南イリノイ大学

Reitaku University International Exchange Center Reitaku University International Exchange Center

Southern Illinois University Carbondale

南イリノイ大学

南イリノイ大学

Center for English as a Second Language, Southern Illinois University Carbondale Faner 3242, Mailcode 4518, Carbondale, IL 62901

https://cesl.siu.edu

プログラム概要

英語
沿  革 南イリノイ大学(Southern Illinois University)は、1869年に設立された南イリノイ教育大学 を起源とする総合大学で、カーボンデール校とエドワーズビル校からなる。CESLのあるカーボンデール校は学生数約20,000人、シカゴの南方約500km、セントルイスの南東約160kmに位置する人口35,000人のイリノイ州南部の小都市にある。4.6平方キロメートルの広大なキャ ンパスに、200 以上の学部、学科を擁し、それらの学部のためにキャンパス内に牧場や空港がある。英語集中コース(CESL)はUCIEP(全米大学集中英語講座連盟)とAAIEP(集中英語プログラム米国協会)の加盟校であり、1966年以来、幅広い訓練と経験を積んだ講師陣による、最先端のメソッドに基づく英語集中講座を開講している。20ヶ国以上から来る約300名の留学生と共に、国際色豊かな環境で学ぶ。日本人の割合は約7%と少ない。
特  色 ●CESLでは年間8週間プログラム5セッションを提供しており、初級から上級の7レベルに分けられ最上級レベルは大学院進学のためのプログラムである。現地到着後、クラス分けテストを受ける。8月開始の場合2・3・4セッション(計16・24・32 週間)、3月開始の場合は2セッション終了後、3週間スペシャルプログラムのオプションも選べる(計19週間)。3月開始~12月終了の1年留学も可。1クラス12~15人の少人数制で、個人のニーズに合わせたサポートを受けられる。
●プログラム内容:授業は月~金(8:00~)で各レベル週20時間。
Level 1~2のGeneral Englishはより個人のレベルにあった学習が出来る
Level 3/4Advanced English 1/2:10時間Core+5時間文法+5時間Listening & Speaking Level 5/6 English for Academic purpose 1/2(TOEFL450+/475+)
10時間Core+10時間 Writer’s workshop
Level 7Graduate Student English(TOEFL500+)*上級クラスは学部授業の聴講可。
●SkillsCenterでは予約をするとチューターから30分の個別指導が受けられる。
●ConversationPartner制度がある。
宿  泊 ●麗大生は管理の行き届いている学外のAmbassadorHallに滞在する。主に寮で自炊をする が、ミールプランも選べる。
●セントルイス国際空港から車で約2時間半、シャトルバスが出ている。
生  活 ●カーボンデ―ルは小さな親しみやすい街で、イリノイ州内のベストスモールタウンにも選 出されている。付近にはシャウニー国立公園や多くの湖がある。 キャンパスは森と広場、 湖と木立に囲まれ、多くの学生がアウトドアのハイキングや釣り、ボート、キャンプや野 球などのスポーツを楽しんでいる。多国籍の仲間でチームを作り、サッカー、バレーボール、バスケット等の学内大会が多く開催されており、スポーツを通した文化交流が非常に盛んに行われている。また地域の貿易、観光、教育の中心地として栄え、物価が安い。セントルイスやシカゴ、インディアナポリス、ナッシュビルなどの大都市へのアクセスも良好。CESLは学内のMorris LibraryやStudent Centerに近い、Faner Hall内にある。
●CESL主催の各種イベントや小旅行が提供される。
条  件 ●英語2専攻:2年生で留学する場合、TOEIC400点以上、累計GPA1.5以上であること。3年生で留学をする場合、TOEIC450点以上、累計GPA1.5以上であること。(申込時)
●2年生後期で留学する場合は、帰国後外国語Ⅳと道徳科学Bを必ず履修しなければならない。
留学時期 ●2/3年次後期~(4ヶ月/6ヶ月/10ヶ月)、3年次前期~(:5ヶ月/10ヶ月)
担当教員 日影
特記事項 麗澤大学海外留学奨学金、日本学生支援機構留学奨学金

