国際学部
2015.11.24|最終更新日:2020.09.24|

今一度、母語を見つめ直してみるということ

今一度、母語を見つめ直してみるということ
日本語・国際コミュニケーション専攻
キーワードは多様性(diversity)。“日本語・日本文化の専門知識”、“英語・日本語の言語運用技術”、“多文化共生メソッド”がカリキュラムの3本柱となる専攻です。クラスの約25%がアジアやEUなどからの留学生で、彼らとともに日々“多様な価値観”を学ぶことができます。 卒業生は、ホテルや広告業などのほか、中高の教員(国語や英語)や、日本語教員として国内外で“外国”と関わる仕事について活躍している者が多くいます。
目次

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    日本で生活をしている私たちにとって、日本語は切っても切り離せない言語です。みなさんは、最も身近な言語である母語・日本語というものを、改めて見つめ直したことがありますか。麗澤大学日本語専攻では、我々が日ごろ自明視する日本語というものを「見つめ直す」作業を大切にしています。

    母語というものは、いわゆる外国語とは異なり、私たちの思考の基盤をなすものです。私たちの日常的なモノの考え方や行動も、無自覚(無意識)のうちに母語に左右されていたりします。

    一つ面白い例をご紹介しましょう!例えば、私たち日本語話者は、「湯」と「水」という概念を誰でも知っています。英語や中国語では、両者は基本的に温度の高低の違いであって、どちらも概念としては「水(water)」です(お湯は英語だと「hot water」、

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    中国語だと「熱水」「开水※」etc.)。しかし、日本語の理屈では、「湯」と「水」は別の概念であり、単なる温度の問題を超えた問題となります。例えば、温水プールの水は、「温水」であって「ぬるま湯」ではあません。その一方、お風呂のぬるくなった残り湯は、決して「温水」ではなく、「ぬるま湯」だったりします。温水プールの水も、お風呂の残り湯も、物理的な温度としてはたいして変わりません。しかし、日本語の理屈ではそうはいきません。

    この「温水か、ぬるま湯か...」といった問題は、日本語話者たちにとっては、あまりにも自明で、「それがどうしたの?」とでも言いたくなるような話です。しかし、考えてみると、これは日本語の甚だ勝手な論理であって、他の言語を基盤に生きる人々にとっては、到底理解しがたい不可思議な理屈と見えたりします。
    ちょっと難しい話になっちゃいましたね(笑)。

    このように、私たち日本人だけでは、あまりにも自明すぎて気づくことの難しい問題を、JIC専攻(日本語・国際コミュニケーション専攻)では、日ごろから外国人留学生たちと一緒に学ぶ環境が設定されていることによって、改めて追求していくことができます。留学生の人たちも、外国語である日本語を学び、日本人学生達と日々一緒に学ぶ環境の中で、今度は自分たちの母語や自分たちのモノの考え方、自分たちの国の文化と言ったものについて、改めて見つめ直す機会を得て、新たな〝発見〟をすることができます。JIC専攻というのは、そうした日常的な〝気づき〟の空間なのです。

    今後、ますます国際という言葉が飛び交う世の中になっていく中で、日本語をベースに日本人学生と留学生が共に学び、お互いの語学・文化について深く議論し合うことは、世界で通じる国際人の育成に必要だと考えています。将来、世界で活躍したいと考えている方、いまは漠然な思いだとしても、麗澤大学での学生生活を通じてその思いがきっと確実なものになると思います。私たちと一緒にまずは、母語を見つめ直すところから始めてみませんか。

    ※「开水」は沸騰水。「开」は「開」。つまり〝開いた水〟ということ。

    日本語・国際コミュニケーション専攻の詳細はこちら

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