卒業生の活躍
2019.11.29|最終更新日:2022.06.15|

【前編】将来の"なりたい自分像"を思い浮かべて、今できることをする

【前編】将来の
コーケリー愛子(旧姓:廣瀬)
外国語学部 英語学科(現在の英語コミュニケーション専攻 / 英語・リベラルアーツ専攻)2006年3月卒業
福岡県出身。卒業後は福岡県で英語教師になる夢を叶える。結婚を機にアメリカ合衆国のワシントン州に移住。日本語教師を経て現在は2児の子育てに専念している。
目次

    英語へのスイッチが入るきっかけは、ある日の父の姿

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    小学4年生の頃から将来はプロ選手を夢見るほどバスケットボールに没頭。しかし中学生の時に膝を負傷し手術。約8ヶ月のリハビリも虚しく、将来激しい運動はできないと、その夢を挫折。そんな中「新しいスタートを切るなら何ができるだろう?将来何がしたいだろう?」そう考えた時に前に進むきっかけを与えてくれたのが英語でした。

    なぜ英語かというと中学生の頃、比較的英語の成績が良かったこともありますが、単に英語が好きというのが一番の理由でした。そんな中、「英語を話せるともっと楽しいんだろうな」と思えるきっかけを与えてくれたのは、父でした。家族でゲームセンターに行った時、ゲームの機械操作方法が分からず困っている外国の方がいました。これを見た父がジェスチャーと拙い英語で、その外国の方に操作方法を教えてあげていたのです。目の前で外国の方とコミュニケーションをとる父の姿を初めて見て「自分も英語を話せるようになりたい!英語を話せると、なんだか楽しそう!」と思ったのをよく覚えています。医療関係の仕事に就いていた父は、英単語、語彙などをたくさん勉強し覚えているということは知っていましたが、

    まさか外国の方と話しができるなんて一度も思ったことがありませんでしたし、家で英語を披露することなんて一度もありませんでしたので、当時は英語というツールを使って楽しそうに外国の方と話しをする父の姿を見て、貴重な経験をすることができました。この出来事が、さらに英語に興味を持つきっかけとなりました。

    教師と留学、二つの夢の両立に苦心

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    英語に興味を持った私は国際英語科のある高校に進学、英語という科目をより深く勉強していくうちに英語教師になりたい、将来留学をしたいと夢を抱くようになりました。そして大学進学を控えた高校3年生の時、インターネットで情報収集をしていると検索結果に麗澤大学の情報が出てきました。麗澤大学に興味を持った私は、当時の担任の先生に相談。なんとその担任の先生が麗澤大学出身だったということが判明したのです。

    先生から麗澤大学のことを詳しく教えていただき、国際交流や独自の留学プログラムに力を入れているということを知りました。他大学への進学も考えていたのですが、麗澤大学のことを知ってからは「英語教師になりたい、そのためには将来留学も経験し、本格的に英語を学びたいと思っている私が理想としている大学はここだ」と感じ、進学を決意しました。在学中、一番大変だったことは教員免許取得のための勉強と留学の両立でした。

    教師になるからには本場で英語を学ぶ他、様々な文化に触れ、そこで生活をする人々の習慣を実際肌で感じたい、つまり留学は絶対したいと思っていました。しかし教員免許を取得するためには、多くの授業を履修する必要があり、留学で長期間大学を離れる私にとってそれはとても難しいことでした。留学制度が整っているところに魅力を感じて麗澤大学に進学したのに留学に行かないなんて...!「自分の夢だった留学を諦めたくない!」そんな強い思いで自ら両立することを決意。教員免許のための授業の単位を取得しながら、無事アメリカへの留学も叶えることができました。留学先は今住んでいるワシントン州にある大学でした。

    大学卒業後は念願叶って福岡の小中学校で英語教師としてのキャリアを積み、結婚を機にアメリカ・ワシントン州への移住を決意。アメリカでも日本でのキャリアを活かして幼稚園で日本語教師、日本語教室で国語教師として働きました。

    察してはもらえない?でも意見を伝えればその意見は尊重してもらえる

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    移住し始めた当初は高校、大学時代からの留学生との寮生活や、アメリカへ留学した経験から「現地に住むのに不自由ないレベルの英語力は身についただろう」と思っていました。しかし実際アメリカに住んで7年経つ今でも、言葉や文化の壁を感じることがあります。例えば病院に行って医学用語を交えて話す必要がある時は、英単語がすぐに出てこなかったり、日常会話でも聞き慣れていない言い回しがあったり、また文化や習慣の違いから、相手にとっては当たり前の内容でも私にとってはどこか戸惑いを感じることだったり、そんなことは未だにあります。私はアメリカならではと言いますか、個人主義的な文化の「思っていることをストレートに伝える文化」は好きなのですが、根は日本人。


    時に日本の相手の気持ちをおしはかる"察する"という文化が恋しくなることもあります。そんな時は「この気持ちが届くといいな」なんて心の中で思ってしまうこともあります。しかし文化の違いについては、嬉しいエピソードもあります。小学校で学んだ掃除の仕方や靴を揃える習慣など、日本では当たり前だと思っていた習慣が留学時に当たり前ではないということに気づかされました。例えば、ついつい日本の習慣の延長で、ホストファミリーや友人宅にお邪魔させてもらう際、私1人だけが玄関先で靴を脱ごうとしたり、もちろん義理の両親の家でも靴のまま家の中で過ごす習慣でしたので、「家族みんなが脱いでいないのであれば、少し違和感があるけれど私もそうすべきなのかな?」と靴のまま家にあがっていました。

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    しかし私のアメリカ移住が決まってからは、我が家では家族もお客さんもみな、靴を脱いで家に上がってもらうようにしようと決めていました。すると義両親は私が移住してから数年後のある日、家に上がる前に靴を脱ぐルールに変えたと言うのです。私の習慣を真似してみたら、家の中に砂が入ってこない、またカーペットが汚れないとの理由で、家に上がる前に靴を脱ぐのはとてもいい習慣だと思うようになったそうです。

    日本からの習慣をそのまま異国の地で続けていた私は、こちらの習慣と違うことをしているけど大丈夫かな?と最初は何となく不安な気持ちを持っていましたが、義両親の言葉を聞いた時、日本の習慣を受け入れてもらえたのだなと嬉しく感じたことを覚えています。

    文化や習慣が違う背景を持つ人から不思議に思われることだとしても、自分がいいと思い、意味があるからこそ続けていきたいと思う日本の文化や習慣はこれからも大事にしていきたいと思っていますし、自分の子供たちにも伝えていきたいと思っています。日本に比べて多種多様な民族が混在しているアメリカでは個人の意見が尊重される傾向にあります。先にも述べたように、日本の相手から「察してもらう」ということは、逆に言うと難しいことかもしれませんね。

    でも多民族国家だからこそ、そこにある異文化を経験できたり、新たな発見ができる楽しさがあると思います。もしも外国の方と関わってみたい、外国に住んでみたいと思っているのであれば「自分の意見を言う」という姿勢はとても大事なことです。海外では自分の考えや意見に自信を持ち、はっきりと相手に伝えればその意見は尊重してもらえます。

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