PICKUP留学体験記

一足先に留学を経験した麗澤大学の先輩たちが、留学先でのさまざまな体験談を語ってくれた「留学体験記」

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南イリノイ大学

南イリノイ大学体験記
藤岡華廉
英語・リベラルアーツ専攻3年
2019年8月~12月

   南イリノイ大学に2019年8月から12月の約四ヶ月間留学していた英語リベラルアーツ専攻三年の藤岡です。ここでは私が向こうで実際に体験したことや感じたことを述べて行きたいと思います。    はじめに、海外に行くこと自体が初めての自分にとっては全てが新しく、カルチャーショックの連続だったことが印象深いです。言葉も最初は上手く伝えることができず、寮で一人暮らしするのも初めてだったため色々と苦労しました。しかし今思い返してみると英語力だけでなく、この留学は自分の経験としてとても大きなものになったと感じることができました。そのなかでも私が一番感じたことは人と人の繋がりの大切さでした。異国の地で生活するうえで私の心の支えとなったのはもちろん一緒に行った日本人の友達もそうですが、やはり向こうで出会った人々との繋がりはかけがえのないものだと思いました。    留学先の南イリノイ大学はアメリカ中西部に位置するイリノイ州の南端カーボンデールという小さな町にあります。そして、私達麗澤生はCESLという南イリノイ大学内にある第二言語として英語を学ぶ人達を対象とされた施設で学びます。CESLの生徒は様々な国籍で形成されており、多文化あふれるところになっています。クラスでは1~7段階のレベル分けがされており最上級のレベル7では大学院を目指す人に向けられた授業が行われています。先生方はとても親切で授業もわかりやすく教えてくれます。CESLのスタッフの方々もとても親切で滞在中になにかトラブルがあっても親身になって対応してくれました。    CESLの生徒にはサウジアラビア人の割合がとても多く、理由として南イリノイ大学は航空学が有名でサウジアラビアからのパイロットやエンジニア志望の生徒が多く来ているからです。そのため、必然的にサウジアラビア人の友達が増えました。彼らは私達日本人より流暢に英語を話し、授業での発言力も高く、英語を勉強するにあたって良い刺激となりました。なかでも同じクラスだったサウジアラビア人のナワフという学生と私はとても仲良くなることができました。彼はアメリカに三年半ほどおり、南イリノイ大学の航空学部に入るためにCESLにいました。ちょうど彼と同じ年齢だったこともありすぐに意気投合した私達は週末になると一緒に出掛けるほどの仲になることができました。三年半もアメリカにいる彼から様々なことを教えてもらい、学びました。私がトラブルにあったときも誰よりも気にかけてくれました。彼には感謝してもしきれないくらい感謝しています。しかし、出会いがあれば別れもあるように、私が四ヶ月を修了し、帰国する時がきました。帰国日の朝、彼は私達の乗る電車の駅まで見送りに来てくれ、最後に彼がずっとつけていた指輪を私にくれました。お互いを忘れないようにいつでも思い出せるようにと。