教職員
2016.07.05|最終更新日:2020.09.24|

訳して伝えるだけが、通訳の仕事ではない。人と人をつなぐ、懸け橋になれるのが通訳という職業だ

訳して伝えるだけが、通訳の仕事ではない。人と人をつなぐ、懸け橋になれるのが通訳という職業だ
鈴木 小百合
外国語学部 客員教授
東京都杉並区出身。国際其督教大学卒業。小学生の時に家族と共にオーストラリアへ移住。帰国し、大学卒業後、広告代理店での勤務を経てフリーの通訳・翻訳者として活動を開始。2007年に担当した戯曲翻訳2作品が「第14回湯浅芳子賞」を受賞。2013年より麗澤大学の客員教授として特別講義を行う。
目次

    生きる環境が私に英語を覚えさせてくれた

    104-1.jpg父が商社マンだった関係で8歳の時にオーストラリアへと移住することになりました。当時、海外転勤はとても珍しいことで、親戚一同が羽田空港まで見送りに来て日の丸の旗を振りながら送り出してくれたのを鮮明に覚えています。

    日本の中心でもある東京から、いきなり反対に位置する国オーストラリアへ。現地の学校に通っていましたので、もちろん言語は英語。事前に英語の特別レッスンを受けたわけでもなかったので、周囲で話している言葉がひと言も理解できませんでした。正直「困ったなぁ」なんてどこか他人事のように思っていたのですが、子どもの適応能力は素晴らしいですね。

    まわりの環境にも恵まれておりまして、当時の担任の先生が授業の他に、ご自宅でも英語を教えてくださり、英語漬けの毎日を過ごしました。そのお陰で半年あまりで、生活できるレベルまで上達していました。これはあくまでもリスニングとスピーキングの話です。子どもは吸収力が高いので話している英語を"音"として耳で捉えるのです。ですから会話はできても、筆記になるとスペルがわからない。聞いて話せるのに書けないのです。ここでもまた苦労しましたね。

    今や天職と思える「通訳」の仕事はたまたま先輩の紹介で出会った

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    14歳で帰国した時には、もう日本語がたどたどしくなっていましたので、聖心インターナショナルスクールに進学して日本語の勉強をしました。国際基督教大学卒業後には広告代理店へ就職し、輸入化粧品のプロモーションをサポートする仕事に就きました。その際も英語が出来るということで、たまに通訳や翻訳の仕事もしていました。しかし、2年半くらい勤めた頃、無性に旅に出たくなり、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドと回りました。そうこうするうちに貯金を使い果たしてしまい、何かないかと仕事を探していたときに、先輩が通訳の仕事を紹介してくれたのです。

    ラスベガスで活躍していた有名マジシャンの通訳だったのですが、マジシャンとは特殊な仕事ですから、普通の通訳とは違い、手順やトリックを正確に分かり易く伝えることの難しさを学びました。その後、結婚し、一旦は家で翻訳の仕事を始めたのですが、スポーツイベントを観戦したことをきっかけに、イベント会社に就職。国際部で海外との交渉、社長の通訳や翻訳を担当。出産を機に、会社を辞めてフリーの通訳・翻訳の道を歩み始めたのです。

    「通訳」という仕事を通して 

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    2007年に戯曲の翻訳を手掛け、その作品が「湯浅芳子賞」を受賞しました。その受賞をきっかけに東京国際映画祭の仕事を手がけるようになりました。その後、徐々に映画会社から仕事の依頼をいただくようになり、ハリウッドスターの通訳など担当するようになったのです。現在は翻訳20%、通訳80%の割合です。

    この仕事を長く担当していると、幼い頃から大人になるまで、何度も担当させていただくスターも多く、レオナルド・ディカプリオさんなどは18歳のとき、「ギルバート・グレイプ」で初来日した頃から見守ってきて、つい最近「ザ・レヴェナント」でオスカー受賞して来日したときは堂々として立派になった姿に勝手に母親のような心境で接していました(笑)

    私は映画や演劇の世界で通訳をしていますが、ひとことで「通訳」と言っても、放送、医療から司法などいろいろな分野で専門の通訳者がおります。同じ「通訳」という職業でも専門が異なると全く別の職業のようです。"医療通訳"の場合、病状を確実、且つ正確に伝えなければ命を左右することになりますから、非常に重要で専門知識を要します。

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    さて、エンターテイメント業界での通訳の仕事は正確性というよりは、ニュアンスや雰囲気を伝えることも大切です。またエンターテインメント業界特有の困りごと(笑)があります。仕事柄ハリウッドスターとご一緒することが多く、テレビやラジオ出演、またはインタビュー取材などが多いのですが、スケジュールの変更が日常茶飯事なのです。

    来日の日程が変更になることも少なくありません。一日ぽっかり空いてしまうなんてことも。何よりも困るのは、記者の質問に積極的に答えてくれないことですね。質問に「イエス」「ノー」としか答えてくれないと通訳のしようがなく、だからといって「はい」「いいえ」と通訳するわけにもいかず(笑)。また、早口の人も困りますね。メモを取るのにも一苦労で、特に同時通訳ではパニックに陥りそうになります。

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    他には、疑問をお持ちの方も多いかと思いますが「映画の英語のタイトルと邦題が違っているのは何でだろう?」と思ったことはありませんか。英語のタイトルを邦題に直訳することが難しいと翻訳者が判断した場合、内容を汲み取った日本語特有のタイトルになるのです。実はこれが通訳の際には難しいんです。スターが映画のタイトルを会話中に出したとき、直訳すればいいのではなく「邦題はなんだったかな?」と気にかける必要があります。映画のタイトルは邦題を知らないと日本人には何の映画なのか伝わりませんからね。予備知識として、たくさんの引き出しを用意しておいて、通訳する瞬間に素早く知識を取り出さなくてはなりません。

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    ある英語教材の翻訳を担当したことから麗澤大学と出逢い、2013年から客員教授として講義をさせて頂くことになりました。私にとって、外国語学部で異文化を意識して日々を送る学生たちとの出逢いはとても新鮮でした。これから更にインターナショナルな国として成長を遂げてゆくであろう日本では、語学力は大きな武器になります。国内で仕事をする場合でも、インバウンドとして世界各国から来日する数多くの外国人観光客と触れ合うことが多くなることでしょう。これからの社会を担うためには「英語が話せる」ことは当たり前、欲を言えばもうひとつの言語が使えることが重要になるかもしれません。その環境が麗澤大学にはありますから、有効活用してほしいですね。

    異文化間の懸け橋となる

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    英語が話せることで自分を世界にアピールでき、逆に相手の考えをしっかりと理解することができるのです。異なる国に暮らす人々がコミュニケーションを取り、お互いに理解を深めることは「異文化交流」「異文化理解」だけではなく「世界平和」にもつながってゆくはずです。

    私は通訳者であり翻訳者でもあります。みなさんが英語を話し、読めるようになれば仕事が無くなってしまいますね(笑)。でも、私の講義を聴いて翻訳者や通訳者を目指してくれる学生がひとりでも多くなれば嬉しいです。ハリウッドスターに会える...なんて動機でも構わないと思いますよ。通訳・翻訳者は人と人を結び付ける懸け橋、言語の違う文化をつなぐ大事なパイプ役だと思っています。

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