
ビッグデータとテクノロジーを駆使した、最先端のマーケティング戦略で企業の成長をサポートする「株式会社CINC」(以下、CINC)を創業し、経営者として約130名の社員を率いる石松さん。その道のりは決して平坦ではなく、さまざまな試練に遭いながらも「あきらめなかったから、今がある」と語ります。前編では、石松さんの高校時代・大学時代についてお話を伺います。

[国際経済学部 国際経済学科(現在の経済学部 経済学科)2004年3月卒業]
「なんて素敵な環境だろう」高校時代から縁のあった麗澤大学へ進学
現役生としての大学受験は1校のみ受験しましたが、不合格となり浪人することになりました。来年はどこを受けようかと考えて思い出したのが、麗澤大学です。私は千葉県立我孫子高等学校出身で、学区が同じ麗澤中学・高等学校(以下、麗澤高校)とはテニス部の活動で交流があり、麗澤高校の友人とは仲もすごく良かったです。試合で麗澤高校に行くことも多かったのですが、麗澤のキャンパスはテニスコートが6面もあり、キャンパスもきれいで「なんて素敵な環境だろう」と、南柏に行く時はいつもウキウキしていました(笑)。ふと、麗澤高校からそのまま麗澤大学に進んだ友達がいるのを思い出し、そういえば、近くにこんな良い大学があるじゃないかと思いました。その友達も「麗澤大学はゆったり過ごせて良いところだよ」と言っていたし、しかも麗澤大学は当時国際経済学部があり、海外やビジネスに興味がある自分にぴったりだと改めて感じました。
佐藤先生の下、仲間たちと学びあった日々が宝物
佐藤ゼミでは、ゼミナール後によく皆で食事に行っていました。おかげで、先生や仲間とたくさん話をして交流を深めることができました。南柏の駅前のお店に集まって食事をしながら、授業では聞ききれなかったことを「先生、あれってどういうことですか?」と聞くこともできたし、あるいは他のメンバーが質問したり意見を言ったりするのを聞いて、自分の考えがさらに深まるということもありました。恋愛話や将来の話もしたりして、本当にいろいろなことを話しました。
佐藤先生がまた、とても魅力的な方なのです。研究者、教育者として尊敬できるのはもちろん、普段はクールに振る舞っているのに、実はお茶目で寂しがり屋という人間性にも魅了されて、ゼミナール生も、OBOGの方々も皆、佐藤先生のことが大好きでした。そんな素敵な先生と仲間たちとともに学び、過ごした時間は宝物だなと思います。
都心の大学に進み、青春の真っただ中を都会で揉まれながら過ごすというのも良いですが、自然に囲まれた落ち着いた環境で、学業や仲間との交流に専念して過ごせるのも、すごく素敵なことだと思います。都会的な刺激はなくても、大学生活そのものを楽しめるのは、麗澤大学の素晴らしいところです。社会に出る前の4年間を、そんな素晴らしい環境で過ごせたのは、幸せなことだったなと実感しています。
本当に自分がやりたいことで活躍したい。起業を決意した日
学生時代の夢は、CMプランナーになることでした。当時、広告媒体はまだテレビが中心で、15秒や30秒という短い時間でいかに商品をアピールし、買ってもらうかが勝負でした。「CMの力で人を動かし、世の中にインパクトを与える仕事がしたい。」今思うと、その頃からすでに一番やりたかったのはマーケティングでした。
就職活動では広告代理店を受けましたが、結果はすべて不採用。当時はいわゆる就職氷河期で、1社内定をもらうだけでも大変なご時世でしたので、とにかくどこかに入社しなければと必死に就職活動をしました。そして、やっと人材派遣のベンチャー企業から内定をいただきました。そこは、デザイナーやカメラマン、DTPオペレーターといったデザイン系の人材を本や雑誌をつくる出版社や印刷会社に派遣する会社で、私の仕事は営業兼コーディネーターでした。しかし仕事をするうちに、自分には何のスキルもないのに、人のスキルを売っていることに強い違和感が生じて、ものすごい焦燥感を感じたのです。今は営業も立派なスキルだとわかりますが、当時は自分に自信が持てなくて「何の取柄もないまま、埋もれてしまうのは嫌だ」「もっと実力をつけて、何者かになりたい」「自分が本当にやりたいことで活躍できるようになりたい」と思うようになり、将来は起業しようと決めました。そのためにはまず、この会社で一番になろうと、頑張って単月売上トップを取り、それからすぐ、起業に向けて力をつけるために転職をしました。