彼のおかげで私の留学生活はとても充実することができました。またいつかどこかで会えることを私は楽しみにしています。    さらに、南イリノイ大学にはジャパニーズテーブルという日本が好きな現地学生の集まりが週に一回あり私はそれに何度か参加しました。そこで私はアメリカ人学生であるマットという生徒と仲良くなりました。彼は日本に何度か訪れたことがあり、趣味も私と類似点が多くすぐに仲良くなりました。サンクスギビングという11月にある一週間の祝日のときに彼は私のことを彼の実家に誘ってくれました。最初は驚きましたが彼の家族からもOKをもらったので良い経験になると思い一週間のホームステイをしました。緊張していた自分とは違い彼の家族はとても優しくフレンドリーに私を迎えてくれました。彼の家族は、両親と妹の四人家族でシカゴの西部に位置する町に住んでいました。滞在5日目にして11月の第四木曜日であるサンクスギビングがやってきました。その日は家族で彼の祖父母の家に感謝祭を祝うために車を走らせ隣町まで行きました。最初に驚いたのが彼の祖父母の家はとても大きかったことです。なによりも驚いたことは彼の祖母の優しさでした。初対面である私を誰よりもフレンドリーに迎えてくれ嬉しかったことをいまでも覚えています。感謝祭の食事を準備している間に私達は様々な会話を交わしました。彼女はアメリカ人ではなく、1955年に移民としてやってきたドイツ人だということ、最初は英語を上手く話せなかったこと、いまでも独英辞典を使っているなど、彼女は私が英語をあまり上手に話せない心境などを理解してくれたり、昔のアメリカの時代の話をしてくれたりなどとても素晴らしい時間でした。そのなかでも一番驚いたことは、なんと彼女は12人の孫がいるということでした。しかし、これはアメリカではそんなに多いほうではないと聞いたときも驚きました。そしてその日の最後に祖父母夫妻は私にまた来年の夏においで、と言ってくれました。私は感謝の気持ちを伝え、お別れをしました。その日は留学中で間違いなく一番の思い出になりました。そのような経験をさせてくれたマットとその家族には感謝の気持ちでいっぱいでした。    アメリカに行ってから思ったことは人々の良さだと改めて感じることができました。留学中は辛いことがあったけれども、それを乗り越えられたのは友達や周りの人達のおかげだと思いました。そしてもし、留学中に友達を作りたい、欲しいと思っているなら自分から行動し、積極的にイベントなどに参加することがとても大事だと思いました。もともとコミュニケーションが得意ではなかった自分にとってそれは大変でしたが、留学を終えたいま、成長できたと感じています。そして、カーボンデールという決して大きな町ではありませんがそこで知り合った人々はかけがえのない存在になるんだと思いました。    留学するにあたって四ヶ月という期間は長いとはいえず、むしろ短いと感じるかもしれません。しかし一年だろうが半年だろうがその期間で自分がどれだけのことを学び、経験したかが重要だと思いました。そして、その経験をしっかりと生かしていくことがこれから私がすることだと思いました。

