卒業生の活躍
2019.07.31|最終更新日:2021.12.09|

<カナダへ移住した卒業生> 【前編】麗澤大学で学んだこと、そして仲間に支えられたことが今の生活に活かされています。 ~野球一筋だった少年が世界を股にかけて活躍するビジネスマンへ~

<カナダへ移住した卒業生> 【前編】麗澤大学で学んだこと、そして仲間に支えられたことが今の生活に活かされています。 ~野球一筋だった少年が世界を股にかけて活躍するビジネスマンへ~
川村 朋也
Salesforce.com Canada Inc. テクニカルサポートエンジニア
[外国語学部 英語学科(現在の英語コミュニケーション専攻 / 英語・リベラルアーツ専攻)2009年3月卒業]
東京生まれ。小学校から高校まで野球部に所属し、世界で活躍するメジャーリーガーに憧れて球団通訳という仕事に興味を持つようになり英語の勉強を始める。その後2018年1月にカナダのトロント市に移住。休日はスポーツ観戦やサイクリングなど、トロントでの生活を満喫している。
目次

    高校時代は野球一筋。出会った恩師から学んだ事が人生を変えるきっかけに

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    私は東京で生まれ、小学生の時に茨城県に引っ越しました。小学校2年生から野球を始め、それから高校卒業まで野球部に所属していました。地元の学校で野球をしていた自分に転機が訪れたのは、進学した高校の野球部に有名な監督が就任したことでした。

    所属した野球部は無名のどこにでもある公立高校の野球部でしたが、その監督と出会ったことで学生生活が一転しました。その監督は「地元の子供たちを集めて本気で甲子園を目指すこと」を目標とし、どうしたらそれが実現するかを真剣に考える方でした。監督は私たちに主体性、自己主張、自己分析、そして仲間との絆の大切さを教えてくれました。その結果、与えられたことをこなすのではなく自分の意志で考え、動き、結果を出すことの大切さを学び、結果を出すためには努力を惜しまないこと、努力をすれば成果がついてくることを実体験を持って学ぶことができました。

    そして私が卒業した翌年、目標としていた甲子園出場を果たします。そこで改めて監督の偉大さと有言実行するために努力を惜しまないこと、そして諦めなければ夢は叶うということを実感しました。

    高校卒業を控え進路について迷っていた2001年頃は、日本人の野球選手がメジャーリーグで活躍し始めた頃。世界という大舞台で活躍している彼らの特集番組をテレビで見たことがきっかけで、大好きな野球に関われる球団通訳という仕事に興味を抱き、卒業後は英語を勉強したいと考えるようになりました。

    専門学校から大学へ編入。仲間に助けられた大学生活

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    球団通訳という仕事に興味を抱いてからは、高校卒業後は英語を学びたいと考えるようになり、通訳になるためのトレーニングが受けられる専門学校へ進学しました。そこで学んでいくうちに、この先の就職について考えると、語学だけではなく何かもうひとつ学んだ方がいいと考えるようになりました。様々な選択肢がありましたが、その中に専門学校から大学への編入という道があることを知りました。英語以外に何かもうひとつ学びたい。私が興味を持ったのはビジネスでした。

    麗澤大学には経済学部と外国語学部があることを知り、この大学で勉強すれば、この先ビジネスチャンスを広げることができるのではないかと思い、キャンパス見学に行きました。そして、麗澤大学のアットホームな雰囲気に魅了され、ここなら伸び伸びと学ぶことができると思い、麗澤大学への編入を決意しました。

    編入後は、多少の単位は専門学校から引き継がれますが、編入学でない学生よりは取得単位が少ないため、授業をたくさん取らなければならず、課題に追われる日々を送っていました。麗澤大学では語学だけではなく、それに伴った言語学、生活文化、教養面なども学ぶことができます。これまで語学だけを専門学校で学んできた自分にとって、幅広く学べることは何より魅力的でした。けれども、授業が多いということは、その分課題も多い...。特に1年目はとても辛かったのを覚えています。

    でもそんな時に力となってくれたのは、必修科目の授業で出会ったクラスの仲間たちでした。彼らからの情報やアドバイスのおかげで、課題に苦しんでいた時に何度も救われました。仲間がいてくれたからこそ、編入後の大変だった時期を乗り越えられたと思います。そしてそれが私にとっての学生時代の大切な思い出となっています。

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