卒業生の活躍
2017.02.08|最終更新日:2021.12.10|

「好き」は人を成長させる。とことん「好き」を極めた大学時代

「好き」は人を成長させる。とことん「好き」を極めた大学時代
松田 康博
外国語学部 中国語学科(現在の中国語・グローバルコミュニケーション専攻)1988年3月卒業
1965年、北海道生まれ。1990年東京外国語大学大学院地域研究研究科修了後、在香港日本国総領事館専門調査員を経て、1997年慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。2003年博士(法学)学位取得。1992~2008年防衛庁(省)防衛研究所で助手・主任研究官。2008年東京大学東洋文化研究所准教授を経て、2011年より同教授、現在にいたる。12~15年東京大学大学院情報学環教授を兼務。
目次

    持ち前のチャレンジ精神から、いち早く希少な中国語を選択

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    私は現在、アジア研究の専門家として研究を行うと同時に、大学院生の指導をしています。アジアや欧米からの留学生を教えることも少なくありません。かつては海外で生活していた時代もありますし、海外の大学から依頼を受け、現地で教鞭をとることもあります。

    そんな私にとって、海外との交流はとても身近なものですが、その基盤は麗澤大学での学生時代にあります。1980年代の半ば、当時は日本国内だけで教育を受け、画一的に就職をするというスタイルが終わりつつあり、学生時代に海外に出て教育を受けたり、就職をしたりという生き方が珍しくなくなった時代でした。
    そんな中、私も2回の留学を挟みながら4年間で大学を卒業し、その後も様々な経験を積み現在に至ります。

    北海道の田舎育ちで、海外とは無縁の生活だった私が、なぜ麗澤大学の中国語学科に進んだのか。

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    それは「いつか地元を離れて新しいことにチャレンジしたい」という想いがあったこと。また、叔父がアメリカ留学を経験しているのですが、特別な教育ではなくラジオ講座を聴いて独学で英語学習を始めたと聞き憧れました。私も真似して小学生の頃からラジオで英語を勉強した結果、英語が得意科目になりました。そして地元を離れるという夢も加わり、千葉県にある全寮制の麗澤高校に進学。麗澤高校は英語劇が有名で、参加することで英語力にさらに磨きがかかりました。とはいえ、大学で語学を極めるなら、希少性の高い言語がよいのではないかと思い、ロシア語や中国語を学びたいと考えるようになったのです。

    ちょうどそのころ、隣接する麗澤大学の先生が進学のアドバイスに麗澤高校を訪れました。好印象だったその先生が麗澤大学の魅力を語ってくださり、更には中国語学科があると知り、私は麗澤大学への進学を決めました。

    麗澤大学だから叶えられた、2度の留学と自主勉強会

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    麗澤高校在学中、私の成績は必ずしも良くありませんでした。しかし、麗澤大学で語学三昧の日々を送ることで、急速に成績が伸びました。中国語は誰しもゼロからのスタートでしたし。成績が伸びると先生にも褒められ、自信もつき、ますます勉強が面白くなるという好循環で楽しく学んでいた大学生活でしたね。

    当時の麗澤大学では、2年の時に全員留学するという制度があり、憧れだった留学が実現。台湾に留学したのですが、まだ1年と少ししか勉強していなかった中国語ながら、現地で使わなければいけない状況で、話しているうちに、必然的に鍛えられました。

    しかも、台湾に留学したことで、同じ中国語を話すのに、中国本土と台湾とではかなり違う社会、文化であることを知ったことに興味を引かれました。「なぜ同じ中国語を話すのにこんなにも違うのか」と思ったことが、現在の研究に繋がっているのですから、出逢いや経験というものは面白いですよね。

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    面白いと言えば、中国語が話せるようになった途端、あんなに得意だった英語が口から出てこなくなりました。これはもう一度勉強しないといけないと思い、奨学金をいただいて、3年生の時にアメリカへの留学を決意しました。台湾とアメリカと2回の留学を経験させていただいたのにも関わらず、4年間で卒業できたのです!しかも経済的負担はほとんどありませんでした。これも麗澤大学だったからこそ、と感謝しています。

    また将来、外交官になりたいと思っていた私は、必要とされる科目について調べ、麗澤大学で授業があるものは積極的に受講しました。もちろん中国語学科の授業ではない授業もありましたが、受けさせてもらいました。

    中には、該当する授業がない学問もありましたが、麗澤大学には様々な専門を持つ先生がいらっしゃったので、研究室に押しかけ、勉強会を開いてもらったこともありましたね。講義とは直接関係がないにも関わらず、学ぶことに積極的な学生に対して、必ず先生は答えてくださる。そんなことも嬉しかったです。今思えば先生方は大変だっただろうなと思います(笑)。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

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    こうしてたくさんの人に支えられ、様々な学問を学んでいくうちに、クロスオーバーして学ぶことの面白さに気づき、大学院への進学を考えるようになりました。当時、麗澤大学から大学院へ進学する人はほとんどなく、インターネットも普及していない時代でしたから情報収集に苦労しました。最終的には語学力を重視する東京外国語大学大学院へ進学することができました。その後は、防衛庁や香港総領事館の研究員など様々な環境でキャリアを積み、今日の私があります。そんな私の根底にあるのは、自分の興味や好奇心に正直に突き進むこと、そして失敗を恐れず、新しいことに飛び込んでいくこと。

    私が麗澤大学で今に繋がる大きな一歩を踏み出したように、皆さんも大学へ進学したに後は、自分の感性やアンテナを研ぎ澄ませて新しい何かをキャッチし、素晴らしい未来を切り開いていただきたいと思います。

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