麗澤大学で20年以上続く国際協力活動団体「プアン」。プアンはタイ語で「仲間」という意味です。仲間とともに地球規模の問題解決に取り組む、という思いで設立時にこの名がつけられました。前編では、部長の小林さんと、創設メンバーにして現在は麗澤大学の職員である桑島さんに、プアンの活動内容についてお話を伺います。
※2023年度取材実施。
※取材時、3年次生
タイ北部の少数民族を支援している「プアン」
―まずは「プアン」がどのような団体であるのかを教えてください。
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小林:プアンは、タイ北部の少数民族を支援しているボランティアサークルです。主な支援先は、ルンアルンプロジェクトという教育及び持続型農業支援プロジェクトとメーコック財団という児童養護施設です。毎年秋にルンアルンプロジェクトの有機栽培コーヒーを現地から取り寄せて麗澤大学の大学祭で販売します。この売上がボランティア活動の主な資金源になります。2023年の新たな活動としては、麗澤幼稚園の保護者の方に子どもの服や靴を持ち寄っていただき、古着回収の活動を行いました。回収した古着などは、メーコック財団児童養護施設にいる現地の子どもたちに寄付しました。
―桑島さんはプアンの初代メンバーですね。結成時の経緯を教えてください。
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桑島:初代顧問の竹原茂先生が引率されたスタディツアーが、プアン結成のきっかけでした。当時はタイ北部の山岳地帯に学生を連れて行くことはとても珍しく、衝撃的な旅でした。電気も通っていないエリアで、発電機で電気を回して、水は地下水をくみ上げていて、何もないようなところでした。帰国後、参加した学生たちの中で、自分たちでその地域に住む子どもの教育支援を手伝えないかという話が持ち上がり、2000年に「プアン」を結成しました。
―小林さんは、なぜ入部されたのですか。
小林:高校時代からムエタイがやりたくて、タイのサークルだと常時できるかなと思いました。それから、自分が国際交流・国際協力(IEC)専攻に入学した時点で、国際貢献の意識を深めてボランティア活動に関わることが、大学生活のビジョンのひとつでした。
現地の生活を体験し、支援の大切さを深く感じたタイ渡航
―タイ渡航についてお話を伺えますか。
小林:2023年2月7日から9日間、学生11名で、メーコック財団や、 ルンアルン暁の家に滞在しました。
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タイ北部チェンライ県で農業技術指導と教育支援を行っているルンアルンは、コーヒー農園での有機農法によるコーヒーの栽培・販売を通して、地域での持続可能な生活向上を目指して活動しています。私たちは、コーヒーの摘み取り作業を体験しました。ものすごく急な崖のような坂にコーヒーの木が5,000本ぐらい立っていて、それを全部手摘みします。転げ落ちてしまいそうな斜面で、自分の背丈ほどある木から実を摘み取るのだと知った時は、目がくらむ気持ちでしたが、滑落の恐怖と戦いながら、現地のスタッフに教えてもらって作業を行いました。1日の終わりにはクタクタでしたが、タイの自然に存分にふれた有意義な時間でした。
生活が困窮している少数民族の子どもたちの生活・教育支援施設の運営を行っているメーコック財団では、親が麻薬関連の罪で収監されている子どもや、親が麻薬中毒で一緒に暮らせない子どもに出会ったことが衝撃でした。さまざまな事情がある子どもたちとふれ合い、日本で暮らしている時には全く想像もつかなかった境涯があることを実感しました。子どもたちが協力し合いながら、食事づくりや掃除、小さな子どもの世話などをしていて、彼らの力強く生きている姿には、ぐっとくるものがありました。今後も訪れて、まだまだ支援を続けたいと強く思った瞬間でした。
―桑島さんは、学生の活動をどのように見られていますか?
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桑島:専攻も学年もバラバラの学生たちが一緒に参加するので、最初はなかなか打ち解けられない学生もいます。ただ、徐々に学生間で関係性が築かれてくると、最初は硬かった表情がどんどん明るくなってくるので、それを見られるのはすごく嬉しいですね。
渡航前の研修では、それぞれの学生が気になるテーマをひとつ選びます。麻薬問題、教育問題、LGBTQ、環境問題など、事前にしっかり調べてから渡航します。現地に行って自分の目で見たり、スタッフや交流する現地の学生にヒアリングしたりして、帰国後、実際にはどうだったかというのをまとめる課題に取り組みます。学生には、ひとつの視点を持って参加することを大切にしてもらっています。
私は2023年2月と8月の計2回、タイ渡航に参加しました。思い出深い体験は、メーコック財団でお手伝いさせていただいた、メーコック川の堤防づくりです。炎天下、バケツリレーのような形でセメントを流し込む作業はなかなかハードでしたが、児童養護施設の子どもたちと力を合わせて取り組みました。
また、メーコック財団児童養護施設では衝撃的な光景を目にしました。子どもたちが住む建物がかなり老朽化していて、建物の中の壁はボロボロ。子どもたちのおもちゃは不足していて、女の子同士でおもちゃを取り合っており、ベッドの布団やシーツは、茶色っぽく汚れ、すりきれていました。そんな現状を見て、自分たちが日本国内でやっていた支援は本当に意味のあったものだっただろうか、と疑問を持ちました。
渡航するまでは、大学祭でコーヒーや民芸品を販売するなど、支援の資金調達の方法を自分たちなりに頑張って考えていました。しかし実際、タイに行って、シビアな現状を目の当たりにしたことで、たとえば「これは子どものおもちゃ代にしてください」など、資金の使い道をはっきりと伝えるべきだったのではないか、と省みることになりました。支援先に丸投げするのではなくて、私たちが主体的に考えてこうすればよかったのではないかと、自分たちの活動を振り返る貴重な体験となりました。