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南イリノイ大学留学体験記
高橋陸太
英語コミュニケーション専攻3年
2019年8月~12月

   英語コミュニケーション専攻3年生の高橋陸太です。4か月間のアメリカの南イリノイ大学への留学生活が終わり、私はとても有意義な時間を過ごせたと思っています。前回の現地レポートと被る部分も多いですが、留学体験記を書きたいと思います。主に学校と生活に分けて書いてありますので気になるところから読んでください。    まずは学校についてですが、CESLは南イリノイ大学の中の語学学校ですので、多くの国から英語を勉強したい学生が集まっています。TOFELの点数により7段階にレベルが分けられ、クラスは比較的少人数です。私はレベル6のあとに一番上の7に上がったのですが、基本文法のクラス、TOFELのクラス、ライティングのクラス、アメリカ文化のクラスがありました。一番上のクラスはGraduate Student Englishという、大学院を目指すことが大前提にあったコースだったので、かなりレベルが高く大変でした。大学生はクラスメイトにおらず、自分以外の全員が既に大学を卒業していて、それぞれ別の分野で専門知識を持っていました。それに比べて私の専攻は英語ですので、周りが当たり前に英語を話せている状況では弱いように感じました。一番苦労したのは、リサーチプロポーサルという課題でした。大学院に持ち込む研究の計画書を書くのですが、自分の研究分野の中で、複数の参考文献を使った要約と文献レビューを書き、今までの研究の不十分な点や課題を探し、次の研究に繋げていくという一連の流れが、自分にはとても難易度が高かったのを覚えています。研究テーマを決める段階で、最初は自分の専攻である英語を選んだのですが、誰でも当たり前に話せることが前提である英語についての研究計画書を、自分の英語のレベルで大学院に持ち込むのは違和感があると思い、とても悩みました。そこで、「本当に興味がある分野で進めれば、いい結果を出せるだろう」というロビンソン教授のアドバイスを受け、元々興味があった映画の編集について書くことにしました。私はテーマを決めるのが遅かったということもあり、学校から帰ったらすぐに図書館に行って、夜まで研究計画書を書くという生活をしていた時期もありましたが、無事に提出と発表を終えて、いい結果を出すことができました。    次に現地の生活についてですが、私は海外に行くのは今回が初めてだったということもあり、最初にアメリカ行きの飛行機に乗った時からカルチャーショックを感じ始めていました。それは、機内スタッフの方々が仕事中でも楽しそうに会話していたからです。アメリカで訪れた店の多くでも、同じように店員さん同士が楽しそうに会話していたり、お客さんとも素の態度で接していたりして、日本との接客文化の違いに衝撃を受けました。それはもちろん悪い意味ではなく、むしろ羨ましいと思っています。私は長い間日本で接客業のアルバイトをしていましたが、基本的にはお客様が最優先というのが大前提でした。しかしアメリカでは、店員と客、教授と学生などという立場を問わず、対等な関係というのが前提にあったため、いい意味で全員が素でいるように感じました。私はよく笑顔が苦手で怒られており、その結果作り笑顔をして、表情がさらに不自然に強張ったりしてしました。お客様に対して明るい印象を与えるのが大切という意見も尊重しますが、少なくとも私は自分が客だとしても店員さんとは対等な関係でいたいと考えていますし、素で接してくれたほうが嬉しいです。ピザ屋やマクドナルドではどこから来たのかと店員さんに聞かれたり、よく行く中華料理店の店員さんが名前を覚えてくれたり、学食の会計スタッフの女性が息子について話してくれたりと、店員さんや知らない人との雑談は数えきれないほどあり、日本ではあまり出来ない楽しい体験が多かったです。    日本では出来ない体験の中では、ナッシュビルという街を訪れた時のことが一番印象に残っているので、それについても書きたいと思います。学校が提供している活動の中で、たったの5ドルでテネシー州のナッシュビルという街に日帰り旅行ができるというものがあったので、私も申し込むことにしました。バスに二時間以上乗り、ようやく現地のメインストリートに到着すると、町中で大音量の音楽が流れていて、煙の匂いがしました。そこにはドラムを演奏するストリートパフォーマー、キリスト教について演説する人、馬車、パーティワゴンなど初めて見るものがたくさんありました。しかし私にとって最も印象に残ったのは、町中を走っているレンタルスクーターでした。スクーターは専用アプリからレンタルできて、使い終わったらどこに乗り捨ててもいいのですが、最初は使い方が全く分からず、CESLの友達に教えてもらいました。このスクーターのレンタルサービスに限ったことではないのですが、日本は先進国ではあるものの、ドローン、キャッシュレス化、セルフレジ化、自動運転化などの革新的な技術は、導入が遅れていたり、規制されていたりしますよね。初めて大都市に出たことにより、アメリカ特有の、変化を恐れず最新のアイデアを惜しみなく導入する精神を強く感じました。    ナッシュビルで次に印象に残っているのは、ホームレスについてです。お金を持っていて楽しそうに遊び歩く人々の傍らには、道端でお金や食べ物を求めて路上に座るホームレスの人々がいました。楽しそうに話していた男性が、ホームレスに話しかけられた瞬間に血相を変えて、吸っていた煙草を投げつけていて、資本主義社会の闇の部分を見たような気がしました。一人、我々に直接食べ物を恵んでくれないかと話しかけてきたホームレスの人がいて、時間がなかったので丁寧にお断りしたのですが、彼は怒って去っていきました。「お前らに、おれの生活など決して想像できないだろう。だからノーなどと言えるんだ!」アメリカでは、ホームレスの割合は日本よりも多く、彼らの社会復帰は日本よりも断然難しいと思います。普段はあまり意識しませんが、日本の社会保障の充実度を実感できるいい機会になりました。

