経済学部
2022.05.17|最終更新日:2023.10.04|

【前編】箱根で勝負したい。陸上競技は強い気持ちを持ち続けた人が勝つ世界

【前編】箱根で勝負したい。陸上競技は強い気持ちを持ち続けた人が勝つ世界

麗澤大学陸上競技部に所属する鈴木康也さんは、2022年1月に開催された「第98回東京箱根間往復大学駅伝競走」(以下、箱根駅伝)に関東学生連合チームのメンバーとして出場。復路の6区を快走し、区間10番目の成績(参考記録)を残しました。前編では、箱根駅伝への挑戦と陸上競技部に入部するまでの経緯について伺います。

※関東学生連合チーム:10月に行われる箱根駅伝予選会で出場権を獲得できなかった大学の中から、予選会の個人成績が優秀であった選手を選抜して構成される。

鈴木 康也
経済学部 経営学科 スポーツビジネス専攻 2021年入学
千葉県出身。麗澤大学陸上競技部に所属し、チームでの箱根駅伝出場を目指し練習する日々を送っている。趣味は野球観戦と映画鑑賞。「ハードな練習の後、寮の部屋でゆっくり映画を観るのが至福の時です。」
※取材時、1年次生
目次

    麗澤大学陸上競技部の代表として臨んだ箱根駅伝

    ―2021年秋、箱根駅伝予選会(以下、予選会)を前にエースが負傷し、さらに関係者の新型コロナウイルス感染により部員全員が約2週間の隔離生活となる苦しい状況でしたが、鈴木さんはどのような想いで予選会に臨みましたか?

    エースが負傷してしまい、その直後私たちも3週間ほど走れない期間がありましたが、自分の中ではそのようなことを理由に結果を出せないのは本望ではないと思いました。私は入学前から1年次で箱根を走りたいと思っていたので、その決意を曲げずに「エースの代わりになってみせる」「チームトップは当たり前だ」という強い気持ちで10月の予選会に臨みました。

    ―結果は28位で麗澤大学は予選敗退。一方、鈴木さんは個人成績51位に入り、関東学生連合チームのメンバーに選抜されました。その時の気持ちはいかがでしたか?

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    • チームメイトと箱根を走りたかったので悔しいという気持ちと、関東学生連合チームのメンバーとしてではありますが、目標どおり1年次から箱根を走れるという嬉しさがありました。しかし、私が走ることになったのは「山下り」と呼ばれる6区。傾斜のきつい坂が続き、腿に平地の何倍もの負担がかかる区間です。私は上りが得意で、走るフォームも下り向きではないので、6区の走者に選ばれた時は「まさか自分が」と思い、不安と焦りでいっぱいでした。

    しかし周りの人に相談するうちに、次第に「自分は麗澤大学陸上競技部の代表として走るのだ、この経験を持ち帰って皆に伝えたい」という気持ちのほうが強くなりました。しかも6区は復路のスタート区間です。私はレースの流れをつくるスターターを得意とし、箱根駅伝でもその役割を務めることが夢でしたので、モチベーションが上がっていきました。

    ―いよいよ箱根駅伝当日。走ってみてどうでしたか?

    • 下りではタイムがどんどん落ちてしまいましたが、得意な上りと最後の平地で巻き返すことができ、結果は区間10番目でした。何事もやってみなければわからない、諦めずにチャレンジすることが大事だということを改めて実感しました。それと同時に、箱根駅伝はどこを走っていても、どこまで走ってもきつく、他のレースにはない厳しさを感じました。

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    部員全員で新たな目標へ。私がチームを引っ張っていく

    ―ほかの部員にはどのように経験を伝えましたか?

    私が箱根駅伝に出場して強く感じたのは、各出場校の「箱根で勝負する」という気迫です。「今の麗澤大学陸上競技部に足りないものはこれだ」と思いました。箱根から帰ってすぐに、今のチームからは本気が感じられないこと、箱根駅伝に「出たい」という気持ちだけで出られるほど箱根は生易しいところではなく、たとえ出場できたとしても今のままでは最下位で終わってしまうだろうということを伝え、それで良いのか皆に尋ねました。

    ―その後、どのような変化がありましたか?

