卒業生の活躍
2023.01.27|最終更新日:2023.10.04|

【前編】「素材で世界を変える!」名門紡績会社を継ぐ5代目社長の挑戦

【前編】「素材で世界を変える!」名門紡績会社を継ぐ5代目社長の挑戦

明治20(1887)年に創業し、今年(令和4年)で135年目を迎えた名門の長谷虎紡績株式会社を継ぐ若き5代目社長の長谷享治さん。長い歴史の中で培われた「ものづくり」の技術と知識を生かして、時代の変化に応じた新しい素材や製品の開発に邁進しています。前編では、長谷さんの学生時代と、事業継承した長谷虎紡績株式会社について、お話を伺います。

長谷 享治(ハセ タカハル)
長谷虎紡績株式会社 代表取締役社長
【国際経済学部 国際経営学科(現在の経済学部 経営学科)2003年3月卒業】
1980年1月11日生。大学卒業後、新卒で長谷虎紡績に入社。大阪支社やカーペット事業、中国子会社の社長、高機能素材「光電子®」を扱う株式会社ファーベストの社長などを経て、2019年12月に長谷虎紡績グループの5代目社長に就任。
目次

    「家業を継いで経営者になる」小さい頃から漠然と思っていた

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    • 私は麗澤瑞浪中学・高等学校(岐阜県)出身で、その後麗澤大学に進学と10年間麗澤教育を受けてきました。その間ずっと寮生活を続けていたのですが、特に中学時代の初めての寮生活は、人の多様性を感じる毎日でした。家族以外の人との生活、育った環境が違う同級生や先輩、後輩と毎日過ごす生活、もちろん気が合わない人もいる状況。その中で「人ってそれぞれこんなに違うんだ」という意識が強く芽生えたことを覚えています。多感な時期ということもあり、馬が合わない友人と衝突する事もしばしばありました。それでも一緒に生活する過程で、自他の違いを認め、相手を尊重できるようになっていきました。今考えると、「寮」というある程度閉ざされた環境ではあるものの、当時の私にとっては多様性に満ちた世界で、とても良い経験ができたと思っています。

    そんな中学・高校時代から、代々続いている家業を意識し、「自分もこの家業を継いでいずれ経営者になるんだ」と漠然と思いながら過ごしており、そのためにはグローバルな視点で経済や経営を学びたいという想いがありました。そんな時、麗澤大学に国際経済学部が新設されたのです。家業でも大切にされてきた、道徳と経済を両立させる道徳経済、道経一体(道徳と経済は一体である)の考えなど、麗澤大学でなければ学べないことがあると思い進学することにしました。また、当時麗澤大学に通っていた2歳上の姉からも進学を薦められたことや、叔父をはじめ身内の中にも何人か麗澤大学出身者がおり、小さい頃から麗澤大学が身近な存在であったことも大きかったと思います。

    進路に悩んだ大学時代。社歴50年の先輩の一言で、卒業後すぐに家業に入ることを決心

    大学入学当初は、新たな人間関係を築いていくことや、生活リズムを自ら整えなければならない環境に戸惑いがありました。中学・高校時代は、寮で決められた時間に起きて寝る、規則正しい生活でした。一方、大学生活においてはそうしたリズムを自分でつくる必要があります。はじめは苦労しましたが、寮で一緒だった4年次生の先輩の助けもあり、そうした環境の変化にも徐々に慣れていきました。

    • 私の場合、勉強やサークル活動だけでなく、古着屋でのアルバイトの経験も大学時代の大切な思い出です。母方の祖父が「小さい頃から良いものに触れておくのがよい」という考えをもっていて、小さい頃から普段は買えない高級なシャツなどを、誕生日などの特別なタイミングでプレゼントしてくれていました。その影響もあって洋服が好きだったのです。私たちの学生時代は古着ブームで、大学から一駅隣の柏駅周辺にもたくさんの古着屋があり、ファッションが好きな同級生が働いていたことをきっかけに、振り返れば2年間ほどアルバイトをしていました。当時から古着屋にアウトドアブランドの商品がありましたが、まさか将来、自分がそうしたブランドと仕事で関わっていくことになるとは思ってもいませんでした。こうして時間を越えて、点と点がつながっていく感覚は不思議なものです。

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    また、大学で経営や経済を学んでいる最中も、卒業していつかは家業の長谷虎紡績に入ることを考えていました。そう思えていたのは、幼少期から祖父に手を引かれ、近所の神社やお墓参りをする道中で、祖父の仕事に対する考えや、人のために働く大切さを聞いていたことの影響が大きいと思います。社長になること、家業を継ぐということはあくまで結果で、それを目的や目標にしてはならない。重要なことは、共に働く人をはじめ、私たちの会社を取り巻く人を幸せにすることを第一の目的にすること。そうした父や祖父、創業者の想いを継いで、卒業後は長谷虎紡績に入社することを決意しました。もちろん、最初は他社で働くことも考えました。周りが就職活動をして新入社員として様々な会社に入社する中、家業に入ることを迷った時期もあります。そんな時、当時の当社の常務で、社歴50年を超える大番頭のような存在の人から、「私も70歳となり時間がない。他社で修業するよりも、私がこれまで経験したことや歴代の社長から学んだことすべてを教えるから、すぐに私の元に来なさい」という言葉をいただきました。それを聞いた時、自分の中の迷いはなくなり、卒業後すぐに長谷虎紡績に入社することを決めました。

    長谷虎グループ社長に就任。常に人の幸せを願う創業者の想いを受け継ぐ

    入社後、2年間は常務のもとで毎日指導を受けました。毎朝、6時30分頃に出社し、約30分かけてフロアの掃除をします。それが終わると常務から前日の反省点などを注意されました。名刺の出し方、話し方、電話の応対の仕方、会社のトップはどのような視点で物事を見るのかなど、徹底して社会人・経営者としての基礎を叩き込まれた時期でした。この時の学びは、今の仕事にもずっと生き続けています。その後、将来のことを考えて、語学力の向上を目的に1年半ほどアメリカに留学し、帰国後はカーペット事業部に配属され、自動車用カーペットの営業を担当しました。そして2012年、32歳で取締役に就任し、中国上海にある子会社(自動車用カーペットの製造販売)の総経理に就任して、はじめて会社の責任者となりました。2017年からは長谷虎グループの企業の社長も兼務し、2019年秋頃から年末にかけて長谷虎グループすべての会社の社長に就任しました。

    長谷虎紡績は明治20(1887)年に創業し、今年で135年目を迎えました。社長は初代から数えて私で5代目です。製糸業(生糸)からスタートし、現在まで繊維事業を続けています。創業者は、地域の方々を幸せにする、地域との共存共栄を理念に掲げこの会社を立ち上げました。代々の経営者は常に人の幸せを願い、世の中のためになるということを大切にして事業を継続してきました。135年の歴史の中で、時代の変化に応じて事業変革を行い、今日があります。日本における紡績事業は、1960年代をピークに縮小の一途をたどり、日本国内の設備数はピーク時より98%減という状況です。そんな中、当社は「素材で世界を変える!」をミッションに、これまで培ったモノづくりの技術と知識を駆使して、素材ベンチャー企業と協業し、環境に負荷をかけない新しい素材や製品の開発を進めるなどして、事業を行っています。

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