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私の留学体験記
若林僚
英語・リベラルアーツ専攻3年
2019年3月~12月

   私はアメリカの南イリノイ大学に約10ヶ月間留学していました。正直とてもあっという間だったと感じています。周りの友人から楽しそうとか羨ましいなと言われることが多く、それをサポートしてくれていた親には頭が上がりません。私自身もすごく充実した生活をおくれたと感じています。しかしすべてが華やかだったわけではありません。辛いこともたくさんありました。それらも含めて私が留学して感じたことを話したいと思います。    まずこの留学で自分に欠かせなかったものは友人です。私は周りの人にとても恵まれていたと思います。初めに出会ったのはモンゴル人のニコラスです。彼はとても社交的で明るくすぐ仲良くなることができ彼のおかげで私の留学生活のスタートは好発進といえるものになりました。次に出会ったのがパナマ人の学生たちです。私が3月にアメリカに行きその1ヵ月後くらいに彼らがきて同じ学生寮に住むことになりました。ここから私の英語力は飛躍的に伸びていきます。彼らの主言語はスペイン語でしたが英語も流暢に話します。彼らの性格はとても明るくよくパーティーなどにも誘ってくれました。彼らが来てからは授業もより楽しくなり会話の機会も自然と増え私のスピーキングの助けになってくれました。授業以外でも住んでいる寮が同じだったため夕食を一緒に食べたり映画をみたり自然と会話する機会が増えていきました。同じ留学生というグループではあるものの彼らの英語力は私より圧倒的に上でしたがそれに負けじと食らいついて行きました。    私の留学期間は元々半年でしたがアメリカに来て3か月が過ぎたころから期間の延長を考え始めました。理由はとても単純で自分の英語に全然満足いっていなかったからです。確かに私の会話は上達し周りの留学生たちとも難なく会話できていましたし授業も特に問題はありませんでした。しかし現地のアメリカ人の学生、自分たちと同い年くらいの人たちと話すと全くと言っていいほど理解できませんでした。アメリカに留学していてアメリカ人とうまくコミュニケーションが取れない、これは私にとって大きな悩みとなっていました。ただこの悩みは自分の留学生活を見つめなおすいい機会となり結果的に留学を延長する大きな決め手となりました。こういった悩みを抱えつつも私は努力を続けていき最初の半年間が過ぎていきました。    8月に入り夏休みが終わり現地の学生たちが大学に戻ってきました。日本語が好きな人たちが集まるコミュニティに参加したり、coffee hour と言って週末にお茶をしながら学生と交流するアクティビティなど大学が始まったことで現地の学生と関わる機会が自然と増えていきました。ただ友達といえるアメリカ人は数えられるほどで自分の理想とは異なっていました。そんな時に出会ったのは韓国人の学部生の友達です。彼の人脈は本当に広くアメリカ人の友達もとても多い人でした。彼との出会いは学部授業を取っていなかった私にとって大きな救いでした。彼と出会ったことでアメリカ人の友達も増え私の生活もより充実したものとなっていきました。そういった機会が増えてから周りの人たちから上達したとか発音綺麗だねと言ってもらえるようになりました。今でも私の留学生活は本当に人に恵まれているものだったと実感しています。友人たちと遊んだり勉強したりすること、ほんとにちょっとしたことでも英語力の向上につながると思っているのでそういった機会を大事にしてほしいと思います。    アメリカでの授業は基本的に少人数のクラスで積極的に発言をすることが求められます。「わからない」ということはほとんど無く間違っても何か言うのがアメリカでの授業です。課題やプレゼンテーションなども多かったが放課後の時間が十分に確保されているためそういった時間を効率よく利用すれば遅れをとることはないと感じました。クラスレベルが上がるにつれて内容も難しくなりますがしっかりと勉強しておけば特に問題ありませんでした。    私の寮生活についても話したいと思います。最初に言っておくと私はこの留学中に2つの寮に住みました。初めに住んでいた国際寮はほとんどの人がインターナショナルの生徒でした。個人の部屋が設けられキッチンはみんなでシェアという形でした。大広間にはテレビがありみんなで映画を見たりすることができます。ビリヤード台もあり私はよく留学生同士で遊んだりしていました。基本的には学生は多く賑やかですが長期休みに入ると皆旅行や母国に帰ったりするのですこし寂しく感じることもありました。そして私は留学期間の後半から学内の寮に住むことにしました。その理由は自分の時間の確保とアメリカ人との交流を増やすためでした。麗澤生で前例がなく不安も少しありましたが私はとても良い経験をすることができました。その寮ではアメリカ人4人と暮らしていて年齢も近く話題もたくさんありとても居心地がよかったです。私の英語力が足らなかったため苦労することも多かったですが、彼らのサポートもあり充実した時間を過ごすことができました。そのおかげで私の英語は上達したと思っています。友達のいない空間にいきなり飛び込むのはとても勇気のいることで不安もありましたが一歩踏み出してみるとまた違った体験ができたので行動を起こすことの大切を改めて感じることが出来ました。    最後に学校以外のこと、娯楽についてです。私はこの留学期間中に休みの日を利用して旅行をしていました。有名な場所で言うとニューヨークやロサンゼルスなど。とてもいい経験になったと思います。テレビで見ていたような大きな都市を自分の目で見て感じるというのはとても貴重なものですし、日本にいたら簡単にはいけないと思うのでお金はかかると思うけどそれくらい価値のあるものになると思うので私は旅行をおすすめします。    留学というのは自分を大きく成長させる機会だと思います。こういった環境に10ヶ月間身を置けたことに感謝しているし自分の成長も感じています。これからも努力を怠らずこの経験を無駄にしないように自分のさらなる成長につなげられるように頑張りたいと思います。

