大学卒業後「日本語教育」の道に足を踏み入れ、日本語教育の現場で実践と研究を積み重ねてこられた井上先生。麗澤大学では、主に留学生向けの授業をご担当され、日本語教育に興味がある学生と留学生が互いに学び合えるクラスづくりを目指されています。前編では、井上先生が日本語教師を目指したきっかけと、日本語学校での思い出について伺います。
英語赤点だった私が、世界とつながった実感が湧いたホームステイの経験
私は兵庫県出身で、中学校と高校は1クラスが20人以下の少人数制の学校に通っていました。美術部や英語を話すESSなどの部活動に活発に取り組み、当時の夢は、客室乗務員になることでした。世界で羽ばたきたいという漠然とした思いがあり、英語を使う仕事や、世界とつながれる仕事に憧れていました。
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とはいえ、英語はとても苦手でした。定期テストで赤点をとるレベルでしたが、中学3年生の時にニュージーランドでホームステイをしたことをきっかけに、転機が訪れました。なんと私のたどたどしい英語が、現地の人にちゃんと通じたのです。言葉を通じて「つながる」ということをまさに実感した瞬間で、私の中に大きな衝撃が走りました。帰国後は、猛烈に英語の勉強に励み、大学は英文科に入学しました。ニュージーランドでのホームステイの経験は、その後の人生を変えた大きな分岐点だったと思います。
一生の仕事と決めた日本語教師
大学時代は、学生生活を満喫した一方で、卒業後の進路について深く悩んだ時期でもありました。10代の時になりたかった客室乗務員の就職活動も、志半ばでやめてしまいました。そんな時に、たまたま参加したのが、地域の日本語教室のボランティアでした。学生スタッフとして日本語教育に関わったのですが、これが何より楽しかったです。「日本語教師は専門的な知識も、色々な人生経験もすべて生かせるから、年を重ねてもずっと続けられるよ」と、一緒に活動していた年配の方に言っていただき、私も一生の仕事にしたいと思いました。
しかし、日本語教師になるには資格が必要です。大学4年次の時に、民間の日本語教師養成講座の学校に通い、約420時間の猛勉強を経て、晴れて検定試験に合格することができました。
専任教師へのステップアップ、留学生の将来に関われるように
私のキャリアは、日本語学校の非常勤講師として始まりました。当時は仕事をしながら、1歳の子どもの世話も両立しなければならなかったので、とにかく大変でした。子育てに追われ、仕事に集中できない時もあったので、本当に悔しくて泣いたこともありました。
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忙しい日々を過ごしながらも、非常勤講師として4年務めた後、ようやく念願の専任教師になることができました。専任教師と非常勤講師の違いは、学生から見るとよくわからないと思うのですが、専任教師は学生の進路に関われるというところが一番大きかったです。将来の希望が定まっていない学生もいましたが、何がしたいかがわからないと言う学生のビジョンを掘り起こしていくところにやりがいを感じました。日本語学校は基本的に2年制なので、学生とは2年間しか関わることができないのですが、留学生の将来を左右する本当に重要で大切な入口だと思っています。
専任教師になってからは、非常勤講師ではできなかった、学校運営のイベント企画に携わるようになり、その時はまさに青春そのものでした。本当は、日本に来ている留学生の勉強と日常が充実するようなコンテンツをたくさん詰め込んだ井上日本語学校をつくりたいという夢がありました。今もその目標をひそかに持ちつづけています。
地域と日本語学校・留学生をつなぐ交流イベント
実は、日本語学校は地域から浮いた存在になりがちで、私のいた学校も「あの建物にはなんだか怖い外国人がいっぱいいる」といった印象が根付いてしまっていました。その現状を打破したいと思い、地域交流を目的とした学校のイベントを企画しました。苦労したのは、そのイベント自体をどこでやるかということでした。企画の趣旨を理解し受け入れてもらえるような施設や団体を探して、学生を連れながら地域まわりをしました。
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一番思い出に残っているイベントは、高齢者福祉施設で開催した交流会です。高齢者福祉施設側はレクリエーションを求めており、日本語学校側のやりたいことと互いの希望が合致したことで、イベントが開かれることになりました。このイベントの一番の成果は、留学生と高齢者福祉施設の人だけではなく、地域の住民も巻き込んでイベントを開催できたということです。地域のイベントとして「留学生と交流しませんか」「高齢者福祉施設でお話ししませんか」とアプローチすることで、外国人が怖いといった先入観を軽減することができました。
イベントでは、留学生による民族ダンスの披露のほかに、皆がピアノに合わせて日本の有名な唱歌を一緒に歌いました。国や世代を超えて皆の気持ちがひとつになり、地域の方々に日本語学校や留学生を知っていただけた大変意義のあるイベントとなったと確信しています。