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    • それまでは、部の目標として箱根駅伝の出場権を獲得できる予選10位以内に入ることを掲げていましたが、予選5位以内に入ること、そして箱根で戦える戦力をつけることに目標を引き上げました。そこに向けて練習メニューも、たとえば40分ジョグにさらにプラスで自分に必要な練習をしたり、それまで信号のある公道を走っていた部員が、ノンストップで走れる大学構内を利用して走り込むようになったりと、各自がより良い方法をどんどん取り入れるようになってきていると思います。競り合いでも、部員の「自分が前に出るんだ」という気持ちが以前より強くなり部としての変化を感じています。

    私はまだ1年次生ですが、皆を引っ張っていくのは自分だと思って先頭に立つようにしています。箱根を走った私についてきてくれたら、皆で目標に近づけると思います。部員には「1年のあいつが箱根駅伝に出場できたのであれば、自分も出られるはずだ」と思ってほしいですし、悔しいと感じてくれるならばその悔しさをバネに強くなってほしいです。

    最下位のタイムだった高校時代。複数の大学からスカウトを受けるまでに成長

    ―陸上競技に本格的に取り組むようになったきっかけを教えてください

    小さい頃から走ることが好きで、中学校では陸上部に入りましたが、その頃は陸上よりも、0歳から続けていた水泳に打ち込んでいました。陸上に本気になったきっかけは、中学最後の地区駅伝大会です。この大会の最優秀賞をどうしても獲りたくて、中学3年生になる頃、思いきって水泳をやめて陸上に専念しました。そこで念願だった最優秀賞を掴んだことで、拓殖大学紅陵高等学校の陸上部からスカウトされ、高校でも陸上を続けることにしました。

    • しかし、高校に入学し部内でタイムを計ると、なんと私が一番遅かったのです。怪我で走れない時期もあり、当時は高校を卒業したら陸上はやめようと考えていました。そんな時、顧問の先生に「ここで我慢して足りない筋肉をしっかり鍛えていけば、必ずタイムは伸びる」と助言をいただき、それを信じてトレーニングに励むうちに本当に記録が伸びていきました。高校2年生が終わる頃には5、6校の大学からスカウトを受けるようになり、私を必要としてくれる大学があるならばやってみようと、陸上を続ける決意をしました。

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    山川監督の熱意と人柄に惹かれ、初めて会ったその日に麗澤大学への進学を決意

    ―鈴木さんには駅伝の強豪校からも声がかかっていたようですが、箱根駅伝未出場の麗澤大学に進学を決めたのはなぜでしょうか?

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    • 最初、高校の先生から「麗澤大学の山川監督から熱烈なオファーが来ているぞ」と聞いた時は、正直に言うと大学名も知らなかったので戸惑いました。しかし先生が「話だけでも聞きに行ってみたらどうか」と後押ししてくださり、麗澤大学に見学に行くことにしました。実際に山川監督にお会いすると、熱意と人柄にすぐに惹き込まれました。麗澤大学は私のことを本当に必要としてくれていて、直感で山川監督は信頼できる方だと思いました。

    麗澤大学は箱根駅伝未出場だからこそチャレンジしたい、そして私が麗澤大学陸上競技部を箱根に連れて行きたいという気持ちが湧き上がり、山川監督と初めて会ったその日に「麗澤大学に進学しよう、入部するからには1年次のうちから箱根を走ろう」と心に決めました。

    ―鈴木さんにとって陸上競技のおもしろさとは何ですか?

    私にとって陸上のおもしろさは、何が起こるかわからないことです。陸上競技、特に駅伝では、足が速ければ優勝できるとは限りません。なかなか結果が出なくても、きつくても、勝ちたいという強い気持ちを持ち続けた人が勝つ世界です。それが陸上のおもしろさであり、努力して結果を出せた時はものすごく嬉しくて、これ以上にないほどの達成感があります。

    ―ありがとうございました! 後編は、鈴木さんの学生生活についてお話を伺います。

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