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Chance on the Edge of Life
吉田晃
英語コミュニケーション専攻3年
2018年8月〜2019年5月

   「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである」───かのアインシュタインはこう言った。自身が常識だと思っていることは、あくまでその人の価値観である、とは大げさに聞こえがちだが、果たして全ての人がそれを否定できるか。1年前までの私にはできたはずだった。自分は常識などという固定観念に自身の思考をあてはめず、完璧な平等を貫くことができると、そう思い込んでいた。結果から言ってしまえば、この1年間の留学を経て、私の自惚れはことごとく打ち壊された。これについて、私の中で印象的なエピソードがある。    ある日、ホームパーティに参加した時のことだった。私はアメリカ人の友人たちを交えて談笑していた。ふとした時に、会話は中国についての話になった。そこで私は、かねてより思っていたことを話した。「彼らはよく大声で話す。時に不適切なくらいに」これには理由がある。日本においても、よく街で旅行客などを見かける。その度に声のボリュームが大きいことが印象に残っていた。私は攻撃的な意味もなく、ただ思ったことを述べたつもりだった。    だが、それを聞いた私の友人、仮にMとする、は違う意見だった。「アキラ、それは差別的だわ。」彼女は続ける。「彼らは彼らなりのやり方をしているだけよ。」衝撃を受けたような感覚に襲われた。彼らなりのやり方など、今まで考えたこともなかった。私は自分でも気づかぬうちに、中国人を批判していたのだ。彼らは最初から間違ったことなどしていなかった。私が日本で生きることによって積み重ねてきた、日本でのみ通用する価値観だけを元にして考えていただけだったのだ。私はMに指摘されたことで初めて気づき、そしてひどく自分を恥じた。あの日以来、私の考え方は180度変わった。寛容になったとも言えるかもしれない。何か他とは違う振る舞いをしている人(あくまで私の観点からだが)を見ても、「あの人は自分なりのやり方をしているのだ」と考え、フェアに捉えられるようになった。少し前までの差別的だった自分からは大きな進展だ。自分は差別などしないと言う反面、その実偏見を持って人を見ていたのは自分だったのだ。それに気づけた今は、非常に救われたような気持ちだ。Mは私がこれからの人生もレイシストであり続ける前に引き留めてくれた恩人だ。    時に、アメリカの人々の印象として、時間にルーズ、外国人に対して排他的、仕事が雑などと考える人がいる。これらは有名なステレオタイプで、あながち間違っていない。だが、日本に暮らしているだけでもこの国には幅広い多様性に富んだ人々がいることがわかるように、アメリカも例外ではない。前に上げた固定観念に合っている人もいれば、そうでない人もいる。私は時折アメリカ人の友人たちに、「アメリカの人は○○なのか?」といった風にステレオタイプについて聞くことがあった。すると彼らは毎度決まって「Not all Americans…(みんながみんなではないけれど…)」と始めた。