工学部
2023.05.11|最終更新日:2023.10.04|

【前編】データに足りないのはhuman element。データと人の思いをbridgeできる人になってほしい

【前編】データに足りないのはhuman element。データと人の思いをbridgeできる人になってほしい

アメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で20年以上にわたって地理情報システム(GIS)の専門家として活動し、2022年9月から麗澤大学に着任した河野洋先生は、これまで世界5ヵ国で暮らした経験があるそうです。その生い立ちやUCLA時代のこと、専門分野のGISについてお話を伺いました。

河野 洋
准教授
日本で生まれ、その後コロンビア、アメリカなど5ヵ国で暮らす。国際基督教大学卒業(社会学)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校博士課程修了(都市計画)。専門分野のGISをベースに災害研究に取り組む。大のサッカー好き。
目次

    どのような環境も客観的に見ることができる。5ヵ国で暮らした私の強み

    • 河野先生
    • 高校生の皆さん、こんにちは!私のことは「Yoh先生」と呼んでくださいね。私は日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれ、父が農学博士として南米やアジアの国々で活動していたことから、世界5ヵ国で暮らしてきました。幼少期から母国以外で暮らす境遇に、「どこへ行っても自分だけが違う。ルーツがない」という孤独を感じたこともありましたが、だからこそ「自分だけが周りと違う」と孤立感を感じているマイノリティの方の気持ちに目が向きますし、どのような環境に対しても、外からの目線で客観的に見ることができるようになりました。それは私の長所だと思っています。

    どこで暮らしてきたかご紹介しますと、生まれは日本の大阪です。その後すぐ、父の赴任先であるペルーに渡り、その1年後にコロンビアへ移って、カリという都市で10年間過ごしました。通っていた学校は、私以外は皆コロンビア人という環境でした。コロンビアといえばサッカーが有名ですが、国民にとってサッカーは言葉では表せないくらいとても身近なもので、学校で5分でも休憩があれば、皆サッカーボールを持って外に出てしまいます。そんな国で育ったので、私もサッカーが大好きになりました。

    大学生で初めての母国日本暮らし。日本文化に「どうして?」と疑問を感じていた日々

    小学6年生からはタイのバンコクで暮らしました。日本人学校へ通い、今度は周りが皆日本人という環境。自分だけが日本語がわからなくて、ここでも孤独を感じました。

    高校はインターナショナルスクールに通いました。ヨーロッパやオセアニア、アジア諸国など世界中から生徒が集まる学校です。初めて、自分と同じように国際的なバックグラウンドを持つ人たちと仲間になり、居心地の良さを感じました。当時、東南アジア中のインターナショナルスクールが参加する国際スポーツ大会があり、これがミニオリンピックのように盛り上がるのですが、そこにサッカーの学校代表として出場したのも良い思い出です。

    • 高校卒業後はアメリカの大学に進学したかったのですが、父の「日本の文化を経験してほしい」という意向により、日本の大学に進学しました。初めての母国での暮らしでしたが、当初は馴染めませんでしたね。上下関係や建前といった日本の文化が理解できなくて、「どうして?」「なんで?」といつも疑問に感じていました。「ルールだから」と返されると、余計に納得できませんでした。それは今も同じで、何でも疑問に思うべきだし、自分も質問されたら、きちんと答える責任があると思っていますよ。

    • 河野先生

    そんな日々でしたが、実は当時の大学時代の友達が今も一番の仲良しです。慣れないながらも日本の文化に初めて触れ、濃密な時間を過ごしました。

    アメリカのUCLAで26年間、学生、教員、研究員として過ごす

    日本の大学を卒業し、晴れてアメリカの大学へ!というはずが、受験した大学すべてに不合格となり、人生で初めての挫折を体験しました(笑)。1年間、日本で働きながら勉強した後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(以下、UCLA)の修士課程に合格しました。1995年にロサンゼルスへ渡り、そのまま26年間、UCLAのコミュニティに住むことになりました。

    UCLAは、広大なキャンパスに、世界中から集まった約7万人もの学生や教職員たちが行き交う、1つの街のようなところです。とにかく広いから、いつもスケボーに乗って移動し授業に行っていました。専攻は「都市計画」です。自分が好きな建築に近いというイメージで選びましたが、実際は建築とはまったく関係がありませんでした(笑)。

    • 河野先生
    • 修士課程修了後は、UCLA内の研究所にサイエンティストとして勤務しながら、教員として修士課程の授業を担当しました。UCLAの学生は教員に対する要求レベルが高く、授業が彼らの求めるレベルに満たなければ、クレームが出ます。彼らからすれば、自分たちがこれだけ頑張っているのだから、大学は相応のものを提供してください、ということでしょう。UCLAの学生にはパワーがあるのです。教えるほうは大変ですが、その分教えがいがあるし、私は学生と関わるのが大好きだから、サイエンティストと教員のハイブリットな仕事は最高に楽しかったですよ。

    研究だけでなく、授業もして、学校行事にも関わって、本当に色々なことを楽しんだ、素晴らしいUCLAでの26年間でした。

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