<ドイツに移住した卒業生> 【前編】ドイツに移住して7年。憧れだけでは乗り越えられない、強い意志を!
諦めない努力、挑戦する精神を鍛えた、幼少時代!
子供の頃から海外の映画に魅力を感じ家族でよく観ていました。その頃、すでに英会話教室に通っていた姉の影響で、自分も英語を習いたいと思うようになりました。その後は自然に海外生活やアメリカのみならず、ヨーロッパの文化にも興味を持ち始めたのを覚えています。
初めての大きな挑戦は中学時代の夏休み。普段からとても活発で運動が大好きでしたが、中学に入って急激に身長が伸びたことで成長痛に悩まされ、一時的に走ることができなくなってしまいました。力を入れていたサッカーも一時期できなくなりましたが、それでも運動は続けたいと水泳で体力づくりを始め、また新たにロードバイクの趣味を見つけ練習に没頭。夏休みには実家から1000km離れた祖母の家への道のりを10日間かけて走破しました。この時期の経験が大人になった今でも新しいことにチャレンジすることの基盤となっています。
コミュニケーションに大切なのは言語の基礎を固めること
麗澤大学への進学を決めた理由は、高校1年生でドイツからの留学生と出会ったことがきっかけです。彼とは気が合ってすぐに仲良くなり、日本語や英語で興味のあるサッカーの話をしたり、ドイツの文化や生活について教えてもらったり、その頃から英語以外の第三言語としてドイツ語を意識し始めました。高校で英語を学び得意科目として自信がついたので、自分の武器になるような第三言語を習得し、将来は言語力を活かした道に進みたいと志したのもこの頃です。
大学に進学して初めてドイツ語に触れ、あらためてドイツ語の難しさを実感しました。それでも授業以外にも、大学で交流のあるドイツ語ネイティブ・スピーカーとのコミュニティーやサークルにも積極的に参加して、生のドイツ語を聞いたり話したりできる時間を多く設けたことはこの後のドイツ語学習にも役立っています。
大学1年次の3月、短期研修で東ドイツの学生の街と言われる、Jena(イェーナ)に1ヵ月滞在しました。滞在方法はホテルや学生寮、ホームステイと自身で選ぶことができたのですが、現地のドイツ人と交流できる貴重な機会だと思い、迷わずホームステイを選択。そして初めての海外でとても緊張していた私を迎え入れてくれたのは、同年代の若い男女カップルのホストファミリーでした。想像していたホストファミリーのイメージとはかけ離れていたので初めは戸惑いもありましたが、年が近いということもありすぐに打ち解けました。これまでの1年間で習得したドイツ語力をフルに活用してコミュニケーションが取れたことで、自信にも繋がりました。
その自信がさらに今後のドイツ語学習への活力となり、1ヵ月お世話になったホストファミリーは16年が過ぎた今でも連絡を取り合う大切な友人です。彼らにとっても私が初めてのホームステイ受け入れだったようで、その後別の学生を受け入れた際に「うまくコミュニケーションが取れなくて困った。成矢は大学入学してからの1年間で学んだドイツ語で何故あんなに会話ができたんだ!」と、あとになってから聞き、この1年間で学んだドイツ語が身についていたんだと実感できました。それと同時に、コミュニケーション能力が海外生活においていかに大切か身にしみました。
この短期研修で自信をつけより一層ドイツ語の勉強に力を入れましたが、それでもここまで順調に進んだわけではありません。
大きな試練は大学2年次の9月から1年間Trier(トリーア)大学に留学した時でした。クラス分けの試験では、これまでの成果が発揮されレベルの高いクラスに選別されましたが、一緒に日本から留学していたメンバーとは離れ私一人だけがそのクラスで奮闘することになります。同じクラスのほとんどの留学生は、すでに3年以上ドイツ語を学んでいる学生ばかりで日に日に差が開き、授業中は今何の課題をやっているのかも、どこを質問されているのかもわからない。一文を訳すのに10個の単語があるとすれば9個は辞書を引かないとわからない。
日本語が一切使えない環境の中、授業が終わると先生にもう一度課題の説明をしてもらうなど、本当に過酷な日々を送りました。それは、当初思い描いていた楽しい留学生活とは随分かけ離れたものでした。時には授業のスケジュールさえもうまく理解できず、教室に行くと誰一人おらず困惑したのも覚えています。
授業が終わると楽しげに出かけたり、パーティーをしたり自由な時間を満喫する他の留学生とは違い、自分だけが6時間かけても終わらせることのできない莫大な量と質の課題と向き合うだけの毎日。この頃の辛い思い出は、今でも悪夢となって時々記憶がよみがえるくらいです(笑)。
克服するには勉強あるのみでした。授業が終わるとスーパーで夕食の買い物をし、それからは23~24時くらいまで課題に取り組む日々でした。努力の結果が出てきたのは半年を過ぎた頃、ある程度の勉強方法やペース配分が分かってきたこともあり少しはゆとりが持てるようになりました。
救いだったのは麗澤大学での1年半で基本の文法をしっかりと学んでいたということ。私に足りないのは語彙力だということは自覚していたので、これまで学んだ文法の基盤を元に語彙力や応用を強化する努力をしました。基礎ができていたからこそ何とか過酷な勉強も乗越えることができたのだと思います。そこからは難しい作文の課題も数をこなすうちにコツを掴みスムーズに進むようになりました。この頃の経験は社会人になった今でも役立っています。