

新型コロナウイルスの影響により、学びの環境が変わったり、経済的に苦しくなったりなど、大学生の生活も大きな影響を受けています。コロナ禍において、改めて考える「大学に行く意味」とは何なのでしょうか。ご自身も大学進学までに紆余曲折を経験し、現在は麗澤大学で企業倫理を研究している藤野真也先生にお話を伺います。
大学進学を諦めた10代から、4年間のフリーター生活を経て大学生に
失敗すれば、住み込みの新聞配達をしながら大学に通おうと思い、新聞奨学生のパンフレットを取り寄せましたが、運よくその必要はありませんでした。大学に入学し、初めて講義を受けた時の感動は、今でも忘れられません。大学という場所の自由さや、経済学という学問の実践性に、強く惹きつけられました。 その後、京都大学に編入しました。その理由のひとつは、マルクス経済学の勉強がしたいと思ったからです。
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当時は格差社会が取り沙汰されていて、マルクスの理論や思想が再注目された時期でした。私はもともと経済学科で、ミクロ経済学、マクロ経済学を中心とした、いわゆる正統派の経済学を勉強していましたが、他方でそれとは全く異なる視点で経済社会を見ている人たちもいました。京都大学経済学部は、そういったオリジナリティに溢れていました。私も京都大学でマルクス経済学のゼミナールに入り、『資本論』を読み込みました。ただ、いくら必死にマルクスを勉強しても、お金を稼げるようになれそうにありません。また、マルクスの至った結論にも限界を感じました。ですから、現代社会で、特に会社の実務でも役立つ簿記や会計の勉強にも、同時進行で打ち込みました。
「企業倫理を研究したい!」そう思った恩師との出会い
その後、アメリカでリーマン・ショックが起き、日本ではオリンパスなどの大企業で立て続けに粉飾決算事件が起きるなど、経済社会が混乱を極めた時期でした。 そうした一連の出来事を目の当たりにして、私は会計不正の問題に頭を悩ませていました。正しい会計メカニズムと、それに基づく体系的なルールがあっても、人間がそれを破れば意味がなくなってしまいます。高先生と出会ったのはそんな時期でした。
今になって振り返ると、麗澤大学には、高先生をはじめ企業倫理の分野で日本をリードしてきた先生方がいらっしゃいます。ですから、企業倫理を体系的に学んで研究しようと思ったら、麗澤大学しかありませんでした。私は、博士課程を修了し、その後2年間の研究員を経て、麗澤大学に着任しました。
企業の現場で働いている方々の感覚を大事にし、役立つ研究をしていきたい
現在は、学生の皆さんと接する教員であると同時に、企業倫理の研究者という立場ですが、研究において大事にしてるのは、100年先も生き残るような理論を生み出すことより、現場で働いている方々の感覚を大事にしたいという思いです。企業には、現場の人たちが「本当は言いたいことがあるのに言う手段がない」「説得的に説明できない」という問題がたくさんあります。ですから、間違っていることを、自分の言葉で「間違っている」と言えるための材料のようなものを、少しでも提供したい。
※サスティナビリティ:持続可能性とも言います。企業経営においては、短期的な利益を追求するのではなく、長期にわたって社会や自然と共生するという考えや、それに向けた活動を指します。