卒業生の活躍
2016.02.12|最終更新日:2021.12.10|

麗澤大学出身の世界ナンバーワン車いすテニスプレイヤー、国枝慎吾が後輩に熱いメッセージを。

麗澤大学出身の世界ナンバーワン車いすテニスプレイヤー、国枝慎吾が後輩に熱いメッセージを。
国枝 慎吾
車いすテニスプレイヤー
[国際経済学部 国際経済学科(現在の経済学部 経済学科)2006年3月卒業]
麗澤中学・高等学校より麗澤大学に進学。全豪オープン、全仏オープン、全英オープン、全米オープンの4大大会の全てで年間優勝を果たす「グランドスラム」を、男子シングルスで5度も達成している世界を代表するナンバーワン車いすテニスプレイヤー。
目次

    すばらしい環境が自信につながった

    78-1.jpg私は幼い頃、脊髄腫瘍をわずらい、車いす生活になりましたが、母の勧めでテニスクラブの門を叩いたことがこの道に進んだきっかけでした。そして、初めて目にした車いすテニスの激しさに大きな衝撃を受け、そこから夢中に!先輩たちがテニスだけでなく、身の回りのことを全て自分で行っているのを見て、私も自立した生活が送れるはずだと希望を持ちました。

    高校受験ではバリアフリーの施設が整っていて、テニスに最適な環境を整えることを優先して、麗澤高校に入学しました。中学時代は友人の力を借りて階段を上り下りしていましたが、車いす用のエレベーターが用意された麗澤高校は、人の手を借りることなく自立した生活を送ることができたので、それが私にとって大きな自信となりました。卒業後は麗澤高校と同様にバリアフリー環境と学生一人ひとりの自立を尊重する学風に惚れ込み、麗澤大学へと進学しました。

    麗澤大学入学後は海外への大会にも挑戦し始め、遠征を繰り返す忙しい日々を送っていて、年に5カ月間ほどは海外に...。超多忙な生活ではありましたが、折角自ら望んで入った大学でしたから、キャンパスライフもしっかりと楽しみました。サークル活動はテニスサークルに入っていて、周囲の友達と精一杯楽しみましたし、大学祭ではスイーツのお店を出して盛り上がりましたね。

    海外遠征を繰り返しながら、経済学もしっかりと身につけ、卒業後は麗澤大学の職員に

    78-2.jpg

    在学中、アテネ・パラリンピックで金メダルを獲得したんですが、実はその遠征費用が年に数百万円も掛かってしまったため、卒業後は引退を考えることもありました。そんな時、麗澤大学から職員として働きながらテニスプレイヤーとして活動してみてはどうだ?と声をかけてもらいました。夢を諦めず、選手として活躍することを精一杯、麗澤大学が応援してくれているんだ、と感じた瞬間でした。職員採用試験にも何とか合格し、大学職員とテニスプレイヤーの2つの顔を持つ生活を始めました。

    その後、テニスプレイヤーとしての成績が上がるにつれて、職員として働きながらの選手生活ではこれ以上、上位に行けない、このままではダメだと考え、最終的にはプロのテニスプレイヤーとして生きていく道を選びました。その理由のひとつに「車いすテニスプレイヤーとして活躍することが、同じような境遇の子どもたちへの希望になりたい」と思ったから。プロのスポーツ選手として厳しい世界で活躍している姿を見せること、そして、常にナンバーワンとして存在し続けることが、"次世代を担う後輩への熱きメッセージ"になればと考えましたね。

    私が車いすテニスを始めた頃はまだ社会の関心も高くありませんでしたが、パラリンピックや世界大会で、私が活躍することで、多くの人に知ってもらえたのは心から嬉しかった。そして、障がいを持つ選手たちが世界で活躍している姿は、私にとって大きな励みにもなっていますし、頑張っている姿を見るたびに、負けたくないという気持ちが強くなるんです。

    世界に目を向けたことで見えてきたもの

    78-3.jpg

    よくインタビューで『世界で活躍する国枝選手の強さの秘訣は?』と聞かれますが、私は『自分の可能性を信じ続け、自分を置く環境を広げたことだと思います』と答えています。日本国内だけでなく、世界に目を向けることで、経験をしたことのない景色が広がったし、大きな舞台で勝負することで、より強くなれました。

    日本で育つと、どうしても"日本的な価値観"に縛られてしまいますが、日本での常識が世界では通用しないことも少なくないんです。色々な人種、文化、宗教に触れることが、世界で戦うためには重要になると身を持って感じています。これからの若い人は、世界に目を向けて欲しいし、日本から世界を見るのではなく、世界から日本を見ると、より日本の魅力が見えてくると思います。

    自分が豊かな国で育ったことにも感謝できるはず。世界の価値観に触れ、客観的に日本を見ることで、グローバルな視点で物事を考えるようになる。それが、これからの日本人には必要になると思っています。
    日本を飛び出して、世界を相手に奮闘する国枝選手。来年のリオ・パラリンピックでの金メダルを目指すと共に、2020年の東京パラリンピックでの4連覇を約束してくれました。

    SNSでこの記事をシェア