卒業生の活躍
2019.09.12|最終更新日:2022.06.21|

<インドネシアへ移住した卒業生> 【前編】日本と世界の垣根はもうなくなる。挑戦し、行動することがグローバル人材への第一歩

<インドネシアへ移住した卒業生> 【前編】日本と世界の垣根はもうなくなる。挑戦し、行動することがグローバル人材への第一歩
小野 博隆
リーラコーエンインドネシア(REERACOEN INDONESIA)
[経済学部 国際ビジネスコース(現在の国際学部 グローバルビジネス専攻)2019年3月卒業]
中国の大連出身。小学校5年生の時に日本の岩手県へ移住し、その後日本人に帰化。グローバル人材として、世界で活躍する夢を叶えるために麗澤大学へと進学。現在は、インドネシアのジャカルタにあるリーラコーエンインドネシア(REERACOEN INDONESIA)にて勤務。
目次

    グローバルな環境で働く夢を叶えるために麗澤大学へ進学を決めた

    中国の大連出身で、小学校5年生の時に日本へ帰化し、岩手県に住んでいました。当時は、日本語も全くわからず、トイレの場所を聞くことすらできませんでした。語学力の低さもあって、なかなか友達ができずに苦労した小学生時代を過ごしました。中学校では水泳部に入部。もともと人とコミュニケーションを取ることが好きな性格だったこともあり、水泳部の仲間と苦楽を共にしたことで、親しい友人が増えるようになりました。仲間と一緒に厳しい練習に耐え、当時水泳部は県下の弱小校から強豪校へと成長をとげたことは今でもとても良い思い出です。

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    実は、この頃から、将来は日本だけでなく、グローバルな場で仕事をしたいという夢を持っていました。中国出身で日本に帰化したという背景もあり、国内だけでなく海外にも目を向けていたことが大きいと思います。そのため、大学では外国語を中心に学ぼうと考えていました。幼い頃から慣れ親しんでいた中国語はすでに話すことができますし、日本語は苦労こそしましたが、高校生になる頃には周りの日本人と遜色ないほどまで使えるようになっていました。自分に足りない言語は「英語」。世界中の人とコミュニケーションするためにも、世界共通言語である英語を身につけたいという気持ちが強くなったのも自然な流れだったと思います。

    進学先を検討していた際に重視していたのは、大講義のような一方通行の授業でなく、少人数制のクラスで先生が学生一人ひとりにしっかり教えてくれる環境がある大学。この条件を満たす大学は意外と少なく、調べた限りでは麗澤大学を含めて、数校しかありませんでした。私が麗澤大学に入学したのも必然だったのかもしれません。また、将来は国際的に新たな雇用を創出するようなビジネスに携わりたい、という考えをもっていたため、外国語学部ではなく、あえて経営学科にある国際ビジネスコース(当時の名称。現在の国際学部グローバルビジネス学科)を選択しました。例えば、私が現在勤務しているインドネシアのジャカルタでは、GOJEK(ゴジェック)という、配車サービスを提供している会社が大きな雇用を創出しています。

    GOJEKは、今まで個人営業していたバイクタクシーをオンライン化することで、乗客・ドライバー双方の利便性を高めることに成功したアプリケーションです。国際ビジネスコースでの学びは、このようなビジネスを生み出していくためにも、学びの多いコースだと思います。

    自分に足りなかったのは相手を思いやる気持ち。全米模擬国連でのリーダー経験が自分を変えた

    念願が叶って進学できた麗澤大学では、ハイレベルなクラスでもあるSクラス(S・A・B・Cの4クラスあります)に入ることができ、1クラス6名という少人数制のクラスで授業を受けることができました。思い描いていた通り、先生と学生の距離感が近く、充実した授業を受けることができました。学んだ英語を実際に使いたいという気持ちが強かったため、2年次には1年間オーストラリアへの留学も経験しました。

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    そんな大学生活の中で、最も印象に残っているのは、1年次から課外活動として参加していた全米模擬国連団体での活動です。全米模擬国連大会は、毎年アメリカの主要都市で開催され、各国の大学生が一堂に会して国際問題などを3日間に渡って討議する大会のことです。 3年次には、麗澤大学の副リーダーとして抜擢されました。

    しかし、当時の私は留学から帰ってきたばっかりで、1人で何でもできると思っていました。そして、知らず知らずのうちに他人に対して上から目線になっていたようです。そんな私の態度に、下級生のメンバーが全然ついてきてくれなくなりました。そして、チームが全然うまくいかず、大学生活で一番の失敗と挫折を味わいました。当時のリーダーはインドネシア出身の学生だったのですが、そのリーダーから3時間かけて「なぜいつも判断基準が自分なのか」と指導してもらいました。

    「自分が1年次だった時はどうだっただろう」と振り返り、反省することで下級生の立場に立って考えられるようなりました。4年次にはリーダーとして全米模擬国連大会に臨みました。メンバーと一致団結して3つの賞を受賞することができました。このような賞を受賞することができたのは、3年次の失敗を糧に、メンバーに対して「尊敬」と「愛」をもって接することができたからだと思います。この課外活動を通じて、勉学だけでなく人間としての器を一回りも二回りも大きくすることができました。

    今の私にももちろん活きています。日本の大学ではもちろん他大学も参加しているのですが、毎年、全米模擬国連に継続して参加しているのは麗澤大学だけなんです。こういった、課外活動に力をいれているのも麗澤大学の魅力のひとつです。

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