卒業生の活躍
2019.09.17|最終更新日:2022.06.21|

<台湾へ移住した卒業生>【前編】ポジティブに考えて意思決定を。選んだ道を正解に

<台湾へ移住した卒業生>【前編】ポジティブに考えて意思決定を。選んだ道を正解に
松本 菜々
唯豊魯肉飯(ウェイフォンルーローファン:台湾料理屋)
[外国語学部 中国語学科(現在の中国語・グローバルコミュニケーション専攻)2010年3月卒業]
東京都内の高校から麗澤大学へと進学。在学中はテニス部に所属。大学2年次に、中国の天津財経大学へと半年間の留学を経験。卒業後は商社に入社し3年目に台湾支社へ赴任。その後、ハワイで中国語ガイドを経験し、日本へ帰国。台湾出身のご主人と国際結婚をして2017年に台湾へ移住、現職に至る。
目次

    語学も、スポーツもアルバイトも。大変でも諦めなければ両立できる

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    実は、私は中学校3年生の頃から麗澤大学に入学したいと思っていたんです。キャンパスの近くに親戚が住んでいて、近くを通るたびに憧れていました。そんな私が麗澤大学に入学したいと思っていた主な理由は2つあります。

    1つ目は、中学・高校と英語に力を入れていた学校に通っていたので、大学では英語以外の外国語を学ぼうと考えていて、昔から中華料理が好きだったこともあり、漠然と中国語を学んでみたいと思っていました。

    2つ目は、ずっと続けてきたテニスを続けられる環境があるということでした。実は、スポーツ系の大学も考えていたのですが、語学もスポーツも諦めたくなかった。中国語とテニスを両立した大学生活を送りたいと思っていた私にとって、麗澤大学はまさにピッタリの大学でした。

    大学入学後は、初めて学ぶ中国語を必死に勉強しながら、テニス部でも練習に奮闘。振り返ると、大学生活で一番キツかったのはこの時期かもしれません。

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    というのも、入学してから3ヵ月ほどは中国語の授業のコマ数が多く、とにかく中国語の発音の基礎を叩きこむ時期で授業についていくのが精一杯でした。一方で、テニス部の練習も厳しくヘトヘトになっていました。中には辞めていく仲間も。そんな姿を見ていると私も心が折れそうになったのですが、同じ中国語学科でもあるテニス部の先輩から「ひとつでも諦めたらダメ。勉強も部活もアルバイトも両立できるから頑張れ!」と。実際、その先輩は、ものすごく忙しい中でも中国語・テニス・アルバイトを頑張っていたのです。その先輩の姿に刺激を受け、自分も頑張ってみようと心に決め、4年間両立することができました。この時の苦しい経験が海外で生活する今も役立っています。もしもあの時先輩から諦めるなと言われなかったら、両立は諦めていたかもしれません。今でも、あの時の先輩の言葉が胸に残っています。

    基礎力があるから応用できるようになる

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    現在は台湾に移住して、主人の家族が経営している台湾料理屋で働いているので、日常生活において中国語は欠かせません。台湾の中国語は、中国人が使っている簡体字ではなく繁体字だったり、発音の仕方も異なるのですが、大学で学んだ中国語の基礎があったので対応することができました。

    大学卒業後は、日本の商社に入社し駐在員として台湾で勤務をしたり、ハワイで中国語ガイドを経験したりと、中国語を軸にした仕事を続けてきました。ビジネスで中国語を使うようになってからは新しいビジネス単語を覚えたり、お客さまに中国語でわかりやすく説明するスキルを身につけました。基礎力がしっかりと身についているからこそ応用が上手にできるのです。大学で学んだことが卒業後のキャリアの強みとなって活かされています。

    大学1年次の自分に声をかけるとしたら、「その感性、間違ってないよ」と言ってあげたいですね。大学時代を振り返ってみて、中国語とテニスの両立や半年間の交換留学など、自分で決めた選択に対し、前向きに努力してきたと思います。大学1年次の時に先輩から言われた「ひとつでも諦めたらダメ」という言葉を糧として頑張ってきて本当に良かったと思っています。

    母から言われたことですが、私は小学生の時は新しい環境になかなか馴染めなかったり、精神的に弱くよく泣いてしまっていたそうです。そんな私でも、中学・高校・大学と積みあげてきた経験が精神をタフにしてくれて、多様な視点を持つことができるようになったと思います。

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