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2016.04.01|最終更新日:2022.03.30|

生き抜く力を磨く学問。異文化コミュニケーション学とは。

生き抜く力を磨く学問。異文化コミュニケーション学とは。
町 惠理子
外国語学科 名誉教授
国際基督教大学卒業後、カンザス大学大学院を修了。帰国後、国際基督教大学にて教鞭をとり、その後、麗澤大学に。専門分野は異文化コミュニケーション学。
2021年6月、名誉教授に就任。
目次

    相手の文化を知ること=相手を理解すること

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    私が担当する「異文化コミュニケーション学」はとても身近な分野を学ぶ学問です。麗澤大学では、留学生も多く、外国語学習にも力を入れていますが、留学生との交流や外国語を学ぶ際には、文化の違いが前提にあります。そんなとき、「異文化コミュニケーション」を学ぶことはとっても役に立ちますよ!

    この学問が生まれたきっかけは、アメリカの外交官養成のプログラム。第二次世界大戦後、アメリカは世界各国へさまざまな形で援助をしようとしましたが、異文化に接する際に「どのようにしたら偏見や誤解なしに異文化を学び、現地の人々と協力的な関係を築けるのか」という実践的な課題からこの学問は始まりました。文化が違えば行動パターンや習慣が違います。違う人同士初めて出会えば「なぜあなたは私と違うのか?」という疑問が生まれます。"違うこと"には必ず理由があるのです。その理由を学んでいくことが「異文化コミュニケーション学」なのです。

    なぜ違うのかわかれば、違いを受け入れやすくなりますね。その先には、一人ひとり違う価値観をどう捉えていくのかということに繋がります。相手国の文化はもちろん、振り返って自分の属する日本という国の文化はどういったものなのか、また他国の人からどう見られているのかなど、さまざまな見方を求められます。

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    なにも異文化とは言葉の違いだけではなく、非言語のジェスチャーなどもコミュニケーションのひとつ。アメリカとイギリスの握手の仕方を例にするとわかりやすいでしょう。アメリカのビジネスマンは軽く力を入れて握るのがスタンダードとされています。一方でイギリスの女性は軽くつまむようにするのがたしなみとされています。もしイギリスの女性が、イギリスで力強く握手をしたら「なんてはしたない!」と捉えられてしまうのです。逆にアメリカでビジネスマンが軽くつまむような握手をすると「この人は自信のないひとなんだ」と捉えられてしまうでしょう。

    これは互いの文化を知らなければ理解できない感覚なのではないでしょうか。面白いですね(笑)。次に、日本を例にしてみましょうか。日本人はお辞儀をする習慣があるため、挨拶をするときに相手とある程度距離をとりますね。メキシコやフランスでは頬に触れ合って挨拶する習慣があるため、挨拶するときは互いの距離はぐっと近づきます。メキシコで日本のような距離感をもっていると「とっつきにくい」と思われてしまうかもしれませんね。逆に日本人にとっては「近すぎる!」と敬遠してしまうかもしれません。面白いと思いませんか?

    授業では、こうしたことを様々な方法で学んでいきます。留学先で自分が受けたカルチャーショックについて発表し、ディスカッションしたり、異文化について考察した映像を見て、議論をするなど参加型の活動を通して学んでいきます。

    他大学では異文化コミュニケーション学の専門家が一人ということが多いですが、麗澤大学では、私のほかにもう二人、専門の先生が在籍しています。そのため授業の内容も多岐に渡り、多角的に学べる恵まれた環境と言えます。

    男女、学年の違いも異文化なんです。

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    この学問は実践からスタートしてきたので、私の授業でも、日常生活の中でどう活用できるかということを大切にしています。

    そもそも「異文化コミュニケーション」の"異文化"とは、国ばかりでなく、男性と女性、上司と部下、障害を持つ人とそうでない人など、さまざまな関係性に当てはめられるのです。身近なところで言えば、親子の世代差や夫婦の性別の違い、学年の違いなどがあり当てはまります。

