お知らせ
【開催報告】竹原茂名誉教授、竹原和恵様による特別講義
2023年7月4日(火)、本学国際学部梅田徹教授が担当する「国際ボランティア論」の授業の特別講義として、本学名誉教授の竹原茂氏と奥様の竹原和恵氏をお招きしご夫妻の貴重な体験をお話いただきました。講義のタイトルは、「日本社会で生きる外国人(国際理解と異文化理解)」。昨年末に竹原先生の半生を描いた図書(千葉紫寿・著「路墾(みちはり)―ラオスから日本へ、東南アジアと日本を舞台に道なき道を歩む物語―」風詠社、1760円)が刊行されました。それを読んだ本学の徳永澄憲学長が感動し、「ぜひ学生にも読んでほしい」また、「竹原先生の話を聞かせたい」ということで、今回の特別講義が実現しました。
竹原先生は、1987年以降、長い間、本学外国語学部で教鞭をとられ、2014年に退職されました。国際交流・国際協力(IEC)専攻の主要な科目の一つである「国際ボランティア論」を担当されていましたが、もともとは、ラオスにウドム・ラタナヴォンとして生を受けられました。1965年に日本政府国費留学生として来日され、1970年に日本人の奥様と結婚されました。その後、家族とともにラオスに戻り、国家公務員に就いたものの、国内の政情不安もあり、再度、日本に再留学し、大学院に入学されました。75年にラオスの政変によって、本国に戻ることができなくなり、帰国を断念。政治難民として日本に滞在することになりました。竹原先生と麗澤との縁ができたのも、このころです。
政治難民として日本に滞在する苦労は、日本人にはなかなか理解しにくいものがあります。当時、日本の国籍法は父系血統主義を採用していたため、国際結婚した日本人女性から生まれた子供は日本国籍取得できない状況がありました。ウドム先生は、難民であるためラオスの国籍も取得できず、お子様たちは無国籍のまま日本で暮らさざるを得ませんでした。奥様からは、当時のご苦労についての話がありました。
講義の中での竹原先生の話題は、大量の難民を生み出すに至ったラオスを含むインドシナ諸国の悲哀と苦難、自身の難民としての苦労のほか、一般財団法人麗澤海外開発協会(RODA)との出会い、そこでお世話になった方々からの教え、さらには、タイ北部に渡ったのち竹原先生とともにメ―コックファームを立ち上げた友人ピパット氏との交友の話しなどに及びました。このメ―コックファームは、日本人学生に(あるいは親御さんにも)安心して途上国で現地研修ができるような拠点にしたという思いで開設されたものです。先生自身、この施設で研修するために何度も学生を引率して渡航されました。現在では、タイ・スタディ・ツアーとして定着しています。竹原先生は、豊かな国に暮らしている日本人学生にとっては、貧しい途上国の現状を自分の目で見ることが何より大切であると強調されました。ご自身が政情不安定であった母国の状況、あるいは昨今の国際政治環境を背景にして考えれば、いまの日本は「平和ボケ」だとも表現されました。竹原先生ご夫妻のお話は、学生に新たな刺激を与える貴重な機会になりました。
学生の質問へもご丁寧にお答えいただきました
代表学生からの花束贈呈
竹原茂(旧名:ウドム・ラタナヴォン)麗澤大学名誉教授プロフィール
1943年 |
ラオス・サヴァンナケート生まれ |
1965年 |
日本政府国費留学生として来日、東京外国語大学にて |
1970年 |
大阪万博博覧会ラオス館の副館長を務める 結婚 |
1971年 |
麗澤海外開発協会の事業活動に尽力 |
1972年 |
ラオスへ帰国 |
1973年 |
国内政情不安のため再来日 |
1974年 |
一橋大学大学院で学ぶ |
1975年 |
ラオスの政変により帰国を断念し、政治難民として日本に亡命。以後、難民救済運動に尽力、在日ラオス協会会長、難民を助ける会委員、アジア連帯委員会常任理事、モラロジー国際救援運動推進委員会委員等を歴任する |
1978年 |
麗澤大学外国語学部非常勤講師、87年助教授、96年より教授 |
1983年 |
日本人へ帰化 |
1985年~ |
タイ北部「メーコックファーム」を支援、日本支部会長を務める |
「路墾(みちはり)―ラオスから日本へ、東南アジアと日本を舞台に道なき道を歩む物語―」
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■発行日:2022年12月27日
■著者:千葉紫寿
■出版社:風詠社
■価格:1,760円