卒業生の活躍
2019.09.09|最終更新日:2022.06.22|

<アメリカへ移住した卒業生> 【後編】夢を叶えるためには、積極的に新しいことに挑戦すること。~人生を変える出会いは動く数だけある~

<アメリカへ移住した卒業生> 【後編】夢を叶えるためには、積極的に新しいことに挑戦すること。~人生を変える出会いは動く数だけある~
江見 美和(旧姓:辻)
カリフォルニア州認定臨床心理士(Licensed Clinical Social Worker)
[国際経済学部 国際経営学科(現在の経済学部 経営専攻)2000年3月卒業]
東京都出身。浅草で生まれ育ち実家は薬局を営み、外国人観光客がよく訪れる環境で育った。カーレース好きな父親の影響で幼い頃から三重県の鈴鹿サーキットでF1を観戦。1994年に亡くなったブラジル人F1ドライバーであるアイルトン・セナ氏の生き方に感銘を受けた。卒業論文作成のためにブラジルを訪問し、彼が作った「ブラジルのストリートチルドレンを助ける基金」について書いたほど。やると決めたら何が何でも最後までやり通す性格で現在は米国でソーシャルワーカーになるという夢を叶え、多岐にわたる現場で活躍中。
目次

    自己管理も仕事のひとつ。仕事も家庭も両方大切に、日々頑張っています

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    大学卒業後は、総務省からの派遣でジンバブエに1ヵ月半ほど滞在。その後日本のUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)でインターンとして3ヵ月、難民の方々の生活支援をするお手伝いをしました。

    大学在学時に書いた卒業論文のブラジルのストリートチルドレンが置かれる状況に心を痛めていた私は、当時所属していた日本ブラジル会議で知り合った他大学の先生に特別にご紹介頂き、ブラジル北部のアマゾン川の流域にあるベレンという街の"Emaus"(ブラジルの子どもたちに笑顔を取り戻すプロジェクト)というNGO団体で3ヵ月ほどインターンをさせていただく機会に恵まれました。そこでソーシャルワークを専攻する学生と出会い、自分の目指す職業の夢へと繋がっていきました。

    日本に帰国後は、大場先生にもご教授いただき、アメリカの大学院に進学することを決断。周りからは「難しい」とか「無理なんじゃないか」とか言われることもありましたが、逆境に陥ると何としてもやり遂げたいという気持ちになる私は必死に勉強し、第一志望のアメリカ、ニューヨーク州にあるコロンビア大学のソーシャルワーク学部に合格。2003年、スーツケース2つだけ持って、NYに留学しました。

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    留学中は世界各国から留学生が集まるInternational Houseという寮に住み、最初は友達を作るのに苦労した苦い思い出があります。ある時、少し仲良くなった友達が「今週末一緒に何かしよう、電話する」というので金曜、土曜の夜まで待っていましたが、いつまでたっても電話がこないということが多々ありました。

    約束は守るものという日本人的な意識はアメリカ人には通じず、「あぁ忘れていた!」「そんなこと言ったっけ?」なんていう人もいたりして、初めの頃は傷つきました。ただ、いつからか彼らも悪気があったわけではないということもわかるようになり、それからは待っているだけではなく、自分が何かを一緒にしたいなら、自分から行動しなければいけないということを学びました。それからはだんだんとアメリカ人の友達との付き合い方にも慣れていきました。

    大学院では大人の患者さんを対象としたカウンセリングを専門に勉強しました。心理学者の河合隼雄先生が彼の著書の中でおっしゃっていたことですが、日本人は日常生活の中で相手の気持ちを推し量ったり、空気を察したり、間を読んだりすることを幼い頃から期待されているからか、カウンセリングの基本である、「自分を相手の立場に置いて考えてみる」という訓練が自然とできている人が多いそうです。大学院では1年目から実際の患者さんにカンセリングをする臨床が週3日ありました。NYの現地のメディカルクリニックでソーシャルワークのインターンをした時に多種多様な人種の患者さんを相手にするカウンセリングすることができ、多様な人種が混在するアメリカでソーシャルワーカーとして働くにあたりそれが非常に役に立ちました。

    そして卒業と同時にロサンゼルスで仕事が見つかり、2005年の夏にロサンゼルスに引っ越しました。最初はソーシャルワークのライセンス試験に合格するまでアメリカで頑張ろうと思っていましたが、日系アメリカ人である現在の夫と出会い結婚し、2人の子どもが生まれました。気づけば2019年8月で在米16年目となりました。

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    夫は日系アメリカ人で外見は日本人そのものなのですが、日本語があまり話せませんので、家庭での言語は英語です。子ども達は土曜日に日本語学校に通っており、2ヵ国語で育てています。

    アメリカでソーシャルワーカーになると、本当に色々な分野で仕事をすることができます。初めての仕事は、ロサンゼルスに住む日本人、日系人のお年寄りのカウンセリングやケースマネジメントでした。現地で虐待を受けた子どもや、重度な精神疾患を持った子どもとその親のカウンセリングも経験しました。

    人工透析のクリニックでソーシャルワーカーとして5年働いた後、カリフォルニア大学アーバイン校付属のメディカルセンターでの勤務を経て現在のSCAN HEALTH PLANという非営利の会社でBehavioral Health Specialist(行動医療スペシャリスト)として働き、現在3年目になります。

    現在、アメリカで大きな問題となっているオピオイド(鎮痛剤)中毒や自殺願望がある方々の支援をしたり、アメリカの複雑な医療システムを理解できないお年寄りの方々が健康に、そして自立して暮らせるようなお手伝いをしています。患者さんのお世話をするためには自己管理も非常に大事な仕事のひとつです。家に帰ると、9歳の娘と6歳の息子がいて、週末はバスケと野球の試合と練習の送迎に駆けずり回っていますが、平日の仕事の休憩時間を使っては身体を動かしてトレーニングをしたり、時間を見つけては瞑想をして、自分の心身の健康を保つ努力は欠かせません。

    コンフォートゾーンを飛び出し、挑戦する。そして専門を極めることが大切。

    いつか海外で働きたいとぼんやりとでも思っているなら、とにかく行きたい国の言語、単語を勉強することが大事だと思います。英語に関して言えば、大学受験の時に学ぶ単語もとても大事です。覚えていれば発音はおかしくても使えます。見れば意味が分かり、相手に通じます。

    私は大学時代に日本ブラジル学生会議で出会った様々な大学に所属する学生たちから学ぶことがたくさんありました。それが大学卒業後、ブラジルでインターンするきっかけとなりました。また、麗澤大学は少人数制で、海外経験豊富な教授や留学生と交流する機会にも恵まれました。今も自分のキャリアで悩んだ時にはゼミ担当であった大場先生に連絡をして相談に乗ってもらっています。このような恩師に巡り会えたことも麗澤大学に入ったメリットでした。

    「やると決めたら何が何でも最後までやり通す」これが自分の目指す夢や目標の第一歩です。とにかく自分のコンフォートゾーンを出て、新しいことに挑戦すること。

    国連でインターンを経験し、またアメリカで仕事をしてきた経験を経て大切だと思うことは「専門性」です。もし、海外で仕事をしたいと思われる方は、ぜひ、自分の好きなこと、他の人には負けないと思えることを見つけて、それを深く学び、仕事に結び付けられるように迷わず自分を信じて進んでいってください。

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