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2014.12.02|最終更新日:2020.07.29|

前宮城県岩沼市長の井口経明氏が講演

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麗澤オープンカレッジ特別講演会(後援:千葉県教育委員会、柏・流山・松戸・我孫子・野田 各市教育委員会および柏商工会議所)の平成26年度後期第2回目が11月8日(土)に開催され、前宮城県岩沼市長の井口 経明 氏が、テーマ「大震災から3年8ヵ月 ~復興の最前線~」と題して講演されました。当日は217名の方々が来場し熱心に聴講されました。

井口氏はまず、岩沼市の概要を紹介されました。岩沼市は、古くから交通の要衝として街ができ、岩沼藩3万石の「城下町」として、また『奥の細道』で有名な松尾芭蕉も訪れた奥州街道の「宿場町」、東北一の参拝客を誇る竹駒神社の「門前町」としても栄えてきたと紹介されました。

次に、東日本大震災による被災状況について解説されました。平成23年3月11日 14:46に震度6強の大地震が発生。岩沼市では、公立中学校の卒業式の当日でした。市役所は、前年の12月に耐震補強工事を行ったばかりだったため、建物自体の損傷は軽微で、行政機能が大きく損なわれることはなかったことが幸いだったと語られました。

井口氏は、「これまでの岩沼市の歴史を振り返ってみても、まさか津波が来るとは思わなかった」と当時を振り返りながら述べられました。氏は、貞観11年(869年)の貞観地震、明治29年(1896年)の明治三陸地震、昭和8年(1933年)の昭和三陸地震、昭和35年(1960年)のチリ地震でも、岩沼市は津波の被害がなかったと解説。

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しかし、東日本大震災では地震発生から1時間30分ほど経った後に大津波が押し寄せ、市域面積の48%が浸水するという、未曾有の災害が起こったと解説。井口氏は、「岩沼市は、市区町村の面積としては、最も広範囲に災害に見舞われました。しかし、そのことがほとんど報道されなかったため、支援の格差を実感する結果となりました」と述べられました。氏は、被害の報道が多いところに、ボランティアや救援物資、支援金等が集まり、報道が少なかった岩沼市については、「震災後はまるで忘れ去られたような状態だった」と語られました。

井口氏は、「そのことが逆にきっかけとなり、マスコミが報道してくれるためにどうするのかを考えることができた」と語られました。政策の第一は、スピード感を出すこと。震災後、県内市町村で最も早い8月に復興計画を策定し、復興に向けて歩む岩沼市の取組みを全国にアピールしました。また、コミュニティを維持したまま集落ごとに集団移転を早期に執り行う等、スピード感をもって市政を断行することができたと解説。第二に、コスト意識を持つこと。井口氏は、瓦礫処理だけでも 300 億円かかるといわれ、この先も多様なことにいくら掛かるかわからない状態であるため、可能な限りのコストの縮減を図るとともに、コスト意識を持つことが重要であると、述べられました。

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最後は、「千年希望の丘」について、スライドで分かりやすく紹介されました。その丘は、高台の避難場所として使用し、また震災の記憶や教訓を国内外に発信するメモリアル公園と防災教育の場とすることも目的としていると述べられました。井口氏は、「その丘の造成土の約7割は震災のガレキを有効活用し、広葉樹を植樹しています。震災では松林の倒木による二次災害が起きたため、広葉樹による防災林の実証実験を開始しました。岩沼市は世界に向けて、復興モデルの提案ができる自治体を目指しています。『千年希望の丘』に皆さんも是非お越しください」と述べられ、盛大な拍手とともに講演会を締めくくられました。