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平成30年度 卒業式告辞

 本日ここに、平成30年度、麗澤大学学位記授与式、ならびに別科日本語研修課程修了式を挙行するにあたり、麗澤大学を代表してお祝いのご挨拶を申し上げます。

 まずは、高いところからではございますが、公私にわたり御多忙の中、多数のご来賓をはじめ、関係各位のご臨席を賜りましたことに対し、衷心より厚くお礼申し上げます。

 次に、卒業生、修了生の皆さん、本日は誠におめでとうございます。また、これまで皆さんを支え、この日を待ちわびておられたご家族の皆様のお喜びもひとしおと思います。心からお祝いを申し上げます。

さらに後援会、麗澤会をはじめ、多くの関係者の皆様方には、日頃から本学の教育・研究活動に対し、深いご理解とご支援を賜っておりますことにも、厚く御礼申し上げたいと思います。卒業生および修了生の皆さんがめでたく喜びの日を迎えられましたのも、数多くの恩人の方々のお陰でございますので、この機会をお借りし、ともに心より感謝の気持ちを捧げたいと思います。

 さて、本日、本学を巣立ってゆかれる皆様の洋々たる前途を祝福し、これからの皆さんの人生でもっとも大切だと思われることをひとつだけ申しあげ、平成最後の学位記授与式のはなむけの言葉としたいと思います。それは、これからどのようなことが起ころうとも、またいかなる苦難があろうとも、感謝の心を持ち、前向きに生きることの大切さです。ギリシア研究者でもあった哲学者ニーチェの言葉を借りれば、ラテン語のamor fati「運命への愛」、すなわち人生への愛を失わないことだと言い換えることができるかもしれません。

 そのことを象徴するような本学学生との出会いがありましたので、この場をお借りし、皆さんにご紹介したいと思います。その竹畠明聡さんという学生が入学したのは、私が学長に就任して1年後の2008年のことで、彼に入学を決意させたのは、本学の卒業生、車いすテニス世界チャンピオンの国枝慎吾さんの存在でした。竹畠さんも左足に骨肉腫を患う、同じ車いすテニスのプレーヤーで、「打倒!国枝」を目指して麗澤の門を叩いたのでした。しかし、その後ガンが再発し、治療に専念するため、やむを得ず本学を退学せざるをえなくなりました。入学してから一年もたたないうちに、医師から「5年生存率20%」という過酷な宣告を受けての退学でした。挨拶を交わした彼に私は「いつでも麗澤に帰ってこいよ、いつまでも待ってるからな」という言葉を伝えるのが精一杯で、それ以上は何も言葉が見つかりませんでした。

  その後、2010年の7月に、本学の母体である廣池学園の創立75周年を記念して、麗澤会ブロック別記念大会が九州の博多で開かれることになりました。彼も小倉の出身なので、早速案内状を送付したところ、ご母堂様が、「記念大会への案内状をいただいたけども、息子はガンを患い高熱で病院に入院しているため、参加できない。しかし、息子は麗澤に入学できたことをほんとうに喜んでいるので、その想いを伝えたい」とおっしゃって、ご子息の資料とDVDを持参して大会事務局を訪ねてくださいました。大会当日、急きょ、廣池幹堂理事長のご発案により、大会プログラムの一部を変更し、彼のDVDを放映することになりました。その中で彼が語ったのは、今回の大きなガンの再発があったときには、さすがに諦め心が折れそうになった。しかし、夢に向かって一歩を踏み出している麗澤の友人、これは今のグローバルドミトリー(国際寮)でともに生活していた台湾の淡江大学からの留学生でしたが、その留学生と国境を越えた友情を育み、励ましてもらったお陰で、大きな勇気をもらったということでした。そして、彼はこう決意を固めました。「今まで支えてくれた方々への言葉にできないくらいの感謝の気持ちを、全力で行動で返していく。そのためにも、諦めてはいけない・・・絶対に諦めずに、全力で一歩一歩前にいく・・・・。」   ちょうどその時、記念講演で登壇して映像を見ておりました私は、その彼のスピーチに心から感動いたしました。そして会場に集っていた参加者240名の方々に対し、全員で「竹畠君の病苦が少しでも和らぎますように、彼の病状が少しでも快方に向かいますように!」と、心からの祈りを捧げてほしいと呼びかけました。さらに会場に飾りつけてあった麗澤の幟旗に「竹畠がんばれ、竹畠負けるな」と応援メッセージの寄せ書きを書いてくださるようお願いし、私たちの想いを病室に届けたのでした。

 しかし、残念ながら2010年10月1日、彼は享年23歳で天国に旅立ちました。あまりにも短い人生でしたけれども、ご尊父がおっしゃった一言が今でも脳裏に焼き付いています。「息子はたった22年間の短い人生でしたが、自分の行きたい麗澤大学へ行き、多くの友ができ、恩師に巡り合い、ほんとうに幸せな人生でした」と。また当時のことを回想し「夫婦、家族が大きな不幸に見舞われ、どん底に落ちても、それは終わりではない。愚痴を言いあい、お互いを無視しあい、バラバラであった家族が一つになり、無言のうちに支えあい、助け合う、認め合う。それは本当の夫婦、家族の始まりであった」、そして「私たちも試練から逃げなかったことで、ものの考え方、価値観、これからの生きざまに一本筋を通すことが出来た。最悪のこの不幸は、私たちに人生の重みを真剣に体験させてくれた」と振り返っておられます。

 さらにご母堂様も「麗澤大学で過ごした一年は、息子をよりスケールの大きい人間へと育んでくれただけでなく、私に対しても『ママがいなかったら、僕はこれまでこの病気と闘えてこれなかった』と思いがけず、私を思いやる言葉を言ってくれました。この言葉こそ何よりのプレゼントであり、今までの労苦のすべてが報われる思いがしました」と当時を述懐しておられます。

 私は彼の生き方から貴重なことを学ばせていただきました。人生でどのようなことがあろうとも、またいかに自分が無力感に襲われようとも、感謝の気持ちを忘れないかぎり、いつかは終わりを迎えるこの人生で生きる意味を見出すことができ、また他者に立ち直る力さえも与えることができると。

そのような学生との交流、そして在学中の皆さんの活躍を思い出しながら、最後に、卒業する皆さんに心から申し上げたいと思います。麗澤大学に入学してくれて、ほんとうにありがとう。そして麗澤で立派に成長し、卒業してくれてほんとうにありがとう。実は私もこの学位記授与式をもちまして、12年間に及ぶ学長職から卒業することになりました。その意味では、皆さんと同じく、新しいステージへのスタートラインに立つことになります。

このファイナルステージに立って心に浮かぶのは、17世紀のイギリス詩人、ジョン・ミルトンの哀歌の傑作、『リシダス』の最後を飾る次の言葉です。“At last he rose, and twitch’d his mantle blue: Tomorrow to fresh woods, and pastures new.”「今はとて、彼立ちあがり、空色の、衣(きぬ)をまとひつ、明日こそは、新しき森、新しき野に」。皆さんが素晴らしい人生を歩まれることを心から祈念しています。ほんとうにありがとう。そしてご卒業おめでとう。

 

平成31年3月14日    

麗澤大学 学長 中山 理