国際学部
2016.09.06|最終更新日:2021.12.10|

自分自身と真剣に向き合うことで本当にやりたいことを見つけられる

自分自身と真剣に向き合うことで本当にやりたいことを見つけられる
田中 智子
外国語学部 日本語学科(現在の国際学部 日本学・国際コミュニケーション専攻)2004年3月卒業
群馬県出身。中国にある厦門理工学院(アモイリコウガクイン)の日本語学科で日本語教師として勤務。主な担当教科は会話や作文。
目次

    海外で働きたい!夢を叶えるために麗澤大学を選びました

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    小さい頃から外国に強い憧れを持っていた私は、いつか海外で働いてみたいという夢がありました。中学生の時、社会の資料集でJICA※1の活動が紹介されているのを見て「私もこの仕事に就けば海外で働ける!」と思い、早速JICAについて調べてみたところ、数ある職種の中に「日本語教師」という仕事があることを知りました。当時、何となく面白そうだと感じたその想いが夢へと変わりました。

    ※1日本の政府開発援助(ODA)を一元的に行う実施機関として、開発途上国への国際協力を行う機関。

    その後、高校2年生の夏、国際協力に詳しい先生に「日本語教師になりたい」と話したところ「それなら麗澤大学がいいのでは?あなたにも合ってそうだ」とアドバイスをいただきました。その先生から麗澤大学について「先生方は厳しいけど温かく、アットホームな雰囲気で、日本語教師の専門的な勉強ができる環境だよ」と聞きました。

    一体どんな大学なのか気になり「1泊2日の体験入学※2」に参加しました。

    そこでは、日本語教師を目指す先輩や参加者に出会うことができました。更に、体験授業を受け たことで、描いていた夢が現実の目標へと変わりました。

    実は当時、他大学の指定校推薦のお話をいただいていたので、両親に麗澤大学進学を反対されていました。けれども私は自分の夢を叶えるために反対を押し切り、自分の意思を貫いて入学したのです。ですから麗澤大学を卒業する時、両親から「麗澤大学へ進学したことは間違ってなかったね」と言ってもらえたことが、とても嬉しかったのを覚えています。

    ※2現在「1泊2日の体験入学」は行っておらず、オープンキャンパスで体験授業など、ご参加いただけます。

    出会いの場「麗澤大学」

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    麗澤大学ではたくさんの出会いがありました。4年間の寮生活でしたので、様々な国の留学生と交流することもできました。一緒に料理を作ったり、テスト勉強をしたり、悩みを聞いてもらったりと本当に生活を共にしていました。彼らの国のご実家に遊びに連れて行ってもらったこともあります。見知らぬ世界や価値観に触れられる瞬間は、とても貴重なもので、「国が違えど変わらないこともある」と気付かされました。現在、卒業して10年余り経ちましたが、今でも連絡を取り合っている友達もいますし、毎年お正月には私の実家に来て、家族のように交流している友達もいます。麗澤大学で出会えた大切な友人です。

    また、日本語学科に在籍しながら中国語学科の先生にも大変お世話になりました。きっかけは、中国語学科の友人から「三潴先生の授業がおもしろい」という話を聞いて「是非受けてみたい!」と思ったことでした。新学期に入ってすぐ授業が行われる教室に行き、直接先生と交渉。他学科にもかかわらずその場で快諾していただき、受講させてもらいました。先生の授業は、とても人気で受講者が多かったのですが、正規の受講生ではない私の答案も同様に毎回添削してくださったことが本当に嬉しくて感動しました。

    卒業後も繋がる麗澤大学との今

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    昨年、親戚が大学受験を控え、「麗澤大学のオープンキャンパスに参加するから一緒に行かないか」と誘いを受け、同行しました。そこで三潴先生と再会し、現在、中国で日本語教師をしているとご報告することができました。その時「中国まで是非いらしてくださいね」とお話をしたのですが、その3カ月後に本当に先生が中国まで来てくださり、私の勤務先の厦門理工学院で授業をしてくださいました。日本語学科の主任ともお話をしていただき、厦門理工学院の日本語学科の学生と麗澤大学の中国語専攻の学生が交流することになったのです。恩師が中国の私の勤務先まで来てくださったこと、そしてその繋がりから私の教え子が母校で交流できたことが何よりも嬉しかったです。

    夢を叶えるために自分と向き合い決断を

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    麗澤大学卒業後は、留学生コースの日本語教師として、日本の普通高校に就職しました。たまたま、出張で中国に数カ月滞在したことをきっかけに、中国で日本語教師を目指そうと思うようになりました。中国は私が想像していたよりもずっと住みやすく、周囲の人たちもとても親切で、海外で働くことに憧れていた私は、先ずはこの国で働いてみたいと思ったのです。

    麗澤大学に入学したことで、夢は目標に変わり、そしてその目標も達成することができました。今はまだ漠然としていますが、これからは中国と日本の交流が増え続ける中、さらなる相互理解のために何かできることがあるのではないかと模索しています。

    実は私は、就職など人生の節目での決断時に両親から何度か反対をされてきました。今だからわかるのですが、それは「自分の選択に責任を持ってしっかり進んでいく覚悟があるかどうか」を確認するためだったのだと思います。反対されたからこそ、自分自身の決断を再確認し、強い意思を持ち、どんな時も頑張っていこうと思うことができました。今ではそんな両親に感謝しています。

    今、夢はあるけど、周囲から反対されているという方もいらっしゃると思います。その反対意見は、時に煩わしいものだと思います。一方で、それは自分自身と真剣に向き合う貴重な時間だと言い換えることができます。どんな選択であれ、自分の夢と真剣に向き合い、考え抜いた結果であれば、その決断に責任を持って進むことができます。同時に自らの人生を楽しむことができるのではないでしょうか。これから受験をされる皆様のご活躍を心より祈っています!

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