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【開催報告】東洋英和女学院大学学長の村上陽一郎氏による講演

平成23年12月22日、平成23年度比文研セミナー『文明シリーズ』の第4回目が、麗澤大学生涯教育プラザにて開催されました。東洋英和女学院大学学長の村上陽一郎氏をお招きし、「科学史からみた文明」をテーマに講演が行われ、約60名の参加者が熱心に聴講しました。

普段何気なく使っている「文明」という言葉ですが、本日の講演はこの「文明」についてもう一度考えてみるいい機会になりました。漢語の「文明化」は、英訳すると「civilization」という言葉になるそうです。「civil化」するとでも言い直せそうですが、この「civil」という言葉は「近代市民層の」が転じ「人為の」という意味を持つようになったそうです。長らく教会に支配され、神を疑わなかったそれまでのヨーロッパで、神と教会からの解放を謳った18世紀の啓蒙主義時代に誕生した「文明」という概念は、その言葉が持つ意味の如く、人の手で全てをコントロールしようとする考え方でした。そもそも文化の根幹に根付いているキリスト教の教えにより「神から自然を支配する権利を与えられている」と考えていた欧州の認識に、18世紀以降は近代科学技術という道具が加わることで、神を排除した人間が人間以外の全ての被造物をコントロールしようとし、今日に至ったのが「文明化」の実態だそうです。人間がコントロールできない「野蛮」な自然(第一の自然)を制圧し、また人間の内側に存在する数々の本能(第二の自然)をも制圧することが文明の資格とされ、「文明的」でない「文化」は「文明」によって制圧され「文明化」されてきたのが、欧州に主導されたここ200~300年余りの人間の歴史と言えるでしょう。このように近代ヨーロッパ社会のイデオロギーを内包した「文明化」による、全ての文化の最終着点とされた人間社会の理想形は、正しくそのヨーロッパ近代社会であり、一般的に使われている「開発途上国」という言葉なども、そのような思想(uncivilized = underdeveloped)を色濃く反映しているものと言えます。

しかし、このように全てを制圧しようとする「文明」は、その構造的な問題から、必然的に滅びる運命が待っているようです。他文化を制圧したつもりでいた傲りから引き起こされた9・11という未曽有のテロ事件、同じく自然を制圧したつもりでいた傲りが招いたとしか言えない福島の原発事故などなど、「文明化」の果てに起こるべくして起こってしまった一連の事件を我々はどう考えればいいのでしょうか。講演の最後のフレーズであった「文化の相対主義で最小限の人間性は確保できるか」という疑問に答えられるようになったとき、文明が崩壊するまでの時間は少し延ばされるかも知れません。

(麗澤大学 大学院生 記)

司会の松本先生
司会の松本先生
講師の村上陽一郎氏
講師の村上陽一郎氏
「文明」とは?
「文明」とは?
ヨーロッパにおける「文明」の成り立ちについて
ヨーロッパにおける「文明」の成り立ちについて
質疑応答①
質疑応答①
質疑応答②
質疑応答②