の授業を履修し、特に後期は4年生用の授業を履修しとてもきついなと思ったが最終的に両方の授業ともGPAが4.0だった為頑張ってきて良かった。クラスにはもちろん留学生は一人もおらずネイティブの生徒と同じことを同じようにやるという当たり前に要求された環境が自分にとってプラスに働いていた。ただ留学生がいないだけではなく珍しい分、授業時間外に週に数回一対一で数時間教えてくれるなど人柄が良い教授がたくさんいて本当に助けられることが多かった。    学校の施設についても麗澤大学とは異なり図書館は普通の日で11:00PMまで、テスト期間が近くなると1:00AMまでやっておりスポーツジムも無料で使えるなど環境は本当に整っているなと感じた。キャンパスは大きくなく、晴れている日には外の芝生でゆっくりしている人も多くいてゆったりキャンパス生活が送れた。 自分がこの留学で一番力を入れたのが授業以外での活動や様々な場所に旅行をすることだ。この一年間に行った活動を1つずつ記述していこうと思う。    まず1つ目に行ったこととしては最初の学期が始まってからすぐ模擬国連クラブに参加したことだ。模擬国連の大きな大会が2月にあり、マサチューセッツ州から飛行機で約3時間かけて東海岸の南の方へ行ったジョージア州アトランタのEmory大学に行った。この会議は割と大きな大会でたくさんの人が来ていたがここで話されているのは普段に使う英語ではなくフォーマルなもので専門用語もたくさん出てきており最初は戸惑ったが、同じ会議に参加していた様々な学校の人たちが積極的に教えてくれるなど刺激的で充実して4日間を過ごすことができた。この時にフォーマルな英語の重要性もとても実感した。    2つ目に行ったことはフィッチバーグに新たなクラブを創設することだ。今も続いているが2学期目の初めから自分を含め3人の学生と先生と一緒にマサチューセッツ州で初めてのUNESCOクラブの設立をした。設立段階で帰国してしまったのでほとんど活動はできなかったが、設立旅行としてニューヨークにある国連本部の見学に行き、実際に行われていた女性の人権問題についてのミーティングに少し参加しお話を聞き、貴重な経験をすることができた。このような活動に貢献でき、日本でも活動の場を広げたいと思っているのでこれからが楽しみだ。    最後に娯楽について記述しようと思う。前にも述べたが友達など周りの人に恵まれていたため本当に一年間充実した日々を過ごしていた。フィッチバーグは本当に田舎で周りに何もないが、片道車で1時間、電車で1時間半から2時間のボストンには毎週のように行っており、他にもマサチューセッツ州の有名な観光地はほとんど制覇をした。マサチューセッツ州以外は、アメリカの首都であるワシントンD.C.やニューヨーク、そして西海岸にあるLAとアメリカの西と東の両方を楽しむことができた。国が大きな分、それぞれの地の特徴が違い興味深かった。友達のおかげで有名なアーティストのライブにも数回連れて行ってもらい、他にも帰国前には有名なビーチにも行き本当に楽しい思い出がいっぱいあった。ホストファミリーも日本のことをほとんど知らなかったがアメリカ空軍に来ている日本人の自衛隊の人に連絡をとり、日本人の自分が滞在する1ヶ月間でどうすれば楽しめるかを色々聞いてくれた。そしてマサチューセッツの南の方にあるNew Bedfordにアメリカに来た初めての日本人であるジョン万次郎の記念館があることを聞き、実際にそこまで連れて行ってくれ興味深く話を聞いていたのがとても印象的だった。    この留学では自国籍の人々が約98%を占め多様性があまりない日本では感じることが難しい世界の広さを少しでも実感することができた。日本人がいない大学という難しい環境を自ら選択したからこそ飛躍的に成長できたと自負している。

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