彼らは、自分たちがたったの一言で表せるほど単調な人種ではないことをよく理解しているのだ。私自身も、出会った人々の多様性の幅広さに非常に驚かされたことがたびたびあった。私が日本語チューター、すなわち日本語を学んでいる学生に対して授業外で勉強のサポートをする仕事をやっていた頃、私の担当はAという、これまたアメリカ人の学生だった。彼はとても傾聴することが得意で、私の友人は話す方が好きな人が大多数を占めがちだった中で、彼は非常に特徴的だった。また、謙虚な姿勢を見せることも多々あり、時にそれはひどく日本人じみたものだった。そんな彼の性格は、私の中で鮮烈な記憶となっている。ステレオタイプは未開の地において人びとの行動を予想するいいヒントであるが、個人対個人の段階においては何の意味も持たぬ知識であることを痛感した。そして、アメリカに限らず、世界中の他の国についても同じような現象が起こった。中国、台湾、サウジアラビア、メキシコ、ロシア。今までメディアで見ることでしか情報を得られなかった国々の、その出身の友人ができたことによって、その国への興味はぐんと強まった。楽しそうに自国の話をする友人たちを見て、これまで「外国」という漠然とした印象しか持っていなかった国々が、鮮明なイメージとなって思い描かれるようになった。    そもそも私がアメリカへ行くことを決めた一番のきっかけとは、日本の文化への嫌悪感からだった。集団で行動し、波風立てぬように挑戦的な言動を慎む日本とは違い、人々が個性を大切にし、自分の考えを持ってまっすぐに生きる様は、私にとって憧れの環境であった。当時の私は、盲目的なアメリカ至上主義であった。だが、たかが一部のメディアから得た貧弱な幻想は、この留学生活中にアメリカの良いところ、悪いところを見るうちに、壊され、書き換えられ、再構築された。その結果、私は今でもアメリカが好きで、その上、アメリカで磨いた新たな視点を通して、日本ももっと好きになった。今となっては、以前のようにネガティブな感情を持ち続けて苦しそうに生きることなく、自分の生きる環境を好きになって、楽な気持ちでいられるようになったことに安堵している。    私はこの1年間の留学を通して、数々のイレギュラーに直面し、その度に自分が持っていた偏見が誤っていたことを認識し、修正してきた。時にそれはネガティブな認識を改めさせてくれ、新しく出会う人々が素晴らしい、面白い性格を秘めていることを教えてくれた。そして、これらの機会は、私がどんな価値観を持って生きていくべきなのか、深く考えさせてくれた。私は依然として自分が偏見にまみれた思考をしていることを理解しているが、今ならそれを認められる。そして同時に、それらに対処するため、適切に誤りを認め、考えを直し、それらと上手く付き合っていけるとも言える。日本で過ごし、日本で培ってきた価値観と、アメリカで過ごし、新しく手に入れた”第3の視点”となる新しい価値観を持てたことに、私はとても誇らしく思う。

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体験者による留学先紹介

南イリノイ大学への留学経験者が留学先をご紹介します。