    そもそもお互いが違うものとして認識し、背景や過去を理解しようとすれば、コミュニケーションもスムーズにいくかもしれませんね。

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    日本には「はっきりと言わずに察する」という文化がありますが、それは相手に伝わりにくいことが多いです。ときには自分の文化をも超えて、はっきり物事を伝えることも大切です。相手の立場を思いやりながら、自分の思いをきちんと言葉で伝える、また相手の思いを受け止める。「異文化コミュニケーション学」とはそんなことができるきっかけとなる学問のなのではないでしょうか。

    生きていく上で役立つコミュニケーション能力を高めてくれるものであり、生きぬく力そのものに繋がります。授業で学んだ理論をどう生かせるのか、実践し、よりよい人生を歩むための第一歩になればよいと思います。

    その第一歩は、まずはさまざまな間柄の中に異文化があることに"気が付く"こと。相手が自分とは違うことを認め、「それでよい」と認め合うことで多くの発見が生まれます。

    私が経験した異文化間の関係の面白さ、難しさ。だからこそ探求したい

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    ここで、私がこの学問に興味を持ったきっかけをお話しましょう。

    高知県出身のため、進学時に大学の寮に入ったのですが、ルームメイトはカリフォルニア大学からの留学生。日本語が上手な彼女とは言葉の問題はなかったのですが、やはり生まれた国、育った環境の違いによる考え方の違いを感じることは多く、自分の思いを相手にきちんと伝えることの大切さを実感しました。

    寮生活では、他にも多くの発見がありました。フィリピンからの留学生が同じ寮に住んでいたのですが、彼女があるとき洗濯をしながら泣いていたのです。一体何があったのかと理由を尋ねたら答えにもうびっくり。「まさか自分で洗濯しなきゃいけないなんて」と...。というのも母国フィリピンではメイドさんがしてくれていたことで、自分で洗濯すること屈辱だと感じていたということが後からわかりました。

    あるアメリカ南部からの留学生の女の子は「バスに乗ろうと待っていたら、自分よりも先に男性が乗ったのよ!信じられないでしょ?」と憤慨して私に話してきたのです。わたしには何がいけないのかまったくわかりませんでした(笑)。当たり前ですね、日本では順番を守るということが正しいのです。ですがアメリカ、特に南部ではレディファーストが自然な振る舞いですから。逆に日本ではあたりまえだったので気がつきませんでしたが、あるとき海外からの留学生に「なぜ日本人は食べ物などを振舞うと、結局は食べるのに最初は遠慮するの?」と質問され困りました。「なんでだろう?確かに変といわれたら変かな?」と悩みました。今でこそ、日本人の"遠慮すること=美しい行為"という考え方から、ということがわかりますね。日本人であっても日本人の行動パターンや価値観をしっかり理解していないと説明できないことだとわかりました。

    文化の違いにより様々な経験をするごとに"異文化"というものにどんどん興味がわきました。そして、相手の文化を知ることの大切さを理解すると同時に、自分たちの文化を知ることで相手に日本を、自分自身をわかってもらえる、知ってもらうことも大切だと思うようになったのです。

    異文化間コミュニケーションを学んでいて私が得たことは、コミュニケーションをとるということは「自分自身を分析し、向き合うものである」ということ。ですから、将来はどういう人間になりたいかと考えることに繋がります。

    今、高校生のみなさんも日ごろから「なんであの子は私をわかってくれないの?」とか「先生はわたしのことをまったく理解してくれない」とかそんな状況をたくさん経験されているのではないでしょうか?たとえお互い日本人同士だとしても、価値観や行動様式などの違いは必ずあるので、ある意味「異文化コミュニケーション」なのです。わからなくて当然なんです。でもお互い理解しようとすることは絶対に出来ますから。是非そんな"きっかけ"をつかみに麗澤大学に来てください。私の授業がすこしでもみなさんのお役に立てることを祈りつつ、これからも楽しみながら学生達に伝えていこうと思っています。

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