2025年度より経済学部 学部長となった小高新吾教授。小高教授は、日本銀行や外務省で30年以上の実務経験を積んできた「実務家教員」です。理論だけでなく、社会で培った知識と経験を学生に伝えることで、より実践的な学びを促しています。後編では、学生時代から現在に至るまでの歩みと、教育者・学部長としての使命に迫ります。
引っ込み思案だった私が変わった大学4年間
中学時代はサッカー部でした。歌うことも好きでしたが、合唱部に兼部を誘われても人目を気にして断ってしまいました。高校でもサッカー部に入りましたが、3年間やり遂げず途中で退部してしまいました。どちらかと言えば引っ込み思案で、挑戦したい気持ちがありながらも、周囲のことばかり気にして一歩を踏み出せないタイプでした。
そのもどかしさへの後悔をバネに、大学では「とにかく何でも全力でやってみよう」と決意しました。この思いが、私の人生を大きく変えるきっかけとなりました。

-
大学では学問の面白さに目覚め、特にゼミナールでの活動に力を入れました。仲間と夜遅くまで議論を交わす中で、物事を多角的に捉え、深く考える力が身につきました。ここで出会った友人たちは、今でも何でも語り合える一生の仲間です。
また、中学時代に断って後悔した合唱にも改めて挑戦しました。合唱サークルに入り、地方公演の開催を自分たちで企画し、地元の教育委員会や商工会に協力をお願いしてポスターを掲示してもらうなど、社会と関わりながらひとつの舞台をつくりあげました。この経験を通して、「他者と協働して価値を生み出す喜び」を実感しました。
さらに塾講師のアルバイトを通じて教育への関心が高まり、教員免許や司書資格も取得しました。
大学4年間は、まさに「自分の殻を破り、世界が広がった」時間でした。そして、「どのような職業に就いても、人の成長に貢献できる人間になりたい」という思いを強く抱くようになりました。
金融の最前線から教育の道へ
大学卒業後、日本銀行に入行し、35年間にわたり様々な業務に携わりました。なかでも印象深いのは、国際金融の現場での経験です。
ひとつは、スイスにあるバーゼル銀行監督委員会のタスクフォースメンバーとして、各国の規制当局とともに金融ルール策定に取り組んだことです。この会議は、日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツの5カ国の代表が集まり、先端金融技術がもたらすリスクにどう対応するかを議論するものです。
当時は20代後半で、英語にも自信がなく、「食中毒でも起こして休もうか」と本気で考えたほどでした(笑)。しかし、議論を重ねるうちに、「英語は拙くても、人柄は信頼できるし、何より内容は的確だ」とメンバーに認められるようになり、強い信頼関係を築くことができました。
もうひとつは、外務省出向時に、在中国日本国大使館の一等書記官として勤務した経験です。中国政府との条約交渉や経済分析など、国益をかけた交渉に粘り強く臨んだ経験も貴重な機会として印象に残っています。
さらに国際金融危機、いわゆるリーマンショックの時期には、香港事務所長としてアジア・オセアニア全域におよぶ国際金融危機の最前線で働いたり、東日本大震災直後には釧路で店舗移転という大きなプロジェクトに携わったりと、国内外問わず駆け回りました。
こうした経験を通じて、異なる文化や価値観を持つ人々と対話し、信頼関係を築くことの大切さを学びました。そして、学生時代から抱いていた「人の成長に関わりたい」という思いが、一層強くなっていきました。
実務経験から得た学び 「コーリング(天職)」を見つける働き方
日本銀行で支店長を務めた際、職員全員に向けて三つの言葉を掲げました。「前向きに、力を合わせて、一生懸命」です。これは単なるスローガンではなく、どんな困難にも立ち向かうための私自身の信条でもあります。
「前向きに」―どんな仕事でも、取り組む姿勢によって得られる経験値は格段に変わってきます。
「力を合わせて」―一人でできることには限りがあり、他者と協力することでより大きな成果を生み出せます。
そして「一生懸命」―目の前の一つひとつの仕事に真剣に取り組む経験は、後の人生できっと役立つ機会が巡ってきます。
-
この考え方は、経営学者のドラッカーが著書で紹介した「三人の石工」の寓話にも通じます。
作業をしている石工は何をしているのかと問われ、一人目は「生活のためにレンガを積んでいる」、二人目は「素晴らしい建物を建てる技術を磨くためにレンガを積んでいる」と答えます。そして三人目は、目を輝かせながら「みんなが祈ることができる教会をつくるためにレンガを積んでいる」と答えました。社会学者のロバート・ベラーは、この違いを「ジョブ(労働)」「キャリア(経歴)」「コーリング(天職)」と呼びました。

単なる労働や経歴のためでなく、社会的な意義や目的を見出し、それを自らの「コーリング」として仕事に取り組むこと。私にとってのコーリングは、「多くの人の役に立ちたい」という思いです。日銀時代は物価と金融システムの安定を通じて人々の生活を守ること、今は学生の成長を通じて社会に貢献することがそれにあたります。皆さんにも、そう思える仕事を見つけてほしいと願っています。
まだまだ続く私の夢。学部長として、教育者として
学生時代から抱いていた「教育」への思いは長年の実務を経ても消えることはありませんでした。金融経済の専門性と教育への情熱、この二つを掛け合わせて、「本当にやりたいことは一歩踏み出しやってみよう」と大学の教壇に立つことが私の夢となりました。
麗澤大学の「知徳一体」という教育理念、つまり専門知識(知)の習得だけでなく、それを社会のためにどう活かすかという人間性(徳)を重んじる考え方に深く共感しました。これこそ、私が金融の現場で追い求めてきた理想そのものだったからです。
教育者として、そして今年度から経済学部長として、私には大きく二つの目標があります。

-
ひとつは学生に学ぶ喜びを伝え、社会に貢献できる豊かな人間性を育むという教育者としての原点を大切にし続けること。私が大学に来て最も嬉しいのは、学生たちの成長を間近で見られることです。入学当初は人前で話すのも苦手だった学生が、授業を通じてプレゼンテーション能力を大幅に向上させ、自信を持って発表できるようになる。ディスカッションでも最初は黙っていた学生が、だんだん積極的に発言するようになる。そんな姿を見ると、教育者として本当にやりがいを感じます。
もうひとつは学部全体の力を結集して、より良い教育環境をつくり上げることです。そのためには、実務家教員と研究者教員がそれぞれの強みを最大限に発揮し、理論と実践が融合したシナジーを生み出すことが重要です。私自身も日銀での組織運営の経験を活かし、教職員一丸となって「学生一人ひとりの可能性を最大限に引き出す学部」をつくり上げていく所存です。
これからも、この教育にかける思いは変わりません。むしろ、学部長という立場になったからこそ、この思いをより多くの学生に届けていきたいと考えています。



麗澤大学の最新情報をお届けします。