教職員
2020/12/09

【前編】私も、あなたも。一人ひとりがやるべき国際協力、SDGsへの取り組みがあります

【前編】私も、あなたも。一人ひとりがやるべき国際協力、SDGsへの取り組みがあります
松島 正明
国際学部 国際学科 教授
長野県飯田市出身。東京外国語大学外国語学部ドイツ語学科卒業。住友銀行を経て特殊法人国際協力事業団※(JICA)へ。アフガニスタン事務所長、イラク事務所長、北海道国際センター所長などを務め、2018年より現職。専門分野は国際関係論、国際協力論。訪れた国は100ヵ国以上におよぶ。「訪れた国は全部好きになって帰ってくるが、一番好きな国はと問われれば当然日本」。映画「男はつらいよ」シリーズを見ながら晩酌するのが、リラックスタイムの過ごし方。※現・独立行政法人国際協力機構
目次

    新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により、国際協力・国際交流は今、大きな影響を受けています。海外渡航など活動が制限される中、これからどうなっていくのでしょうか?今回は、コロナ禍における国際協力について、JICA職員として紛争地域の平和構築などに携わってきた、松島正明先生にお話を伺います。
    JICAとは、SDGsの主な対象である開発途上国の様々な問題を解決するために、資金や技術の提供、人材育成などの国際協力を行う日本政府の援助実施機関です。前編ではまず、松島先生が国際協力の道に進むことになったきっかけや、現場でどのような仕事をされていたのか?先生のこれまでをお聞きしました。

    「困っている人たちのために仕事をしたい」銀行員からJICA職員へ転身

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    • 私は大学卒業後銀行に就職しました。当時はバブル期で、銀行をはじめ金融業界が業態を超えて、様々なビジネスに取り組んでいた時代。銀行員と言っても、金融の仕事だけでなく、ゴルフ場会員権の販売斡旋や土地の売買情報の提供など、銀行に集まる情報を活用してコンサルタント業務なども行い、日本中を対象とするダイナミックな仕事だと実感していました。大きなお金を動かすこともできたので、自分の工夫次第で何でもできるという錯覚に陥っていました(今から思えば)。入社後5年くらいが経ち、銀行の命で初代としてJICAへ出向することになるのですが、いい意味で、仕事観が大きく変わりました。

    JICA出向時は企画部で、担当国のマクロ経済・社会分析や開発プロジェクトの企画立案などを担当しました。アフリカ、中東、アジア、中南米と、援助対象である途上国に赴いて、相手国政府関係者や現地住民などの話を聞き、当該分野の課題分析に基づいた具体的な対策案について開発コンサルタントの力も借りながらプロジェクトの立案などを実施しました。

    • 数十億円規模の開発予算の執行を担当し、途上国が当面する問題解決に取り組み、貧困や格差で困窮する人々の立場に立って試行錯誤する仕事です。銀行では損得抜きで相手のためだけに尽くすことは経験できなかったので、それまで感じたことのない、大きなやりがいを感じました。2年間の出向を終え銀行に戻りましたが、JICAの仕事や途上国で困っている人たちのことが頭から離れない。「自分はこのままで良いのか?本当にやりたいことは何か?」そんなことを考えるうちに、気がついたら家族に相談もせず銀行を辞めていました(笑)。
      それから25年間勤務することになります。

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    「平和構築・復興支援」のため、アフガニスタン、イラクへ

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    • JICA活動の現場は途上国と日本国内です(援助協調では先進国なども含まれます)。国際協力と言っても、業務内容は多岐にわたります。私も日本と途上国を2~3年周期で往来しながら、様々な業務に携わりました。日本では主に本部に勤務し、有償・無償資金協力やプロジェクトの予備調査などを実施し、途上国から各分野の研修員を招聘して、看護師や教員などを養成するための人材育成や、JICA職員や関係者の安全を守るためのリスクマネジメントなど、多くの業務を経験しました。赴任した国はバングラディシュ、アフガニスタン、イラク。

    アフガニスタンとイラクでは事務所長を務め、JICA事務所の立ち上げをはじめ、紛争によって崩壊した国を立て直す「平和構築・復興支援」などを行いました。アフガニスタンに入ったのは2004年。

    • 当時、アフガニスタンは20年以上にわたる紛争と内戦により、国土が荒廃。道路や学校、病院などが破壊され、多くの人々が亡くなったり、難民となって国外へ逃れたりして、ガレキの山にお年寄りと女性、子どもだけが残されているような状況でした。人々が安心して暮らせる国をもう一度つくるには、道路や水道など経済インフラの早急な復旧、学校・医療施設など社会インフラの再建をはじめ、憲法作成や国会、選挙制度、行政機関の再構築など新生アフガニスタンを担う人材の育成と広範な支援が不可欠です。事務所長として私のもうひとつの重要な仕事は、日本から派遣された建築・土木、教育、医療など各分野の専門家約100人のチームに関する業務監理(マネジメント)と、安全対策でした。

    • 2004年首都カブールの街並み.jpgのサムネイル画像

    何があってもプロジェクトを止められない。アフガニスタンの人たちのために

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    • 専門家の方々はたくさんいても、実際の所員は私を含め、わずか3名。それでいくつものプロジェクトを同時に動かしていたので、とにかく忙しかった。当時のアフガニスタンは未だ小規模な戦闘が絶えないハイリスクな状況にあり、現地で活動する人員約100名の安全を確保するため、厳重な安全対策もしなければなりませんでした。もし、一人でも何かあれば、全員、日本に撤退することになる。そうなれば支援活動が途切れ、残されたアフガニスタンの人々はたちまち困窮することになります。

    プロジェクトを止めないことは、所長の責任です。誰一人としてケガや病気がないよう細心の注意を払いながら、アフガニスタンの人たちが一日も早く日常を取り戻せるよう、事業を滞りなく進めていく。アクセルとブレーキを同時に踏むような仕事で、常に気が張りつめていましたね。

    • ピンチもありましたが、日本大使館、アフガン政府(軍、警察など)、事務所の現地スタッフや地域住民の人々に助けられながら都度危機を乗り越え、プロジェクトを止めることなく、無事任期を終えることができたのです。よく倒れなかったと思うくらい大変でしたが(笑)、この時身につけたリスクマネジメントのスキルは、帰国後担当するJICA全体の安全管理業務やイラクでの業務に活かされました。私が顧問をつとめる麗澤大学の学生団体が海外で活動する際にも、とても役立っています。学生自身の意識も高く、おかげさまで今のところ無事故で活動できています。

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    本当の国際協力は「信頼関係」から生まれるもの

    • カブール市内の女子小学校.jpgのサムネイル画像
    • 国際協力は基本的に先進国から途上国に対する「支援」ですが、現場では、実は私たち支援する側が、相手国の人たちに守られているのです。ある時日本人の専門家が倒れた時、医療設備がほとんど無い現地で懸命の治療にあたってくれたアフガニスタンの医師、私たちの身を守るために必要な情報を提供してくれた地元の警察や軍関係者、そして地域コミュニティの住民。相手国の人たちが我々を信用してくれたお陰で、私たちは安全に活動することができたのです。今思えば、私たちが誠心誠意、懸命に取り組んでいたからこそ、現地の人々も応えてくれたのでしょう。

    そこにあったのは、信頼関係。異なる文化や考え方を持つ者同士が、お互いを受け入れ、支え合いながら共に歩んでいく。このような形が理想的な国際協力ではないかと思っています。

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