工学部
2023.09.21|最終更新日:2023.09.29|

【前編】今の時代ほど未来が予測できる時代がないからこそ、早めに自分の素質を見出そう

【前編】今の時代ほど未来が予測できる時代がないからこそ、早めに自分の素質を見出そう

大学卒業後、リクルートなどの民間企業で、エンジニアから都市計画の研究職まで数々の職種を経験された宗先生。2024年度新設の工学部工学科情報システム工学専攻教授に就任されます。前編では、宗先生の学生時代から麗澤大学に着任されるまでのお話を伺いました。

宗 健
工学部 工学科 教授
福岡県北九州市生まれ。九州工業大学卒業。筑波大学大学院システム情報工学研究科(博士後期課程)社会工学専攻(早期修了プログラム)修了。 株式会社リクルートにて、通信事業部のエンジニア、リクナビなどのWEBシステムの商品企画・システム開発を担当し、社内起業で家賃債務保証会社を設立し社長を務めた。リクルート住まい研究所長、大東建託賃貸未来研究所長・AI-DX Lab 所長を歴任し、2023年4月に麗澤大学教授に着任。専門は都市計画、住宅政策、組織マネジメント、情報システムなど。情報処理推進機構のITストラテジスト資格も保有。趣味は、ゴルフと動画配信のためのガジェットを充実させること。
目次

    思いがけない第1志望大学の不合格

    • 福岡県の北九州市という、新成人が派手な衣装と髪型で成人式に参加することで有名な場所で生まれ育ちました。幼い頃から、バイクを自由に乗り回すお兄さん方を見ていて、自分も乗りたいと憧れていました。将来の夢なんて、大それたものはあまりなく、免許を取れる年になったら一刻も早く免許を取って、大きなバイクを乗り回す、ちょっとヤンチャなキャラだけど、成績はしっかり上位をキープするという欲張りなポジションを狙っていました。

    実際、小学校・中学校・高校を通じて、成績は良かったです。高校3年生の時に受けた、大学共通第1次学力試験(国公立大学および産業医科大学の入学志願者を対象として実施された基礎学力試験)では、1000点満点中800点ぐらい取り、国立大学の中でも上位校を狙えるレベルでした。しかし、その時点でも、特に具体的な進路のビジョンはなく、父親も兄弟も全員理系だったので、自分もそのつもりで、家から通える国立大学にと、九州大学農学部に出願しました。正直楽勝だと思っていましたが、現実はそんなに甘くはなく、結果は不合格。当時の国立大学の試験は前期・後期という制度がなかったので、代わりに2次募集で合格した九州工業大学に進学しました。大学では機械工学を専攻しましたが、大学生活を一言で言うと「淡々とした日々」でした。単位の取得が厳しい大学だったので昼間はそこそこ真面目に授業に出て、家庭教師や塾講師のバイトをしながら、たまに息抜きにドライブに出かけるような学生でした。

    大学受験の失敗は30半ばまで後悔しきりだったのですが、ある時研修で「過去は変えられる」という言葉を聞いてから少し考え方が変わりました。この言葉は、「過去に起きた事実は変えられないけれども、解釈は変えられる」という意味で、簡単に言えばポジティブシンキングの一種です。今では、あの時、第一志望の大学に落ちたからこそ、今がある、と思えるようになっています。

    リクルートでの様々な経験、麗澤大学との出会い

    就職活動をしている際に、せっかくなら東京に行きたいと思って東京の企業を調べていて、リクルートという会社を知りました。今でこそ、誰でも知っているような大きな会社ですが、私が入社した時代は従業員が2000人くらいで、伸び盛りの急成長企業といったイメージでした。

    リクルートは、若くても自分の能力と努力次第で責任のあるポジションを与えられ、お金も同年代より稼げる企業で、入社直後は営業マンとして働きましたが、9ヵ月後にはエンジニアに異動しました。当時は、リクルートが通信事業を始めたばかりで、通信事業には11年在籍し、課長に昇進したのも通信事業部にいた時です。

    その後、インターネットが世の中に登場し、主力事業だった「リクルートブック」という無料冊子を学生に配布する事業を「リクナビ」に戦略的にシフトしていく仕事をしたり、皆さんもご存知の不動産サイト「SUUMO」の前身である「ISIZE住宅情報」や「ForRent.jp」の編集長、「R25モバイル」という若い人向けのモバイルサイトの編集長を務めたりして、様々なメディアに携わりました。

    リクルートは、それぞれの事業部門がはっきり独立していて、事業部が変わるような人事異動があると、転職したような感覚になる会社で、環境の変化が好きな自分には向いていました。その流れで、全く新しい分野の新規事業として家賃債務保証事業を提案し、リクルートフォレントインシュアという会社を立ち上げて社長になったのは、入社して20年目くらいの時です。

    • それから数年経って、リクルート住まい研究所という研究部門に異動した時、せっかく研究所のトップという立場になったのだから、学位を取ろうと考えました。いくつかの論文を書いて準備をして、50代で筑波大学の大学院に入学しました。筑波大学にはきちんと準備していけば1年で博士課程を早期修了できるコースがあり、今までの不動産領域での経験と知識を活かして、博士論文に取り組みました。この博士論文は、筑波大学の社会工学専攻長賞をいただき、さらに、都市住宅学会と日本不動産学会の博士論文賞も受賞することができました。

    2018年には大東建託賃貸未来研究所長に転職したのですが、筑波大学の博士課程に入学する前から麗澤大学の客員研究員だったこともあり、「新しく工学部をつくるので、教授をやってみないか」とお声がけいただき、私がこれまでのキャリアで培ってきたことを、学生に伝えていくことで社会に還元していきたいと思い、麗澤大学に着任することを決めました。
    大学の仕事と並行して、国土交通省が推進している不動産を一意に特定できる共通番号である「不動産ID」のルールを活用して、不動産領域のDXを進めていくための社会性の強い新しい会社を立ち上げて代表に就任しました。そうした社会との接点を持った教員が多いのも新設される麗澤大学工学部の特長です。 


    ―様々なバックグラウンドをお持ちの宗先生。後編では、麗澤大学で情報システム工学を学んだ学生が社会でどのように活躍できるか、そして工学部での4年間の学びについてお話を伺います。

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