【前編】「英語劇グループ」が生んだ英語のエキスパート。日本の英語教育を向上させたい一心で活動中
「スタディサプリ ENGLISH」の「基礎英文法講座」講師
[国際経済学部 国際経済学科(現在の国際学部 グローバルビジネス専攻)2000年3月卒業]
高校時代、英語は苦手科目だった
今はフリーランスの講師として大学や専門学校、語学学校、企業で英語の講師をしながら、リクルートマーケティングパートナーズが提供する『スタディサプリENGLISH』というオンライン英語学習サービスに協力しています。その目的は日本の英語教育を向上させることですが、自分自身が英語を苦手としていた経験が大きく影響していることは間違いありません。
高校生の頃は英語の授業についていけず、クラスでも1、2位を争う落ちこぼれでした。先生が席順に英語の質問をして来るのですが、どうせ答えられないだろうと飛ばされる日々(笑)。
悔しい反面、ほっとしている自分がいたのも事実でした。高校卒業後は予備校に通っていたのですが、新聞奨学生でもあったので、新聞配達の仕事が忙しすぎて勉強をする時間がありませんでしたね。仕事を一生懸命やって、勉強はほぼやらず...。絵にかいたような本末転倒の予備校生活を送っていました。ただ、新聞奨学生として働いていた当時、仕事場にはハードな人生経験をしてきた人たちが集まっていて、自分の将来を真剣に考えるようになったのもこの頃。
「今、努力をしないと...」と自分を奮い立たせてくれた貴重な経験になりました。『今のままではダメだ』と一念発起し大学受験し、麗澤大学に入学したのです。
麗澤大学に決めた理由は入学案内に書かれていた「先生方と学生の距離が近い」「面倒見が良い」というキャッチフレーズが決め手になりました。この大学なら英語が苦手な自分を克服できると思いました。英語は苦手科目でしたが、これからの人生に英語が重要になることはわかっていましたからね。決心を固めて入学しました。
座学だけではない「英語劇グループ」の存在
国際経済学部(現在の国際学部グローバルビジネス学科)に入学し、すぐに英語劇グループに入部しました。当時、1年次生が主役を任される公演があり、1年次生の中から主役に抜擢されたのがまさかの私でした。ベルトルト・ブレヒト(ドイツの劇作家、詩人、演出家)の「コーカサスの白墨の輪」という作品でしたが、生みの母と育ての母が子供を奪い合うという内容で、その主役としてアズダック(裁判官)役を任された経験はとても大きかったです。英語劇では台詞を覚えるだけでは成り立たず、台詞の意味をしっかりと理解した上で、感情を込めながら演じなければなりません。
最初の数ヵ月は演技の基礎的な練習が中心だったのですが、大量のセリフを覚えて演技をしなくてはいけなくなった途端に大苦戦。演技と英語の両立は想像以上に困難なもので、指導をしてくれた先輩からも「山田に任せて大丈夫か?」とかなり心配されました。あとから先輩に聞いたのですが、その時は「これでは無理だ。公演できないかもしれない」と思ったそうです(笑)。
それから顧問であるマーウィン・トリキアン先生のご指導を受けながら約2か月間の猛練習を重ねました。公演を無事に終えた時の達成感はとても大きく、自分の中でも「やればできる」という自信につながりました。演劇は机上の勉強とは異なり相手(観客)に伝わらなくては意味がありません。
当時は練習に必死であまり意識していませんでしたが、気持ちを込めて伝えようという努力が英語力を飛躍的に向上させてくれたと、今振り返って感じています。
私は海外留学をすることなく、日本国内で英語劇を作りながら英語の勉強を続けて、英検1級とTOEIC990点(満点)を取得しましたが、英語劇グループでの活動は留学と同じくらいの大きな影響を与えてくれたと思っています。英語劇と出会っていなかったら、今の自分は存在しなかったでしょうね。
英語劇と言えば、在学中に渋谷の劇場で公演を毎年行っていたのですが、演出でキャンドルやランタンを使用することになり、火を使うということで使用許可を消防署に申請しました。そして公演の直前に劇場の支配人から『使用許可証はどこですか?なければ公演はできません。
そのまま公演をすれば、劇場が使用できなくなり1億円を超える莫大な賠償金が発生するのですが大丈夫ですか?』と言われ、公演の準備に集中していたあまり許可証を受け取りに行くのを忘れていた私は、渋谷区役所まで猛ダッシュ。何とか間に合って無事に公演できましたが、人生の中であれほど渋谷を全力疾走した経験は一度だけですね(笑)。
振り返れば英語劇にはたくさんの思い出がありますが、卒業した現在も英語劇との関係は続いています。今年は、以前、英語劇グループの顧問だったギャビン・バントック先生(現在はご退職)が来日50周年、現在の顧問であるトリキアン先生が来日30周年の節目となるメモリアルイヤーということもあり、私が発起人の一人となり卒業生を集めて歌舞伎の演目である平家女護島の一段『俊寛』を記念公演として上演しました。この題目はバントック先生が以前より温めていた作品で、トリキアン先生と共に脚本と演出をお願いしました。
今後は、卒業生の垣根を越えてさらに面白い英語劇をつくり、日本の英語教育に一石を投じていきたいと思っています。麗澤大学で出会った英語劇は今もなお、私にとって人生を彩る大きな存在であることは間違いありません。